暴君忠長に転生したので、兄上のために日本列島をメンテします 〜SFチートのはずが、田んぼと水路と寺社ノードの保守係なんですが〜   作:パラレル・ゲーマー

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第130話 水神様、焼けた京へ姉上の行列を通せない

 元和六年、三月下旬。

 

 京で相次いだ大火から、まだ日も浅い頃。

 

 御異物改方の自室にある俺の机には、二冊の分厚い帳面が開かれていた。

 

 一冊は、

 

『元和六年 京師焼失町并避難者控』

 

 先日の大火で焼けた京の町を立て直すため、必要となる物資、人足、工事を書き上げた帳面だ。

 

 もう一冊は、

 

『和子御入内諸支度控』

 

 数か月後に迫った、和子姉上の入内を滞りなく行うための要求目録である。

 

 俺は二冊の帳面を交互に見比べ、乾いたため息をついた。

 

「……見事に、ほとんど同じ物を求めていますね」

 

 材木。

 

 大工。

 

 畳。

 

 筵。

 

 荷車。

 

 馬。

 

 米。

 

 宿。

 

 一方では、焼け出された者の仮屋を建てるために必要とされている。

 

 もう一方では、和子姉上の行列と供奉の者たちを迎えるために必要とされている。

 

「帳面を二冊に分けただけで、実際には同じ蔵の材木と、同じ町の大工を奪い合っている状態です」

 

『 画面を二つのウィンドウに分けても、使える物理メモリと処理能力が倍になるわけではないもの』

 

 視界の隅に現れたKAMI様が、身も蓋もない言葉で答えた。

 

「このまま、二つの計画を同時に動かしたら?」

 

『 片方が止まるか、両方とも必要な物を確保できず、中途半端になるでしょうね』

 

 俺は額へ手を当てた。

 

 京の復旧を優先して、入内を延期する。

 

 入内を優先して、復旧用の物資を削る。

 

 どちらか一方へ多く配るだけでは、もう一方が必ず傷つく。

 

 必要なのは、奪い合う物をどう分けるかという調整だけではない。

 

 そもそも、同じ物を同じ時に求めなくて済むよう、仕事の組み方そのものを変えることだった。

 

     *

 

 江戸城、小評定の間。

 

 家康。

 

 秀忠。

 

 家光。

 

 俺。

 

 本多正純。

 

 土井利勝。

 

 そして今回は、当事者である和子姉上と、京の儀礼に詳しい鷹司孝子殿も同席していた。

 

 座の中央には、京都所司代・板倉勝重からの書付と、朝廷側の意向をまとめた書付が置かれている。

 

 意見は、大きく二つに分かれていた。

 

 一つは、入内延期論。

 

「京は、いまだ焼け跡にございます」

 

「材木も大工も足りず、多くの民が仮屋で暮らしております。その中へ婚礼の大行列を通せば、幕府は民の苦しみを顧みぬと受け取られましょう」

 

 もう一つは、予定どおりの実施を求める意見。

 

「和子様の御入内は、公武の間で長く積み重ねてきた大事にございます」

 

「ここで延期すれば、先のおよつ御寮人問題を理由に徳川が心変わりしたと、朝廷側に受け取られかねませぬ」

 

「公武の約束を揺るがせぬためにも、予定どおり行うべきにございます」

 

 秀忠が、深く眉をひそめた。

 

「どちらの言い分にも、理はある」

 

「理のある意見が二つ並んだからといって、そのどちらかを丸ごと選ばねばならぬ法はない」

 

 家康が静かに告げた。

 

 俺は二冊の帳面を、座の中央へ置いた。

 

「お父様、大御所様」

 

「まず、京の復旧に欠かせない物と、入内の礼に本当に必要な物を、改めて分けさせてください」

 

 俺は当初、

 

「入内行列の人数と荷物を半分に減らせばよい」

 

 と考えていた。

 

 だが孝子殿が、静かに首を横へ振った。

 

「国松様。ただ数を半分にすればよいものではございません」

 

「朝廷が重んじる役目や品を落とせば、人数が多いか少ないかにかかわらず、礼を欠いたことになります」

 

 孝子殿は、入内の支度を丁寧に分けていった。

 

「守るべき礼は、入内の日取り、朝廷と幕府が取り交わした正式な手順、和子様の御装束、帝からの御迎え、勅使への応対、婚姻に必要な品々でございます」

 

「これらは、物が乏しいからといって、幕府の一存で削ってはなりませぬ」

 

「一方で、減らしても礼を損なわぬものもございます」

 

 同じ用途で何重にも用意された予備の荷物。

 

 権勢を見せるためだけの調度品。

 

 道中の各所へ新築する豪華な休憩所。

 

 儀礼の場へ出る必要のない供回り。

 

 京の市中で見せる必要のない長大な荷駄列。

 

「礼を守ることと、量を競うことは、同じではございません」

 

「……礼と見栄を分ける、ということですか」

 

 家光が呟く。

 

 孝子殿は頷いた。

 

 和子姉上も、真っ直ぐに家康と秀忠を見て口を開いた。

 

「私が京へ入り、帝と縁を結ぶために必要な礼は、どうか守ってください」

 

「ですが、私を豪華に見せるためだけの飾りに、焼けた町の材木を使う必要はございません」

 

 家康が頷く。

 

「よし。まずは礼と見栄を分けよ」

 

     *

 

 俺は、二冊の帳面に記された物資、人足、工事、施設を、三つの御用へ分けることにした。

 

 一つ目は、【朱札】。

 

 復旧専用の御用だ。

 

 被災者の仮屋へ使う柱と屋根材。

 

 避難所の筵。

 

 炊き出し用の米。

 

 病人のための薬と布。

 

 飲用井戸の修理材。

 

 火消し道具。

 

 危険な焼け壁を撤去する人足。

 

 それらは、被災者の命と暮らしへ直接関わる。

 

「姉上の御用であっても、朱札の物資や人足は渡さないでください」

 

「入内支度とは切り離します」

 

 二つ目は、【白札】。

 

 入内専用の御用だ。

 

 和子姉上の装束。

 

 儀礼に必要な飾り。

 

 行列の標具。

 

 朝廷へ納める婚姻の品。

 

 それらは別に費えを立て、京の復旧用蔵からは出さない。

 

 三つ目は、【合札】。

 

 入内にも復旧にも役立つ御用だ。

 

 道路に残る危険な瓦礫の撤去。

 

 公衆用の水桶。

 

 仮設の厠。

 

 迷子を預かる会所。

 

 負傷者を手当てする場所。

 

 荷物の仮置場。

 

 火消し人足の詰所。

 

 これらは、入内のために一度だけ使い、終われば壊す施設にはしない。

 

「入内後の引渡先を、作る前に決めてください」

 

 俺は、正純と土井へ念を押した。

 

「町会所として残す物は町組へ」

 

「炊き出し小屋は、寺社と町年寄へ」

 

「火消し道具蔵は、所司代配下と町の火消し役へ」

 

「建物だけを置いて帰ってはいけません」

 

「鍵を誰が持つのか。道具を誰が点検するのか。壊れた時に誰が直すのか。そこまで帳面へ書いて、初めて京へ残したことになります」

 

 引渡しの際には、

 

 部材。

 

 備え付ける道具。

 

 鍵の所持者。

 

 修理費の負担。

 

 災害時に開ける責任者。

 

 それらを記した帳面を、施設とともに渡す。

 

「せっかく残した火消し蔵が、数年後には鍵を失って開かなくなっていた、では意味がありませんからね」

 

『 作るより、作った後に誰が面倒を見るかを決める方が大事な時もあるものね』

 

「嫌というほど知っています」

 

 会計も分けた。

 

『上京焼失町復旧御用出入控』

 

『和子御入内御用出入控』

 

 復旧費を、入内の華美へ流用させない。

 

 同時に、

 

「どうせ京へ残るから」

 

 という曖昧な理由で、入内費を復旧費へ紛れ込ませることも許さない。

 

 合札の御用だけは、

 

入内側がいくら負担したか

復旧側が何を負担したか

完成後に誰へ引き渡すか

 

 を、双方の帳面へ記録する。

 

「帳面を分ければ、どちらの御用が、もう一方を食い潰しているのかを追えるようになりますな」

 

 正純の言葉へ、俺は頷いた。

 

「はい。ですが、札を付ければ不正がなくなるわけではありません」

 

 札には、

 

 発行した役所。

 

 発行日。

 

 使用場所。

 

 受取人。

 

 それらを記す。

 

 番号のない札や、帳面に記録されていない札は無効とする。

 

「完全には防げません」

 

「それでも、横取りや水増しが起きた時に、誰がどの札と帳面を偽ったのかを追えるようにはできます」

 

     *

 

 京の町では、すでに入内御用と避難民の暮らしが衝突していた。

 

 火災を免れた大きな町家の一つが、避難民の仮宿として使われている。

 

 幼い子供。

 

 足の不自由な老人。

 

 火傷を負った者。

 

 多くの人々が、狭い座敷や土間へ身を寄せ合っていた。

 

 そこへ、入内御用の下役人が現れた。

 

「この家は、入内に供奉する公家衆と幕府役人の宿として、以前より定められている」

 

「別の場所へ移ってもらわねばならぬ」

 

 避難民たちが騒ぎ始めた。

 

「また追い出されるのか」

 

「火から逃れた先で、今度は御用に追い出されるのか」

 

 下役人の側にも事情はあった。

 

 予定していた宿の多くが焼け、供奉の者を収容する場所が足りない。

 

 以前から御用宿と決められていた家を使おうとすること自体は、平時ならば筋の通る話だった。

 

 だが、町はもう平時ではない。

 

 争いは、京都所司代・板倉勝重のもとへ持ち込まれた。

 

 勝重は、厳しい顔で下役人へ告げた。

 

「確かに、この町家が以前より御用宿に定められていたことは認める」

 

「だが、町が焼ける前と、焼けた後を、同じ前提で扱うな」

 

「火から逃れ、ようやく得た屋根を奪い、京へ来る客へ渡すような真似は許さぬ」

 

「供奉の者は伏見へ泊めよ」

 

「京に泊めねば礼が成り立たぬ者だけを選び、必要な日に入れよ」

 

 この勝重の判断は、後に行列、荷駄、宿泊を分ける方針を、強く後押しすることになった。

 

     *

 

 従来の計画では、

 

 和子姉上本人。

 

 儀礼上の供奉。

 

 警固。

 

 女房衆。

 

 調度品。

 

 食料。

 

 料理人。

 

 予備の衣服。

 

 交代用の馬。

 

 宿営の道具。

 

 それら全てが、一つの巨大な行列となって京へ入る予定だった。

 

 俺は、その行列を役目ごとに三つへ分けた。

 

 第一は、【儀礼行列】。

 

 和子姉上本人と、朝廷儀礼に必要な供奉。

 

 正式な順序、装束、役目を守り、京の町へ入る中心の行列だ。

 

 第二は、【荷駄と生活支援】。

 

 調度品。

 

 食料。

 

 着替え。

 

 料理人。

 

 これらは数日前から伏見や京の外縁へ分散して運び、儀礼行列と同じ時刻に市中を通さない。

 

 第三は、【交代要員と予備】。

 

 交代用の馬。

 

 予備の警固。

 

 すぐには必要とならない供回り。

 

 これらは京の外へ待機させ、必要な時だけ入れる。

 

「姉上の入内を軽くするのではありません」

 

 俺は、不満を示す幕臣たちへ説明した。

 

「儀礼として見せる必要のない荷車まで、同じ道と同じ刻限へ押し込むのをやめるのです」

 

 宿泊についても、

 

 伏見。

 

 大津。

 

 京の焼失を免れた外縁部。

 

 それらを中継地として使う。

 

 全員を京の中へ何日も泊めず、必要な者だけを前日か当日に動かす。

 

 ただし、この方法にも問題はある。

 

 伏見と大津の宿が圧迫される。

 

 当日の移動が増える。

 

 雨や強風で遅れる危険もある。

 

 京の問題を、比較的余裕のある周辺地域へ分散させているだけとも言える。

 

 それでも、火を逃れた人々を仮宿から再び追い出すよりは、遥かによかった。

 

     *

 

 京では、大工を巡る争いも起きていた。

 

 入内御用の役人が、腕のよい大工を集めようとする。

 

 一人の大工が、鑿を握ったまま反発した。

 

「御入内の門を飾る間、我が町の子供は、雨漏りする仮屋で眠れと申されるか」

 

 御用側も譲らない。

 

「朝廷へ納める物を、礼を知らぬ者へ任せるわけにはいかぬ」

 

 そこで大工の仕事も分けた。

 

 京の地元大工は、

 

 仮屋。

 

 屋根。

 

 井戸。

 

 危険家屋の解体。

 

 橋や道。

 

 復旧作業を優先する。

 

 朝廷儀礼を熟知する京の御用大工は、その中から必要最小限だけ、儀礼上重要な部分を担当する。

 

 残る入内用の仕事には、伏見、大坂、近江を中心として、各地の普請を止めない範囲で大工を募る。

 

 江戸や駿府の御用筋からも、儀礼施設に慣れた棟梁を少数送る。

 

 外から来た大工には、

 

 伏見の中継施設。

 

 分解可能な仮設詰所。

 

 荷物置場。

 

 入内用の一時施設。

 

 そうした、京の被災者用仮屋と直接競合しにくい仕事を任せる。

 

 さらに、外来職人だけが高い賃金を得れば、京の大工が復旧現場を離れてしまう。

 

 そこで、職種と技量ごとに賃金の目安を置き、復旧側と入内側で極端な差が出ないよう調整した。

 

 当然、費えは当初の見積もりを大きく上回った。

 

 宿代。

 

 食費。

 

 運賃。

 

 職人の賃金。

 

 勘定方からは、厳しい意見が上がった。

 

 だが家康は、迷わなかった。

 

「民の屋根を奪わぬための費えならば、払え」

 

「徳川の威とは、安い費えで豪奢に見せることではない」

 

     *

 

 材木についても、朱札の復旧材には手をつけない。

 

 被害のなかった地域の材木商から、複数に分けて買い入れる。

 

 伏見や近江にある、今後使う予定のない御用建物や蔵は、持主と管理者を確認した上で買い取り、解体して使える柱と梁を再利用する。

 

 一か所からまとめて買い上げ、材木相場を壊すことも避ける。

 

 焼け跡から回収された材木については、さらに慎重に扱った。

 

 持主が分かる材は、持主の許しなく使わない。

 

 持主不明の材は、所司代が一時保管し、場所と特徴を掲示する。

 

 その後も持主が現れなかった場合に限り、用途を定める。

 

『 持主の問題だけじゃないわ。火に遭った柱は、表が焦げていなくても、熱で中が弱っている可能性があるもの』

 

「再利用できるかどうかも、大工に確認させましょう」

 

 荷重を受ける柱には使わない。

 

 柵。

 

 案内札。

 

 仮置場の囲い。

 

 燃料。

 

 状態に応じて、使う場所を限定する。

 

 物を捨てないことと、危険な物を無理に使うことも、同じではない。

 

     *

 

 入内担当の役人から、行列の沿道へ幕を張る案も出された。

 

「倒壊の恐れがある焼け跡を囲い、見物人が近づかぬようにする必要がございます」

 

「また、煤や埃が行列へ飛ぶことも避けねばなりませぬ」

 

 そこまでは、実務上必要な配慮だった。

 

 だが別の役人が、さらに続けた。

 

「いっそ、焼けた町そのものが姫様や供奉衆の目に入らぬよう、沿道へ白布を張り巡らせてはいかがか」

 

「黒く焼けた町を姫君が通るのは、縁起が悪いと受け取る者もおりましょう」

 

 俺は首を横へ振った。

 

「倒壊の危険がある場所を囲う幕は必要です」

 

「ですが、焼け跡を見苦しいからという理由だけで隠す幕は張りません」

 

「焼けた家を直すために使える布と柱を、焼けた家を見えなくするために使うべきではありません」

 

 和子姉上も、毅然と告げた。

 

「焼け跡を、恥じて隠す必要はございません」

 

「私は、これから京で暮らすのです」

 

「火に焼かれ、それでも立ち上がろうとしている町の姿を、私の目から隠さないでください」

 

 役人たちは、その言葉を黙って受け止めた。

 

     *

 

 入内の行列が通る道も、三つの役割へ分けた。

 

 【儀礼路】

 

 和子姉上の正式な行列が通る道。

 

 倒壊の危険がある壁や瓦礫を、事前に取り除く。

 

 【救援路】

 

 米。

 

 材木。

 

 水。

 

 負傷者。

 

 復旧と救援に必要な物を運ぶ道。

 

 入内当日も封鎖しない。

 

 【緊急避難路】

 

 再び火が上がった場合、人々が逃げるための道。

 

 見物人も荷車も置かせない。

 

 行列の見栄えだけを優先して儀礼路を選ぶのではない。

 

 救援路と避難路を確保した上で、その運用を妨げない道を儀礼路とする。

 

 危険な焼け壁や瓦礫の撤去には、被災した町人を賃金を払って雇う。

 

 行列のための無償の人足ではない。

 

 自分たちの町を安全にしながら、復旧の間の収入を得る仕事として扱う。

 

     *

 

 和子姉上の入内ともなれば、京中から見物人が集まる。

 

 火災後の狭い道へ人が押し寄せれば、

 

 押し合い。

 

 迷子。

 

 盗難。

 

 新たな失火。

 

 避難路の封鎖。

 

 さまざまな問題が起きる。

 

 だが、全面的に見物を禁じても、人は抜け道を探して集まるだろう。

 

 そこで、

 

 見物を認める区画。

 

 立ち入りを禁じる避難路。

 

 子供の迷子預かり所。

 

 負傷者の手当所。

 

 飲み水の桶。

 

 仮設の厠。

 

 それらをあらかじめ設ける。

 

 沿道での勝手な煮炊きは制限する。

 

 代わりに、見物人へ食事を売る煮売りや茶湯の場所を、行列の道から離れた安全な区域へまとめる。

 

 人を集める行事そのものを止めないなら、その人々が使う火も、初めから運用へ組み込まなければならない。

 

 入内のために作る、

 

 警固詰所。

 

 休憩所。

 

 荷物置場。

 

 迷子預かり所。

 

 手当所。

 

 それらは、移築しやすい構造で建てる。

 

 入内が終わった後は、それぞれ決めた町組や寺社へ引き渡し、

 

 町会所。

 

 炊き出し小屋。

 

 火消し道具蔵。

 

 仮の手当所。

 

 共同倉。

 

 として使う。

 

「一日だけ姉上を飾るために作り、翌日には捨てる物へ、できるだけ費えを使わないでください」

 

「入内後にも京へ残り、誰かが使い続けられる物へ回しましょう」

 

 孝子殿が微笑んだ。

 

「それは、入内の礼を削ることではございません」

 

「和子様が京へもたらされたものが、礼の後にも町を支えるために残るということでございます」

 

     *

 

 幕府が一方的に、

 

『火災のため縮める』

 

 と伝えれば、朝廷から礼を軽んじたと受け取られる。

 

 そこで孝子殿と公家文書御用を通し、

 

 何を守るのか。

 

 何を減らすのか。

 

 何を京の外へ移すのか。

 

 何を儀礼後に京へ残すのか。

 

 その一つ一つを、朝廷側へ説明した。

 

 後水尾天皇側からも、意向が示された。

 

『入内の日と、守るべき礼が変わらぬのであれば、焼けた民を退けてまで無用な華美を求めるものではない』

 

 もちろん、朝廷内の全員が得心したわけではない。

 

「徳川家は火災を口実に費えを惜しんでいる」

 

 と口にする公家もいた。

 

 そのため、

 

 和子姉上の装束。

 

 正式な迎え。

 

 婚姻の品。

 

 朝廷内で行う礼。

 

 そうした部分は当初の定めを崩さず、削った部分を疑われぬよう、一層丁寧に整えることにした。

 

 礼を削る場所を、幕府だけの都合で決めない。

 

 公武双方が、何を守るのかを確認した上で進める。

 

     *

 

 基本方針は、江戸の小評定で承認された。

 

 家康が、京へ送る命へ付け加える。

 

「礼の中核を損なわぬ限り、行列の道、荷駄の刻限、人足の割り振りは、板倉と京の者たちに改めさせよ」

 

「道を一つ変えるたび、江戸へ伺いを立てさせるな」

 

「我らへ結果を報告させ、必要な費えは後から認める」

 

 第129話で、遠い江戸から過去の京へ細かな指示を出さないと決めた。

 

 今回も同じだ。

 

 江戸が決めるのは、

 

 被災者用の物資を奪わないこと。

 

 守るべき礼。

 

 費用の分け方。

 

 現場が変更してよい範囲。

 

 具体的な道順や刻限は、現地で確かめ、現地で直す。

 

     *

 

 だが方針を定めても、現場での悪用は起きた。

 

 京のある材木商が、

 

『和子様御入内御用』

 

 という札を掲げ、材木を安値で集めようとした。

 

 調べてみれば、その札は正式な帳面に記されていない。

 

 さらに、御用の下役人が賄賂を受け、見て見ぬふりをしていた。

 

「姉上の名を使って、被災者の材木を横取りしようとしたんですか」

 

 俺は報告を握り締めた。

 

 無番号の札は無効。

 

 正式な御用札は、発行元と使用場所を掲示。

 

 買い上げ価格も、町ごとに確認できるよう示す。

 

 御用を理由とした、無償の取り上げは認めない。

 

 偽札を使った商人と、黙認した下役人は処分する。

 

 ただし、入内御用へ協力する商人全てを疑うことはしない。

 

 正当な運送費。

 

 保管費。

 

 危険を負って急ぎ調達したことへの利益。

 

 それらは認める。

 

 姉上の名を守るためにも、御用を正しく担う商人の利益まで奪ってはならない。

 

     *

 

 最終案へ、和子姉上自身も三つの希望を出した。

 

「一つ」

 

「私の名を理由に、避難民を宿から追い出さないでください」

 

「どうしても移っていただく必要がある場合には、先に代わりの宿を用意し、荷物を運ぶ人足と費えもこちらで負担してください」

 

「二つ」

 

「私のために作った仮設の施設は、私が通り過ぎた後、ただ壊さないでください」

 

「京の町へ引き渡し、火事や災いの折に使えるよう残してください」

 

「三つ」

 

「焼け跡を、見苦しいという理由だけで隠す幕は張らないでください」

 

「私は、これから暮らす京の町を、自分の目で見て入りたいのです」

 

 それは、ただ優しい言葉を口にしただけではなかった。

 

 自分の入内が、多くの人と物を動かす政治であり、時には誰かの暮らしを押しのける力になり得ることを理解した上で。

 

 その責任を、自分の言葉で引き受けようとする、これから京で生きる当事者としての覚悟だった。

 

     *

 

 入内の数週間前。

 

 京の町では、行列を想定した実地予行が行われた。

 

 本物の装束や調度は使わない。

 

 だが、

 

 本番と同じ人数の人足。

 

 牛車と同じ幅を取る荷車。

 

 同じ程度の数の馬。

 

 それらを使い、道が詰まらずに動くかを確かめる。

 

 結果は、問題だらけだった。

 

 曲がり角で、牛車を模した荷車が引っかかる。

 

 見物区域から人が溢れ、救援路へ入り込む。

 

 伏見から入る供奉の一団が、荷車と重なって刻限に遅れる。

 

 仮設の厠が飲用井戸に近く、雨が降れば汚れが流れ込む危険がある。

 

 馬が、焼け跡に残る焦げた臭いと、倒れかけた壁の音に怯える。

 

『 本番前の負荷試験ね。随分と問題が出たわ』

 

「これをやらずに本番へ進んでいたら、京の真ん中で行列が止まっていましたね……」

 

 板倉勝重。

 

 町年寄。

 

 公家方の実務役。

 

 火消し責任者。

 

 彼らは、江戸へ逐一伺いを立てず、基本方針の範囲内で修正を進めた。

 

 牛車が通れない曲がり角は、別の道へ変更する。

 

 荷駄の出立を早め、救援物資の荷車と重ならぬよう刻限をずらす。

 

 太鼓と鐘を合図に、行列と救援路の通行を切り替える。

 

 仮設厠は、井戸から離れた場所へ移す。

 

 馬は事前に道へ慣らし、焦げた臭いの強い場所を避ける。

 

 見物区域も、一部を狭めた。

 

 帳面の上では見えなかった問題が、汗まみれの実地検証によって一つずつ明らかになった。

 

 勝重から江戸へは、

 

 変更した道。

 

 増えた費え。

 

 現地で減らした人員。

 

 追加で必要となった水桶と人足。

 

 その結果だけが報告された。

 

 江戸の小評定は、礼の中核を損なっていないことを確認し、現地の変更を追認した。

 

 家康は、報告を見て言った。

 

「現地で試し、現地で直し、それでも足りぬ物だけを江戸へ求めた」

 

「それでよい」

 

     *

 

 もちろん、全てが解決したわけではない。

 

 伏見と大津では、宿代が上がった。

 

 外から来た大工と京の大工の賃金を巡り、不満も出た。

 

 近江から運ぶ予定の材木は、雨で到着が遅れた。

 

 火災を口実に、徳川が行列を小さくしたと疑う公家も残っている。

 

 不審火に備える夜回りと、入内の警固が同じ人員を求める問題も、完全には解消していない。

 

 京の復旧が、入内までに終わる見込みもなかった。

 

 焼けた町は、入内の日にも焼けたままだ。

 

 仮屋で暮らす者も残る。

 

 それでも。

 

 入内のために、被災者の屋根を奪う。

 

 避難民を宿から追い出す。

 

 京の大工を復旧現場から根こそぎ引き抜く。

 

 そうした、最も避けなければならない事態だけは、防げる見込みが立った。

 

     *

 

 江戸城、小評定。

 

 板倉勝重から届いた実地予行の結果と、現地で行った修正が報告された。

 

 家康が、静かに総括する。

 

「日を守れ」

 

「礼を守れ」

 

「されど、焼け出された者の屋根を奪うな」

 

 秀忠が、深く息を吐いた。

 

「徳川の威を示すとは、ただ行列の荷車を増やすことではない、ということですな」

 

「うむ」

 

 家康が頷く。

 

「約束を違えず守りながら、力の弱い者を踏み潰さぬ」

 

「それだけの余裕と力を持つことが、徳川の威じゃ」

 

 家光は、二冊の帳面へ目を落とした。

 

「二つの帳面を、どちらも閉じずに済ませるために」

 

「足りない物を分け直しただけではなく、仕事の形そのものを変えたのだな」

 

「はい」

 

 俺は頷いた。

 

「強い側と弱い側で、足りない物を奪い合わせるのではなく」

 

「同じ物を、同じ場所と同じ時に求めない形へ組み替えました」

 

     *

 

 俺は、和子姉上の部屋を訪れた。

 

 入内の日は守られる。

 

 朝廷と取り交わした礼の中核も変えない。

 

 荷駄と供奉を分ける。

 

 避難民を宿から追い出さない。

 

 仮設施設は、管理者と修理の負担を定めた上で京へ残す。

 

 焼け跡は、美観のためだけに幕で隠さない。

 

 京の復旧を踏み潰さず、和子姉上の入内を動かす道が、どうにか見え始めた。

 

 俺が一つずつ報告すると、姉上は静かに息を吐いた。

 

「ありがとうございます、国松」

 

「これで私は、焼け出された方々から住処や大切なものを奪って、京へ入らずに済みます」

 

「ええ」

 

 俺は胸を張った。

 

「道も、宿も、荷物も、まだ問題は残っています」

 

「ですが、被災者の方々を押しのけずに動かせる見込みは立ちました」

 

「そうですか」

 

 和子姉上は微笑んだ。

 

 だが、その声には、完全な安堵がなかった。

 

「姉上」

 

「まだ、何か不安がありますか」

 

 姉上は少し迷った。

 

 やがて、膝の上で重ねていた手を、僅かに握り締める。

 

「道が整ったことには、本当に安堵しています」

 

「ですが、国松」

 

「その道を通った先で、私は、どのように生きればよいのでしょう」

 

 俺は、答えられなかった。

 

「徳川の娘として、帝と幕府を繋ぐための、冷たい橋になればよいのでしょうか」

 

「それとも、帝の妻となるのですから、徳川の家族であったことを忘れ、ただ朝廷へ尽くすべきなのでしょうか」

 

 和子姉上の声は、静かだった。

 

 だが、その問いは。

 

 材木の不足よりも。

 

 大工の割り振りよりも。

 

 行列の道を選ぶよりも。

 

 俺にとって、遥かに答えることが難しかった。

 

 京へ続く道は、どうにか整い始めた。

 

 被災者の仮屋から柱を抜くことなく。

 

 火を逃れた者を宿から追い出すことなく。

 

 京の復旧を大きく妨げず。

 

 姉上の入内を動かすための道は、見つかりつつあった。

 

 だが。

 

 俺の帳面に記すことができるのは。

 

 材木の数と。

 

 馬の数と。

 

 宿の数と。

 

 行列が通る道筋だけだった。

 

 その道を歩く和子姉上が。

 

 何を思い。

 

 京で誰として。

 

 どのように生きるのか。

 

 それだけは。

 

 俺がどれほど細かく作った帳面にも。

 

 答えは、一行も書かれていなかったのである。




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