暴君忠長に転生したので、兄上のために日本列島をメンテします 〜SFチートのはずが、田んぼと水路と寺社ノードの保守係なんですが〜 作:パラレル・ゲーマー
元和七年、秋。
ローマの新教皇グレゴリウス十五世との最初の会談から数か月が過ぎ、江戸城の木々が色づき始めた頃。
平戸のオランダ商館から、南方交易に関する詳しい報告が届いた。
何か重大な事件を告げる緊急の使者というわけではない。来年以降の香辛料の供給見込み、安全な航路の確保、交易品の価格推移、そしてオランダ東インド会社――VOCが南方で支配する地域の状況などをまとめた、定期的な商況報告である。
その中に、南方のバンダ諸島について記された項目があった。
「かの地で長く続いていた混乱は、ようやく収まりました。現地勢力との争いは終結し、東インド会社の権限が確立されております」
通詞が、オランダ商館からの報告を読み上げる。
「これより、ナツメグとメースの生産は当会社によって管理され、無秩序な売買や密貿易も抑えられます。今後は日本への香辛料供給も、より安定する見込みにございます」
通詞の訳には、
『平定された』
『秩序を取り戻した』
『交易が安定した』
といった、極めて整った言葉が並んでいた。
俺――徳川忠長は、その報告を素直に要約し、少しだけ表情を緩めた。
「へえ。要するに、香辛料の島が平和になったらしいですよ」
三十年戦争に、明の政変に、教皇の死去。
血なまぐさい話ばかりが続いていたので、久しぶりに悪い知らせではない報告が届いたと思ったのだ。
だが。
脳内で、KAMI様が何でもないことのように告げた。
『あんた、世界史には疎いから知らないと思うけど。これ、先住民を大量に殺して、島から追い出して、奴隷にして、ナツメグの生産を独占した事件の報告よ』
俺は、報告書から勢いよく顔を上げた。
「……え?」
『当時のバンダ諸島は、ナツメグとメースのほぼ唯一の産地だったの。島民たちは生活のため、オランダ人だけではなく、色々な国の商人へ香辛料を売っていた』
『でもVOCは、自分たちだけに、会社の決めた価格で売るよう独占契約を求めた。島民がそれに従わず抵抗すると、総督のヤン・ピーテルスゾーン・クーンが大規模な遠征軍を送り込んだのよ』
島を制圧し、村を焼き、多くの住民を殺した。
逃げた者の中には、山中や海上で命を落とした者もいた。
生き残った者も、島から追放され、あるいは捕らえられて奴隷とされた。
そして住民がいなくなった農園へ、外部から新たな労働者を連れてきて、VOCの管理下で香辛料を生産する農園へと作り替えた。
KAMI様の説明を聞きながら、俺はもう一度、目の前の報告書へ視線を落とした。
そこに書かれているのは、
『島内の抵抗は終息した』
『住民の移動が行われた』
『農園経営を再建した』
という、血の臭いを微塵も感じさせない事務的な言葉ばかりだった。
「……これを、平和になったと報告しているんですか?」
『勝った側にとっては、自分たちへ抵抗する人間がいなくなった状態を、平和と呼ぶこともあるわね』
◆
まだ衝撃を処理しきれずにいる俺へ、KAMI様はさらに続けた。
『ちなみに、遠征軍には日本人も傭兵として参加していたわよ』
「……はい?」
『島を制圧した後、八人の主要な有力者を含む四十人余りを処刑した時も、日本人傭兵が斬首の実行役を務めたと記録されているわ』
「大事件じゃないですか……!」
思わず声が漏れた。
家康や秀忠をはじめ、同席する幕臣たちの視線が俺へ集まる。もちろん、彼らにはKAMI様との脳内会話は聞こえていない。
俺は不自然な咳払いをすると、平戸関係の記録を管理している本多正純へ尋ねた。
「正純。オランダ商館が、日本人を兵として雇い、南方へ連れていった記録はありますか?」
「ございます」
正純は迷うことなく答え、配下へ命じて古い帳面を運ばせた。
そこには、平戸のオランダ商館から提出された願書と、それに対する許可の記録が残されていた。
日本人を会社の兵として雇い入れること。
雇った者を船へ乗せ、南方の拠点へ送り出すこと。
現地の砦や商館の守備、海上護衛、必要に応じた戦闘へ従事させること。
人数や時期に違いはあるが、オランダ側は以前から平戸で日本人兵を募集し、幕府側もそれを許可していた。
「大御所様は、御存じだったのですか?」
俺が家康へ向き直ると、家康は静かに頷いた。
「オランダ人が、戦慣れした日本の者を雇い、南方へ連れていきたいと願い出たことは覚えておる」
「浪人どもに仕事を与え、国外へ出すことにもなる。相応の銭を払い、勝手に日本国内で騒ぎを起こさぬならばと、許した」
「ですが、バンダ諸島で何をさせるのかまでは?」
「聞いておらぬ。砦の守りや船の護衛、異国での戦に使うとは聞いていたが、どの島で、誰を相手に、何を命じたかまでは報告されておらぬ」
つまり、幕府が派遣した公儀の軍ではない。
島民を殺せと日本側が命じたわけでもない。
だが、VOCが日本人を兵として雇い、海外へ連れ出すこと自体は、幕府の許可を得て行われていた。
完全な他人事とは言えなかった。
◆
俺は、オランダ商館から来た使者へ尋ねた。
「バンダ諸島の遠征に、日本人兵が参加していたのですか」
使者は通詞を介して、特に隠す様子もなく答えた。
「はい。平戸をはじめ、日本で雇い入れた兵の一部が参加しております」
「日本の兵は戦の経験が豊富で、会社の規律にもよく従い、刀や長柄の扱いにも長けております。南方の拠点では、守備や戦闘の要員として重宝しております」
彼らにとって、日本人傭兵の存在は秘密でも不祥事でもなかった。
会社が金を払い、幕府の許可を得て雇った、有用な兵士でしかないのだ。
「その者たちの名と、出身地は残っていますか」
「雇用時の名簿はございますが、全員の出身国までは詳しく記しておりませぬ。名も、我々の文字では正確に写せていない者がおります」
「その者たちへ、何を命じたかは?」
「拠点の守備、船の護衛、戦闘、捕虜の監視など、現地の指揮官が必要とする任務にございます」
使者は、何ら問題のない契約内容を説明するような口調で答えた。
俺は一度呼吸を整え、報告書の中に並ぶ言葉を一つずつ問い直した。
「『住民を移した』とは、誰を、どこへ移したのですか」
「『農園へ新しい労働者を入れた』とは、元から住んでいた人々が農園に残っていないという意味ですか」
「『反乱の首謀者を処断した』とは、何人を、どのように処断したのですか」
「島を離れた者たちは、自らの意思で出ていったのですか。それとも、会社が追い出したのですか」
使者は、当初、
「それは商況報告の範囲を越える事柄にございます」
と回答を避けようとした。
だが、正純が平戸での日本人兵募集記録を机へ置き、
「公儀の許可を得て日本から連れ出した兵が関わっている以上、我らにも、その者たちが何を命じられたのかを確かめる理由がある」
と告げると、使者も会社側の事情を説明し始めた。
「バンダの島民とは、以前より香辛料の独占契約を結んでおりました。しかし彼らは約束へ背き、イギリス人や他国の商人へ香辛料を売り続けていたのです」
「過去には、交渉に向かった我が会社の者たちが、島民の騙し討ちによって殺された事件もございます」
「和平を結んだ後にも武器を隠し、抵抗を続けました。我が会社の砦や船も、常に危険へさらされていたのです」
「交易を安定させ、契約を守らせるためには、抵抗を続ける勢力を排除し、会社の権限を確立する必要がございました」
使者の説明には、使者なりの筋が通っていた。
契約違反。
治安回復。
抵抗勢力の排除。
生産の安定。
どれも幕府の役所が書類に使っていても、不思議ではない言葉だった。
だからこそ、気分が悪い。
整った言葉を積み重ねた先で、その島に暮らしていた人々が、土地から消えている。
◆
俺は、一度オランダ側の使者を別室へ下がらせた。
「……これ、今から何かできないんですか?」
『事件は、もう終わっているわ』
「でも、幕府の許可で連れ出された日本人まで参加していたんですよ」
『日本人を雇うことを許したのと、島民を殺すよう命じたのは別よ。そこは混ぜないことね』
『それに、今から殺された人を生き返らせて、追放された人や奴隷にされた人を全員故郷へ戻せるの?』
「……できません」
『日本が軍を送ってバンダ諸島を取り返すことも、オランダの総督を江戸へ引き渡させることもできない。日本は島民の主でも、保護者でもないもの』
「それは、そうですが……」
『世界中で起きた事件を、知った順番に全部背負い込んでいたら、日本一国すら維持できないわよ』
分かってはいる。
それでも、素直に割り切れる話ではなかった。
『ただし、日本から兵を連れ出す許可を出していたのなら、その兵がどこへ行き、何をさせられるのかを確かめるのは、日本側の仕事でしょうね』
過去の虐殺へ、今から介入することはできない。
だが、今後も同じように白紙の許可を出し続けるかどうかは、俺たちが決められる。
◆
俺は、幕閣へ向き直った。
「オランダが日本人を兵として雇い、南方へ連れていくことは、幕府が許可していました」
「ですが、その者たちがどこへ送られ、何を命じられたのかを、こちらはほとんど把握していません」
秀忠が、平戸の記録へ目を落とす。
「許したこと、我らが命じたこと、現地の指揮官が行わせたこと。その三つは分けねばならぬな」
「はい」
「幕府が虐殺を命じたわけではありません。ですが、幕府の許可を得て日本から出た兵が関わった以上、何も知らぬままでよいとも思えません」
家康が頷いた。
「日本人を兵として雇うことを許したのは、確かに我らよ。されど、その者らへ島民を殺せと命じたのは我らではない」
「それらを一つの罪として混ぜることはできぬ。だが、無関係として目を閉じることもできまい」
家光が、問題を整理する。
「まず、オランダがバンダで何をしたか」
「次に、日本人兵が現地で何を命じられたか」
「最後に、幕府が今後、日本人の海外雇用をどのように扱うか」
「この三つは、別々に確かめるべきだ」
俺は、思いついた対応を口にした。
「オランダへ、正式に抗議しますか?」
家康が首を振る。
「日本とバンダ諸島に、同盟や保護の関係はない。日本が島の主へ代わってオランダを裁く根拠もなかろう」
「何より、現在の資料だけでは、事件の全容を確定できぬ」
「では、交易を止めますか?」
秀忠が否定した。
「交易を止めたところで、死んだ者が戻るわけではない。国内の商いを害し、オランダとの関係を悪化させるだけならば、何のための処置か分からぬ」
「参加した日本人兵を、呼び戻すことは?」
正純が答える。
「すでに南方各地へ配置されており、誰がどこにいるかも分かれております。一度に呼び戻すことは困難にございます」
「帰国した者を処罰するのも難しいでしょう」
崇伝が続けた。
「海外で外国の指揮官に従い戦ったことを、現在の日本の法で何の罪として裁くのかが定まっておりませぬ。個々の者が、戦の中で何を行ったのかを証明する記録も足りません」
結局、今からバンダ諸島で起きたことへ介入する手段はなかった。
家康が俺を見る。
「忠長。知ったからといって、全てへ手を伸ばすのは政ではない」
「届く範囲と、届かぬ範囲を見分けるのも、政を行う者の務めよ」
俺は納得しきれなかったが、反論もできなかった。
◆
幕府の決定は、限定的なものとなった。
VOCへの正式抗議は行わない。
交易も停止しない。
バンダ諸島への介入も、日本人傭兵への一律処罰も行わない。
一方で、今後オランダ商館が日本人を兵として雇い、海外へ連れ出す場合は、
雇用する人数。
本人の名と出身地。
雇用主。
向かう地域。
契約上の主な任務。
契約期間。
生存、死亡、帰国の状況。
それらを平戸へ届け出させることになった。
また、過去に送り出した日本人兵についても、可能な範囲で名簿と配置先を照会する。
「今後、日本人を兵として連れ出すならば、どこへ連れていき、何をさせるつもりなのかを届けさせよ」
秀忠が命じた。
「幕府が一つ一つの戦を指図するわけではない。だが、何も記録しないまま、人だけを異国へ送り出すことは許さぬ」
これでバンダの人々が救われるわけではない。
今後、同じような事件が起きないと保証できるわけでもない。
ただ、少なくとも俺たちは、自分たちが許可した兵がどこへ消えたのかすら知らない状態を、そのままにはしないことにした。
◆
オランダ側の商況報告を、日本側の帳面へ転記する段階になった。
記録役が、筆でこう書こうとする。
『バンダ諸島、平定。交易安定』
「待ってください」
俺は、その筆を止めた。
「それだけでは駄目です」
俺は、確認できた範囲を分けて記録させた。
『オランダ東インド会社、武力によりバンダ諸島を制圧す』
『現地住民、多数死亡、逃散、拘束および移送されたとの報告あり』
『旧住民減少の後、外部より労働者を導入し、ナツメグ生産を再編す』
『日本人傭兵、VOC軍へ参加。日本側の許可を受けて渡航した者を含む。現地での具体的任務は未確認』
そして最後に、
『オランダ側は、これを平定および交易安定と報告す』
と書かせた。
オランダ側の表現を消すつもりはない。
だが、それを幕府が確認した客観的事実として記録するつもりもなかった。
使者を再び呼び、俺は伝えた。
「交易が安定するという報告は、確かに受け取りました」
「ですが日本側の記録では、島の住民が多数死亡し、逃散し、拘束や移送を受けたという内容も併記します」
使者は警戒した表情を見せた。
「それは、我らの報告を疑うということでございますか」
「あなた方の報告を消すつもりはありません」
俺は答えた。
「ですが、あなた方が『平定』と呼ぶことと、その島で何が起きたのかは、同じ一行にはできません」
使者は納得した様子ではなかった。
それでも幕府が交易停止や処罰を求めているわけではないと分かると、日本人兵の名簿と配置先についてバタヴィアへ照会すると約束した。
◆
会議が終わった後。
俺は、修正された記録の帳面を見つめた。
「結局、俺たちは何もしていないんですね」
『ええ。バンダの人たちは、誰も救えていないわ』
「記録を直して、次から帳面を増やしただけです」
『そうね。それを大きな善行みたいに考えないことね』
KAMI様は淡々と続けた。
『でも、できなかったことを、できたことにする必要もないわ』
『平和になったんじゃない。会社へ抵抗できる人間がいなくなるまで、島を壊したのよ』
『止められなかったとしても、その二つを同じ言葉で残す必要はないでしょう』
俺は、
『平定および交易安定』
というオランダ側の言葉と、
『住民多数死亡、逃散、拘束および移送』
という追記を見比べた。
俺たちは、誰も救っていない。
だが、せめて起きたことを、勝者にとって都合のよい一行だけへ押し込めることはしなかった。
◆
机の上には、オランダ側から以前に納められたナツメグが置かれていた。
小さく、硬く、乾いた実。
薬としても、香辛料としても高値で取引される品だ。
俺は、その一粒を手に取った。
「こんな小さな実のために……」
『違うわ。実のためじゃない』
KAMI様が訂正する。
『その実を、誰が、いくらで、誰に売るか。それを独占するためよ』
俺は、最初に聞いた報告を思い出した。
香辛料の島が、平和になった。
確かに戦闘は終わったのだろう。
VOCへ武器を持って抵抗する者も減った。
他国の商人へ自由にナツメグを売る島民もいなくなった。
農園は外部から連れてこられた労働者によって再編され、やがて香辛料は再び船へ積まれる。
オランダ東インド会社にとっては、平和になったのだろう。
平和になった。
オランダから届いた報告には、確かにそう書かれていた。
ただし。
その平和が訪れた島に、以前からそこで暮らしていた人々が、どれほど残っているのかだけは――どこにも書かれていなかった。
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