暴君忠長に転生したので、兄上のために日本列島をメンテします 〜SFチートのはずが、田んぼと水路と寺社ノードの保守係なんですが〜 作:パラレル・ゲーマー
元和七年、晩秋。
バンダ諸島から届いた、ひどく後味の悪い報告を処理してから、しばらく経った頃。
長崎奉行から、御異物改方の俺――徳川忠長の元へ、小さな木箱が一つ届けられた。
添え状には、簡潔にこう記されていた。
『南蛮医所持・寒暖を量る玻璃器』
「……寒暖を、量る?」
俺は、その言葉に引っかかりながら木箱を開けた。
中に入っていたのは、驚くほど単純な構造の道具だった。
卵ほどの大きさの、透明な丸い玻璃の球。
そこから、細長い玻璃の管が一本だけ伸びている。
その管の先が、色を付けた水を入れた小さな器へ浸るように、簡素な木製の台へ固定されていた。
電池もない。
歯車もない。
振り子もない。
現代の温度計のような細かな目盛りすら、ほとんど書かれていない。
俺の第一声は、極めて素直なものだった。
「……なにこれ?」
◆
長崎から来た日本人医師が、うやうやしく実演を始めた。
「忠長様。まず、この上部の丸き玻璃の球を、しばらく両手にて包み込みます」
医師は玻璃球を両手で握り、しばらく自分の体温で温めた。
やがて、管の先から色水の中へ小さな泡が漏れ始める。
ぷく。
ぷくぷく。
「お?」
俺が身を乗り出す。
医師はそこで手を離した。
しばらく待つ。
すると。
スル……。
スルルルル……。
今度は色の付いた水が、細い玻璃管の中を、まるで生き物のように上へ吸い上げられていった。
「おお……っ!?」
同席していた御異物改方の役人たちが、一斉にざわめいた。
「水が……上へ登っていくぞ」
「不思議な。誰も汲み上げておらぬというのに」
誰も紐で引っ張っていない。
水車もない。
管の中へ水を注いだわけでもない。
にもかかわらず、手を離した後に水が上へ登っていく。
本多正純が、無言のまま目を細めて器具を凝視する。
家光兄上も、玻璃管と水面を不思議そうに交互に覗き込んでいた。
俺も、本気で意味が分からなかった。
「……え、なにこれ? 妖術? それとも本当に奇物?」
すると家光兄上が、ふと何かを思い出したように言った。
「忠長。以前、空気を筒の中へ急に押し縮めることで火を起こす道具があったな」
「あ」
火熾し筒。
空気を急激に圧縮すると熱を持ち、その熱で火口を発火させるという、あの妙に精密な南方由来の道具だ。
「はい。ありましたね」
「これも、空気が何かしているのではないか?」
「……なるほど」
以前なら、完全に妖術としか思えなかった現象だ。
だが俺たちは、すでに一度。
『空気にも、人の知らぬ性質がある』
ということを、火熾し筒から教えられていた。
俺はこっそり、脳内でKAMI様へ助けを求めた。
「KAMI様。正解は?」
『温度計の原型ね』
KAMI様は、何でもないことのように答えた。
「温度計?」
『正確には、サーモスコープと呼ばれるものよ。ガリレオ・ガリレイが作ったものが有名だけど、それと似た原理の器具ね』
「ガリレオ……」
『ちなみに、後世に“ガリレオ温度計”って呼ばれる、色の付いた浮き玉が液体の中を上下するお洒落なやつとは別物よ。名前が紛らわしいけど、こっちはもっと原始的』
「ああ。あれとは違うんですね」
『仕組みは単純よ。玻璃球の中に入っている空気は、温めると膨らむ。最初に手で球を温めた時、膨らんだ空気の一部が管から外へ押し出されるでしょう?』
『その後で手を離すと、中の空気が冷えて縮む。すると管の中の圧力が下がるから、外の空気に押された水が管の中へ上がってくるの』
俺は目をぱちくりさせた。
「……それだけ?」
『それだけ』
「奇物じゃない?」
『全然。ただの物理現象』
「へえ……」
『構造そのものは単純でしょう? 必要な形の玻璃さえ用意できれば、この時代でも作れる。サントーリオっていうイタリアの医者も、この頃には似たような器具を人の熱を見るために使っているわ』
『だから、長崎の南蛮医が南蛮船経由で一つ持っていても、不思議じゃないわよ』
「へー……!」
俺は、思わず声を上げて感心した。
久しぶりに、世界史を揺るがす大事件でもない。
異星文明の遺物でもない。
神仏の呪いでもない。
ただの人間が、この世に元からある理を利用して作った、純粋に面白い道具だった。
それが、少しだけ嬉しかった。
◆
とはいえ、
『KAMI様が物理現象だと言ったから、はい終了』
で終わらせるわけにはいかない。
御異物改方には、御異物改方の仕事がある。
俺は、人目につかないよう端末を確認した。
『異星文明由来反応:なし』
『神仏ノード接続反応:なし』
『異常因果反応:なし』
構成されているのは、玻璃と、水と、空気だけ。
俺は満足げに頷いた。
「よし。では、これが本当に人の生気や妖術ではなく、暖かさと冷たさだけで動くのか、実際に確かめましょう」
「また始まりましたな」
正純が言う。
「またとは何ですか」
「御異物改方らしくなってきた、という意味にございます」
「ならいいです」
まずは、人による違いを確かめる。
家康。
秀忠。
家光。
俺。
正純。
通詞。
長崎の医師。
一人ずつ、同じ玻璃球へ手を添えてみた。
手を当てる。
水位が少し下がる。
手を離す。
しばらくすると、また上がってくる。
だが、下がる量も、元へ戻る速さも、人によって微妙に違った。
「ほう。大御所様がお触りになった時より、忠長様の方が大きく動いておりますな」
「……む。わしの手が冷たいということか?」
「いや、若君の方が長く触れておられたのでは?」
「握り方も違いまする」
「待て。今の者は玻璃球を両手で包んだが、その前の者は片手だったぞ」
すぐに条件がぐちゃぐちゃになった。
「ちょっと待ってください! 一人ずつ! 触る時間も、触り方も揃えますから!」
俺の号令で、御異物改方恒例の、
『不思議な物を囲んで、ひたすら条件を揃える地味な作業』
が始まった。
◆
次は、人間以外で試す。
人の生気や魂に反応している可能性を消すためだ。
湯を入れた椀。
冷たい水。
火鉢。
日なた。
日陰。
温めた石。
そして、永冷石箱から出したばかりの冷えた水。
結果は明確だった。
人間が全く触れなくても、玻璃の中の水位は動いた。
火鉢へ近づけて球の中の空気を温めれば、水位は下がる。
冷たい水へ近づければ、しばらくして水位は上がる。
家光兄上が頷いた。
「やはり、人ではないのだな」
「ええ」
「以前の火熾し筒は、空気を押し縮めることで熱を生じさせた。これは逆に、空気が温められたことで膨らみ、水を動かしているということか」
「たぶん、それで合っています」
俺はKAMI様へ確認する。
『正解』
短い。
だが、十分だった。
同席していた江戸城の医師たちは、すっかり玻璃器へ夢中になっていた。
当然、この時代の医者だって、病人に熱があるかどうかを何も分からず診ているわけではない。
額へ手を当てる。
脈を見る。
汗を見る。
顔色を見る。
寒気を訴えるか確認する。
長年の経験から、熱病の状態をかなり細かく判断している。
だが、この器具には、それとは少し違う価値があった。
医師の一人が、水位を示しながら呟く。
「……人の手が『熱い』と感じたかどうかではなく、玻璃の中の水が、どれほど動いたかとして残るのですな」
長崎から来た医師も頷いた。
「左様にございます。同じ者を繰り返し見れば、前より暖かいか、冷えているか、その変化を目で比べる助けとなりまする」
「ああ……なるほど」
俺も頷いた。
大革命というほどではない。
だが、
『暖かい』
『冷たい』
という人間の感覚を、
『水がどれだけ動いた』
という、他人にも見える現象へ変える。
それだけでも、十分面白い道具だった。
◆
俺は玻璃管を眺めながら、ごく自然な現代人の発想を口にした。
「……これ。この管の横に線を引けばいいんじゃないですか?」
全員が俺を見る。
「水がここまで来たら一。ここなら二。ここなら三、と決めておけば、誰が見ても分かりやすいでしょう?」
『そうね』
「それなら、立派な温度計になるじゃないですか」
『まあ、そこで人類は何十年も苦労するんだけどね』
「……え?」
KAMI様の不吉な言葉に、俺は首を傾げた。
とりあえず、御異物改方の職人へ命じて、玻璃管の後ろへ細長い木札を置かせた。
等間隔に線を引く。
一。
二。
三。
四。
五。
まず器具を同じ部屋へ置いておく。
水位が落ち着いたところで、その位置を確認。
次に一定量の湯へ近づける。
水位が動く。
数字を書く。
次に冷たい水へ近づける。
また数字を書く。
「ほら。簡単じゃないですか」
俺は、少し得意げに胸を張った。
ところが。
最初に水を入れた器の深さを少し変えただけで、基準となる水位がずれた。
管の先を水へ浸す深さを変えても、位置が変わる。
部屋を移動させてしばらく置いておくだけでも、また違う位置へ動く。
「…………」
『KAMI:だから言ったでしょう』
「まだ何も言われてませんが」
『KAMI:気持ちの上では言ったわ』
「ずるい」
数字を付けること自体は簡単だ。
だが、
『一とは何か』
『二とは何か』
を、別の日、別の場所、別の器具でも同じにするのは、全く別の問題だった。
◆
「ならば、同じ物をもう一つ作れば比べられるのではないか」
秀忠の言葉で、日本側でも複製を試してみることになった。
俺は、玻璃や玉細工に通じた職人たちへ現物を見せた。
「これと、同じ形の物を作れますか?」
職人たちは、長いこと黙って玻璃球と細い管を観察した。
やがて、一人が慎重に答える。
「……木の台や、水を入れる器ならば、すぐにも」
「そこじゃないです」
「この丸き玻璃も、似た形までならば工夫の余地はございましょう。されど……」
職人は、細長い管を指差した。
「これほど細く、長く、内側まで均一な玻璃管を、同じ太さで何本も作れと申されますと……」
言葉が止まった。
「あ、難しい?」
「難しい、というより……まず、その作り方から試す必要がございます」
「ですよねー……」
『KAMI:原理は簡単って言ったでしょう?』
「誰でも作れるって」
『KAMI:必要な形のガラスが用意できれば、ね』
「そこが一番難しいじゃないですか!」
『KAMI:仕様書は最後まで読みましょう』
「詐欺だ!」
結局、国内で一気に同型器具を量産する案は消えた。
長崎へ、
『同様の細い玻璃管、ならびに類似器具があれば追加で入手すべし』
と指示を出す。
日本側の職人には、無理に完成品を量産させず、
『細く長い玻璃管を、どこまで一定に作れるか』
という試作だけ続けてもらうことになった。
形を知っていることと。
同じ性能の物を何十個も作れることは。
やっぱり、まるで違う話なのだ。
◆
さらに医師の一人が、
「ならば、実際に熱病の者へ用いてみてはいかがでしょう」
と提案した。
さすがに重病人を実験台にはできない。
そこで、軽い風邪をひいて療養中だった小者に事情を説明し、本人の了承を得て試してみることにした。
まず器具を部屋へ置いて、水位が落ち着くまで待つ。
その位置を木札へ記す。
そこから小者に、砂時計で決めた時間だけ、同じように玻璃球へ両手を添えてもらう。
水位が下がった。
「おお……」
健康な者に同じ条件で触れてもらった場合より、少し大きく動いた。
医師たちが目を輝かせる。
「やはり熱病の者は――」
ところが。
別の日。
今度は、明らかに熱のある別の病人で試したところ。
水位が、思ったほど動かなかった。
「……あれ?」
俺が首を傾げる。
患者本人は布団の中で震えていた。
「寒い……寒い……」
医師が手を取る。
「若君。この者、身体の内には熱がございますが、手先はかなり冷えております」
「あ」
俺も触ってみる。
確かに冷たい。
「……悪寒か」
『KAMI:発熱しているからって、手足の表面まで必ず熱くなるわけじゃないわよ』
「ですよね……」
医師たちは、むしろ納得したようだった。
「これは、病そのものを量る器ではありませぬな」
「はい」
「触れた場所の暖かさを見る助けにはなる。されど、それだけで熱病の軽重を決めるのは危うい」
「そうしましょう」
ここで、
『温度計を作ったので、今日から病気が正確に分かります』
とはならなかった。
医師の診察を補う。
同じ患者の変化を見る材料の一つにする。
現時点では、それが限界だった。
◆
そして翌日。
さらに別の問題が発覚した。
昨日、健康な役人へ触らせる前に、
『元』
として記録した水位。
それが、今日は何もしない状態ですでに違う場所にあったのだ。
「……誰か触りました?」
「誰も触れておりませぬ」
「火鉢は?」
「昨日と同じ場所にございます」
「部屋を変えた?」
「変えておりませぬ」
「じゃあ、なんで?」
試しに器具を、
日当たりのよい部屋。
北向きの部屋。
廊下。
庭先。
へ移動させてみる。
全部、水の位置が変わる。
晴れの日と雨の日でも、どうやら微妙に違う。
「……これ、人の熱だけ見てるんじゃないですよね?」
『もちろん』
「もちろん!?」
『この型は、管の先が外の水へ開いているでしょう? だから水位は温度だけじゃなくて、外の空気の圧力にも影響されるのよ』
「……気圧まで混ざってるんですか」
『ええ。だから“完成した温度計”じゃなくて、まだサーモスコープなの。純粋に温度だけを測れる器具へ進むには、もう少し工夫が要るわ』
俺は天を仰いだ。
「ここから気圧計まで作ろうとは言いませんからね」
『誰も頼んでないわ』
「念のためです」
俺は皆へ向き直った。
「どうやら、この器は暖かさだけでなく、部屋や天候によっても水の位置が変わるようです」
「では、昨日と今日で同じ数字であっても、同じ暖かさとは限らぬということか」
秀忠が眉をひそめる。
「たぶん、そうなります」
「ならば、医の器としては使えぬか」
誰かが落胆したように呟いた。
だが。
家光兄上は、しばらく玻璃管を見つめた後、言った。
「……待て」
「はい?」
「昨日と今日で、最初の水の位置が同じである必要はないのではないか?」
俺は兄上を見る。
「どういうことです?」
「測る前に、その時の水の位置を記せばよい」
家光兄上は、木札を指差した。
「まず、器を同じ部屋へ置いて馴染ませる。その時の水の位置を、その都度『元』とする」
「はい」
「そこから同じ者が、同じように、同じ刻だけ触れる」
兄上の指が、木札の上を少し移動する。
「見るべきは、水がどこにあるかではない」
「……あ」
「『元から、どれほど動いたか』を比べるのだ」
俺は固まった。
その考え方には、覚えがあった。
昔。
まだ温度計も濃度計もなく、種籾を選ぶ塩水の濃さすらまともに測れず、俺たちは散々苦労した。
結局やったことは、
『水をどれだけ入れたか』
『塩を何杯入れたか』
『その時、卵がどこまで浮いたか』
を全部記録して、次も同じ条件を作ることだった。
絶対の数字が分からない。
なら。
まず、同じ条件と、そこからの変化を記録する。
「……兄上、それです」
「そうか?」
「大正解です」
家光兄上が、少しだけ嬉しそうに笑った。
◆
そこから先は、医師と役人たちの領分だった。
「測る前に、器を一定時間、同じ部屋へ置く」
「水位が落ち着いた場所を、その都度『元』として記す」
「触れる手は、左右を定めるべきか」
「まずは両手で統一いたしましょう」
「触れる時間は砂時計で揃える」
「同じ病人を見る時は、なるべく同じ器を使う」
「火鉢や日差しの近くでは測らぬ」
「測った時刻、空模様、部屋も一緒に書き残すべきでは?」
「そこまで書くのですか?」
「天候でも動くと分かった以上、必要であろう」
項目が増える。
手順が増える。
帳面が厚くなる未来が、ものすごい勢いで見えてきた。
俺は正純を見る。
「……また、面倒な手順書が増えますね」
「増えますな」
正純が即答する。
「なんでちょっと嬉しそうなんですか」
「同じ者が同じ方法で行えるようになるのは、良いことにございます」
「理屈では完全に正しいのが腹立つ……」
◆
御異物改方としての最終判定が下された。
『異星文明反応:なし』
『神仏反応:なし』
『異常因果反応:なし』
正式分類は、
『外国由来未普及技術』
俺としては、
「温度計」
と呼びたかった。
だが、
「器によって基準が異なり、同じ数字が同じ寒暖を表すわけでもない物を、『温度を量る器』と呼ぶのはいささか早いのでは」
と指摘される。
ぐうの音も出ない。
崇伝が、
「ならば、『寒暖を見る玻璃』でよろしいでしょう」
とまとめた。
こうして正式名称は、
《寒暖見玻璃》
となった。
もちろん、
『よし、全国の医者へ配れ!』
などという展開にはならない。
同じ物を大量に作れない。
器ごとに動き方が違う。
外の空気や天候にも影響される。
玻璃なので割れる。
病人の身体内部の熱を、そのまま正確に示すわけでもない。
扱いは、
『研究継続』
江戸の御典医と御異物改方で試験を続ける。
長崎の南蛮医にも、引き続き使った時の記録を残してもらう。
同型器具や適した玻璃管が南蛮船で入った場合は、数本を追加で購入する。
国内の職人には、完成品の量産ではなく、まず玻璃加工そのものの試作を続けてもらう。
その程度に留めた。
◆
だが、試験を続けているうちに。
医師以外から、別の使い道が出てきた。
「これは、人へ触れさせずとも、そのまま部屋へ置いておけば、寒暖の移り変わりを見ることができるのでは?」
「あ」
言われてみれば、その通りだった。
正確な温度は分からない。
だが、
『昨日の朝より、水位が高い』
『夕方になって大きく下がった』
という変化なら記録できる。
薬を置く部屋。
種籾を保管する蔵。
永冷石箱の試験室。
そして。
星見公家たちが暗箱写しを使っている天文観測室。
「毎朝、空模様と一緒に水の位置を書いておくくらいなら、できますね」
俺が言うと、公家文書御用の一人が即座に筆を取った。
「では、『晴』『曇』『雨』『風強し』も併記いたしましょう」
「いや、ちょっと待って」
「朝夕二度でございますか?」
「待ってください」
「月ごとに別紙を設けた方が後から比べやすいでしょうな」
「気象庁を作る気はありませんからね!?」
何故かまた、新しい観測帳面が生まれそうになっていた。
◆
会議が終わり。
少し気が緩んだ時のことだった。
珍しい玻璃器に、幕臣たちが次々と興味を示し始めた。
「これへ手を添えればよいのか?」
「ええ、まあ――」
誰かが触る。
玻璃球が温まる。
水位が下がる。
手を離す。
少しずつ水位が戻ってくる。
「ほう」
別の者が触る。
また下がる。
記録担当の役人が、顔色を変えた。
「あっ! お待ちください! いま、その位置を基準として記そうとして――」
さらに別の者が触る。
「あああっ! 触らないでください! いま『元』の位置を記しているところなんです!」
すると。
家康までが、面白そうに手を伸ばした。
玻璃球を両手で包む。
水位が、ゆっくり下がる。
「大御所様まで!!」
役人が半泣きになった。
「いや。儂の手ではどれほど動くか、少し気になってな」
家康が悪びれもせず笑う。
「……父上」
秀忠が呆れたように額を押さえる。
その横で家光兄上まで、
「では私も、もう一度――」
と手を伸ばした。
「兄上まで何してるんですか! さっき散々触ったでしょう!」
「先ほどは時間を揃えておらなんだ」
「そういう問題じゃないです!」
◆
ようやく全員を玻璃器から追い払い。
俺は、元の位置を書き直している役人の横で、その細い管を眺めた。
「……これ。部屋の寒暖を記録する道具なのに、面白がった人が触っただけで記録が全部狂うんですね」
『測定器なんだから、測定中に勝手に触るなって話よ』
「四百年後でも、似たような注意書きありそうですね」
『あるでしょうね』
俺は、水の高さを記した紙を見る。
まだ、温度そのものを正確な数字として示すことはできない。
同じ器具を何十個も揃えることもできない。
天候にまで影響される。
病気を見分ける万能の医療器具でもない。
不完全。
不便。
面倒。
それでも。
今まで、
『暖かい』
『冷たい』
と人間が感じるだけだったものを。
水の動きとして、他人の目にも見えるようにした。
「……まあ。これはこれで、すごい道具か」
『でしょ?』
机の上へ、また新しい帳面が置かれた。
『寒暖見玻璃・比較試験控』
俺は、それをじっと見る。
その隣には、暗箱写しの観測記録や、永冷石箱の試験記録をはじめ、御異物改方がこれまで積み上げてきた紙の束が並んでいた。
「……これ、奇物じゃなかったのに。結局、また俺の仕事だけ増えてません?」
正純が、当然のことのように答える。
「奇物でないと判明したことを、再び奇物として騒がれぬよう正確に残すのも、御異物改方の立派な仕事にございますので」
「……知ってた」
こうして。
人肌で水が動く、不思議な玻璃の器は。
神の奇跡でも。
異星人の技術でも。
妖術でもなく。
ただの人間が、
『暖かさと冷たさを、何とか目で見えるものにしたい』
と工夫して作った、不完全ながらも面白い道具として。
――また一冊。
俺の仕事を、確実に増やしたのだった。
ここまで読んでいただきありがとうございます! もし「面白い」「続きが気になる」と思っていただけましたら、ページ下部より【お気に入り登録】や【評価】、感想などをいただけると執筆の励みになります。 作者のモチベーション上昇に直結しますので、是非ともよろしくお願いします!