暴君忠長に転生したので、兄上のために日本列島をメンテします 〜SFチートのはずが、田んぼと水路と寺社ノードの保守係なんですが〜   作:パラレル・ゲーマー

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第140話 水神様、若返りの御神体を預けられる

 

 元和七年、初冬。

 

 長崎から持ち込まれた《寒暖見玻璃》を巡って、「なんだ、ただの物理現象の道具か」と御異物改方で一喜一憂してから、しばらく後のこと。

 

 江戸城の御異物改方へ、新たな地方案件が届けられた。

 

 今回は長崎の南蛮絡みでも、ローマの水鏡でも、平戸のオランダ商人でもない。

 

 関東から少し離れた山間にある古社の、年老いた神職と若い巫女がやって来たのだ。

 

 彼らは江戸城の奥深い座敷に通され、顔面を蒼白にしてガチガチに緊張していた。

 

 それもそのはずである。

 

 彼らが持参し、座敷の中央に恭しく置かれているのは、小さな唐櫃に納められ、白布で包まれ、注連縄と厳重な封が施された――神社の御神体そのものだったからだ。

 

「……え」

 

 俺――徳川忠長は、報告を聞いて思わず目を丸くした。

 

「御神体を、わざわざ江戸城まで持ってきたんですか?」

 

 神職が、平伏したまま震える声で答えた。

 

「はっ……。まずは領内の御役所へ届け出ましたところ、この御神宝は、近頃諸国へ触れられております『奇なる品』に当たるやもしれぬと」

 

「それで?」

 

「江戸の御異物改方にて、一度御検分いただくよう仰せつかりまして……。我らが自ら、御神体を奉じて参った次第にございます」

 

「ああ。そういうことですか」

 

 さすがに、

 

『怪しい御神体は全部勝手に江戸まで持ってこい』

 

 などという通達を出した覚えはない。

 

 まず地元の役所へ届け出てもらい、必要があれば江戸へ回す。

 

 ちゃんと手順を踏んでいたらしい。

 

 とはいえ。

 

 神職側は、

 

『公儀に御神体を取り上げられてしまうのではないか』

 

 と、生きた心地がしていないようだった。

 

「顔を上げてください」

 

 俺は、できるだけ穏やかな声で言った。

 

「危険なものでもない限り、公儀が由緒ある御神体をいきなり没収したりはしません。まずは、どのような謂れがあるのか教えてもらえますか」

 

     ◆

 

 神職は少しだけ安堵したように息を吐き、神社に伝わる奇妙な祭礼について説明を始めた。

 

「我が社には、古くより伝わる奇祭がございます」

 

「数年に一度の大祭におきまして、《彩髪神楽》……あるいは《御髪の舞》と呼ばれる儀式を行いまする」

 

「彩髪……?」

 

「神より選ばれた巫女が、舞を始める前に、この御神体へそっと触れるのです。すると……」

 

 神職は、少し声を潜めた。

 

「普段は黒髪の巫女の髪が、紅葉のような赤、稲穂のような金、雪のような白、夜の瑠璃のような青……あるいは紫など、およそ人の御髪には見ぬ鮮やかな色へと変わり、その姿で神楽を舞うのでございます」

 

「へえ……」

 

「ゆえに村の者たちは古くから、『神が巫女の御髪へ色を降ろされるのだ』と信じて参りました」

 

「……髪の色が変わる?」

 

 俺は首を傾げた。

 

「それが、どうして《若返り石》という名前で呼ばれているんですか。事前の報告には、そう書いてありましたけど」

 

「社伝の最も古い言い伝えにございます」

 

 神職が答える。

 

「何代も昔。社を守っていた年老いた巫女が、『もう一度だけ、若い頃の黒髪で神前へ立ちたい』と願いながら、御神体へ触れたそうです」

 

「すると、真っ白だった老婆の髪が、一瞬にして、若い頃のような艶やかな黒髪へ戻ったのだと」

 

「身体は老人のままでした。されど髪だけを見れば、まるで若返ったように見えた。それ以来、この御神体は《若返り石》、あるいは《髪黒石》とも呼ばれるようになりました」

 

「なるほど……」

 

 神職たちも、

 

『本当に人間の肉体が若返るわけではないらしい』

 

 ことは、長年の経験から知っているらしい。

 

 ただ。

 

 白髪が黒髪へ戻る。

 

 若い頃の姿を思わせる。

 

 だから地方では、

 

『若返りの霊験あらたかな神宝』

 

 として、大切に扱われてきたのだという。

 

     ◆

 

「では、拝見します」

 

 俺が頷くと、神職自身の手で唐櫃の封が解かれた。

 

 白布が捲られる。

 

 注連縄が外される。

 

 俺は、少し緊張しながら中を覗き込んだ。

 

 出てきたのは。

 

「…………」

 

「…………」

 

「……これ?」

 

 俺は、思わず素の声を出してしまった。

 

「御神体にございます」

 

 神職がうやうやしく頭を下げる。

 

「……すみません」

 

 俺は慌てて姿勢を正した。

 

 手のひらに乗る程度の、本当に何の変哲もない石だった。

 

 色は、くすんだ黒灰色。

 

 表面は川石のように滑らかだが、文字も彫られていなければ、不思議な文様もない。

 

 宝石のように美しいわけでもない。

 

 光らない。

 

 熱くもない。

 

 冷たくもない。

 

 先日の《寒暖見玻璃》よりも、さらに地味な見た目だった。

 

     ◆

 

「いきなり私が触って事故が起きても困りますから、まずは本来の使用者である巫女殿に、実演していただいてもよろしいですか」

 

「承知いたしました」

 

 若い巫女が進み出た。

 

 彼女の髪は、ごく普通の艶やかな黒髪だ。

 

「御神体へ手を触れ、望む御髪の色を、心に強く描きまする」

 

 神職の言葉に従い、巫女が静かに石へ両手を触れ、目を閉じた。

 

「……紅葉の色を」

 

 小さく呟く。

 

 次の瞬間。

 

 スッ――と。

 

 巫女の豊かな黒髪が、根元から毛先まで、一気に深い紅色へと変わった。

 

「…………」

 

 染料の液体が流れたわけではない。

 

 煙も出ない。

 

 石も光らない。

 

 ただ。

 

 一瞬で、色だけが変わった。

 

 俺。

 

 家康。

 

 秀忠。

 

 家光兄上。

 

 正純。

 

 崇伝。

 

 座敷にいた全員が、完全に言葉を失った。

 

「……うわ」

 

 俺は思わず声を漏らした。

 

 巫女は、さらに石へ触れる。

 

「稲穂の色を」

 

 紅髪が、スッと黄金色へ変わる。

 

「雪の色を」

 

 純白。

 

「夜の瑠璃色を」

 

 今度は、人間の髪ではまず見ることのない、鮮やかな深い青色になった。

 

「……本当に、何色にでもなるのか」

 

 家光兄上が、目を丸くして身を乗り出す。

 

「我らが知る限り、本人が頭の中で思い描ける色であれば、その通りになるようにございます」

 

 神職が答える。

 

 最後に巫女が、

 

「元の黒へ」

 

 と願う。

 

 髪は何事もなかったかのように、最初の黒髪へ戻った。

 

     ◆

 

 俺は内心で、激しくKAMI様を呼んだ。

 

「KAMI様!」

 

『はいはい』

 

「これ、一体何です!?」

 

 少しだけ間があった。

 

『あー……これは、本物ね』

 

「……本物!?」

 

 先日の、

 

『不思議な玻璃だと思ったら、ただの物理現象でした』

 

 からの完全な逆転である。

 

『明確な理外反応が出てる。人間の染色技術でもないし、自然現象でもない。通常の神仏ノード反応とも違うわ』

 

「じゃあ、異星文明?」

 

『そこまでは断定できない』

 

「分からないんですか?」

 

『分からないものを、分かったふりして分類する方が危険でしょう』

 

「それはそうですけど」

 

『少なくとも、この時代の人間が作れる物じゃない。由来不明の真正な御異物。それで十分よ』

 

「能力は?」

 

『極端に限定されてる』

 

 KAMI様が淡々と答える。

 

『接触した本人が、自分の頭髪をこういう色にしたいと強く意図すると、その通りに色が変わる』

 

「……それだけ?」

 

『それだけ』

 

「すごい技術を使って、やってること髪染め?」

 

『そうね』

 

 俺は、何とも言えない気分で御神体を見た。

 

『しかも染料を付けてるわけじゃない。毛髪の色を決めている状態そのものを書き換えてる。黒や白だけじゃなく、本来の人間の毛髪では普通成立しない青や紫にまでね』

 

「……とんでもないことやってません?」

 

『技術としてはね』

 

「効果は?」

 

『ヘアカラー』

 

「落差がひどい!」

 

     ◆

 

『まあ、現代なら正直そこまで意味のない石ね』

 

 KAMI様が、身も蓋もない評価を下した。

 

「いやいやいや!」

 

『ドラッグストアでヘアカラー剤を買ってくれば済むでしょう』

 

「そういうけど、KAMI様。ここ現代じゃなくて江戸時代ですよ?」

 

『うん』

 

「白髪のお爺さんが、これに触った瞬間ですよ?」

 

「染料なし」

 

「臭いなし」

 

「待ち時間なし」

 

「洗っても落ちない」

 

「しかも好きな色に変えられる」

 

『……』

 

「若い頃と同じ真っ黒な髪に、一瞬で戻せるんですよ?」

 

 少し沈黙。

 

「……この時代なら、これ、紛れもなく奇跡でしょう?」

 

『……ええ』

 

 KAMI様が、珍しく素直に認めた。

 

『この時代なら、間違いなく奇跡ね』

 

「でしょう?」

 

     ◆

 

 端末での確認も終えた。

 

 明確な理外反応あり。

 

 神仏ノードの通常接続反応とは異なる。

 

 由来、製作者、年代。

 

 いずれも不明。

 

 俺は皆へ向き直った。

 

「これは、正真正銘の御異物です」

 

 座敷の空気が、ピリッと変わった。

 

 前回の《寒暖見玻璃》とは違う。

 

「人の工夫や技術で、同じ物を再現できる道具ではありません」

 

 俺は、能力をできる限り正確に限定して伝えた。

 

「触れた本人が、『自分の髪をこういう色にしたい』と念じると、その通りの色になります」

 

「今のところ、それ以外の作用は確認できません」

 

 高齢の家康が、興味深そうに御神体を見つめた。

 

 当然、大御所様の髪にはかなり白いものが混じっている。

 

「忠長」

 

「はい」

 

「これは……真に人の肉体を若返らせる物ではないのだな?」

 

「はい」

 

 ここは絶対に曖昧にしてはいけない。

 

「変わるのは、髪の色だけです」

 

「顔の皺は消えません」

 

「身体の臓腑が若くなるわけでもありません」

 

「病が治るわけでも、寿命が延びるわけでもありません」

 

「筋力も戻りません」

 

 俺は一拍置いた。

 

「そして、すでに禿げて抜けてしまった所から、新しく髪が生えてくるわけでもありません」

 

「…………」

 

 同席していた高齢の者たちが、ほんの少しだけ悲しそうな顔をした。

 

 そこだけ期待してたんですか。

 

「なるほど」

 

 家康は満足そうに頷いた。

 

 そして。

 

 おもむろに御神体へ手を伸ばした。

 

「大御所様!」

 

 神職が慌てて平伏する。

 

「試してもよいか」

 

「大、大御所様がお望みとあらば……!」

 

 俺も端末を確認する。

 

「危険反応はありません。ただ、本当に髪の色しか変わりませんよ?」

 

「分かっておる」

 

 家康は楽しそうに笑った。

 

 両手で御神体へ触れる。

 

「では――若き頃のような、黒髪になれ!」

 

 一瞬だった。

 

 家康の白髪交じりだった髪が。

 

 艶のある、若々しい漆黒へと、見事に一変した。

 

     ◆

 

「おお……っ!」

 

「これは……!」

 

「見事に……!」

 

 座敷にいた全員がどよめいた。

 

 常に冷静な正純でさえ目を見開き、崇伝も素直に驚いている。

 

 秀忠も、

 

「父上……」

 

 と息を呑み。

 

 家光兄上も、まじまじと祖父の姿を見つめていた。

 

 顔の皺。

 

 姿勢。

 

 声。

 

 身体そのもの。

 

 何一つ若返ってはいない。

 

 なのに。

 

 ただ髪だけが、若い頃を思わせる漆黒へ戻ったことで。

 

 家康の第一印象が、驚くほど若々しく、力強く見えた。

 

 家康は手鏡を受け取り、自分の姿を眺める。

 

「はっはっはっ! どうじゃ!」

 

「見事な黒髪にございます!」

 

「これは凄いのう!」

 

 周囲の者たちも普通に盛り上がっている。

 

(……いや)

 

 俺も、改めて納得した。

 

(これ、やっぱり江戸時代だと普通に奇跡だわ)

 

『そう言ったでしょう。この時代ならね』

 

(最初に現代なら意味ないって言ったの、KAMI様ですからね)

 

     ◆

 

 だが、ここは御異物改方だ。

 

 盛り上がった後は、ちゃんと調べる。

 

 まず。

 

 黒髪になった家康の髪を、白布で軽く擦ってみる。

 

 色は移らない。

 

 水で濡らす。

 

 落ちない。

 

 湯で洗う。

 

 変わらない。

 

 油を付けても、元へは戻らない。

 

「やはり、表面を染めているわけではありませんね」

 

 次に髪質を確認する。

 

「変わっているのは色だけです」

 

 俺は報告した。

 

「太さ、長さ、癖、傷み、毛量。そういったものは変化していません」

 

「白髪が黒くなっても、髪そのものが若返ったわけではありません」

 

「ふむ」

 

 家康が、自分の黒髪を一房つまむ。

 

「見た目だけか」

 

「はい」

 

 そして、最も重要な持続性。

 

 神職側の過去の記録とKAMI様の解析から、そこも分かった。

 

「新しく伸びてくる髪は、本来の身体の状態に従うようです」

 

「つまり?」

 

「大御所様の場合、しばらくすると根元からまた白い髪が伸びてきます」

 

「……永久ではないのだな」

 

「はい」

 

 神職も頷く。

 

「ゆえに、古くは何度か御神体へ願い直した者もおりました」

 

「なるほどのう」

 

 これで、《若返り石》という俗称は残るものの。

 

 本当に不老不死になるわけでも。

 

 肉体が若返るわけでもないことは、はっきりした。

 

     ◆

 

「では、祭りで巫女の髪を赤や青へ変えるのは、いつから始まったのですか?」

 

「社伝にも定かではないほど、古き世からにございます」

 

 神職の説明によれば。

 

 昔から、

 

 赤を日や紅葉。

 

 白を月や雪。

 

 黄金を稲穂。

 

 青を神威。

 

 そうしたものに見立てて髪の色を変え、巫女が神楽を舞い、豊穣を祈ってきたのだという。

 

(……つまり)

 

 俺は、御神体を見た。

 

(正真正銘の御異物が、地方の祭礼の一部として、何百年も前から普通に運用されてきたんだな)

 

 誰も、

 

『理外の御異物です』

 

 なんて知らなかった。

 

 まして、

 

『この世の理を書き換えています』

 

 なんて思っていない。

 

 ただ。

 

 神様から受け継いだ大切な石だから。

 

 決まった日に。

 

 決まった巫女が。

 

 決まったやり方で使う。

 

 そして使い終わったら、また社の奥へ戻す。

 

 そうやって何代も壊さず、失くさず、祭礼の一部として受け継いできた。

 

(こういうのも、一つの保守なんだろうな)

 

 少しだけ、嬉しくなった。

 

     ◆

 

 次は危険性評価。

 

「物理的な危険性は……かなり低いですね」

 

 人を殺せない。

 

 建物を壊せない。

 

 火災も起こせない。

 

 病気を広げるわけでもない。

 

『髪の色を変えるだけだからね』

 

「軍事利用も……」

 

 俺が言いかけると、正純が口を挟んだ。

 

「全くない、とは申せませぬな」

 

「え?」

 

「人相書きに、『白髪の老人』『赤毛の南蛮人』『金色の髪』などと特徴が記されていた場合、その髪色を変えれば、追手の目を一時惑わせることくらいはできましょう」

 

「ああ」

 

 変装か。

 

「でも、顔までは変わりませんよ?」

 

「左様にございます」

 

「なら、使えるとしても髪だけですね」

 

「髪だけにございますな」

 

「やっぱり大した兵器じゃないですね」

 

「兵器としては、でしょうな」

 

「……その言い方、嫌な予感がするんですが」

 

 正純は、御神体を見た。

 

「物理的な危険は少なくとも、社会的にはいささか厄介にございますぞ」

 

「社会的?」

 

「《若返りの石》と聞けば、欲しがる者は多いでしょうな」

 

「あ」

 

 俺は、ようやく気づいた。

 

 本当は髪の色しか変わらない。

 

 でも。

 

『大御所様の白髪すら、一瞬で若い頃のような黒髪へ戻した』

 

 なんて話が外へ漏れたら。

 

 大名。

 

 豪商。

 

 年老いた権力者。

 

 奥向きの女房。

 

 公家。

 

 高僧。

 

『一度だけでいいから触らせてくれ』

 

 という連中が出る。

 

 絶対に出る。

 

 さらに。

 

『若返り石の霊験を分けた水』

 

『髪黒薬』

 

『不老の御守り』

 

 とか言い出す詐欺師も出る。

 

「ああ……絶対出ますね」

 

「出ましょうな」

 

「嫌なところだけ断言しないでください」

 

     ◆

 

 検査終了。

 

 真正の御異物。

 

 由来不明。

 

 能力は限定的。

 

 物理的危険度は低い。

 

 そして何より。

 

 地方の古社で、何代にもわたって御神体として祀られてきたものだ。

 

 俺の判断は即決だった。

 

「これは、神社へお返しします」

 

 神職が顔を上げた。

 

「よ、よろしいのでございますか!?」

 

「はい」

 

「これほどの御神宝……公儀に取り上げられるものとばかり……」

 

「もともと、あなた方の御神体でしょう」

 

 俺は笑った。

 

「人を傷つける危険な物でもありません。祭礼も、これまで通り続けて構いません」

 

 御異物改方では、以前から。

 

 寺社や旧家の所有する品については、危険性がなく、管理可能ならば、鑑定後に返却する方針を取っている。

 

 本物の御異物だからといって、何でも公儀の蔵へ取り上げるわけではない。

 

 ただし。

 

 真正の御異物だと判明した以上、完全に放置することもしない。

 

「今まで通り祀ってもらって構いません。ただ、今までより少しだけ、鍵を増やしてください」

 

「鍵……にございますか?」

 

「はい」

 

 俺たちは、最低限の条件を決めた。

 

 御神体を勝手に売らない。

 

 貸し出さない。

 

 質へ入れない。

 

 使用者は従来通り、神職や巫女など祭礼関係者に限る。

 

 持ち出した日と戻した日を帳面へ残す。

 

 盗難や紛失があれば、すぐ領内の役所へ届ける。

 

 そして。

 

「《不老不死》や《病気が治る》など、実際にはない霊験を売り物にすることは禁じます」

 

「承知いたしました!」

 

 神職と巫女は、涙を浮かべながら深く平伏した。

 

「必ず、厳重にお守りいたします!」

 

     ◆

 

 返却の準備が整った。

 

 そこで。

 

 俺は、ふと家康を見た。

 

「…………」

 

 真っ黒だった。

 

 ものすごく真っ黒だった。

 

「……大御所様」

 

「なんじゃ」

 

「まさか、その黒髪のまま江戸城の外へ出るおつもりですか?」

 

「何か問題があるか?」

 

「大問題ですよ!!」

 

 俺は思わず声を上げた。

 

「高齢の大御所様が、突然若い頃みたいな真っ黒な髪で城内を歩き回ってみてください!」

 

「絶対に、『水神様がまた奇跡を起こして、大御所様を若返らせた!』って噂になりますから!」

 

「不老!」

 

「若返り!」

 

「神水!」

 

「延命!」

 

「絶対に尾ひれがつきます!」

 

「下手したら、また全国の井戸とか川に人が殺到しますよ!」

 

「それに、どうせ最後は私がやったことにされます!」

 

 家康は、

 

「はっはっは!」

 

 と大笑いした。

 

「笑い事じゃありません!」

 

「分かった分かった」

 

 俺の必死の抗議に、家康もようやく折れた。

 

 もう一度、御神体へ触れる。

 

「では、元の色へ戻れ」

 

 一瞬。

 

 若々しい漆黒だった髪が、元の年相応な白髪混じりへ戻った。

 

「……惜しいのう」

 

 家康が、少しだけ残念そうに鏡を見る。

 

「父上……」

 

 秀忠が呆れた声を出す。

 

「祖父上、随分とお気に召しておられましたね」

 

 家光兄上も笑う。

 

「若い頃の血の沸き立つような日々を、少し思い出しただけよ」

 

「だから、髪の色しか変わってませんからね!」

 

     ◆

 

 御神体は唐櫃へ戻された。

 

 白布で包まれ。

 

 再び注連縄を掛け。

 

 厳重に封をする。

 

 神職と巫女は何度も深く頭を下げ、帰路についた。

 

 御異物改方の台帳には、新たな一件が追加された。

 

『正式名称:《髪色改変石》』

 

『区分:御異物』

 

『系統:理外系・由来不明』

 

『作用:接触者本人の頭髪色を、本人の意図した色へ変更』

 

『現地俗称:《若返り石》《髪黒石》』

 

『所有:○○社』

 

『危険性:物理低・悪用低~中・社会的誤認高』

 

『管理:現地保管・祭礼使用継続許可』

 

 俺は台帳へ朱筆を入れながら呟いた。

 

「……髪の色を変えるだけなんですよね」

 

『ええ。髪の色を変えるだけね』

 

「なのに、大御所様が黒髪になった瞬間、座敷にいた全員があんなに驚いて、目を輝かせた」

 

『人間、見た目の影響って大きいから』

 

 俺は少し考える。

 

「現代なら、ドラッグストアで買える美容用品」

 

『そうね』

 

「江戸時代なら、奇跡の若返りの神宝」

 

『そういうこと』

 

 髪の色が変わる。

 

 ただ、それだけの御異物だった。

 

 だが。

 

 白髪の大御所様が、一瞬にして若い頃を思わせる黒髪へ戻った時。

 

 座敷にいた誰一人として。

 

 それを、

 

『ただそれだけのことか』

 

 とは言わなかった。

 

 ……うん。

 

 江戸時代なら。

 

 これは間違いなく、立派な奇跡だった。

 




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