暴君忠長に転生したので、兄上のために日本列島をメンテします 〜SFチートのはずが、田んぼと水路と寺社ノードの保守係なんですが〜   作:パラレル・ゲーマー

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第14話 初収穫、竹千代様御試み田法の勝利

 あれから、さらにひと月半が過ぎた。

 

 空の高さが変わり、風の匂いが変わり、季節は盛夏から秋へと確かに歩みを進めていた。

 

 青く波打っていた御料地の田は、いつしか眩しい黄金色へと姿を変え、吹き抜ける風のたびに、重く垂れ下がった稲穂が「ざわざわ」と乾いた、豊かな音を立てるようになっていた。

 

 このひと月半、決して平穏無事だったわけではない。

 

 空を覆うほどの夕立は何度か来た。

 

 虫害の兆しも出た。

 

 あまりに穂が重くなりすぎたため、強風に煽られて実際に倒れかけた稲の束もあった。

 

 だが、その度に、事前のマニュアルによる水尻の解放、目視での虫の早期捕殺、そして村人たちによる懸命な稲の引き起こしと泥落としが徹底され、致命的な損害はことごとく防がれた。

 

 奇跡的に無傷だったわけではない。

 

 記録と、手順と、泥にまみれた人間の手によって、田は持ちこたえたのだ。

 

 そして今日。

 

 ついに、刈り入れの日がやって来た。

 

「……米だ」

 

 俺は畔に立ち尽くし、黄金色に輝く田の面を見つめながら、ただ一言だけ呟いた。

 

 現代人として、白米も、秋の田んぼの風景も、当たり前のように知っていたはずだった。

 

 だが、自分が塩水で種を選び、列を揃えて植えさせ、水札で水位を管理し、草祓い車を投入し、倒伏に怯えながら見守ってきたこの稲穂たちは、全く別次元の「重み」を持って見えた。

 

(米は、スーパーのビニール袋に最初から入っているものじゃない。田んぼで、これだけの泥と水と、気の遠くなるような人の手間を吸い込んで、ようやくこうやって頭を垂れるものだったんだな……)

 

 俺が静かな感動に浸っていると、横から与平の低く、容赦のない声が響いた。

 

「若君様。お気持ちは分かりますが、まだ喜ぶには早うございます」

 

「……与平、お前は本当に、俺の感動と慢心を毎回的確にへし折るよな」

 

「田が相手でございますゆえ。そして、まだ米ではございませぬ」

 

 与平は、黄金色の稲穂を一つ手に取り、その重みを確かめるように言った。

 

「刈り取っただけでも、まだ稲に過ぎませぬ。干して、扱いて、籾として揃え、蔵に納まり、人の腹を満たして、初めて米にございます」

 

「……徹底してるな」

 

「田というものは、最後の最後まで気を抜いた者から順に泣かせまする。……さあ、始めましょうぞ!」

 

 与平の掛け声とともに、村人たちが鎌を手に田へと入っていった。

 

     *

 

 刈り取りは、これまで育ててきた試験区画ごとに、決して混ざらないよう厳密に行われた。

 

「甲区画、刈り取り開始! 人足六名、刻を記録いたします!」

 

 半兵衛が、帳面を抱えながら大きな声で宣言する。

 

「ここまで来ると、完全に現代の農業試験場だな」

 

「はい。若君の御試みは、この田を丸ごと使った、巨大な実験にございますゆえ」

 

「その言い方、嫌いじゃないぞ、半兵衛」

 

 刈り取りの段階で、すでに区画ごとの明確な差が見て取れた。

 

 従来法の『甲』区画は、株の高さがばらつき、倒れかけた部分も散見されるため、どうしても鎌を入れるのに手間取っている。

 

 対して、正条植えを取り入れた『丙』以上の区画は、人が歩く動線が明確なため、刈り取る速度が明らかに早かった。

 

「やはり、全部入りの『己』が一番良いな。穂の重さも段違いだ。……ただ、一番倒れかけて危なかったのも『己』だったが」

 

「よく育った田ほど、手を抜けませぬ。若君様の仰った、事前のお手当ての手順がなければ、一番泣きを見ていたのはあの区画にございましょう」

 

 与平の言葉に、俺は深く頷いた。

 

     *

 

 刈り取った稲は、区画ごとに別の束にし、竹札を付けて天日干しにされた。

 

 数日間、天気とにらめっこをしながら乾きを待つ。

 

 雨の気配があれば覆いをかけ、晴れれば風を通す。

 

 十分に乾いたところで、今度は二本の竹で穂を挟む扱き箸を使い、一束ずつ丁寧にしごいて籾を落としていく。

 

「米って、刈った後もまだ人間をこんなに働かせるのか」

 

「だからこそ、米は尊いのでございます」

 

 与平は額の汗を拭いながら、誇らしげに笑った。

 

 俺は、延々と続く扱き作業を見つめながら、心の中で呻いた。

 

(櫛のような歯で一気に穂をしごく道具があれば楽になるんだろうが……今はまだ駄目だ。草祓い車だけで鉄だの山だの貿易だのに話が飛んだんだ。脱穀具まで始めたら、また別の地獄が開く)

 

 そして、ついに。

 

 全ての工程を終え、区画ごとに条件を完全に揃えた「籾」の計量の日が来た。

 

 俺も、半兵衛も、かつてないほどの緊張に包まれていた。

 

「量る条件を揃えないと意味がないからな。濡れて水分で重いだけの籾を、収量が増えたとは言えない。同じ面積、同じ乾燥状態、こぼれた未熟粒は別にして比較するんだ」

 

「心得ております。全て同じ条件に整え、升で厳密に量っております」

 

 半兵衛は、普段の冷静さを欠くほどに目をギラギラさせて、枡のすりきり棒を握っていた。

 

     *

 

 一刻後。

 

 半兵衛が、震える声で報告書を読み上げた。

 

「結果が出ました。……従来法である『甲』の収量を百とした場合」

 

 俺は息を呑んだ。

 

 与平も村人たちも、固唾をのんで半兵衛を見つめている。

 

「塩水選のみの『乙』は、百七。正条植えのみの『丙』は、百九。塩水と正条を合わせた『丁』は、百十八。水札管理を加えた『戊』は、百二十三。そして……」

 

 半兵衛は、大きく息を吸い込んだ。

 

「全部入りの『己』の区画は……百二十七にございます!!」

 

 俺は、その場で完全に固まった。

 

「……二割七分増?」

 

「はい! 同じ広さの田から、乾いた籾で、二割七分ほど多く取れております!」

 

 俺の心臓が、早鐘のように打ち鳴り始めた。

 

(倍増、なんていう魔法みたいな数字じゃない。でも……江戸初期のこの時代に、同じ土地から二割七分も多く米が取れる? これが国単位で広まれば、それだけで徳川幕府の歴史がひっくり返るとんでもない大増産だぞ!)

 

 さらに半兵衛は、収量だけでなく「労力」の数字も読み上げた。

 

「また、草取りに要した刻は、己区画では甲に比べて二割近く短縮。刈り取りも早く済みました。……ただし、草祓い車の手入れ、水路に流れた浮草の回収、水札の記録管理など、新たな手間も発生しております」

 

「つまり、労働そのものが完全に消えて無くなったわけじゃない。労働の『性質』が変わったんだな」

 

「はい。腰を折って泥に這いつくばる苦しみは減りました。されど、水を記録し、草を集め、道具を直すという『管理の手間』は増えました」

 

 与平の補足に、俺はあの夜、KAMI様が笑いながら告げた言葉を思い出していた。

 

(問題は消えるんじゃない。より高度な形に変わるだけ……か)

 

     *

 

「やった……! やったぞおぉぉ!」

 

 村人たちが、積み上げられた籾の山を見て、泣きながら抱き合い始めた。

 

「これなら、今年は誰も飢えずに済む! 来年の種籾も十分に残せる!」

 

 だが、その歓喜の渦の中で。

 

 ふと、一人の年配の百姓が、青ざめた顔でぽつりと漏らした。

 

「……待て。これほど多く取れると公儀に知られれば……来年からの年貢が、一気に跳ね上がるのでは……?」

 

 その一言で、場が水を打ったように静まり返った。

 

 百姓にとって、「収穫が増えること」は手放しで喜べることではない。

 

 増えた分だけ年貢として搾り取られれば、結局自分たちの手元には何も残らず、ただ労働のノルマだけが上がってしまうのだ。

 

「……それは駄目だ」

 

 俺は、静まり返った村人たちに向かって、はっきりと、強い声で宣言した。

 

「この結果を、そのまま年貢の引き上げに直結させるような真似は、絶対に許さない」

 

 与平が、驚いたように顔を上げた。

 

「若君様……」

 

「これは、まだ初年の試験に過ぎない。しかも御料地のほんの一部だ。この数字を見てすぐに年貢を増やせば、百姓は皆、二度と新しい技術を試そうとせず、隠すようになる。村が疲弊すれば、田はいずれ荒れる」

 

 俺は、積み上げられた籾を指差した。

 

「増えた分は、まず来年のための良き種籾とし、草祓い車などの道具の修理に当て、不測の飢饉への備えとし、そして何より、この泥の中で働いた村の者たちの腹を満たすために使うべきだ。それができなければ、御試みそのものが潰れる」

 

 俺の言葉に、与平が、そして村人全員が、声もなくその場に深く、深く平伏した。

 

 ただの豊作への喜びではない。

 

 彼らの命の根源である「米の分配」にまで踏み込んで守ろうとする俺の姿勢に、彼らは圧倒的な感謝を捧げていた。

 

(……やばい。この発言は、完全に政治マターだ。絶対に、兄上に先回りして報告して、方針を固めてもらわなきゃ駄目なやつだ)

 

     *

 

 俺はすぐさま、人目のない場所へ移動し、通話札を握りしめた。

 

「兄上。国松です。……御試み田法、初年の収量が出ました」

 

『……聞こう』

 

 木札の向こうから、竹千代の静かな、しかし確かな緊張をはらんだ声が響く。

 

「従来区画を百とした場合、全部入りの己区画は百二十七。……同じ広さの田から、およそ二割七分増の籾が取れました」

 

 長い、長い沈黙が落ちた。

 

 やがて、竹千代の声が、先ほどとは全く違う、ひどく低く、重い響きを持って返ってきた。

 

『……もう一度言え』

 

「同じ広さの田で、二割七分ほど多く取れました」

 

 再びの沈黙。

 

 そして、竹千代は息を吐くように言った。

 

『国松。……それは、もう遊びではないな』

 

「はい。子供の泥遊びでは、なくなりました」

 

『これは、私とお前だけで抱えきれる話ではない。大御所様と、父上に正式に報告する』

 

「やはり、そうなりますか」

 

『なる。……だが、その前に一つ確認するぞ』

 

 竹千代の声が、為政者の刃のように鋭くなった。

 

『お前は、この増えた収量を、すぐに年貢に反映させるつもりはあるか?』

 

「ありません。絶対に駄目です」

 

 俺は即答した。

 

『理由は』

 

「増えた分をすぐ取り上げれば、百姓は技術を隠し、試さなくなります。来年以降の種籾や、新しい道具を作る余力も失われます。初年度の結果だけで年貢を増やせば、この御試みはここで死にます」

 

『……よく分かっている』

 

「兄上に、また怒られたくないので」

 

『それでよい』

 

 竹千代の声に、明確な安堵と、弟の成長を喜ぶような響きが混ざった。

 

『正式な報告では、単なる収量増の数字だけを上げるな。必要な条件を必ず添えよ。塩水で選び、列を揃え、水を記録し、道具を整え、現場の百姓と職人が協力したこと。これらが一つでも欠ければ、同じ結果は出ないと明記するのだ』

 

「はい」

 

『そして、初年の増収分はすぐには年貢に算入せず、種籾、道具の補修、井戸や水路の整備、そして飢饉の備えへ回す余地を残すよう、私から大御所様に申し入れる』

 

「兄上……!」

 

 俺は、兄の政治家としての器の大きさに感動していた。

 

『お前が泥にまみれて作ったものを、目先の米欲しさで取り上げるだけで潰すほど、私は愚かではない』

 

「かっこいい……」

 

『声に出ているぞ』

 

「申し訳ございません」

 

     *

 

 通話を終え、一息ついた俺の端末がブルッと震えた。

 

『KAMI:おめでとう。初年度で二割七分増なら、上出来じゃない』

 

「……お前が素直に褒めるなんて珍しいな」

 

『KAMI:数字としてはね。……でも、ここからが本当の地獄よ』

 

「……知ってた」

 

『KAMI:増えた米を誰が持つか。増えた米を何に使うか。この技術を他の村へどう広げるか。失敗した村をどう救済するか。目先の米欲しさに年貢を上げようとする役人をどう抑え込むか。農具用の鉄をどこから持ってくるか。水利が変わって下流が怒り出さないか。……ね? やること、いーっぱいあるわよ?』

 

「嬉しいはずなのに、胃が痛い」

 

『KAMI:発展ってそういうものよ。増えた米は、奇跡にもなるけど、扱いを間違えればあっという間に地獄の火種になるわ』

 

     *

 

 翌日。

 

 半兵衛が、正式な報告書の草案を持ってきた。

 

「若君。表題はこちらでよろしいでしょうか」

 

『国松様御田法、初年成果之覚』

 

「やめろ!!」

 

「では、『水神様御田法』……」

 

「悪化したわ!!」

 

「では、『竹千代様御試み田法、国松様御助力之覚』……」

 

「長い! そして『国松様御助力』も要らない! 兄上の名を前に出せ! 俺は後ろ! なるべく小さく!」

 

 すったもんだの末、最終案はこうなった。

 

『竹千代様御試み田法 初年中間并収穫覚』

 

「よし、これでいい」

 

 俺が頷くと、半兵衛は小さく、欄外の端の端に『国松様御案』と書き添えた。

 

「見えてるぞ、半兵衛!」

 

     *

 

 数日後。

 

 竹千代からの通話札が鳴った。

 

『国松。大御所様と父上に報告する日が決まった。半兵衛の帳面、与平の証言、各区画で取れた籾の見本、そして草祓い車を用意せよ』

 

「はい、兄上」

 

『これは、もはや単なる田んぼの報告ではない。徳川の政の話になる』

 

「……やっぱり、田んぼだけで終わりませんでしたね」

 

『お前の田んぼは、最初から天下の米に繋がっているのだ』

 

「私はただ、兄上のために田んぼのメンテをしただけなんですが」

 

『……だからこそ、天下に届くのだ』

 

 通話が切れ、俺は一人、高く積み上げられた籾袋の山を見つめていた。

 

「収穫は終わった。……だが、これが『米』という価値になった瞬間、それは村の問題から、幕府の問題に変わった」

 

 黄金色の籾が、秋の柔らかな光を受けて静かに輝いている。

 

「……米って、政治なんだな」

 

 俺の呟きは、秋風に乗ってどこまでも広がる、黄金の田んぼへと溶けていった。




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