暴君忠長に転生したので、兄上のために日本列島をメンテします 〜SFチートのはずが、田んぼと水路と寺社ノードの保守係なんですが〜 作:パラレル・ゲーマー
元和七年、初冬。
長崎から持ち込まれた《寒暖見玻璃》を巡って、「なんだ、ただの物理現象の道具か」と御異物改方で一喜一憂してから、しばらく後のこと。
江戸城の御異物改方へ、新たな地方案件が届けられた。
今回は長崎の南蛮絡みでも、ローマの水鏡でも、平戸のオランダ商人でもない。
関東から少し離れた山間にある古社の、年老いた神職と若い巫女がやって来たのだ。
彼らは江戸城の奥深い座敷に通され、顔面を蒼白にしてガチガチに緊張していた。
それもそのはずである。
彼らが持参し、座敷の中央に恭しく置かれているのは、小さな唐櫃に納められ、白布で包まれ、注連縄と厳重な封が施された――神社の御神体そのものだったからだ。
「……え」
俺――徳川忠長は、報告を聞いて思わず目を丸くした。
「御神体を、わざわざ江戸城まで持ってきたんですか?」
神職が、平伏したまま震える声で答えた。
「はっ……。まずは領内の御役所へ届け出ましたところ、この御神宝は、近頃諸国へ触れられております『奇なる品』に当たるやもしれぬと」
「それで?」
「江戸の御異物改方にて、一度御検分いただくよう仰せつかりまして……。我らが自ら、御神体を奉じて参った次第にございます」
「ああ。そういうことですか」
さすがに、
『怪しい御神体は全部勝手に江戸まで持ってこい』
などという通達を出した覚えはない。
まず地元の役所へ届け出てもらい、必要があれば江戸へ回す。
ちゃんと手順を踏んでいたらしい。
とはいえ。
神職側は、
『公儀に御神体を取り上げられてしまうのではないか』
と、生きた心地がしていないようだった。
「顔を上げてください」
俺は、できるだけ穏やかな声で言った。
「危険なものでもない限り、公儀が由緒ある御神体をいきなり没収したりはしません。まずは、どのような謂れがあるのか教えてもらえますか」
◆
神職は少しだけ安堵したように息を吐き、神社に伝わる奇妙な祭礼について説明を始めた。
「我が社には、古くより伝わる奇祭がございます」
「数年に一度の大祭におきまして、《彩髪神楽》……あるいは《御髪の舞》と呼ばれる儀式を行いまする」
「彩髪……?」
「神より選ばれた巫女が、舞を始める前に、この御神体へそっと触れるのです。すると……」
神職は、少し声を潜めた。
「普段は黒髪の巫女の髪が、紅葉のような赤、稲穂のような金、雪のような白、夜の瑠璃のような青……あるいは紫など、およそ人の御髪には見ぬ鮮やかな色へと変わり、その姿で神楽を舞うのでございます」
「へえ……」
「ゆえに村の者たちは古くから、『神が巫女の御髪へ色を降ろされるのだ』と信じて参りました」
「……髪の色が変わる?」
俺は首を傾げた。
「それが、どうして《若返り石》という名前で呼ばれているんですか。事前の報告には、そう書いてありましたけど」
「社伝の最も古い言い伝えにございます」
神職が答える。
「何代も昔。社を守っていた年老いた巫女が、『もう一度だけ、若い頃の黒髪で神前へ立ちたい』と願いながら、御神体へ触れたそうです」
「すると、真っ白だった老婆の髪が、一瞬にして、若い頃のような艶やかな黒髪へ戻ったのだと」
「身体は老人のままでした。されど髪だけを見れば、まるで若返ったように見えた。それ以来、この御神体は《若返り石》、あるいは《髪黒石》とも呼ばれるようになりました」
「なるほど……」
神職たちも、
『本当に人間の肉体が若返るわけではないらしい』
ことは、長年の経験から知っているらしい。
ただ。
白髪が黒髪へ戻る。
若い頃の姿を思わせる。
だから地方では、
『若返りの霊験あらたかな神宝』
として、大切に扱われてきたのだという。
◆
「では、拝見します」
俺が頷くと、神職自身の手で唐櫃の封が解かれた。
白布が捲られる。
注連縄が外される。
俺は、少し緊張しながら中を覗き込んだ。
出てきたのは。
「…………」
「…………」
「……これ?」
俺は、思わず素の声を出してしまった。
「御神体にございます」
神職がうやうやしく頭を下げる。
「……すみません」
俺は慌てて姿勢を正した。
手のひらに乗る程度の、本当に何の変哲もない石だった。
色は、くすんだ黒灰色。
表面は川石のように滑らかだが、文字も彫られていなければ、不思議な文様もない。
宝石のように美しいわけでもない。
光らない。
熱くもない。
冷たくもない。
先日の《寒暖見玻璃》よりも、さらに地味な見た目だった。
◆
「いきなり私が触って事故が起きても困りますから、まずは本来の使用者である巫女殿に、実演していただいてもよろしいですか」
「承知いたしました」
若い巫女が進み出た。
彼女の髪は、ごく普通の艶やかな黒髪だ。
「御神体へ手を触れ、望む御髪の色を、心に強く描きまする」
神職の言葉に従い、巫女が静かに石へ両手を触れ、目を閉じた。
「……紅葉の色を」
小さく呟く。
次の瞬間。
スッ――と。
巫女の豊かな黒髪が、根元から毛先まで、一気に深い紅色へと変わった。
「…………」
染料の液体が流れたわけではない。
煙も出ない。
石も光らない。
ただ。
一瞬で、色だけが変わった。
俺。
家康。
秀忠。
家光兄上。
正純。
崇伝。
座敷にいた全員が、完全に言葉を失った。
「……うわ」
俺は思わず声を漏らした。
巫女は、さらに石へ触れる。
「稲穂の色を」
紅髪が、スッと黄金色へ変わる。
「雪の色を」
純白。
「夜の瑠璃色を」
今度は、人間の髪ではまず見ることのない、鮮やかな深い青色になった。
「……本当に、何色にでもなるのか」
家光兄上が、目を丸くして身を乗り出す。
「我らが知る限り、本人が頭の中で思い描ける色であれば、その通りになるようにございます」
神職が答える。
最後に巫女が、
「元の黒へ」
と願う。
髪は何事もなかったかのように、最初の黒髪へ戻った。
◆
俺は内心で、激しくKAMI様を呼んだ。
「KAMI様!」
『はいはい』
「これ、一体何です!?」
少しだけ間があった。
『あー……これは、本物ね』
「……本物!?」
先日の、
『不思議な玻璃だと思ったら、ただの物理現象でした』
からの完全な逆転である。
『明確な理外反応が出てる。人間の染色技術でもないし、自然現象でもない。通常の神仏ノード反応とも違うわ』
「じゃあ、異星文明?」
『そこまでは断定できない』
「分からないんですか?」
『分からないものを、分かったふりして分類する方が危険でしょう』
「それはそうですけど」
『少なくとも、この時代の人間が作れる物じゃない。由来不明の真正な御異物。それで十分よ』
「能力は?」
『極端に限定されてる』
KAMI様が淡々と答える。
『接触した本人が、自分の頭髪をこういう色にしたいと強く意図すると、その通りに色が変わる』
「……それだけ?」
『それだけ』
「すごい技術を使って、やってること髪染め?」
『そうね』
俺は、何とも言えない気分で御神体を見た。
『しかも染料を付けてるわけじゃない。毛髪の色を決めている状態そのものを書き換えてる。黒や白だけじゃなく、本来の人間の毛髪では普通成立しない青や紫にまでね』
「……とんでもないことやってません?」
『技術としてはね』
「効果は?」
『ヘアカラー』
「落差がひどい!」
◆
『まあ、現代なら正直そこまで意味のない石ね』
KAMI様が、身も蓋もない評価を下した。
「いやいやいや!」
『ドラッグストアでヘアカラー剤を買ってくれば済むでしょう』
「そういうけど、KAMI様。ここ現代じゃなくて江戸時代ですよ?」
『うん』
「白髪のお爺さんが、これに触った瞬間ですよ?」
「染料なし」
「臭いなし」
「待ち時間なし」
「洗っても落ちない」
「しかも好きな色に変えられる」
『……』
「若い頃と同じ真っ黒な髪に、一瞬で戻せるんですよ?」
少し沈黙。
「……この時代なら、これ、紛れもなく奇跡でしょう?」
『……ええ』
KAMI様が、珍しく素直に認めた。
『この時代なら、間違いなく奇跡ね』
「でしょう?」
◆
端末での確認も終えた。
明確な理外反応あり。
神仏ノードの通常接続反応とは異なる。
由来、製作者、年代。
いずれも不明。
俺は皆へ向き直った。
「これは、正真正銘の御異物です」
座敷の空気が、ピリッと変わった。
前回の《寒暖見玻璃》とは違う。
「人の工夫や技術で、同じ物を再現できる道具ではありません」
俺は、能力をできる限り正確に限定して伝えた。
「触れた本人が、『自分の髪をこういう色にしたい』と念じると、その通りの色になります」
「今のところ、それ以外の作用は確認できません」
高齢の家康が、興味深そうに御神体を見つめた。
当然、大御所様の髪にはかなり白いものが混じっている。
「忠長」
「はい」
「これは……真に人の肉体を若返らせる物ではないのだな?」
「はい」
ここは絶対に曖昧にしてはいけない。
「変わるのは、髪の色だけです」
「顔の皺は消えません」
「身体の臓腑が若くなるわけでもありません」
「病が治るわけでも、寿命が延びるわけでもありません」
「筋力も戻りません」
俺は一拍置いた。
「そして、すでに禿げて抜けてしまった所から、新しく髪が生えてくるわけでもありません」
「…………」
同席していた高齢の者たちが、ほんの少しだけ悲しそうな顔をした。
そこだけ期待してたんですか。
「なるほど」
家康は満足そうに頷いた。
そして。
おもむろに御神体へ手を伸ばした。
「大御所様!」
神職が慌てて平伏する。
「試してもよいか」
「大、大御所様がお望みとあらば……!」
俺も端末を確認する。
「危険反応はありません。ただ、本当に髪の色しか変わりませんよ?」
「分かっておる」
家康は楽しそうに笑った。
両手で御神体へ触れる。
「では――若き頃のような、黒髪になれ!」
一瞬だった。
家康の白髪交じりだった髪が。
艶のある、若々しい漆黒へと、見事に一変した。
◆
「おお……っ!」
「これは……!」
「見事に……!」
座敷にいた全員がどよめいた。
常に冷静な正純でさえ目を見開き、崇伝も素直に驚いている。
秀忠も、
「父上……」
と息を呑み。
家光兄上も、まじまじと祖父の姿を見つめていた。
顔の皺。
姿勢。
声。
身体そのもの。
何一つ若返ってはいない。
なのに。
ただ髪だけが、若い頃を思わせる漆黒へ戻ったことで。
家康の第一印象が、驚くほど若々しく、力強く見えた。
家康は手鏡を受け取り、自分の姿を眺める。
「はっはっはっ! どうじゃ!」
「見事な黒髪にございます!」
「これは凄いのう!」
周囲の者たちも普通に盛り上がっている。
(……いや)
俺も、改めて納得した。
(これ、やっぱり江戸時代だと普通に奇跡だわ)
『そう言ったでしょう。この時代ならね』
(最初に現代なら意味ないって言ったの、KAMI様ですからね)
◆
だが、ここは御異物改方だ。
盛り上がった後は、ちゃんと調べる。
まず。
黒髪になった家康の髪を、白布で軽く擦ってみる。
色は移らない。
水で濡らす。
落ちない。
湯で洗う。
変わらない。
油を付けても、元へは戻らない。
「やはり、表面を染めているわけではありませんね」
次に髪質を確認する。
「変わっているのは色だけです」
俺は報告した。
「太さ、長さ、癖、傷み、毛量。そういったものは変化していません」
「白髪が黒くなっても、髪そのものが若返ったわけではありません」
「ふむ」
家康が、自分の黒髪を一房つまむ。
「見た目だけか」
「はい」
そして、最も重要な持続性。
神職側の過去の記録とKAMI様の解析から、そこも分かった。
「新しく伸びてくる髪は、本来の身体の状態に従うようです」
「つまり?」
「大御所様の場合、しばらくすると根元からまた白い髪が伸びてきます」
「……永久ではないのだな」
「はい」
神職も頷く。
「ゆえに、古くは何度か御神体へ願い直した者もおりました」
「なるほどのう」
これで、《若返り石》という俗称は残るものの。
本当に不老不死になるわけでも。
肉体が若返るわけでもないことは、はっきりした。
◆
「では、祭りで巫女の髪を赤や青へ変えるのは、いつから始まったのですか?」
「社伝にも定かではないほど、古き世からにございます」
神職の説明によれば。
昔から、
赤を日や紅葉。
白を月や雪。
黄金を稲穂。
青を神威。
そうしたものに見立てて髪の色を変え、巫女が神楽を舞い、豊穣を祈ってきたのだという。
(……つまり)
俺は、御神体を見た。
(正真正銘の御異物が、地方の祭礼の一部として、何百年も前から普通に運用されてきたんだな)
誰も、
『理外の御異物です』
なんて知らなかった。
まして、
『この世の理を書き換えています』
なんて思っていない。
ただ。
神様から受け継いだ大切な石だから。
決まった日に。
決まった巫女が。
決まったやり方で使う。
そして使い終わったら、また社の奥へ戻す。
そうやって何代も壊さず、失くさず、祭礼の一部として受け継いできた。
(こういうのも、一つの保守なんだろうな)
少しだけ、嬉しくなった。
◆
次は危険性評価。
「物理的な危険性は……かなり低いですね」
人を殺せない。
建物を壊せない。
火災も起こせない。
病気を広げるわけでもない。
『髪の色を変えるだけだからね』
「軍事利用も……」
俺が言いかけると、正純が口を挟んだ。
「全くない、とは申せませぬな」
「え?」
「人相書きに、『白髪の老人』『赤毛の南蛮人』『金色の髪』などと特徴が記されていた場合、その髪色を変えれば、追手の目を一時惑わせることくらいはできましょう」
「ああ」
変装か。
「でも、顔までは変わりませんよ?」
「左様にございます」
「なら、使えるとしても髪だけですね」
「髪だけにございますな」
「やっぱり大した兵器じゃないですね」
「兵器としては、でしょうな」
「……その言い方、嫌な予感がするんですが」
正純は、御神体を見た。
「物理的な危険は少なくとも、社会的にはいささか厄介にございますぞ」
「社会的?」
「《若返りの石》と聞けば、欲しがる者は多いでしょうな」
「あ」
俺は、ようやく気づいた。
本当は髪の色しか変わらない。
でも。
『大御所様の白髪すら、一瞬で若い頃のような黒髪へ戻した』
なんて話が外へ漏れたら。
大名。
豪商。
年老いた権力者。
奥向きの女房。
公家。
高僧。
『一度だけでいいから触らせてくれ』
という連中が出る。
絶対に出る。
さらに。
『若返り石の霊験を分けた水』
『髪黒薬』
『不老の御守り』
とか言い出す詐欺師も出る。
「ああ……絶対出ますね」
「出ましょうな」
「嫌なところだけ断言しないでください」
◆
検査終了。
真正の御異物。
由来不明。
能力は限定的。
物理的危険度は低い。
そして何より。
地方の古社で、何代にもわたって御神体として祀られてきたものだ。
俺の判断は即決だった。
「これは、神社へお返しします」
神職が顔を上げた。
「よ、よろしいのでございますか!?」
「はい」
「これほどの御神宝……公儀に取り上げられるものとばかり……」
「もともと、あなた方の御神体でしょう」
俺は笑った。
「人を傷つける危険な物でもありません。祭礼も、これまで通り続けて構いません」
御異物改方では、以前から。
寺社や旧家の所有する品については、危険性がなく、管理可能ならば、鑑定後に返却する方針を取っている。
本物の御異物だからといって、何でも公儀の蔵へ取り上げるわけではない。
ただし。
真正の御異物だと判明した以上、完全に放置することもしない。
「今まで通り祀ってもらって構いません。ただ、今までより少しだけ、鍵を増やしてください」
「鍵……にございますか?」
「はい」
俺たちは、最低限の条件を決めた。
御神体を勝手に売らない。
貸し出さない。
質へ入れない。
使用者は従来通り、神職や巫女など祭礼関係者に限る。
持ち出した日と戻した日を帳面へ残す。
盗難や紛失があれば、すぐ領内の役所へ届ける。
そして。
「《不老不死》や《病気が治る》など、実際にはない霊験を売り物にすることは禁じます」
「承知いたしました!」
神職と巫女は、涙を浮かべながら深く平伏した。
「必ず、厳重にお守りいたします!」
◆
返却の準備が整った。
そこで。
俺は、ふと家康を見た。
「…………」
真っ黒だった。
ものすごく真っ黒だった。
「……大御所様」
「なんじゃ」
「まさか、その黒髪のまま江戸城の外へ出るおつもりですか?」
「何か問題があるか?」
「大問題ですよ!!」
俺は思わず声を上げた。
「高齢の大御所様が、突然若い頃みたいな真っ黒な髪で城内を歩き回ってみてください!」
「絶対に、『水神様がまた奇跡を起こして、大御所様を若返らせた!』って噂になりますから!」
「不老!」
「若返り!」
「神水!」
「延命!」
「絶対に尾ひれがつきます!」
「下手したら、また全国の井戸とか川に人が殺到しますよ!」
「それに、どうせ最後は私がやったことにされます!」
家康は、
「はっはっは!」
と大笑いした。
「笑い事じゃありません!」
「分かった分かった」
俺の必死の抗議に、家康もようやく折れた。
もう一度、御神体へ触れる。
「では、元の色へ戻れ」
一瞬。
若々しい漆黒だった髪が、元の年相応な白髪混じりへ戻った。
「……惜しいのう」
家康が、少しだけ残念そうに鏡を見る。
「父上……」
秀忠が呆れた声を出す。
「祖父上、随分とお気に召しておられましたね」
家光兄上も笑う。
「若い頃の血の沸き立つような日々を、少し思い出しただけよ」
「だから、髪の色しか変わってませんからね!」
◆
御神体は唐櫃へ戻された。
白布で包まれ。
再び注連縄を掛け。
厳重に封をする。
神職と巫女は何度も深く頭を下げ、帰路についた。
御異物改方の台帳には、新たな一件が追加された。
『正式名称:《髪色改変石》』
『区分:御異物』
『系統:理外系・由来不明』
『作用:接触者本人の頭髪色を、本人の意図した色へ変更』
『現地俗称:《若返り石》《髪黒石》』
『所有:○○社』
『危険性:物理低・悪用低~中・社会的誤認高』
『管理:現地保管・祭礼使用継続許可』
俺は台帳へ朱筆を入れながら呟いた。
「……髪の色を変えるだけなんですよね」
『ええ。髪の色を変えるだけね』
「なのに、大御所様が黒髪になった瞬間、座敷にいた全員があんなに驚いて、目を輝かせた」
『人間、見た目の影響って大きいから』
俺は少し考える。
「現代なら、ドラッグストアで買える美容用品」
『そうね』
「江戸時代なら、奇跡の若返りの神宝」
『そういうこと』
髪の色が変わる。
ただ、それだけの御異物だった。
だが。
白髪の大御所様が、一瞬にして若い頃を思わせる黒髪へ戻った時。
座敷にいた誰一人として。
それを、
『ただそれだけのことか』
とは言わなかった。
……うん。
江戸時代なら。
これは間違いなく、立派な奇跡だった。
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