暴君忠長に転生したので、兄上のために日本列島をメンテします 〜SFチートのはずが、田んぼと水路と寺社ノードの保守係なんですが〜 作:パラレル・ゲーマー
元和六年、冬。
明の皇帝がひと月ほどの間に二人替わるという、特大の国際政変。
それに伴って発生した「名義と責任の引継ぎ」という地味で面倒な証文整理に追われた日々から、ようやく少しだけ息がつけるようになった頃だった。
江戸城の奥深く。
ローマ水鏡を設置した特別室に、俺たちは集まっていた。
出席者は、俺――徳川忠長。
大御所・家康。
将軍・秀忠。
兄・家光。
本多正純、土井利勝、そして金地院崇伝。
今日は、ローマ教皇庁との定例の水鏡会談の日だった。
やがて時刻となり、水面を覆っていた揺らぎが静まっていく。
ローマ側の光景が映し出された瞬間、俺たちは、いつもと違う空気に気づいた。
遠くから、教会の鐘が鳴り響いている。
重く厳かな音ではあるが、その連なりには、明らかな祝祭の響きがあった。
普段は厳粛で張り詰めている教皇庁の一室にも、今日はひっきりなしに人が出入りしている。
高位の聖職者や書記官たちが、大量の報告書を抱えて早足で行き交い、枢機卿たちの表情にも、隠しきれない高揚が浮かんでいた。
「……何か、ものすごくめでたいことがあったみたいですね」
俺が小声で呟くと、脳内でKAMI様が応じた。
『KAMI:少なくとも、向こうはそう信じて大喜びしているみたいね』
やがて、水面の中央に教皇パウロ五世が姿を現した。
教皇自身の顔にも、隠しきれない喜びが浮かんでいる。
声にも普段以上の力があり、この報せをどれほど待ち望んでいたのかが伝わってきた。
ただし。
周囲の者たちが、すでに次の勝利や戦争の終結まで語り始める中で、パウロ五世だけは、手元の報告書を閉じようとはしていなかった。
「遠き日本の友よ」
パウロ五世が、力強い声で告げた。
「主の恩寵により、我らに大いなる勝利がもたらされた」
水鏡の向こうで、書記官たちが新たな報告書を広げる。
「ボヘミアの反乱軍と、我らカトリック側の軍が、プラハ近郊の白山にて激突した」
「結果は、皇帝軍とカトリック連盟軍の、大勝利であった」
教皇庁側が勝利の喜びに沸き立っている理由は、それだった。
ローマ側から、詳細な戦況が次々と読み上げられる。
こちらの記録役たちは、その言葉を一つも逃すまいと、筆を走らせていた。
敵軍の陣形は、短い戦闘のうちに崩壊。
軍旗や大砲を奪取。
反乱側が王として担いだフリードリヒは、首都プラハを捨てて逃亡。
反乱軍の指揮系統は失われ、首都を押さえる道が開かれたという。
若い書記官の一人が、興奮を抑えきれない声で叫んだ。
「神は、正しき信仰を守る我らが軍へ、明白なる勝利を与えられました!」
別の枢機卿も、熱っぽく続ける。
「ボヘミアの反乱は、これで潰えたも同然です」
「この勢いを保てば、プファルツも長くは持ちますまい」
「プロテスタントの諸侯も、この敗北を見れば、皇帝へ逆らうことを諦めるでしょう」
「来年には、欧州へ神の秩序が戻るかもしれませぬ!」
水鏡の向こうでは、
『このまま勝利が続く』
『戦争は早期に終わる』
という前提で、今後の話がどんどん先へ進み始めていた。
◆
「……多くの者が命を失ったことは、痛ましい」
パウロ五世は、勝利を喜びながらも、静かにそう告げた。
「されど、反乱によって乱された秩序が戻る道が開けたことは、確かに喜ぶべきであろう」
その声音には、勝利への喜びがはっきりと表れていた。
だが、周囲の楽観へ無条件に同調しているわけではない。
教皇は、次々と届く報告書へ目を通し続けている。
俺は、水鏡越しにその様子を見つめた。
パウロ五世は、勝利そのものには心から喜んでいる。
だが、この一勝だけで、何もかもが都合よく片づいたとは考えていない。
浮かれきっているのは、むしろ周囲の枢機卿や書記官たちの方だった。
「猊下」
枢機卿の一人が、今後の方針を語り始める。
「このまま勝利の進軍が続けば、反乱へ加わった諸侯は恐れ、次々と降伏いたしましょう」
「敵王が逃げた今、残った城も長くは耐えられませぬ」
「異端勢力が二度と立ち上がれぬよう、皇帝の威信を示すべきです」
別の聖職者は、すでに戦後の領地処分へ話を進めた。
「反乱諸侯の領地を没収し、忠実なカトリック諸侯へ分け与えれば、帝国の秩序はより強固になりましょう」
「没収した領地の収入を、膨れ上がった戦費の返済へ充てることもできます」
「反乱側の武器を取り上げれば、再び蜂起することも難しくなりましょう」
どの案にも、それぞれ理屈はあった。
反乱した諸侯を処罰する。
武器を取り上げる。
戦費を回収する。
貢献した味方へ褒美を与える。
勝者側が検討することとしては、不自然ではない。
ただし。
その全てが、
『これからも勝利が続く』
『敵は抵抗をやめる』
『勝者同士の要求は衝突しない』
という前提に立っている。
その前提が本当に成り立つのかを、まだ誰も確かめていなかった。
◆
パウロ五世は、すぐに周囲の熱狂を叱責しなかった。
一度、全員の意見を聞き終える。
そのうえで、水鏡の向こうに座る家康へ、真剣な視線を向けた。
「大御所殿は、数多の戦を知る者であると聞いておる」
「この我らの大勝利を、いかに見る」
家康は、少しだけ間を置いた。
祝いの席へ水を差すことになる。
だからこそ、まずは礼を尽くした。
「まことに見事な大勝利」
「まずは、心よりお祝い申し上げまする」
「双方合わせて数万の兵が向き合う中、短き間に敵の陣を崩したこと。将も兵も、見事な働きにございましょう」
その言葉に、ローマ側の空気が少し和らいだ。
家康は、それを確かめたうえで、低く続けた。
「……されど」
「失礼ながら。戦というものは、ただ一度の大勝のみにて、先の全てが安泰に定まるほど、甘いものではございませぬ」
ローマ側の笑顔が消えた。
家康は、ただ「油断するな」と説教するのではなく、自分が戦国の世で見てきた現実を、一つずつ挙げていく。
「兵の数がどれほど多くとも、食が尽きれば、軍は一歩も動けませぬ」
「金が尽きれば、兵は敵ではなく、昨日まで守っていたはずの味方の村から奪い始めまする」
「冬が深まれば、敵の剣で死ぬ者より、寒さと病で死ぬ者が増えましょう」
「そして」
家康の視線が、水鏡の向こうの枢機卿たちを射抜く。
「勝った軍の将同士が、褒美と領地を巡って争い始めることもございます」
「昨日まで味方であった者が、己の取り分が少ないと見れば、明日も味方であるとは限りませぬ」
「逃げた敵が、そのまま諦めるとも限りませぬ」
「降伏しても全てを奪われると知った時、人は、かえって死に物狂いで立つものにございまする」
家康は、最後に最も重い言葉を放った。
「大勝した直後こそ、最も兵の気が緩みまする」
「敵は敗れて初めて、己が何を失うのかを知る」
「ゆえに。勝った直後こそ、油断は禁物にございます」
家康は、これから欧州で続く戦争の未来など知らない。
関ヶ原や大坂の陣、そして長い戦国の世で積み重ねてきた経験から語っているだけだ。
だが、その言葉は、三十年戦争の先行きを知る俺から聞いても、恐ろしいほど的確だった。
◆
先ほどまで祝賀ムード一色だった枢機卿たちが、顔を見合わせた。
軍事報告を担当していた聖職者が、慌てて手元の書類をめくり直す。
「……確かに。皇帝軍とカトリック連盟軍の間では、次に向かうべき場所について、すでに意見が異なるとの報告がございます」
「兵への給金も、全て支払い終えたわけではありませぬ」
「未払いの傭兵たちが、不満を募らせているとも」
「冬を前に、数万の兵を養う宿営地と食糧が不足しております」
「逃亡した反乱兵の一部は、まだ武器を持ったまま、各地の森や山へ散っております」
先ほどまで次の勝利を語っていた者たちの表情から、熱が引いていく。
戦いに勝ったことと、次も同じように勝てることは違う。
家康の言葉によって、その当たり前の事実が目の前へ突きつけられたのだ。
パウロ五世は、家康へ向かって深く頷いた。
「耳には痛い」
「されど、勝利の鐘が鳴り、誰もが浮かれる今こそ、聞くべき言葉であろう」
◆
パウロ五世が、今度は俺へ視線を向けた。
「忠長殿は、いかに見る」
俺は、家康のような戦の達人を装うつもりはなかった。
「正直に申し上げます」
「私は、大御所様ほど多くの戦を経験しておりません」
「自ら戦場へ立った経験も、遥かに少ない」
「ですから、軍の動かし方や戦略について、私から軽々しく申し上げることはできません」
俺は一度、家康を見る。
「ただ。大御所様のおっしゃる通りだとは思います」
「そして」
俺は、ローマ側が読み上げ、こちらの記録役が書き取った勝利報告へ視線を落とした。
「戦が終わった後に残る帳面のことなら、少しは見てきました」
ローマ側の書記官たちが、身を乗り出す。
「敵兵を何人討ったか」
「奪った大砲の数」
「逃亡した指導者の名」
「味方の将の功績」
「それらは、ここに詳しく記されています」
俺は顔を上げた。
「ですが。敗れた兵は、どこへ逃げましたか」
「武器を捨てた者と、武器を持ったまま散った敗残兵を、分けて数えていますか」
「捕虜は何人いて、誰が食を与えていますか」
「負傷した味方の兵は、この冬を越せますか」
「軍が通った村では、どれほどの家が焼け、どれほどの穀物が失われましたか」
「逃げた住民は、どこへ向かいましたか」
「反乱へ加わった貴族と、その領地で暮らしていただけの農民を、同じ罪として扱うのですか」
「没収した領地は、誰が管理するのですか」
「兵の給金が足りないからと、その土地から勝手に取らせるのですか」
一つ質問されるたびに、ローマ側の書記官たちは資料を探した。
だが、答えられない項目があまりにも多い。
「敵を何人討ったかは、詳しく書かれています」
俺は、書き取られた勝利報告を机へ置いた。
「ですが」
「この戦を、どのように終わらせるのかが、どこにも書かれていません」
パウロ五世の周囲が静まり返った。
「勝ち続けることができたとしても、どこまで勝てば終わりなのですか」
「敵王が王位を捨てれば終わるのか」
「武器を差し出せば終わるのか」
「皇帝へ忠誠を誓えば終わるのか」
「領地を全て奪うまで続けるのか」
「そして、その終わりの条件を、敵側は知っているのですか」
◆
ここまで黙って話を聞いていた兄上が、静かに口を開いた。
「敵の軍を破れば、戦には勝てましょう」
家光の目には、感情より先に、統治者としての冷静さがあった。
「されど」
「敵が、何をすれば刀を置けるのかを決めておかなければ、敵は降りようがないのではありませぬか」
ローマ側が押し黙る。
「降りても、領地を全て奪われる」
「降りても、信仰を捨てさせられる」
「降りても、最後には処刑される」
「そう思うならば。敵は、最後まで戦うでしょう」
家康が、家光の横顔を見て、僅かに頷いた。
兄上は、敵に情けをかけろと言っているのではない。
敵が刀を置ける出口を作れと言っているのだ。
パウロ五世は、周囲の者たちを見渡した。
「そなたらは」
「何をもって、この戦の終わりとする」
最初に答えたのは、皇帝の権威を重んじる枢機卿だった。
「反乱王が王位を捨て、神聖ローマ皇帝へ服従を誓えば、戦は終わりましょう」
すると、宗教政策を重んじる聖職者が異を唱えた。
「ボヘミアがカトリック信仰へ戻らなければ、真の勝利とは呼べませぬ」
財政を担当する書記官も、譲らなかった。
「反乱諸侯の領地を没収し、戦費を回収しなければ、軍を維持できませぬ」
軍事報告を担う者は、現実的な条件を挙げる。
「敗残兵が武装を解き、主要な城を明け渡せば、軍事的な反乱は終わったと見なせましょう」
さらに強硬な者が続けた。
「プファルツまで攻め込み、フリードリヒが二度と軍を起こせぬようにしなければ、終わったことにはなりませぬ」
全員が、同じ軍の勝利を喜んでいた。
だが、何をもって最終的な勝利とするかは、全く一致していなかった。
「……同じ側で戦っていても、勝利の意味は同じではないんですね」
俺が呟くと、家康が答えた。
「戦の最中は、共通の敵が、味方同士の違いを隠す」
「勝った後に、その違いが表へ出るものよ」
◆
すでに欧州では、勝利の後に始まる争いの芽が出ていた。
皇帝は、反乱諸侯への処罰を求める。
軍事的に大きな貢献をしたバイエルン公は、それに見合う地位や領地を求める。
兵は、約束された給金を要求する。
教会側は、失われた財産の回復を望む。
強硬な者たちは、信仰の統一を求める。
一方で現地の役人たちは、目前に迫る冬を越すための食糧と、崩れた治安の回復を必要としている。
その全てを一度に満たそうとすれば、どこかに無理が生じる。
俺は、次回の水鏡会談までに確認してほしい項目を挙げた。
「敗残兵の所在」
「未降伏の城」
「各軍の冬営地」
「兵の給金と食糧」
「疫病の発生」
「難民の数と行き先」
「焼けた村と失われた穀物」
「捕虜と負傷者を誰が養うのか」
「没収する領地の範囲」
「皇帝と同盟諸侯が、何を求めているのか」
「宗派の異なる住民を、どのように扱うのか」
そして最後に。
「敵側が何をすれば、戦を終えるのか」
「誰が降伏を受け入れる権限を持つのか」
「降伏した者へ、何を保証するのか」
「その条件を、敵側へどのように知らせるのか」
俺は言った。
「戦の終わりが決まっていなければ、この大勝利も、次の戦場へ向かう途中経過にしかなりません」
◆
パウロ五世は、周囲の枢機卿たちへ向けて、静かに言った。
「この勝利を、戦の終わりと呼んではならぬ」
「主の恩寵によって得た勝利であるならば、なおさら、己の復讐心や私欲を満たすために使ってはならぬ」
「敗者への裁きは、必要であろう」
「されど」
「裁きと復讐を、取り違えてはならぬ」
教皇は、自分の権力の限界も、正直に認めた。
「我らは、皇帝ではない」
「戦場の将でもない」
「全ての剣を、この手一つで止めることはできぬ」
「されど、援助の条件を定めることはできる」
「聖職者が復讐を煽ることを戒めることもできる」
「勝者が神の名を借りて私欲を満たさぬよう、忠告することもできよう」
最初に楽観論を語っていた者たちも、現実へ目を戻していた。
「我らは、敵王が逃げたことだけをもって、全てが終わったように考えておりました」
「勝利の後に何をするかを決めぬまま、次の勝利ばかりを求めていたのかもしれませぬ」
もちろん、全員が穏健な考えへ変わったわけではない。
「寛大すぎる処分は、再び反乱を招きます」
そう主張する者も残った。
パウロ五世も、その意見を切り捨てなかった。
「それもまた、忘れてはならぬ」
「ゆえに、まずは数えよ」
「勝利の後に、何が残っているのかを」
◆
水鏡を閉じる直前。
パウロ五世が、家康へ礼を述べた。
「大御所殿」
「勝利を祝う席へ、あえて冷水を浴びせる役を負わせてしまった」
「感謝する」
家康は、薄く笑って答えた。
「火が強すぎる時は、水を掛けねば」
「祝いの席そのものが、燃え落ちましょうゆえ」
俺は思わず、家康を見た。
大御所様。
俺よりよほど水神様らしいことを言っているな。
『KAMI:称号を譲る?』
「絶対に譲らないよ」
◆
水面が揺らぎ、ローマの光景が消えた。
部屋に静けさが戻る。
俺は、先ほど記録役が書き取った勝利報告を、もう一度見つめた。
敵兵を何人討った。
何本の旗を奪った。
どの将が功を立てた。
どの王が逃げた。
全てが、驚くほど詳しく書かれている。
だが。
いつ戦が終わるのかだけは、どこにも書かれていない。
「……あれほどの大勝利でも、終わりにはならないんですね」
俺が家康へ尋ねると、家康は答えた。
「勝っただけで全てが終わるならば、戦ほど容易いものはない」
「敵を破るより、勝ってなお褒美と取り分を求める味方へ、刀を納めよと命じる方が難しいこともある」
家光も、深く頷いた。
「勝利した者は、まだ取れる物があると思うからな」
「負けた側は、まだ失う物があると思うから、さらに抵抗する」
俺がそう呟くと、秀忠が静かに締めくくった。
「ゆえに、政が必要となるのだ」
「戦で得た勝利を、戦の外へ持ち出し、終わらせるための政がな」
俺は、勝利報告の最後に残った空白を見つめた。
白山の戦いは、間違いなく大勝利だった。
反乱軍は崩れ、敵王は逃げた。
ローマでは鐘が鳴り、人々が神へ感謝を捧げている。
けれど。
敗残兵は、まだ武器を持っている。
諸侯は、次の褒美を求めている。
傭兵は、給金を待っている。
冬を越せない民が、寒さの中に残されている。
何より。
敵が何をすれば戦を終えられるのかという出口が、まだ決まっていない。
ローマから届いたのは、疑いようのない大勝利の報告だった。
敵兵の数も。
奪った旗も。
逃げた王の行方も。
その紙には、事細かに書かれていた。
けれど。
そのどこを探しても。
この戦争が、いつ、どのように終わるのかだけは――ただの一行も、書かれてはいなかったのである。
ここまで読んでいただきありがとうございます! もし「面白い」「続きが気になる」と思っていただけましたら、ページ下部より【お気に入り登録】や【評価】、感想などをいただけると執筆の励みになります。 作者のモチベーション上昇に直結しますので、是非ともよろしくお願いします!