暴君忠長に転生したので、兄上のために日本列島をメンテします 〜SFチートのはずが、田んぼと水路と寺社ノードの保守係なんですが〜 作:パラレル・ゲーマー
元和五年、晩秋。
過酷な旱魃の爪痕が深く刻まれた大地に、冷たい冬の足音が近づきつつあった。
江戸城奥深く、小評定の間に集まった面々の表情は、一様に硬い。
大御所・家康。
将軍・秀忠。
家光。
俺。
本多正純。
そして、土井利勝。
俺たちの前には、勘定方から上がった意見を正純が取りまとめた、一冊の書付が置かれていた。
表題は、
『元和五年歳末 諸国節米并正月祝儀縮減案』
目前に迫った年末年始へ向けた、厳しい倹約の箇条が並んでいる。
餅搗きの全面禁止。
酒造の大幅停止。
正月祝いの縮小。
城内祝宴の中止。
寺社供物の削減。
門松や飾り物の自粛。
「本年は、関東を中心に広い地域が厳しい旱損と凶作に見舞われました」
俺は書付を見つめながら、静かに口を開いた。
「公儀蔵の米も、救恤のために大きく減っております。来春の作付けと冬越しを第一に考えるならば、正月の祝いを縮め、一粒でも多くの米を残すこと自体は、やむを得ない処置かと存じます」
為政者として。
数字を管理する者として。
それは、論理的で正しい判断に思えた。
だが。
「ならぬ」
上座の家康が、低く、しかし明確な声で退けた。
家康は、書付の中の、
『餅搗きの全面禁止』
という一文を、扇子の先で軽く叩いた。
「米を来春まで守るため、餅へ使う米を減らす。その理屈は分かる。されど、正月を祝うことそのものを、公儀の力で一律に禁ずることは、蔵の勘定とは別の話じゃ」
正純が、落ち着いた声で答えた。
「大御所様。正月となれば、天下の者が餅米を求めます。酒も動き、寺社への供物も増えましょう。一軒ごとの消費は僅かでも、天下全体では無視できぬ量となります」
「ならば、その量を定めよ。なぜ最初から全てを禁ずる」
正純は、僅かに間を置いた。
「各村の被害と在庫を一つずつ調べ、使用量を定めていては、歳末までに運用が整わぬ恐れがございます。一律の禁止が、最も早く、漏れの少ない策と判断いたしました」
それは実務家として、正直な答えだった。
全面禁止にすれば、各家の事情も、村ごとの被害差も、使用量も調べる必要がない。
使用量をゼロにすれば、帳面の計算は簡単になる。
家康は、その行政上の事情を理解した上で、首を横に振った。
「役人の手間を減らすために、民の正月を消すな」
その声には、静かな厳しさがあった。
「泥の中から生き延びた者たちの一年を、役人が数えやすいという理由だけで終わらせてはならぬ」
*
だが、家康は感情的な温情だけで反対しているわけではなかった。
「国松。正純」
「はい」
「今の天下に、正月の小さな餅一つまで禁じねばならぬほど、本当に米が残っておらぬのか」
俺は、即答できなかった。
公儀蔵の米が大きく減ったことは、俺自身が誰よりも分かっている。
だが。
全国の公儀蔵。
各大名の備蓄。
寺社蔵。
商人の在庫。
被害の軽かった地域の余剰。
救恤用として確保した米。
冬の輸送途絶へ備える米。
翌春まで守らなければならない種籾。
それらを厳密に分けた上で、
『正月の小さな祝いへ回せる余力が、本当にどこにもないのか』
までは調べていなかった。
「申し訳ありません」
俺は頭を下げた。
「私たちは、公儀蔵の残量が大きく減ったという、目立つ数字だけを見ていました。祝いへ回せる余裕もないはずだと、調べる前から決めつけていたようです」
「足りぬのなら、禁ずればよい」
家康は厳しく言った。
「されど、調べもせず、足りぬであろうと決めて、民へ無用な我慢を強いるな」
俺たちは、直ちに歳末の在庫調査へ乗り出した。
新たな帳面の表題は、
『元和五年歳末 諸蔵余力并祝儀米可用分控』
公儀が把握する米を、改めて四種類に分けた。
第一。
『種籾』
来春の苗代と作付けに必要な、村の命だ。
正月祝いへは、一粒も使わない。
第二。
『冬越しの最低備蓄』
積雪、渇水、強風、輸送事故、疫病の再流行へ備える米。
これも原則として手をつけない。
第三。
『救恤継続分』
冬を越せない家。
病人。
孤児。
老人だけの世帯。
そうした者たちへ届ける命綱だ。
正月だからといって、ここから減らすことはしない。
そして第四。
『歳末に動かせる余力』
被害が予測より軽かった地域の残り。
入れ替え時期が近い古米。
寺社や大名家が任意で出せる余剰。
被害の軽い地域から、適正な値で購入できる米。
麦、粟、稗、豆、芋など、祝いの膳へ使える食料。
調査は数日にわたった。
各地の蔵から届く数字を照らし合わせ、重複や誤記を正し、輸送に必要な日数まで確認する。
その結果。
公儀蔵の余裕は、平年と比べれば大きく失われていた。
だが、種籾、冬越しの最低備蓄、救恤継続分を除いても、正月の小さな祝いを全て禁じなければならないほど、底を突いてはいなかった。
「余裕は、まだあります」
俺が報告すると、正純も頷いた。
「無制限な消費を許せるほどではございませぬ。されど、正月を一律に禁ずる必要もないようにございます」
「ならば、祝えるようにせよ」
家康は力強く言った。
「自ら祝いを整えられぬ村には、公儀が費えを負担してでも、小さな正月を届けよ」
*
秀忠が、現役の将軍として、真剣な疑問を投げかけた。
「父上。苦境にある民を一時的に喜ばせるため、公儀の貴重な米を出すのでございますか。それでは、先を考えぬ人気取りと何が違うのでしょう」
家康は、静かに首を横へ振った。
「その場限りで喜ばせるために、米をばら撒くのではない。苦しい一年を耐え抜いた者へ、次の一年が始まるのだと、公儀の意思として示すためじゃ」
正月は、単なる贅沢な宴会ではない。
一年を生き延びたという確認。
家族が、まだ隣に残っていることへの感謝。
亡くした者を弔う節目。
来春の作付けへ向けて、心を切り替える日でもある。
「飯を食わせれば、人の体は死なずに済む」
家康の言葉は、静かだった。
「されど、生き残った者が、その先も生きようと思えるとは限らぬ。人は、ただ腹が満ちれば言われたとおりに働く牛馬ではないのだ」
俺は、少し気まずくなって目を伏せた。
先日まで俺は、村の復旧を、
種籾。
牛馬。
農具。
水路。
働き手。
そうした不足項目へ分解し、足りない物を繋ぐことばかり考えていた。
それは必要だった。
だが、人がもう一度立ち上がるために必要なものは、帳面で数えられる物だけではなかったのだ。
『KAMI:食料だけを最低限与えて、士気や希望を完全に無視したら、どんな組織も内側から動かなくなるものね』
(人の心にも、保守運用が必要ということですか)
『KAMI:その言い方は少し嫌だけど、意味は合っているわ』
家康は、秀忠と家光へ向かって、統治の根本を語った。
「将軍が民へ厳しい我慢を命じる時、ただ従わせるだけなら、法と武力があれば足りる。されど、それだけでは天下は長く続かぬ」
「なぜ米を腹いっぱい出してやれぬのか。何を守るために、どこまで耐えてほしいのか。いつになれば、その苦しみを少し緩められるのか」
「それを、嘘偽りなく語り、民草の得心を得る。それが将軍の役目じゃ」
家光が、真剣な表情で尋ねた。
「得心を得るとは、民が公儀の命へ喜んで従うということでしょうか」
「違う」
家康は即答した。
「苦しいことを押しつけられて、喜ぶ者などおらぬ。不満は残る。腹も立つ。されど、なぜ必要なのかだけは分かったと、腹へ落ちる。それが得心じゃ」
「民を力で黙らせることと、民が道理を理解することを、同じにするな」
石室の中へ、家康の声が静かに響いた。
「本当に米が尽き、餅を搗けば春まで命が持たぬという時が来たならば」
「余は将軍の名で、今年は餅を諦めてくれと民へ詫び、その理由を自ら語ろう」
「天下の苦しさを隠し、家臣の名で冷たい禁令だけを出すことはせぬ」
*
「分かりました」
俺は家康の覚悟に胸を打たれ、意気込んで答えた。
「では、今の米の状況を帳面へまとめ、各村へ詳しく説明しましょう。筋道を示せば、皆も納得してくれるはずです」
「待て、国松」
家康が、すぐに釘を刺した。
「説明すれば、必ず得心してくれるなどと、甘く考えるな」
「我らが正しい数字を並べても、飢えで子を失った親の恨みが、それで消えるわけではない。正しいことを語るのと、相手の痛みが消えることは別じゃ」
俺は、言葉を失った。
「だからこそ、嘘をつくな」
家康の目は厳しかった。
「できぬことを、できると申すな。いつまで耐えればよいか分からぬのに、もう少しの辛抱だと安易に慰めるな」
「約束できることと、約束できぬことを分けて語れ」
俺は、正月の触書を、上から命令するためだけの文ではなく、
『今の米の状態』
『なぜ祝いを残すのか』
『何を守るために節度を求めるのか』
を、正直に伝える文として作り直すことにした。
*
元の縮減案は取り下げられ、新たに、
『元和五年歳末 節米并正月祝儀定』
が制定された。
第一条。
正月祝いを一律に禁じない。
餅搗き。
雑煮。
年越しの小宴。
寺社の年始祈祷。
それぞれ、身の丈に応じて行うことを認める。
第二条。
種籾と救恤米は、祝いへ流用しない。
村方の種籾蔵を、一時の祝いのために開けてはならない。
病人や孤児、老人へ渡す食料を削り、餅へ回すことも禁じる。
第三条。
被害地域では、祝いの量に目安を置く。
一家で大量の餅を搗き、何日も酒宴を続けることは控える。
ただし、
『一戸につき餅何個』
と全国一律に縛らず、家の人数、被害、在庫に応じて、村単位で配分する。
第四条。
白米だけを、祝いの食物とはしない。
粟餅。
稗餅。
麦入りの団子。
芋を混ぜた餅。
豆や大根を多く入れた雑煮。
これらも、正月の食事として認める。
ただし、
『貧しい者には雑穀でよい』
という扱いにはしない。
江戸城や大名家も、同じく米だけに頼らない質素な膳を用いる。
第五条。
自ら祝いを用意できない家には、公儀が補う。
凶作地で餅米、雑穀、味噌、塩、大根、芋などを用意できない家には、村全体で一度の祝い膳を囲める程度の物資を届ける。
第六条。
大名、寺社、富裕な商人へ協力を求める。
ただし、強制寄進にはしない。
公儀が余剰米を適正な値で買い上げ、輸送費を負担する。
寄進された物については、数量と届け先を帳面へ記録する。
また、江戸城へ大量の餅や酒を献上することを控えさせ、
『江戸城へ贈る余裕があるならば、自領の困窮村へ回せ』
と通達する。
第七条。
酒造は全面停止しない。
神事。
薬用。
寒中の少量販売。
正月の祝杯。
それらに必要な分は認める。
ただし、大量仕込みと買い占めは登録させる。
*
「民へ節米を求めるのであれば、江戸城の祝いも中止した方がよいのではないでしょうか」
俺が提案すると、家康は首を横へ振った。
「中止はせぬ。民へ祝えと言いながら、江戸城だけが喪に服したような顔をすれば、かえって天下へ不安を広げる」
ただし、例年どおりの豪奢なものにはしない。
膳の品数を減らす。
大量の白米や餅を使わない。
遠国から運ぶ高価な珍味を減らす。
酒量も抑える。
大名からの過剰な進物を断る。
余った食材は、城下の施しへ回す。
「我らだけが城の奥で豪奢に祝えば、どれほど立派な触書を書いても、民は得心せぬ」
家康は言った。
「将軍が語る言葉は、将軍が口にする膳と同じでなければならぬ」
奥向きでは、江が当初、難色を示した。
「徳川家の正月が、あまりに質素であっては、天下の大名たちへ公儀が弱っていると思わせかねませぬ」
その不安に答えたのは、和子姉上だった。
「豪華な膳を隙間なく並べることだけが、徳川の強さではないと思います」
「これほど厳しい年にも、民と同じ節度を守りながら、正月の礼を失わずに年を迎えられる。その方が、徳川の余裕を示せるのではないでしょうか」
孝子殿も、京の知恵を添えた。
「京でも、物の乏しい折には、形式を投げ捨てるのではなく、限られた物で礼を守る工夫を凝らすことがございます」
奥向きの女性たちは知恵を絞った。
餅を小さくする。
雑穀や芋を混ぜ、見栄えよく整える。
膳の品数を減らす一方、一品ごとの盛りつけを丁寧にする。
余った布や紙を、正月飾りへ再利用する。
格式を失わず、使う物だけを減らす案が、次々と出された。
江も、やがて頷いた。
「貧相にするのではありません。無駄を削り、正月そのものは立派に守るのですね」
*
方針が決まり、触書を出す段階になった。
正純ら実務方から、提案が上がる。
「国松様のお名前で、分かりやすい触書を出せば、民も受け入れやすいかと存じます」
水神様として信頼を集めている俺の名前を使えば、反発は抑えられる。
実務上は合理的な考えだった。
だが家康は、それを止めた。
「これは国松の米ではない。国松の天下でもない」
「公儀が民へ節度と協力を求めるならば、将軍が責任を持って語れ」
秀忠が、家康を見る。
「私が、でございますか」
「そうじゃ」
家康は、厳しく言った。
「都合の悪い話だけを、国松の名と水神の評判へ背負わせるな」
「民へ耐えよと求める時は国松の陰へ隠れ、上手くいった時だけ将軍の功とするような真似は許さぬ」
「苦しい話ほど、将軍が前へ出よ」
今回は、現将軍である秀忠が矢面へ立つ。
家光は、父がどのようにして民へ語るのかを、側で見て学ぶ。
俺は制度と数字を整える。
正純と土井が、文面と実務を詰める。
だが、最後に責任を負う名は秀忠だった。
*
正純が最初にまとめた文案は、実務的ではあるが、硬かった。
『当年旱損につき、天下節米を旨とすべし。餅搗并酒宴、過分の儀これを停止す』
内容は間違っていない。
だが、命令だけで、理由がない。
「これでは、なぜ祝いを認めるのかも、なぜ浪費を慎まねばならぬのかも伝わらぬ」
家康が指摘する。
俺は在庫の数字を細かく書こうとしたが、それも止められた。
「民に帳面を丸ごと読ませるつもりか」
「数字を隠すな。されど、分からぬ数字を並べて、説明した気になるな」
孝子殿の言葉選びも借りながら、相手が理解できる言葉で、必要な事実を伝える文面が作られた。
一。
本年は雨が少なく、田畑が損じ、病も広がり、多くの者が苦しんだこと。
二。
公儀は蔵を開いたが、冬と来春のため、なお米を大切に使わなければならないこと。
三。
正月そのものは禁止せず、身の丈に応じた祝いを認めること。
四。
種籾や冬越しの米を祝いへ使わず、長く続く酒宴や、他家と競う豪奢を慎むこと。
五。
祝いを整えられない村には、公儀が必要な食料を補うこと。
六。
江戸城においても、将軍自らが同じ節度を守ること。
最後は、秀忠の言葉として結ばれた。
『今年を耐え抜いた者が、来る年を迎えられぬことがあってはならない』
*
家康は、さらに命じた。
「紙一枚を村へ送り、それで説明したと思うな」
江戸城へ、
江戸の町年寄。
米商人の代表。
江戸近在の名主。
関東の被害が大きかった郡から選ばれた百姓代表。
寺社方の代表。
そうした者たちを集め、将軍秀忠が直接方針を説明する場が設けられた。
大勢を前にした一方的な演説ではない。
代表者たちが、将軍へ直接質問できる、小さな対話の場だった。
そこで交わされた問答は書付へまとめ、各地へ送られる。
秀忠は最初、将軍らしい硬い口調で触書を読み上げようとした。
だが、家康が横から呟いた。
「書いてあることを読むだけなら、使者で足りる」
秀忠は、一度息を吐いた。
手にしていた書付を横へ置く。
そして、自分の言葉で話し始めた。
「今年、公儀は蔵を開いた。ゆえに、蔵の米は大きく減っている」
「冬と来春の田植えを守るため、浪費は慎んでもらわねばならぬ」
「されど、今はまだ、正月の餅一つまで諦めさせねば天下が持たぬほどではない」
「自ら祝いを整えられぬ村には、公儀が出す」
「今年を生き延びた者に、来年が来ることまで諦めさせたくはない」
代表者たちは、ただ感動してひれ伏すような者たちではなかった。
被害村から選ばれた百姓代表が、膝の上で拳を固く握り、慎重に問いかけた。
その男も、旱魃と病で家族を一人失っていた。
「今年は出すと、将軍様は仰せになります。されど、来年も凶作となり、本当に米がなくなった時は、どうなさいますか」
秀忠は、俺や家康を見ることなく、自分で答えた。
「その時は、ない物をあるとは申さぬ」
「なぜ出せぬのか。どれほど足りぬのか。何を守るために、どこまで耐えてほしいのかを、公儀から説明する」
「今年と同じ祝いを、来年も必ず守るとは約束できぬ」
「されど、何も語らず、ただ禁ずることだけはせぬと約束しよう」
商人の代表が問う。
「公儀が祝いの米を無償で出せば、我ら商人の米が売れず、相場を崩すことにはなりませぬか」
「公儀が無制限に配るのではない。商人から適正な値で買い、運べぬ村へ届ける」
「困窮につけ込んだ買い占めや売り惜しみは許さぬ。されど、正当な商いまで潰すつもりはない」
寺社の代表も尋ねた。
「供物を減らせば、神仏への礼を欠いたことにはなりませぬか」
「量を競うことだけが礼ではあるまい」
「供物を減らした分、病人へ粥を届け、孤児へ餅を分けよ。それもまた、神仏へ仕える道であろう」
代表者たちが、全てに満足したわけではない。
不安も残っている。
疑いも消えてはいない。
それでも。
なぜ祝ってよいのか。
なぜ浪費してはならないのか。
本当に足りなくなった時、公儀はどうするのか。
その筋道は、彼らの腹へ落ちたようだった。
(得心とは、拍手をもらうことじゃない)
(不安を残しながらも、道理は分かったと持ち帰ってもらうことなんだ)
*
方針が町へ広まると、現場では次々と問題が起きた。
「水神様と将軍様が、天下の全ての家へ、ただで餅を配るらしいぞ!」
そんな都合のよい噂が広まり、江戸の町人が役所へ押しかけかけた。
「どうして、被害村への不足分補助が、全ての家への無料配布に変わるんですか!」
『KAMI:人間は、自分に都合のよい部分だけを拾って広めるものよ。いつの時代も同じね』
俺たちは、急いで補足の触書を出した。
自力で祝いを整えられる家は、自分で整える。
公儀の補助は、被害の大きな村を優先する。
基本は、村単位で共同の祝い膳を用意する。
役所へ個人で押しかけても、その場で餅を配ることはない。
また、正月祝いが認められたことで、餅米の値上がりを見込み、大量に在庫を押さえようとする商人も現れた。
公儀は一定量以上の購入を登録させ、蔵の在庫と販売先を確認した。
通常の仕入れ。
輸送費を伴う在庫確保。
販売を止め、極端な値上がりを待つ売り惜しみ。
それらを分けて調べる。
「正当な仕入れと、困窮につけ込んで売り惜しむ行為を混同しないでください」
俺は担当者へ命じた。
価格を一律に固定し、市場を止めることはしない。
正当な運送費と保管費は認める。
その上で、被害地域への販売を不当に拒み、値がさらに上がるまで米を隠す行為だけを取り締まった。
さらに、一部の領主や寺社が、
『正月のため』
という名目で、百姓や町人から米や金を強制的に集めようとする事例も起きた。
「正月を守るために、正月前の民から米を取り上げてどうするんですか!」
俺は、寄進は任意であることを改めて通達した。
誰が。
どれだけ出し。
どこへ届けたか。
それを帳面へ記録し、村人も確認できるよう掲示させる。
強制徴収を、祝いの名で隠すことを禁じた。
*
年の瀬。
夏の旱魃で、
『この田を殺せと申されるか』
と俺を睨みつけた、あの老農の村にも。
少量の餅米。
粟。
大豆。
味噌。
塩。
大根。
それらが、公儀から届けられた。
各家が腹いっぱい食べられるほどの量ではない。
村の広場で、共同の餅搗きが行われた。
米だけでは足りないため、粟や芋を混ぜる。
子供たちは、
「真っ白な餅じゃない」
と不思議そうに見ていた。
老女が笑う。
「口へ入れて腹が膨れれば、これも正月の餅じゃ」
そう言って、小さくちぎった餅を子供へ渡した。
俺は、その様子を見守っていた。
老農が、配られた小さな粟混じりの餅を、両手で見つめながら言った。
「今年の夏は、もう正月など来ぬと思っておりました」
「来年は、来ます」
俺は老農の側へ歩み寄った。
「田が枯れ、牛を失い、家族が欠けても。残った者は、その年を迎えて、また歩き始めることができます」
「めでたいだけの年では、ございませぬがな」
「はい」
俺は頷いた。
「だから、苦しいことを忘れるために祝うのではありません」
「亡くした人を覚えたまま、それでも残った人が次の年へ進むために祝うんです」
村の広場では、今年亡くなった者たちの名も、静かに読み上げられた。
亡くした者の名を読む声。
杵が臼を打つ音。
小さな餅を頬張る子供の笑い声。
それらが、同じ広場へ響いていた。
誰も、今年の苦しみを忘れてはいなかった。
それでも人々は、小さな餅を分け合いながら、次の年を迎えようとしていた。
*
大晦日の夜。
江戸城でも、質素な年越しの膳が用意された。
家康。
秀忠。
江。
家光。
和子姉上。
孝子殿。
そして、俺。
膳は例年より明らかに質素だった。
餅は小さく、白米だけでなく、粟や芋を混ぜた物もある。
酒も少量。
品数も抑えられていた。
だが、年越しの礼は丁寧に守られている。
翌朝の正式な年始の礼も、同じく節度を守りながら行われる予定だった。
奥向き。
台所。
警固。
厩。
城内で働く者たちにまで、小さな年越しの膳が届いている。
江が、自らの膳を見て微笑んだ。
「随分と、小さな餅になりましたね」
「被害村へ届けた餅と、さほど変わらぬ大きさじゃ」
家康が答える。
「ならば、これで十分にございます」
和子姉上と孝子殿は、京と江戸で異なる年越しの作法について、楽しげに語り合っていた。
豪華な馳走がなくても。
家族が同じ場に集まり、年を越せること自体が、祝いだった。
家康が、秀忠へ盃を向けた。
「先日の民への説明。上手く話したとは言わぬ」
「父上は、相変わらず厳しゅうございますな」
秀忠が苦笑する。
「上手く話す必要はない」
家康は、僅かに目を細めた。
「誤魔化さず、自分の責任として語った。それでよい」
「民の全てが得心したわけではあるまい。されど、不満を口にできる場を作り、逃げずに答えた。それが大事じゃ」
家光も、深く頷いた。
「将軍とは、ただ命令を下す者だと思っておりました」
「命令を出した後、その理由と結果から逃げぬ者でもあるらしいぞ」
秀忠が笑う。
「ようやく分かったか」
家康の言葉に、座が少しだけ和らいだ。
*
御異物改方の自室。
俺は、
『元和五年歳末 節米并正月祝儀定』
の運用結果を、帳面へ書き加えていた。
全てが綺麗に運用されたわけではない。
酒を飲んで喧嘩した者。
配給を多く受け取ろうと、家族の人数を偽った者。
餅を喉へ詰まらせかけた老人。
村の配分を巡って口論となった者。
細かな問題は、幾つも起きていた。
『KAMI:正月を祝えるようにするだけで、ずいぶん面倒な帳面が必要になったわね』
「全部禁止と書くだけなら、紙一枚で済みましたよ」
俺は疲れた目をこすった。
「祝えるようにしながら、米も守って、不公平も抑えようとすると、こんなに面倒になるんです」
『KAMI:でも、人間の暮らしを守るって、そういうことでしょう』
「はい」
俺は、小さく頷いた。
その時。
遠くから、除夜の鐘の音が響いてきた。
江戸城。
被災した村。
寺社。
町家。
それぞれの場所で、大小も形も異なる年越しが行われている。
政とは。
正しい数字を並べ。
正しい命令を下せば。
それで終わるものではない。
米が足りぬなら、なぜ足りぬのかを語る。
我慢を求めるなら、何を守るための我慢なのかを示す。
いつまで耐えればよいか分からぬなら、分からぬと認める。
それでも、共に耐えてほしいと。
民草の前へ立ち、自分の名で語る。
従わせることは、力があればできる。
だが、得心を得るには。
語る為政者自身が、同じ節度を引き受けなければならない。
幸い、今年はまだ。
小さな不格好な餅と。
薄い雑煮を。
天下へ分ける余裕が残っていた。
だから幕府は。
米を守るために正月を奪うのではなく。
正月を守るために、米を正しく分けた。
枯れた田には、まだ青い苗は立っていない。
それでも人々は。
新しい年が来ることを、その目と舌で確かめた。
やがて鐘の余韻が消え。
元和六年という新しい年が。
静かに、天下の上へ明けたのである。
ここまで読んでいただきありがとうございます! もし「面白い」「続きが気になる」と思っていただけましたら、ページ下部より【お気に入り登録】や【評価】、感想などをいただけると執筆の励みになります。 作者のモチベーション上昇に直結しますので、是非ともよろしくお願いします!