暴君忠長に転生したので、兄上のために日本列島をメンテします 〜SFチートのはずが、田んぼと水路と寺社ノードの保守係なんですが〜   作:パラレル・ゲーマー

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第120話 水神様、商人たちに信用の匂いを嗅がれる

 元和五年、旧正月の祝賀気分がまだ抜けきらない江戸の町方。

 

 日本橋のたもとに店を構える、とある大店(おおだな)の奥座敷にて、江戸の経済を実質的に回している有力な商人たちの内々の寄合が執り行われていた。

 

 集まったのは、米問屋、材木商、薬種問屋、呉服商、両替商、船荷を差配する者、そして町年寄筋と太い繋がりを持つ者たち。

 

 彼らは皆、高利で暴利を貪るような悪徳金貸しではなく、江戸の物流と信用を担う真っ当な大商人であると、少なくとも彼ら自身はそう自負していた。

 

 彼らがこの日、急遽集まった理由はただ一つ。

 

 町年寄を通じて内々に伝えられた、公儀からの『新たな経済方針の触れ』。

 

 すなわち、先日江戸城の奥深くで国松が提示した【貸借と信用に関する五本柱】について、対策を練るためであった。

 

 全国一斉ではない。

 

 まずは江戸、大坂、長崎での試験導入。

 

 だが、その中身を聞いた瞬間、奥座敷の商人たちは一様に空気を変えた。

 

「……やっぱり、来たか」

 

 一人の米問屋が、重い息を吐き出して呟いた。

 

「ついに。……公儀の『帳面』が、我らの貸し借りの借金にまで及んできたか」

 

 両替商が、苦笑混じりに応じる。

 

「来ぬ方がおかしい。今の公儀は、流れているものを決して手放しにはしておかぬ」

 

「その通りだ」

 

 材木商が深く頷く。

 

「川の水も、人も、米も、銀も、船荷も、城の普請も。……今の公儀は、ありとあらゆるものを全て『帳面』に載せて縛ってきた。……金の貸し借りと信用の流れだけが、帳面の外で済むはずがなかったのだ」

 

 彼らは、決して公儀の動きに怯え、震え上がっているわけではない。

 

 銀台帳、港別登録、蔵札と米札、城郭修理届、葭原(よしわら)の管理、相撲興行の差配。

 

 これまでの公儀の徹底した『管理と記録』の手腕を、彼らは商人としての冷徹な目でずっと観察してきたのだ。

 

 水神様と今の公儀は、『流れ』を見る。

 

 米の流れ、銀の流れ、人の流れ、船の流れ。

 

 ならば、いずれ『銭と借金の流れ』にも、必ず強固な堤を築きに来るに決まっていたのだ。

 

 *

 

 商人たちは、決してこの公儀の五本柱を「商人潰し」や「理不尽な締め付け」とは見ていなかった。

 

 むしろ、極めて現実的に、かつ好意的にその内容を計算していた。

 

 彼らが最も注目し、内心で手を叩いて歓喜したのは、第一の柱、『徳政令(借金帳消し)の原則廃止』であった。

 

「……これは。……実に、美味い」

 

 誰かが、抑えきれない笑みと共に小さく呟いた。

 

 周囲の商人たちも、無言で、しかし深く頷く。

 

 商人にとって、一番恐ろしいのは何だ。

 

 それは、貸した金が、公儀の「徳政令」という鶴の一声で、理不尽に一瞬で消し飛ばされることだ。

 

 借り手ばかりが強い立場になり、「どうせ最後は公儀が帳消しにしてくれる」と開き直られること。

 

 金を貸した側だけが悪者にされ、家を潰されること。

 

 だが、公儀は今回『借金をむやみに消さぬ』と明言したのだ。

 

「これは、我ら金貸しにとって、何より強固な『守り札』だ」

 

 両替商が、扇子で膝を叩いた。

 

「ああ。金というものは、不安なところには流れぬ。貸した金が『法によって守られ、確実に返ってくる見込みがある』と保証されたからこそ。……金は、今まで以上に太く、遠くまで流れるようになる」

 

 ここで商人たちは、徳川幕府の恐ろしいほどに深い本質を理解した。

 

 徳川は、商人を潰すつもりなど、毛頭ないのだ。

 

 むしろ、商人を公儀の『帳面の中』へ安全に囲い込み、公儀の目が見える形で、その経済力を最大限に利用するつもりなのだ。

 

 戦国の世では、刀と槍を持つ武士が絶対的な力を持った。

 

 しかし、これからの泰平の世では違う。

 

 米を動かす者。

 

 船を動かす者。

 

 銀を動かす者。

 

 そして『信用』を動かす者が、国を支える力を持つ。

 

 公儀は、それを完全に見抜いている。

 

 そして、商人たちが制御不能な巨大な力を持って暴走する前に、こうして分厚い『法の枠』を作りに来たのだ。

 

 *

 

 商人たちは、残りの柱についても、次々と冷徹な分析を加えていく。

 

 第二の柱、『借金の限度額制度』。

 

 これは、悪徳な金貸しにとっては致命傷だ。

 

 返せない貧民や見栄っ張りの武士に高利で貸し付け、雪だるま式に借金を膨らませて家財や娘を奪う。

 

 そういう『狩り』のような商売は、公儀の保護対象から外される。

 

 だが、真っ当な大商人たちは、これをむしろ評価した。

 

「返せぬ者に無茶な貸し付けをして、町中で泣き喚く者から身ぐるみ剥ぐような連中は。……同じ商人の風上にも置けぬ迷惑な存在だ」

 

「左様。ああいう悪辣な連中が町を荒らし、火種を作るからこそ。……我ら真っ当な貸し手までが、同じ穴の(むじな)として公儀から目をつけられ、厳しく締め付けられるのだ」

 

「公儀が『保護する枠』を決めてくれるのなら。我らはその安全な枠の中で、確実に返せる相手にだけ、安心して金を貸せばよいだけのこと」

 

 商人たちの内部にも、明確な『自浄作用』が働いていた。

 

 彼らは聖人君子ではない。

 

 当然、最大の利益を求める。

 

 だが、町を焼き、公儀を本気で怒らせるような無茶な利益は、家を長続きさせるためには絶対に避けるべき地雷だと知っているのだ。

 

 第三の柱、『登録借金制度』。

 

「帳面に載せるということは。当然、公儀に我らの金の流れを『見られる』ということだ」

 

「裏で柔軟にやっていた貸し借りが、やりにくくなる。面倒ではあるな」

 

 苦い顔をする者もいたが、すぐに別の者が応じる。

 

「だが。帳面に載せさえすれば、公儀の『法』が我らの後ろ盾になる」

 

「裏の闇貸しで不当に儲けていた小者には痛手だろうが。……我ら大店にとっては、借り手が逃げた時に公に訴え出やすくなる分、悪くない話だ。二重に担保を取られるような詐欺も防げる」

 

 帳面に載せて管理される代わりに、国家権力によって保護される。

 

 その明確な交換関係を、彼らは正確に値踏みしていた。

 

 *

 

 そして、第四の柱、『借金による贅沢の禁止と、見える高級品への課税』。

 

 これについては、呉服商や茶道具商、漆器商たちが最も敏感に反応した。

 

「最初は『贅沢禁止』と聞いて、ついに我らの商売も終わりかと肝を冷やしたが。……中身を聞いて、心底安堵したぞ」

 

 呉服商が、胸を撫で下ろして言う。

 

「これは、過去の理不尽な『倹約令』よりは、遥かにましだ」

 

「うむ。現金で買う高級品は許す。職人の生業は殺さない。……ただ、登録し、公儀に薄く手数料を納めるだけのこと」

 

 茶道具商が、目を輝かせて言う。

 

「買う財力のある者が買うのなら、我らは堂々と売れる。……むしろ、『公儀に登録された正式な高級品』という、極上の(はく)が付くかもしれんぞ!」

 

 商人たちは、この規制の中にさえ、新たな商機を嗅ぎ取っていた。

 

 公儀認可の品。

 

 由緒や職人の名を帳面に残す制度。

 

 これを利用すれば、偽物対策にもなる。

 

 大名や公家への贈答品の格付けとして、さらに値段を吊り上げることも可能だ。

 

 文化の消費が、公の制度として保証されるのである。

 

 もちろん、登録逃れや、偽の中古品扱いにして税を逃れるような抜け道は、いくらでも考えつく。

 

 彼らは内心でほくそ笑みつつ、同時にこうも考えていた。

 

 今の恐ろしい公儀のことだ。

 

 我らが考えるような抜け道など、とうに読んで、さらにその先に罠を仕掛けているに違いない。

 

 下手に動くのは危険だ。

 

 第五の柱、『米札・蔵札の発行上限の監査』。

 

 これについては、米問屋と両替商が最も真剣な顔になった。

 

「蔵に米の現物がないのに、札だけが無制限に刷られて出回れば……我ら商人は、一瞬で首を吊ることになる」

 

「札は、『信用』そのものだ。裏に確実に米があると公儀が監査して保証してくれると分かるなら。……札は、我らの商いの速度を、何十倍にも引き上げてくれる」

 

「だが。裏の米が怪しくなれば、札はただの紙くずになる」

 

 商人たちは、ここで改めて、水神様と呼ばれる存在の底知れぬ恐ろしさを感じていた。

 

 あの御方は、ただ便利な米札を作って配っただけではない。

 

 その札の裏にある、最も重要な『蔵の中の米の残高』を、決して目を逸らさずに見に来るのだ。

 

 *

 

 経済制度の分析が一段落すると、商人たちの話題は、ごく自然に『文化と興行』の話へと移っていった。

 

 なぜなら、金が安定して安全に回る世の中になれば、次に爆発的に伸びるのは、必ず『文化消費』だからだ。

 

 豊作。

 

 米の供給が途切れぬ安心。

 

 信用の担保。

 

 職人保護。

 

 これらが揃えば、江戸の町で、金を持った民草の莫大な娯楽需要が生まれる。

 

「大坂の方では、浄瑠璃などの語り物や、人形を使った芝居が、随分と流行っていると聞く」

 

「京の都では、衣装も調度品も、まだこの江戸より一段も二段も洗練されておる」

 

「堺や長崎からは、見たこともないような珍しい紙や染料、薬種が入ってくる」

 

「地方の祭礼や芸能にも……この江戸へ呼んで見せれば、途方もない銭になるものが、山ほどあるはずだ」

 

 彼らは、文化や芸能を、ただの趣味や道楽として見てはいない。

 

 極めて冷徹な商いの種として見ているのだ。

 

 芸能の座を呼ぶ。

 

 興行の小屋を建てる。

 

 弁当、茶、菓子、土産物、番付表、刷り物を売る。

 

 役者や芸人に豪華な衣装を作らせる。

 

 楽器、舞台道具、照明、座席の管理、警備、宿の手配、物資を運ぶ船運。

 

 一つの興行が動けば、そこには莫大な金が、血管のように町中を駆け巡る。

 

 彼らは、あの相撲興行の熱狂を見て、すでに学んでいた。

 

 娯楽は、とてつもない銭を生む。

 

 ただし、放っておくと、必ず賭博と喧嘩と借金を生み出して、公儀に潰される。

 

「ならば。公儀の目の届く『枠内』でやればよいのだ」

 

 商人の一人が、ニヤリと笑った。

 

「公儀が、興行そのものを嫌っているわけではないことは、相撲や御前試合で証明されている。……ならば、こちらは公儀の嫌がる火種、すなわち賭博、色、政治批判を先に徹底的に潰して。『安全な興行』として許しを得ればよい」

 

「浄瑠璃などの語り物なら、源平や忠義、親子の情愛などを題材にすれば、公儀も文句は言うまい」

 

「相撲番付の成功を見るに。……紙は、売れるぞ。見物案内、名物案内、芝居の番付、名店番付。人間の『序列を知りたい』という欲は、必ず熱狂を生む」

 

「水神様にちなんで、『水神饅頭』なんてのはどうだ?」

 

 誰かが思いついたように言ったが、周囲から即座に止められた。

 

「馬鹿やめろ。一瞬で御異物改方に睨まれて店ごと潰されるぞ」

 

「じゃあ、水に浮かべるだけの饅頭なら……」

 

「黙れ。公儀の虎の尾を踏むな」

 

 *

 

 会議が終わりに近づくにつれ、商人たちの本音が見えてきた。

 

 彼らは、徳川の世を信じている。

 

 だがそれは、無邪気な忠誠心からではない。

 

 自分たちの商いが、この泰平の世に乗ることで最も大きくなると計算しているからだ。

 

 徳川の世が続けば、戦がなくなり、道が安全に守られる。

 

 米が取れれば人が食い、金を使う。

 

 朝廷との関係が良好なら、公家や大名を巻き込んだ巨大な政治不安が減る。

 

 水神様の施策で災害と飢えが減り、流通が改善する。

 

 そして何より、公儀が『借金を理不尽に消さない』と約束してくれたなら、信用という最強の武器が育つ。

 

「……徳川の世が、これから百年続くというのなら」

 

 江戸の大店を束ねる最長老の商人が、火鉢の赤い炭を見つめながら、深く、静かに言った。

 

「我らの商いも。……百年先まで続けるつもりで、今の『帳面』を作らねばならぬな」

 

 その言葉に、全ての商人が息を呑んだ。

 

「戦国の世では。……明日には蔵が兵火で焼けるかもしれぬから、今日目の前にある銭だけを、血眼になって握りしめた」

 

「だが。……これからの泰平の世では、違う」

 

「十年後、二十年後、百年後にも。……この江戸の地に、自らの家の暖簾(のれん)が残るように。……今日の帳面を、正しく書くのだ」

 

 別の商人が、静かに応じた。

 

「公儀は。……我らがそう動くことを、完全に読んでいる」

 

「だからこそ。我らの帳面の中身まで、法をもって見に来たのだ」

 

 商人たちの結論は出た。

 

 公儀には、絶対に逆らわない。

 

 ただし、首を垂れて従うだけの従順な羊になるつもりもない。

 

 公儀の作る強固な『堤』の内側で、誰よりも速く、誰よりも太く、そして誰よりも安全に、金を流し、莫大な利益を上げる。

 

 江戸の商人たちは、今回の五本柱を「理不尽な締め付け」としてではなく、これからの百年を生き抜くための『新しい時代の商売の地図』として、貪欲に読み解き始めていた。

 

 *

 

 元和五年の江戸で。

 

 商人たちは、誰よりも早く、その時代の決定的な変化を悟り始めていた。

 

 もはや天下を動かすのは、血を吸って錆びつく刀だけではない。

 

 米を運ぶ無数の船。

 

 銀を正確に数える手。

 

 札の裏付けを信じる心。

 

 そして、決して消えることのない、帳面に深く刻まれた『信用』。

 

 徳川の泰平が、この先本当に長く続くというのなら。

 

 その世で最も大きく、太く育つのは、戦場の武勇を誇る者たちではない。

 

 見えない『信用』という武器を自在に操る者たちなのだ。

 

 彼らは、その新しい時代の『匂い』を。

 

 誰よりも早く、そして誰よりも深く、その鼻先で嗅ぎ取っていたのである。




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