暴君忠長に転生したので、兄上のために日本列島をメンテします 〜SFチートのはずが、田んぼと水路と寺社ノードの保守係なんですが〜   作:パラレル・ゲーマー

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第13話 稲穂が重いと、それはそれで困る

 夏が、最も深く重たい盛りを迎えていた。

 

 草祓い車を投入し、田んぼの風景が「揃った」と実感したあの日から、さらに二十日ほどが過ぎた。

 

 梅雨の名残を含んでいた江戸近郊の空気は、今やじりじりとした強烈な熱気を帯びている。だが、御料地の田を渡る風には、青々とした稲の葉の匂いに混じって、どこか甘く、粉っぽいような新しい気配が混じり始めていた。

 

 そして、ついにその時が来た。

 

 試験区画の稲の先端から、薄緑色の小さな穂が顔を出し始めたのだ。

 

「……出てる。穂が出てる!」

 

 御料地に到着した俺は、畔に駆け寄り、泥の中に立つ稲の先端を食い入るように見つめた。

 

 まだ黄金色に輝くには程遠い。緑色の殻に包まれた、赤ん坊のような穂だ。だが、それは間違いなく、春から泥にまみれて積み上げてきた全てが、「米」という形になろうとしている証だった。

 

「若君! ご覧くださりませ!」

 

 小栗半兵衛が、帳面をバサバサと振って興奮した声を上げた。

 

「全部入りの『己』の区画は、従来区画よりも穂の出の時期がピタリと揃っております! 茎の太さ、株の張りも、帳面上の数字において明らかに最良! これは、大豊作の兆しにございますぞ!」

 

(よし……っ! ついに来た!)

 

 俺の胸の中で、現代知識チートがようやく実を結ぼうとしている達成感が爆発しそうになる。

 

 塩水選で種を選び、正条植えで並べ、水札で水位を保ち、草祓い車で雑草を資源に変えた。その一つ一つの地味で泥臭い作業が、穂の数や重みとなって、目の前に現れたのだ。

 

「これは……いけるのでは? いや、まだ早い。でも、これはいけるのでは!?」

 

 俺が浮かれて小躍りしそうになった、その時。

 

「若君様。喜ぶのは、まだ早うございます」

 

 俺の背後から、与平の極めて低く、冷や水を浴びせるような声が響いた。

 

「……知ってた」

 

     *

 

 与平は、田の中に入り、最も育ちの良い「己」の区画の稲をそっと手に取った。

 

「穂が重いのは、確かに喜ばしいことにございます。これほど実の詰まった青穂は、長年田を見てきた私でもそうそうお目にかかれませぬ」

 

 だが、と与平は稲の茎の根元を指差した。

 

「重い穂を支えきれぬ稲は、少しの風雨で容易に倒れまする。一度倒れれば、穂は泥に浸かって腐り、刈り入れの折には地獄のような手間が増えます。……育ちが良すぎるゆえに、田が寝てしまう危うさを孕んでおりますな」

 

 俺の懐の中で、端末がブルッと震えた。

 

 隠れて画面を覗き込む。

 

『倒伏リスク:中』

 

『対象:過剰生育区画/己』

 

『要因:穂重増加・水位過多傾向・根張り確認不足』

 

『推奨:水位調整・排水路確認・畦補強』

 

「……やっぱり出たか、倒伏リスク」

 

 俺の呟きに、半兵衛が帳面から顔を上げた。

 

「とうふく、とは?」

 

「稲が倒れることだ」

 

 俺はため息まじりに説明した。

 

「穂が重い、茎がその重さに耐えられない、根が浅い、水が多すぎる、そこに強い風が吹く。そういう悪条件が重なると、田んぼが一晩で全部寝そべってしまうんだ」

 

「なるほど……それは一大事にございますな」

 

 半兵衛は神妙な顔つきで筆を舐め、帳面に『豊作候補区画、倒伏の危険あり』と書き込んだ。

 

「縁起でもないが、大きく書いておけ。極めて重要だ」

 

     *

 

 倒伏を防ぐためには、水管理をこれまで以上に厳密にする必要がある。

 

 ただ水札を使って「水を入れる」「水を切らさない」という段階は終わったのだ。

 

「若君様。この穂の出る時期、水を深く張りすぎれば、稲の根は甘えて弱りまする。かといって、干しすぎれば実入りに障ります。水を多くする時と、浅くする時、そして一旦水を抜いて田の面を乾かす時。その水加減を一つ誤れば、ここまでの苦労が全て泣きを見まする」

 

 与平の言葉に、俺は天を仰いだ。

 

「田んぼ、難易度高すぎない?」

 

 ゲームなら「水やりコマンド」を一回押せば済むところが、現実では水位の数センチの違いが収穫を左右するシビアなバランス調整ゲームになっていた。

 

 与平は、そこで少しだけ悔しそうに田の面を見た。

 

「本当を申せば、もっと早う、株が増えきった頃合いに一度田を干し、根を深く張らせておくべきでございました。されど、今年は水札も草祓い車も、何もかも初めての試み。そこまで手が回りませなんだ」

 

「つまり、根本の対策はもっと前の段階から必要だったってことか」

 

「はい。今できるのは、深く張りすぎぬこと、急な雨を逃がすこと、畦と水尻を守ることにございます」

 

「来年の課題だな。……田を干す時期の記録も必要か」

 

 半兵衛が即座に筆を走らせる。

 

「田を干す時期の記録、承知仕りました」

 

「今年は初年度だ。全部を最適化できなくて当然……とはいえ、怖いな」

 

 俺は青い穂を見つめながら、改めて息を吐いた。

 

 今年は、塩水選、正条植え、水札、草祓い車、記録法。その全てが初めての試みだった。

 

 結果が出始めた今だからこそ、逆に「もっと早くやるべきだったこと」が見えてくる。

 

 成功は、完成ではない。

 

 次に直すべき穴を、よりくっきり照らし出すものなのだ。

 

 端末が再び通知を出す。

 

『推奨:区画別水位記録強化』

 

『推奨:排水口点検』

 

『推奨:夜間大雨時の緊急排水手順』

 

「夜間大雨時、か……。いつ来るか分からない夕立や台風に備えなきゃいけないってことだな」

 

 俺は即座に、与平と半兵衛、そして村人たちに指示を出した。

 

「田の周囲の畦を全て見て回れ。崩れかけている弱い箇所はないか。水尻に泥や草が詰まっていないか。水が溜まりやすい低い場所はないか、徹底的に点検しろ!」

 

 村人たちが泥にまみれて点検を進める中、与平が一つ厄介な報告を持ってきた。

 

「若君様。草祓い車を使った区画の下流で、少し水路が詰まりかけておりました。車で浮かせた草が水路に流れ込み、泥と絡まって栓のようになっております」

 

「マジか! 改善した道具に、そんな副作用が……!」

 

「道具とは、そういうものにございます。一つを良くすれば、別のどこかに必ず歪みが出まする」

 

 与平は淡々と事実を述べる。

 

 半兵衛がすかさず書き留める。

 

「『草祓い車使用後、浮草の回収を徹底すること』と……」

 

「よし、それは次の運用規則の第一条に入れよう」

 

     *

 

 田んぼの点検を続けていると、与平が不意に足を止め、稲の葉の裏をじっと睨みつけた。

 

「……む」

 

「どうした、与平」

 

「小さな虫の気配がいたします」

 

 与平の指差す先、青々とした葉の裏に、点のような小さな虫が数匹張り付いているのが見えた。まだ大発生には至っていないが、条件が揃えば一気に田を食い尽くす病害虫の先兵だ。

 

(虫害……来たか)

 

 端末を開くと、案の定アラートが出ている。

 

『虫害リスク:低〜中』

 

『密植・高湿区画で増加可能性あり』

 

『現時点で化学的殺虫剤の使用は非推奨』

 

『推奨:目視捕殺・水位調整・風通し確保』

 

「やっぱり、現代知識チートでも農薬は作れないか……」

 

 俺が肩を落とすと、与平は葉についた虫を指先で潰しながら言った。

 

「虫は、見つけ次第手で潰すか、払い落として水に沈めるしかございませぬ。……なれど、田の虫を何もかも皆殺しにすればよいというわけでもございませぬ」

 

「どういうことだ?」

 

「悪い虫を食うてくれる、良い虫もおりますゆえ。蜘蛛や、水の中に住む虫たちまで殺してしまっては、かえって悪い虫が猛威を振るいまする。田は、稲だけで出来ているわけではございませぬ」

 

 その言葉に、俺はハッとした。

 

 雑草の時と同じだ。全滅させるのではなく、バランスを保つ。江戸時代の農業の底力は、こういう「生態系全体を見る目」にあるのだ。

 

 その時、端末の画面に、ひどく軽いノリのポップアップが割り込んできた。

 

『KAMI:ね? 豊作って面倒でしょ?』

 

「……黙れ」

 

 俺は小声で毒づいた。

 

『KAMI:穂が重い、虫が来る、水路が詰まる。これ、全部『成長したから』起きる問題なのよ。苗がひ弱で何も育ってなければ、倒れもしないし、虫も寄ってこないわ』

 

「それはそうだが……嫌な真理だな」

 

『KAMI:発展ってそういうものよ。文明が進めば、古い問題が消えるんじゃなくて、より複雑で高級な問題に置き換わるだけなの』

 

「米作りで、人類の文明論を語るな」

 

『KAMI:米作りは文明の基礎そのものじゃない』

 

「……ぐうの音も出ない」

 

     *

 

 俺は、この「倒伏と虫害のリスク」について、兄上に報告しておくことにした。

 

 悪い知らせというわけではないが、竹千代は「失敗も隠すな」と言っていた。これは、リスク管理の共有だ。

 

 少し離れた場所へ移動し、懐から通話札を取り出す。

 

「兄上。国松です。御料地より、追加の報告にございます」

 

 少しのノイズの後、竹千代の落ち着いた声が響いた。

 

『聞こえている。今度は何が起きた』

 

「穂が出始めました」

 

 木札の向こうで、竹千代がほんの少しだけ息を呑む気配がした。声には出さないが、嬉しさが滲んでいるのが伝わってくる。

 

『……そうか。それは、良い知らせではないのか』

 

「はい。最高に良い知らせです。……ですが、喜んでばかりもいられません。穂が重くなれば、風雨で稲が倒れる危険が増すからです」

 

『……豊かになれば、倒れるのか』

 

「はい。重い実りを支えるだけの、強い根と水の管理、そして備えがなければ」

 

 竹千代は、長い間沈黙した。

 

 木札越しでも、彼が俺の「田んぼの報告」を、全く別の――国家統治の次元で咀嚼し始めているのが分かった。

 

『……人も、国も、同じかもしれぬな』

 

 やがて、竹千代が低く重い声で言った。

 

『米が増えれば人が増える。人が増えれば、新たな利権が生まれ、争いも増える。豊かさは……それを支え、治める仕組みがなければ、いずれ大きな乱れとなるか』

 

「……兄上。田んぼの話から、政の真理を学ぶのが早すぎませんか?」

 

『お前の田んぼは、すぐに政に直結するからな』

 

「否定できません」

 

 竹千代は、小さく息を吐いた。

 

『必要な人手と指示は出せ。だが、広げすぎるな。まずは今年の、その目の前の試験区画を守り切れ』

 

「はい、兄上」

 

 兄上の的確なブレーキに、俺の焦っていた心も少し落ち着きを取り戻した。

 

     *

 

 俺はすぐさま半兵衛を呼び寄せ、「倒伏・大雨時の緊急対応マニュアル」の作成に取り掛かった。

 

「雨が強くなる前に、全ての水尻を開けられるよう確認しろ。畦の弱い箇所には、土俵や木杭を打って補強だ。水札の運用に、緊急時のみ使える『排水優先札』を追加する。そして、夜間に大雨が降った場合は、水番を必ず二名体制にして見回らせろ。……それから、虫を見つけた区画には竹札で印を付け、風通しを良くしろ!」

 

 俺が次々と指示を出すと、半兵衛は感動に打ち震えながら筆を走らせた。

 

「若君……! これは、災いが起きてから泥の中で慌てふためくのではなく、起きる前にあらかじめ定めを作っておくということにございますな!」

 

「そうだ。事前対策……事故対応マニュアルだ」

 

「じことうおう・まにゅある、にございますな!」

 

「いや、その単語は帳面に書かなくていいから!」

 

 俺の制止も虚しく、半兵衛の帳面の新しい頁には『事故対応まにゅある』と、ひときわ太い文字で書き込まれてしまった。

 

     *

 

 そして、そのマニュアルが火を噴く時が、さっそくやってきた。

 

 翌日の夕方。

 

 空が急に暗くなったかと思うと、冷たい風が吹き抜け、バケツをひっくり返したような強烈な夕立が御料地を襲った。

 

 台風ほどの暴風ではないが、短時間で降る雨の量は凄まじい。

 

『警告:局所豪雨』

 

『己区画:水位急上昇』

 

『排水遅延リスク・中』

 

 端末のARアラートを見て、俺は蓑も着けずに田んぼへ飛び出した。

 

「排水だ! 水尻を開けろ!」

 

 だが、現場に到着した俺が見たのは、すでにマニュアル通りに動き、泥まみれになって水路の詰まりを取り除いている与平や村人たちの姿だった。

 

 水番の者が「排水優先札」を掲げ、下流の村へ向かって大声で合図を送り、適切に水を逃がしていく。

 

 事前の備えがあったおかげで、水位は危険水域のギリギリで持ちこたえ、稲が完全に水没する事態は免れた。

 

 激しい夕立は、小一時間ほどで嘘のように上がり、西の空には美しい夕焼けが広がっていた。

 

「……助かった」

 

 俺が膝に手をついて安堵していると、村人たちが俺の周りに集まってきた。

 

「若君様! 若君様があらかじめ水の逃げ道を整えるよう仰ってくださったおかげで、田が水に沈まずに済みました!」

 

「まこと、水神様は雨を降らすだけでなく、怒れる水を退けることもできる御方だ……!」

 

「だから違う! 水尻の草を掃除して、排水のルールを作っただけだ!」

 

 俺の必死の否定も虚しく、半兵衛が帳面にシャシャッと書き込んだ。

 

「『水神様、水を退ける権能も確認される』……と」

 

「確認するな! これ以上、俺の属性を盛るな!」

 

     *

 

 夕立が去った後の田んぼは、空気が洗い流されて澄み切っていた。

 

 夕陽の光が水面に反射し、雨粒をまとった青い稲穂が、キラキラと輝きながら風に揺れている。

 

 誰も、倒れていない。

 

 重くなり始めた穂は、泥に沈むことなく、しっかりと夕陽を浴びて立ち上がっていた。

 

「……まだ、勝ってない。でも、一つ守れた」

 

 俺の呟きに呼応するように、端末の通知が更新される。

 

『倒伏リスク:中→低〜中へ移行』

 

『排水手順有効』

 

『虫害監視継続』

 

『推奨:収穫前観測強化』

 

「一つ下がった。……でも、まだ終わってないんだよな」

 

 横に立つ与平が、濡れた顔を拭いながら言った。

 

「はい、若君様。田は、最後の一粒を蔵に収めるまで、決して気を抜けませぬ」

 

「分かってる。刈るまでは米じゃない。耳にタコができるくらい、お前から教わったよ」

 

「……それでよろしゅうございます」

 

 与平は、満足そうに深く皺を刻んで笑った。

 

 穂は、確かに重くなり始めていた。

 

 それは無上の喜びであり、同時に、管理を怠れば一瞬で全てを失うという恐ろしい危うさでもあった。

 

 豊かさは、ただ増えるだけでは足りない。

 

 倒れぬように支え、腐らぬように水を逃がし、虫に食われぬように常に見張らなければならないのだ。

 

「豊作って……」

 

 俺は、夕立の後の美しい田んぼを見渡し、小さく呟いた。

 

「豊かさの重みを管理しきった後に、ようやく名乗ることを許される言葉なんだな」

 

 雨上がりの涼しい風が、青い稲穂をざわりと大きく揺らした。




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