暴君忠長に転生したので、兄上のために日本列島をメンテします 〜SFチートのはずが、田んぼと水路と寺社ノードの保守係なんですが〜   作:パラレル・ゲーマー

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第139話 水神様、人肌で水が動く玻璃を預けられる

 元和七年、晩秋。

 

 バンダ諸島から届いた、ひどく後味の悪い報告を処理してから、しばらく経った頃。

 

 長崎奉行から、御異物改方の俺――徳川忠長の元へ、小さな木箱が一つ届けられた。

 

 添え状には、簡潔にこう記されていた。

 

『南蛮医所持・寒暖を量る玻璃器』

 

「……寒暖を、量る?」

 

 俺は、その言葉に引っかかりながら木箱を開けた。

 

 中に入っていたのは、驚くほど単純な構造の道具だった。

 

 卵ほどの大きさの、透明な丸い玻璃の球。

 

 そこから、細長い玻璃の管が一本だけ伸びている。

 

 その管の先が、色を付けた水を入れた小さな器へ浸るように、簡素な木製の台へ固定されていた。

 

 電池もない。

 

 歯車もない。

 

 振り子もない。

 

 現代の温度計のような細かな目盛りすら、ほとんど書かれていない。

 

 俺の第一声は、極めて素直なものだった。

 

「……なにこれ?」

 

     ◆

 

 長崎から来た日本人医師が、うやうやしく実演を始めた。

 

「忠長様。まず、この上部の丸き玻璃の球を、しばらく両手にて包み込みます」

 

 医師は玻璃球を両手で握り、しばらく自分の体温で温めた。

 

 やがて、管の先から色水の中へ小さな泡が漏れ始める。

 

 ぷく。

 

 ぷくぷく。

 

「お?」

 

 俺が身を乗り出す。

 

 医師はそこで手を離した。

 

 しばらく待つ。

 

 すると。

 

 スル……。

 

 スルルルル……。

 

 今度は色の付いた水が、細い玻璃管の中を、まるで生き物のように上へ吸い上げられていった。

 

「おお……っ!?」

 

 同席していた御異物改方の役人たちが、一斉にざわめいた。

 

「水が……上へ登っていくぞ」

 

「不思議な。誰も汲み上げておらぬというのに」

 

 誰も紐で引っ張っていない。

 

 水車もない。

 

 管の中へ水を注いだわけでもない。

 

 にもかかわらず、手を離した後に水が上へ登っていく。

 

 本多正純が、無言のまま目を細めて器具を凝視する。

 

 家光兄上も、玻璃管と水面を不思議そうに交互に覗き込んでいた。

 

 俺も、本気で意味が分からなかった。

 

「……え、なにこれ? 妖術? それとも本当に奇物?」

 

 すると家光兄上が、ふと何かを思い出したように言った。

 

「忠長。以前、空気を筒の中へ急に押し縮めることで火を起こす道具があったな」

 

「あ」

 

 火熾し筒。

 

 空気を急激に圧縮すると熱を持ち、その熱で火口を発火させるという、あの妙に精密な南方由来の道具だ。

 

「はい。ありましたね」

 

「これも、空気が何かしているのではないか?」

 

「……なるほど」

 

 以前なら、完全に妖術としか思えなかった現象だ。

 

 だが俺たちは、すでに一度。

 

『空気にも、人の知らぬ性質がある』

 

 ということを、火熾し筒から教えられていた。

 

 俺はこっそり、脳内でKAMI様へ助けを求めた。

 

「KAMI様。正解は?」

 

『温度計の原型ね』

 

 KAMI様は、何でもないことのように答えた。

 

「温度計?」

 

『正確には、サーモスコープと呼ばれるものよ。ガリレオ・ガリレイが作ったものが有名だけど、それと似た原理の器具ね』

 

「ガリレオ……」

 

『ちなみに、後世に“ガリレオ温度計”って呼ばれる、色の付いた浮き玉が液体の中を上下するお洒落なやつとは別物よ。名前が紛らわしいけど、こっちはもっと原始的』

 

「ああ。あれとは違うんですね」

 

『仕組みは単純よ。玻璃球の中に入っている空気は、温めると膨らむ。最初に手で球を温めた時、膨らんだ空気の一部が管から外へ押し出されるでしょう?』

 

『その後で手を離すと、中の空気が冷えて縮む。すると管の中の圧力が下がるから、外の空気に押された水が管の中へ上がってくるの』

 

 俺は目をぱちくりさせた。

 

「……それだけ?」

 

『それだけ』

 

「奇物じゃない?」

 

『全然。ただの物理現象』

 

「へえ……」

 

『構造そのものは単純でしょう? 必要な形の玻璃さえ用意できれば、この時代でも作れる。サントーリオっていうイタリアの医者も、この頃には似たような器具を人の熱を見るために使っているわ』

 

『だから、長崎の南蛮医が南蛮船経由で一つ持っていても、不思議じゃないわよ』

 

「へー……!」

 

 俺は、思わず声を上げて感心した。

 

 久しぶりに、世界史を揺るがす大事件でもない。

 

 異星文明の遺物でもない。

 

 神仏の呪いでもない。

 

 ただの人間が、この世に元からある理を利用して作った、純粋に面白い道具だった。

 

 それが、少しだけ嬉しかった。

 

     ◆

 

 とはいえ、

 

『KAMI様が物理現象だと言ったから、はい終了』

 

 で終わらせるわけにはいかない。

 

 御異物改方には、御異物改方の仕事がある。

 

 俺は、人目につかないよう端末を確認した。

 

『異星文明由来反応:なし』

 

『神仏ノード接続反応:なし』

 

『異常因果反応:なし』

 

 構成されているのは、玻璃と、水と、空気だけ。

 

 俺は満足げに頷いた。

 

「よし。では、これが本当に人の生気や妖術ではなく、暖かさと冷たさだけで動くのか、実際に確かめましょう」

 

「また始まりましたな」

 

 正純が言う。

 

「またとは何ですか」

 

「御異物改方らしくなってきた、という意味にございます」

 

「ならいいです」

 

 まずは、人による違いを確かめる。

 

 家康。

 

 秀忠。

 

 家光。

 

 俺。

 

 正純。

 

 通詞。

 

 長崎の医師。

 

 一人ずつ、同じ玻璃球へ手を添えてみた。

 

 手を当てる。

 

 水位が少し下がる。

 

 手を離す。

 

 しばらくすると、また上がってくる。

 

 だが、下がる量も、元へ戻る速さも、人によって微妙に違った。

 

「ほう。大御所様がお触りになった時より、忠長様の方が大きく動いておりますな」

 

「……む。わしの手が冷たいということか?」

 

「いや、若君の方が長く触れておられたのでは?」

 

「握り方も違いまする」

 

「待て。今の者は玻璃球を両手で包んだが、その前の者は片手だったぞ」

 

 すぐに条件がぐちゃぐちゃになった。

 

「ちょっと待ってください! 一人ずつ! 触る時間も、触り方も揃えますから!」

 

 俺の号令で、御異物改方恒例の、

 

『不思議な物を囲んで、ひたすら条件を揃える地味な作業』

 

 が始まった。

 

     ◆

 

 次は、人間以外で試す。

 

 人の生気や魂に反応している可能性を消すためだ。

 

 湯を入れた椀。

 

 冷たい水。

 

 火鉢。

 

 日なた。

 

 日陰。

 

 温めた石。

 

 そして、永冷石箱から出したばかりの冷えた水。

 

 結果は明確だった。

 

 人間が全く触れなくても、玻璃の中の水位は動いた。

 

 火鉢へ近づけて球の中の空気を温めれば、水位は下がる。

 

 冷たい水へ近づければ、しばらくして水位は上がる。

 

 家光兄上が頷いた。

 

「やはり、人ではないのだな」

 

「ええ」

 

「以前の火熾し筒は、空気を押し縮めることで熱を生じさせた。これは逆に、空気が温められたことで膨らみ、水を動かしているということか」

 

「たぶん、それで合っています」

 

 俺はKAMI様へ確認する。

 

『正解』

 

 短い。

 

 だが、十分だった。

 

 同席していた江戸城の医師たちは、すっかり玻璃器へ夢中になっていた。

 

 当然、この時代の医者だって、病人に熱があるかどうかを何も分からず診ているわけではない。

 

 額へ手を当てる。

 

 脈を見る。

 

 汗を見る。

 

 顔色を見る。

 

 寒気を訴えるか確認する。

 

 長年の経験から、熱病の状態をかなり細かく判断している。

 

 だが、この器具には、それとは少し違う価値があった。

 

 医師の一人が、水位を示しながら呟く。

 

「……人の手が『熱い』と感じたかどうかではなく、玻璃の中の水が、どれほど動いたかとして残るのですな」

 

 長崎から来た医師も頷いた。

 

「左様にございます。同じ者を繰り返し見れば、前より暖かいか、冷えているか、その変化を目で比べる助けとなりまする」

 

「ああ……なるほど」

 

 俺も頷いた。

 

 大革命というほどではない。

 

 だが、

 

『暖かい』

 

『冷たい』

 

 という人間の感覚を、

 

『水がどれだけ動いた』

 

 という、他人にも見える現象へ変える。

 

 それだけでも、十分面白い道具だった。

 

     ◆

 

 俺は玻璃管を眺めながら、ごく自然な現代人の発想を口にした。

 

「……これ。この管の横に線を引けばいいんじゃないですか?」

 

 全員が俺を見る。

 

「水がここまで来たら一。ここなら二。ここなら三、と決めておけば、誰が見ても分かりやすいでしょう?」

 

『そうね』

 

「それなら、立派な温度計になるじゃないですか」

 

『まあ、そこで人類は何十年も苦労するんだけどね』

 

「……え?」

 

 KAMI様の不吉な言葉に、俺は首を傾げた。

 

 とりあえず、御異物改方の職人へ命じて、玻璃管の後ろへ細長い木札を置かせた。

 

 等間隔に線を引く。

 

 一。

 

 二。

 

 三。

 

 四。

 

 五。

 

 まず器具を同じ部屋へ置いておく。

 

 水位が落ち着いたところで、その位置を確認。

 

 次に一定量の湯へ近づける。

 

 水位が動く。

 

 数字を書く。

 

 次に冷たい水へ近づける。

 

 また数字を書く。

 

「ほら。簡単じゃないですか」

 

 俺は、少し得意げに胸を張った。

 

 ところが。

 

 最初に水を入れた器の深さを少し変えただけで、基準となる水位がずれた。

 

 管の先を水へ浸す深さを変えても、位置が変わる。

 

 部屋を移動させてしばらく置いておくだけでも、また違う位置へ動く。

 

「…………」

 

『KAMI:だから言ったでしょう』

 

「まだ何も言われてませんが」

 

『KAMI:気持ちの上では言ったわ』

 

「ずるい」

 

 数字を付けること自体は簡単だ。

 

 だが、

 

『一とは何か』

 

『二とは何か』

 

 を、別の日、別の場所、別の器具でも同じにするのは、全く別の問題だった。

 

     ◆

 

「ならば、同じ物をもう一つ作れば比べられるのではないか」

 

 秀忠の言葉で、日本側でも複製を試してみることになった。

 

 俺は、玻璃や玉細工に通じた職人たちへ現物を見せた。

 

「これと、同じ形の物を作れますか?」

 

 職人たちは、長いこと黙って玻璃球と細い管を観察した。

 

 やがて、一人が慎重に答える。

 

「……木の台や、水を入れる器ならば、すぐにも」

 

「そこじゃないです」

 

「この丸き玻璃も、似た形までならば工夫の余地はございましょう。されど……」

 

 職人は、細長い管を指差した。

 

「これほど細く、長く、内側まで均一な玻璃管を、同じ太さで何本も作れと申されますと……」

 

 言葉が止まった。

 

「あ、難しい?」

 

「難しい、というより……まず、その作り方から試す必要がございます」

 

「ですよねー……」

 

『KAMI:原理は簡単って言ったでしょう?』

 

「誰でも作れるって」

 

『KAMI:必要な形のガラスが用意できれば、ね』

 

「そこが一番難しいじゃないですか!」

 

『KAMI:仕様書は最後まで読みましょう』

 

「詐欺だ!」

 

 結局、国内で一気に同型器具を量産する案は消えた。

 

 長崎へ、

 

『同様の細い玻璃管、ならびに類似器具があれば追加で入手すべし』

 

 と指示を出す。

 

 日本側の職人には、無理に完成品を量産させず、

 

『細く長い玻璃管を、どこまで一定に作れるか』

 

 という試作だけ続けてもらうことになった。

 

 形を知っていることと。

 

 同じ性能の物を何十個も作れることは。

 

 やっぱり、まるで違う話なのだ。

 

     ◆

 

 さらに医師の一人が、

 

「ならば、実際に熱病の者へ用いてみてはいかがでしょう」

 

 と提案した。

 

 さすがに重病人を実験台にはできない。

 

 そこで、軽い風邪をひいて療養中だった小者に事情を説明し、本人の了承を得て試してみることにした。

 

 まず器具を部屋へ置いて、水位が落ち着くまで待つ。

 

 その位置を木札へ記す。

 

 そこから小者に、砂時計で決めた時間だけ、同じように玻璃球へ両手を添えてもらう。

 

 水位が下がった。

 

「おお……」

 

 健康な者に同じ条件で触れてもらった場合より、少し大きく動いた。

 

 医師たちが目を輝かせる。

 

「やはり熱病の者は――」

 

 ところが。

 

 別の日。

 

 今度は、明らかに熱のある別の病人で試したところ。

 

 水位が、思ったほど動かなかった。

 

「……あれ?」

 

 俺が首を傾げる。

 

 患者本人は布団の中で震えていた。

 

「寒い……寒い……」

 

 医師が手を取る。

 

「若君。この者、身体の内には熱がございますが、手先はかなり冷えております」

 

「あ」

 

 俺も触ってみる。

 

 確かに冷たい。

 

「……悪寒か」

 

『KAMI:発熱しているからって、手足の表面まで必ず熱くなるわけじゃないわよ』

 

「ですよね……」

 

 医師たちは、むしろ納得したようだった。

 

「これは、病そのものを量る器ではありませぬな」

 

「はい」

 

「触れた場所の暖かさを見る助けにはなる。されど、それだけで熱病の軽重を決めるのは危うい」

 

「そうしましょう」

 

 ここで、

 

『温度計を作ったので、今日から病気が正確に分かります』

 

 とはならなかった。

 

 医師の診察を補う。

 

 同じ患者の変化を見る材料の一つにする。

 

 現時点では、それが限界だった。

 

     ◆

 

 そして翌日。

 

 さらに別の問題が発覚した。

 

 昨日、健康な役人へ触らせる前に、

 

『元』

 

 として記録した水位。

 

 それが、今日は何もしない状態ですでに違う場所にあったのだ。

 

「……誰か触りました?」

 

「誰も触れておりませぬ」

 

「火鉢は?」

 

「昨日と同じ場所にございます」

 

「部屋を変えた?」

 

「変えておりませぬ」

 

「じゃあ、なんで?」

 

 試しに器具を、

 

 日当たりのよい部屋。

 

 北向きの部屋。

 

 廊下。

 

 庭先。

 

 へ移動させてみる。

 

 全部、水の位置が変わる。

 

 晴れの日と雨の日でも、どうやら微妙に違う。

 

「……これ、人の熱だけ見てるんじゃないですよね?」

 

『もちろん』

 

「もちろん!?」

 

『この型は、管の先が外の水へ開いているでしょう? だから水位は温度だけじゃなくて、外の空気の圧力にも影響されるのよ』

 

「……気圧まで混ざってるんですか」

 

『ええ。だから“完成した温度計”じゃなくて、まだサーモスコープなの。純粋に温度だけを測れる器具へ進むには、もう少し工夫が要るわ』

 

 俺は天を仰いだ。

 

「ここから気圧計まで作ろうとは言いませんからね」

 

『誰も頼んでないわ』

 

「念のためです」

 

 俺は皆へ向き直った。

 

「どうやら、この器は暖かさだけでなく、部屋や天候によっても水の位置が変わるようです」

 

「では、昨日と今日で同じ数字であっても、同じ暖かさとは限らぬということか」

 

 秀忠が眉をひそめる。

 

「たぶん、そうなります」

 

「ならば、医の器としては使えぬか」

 

 誰かが落胆したように呟いた。

 

 だが。

 

 家光兄上は、しばらく玻璃管を見つめた後、言った。

 

「……待て」

 

「はい?」

 

「昨日と今日で、最初の水の位置が同じである必要はないのではないか?」

 

 俺は兄上を見る。

 

「どういうことです?」

 

「測る前に、その時の水の位置を記せばよい」

 

 家光兄上は、木札を指差した。

 

「まず、器を同じ部屋へ置いて馴染ませる。その時の水の位置を、その都度『元』とする」

 

「はい」

 

「そこから同じ者が、同じように、同じ刻だけ触れる」

 

 兄上の指が、木札の上を少し移動する。

 

「見るべきは、水がどこにあるかではない」

 

「……あ」

 

「『元から、どれほど動いたか』を比べるのだ」

 

 俺は固まった。

 

 その考え方には、覚えがあった。

 

 昔。

 

 まだ温度計も濃度計もなく、種籾を選ぶ塩水の濃さすらまともに測れず、俺たちは散々苦労した。

 

 結局やったことは、

 

『水をどれだけ入れたか』

 

『塩を何杯入れたか』

 

『その時、卵がどこまで浮いたか』

 

 を全部記録して、次も同じ条件を作ることだった。

 

 絶対の数字が分からない。

 

 なら。

 

 まず、同じ条件と、そこからの変化を記録する。

 

「……兄上、それです」

 

「そうか?」

 

「大正解です」

 

 家光兄上が、少しだけ嬉しそうに笑った。

 

     ◆

 

 そこから先は、医師と役人たちの領分だった。

 

「測る前に、器を一定時間、同じ部屋へ置く」

 

「水位が落ち着いた場所を、その都度『元』として記す」

 

「触れる手は、左右を定めるべきか」

 

「まずは両手で統一いたしましょう」

 

「触れる時間は砂時計で揃える」

 

「同じ病人を見る時は、なるべく同じ器を使う」

 

「火鉢や日差しの近くでは測らぬ」

 

「測った時刻、空模様、部屋も一緒に書き残すべきでは?」

 

「そこまで書くのですか?」

 

「天候でも動くと分かった以上、必要であろう」

 

 項目が増える。

 

 手順が増える。

 

 帳面が厚くなる未来が、ものすごい勢いで見えてきた。

 

 俺は正純を見る。

 

「……また、面倒な手順書が増えますね」

 

「増えますな」

 

 正純が即答する。

 

「なんでちょっと嬉しそうなんですか」

 

「同じ者が同じ方法で行えるようになるのは、良いことにございます」

 

「理屈では完全に正しいのが腹立つ……」

 

     ◆

 

 御異物改方としての最終判定が下された。

 

『異星文明反応:なし』

 

『神仏反応:なし』

 

『異常因果反応:なし』

 

 正式分類は、

 

『外国由来未普及技術』

 

 俺としては、

 

「温度計」

 

 と呼びたかった。

 

 だが、

 

「器によって基準が異なり、同じ数字が同じ寒暖を表すわけでもない物を、『温度を量る器』と呼ぶのはいささか早いのでは」

 

 と指摘される。

 

 ぐうの音も出ない。

 

 崇伝が、

 

「ならば、『寒暖を見る玻璃』でよろしいでしょう」

 

 とまとめた。

 

 こうして正式名称は、

 

《寒暖見玻璃》

 

 となった。

 

 もちろん、

 

『よし、全国の医者へ配れ!』

 

 などという展開にはならない。

 

 同じ物を大量に作れない。

 

 器ごとに動き方が違う。

 

 外の空気や天候にも影響される。

 

 玻璃なので割れる。

 

 病人の身体内部の熱を、そのまま正確に示すわけでもない。

 

 扱いは、

 

『研究継続』

 

 江戸の御典医と御異物改方で試験を続ける。

 

 長崎の南蛮医にも、引き続き使った時の記録を残してもらう。

 

 同型器具や適した玻璃管が南蛮船で入った場合は、数本を追加で購入する。

 

 国内の職人には、完成品の量産ではなく、まず玻璃加工そのものの試作を続けてもらう。

 

 その程度に留めた。

 

     ◆

 

 だが、試験を続けているうちに。

 

 医師以外から、別の使い道が出てきた。

 

「これは、人へ触れさせずとも、そのまま部屋へ置いておけば、寒暖の移り変わりを見ることができるのでは?」

 

「あ」

 

 言われてみれば、その通りだった。

 

 正確な温度は分からない。

 

 だが、

 

『昨日の朝より、水位が高い』

 

『夕方になって大きく下がった』

 

 という変化なら記録できる。

 

 薬を置く部屋。

 

 種籾を保管する蔵。

 

 永冷石箱の試験室。

 

 そして。

 

 星見公家たちが暗箱写しを使っている天文観測室。

 

「毎朝、空模様と一緒に水の位置を書いておくくらいなら、できますね」

 

 俺が言うと、公家文書御用の一人が即座に筆を取った。

 

「では、『晴』『曇』『雨』『風強し』も併記いたしましょう」

 

「いや、ちょっと待って」

 

「朝夕二度でございますか?」

 

「待ってください」

 

「月ごとに別紙を設けた方が後から比べやすいでしょうな」

 

「気象庁を作る気はありませんからね!?」

 

 何故かまた、新しい観測帳面が生まれそうになっていた。

 

     ◆

 

 会議が終わり。

 

 少し気が緩んだ時のことだった。

 

 珍しい玻璃器に、幕臣たちが次々と興味を示し始めた。

 

「これへ手を添えればよいのか?」

 

「ええ、まあ――」

 

 誰かが触る。

 

 玻璃球が温まる。

 

 水位が下がる。

 

 手を離す。

 

 少しずつ水位が戻ってくる。

 

「ほう」

 

 別の者が触る。

 

 また下がる。

 

 記録担当の役人が、顔色を変えた。

 

「あっ! お待ちください! いま、その位置を基準として記そうとして――」

 

 さらに別の者が触る。

 

「あああっ! 触らないでください! いま『元』の位置を記しているところなんです!」

 

 すると。

 

 家康までが、面白そうに手を伸ばした。

 

 玻璃球を両手で包む。

 

 水位が、ゆっくり下がる。

 

「大御所様まで!!」

 

 役人が半泣きになった。

 

「いや。儂の手ではどれほど動くか、少し気になってな」

 

 家康が悪びれもせず笑う。

 

「……父上」

 

 秀忠が呆れたように額を押さえる。

 

 その横で家光兄上まで、

 

「では私も、もう一度――」

 

 と手を伸ばした。

 

「兄上まで何してるんですか! さっき散々触ったでしょう!」

 

「先ほどは時間を揃えておらなんだ」

 

「そういう問題じゃないです!」

 

     ◆

 

 ようやく全員を玻璃器から追い払い。

 

 俺は、元の位置を書き直している役人の横で、その細い管を眺めた。

 

「……これ。部屋の寒暖を記録する道具なのに、面白がった人が触っただけで記録が全部狂うんですね」

 

『測定器なんだから、測定中に勝手に触るなって話よ』

 

「四百年後でも、似たような注意書きありそうですね」

 

『あるでしょうね』

 

 俺は、水の高さを記した紙を見る。

 

 まだ、温度そのものを正確な数字として示すことはできない。

 

 同じ器具を何十個も揃えることもできない。

 

 天候にまで影響される。

 

 病気を見分ける万能の医療器具でもない。

 

 不完全。

 

 不便。

 

 面倒。

 

 それでも。

 

 今まで、

 

『暖かい』

 

『冷たい』

 

 と人間が感じるだけだったものを。

 

 水の動きとして、他人の目にも見えるようにした。

 

「……まあ。これはこれで、すごい道具か」

 

『でしょ?』

 

 机の上へ、また新しい帳面が置かれた。

 

『寒暖見玻璃・比較試験控』

 

 俺は、それをじっと見る。

 

 その隣には、暗箱写しの観測記録や、永冷石箱の試験記録をはじめ、御異物改方がこれまで積み上げてきた紙の束が並んでいた。

 

「……これ、奇物じゃなかったのに。結局、また俺の仕事だけ増えてません?」

 

 正純が、当然のことのように答える。

 

「奇物でないと判明したことを、再び奇物として騒がれぬよう正確に残すのも、御異物改方の立派な仕事にございますので」

 

「……知ってた」

 

 こうして。

 

 人肌で水が動く、不思議な玻璃の器は。

 

 神の奇跡でも。

 

 異星人の技術でも。

 

 妖術でもなく。

 

 ただの人間が、

 

『暖かさと冷たさを、何とか目で見えるものにしたい』

 

 と工夫して作った、不完全ながらも面白い道具として。

 

 ――また一冊。

 

 俺の仕事を、確実に増やしたのだった。

 




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