暴君忠長に転生したので、兄上のために日本列島をメンテします 〜SFチートのはずが、田んぼと水路と寺社ノードの保守係なんですが〜   作:パラレル・ゲーマー

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第137話 水神様、話の通じる新教皇ほど怖い

 元和六年、閏十二月。

 

 前回のローマ水鏡会談から、ひと月余りが過ぎていた。

 

 江戸城の奥深く、水鏡を設置した特別室に、いつもの顔ぶれが集まっている。

 

 俺――徳川忠長。

 

 大御所・家康。

 

 将軍・秀忠。

 

 兄・家光。

 

 本多正純、土井利勝、そして金地院崇伝。

 

 俺は、机に積み上げた分厚い帳面の束を見ながら、前回の会談を思い出していた。

 

 教皇パウロ五世は、白山の戦いの大勝利を喜びながらも、大御所様の忠告を真摯に受け止め、

 

「勝利の後に、何が残ったのかを数えよ」

 

 と、ローマ側へ命じてくれていた。

 

 今日は、その追加報告を受ける予定だった。

 

 敗残兵の数。

 

 難民の行方。

 

 冬営地と食糧の確保。

 

 兵への給金。

 

 没収予定の領地。

 

 そして何より、敵が何をすれば刀を置けるのかという、終戦の条件について。

 

「……今日も長丁場になりそうですね」

 

 俺が帳面の山を見ながらため息をつくと、土井利勝が平然と答えた。

 

「忠長様が、確認すべき項目を容赦なく増やされた結果にございます」

 

『KAMI:自分で会議を長くしておいて、被害者みたいな顔をしないの』

 

 KAMI様にも突っ込まれ、俺は肩をすくめた。

 

「でも、ここで曖昧にしたら、あの戦はもっと泥沼になりますから」

 

 やがて定刻となり、水面を覆っていた揺らぎが静まった。

 

 俺たちは、パウロ五世の、あの厳格だが思慮深い顔が現れるのを待った。

 

 だが。

 

 水面の向こうに映し出された教皇庁の会談室は、重苦しい漆黒の布で覆われていた。

 

 鐘が鳴っている。

 

 前回の白山の勝利を祝った、明るく連なる鐘の音ではない。

 

 ゆっくりと。

 

 重く。

 

 長い間を置いて鳴り響く、弔いの鐘だった。

 

 水面に現れたのは、パウロ五世ではなかった。

 

 顔色を失った教皇庁の書記官と、うつむいた数人の枢機卿たち。

 

 日本側の誰も、すぐには声を発することができなかった。

 

 ローマ側の書記官が、震える声で深く頭を下げた。

 

「遠き日本の友人たちへ、深い悲しみの中で、お伝えしなければなりません」

 

「我らが教皇パウロ五世猊下は――主の御許へ召されました」

 

 特別室が、水を打ったように静まり返った。

 

     ◆

 

 俺は、前世の歴史知識として、パウロ五世がこの頃に亡くなることを知っていたはずだった。

 

 だが。

 

 水鏡越しに何度も言葉を交わした。

 

 日本の複雑な禁教事情を、根気よく説明した。

 

 こちらの言葉へ耳を傾け、ローマ側の強硬な意見を抑えてくれた。

 

 支倉常長やソテロの帰国について、真剣に交渉してくれた。

 

 そして、つい先月。

 

 白山の戦いの勝利と、その後に残る問題について語り合った相手だった。

 

 パウロ五世は、俺にとって歴史書に記された名前ではなくなっていた。

 

 確かに知っている、血の通った一人の人間になっていたのだ。

 

 分かっていたはずだ。

 

 あの人が永遠に教皇でいるわけではないことくらい。

 

 それでも。

 

 つい先月まで、水鏡の向こうから真っ直ぐに俺たちを見ていた人が、もう二度と、あの席へ座ることはない。

 

 その事実は、前世の知識があったところで、軽く受け流せるものではなかった。

 

 家康が沈痛な面持ちで、日本側を代表して口を開いた。

 

「前教皇猊下には、遠き海の彼方にある日本へも、長きにわたり誠実に言葉を尽くしていただきました」

 

「その御遺徳を偲び、徳川一同、深くお悔やみ申し上げまする」

 

 秀忠も、家光も、そして俺も、深く頭を下げた。

 

     ◆

 

 弔意を伝えた後。

 

 教皇庁側の書記官から、極めて実務的で、切実な相談が持ちかけられた。

 

「新教皇猊下が選出されるまで、教皇座は空位となります」

 

「その間、この水鏡会談を継続してよいのか」

 

「誰がローマ側の代表者となるのか」

 

「前教皇の許可によって保管されていた水鏡を、誰が管理するのか」

 

「緊急の報告を誰が承認し、前教皇の合意を臨時の管理者がどこまで変更できるのか」

 

「それらが、定まっておりませぬ」

 

 俺は、悲しみの中で思わず頭を抱えた。

 

「……また、権力者の引継ぎ事故か」

 

『KAMI:明の皇帝が続けて亡くなった時に作ったばかりの《異国証文引継条目》を、こんなに早く使うことになるとは思わなかったわね』

 

 正純が、先日整備したばかりの『異国証文引継条目』の写しを開いた。

 

 最高権力者が死去し、後継者が確定していない場合。

 

 新たな合意の締結。

 

 既存条件の変更。

 

 危険な物品の移動。

 

 新たな権限の付与。

 

 それらは全て、後継者が決まるまで留め置く。

 

 一方で、

 

 既存設備の安全管理。

 

 緊急連絡。

 

 人命の保護。

 

 記録の保存。

 

 すでに合意された範囲内での維持作業。

 

 それらは止めずに継続する。

 

 俺は姿勢を正し、水鏡の向こうの書記官たちへ説明した。

 

「新しい教皇猊下が選ばれるまで、私たちは、これまでの合意を変更しません」

 

「ですが、教皇猊下が亡くなられたからといって、合意そのものを勝手に破棄することもしません」

 

「水鏡の保管と緊急連絡だけを継続し、新たな政治的判断は、全て新教皇が決まるまで留め置きます」

 

 ローマ側の書記官たちは、明らかに安堵した様子を見せた。

 

「感謝いたします」

 

「我々も、前教皇の死を理由に、日本との対話の窓口まで閉ざす意図はありません」

 

 その後、ローマ側の臨時管理者について、一つずつ確認していった。

 

 氏名。

 

 役職。

 

 水鏡の保管場所。

 

 鍵の本数と管理者。

 

 水鏡を起動できる者。

 

 緊急時の連絡手順。

 

 新教皇選出後の引渡方法。

 

 俺は、パウロ五世の死を悼みながらも、淡々と帳面の責任欄を埋めていく。

 

 人が亡くなって悲しんでいる直後に、鍵の本数や保管責任者を根掘り葉掘り尋ねる。

 

 冷たく、血も涙もないように見えるかもしれない。

 

 だが、こういう時に遠慮して曖昧にした物や規則は、後で必ず混乱の中へ消える。

 

 前教皇が残してくれた対話の記録を守るためにも。

 

 俺たちは今、責任を負う者を決めておかなければならなかった。

 

     ◆

 

 それから十日余り後。

 

 ローマ側から、緊急の水鏡接続要請が届いた。

 

 新しい教皇が選出されたという報告だった。

 

 名は、グレゴリウス十五世。

 

 本名は、アレッサンドロ・ルドヴィージ。

 

 ボローニャ出身で、長く教会法と裁判実務に携わってきた老枢機卿だという。

 

 ローマ側が臨時の水鏡連絡で読み上げた経歴を、こちらの記録役が書き取っていた。

 

 法に詳しい。

 

 争いの調停経験が豊富。

 

 すでに六十七歳と高齢で、健康状態はあまり良くない。

 

 パウロ五世によって枢機卿へ引き立てられた人物で、前教皇と敵対していたわけでもない。

 

「前の教皇を全て否定して、己の威を示そうとする男ではなさそうだな」

 

 家康が、書き取られた経歴を聞きながら呟いた。

 

 だが、崇伝は慎重に答えた。

 

「されど、大御所様」

 

「前教皇と親しかったことと、政において同じ判断をなされることは、別にございます」

 

「ええ」

 

 俺も頷いた。

 

「パウロ五世猊下との個人的な信頼は、そのまま新教皇へ移るわけじゃありません」

 

「そこは、最初から作り直しです」

 

     ◆

 

 元和七年、正月。

 

 新しい教皇との、最初の正式な水鏡会談が開かれた。

 

 新教皇の傍らには、一人の若い枢機卿が控えていた。

 

 ルドヴィーコ・ルドヴィージ。

 

 二十五歳。

 

 グレゴリウス十五世の実の甥であり、新教皇は就任直後、教皇庁の実務を補佐させるために、彼を枢機卿へ任じていた。

 

「二十五歳か。随分と若い」

 

 正純が小声で眉をひそめた。

 

「しかも、実の御一族にございますな」

 

 土井利勝も警戒を隠さない。

 

 露骨な身内登用であることは、間違いなかった。

 

 だが、水鏡会談が始まる前の事務連絡の段階で、ルドヴィーコは、

 

 前教皇との会談記録。

 

 日本側との証文。

 

 禁教関係の報告。

 

 ソテロの滞在条件。

 

 水鏡の管理記録。

 

 それらを、すでに項目ごとに分類し終えていた。

 

『KAMI:身内登用ではあるけれど、少なくとも仕事は恐ろしく速いみたいね』

 

「……それが一番厄介なんだよな」

 

     ◆

 

 水鏡の向こうへ、新教皇グレゴリウス十五世が姿を現した。

 

 パウロ五世のような、大岩を思わせる堂々たる体躯ではない。

 

 小柄で、年齢を感じさせ、長時間座っているだけでも負担がありそうに見える。

 

 声にも、前教皇のような腹の底へ響く強い威圧感はなかった。

 

 だが。

 

 老いを感じさせる顔の中で、その目だけは澄んでいた。

 

 書類の曖昧さを一つも見逃さない、長年の法務によって磨かれた目だった。

 

 会談の冒頭。

 

 新教皇は、パウロ五世への日本側の弔意に、静かに礼を述べた。

 

「前教皇は、日本との対話を決して軽んじてはならぬと、私にも幾度も語っておられた」

 

「遠く海を隔て、信仰も国を治める法も異なる者と、なお互いの言葉を交わせることを、重く見ておられたのだ」

 

 俺たちは、その言葉に改めて頭を下げた。

 

 グレゴリウス十五世は、手元の日本側出席者名簿へ目を落とした。

 

「以前の記録には、国松殿とある」

 

「今は、忠長殿と名乗るのか」

 

 俺は、元服と改名について手短に説明した。

 

「同じ人間です」

 

「旧名の記録は消しておりません」

 

「現在有効な命令札だけを更新し、旧名と新名、印判、役目を照合しました」

 

「過去の責任も、私がそのまま継承しています」

 

 グレゴリウス十五世は、僅かに目を細めて頷いた。

 

「私もまた、アレッサンドロ・ルドヴィージから、グレゴリウス十五世となった」

 

「名が変わったからといって、過去の責任まで消えるものではないな」

 

 この人。

 

 話が、めちゃくちゃ早い。

 

     ◆

 

 グレゴリウス十五世は、無駄な前置きをせず、すぐに核心へ入った。

 

「確認したい」

 

 新教皇は、手元の記録を指で示した。

 

「パウロ五世個人との親書」

 

「ローマ教会および教皇庁としての合意」

 

「日本へ渡った聖職者個人が負う責任」

 

「それらが、以前の記録では一部混在している」

 

 日本側が、一瞬黙った。

 

 俺は、心底驚いていた。

 

 明との証文問題で、俺たちが苦労の末に到達した三層の分離。

 

 短い引継期間の中で、新教皇とその甥は、記録の混線をここまで正確に見抜いていた。

 

「前教皇個人へ向けられた友情の言葉は、前教皇の死とともに終わる」

 

「だが、教皇庁が組織として結んだ合意は、教皇が替わっただけで消えるものではない」

 

「それは、内容を確認したうえで継承する」

 

「一方で、ソテロら特定の聖職者へ与えられた権限と責任は、私の名において確認し直さねばならぬ」

 

「また、支倉常長ら日本使節へ前教皇が示した約束と待遇についても、前教皇個人の言葉か、教皇庁としての約束かを分けて確認する必要がある」

 

 見事なまでに、法律家の論理だった。

 

 だが、こちらも、ただ驚いていたわけではない。

 

 教皇交代を見越し、崇伝と正純が記録を四つに分けて用意していた。

 

 まず、継続を求めるもの。

 

 水鏡による定例協議。

 

 会談記録の相互保存。

 

 緊急時の連絡経路。

 

 日本側で保護・監督下にある聖職者の安全確認。

 

 双方の通訳と記録役の登録。

 

 次に、新教皇による確認を求めるもの。

 

 パウロ五世名義で出された教皇庁側の指示。

 

 日本案件を担当する聖職者の権限。

 

 水鏡のローマ側保管責任者。

 

 日本側からの照会へ回答する正式な窓口。

 

 再協議が必要なもの。

 

 宣教師の入国条件。

 

 日本国内で認められる宗教活動の範囲。

 

 日本の法に違反した聖職者の扱い。

 

 そして、一時停止するもの。

 

 新たな宣教師の派遣。

 

 新たな宗教施設の設置。

 

 既存の合意を越える特権の要求。

 

 日本側の許可を得ない人員や物品の移動。

 

 グレゴリウス十五世は、それらを読み、僅かに口元を緩めた。

 

「こちらが問うべきことを、すでに分けてあるな」

 

 傍らのルドヴィーコ枢機卿が、無駄のない動きで、日本側の区分をローマ側の帳面へ書き写していく。

 

     ◆

 

 だが、新教皇は、日本側の説明を無条件に信じる男でもなかった。

 

「前教皇の記録には、日本の法に背いた聖職者がいると記されている」

 

「しかし、聖職者であるという理由だけで庇うことも、弁明の機会を与えず罪人とすることも、認めるわけにはいかぬ」

 

「私は長く、法と裁きに携わってきた」

 

「日本側が持つ証拠と記録を確認したい」

 

 俺は、その厳格な確認を、むしろ歓迎した。

 

「当然です」

 

「こちらの言い分だけを信じて裁かれては、後から必ず不公平だと争いになります」

 

「どうぞ、厳しい目で確認してください」

 

 崇伝と正純が、これまでに蓄積した違反記録を示す。

 

 当人の名。

 

 所属。

 

 入国時の条件。

 

 説明を行った通訳。

 

 禁止事項。

 

 違反日時。

 

 証人。

 

 最初の警告。

 

 再違反の記録。

 

 本人の弁明。

 

 日本側が下した処分。

 

 ルドヴィーコが、淡々と質問を重ねた。

 

「禁止条件は、本人が理解できる言葉で伝えられたか。その通訳の名は残っているか」

 

「警告の後、本人が異議を述べる機会はあったか」

 

「違反の証人は幕府の役人だけか。それとも、利害関係のない第三者もいたか」

 

「告発者に、本人を陥れる利害はなかったか」

 

 俺たちは、全ての記録が完全に揃っているとは答えなかった。

 

 古い事例には、

 

 通訳の名が残っていないもの。

 

 口頭での警告しか記録されていないもの。

 

 証人が幕府役人だけのもの。

 

 事件の後になって記録が作られたもの。

 

 そうした不備があった。

 

「その事例は、こちらも確定した事実とは扱いません」

 

「記録と証拠が揃うものと、揃わないものを分けます」

 

 グレゴリウス十五世は、深く頷いた。

 

「証明できぬことまで、証明されたと強弁せぬのならば、そなたたちとは法の下で話ができる」

 

 俺たちと新教皇の間で、情報の扱い方についての基本が噛み合った。

 

     ◆

 

 グレゴリウス十五世は、日本側の記録を評価した。

 

 だが、布教そのものを諦めるとは、一言も言わなかった。

 

「我らは、約束を欺き、密かに人を日本へ送り込むことを正しいとは考えぬ」

 

「聖職者が現地の法と、教皇庁から与えられた条件へ背くならば、それは教会の秩序をも乱す」

 

 俺たちは、少しだけ安堵した。

 

 しかし、新教皇は続けた。

 

「されど、主の福音を地の果てまで伝える使命そのものを、永久に捨てることはできぬ」

 

「現在の合意を守ることと、その合意を永遠に変えてはならぬと認めることは、別である」

 

 特別室の空気が引き締まった。

 

 俺も、曖昧な笑顔で済ませるつもりはなかった。

 

「その点は、私たちも同じです」

 

「現在の禁制と条件を守っていただくことは必要です」

 

「ですが、それを理由に、対話そのものを永久に閉ざすつもりもありません」

 

「ただし、条件を変えるなら、必ず双方が改めて協議の席を設け、合意してからです」

 

「現場の宣教師が、教皇庁と日本側の許可より先に既成事実を作ることは認められません」

 

 グレゴリウス十五世は、迷わず答えた。

 

「当然であろう」

 

 意見は一致していない。

 

 布教を続けたいローマ。

 

 国内の秩序を守りたい日本。

 

 だが、争う場所と、守るべき手順は一致していた。

 

     ◆

 

 新教皇は、日本布教に関する記録を読み進める中で、教皇庁が抱える大きな欠陥にも気づいていた。

 

「修道会ごとに、報告が異なる」

 

「同じ事件を扱っているにもかかわらず、説明が食い違っている」

 

「他の修道会の失敗を強調し、己の働きを大きく書く」

 

「日本側との合意を、現地の全員が共有していない」

 

「ローマへ報告が届くまでに時間がかかり、その間に現地の判断が先行している」

 

 新教皇は、複数の帳面を見比べながら言った。

 

「これでは、教皇庁が一つの命を出しても、現地では都合のよい複数の命として受け取られる」

 

「修道会ごとに、別の日本が存在しているようなものだ」

 

 それは、ものすごくよく分かる。

 

 部署ごとに様式の違う報告書。

 

 同じ案件なのに、数字も責任者も呼び方も違う。

 

 前世でも、そういう現場は大体地獄だった。

 

「各地からの布教報告を、一か所へ集める必要がある」

 

 グレゴリウス十五世は言った。

 

「修道会ごとに異なる形式で送るのではなく、共通の項目で報告させる」

 

「派遣する者の名」

 

「所属」

 

「派遣先」

 

「現地の法」

 

「許された活動」

 

「違反」

 

「成果」

 

「損害」

 

「それらを、同じ帳面の上で比較できるようにする」

 

 ルドヴィーコは、すでに新たな報告項目を書き始めていた。

 

 派遣者。

 

 所属修道会。

 

 派遣目的。

 

 現地責任者。

 

 許可範囲。

 

 資金。

 

 活動記録。

 

 現地政府との争い。

 

 帰還、死亡、拘束。

 

 その無駄のない動きを見て、俺は背筋に冷たいものを感じた。

 

『KAMI:これまでのローマ側は、修道会ごとに別々に動いて、報告形式も責任者も曖昧だった』

 

『KAMI:新しい教皇は、窓口を一本化して、共通様式を作って、派遣と報告を中央で管理するつもりみたいね』

 

「それなら、勝手に日本へ来る宣教師が減って、こっちも助かるんじゃないか?」

 

『KAMI:無許可の違反は減るでしょうね』

 

『KAMI:その代わり、布教活動そのものも、今までより遥かに組織的で効率的になるけど』

 

 俺は固まった。

 

「……それ、ものすごく怖くないか?」

 

『KAMI:話の通じる有能な相手って、そういうものよ』

 

     ◆

 

 グレゴリウス十五世は、その日の協議内容を確認した後、正式な裁定を告げた。

 

「前教皇の判断を尊重する」

 

「されど、尊重することと、内容を確かめず署名することは別である」

 

 まず、そのまま継続するもの。

 

 水鏡による会談。

 

 会談記録の双方保存。

 

 緊急時の連絡。

 

 現在、日本側の保護と監督の下にある聖職者の安全確認。

 

 次に、責任者を改めて登録したうえで継続するもの。

 

 ローマ側の水鏡管理。

 

 日本案件に関する教皇庁の窓口。

 

 違反した聖職者について、双方が照会する手順。

 

 再協議するもの。

 

 新たな宣教師の入国条件。

 

 日本国内で認められる宗教活動の範囲。

 

 違反者の拘束、送還、処分の手続き。

 

 そして、当面の間、留め置くもの。

 

 新たな宣教師の派遣。

 

 新たな宗教施設の設置。

 

 現在の合意を越える特権。

 

 日本側の許可を得ていない活動。

 

「確認できたものから継承する」

 

「協議が必要なものは、協議が終わるまで動かさぬ」

 

 ローマ側では、グレゴリウス十五世、ルドヴィーコ、水鏡の保管責任者、日本案件を担当する書記官の責任範囲が分けられた。

 

 日本側でも、秀忠、俺、崇伝、正純、水鏡管理役の役割を改めて確認した。

 

 双方が同じ内容を読み上げ、それぞれの帳面へ記録する。

 

 『異国証文引継条目』は、初めて実際の国際的な権力交代を越えた。

 

     ◆

 

 水鏡を閉じる前。

 

 グレゴリウス十五世が、パウロ五世の机に残されていた一枚の書類を手に取った。

 

 それは、前回の会談で日本側が求めた、

 

『白山の戦いの後に、何が残ったのかを調べよ』

 

 という調査命令だった。

 

 パウロ五世は死の直前まで、

 

 敗残兵。

 

 難民。

 

 戦費。

 

 報復。

 

 終戦条件。

 

 それらについて報告を集めさせていたという。

 

 調査は、まだ終わっていない。

 

 グレゴリウス十五世は、その書類を見つめ、静かに言った。

 

「前教皇が命じた調査である」

 

「教皇が替わったからといって、未完の仕事まで捨てる理由にはならぬ」

 

「続けさせよう」

 

 俺は、その言葉を聞いて、少しだけ救われた気がした。

 

 人は死んだ。

 

 だが、その人が最後に残した問いは、次の人へ引き継がれた。

 

     ◆

 

 水面が揺らぎ、ローマの光景が消えた。

 

 江戸城の特別室に静けさが戻る。

 

「前の教皇とは、随分と違う男よ」

 

 家康が最初に口を開いた。

 

「穏やかな老人に見えますが、確認すべき所は一つも流しませぬな」

 

 秀忠が評価する。

 

「法と証文の話は、極めて通じやすい御方にございます」

 

 崇伝が頷いた。

 

「その代わり、こちらが曖昧にした箇所も、同じだけ見抜かれましょう」

 

 正純も警戒を強める。

 

 家光が、静かに言った。

 

「前の教皇は、人と人との信頼を重く見た」

 

「今度の教皇は、その信頼を仕組みへ変えようとしているように見える」

 

 土井利勝が、若い枢機卿について触れた。

 

「それにしても、二十五歳の甥を、就任直後から枢機卿として傍へ置かれるとは」

 

「露骨な身内登用にございますな」

 

「普通に考えれば、そうですよね」

 

 俺は深くため息をついた。

 

「でも、あの若い甥。会談中に必要な文書を全部分類して、次回までの確認事項まで作っていましたよ」

 

「無能な身内びいきなら、警戒しやすいんだけどな……」

 

 家康が薄く笑った。

 

「身内で、かつ実務の役に立つ者ほど、権力者には使いやすいものよ」

 

 徳川も、世襲と一族登用を思い切りやっている。

 

 そこは、あまり強く非難できなかった。

 

     ◆

 

 俺は、新教皇との最初の会談記録を見直した。

 

 前教皇の約束を、即座に破棄しなかった。

 

 証拠のない違反を、確定した事実として扱わなかった。

 

 日本側との約束を欺く密入国を、正しいとは認めなかった。

 

 修道会の勝手な行動を抑えようとしている。

 

 一見すれば、日本側にとって非常にありがたい、話の分かる新教皇だった。

 

 だが。

 

 布教を諦めたわけではない。

 

 日本を重要な案件として、教皇庁の中央で扱おうとしている。

 

 報告制度を統一しようとしている。

 

 有能な若い実務者までいる。

 

 前任者よりも、遥かに組織的に動く可能性が高い。

 

「前の教皇猊下より、制度の話は通じやすいかもしれない」

 

 俺が呟くと、正純が答えた。

 

「それは、我らにとって良きことではございませぬか」

 

「そうとも限らないんですよ」

 

 俺は、ローマ側で新教皇が署名し、水鏡越しに示した引継文書を、こちらの記録役が書き取った写しへ目を落とした。

 

「こっちの制度の意図を理解できるってことは、向こうも自分たちの目的に合う制度を、上手く作れるってことですから」

 

 写しに残された文面は整っており、曖昧な箇所がほとんどない。

 

 前任者の約束を投げ捨てない。

 

 記録を読み、責任を分け、確認できたものから引き継ぐ。

 

 話は通じる。

 

 おそらく、これまでの誰よりも。

 

 話の通じない相手なら、断って扉を閉めればいい。

 

 だが、話の通じる有能な相手は。

 

 こちらの理屈を理解したうえで、自分の目的をかなえる仕組みを作ってくる。

 

 新しい教皇、グレゴリウス十五世。

 

 どうやら前の教皇様とは、全く別の意味で。

 

 とても油断のできない相手が、ローマの頂点に座ったらしかった。

 




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