暴君忠長に転生したので、兄上のために日本列島をメンテします 〜SFチートのはずが、田んぼと水路と寺社ノードの保守係なんですが〜 作:パラレル・ゲーマー
元和五年、晩秋。
およつ御寮人問題という公武間の大きな火種が、こちらがあえて口を出さないと決めたことで、ひとまず表立った衝突を起こさず収まってから、しばらく後。
関東の地には、ようやく待ちに待ったまとまった雨が降った。
夏の間、亀の甲羅のように白くひび割れていた田に、恵みの雨水が溜まっていく。
干上がり、泥が固まっていた用水路にも、細いながら確かな流れが戻り始めた。
江戸の町方では、安堵とともに、こんな噂が流れ始めた。
「これで、今年の恐ろしい旱魃も終わりだ!」
「さすがは水神様だ! 国松様が公儀の蔵を開いて民を救ったからこそ、天も慈悲を下して雨を戻してくださったのだ!」
「……だから、私が雨を降らせたわけじゃありませんって!」
俺は、市中見回りの報告を聞きながら、頭を抱えていた。
夏の間は、
『雨も降らせられない偽物の水神』
と罵っていた者の一部までが、今度は勝手に、
『水神様が民の辛抱を試した末に、奇跡の雨を戻した』
と、都合よく物語を作り替えている始末だ。
『KAMI:やっほー。人間って、本当に自分勝手ね。都合が悪い時は神様を責めて、都合がよくなると、すぐに全部を神様のおかげにして安心するんだから』
「どちらにしても、私の仕事じゃありませんよ……」
俺は、深くため息をついた。
雨が降った。
それは、間違いなく喜ばしい。
だが、それで、
『はい、一件落着。めでたしめでたし』
と終われるほど、為政者の仕事は甘くない。
*
御異物改方の自室に、勘定方と関東郡代から、秋の最終報告が山のように届けられた。
雨が戻った。
米価の異常な上昇も、最悪の時期よりは緩やかになった。
村を捨てて逃げ出す流民の急増も止まり、水を巡る争いも減っている。
疫病の報告件数も、一部の地域では減少傾向を示し始めていた。
これを受け、勘定方の役人の一部から、極めて実務的で妥当な提案が上がってきた。
「国松様。先の救済により、公儀蔵の米はすでに大きく減っております。雨も戻り、生き残った稲の刈り入れも終わりつつございます。そろそろ救恤米の配給を縮小し、通常の年貢と村方運用へ戻すべきではございませぬか」
彼らの意見は、決して悪意や、民への冷酷さから出たものではない。
公儀蔵の残量には、明確な限界がある。
冬になれば、積雪、渇水、強風、河川の水位低下などにより、輸送が滞る地域も出てくる。
その時に備える米も、残しておかなければならない。
それに各地からは、被害を意図的に大きく申告し、公儀の配給を長く受け取ろうとする例も、わずかながら出始めている。
本多正純も、冷徹な目で確認した。
「緊急の救済を、いつまでも無制限に続けることはできませぬ。どこかで平時へ戻すという判断が必要にございます」
「ええ。分かっています」
俺は正純の目を見て、頷いた。
「救済を永遠に続けることはできません。ですが」
机の端に積まれていた、別の報告書の束を叩く。
「平時へ戻せる村と、まだ到底戻せない村を、乱暴に一緒にしてはいけません」
*
『元和五年 諸国雨水用水并作柄早見控』
この帳面には、地域ごとの秋の収穫量が、無慈悲な数字となって記録されていた。
夏に俺が第一段階、すなわち水を集中させれば救える見込みがあると分類した田では、例年より少ないながらも、確かに米が取れた。
第二段階と判定した土地では、粟、稗、大豆、蕎麦などへの植え替えが間に合い、冬越しの食料を確保できた村もある。
そして第三段階。
今年の稲作を断念させた田では、当然ながら、ほとんど収穫がなかった。
勘定方の視点だけで見れば、
『収穫できた村』
『収穫できなかった村』
を分類し、年貢と救済を調整すればよいように見える。
だが俺は、そこへ、これまでとは違う報告項目を追加させた。
・来春の苗代と田植えに必要な種籾の量。
・現在、村に実際に残っている種籾の量。
・村に残る牛馬の数と、その健康状態。
・夏の間に売却、死亡、または食用に回された牛馬の数。
・鍬、鋤、鎌など、農具の不足。
・疫病や飢えにより、働き手を失った家の数。
・老人や幼い子供だけが残った家の数。
・用水路、堰、水門、溜池の破損状況。
・借財の増加により、種籾、農具、牛馬、人足を確保できず、来春の作付けが困難と見込まれる家と田地。
正純が、異常に細かく、収穫量とは無関係に見える項目を眺め、眉をひそめた。
「国松様。これは、今年の秋の収穫を見る帳面ではございませぬな」
「はい。来年の春に、もう一度田植えができるかどうかを見るための帳面です」
『KAMI:サーバーが何とか再起動して、表面上のエラーが消えたからって、止まっていた業務が全部元どおり動くわけじゃないものね』
(ええ。データが壊れて、担当者がいなくなって、予備の機械まで失われているかもしれませんからね……)
俺は、新しい帳面の表紙に、はっきりと筆を入れた。
『元和六年 春作再興控』
*
調査を進めると、俺が危惧していたとおり、深刻な現実が次々と浮き彫りになった。
村甲。
第一段階に分類された田が多く、米は比較的残った。
しかし夏に家族の食料を得るため、村の牛馬の多くを商人へ売り払っていた。
米はある。
だが来春、固く締まった田を起こすための力がない。
村乙。
種籾には手をつけず、何とか残している。
しかし秋口に流行した疫病で、働き盛りの者を多く失い、老人と幼い子供ばかりの家が増えていた。
種はあっても、それを苗へ育て、田へ植える人間がいない。
村丙。
人と牛馬は残った。
だが夏の水争いで、上流と下流の村人が衝突し、重要な堰が壊されている。
用水路には土砂が流れ込んだままだ。
春までに直せなければ、田へ水が入らない。
村丁。
雑穀への植え替えに成功し、冬越しの食料は確保した。
しかし飢えの限界で、来春用の種籾まで食べてしまっていた。
冬は越せる。
だが、来年植える米がない。
「米俵の数だけを見て、この村には米があるから助かった、もう救済を終えてよいと決めてはいけません」
俺は、勘定方の役人たちを前にして言った。
「来年の春、実際に田へ苗を植え、もう一度村の暮らしを回すことができるか。そこまで見て、初めて復旧の見込みが立ったと判断できるのです」
*
俺は、来春の作付けを守るための追加支援案を提案した。
案の定、役人たちから強い反対が上がった。
「すでに莫大な救恤米を、公儀の蔵から出しております! この上、さらに種籾、牛馬の借上げ代、農具まで公儀が負担するのでございますか!」
「被害を大きく受け、備えを怠った者ほど公儀から多くの物を得るならば、平時に倹約して備えた者が損をいたしまする!」
「公儀へ泣きつけば何でも助けてもらえるという悪習が残りませぬか!」
彼らの意見は、正論だった。
現代で言う、モラルハザードへの懸念だ。
俺は、その意見を否定しなかった。
「全てを新品で、無条件に与えるわけではありません。その村が自力で用意できる物と、本当に不足している物を分けます」
「来春の田植えを再開するために、どうしても欠けている部分だけを、公儀が繋ぐのです」
家康が、深く頷いた。
「泥の中から立ち上がろうとしておる者の足場を支えることと、いつまでも公儀の背に負ぶわせ続けることは違う」
今回の支援には、一つの原則を置いた。
公儀が、村の暮らしを代わりに営むのではない。
村の人間が、再び自分たちの手で営めるところまで、切れた部分だけを繋ぐ。
*
俺は、一律の支援を避けるため、村の状態を三つに分類した。
【第一種 自力再興可能】
収穫、種籾、牛馬、働き手、水路が、おおむね残っている。
必要なのは冬越し中の見守りと、物価や借財の監視だけ。
原則として、追加の無償支援は行わない。
ただし余裕がある場合、近隣の被災村へ、種籾、牛馬、人足、農具などを融通する。
その対価は、公儀が米や塩、翌年の年貢負担の調整などで補う。
【第二種 一部補助で再興可能】
人と土地は残っているが、種籾不足、牛馬不足、農具不足、水路破損など、いずれかの大きな欠落がある。
不足部分を補えば、来春の作付けへ戻れる見込みが高い。
支援の中心となる村。
【第三種 村内だけでは再興困難】
働き手を多数失った。
水路や堤が大きく壊れた。
牛馬、種籾、農具の複数を同時に失った。
村単独の力だけでは、来春の作付けが極めて困難。
近隣の村、寺社、領主、公儀による共同支援が必要となる。
ここで俺は、役人たちへ厳命した。
「絶対に、救えない村という言葉を帳面へ書かないでください」
「村内だけでは再興困難と記録してください。村の中だけでは無理でも、外から繋げば再興できる可能性がある。その前提を、最初から消してはいけません」
言葉一つで、役人の意識は変わる。
『救えない』
と書けば、助ける方法を探す前に諦める者が出る。
『村内だけでは困難』
と書けば、村の外から何を繋げればよいのかを考えられる。
村を最初から消滅前提で扱わせないための、言葉の防波堤だった。
*
具体的な復旧作業が始まった。
まず、種籾の再配置だ。
夏に二重封印して守った種籾を、来春用として各地へ振り分ける。
しかし、今すぐ各家へ渡せば、冬の飢えに耐えかねて食べられる危険がある。
そこで地域の事情に応じ、公儀蔵、寺社蔵、村蔵のうち複数へ、分散して保管させた。
封印には、公儀の役人、村役人、百姓代表の三者が印を置く。
一者の独断では、開けられない。
「種籾を守るという名目で、公儀だけが強引に持ち去ったように見せてはいけません」
俺は言った。
「公儀が、村の来年を預かっているのです。何俵預け、どの蔵へ入れ、誰が印を置いたかを、村人にも分かるよう記してください」
種籾は、地域で長く使われてきたものを優先する。
未来の優良品種を持ち込み、全国へ一律に配るようなことはしない。
『KAMI:未来の品種だからって、その土地で育つとは限らないわ。土も、水も、気候も、育て方も違うもの』
(その土地で長く残ってきた種には、その土地で生き残ってきた理由がありますからね)
だが、米価が高い今。
種籾を商人へ売り、一時的な現金を得ようとする農民も出た。
役人は厳罰を求めた。
しかし俺は、まず理由を調べさせた。
その家は病人を抱えていた。
薬代が必要だった。
さらに家族の一人を病で亡くし、葬りの費用まで重なっていた。
「種籾を売ろうとしたことだけを罰しても、金が必要だった理由は消えません」
その家には、最低限の食料と薬代を別枠で出した。
種籾は村蔵へ戻す。
一方で、困窮につけ込み、種籾を安値で買い叩こうとした商人については、取引内容を調べさせた。
農民だけを、一方的な犯罪者にはしなかった。
*
次に問題となったのが、牛馬だった。
武蔵のある村では、夏の間に牛を次々と売り払い、村に残った牛が二頭だけになっていた。
来春耕さなければならない田は、何十軒分もある。
村へ着くと、牛を残した家の主と、牛を失った農民たちが、激しく言い争っていた。
「夏に家族の飯を減らしてまで、この牛へ藁を食わせ、生かしたのは我が家です! それを今になって、村のために差し出せと申されるのですか!」
「ならば、我らの田は来春も荒らしたままにせよと申されるか! 我らとて、好きで牛を売ったのではない! 子供を飢えさせぬためだったのだ!」
どちらも間違っていない。
牛を守った家の努力を無視し、村のためだから無償で貸せと命じれば、不公平だ。
だが所有者だけが牛を使えば、村全体の作付けが大きく減る。
「牛を取り上げるつもりはありません」
俺は、牛の持主へ明言した。
「この牛があなたの家の牛であることも。夏を越えて生かした功も、帳面から消しません」
「ですが、無償ではなく、正当な対価を払った上で、他の家へ貸していただきたいのです」
こうして、牛を没収せず、共同で使用するための取り決めを作った。
牛の持主は変えない。
使用日を村の帳面へ記す。
借りる家は飼料を分担する。
持主へは、米、労働、または公儀からの補填で対価を払う。
牛を連日酷使しないよう、休養日も決める。
負傷や死亡が起きた場合、誰がどこまで負担するかも、事前に記す。
『KAMI:農具や大きな機械の共同利用契約と同じね。使う順番と、保守責任と、壊れた時の負担を決めないと、絶対に揉めるわ』
「牛を機械扱いしたら怒られますよ」
『KAMI:でも、休ませず使えば倒れるのは同じでしょう』
「それは、そうですが……」
*
疫病で父母を失い、老人と幼い子供だけが残った家もあった。
田はある。
種籾も割り当てられる。
だが、耕せる者がいない。
村役人の一部は、
『耕せぬなら、有力な百姓へ田を預けるべき』
と提案した。
一時的に代わって耕すだけなら合理的だ。
しかし、曖昧なまま預ければ、数年後には、その田が有力百姓の物として扱われかねない。
「今、耕せないことを理由に、その家から未来まで取り上げてはいけません」
俺は強く言った。
「一時的に近隣の家が代わって耕すことは認めます。ですが、検地帳上の名請と、その家の持高、田地へ持つ権利まで移してはいけません」
「誰が、何年、代わって耕すのか。収穫をどう分け、いつ元の家へ返すのか。その期限と条件を、村方の帳面へ明記してください」
「子供が大きくなった時に、帰る田が残っていなければ、飢えの中で親が家を残した意味がありません」
人。
種。
牛馬。
そして、家と権利。
ただ生き延びさせるだけではなく、再び暮らしを始められる場所まで残す。
それが、公儀の復旧だった。
*
晩秋。
俺は、夏の旱魃の最中に、
『この田を殺せと申されるか』
と俺を睨みつけた、あの老農の村を再び訪れた。
枯れた稲が立っていた田には、刈り取る物すらほとんど残っていなかった。
雨によって田は再び濡れている。
だが土は荒れ、枯れた根と泥が無残に絡み合っていた。
見た目だけなら、水が戻り、田が蘇ったようにも見える。
だが、老農は言った。
「水は、戻りました。されど、稲は戻りませぬ」
「はい。旱魃が終わっても、田んぼは勝手には元へ戻りません」
しかし村には、公儀から来春用の種籾が割り当てられていた。
牛の共同使用の帳面も作られている。
用水路では、若者と寺の僧侶が一緒に泥を上げていた。
疫病で働き手を失った家の田は、期限と条件を定め、近隣の者が代わって耕すことになっている。
老農は、種籾の入った小さな俵を俺に見せた。
「今年の田は、死にました。ですが、来年植える物は残りました」
俺は、深く頷いた。
「ならば、あの夏に決めた見切りは、まだ終わっていません」
「来年、この田へ青い苗が立って、初めて、あの時の見切りは終わります」
老農は、真っ直ぐに俺を見た。
「水神様。来年、また恐ろしい日照りになったら、どうなさいますか」
俺は、言葉に詰まった。
雨を保証することはできない。
全ての田を救うこともできない。
「また、同じように、誰かの田へ見切りをつけることになるかもしれません」
村人たちが静まり返った。
「二度と旱魃が起きないとは言えません。ですが、次は、今年より早く気づくことができます」
「どの水路が先に枯れたのか。どの田が最後まで水を保ったのか。どの作物が残り、どこで争いが起きたのか。今年の失敗を、公儀の帳面に全て残しました」
「次も、私は奇跡を起こせません。ですが、今年より一日早く動くことはできます」
老農は、その言葉を聞き、深く、力強く頷いた。
「ならば、我らも忘れずに覚えておきましょう。どの田へ先に水を入れ、どの井戸が最後まで残ったかを」
公儀だけが村を救うのではない。
村人自身も、次の災害へ備える主体へ変わっていく。
それが、この村に残った、一番大きな収穫だった。
*
江戸城、小評定。
家康、秀忠、家光、俺、正純、土井利勝。
俺が『元和六年 春作再興控』の概要を説明し終えると、家光が正直な思いを口にした。
「私は、公儀の蔵を開き、人を飢えから救った時点で、救済は全て終わったのだと思っていた」
「私も、以前ならそう考えていたかもしれません」
俺が答えると、家康が静かに言った。
「焼けた家へ米を一俵渡したところで、家が元どおりに建つわけではない。病の者を一度救えば、翌日から働けるわけでもない。田へ雨が戻れば、枯れた苗まで青々と戻るわけではないのじゃ」
家康は、次代を担う家光へ、為政者としての重い現実を教えた。
「災いの最中は、誰もが助けを求めるゆえ、為政者も動きやすい」
「真に難しいのは、世間が、もう終わったと災いを忘れ始めてからじゃ」
「皆が安心して次の話へ移った後にも、まだ泥の中から立てぬ者を見落とさず、見続ける。それが政じゃ」
家光は、深く頷いた。
*
御異物改方の自室。
俺の机には、三冊の分厚い帳面が並んでいた。
『元和五年 諸国雨水用水并作柄早見控』
『元和五年 公儀蔵救恤米出入控』
『元和六年 春作再興控』
一冊目は、災害の兆候と被害を記した帳面。
二冊目は、人を生かすために、蔵から何を出したかを記した帳面。
三冊目は、生き残った人々が、来年もう一度田を作るために、何が足りないかを記す帳面。
「災害対応の帳面を閉じたら、今度は果てしない復旧の帳面が開きましたね」
『KAMI:障害が収束したら、泥臭い復旧作業と再発防止が始まる。保守運用の基本でしょう?』
「現代でも、一番面倒で胃が痛くなる段階です」
『KAMI:でも、そこをサボれば、同じ障害がまた起きるわ』
俺は、『元和六年 春作再興控』の最初の頁へ、老農の村から届いた報告を書き加えた。
『来春用種籾、村蔵へ納む』
『共同使用牛一頭、冬越しの飼料を確保す』
『壊れた堰、仮修補を終える』
『春の苗代予定地を定む』
この帳面は、まだ閉じられない。
来春、実際に田へ苗が立つまで。
いや。
その苗が根を張り、村が再び自らの力で回り始めるまで、書き続けなければならない帳面なのだ。
派手な成功は、何一つない。
田には、まだ苗一本立っていない。
今年枯れた稲が戻ったわけでもない。
失われた人や牛馬も、もう戻らない。
それでも。
来春、もう一度田を作るために必要なものが、一つずつ揃い始めている。
雨は戻った。
だが、枯れた田も。
失われた牛馬も。
病で欠けた家族も。
雨とともに、都合よく元どおり戻ってくることはなかった。
災害が終わったことと。
人々の暮らしが戻ったことは、同じではない。
だから俺たちは。
生き残った者が、再び自分の手で田を耕せるようになるまで。
種を残し。
牛を繋ぎ。
水路の泥を上げ。
失われた働き手の穴を、村と公儀で少しずつ埋めていく。
元どおりには戻らない。
それでも。
元どおりではない、欠けた形から、もう一度始めることはできる。
田へ青い苗が立つのは、まだ先だ。
だが、そのための春は。
確かに、少しずつ近づいていた。
*
俺が『春作再興控』へ最初の報告を書き終え、ひとまず筆を置いた時。
正純が、新たな書付を机へ置いた。
表題は、
『元和五年歳末 諸国節米并正月祝儀縮減案』
中を開く。
『餅搗きの禁止』
『酒造の大幅停止』
『正月祝いの縮小』
『城内祝宴の中止』
『寺社供物の削減』
厳しい倹約の文字が並んでいた。
「米を守るためには、仕方がありませんね」
俺が呟くと、正純はすぐには頷かなかった。
「この案につきましては、大御所様より、今宵の小評定で改めて諮るよう仰せつかっております」
*
その日の夕刻。
小評定の間。
家康、秀忠、家光、俺、正純、土井利勝。
縮減案の写しが、それぞれの前へ置かれた。
俺は、改めて内容を読み、口を開いた。
「今年は凶作でした。公儀蔵の米も減っています。祝いを縮めること自体は、やむを得ないのでは」
「ならぬ」
家康が、即座に言った。
俺は顔を上げた。
家康は、餅搗き禁止と書かれた一文を指で叩いた。
「泥の中から、ようやく生き残った民草から」
「ささやかな正月の祝いまで、取り上げるつもりか」
俺は、言葉を失った。
復旧の春へ向かうためには。
ただ耐え忍び、物を残すだけではない。
人が、来年も生きようと思える何かを残さなければならない。
天下人は、そのことを俺たちへ教えようとしていた。
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