暴君忠長に転生したので、兄上のために日本列島をメンテします 〜SFチートのはずが、田んぼと水路と寺社ノードの保守係なんですが〜   作:パラレル・ゲーマー

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第20話 水神様、知識にも地雷があると知る

 世界の宗教ネットワークやら、現実世界に重なる信仰レイヤーやら、あまりにも壮大すぎる神話宇宙論をKAMI様から聞かされた翌日。

 

 俺は江戸城の自室で、相変わらず文机に突っ伏していた。

 

「……無理だろ。これ以上、何をどうしろってんだよ」

 

 独り言が、乾いた冬の空気に虚しく消える。

 

 道祖神ノードを再起動したことで解放されたマップの端には、未だに『外海経路:未接続』の不穏な文字列が点滅している。

 

 海の向こうには、日本の神仏とは異なる『外の神聖』があり、それらは現実の国家や交易、ひいては戦乱の歴史と分かちがたく結びついているという。

 

(海の向こうと関わるなら、何はともあれ文字が読めなきゃ話にならない。ラテン語にポルトガル語、スペイン語……どれ一つとして、今の俺にはサッパリアラビア文字レベルで分からん。前世の薄っぺらい記憶だけに頼る現代知識チートなんて、検索機能がなきゃ完全にポンコツじゃないか)

 

 いくら歴史の知識があっても、現地語のテキストが読めなければただの置物だ。

 

 俺は、己の無力さを痛感しながら、この袋小路を突破するための「何か」がないかと、必死に脳内を引っかき回していた。

 

「……国松。朝から何をそのように唸っておるのだ」

 

 聞き慣れた声に顔を上げると、ふすまの隙間から竹千代兄上が静かに入ってくるところだった。

 

 そのすぐ後ろには、まるで影のように天海僧正が付き従っている。

 

「あ、兄上……。いえ、少しばかり、文字や知恵についての壁にぶつかっておりまして」

 

 俺は姿勢を正し、二人に向けて慎重に言葉を選んだ。

 

「水源を調べ、道を整えることは、少しずつ形になってまいりました。ですが……今後、もし異国の古い書物や、過去の複雑な水利の記録を読み解く必要が出た時、今の私の浅はかな知恵だけでは、あまりにも危ううございます。何か、古き文字や知恵が集まるような『接続点』はございませぬか?」

 

 天海を交えたこの場で、下手に「翻訳アプリが欲しい」とは言えない。

 

 俺はあくまで「古い記録を精査するための場所」を求めているという風を装った。

 

 天海は、長い白眉を微かに動かし、深く静かな瞳で俺を見つめた。

 

「……知恵の集まる、接点にございますか。ふむ。それならば、江戸のすぐ近郊にある、ある古い寺の『経蔵』が思い当たりまするな」

 

「経蔵……でございますか」

 

「はい。仏典や漢籍、古き暦から、かつて旅の学僧が持ち込んだ異国の紙片に至るまで、多種多様な書物が収められておる蔵にございます。されど……近年は住持も変わり、管理が行き届かず、湿気と虫によって随分と傷みが進んでいると聞き及びます」

 

(経蔵……。要するに、江戸時代初期のアナログな知識保存サーバーか!)

 

 俺の胸の奥で、カチリと何かが噛み合う音がした。

 

 そこに行けば、俺の端末が「知識」のネットワークと同期し、何らかのブレイクスルーが起きるかもしれない。

 

 だが、隣で聞いていた竹千代が、冷徹な為政者の目で俺を睨み据えた。

 

「国松。その蔵へ行くのは許す。……だが、そこで何かを『知った』としても、それをすぐに外へ漏らすな。広めるなよ」

 

「……兄上?」

 

「言葉や知恵というものは、水よりも速く、広く染み渡る。一度民の間に広がってしまえば、たとえ公儀の力であっても、二度と元の蔵へ戻すことはできぬのだ。お前がまた、突拍子もない知恵で天下を揺らすのではないかと、私はそれが恐ろしい」

 

「……肝に銘じます。知ることと、それを使うことは、全く別の政にございますゆえ」

 

 兄上の、数え九つとは思えないほど鋭い釘刺しに、俺は深く頭を下げた。

 

 知識もまた、扱いを間違えれば国を滅ぼす兵器になる。その本質を、未来の将軍はすでに本能的に理解していた。

 

     *

 

 翌日。

 

 俺は竹千代の許可を得て、天海、半兵衛、そして数名の護衛を連れ、江戸近郊の小寺へと向かった。

 

 初冬の冷たい風が吹き付ける中、俺は「巡行補助:初段」の歩行バフのおかげで、一度も息を切らすことなく目的地へと到着した。

 

「……うわぁ、これは思った以上に重症だな」

 

 寺の奥にひっそりと佇む、総木造りの古い経蔵。

 

 その扉を開けた瞬間、カビと埃、そして古い紙が腐りかけたような、特有の重苦しい匂いが鼻を突いた。

 

 雨漏りの跡が黒くシミを作っている壁。

 

 床板は湿気でぶよぶよと歪み、棚に並べられた分厚い巻物や冊子には、容赦なく虫食いの穴があいている。

 

 紐が切れてバラバラになった巻物や、分類用の竹札が床に散乱している様は、まさに知の墓場だった。

 

 懐の端末が、ポケットの奥で激しくバイブレーションを響かせる。

 

 画面を盗み見ると、予想通りのシステムテキストが流れていた。

 

『未解放信仰ノードを検出』

 

『種別:経蔵・文書・知恵補助小ノード』

 

『状態:休眠/湿害/虫損/分類情報欠損/写本連携低下』

 

『推奨:清掃・乾燥・分類・虫損隔離・写本保護』

 

(完全に、公共図書館のデータベースサーバーが物理的にクラッシュしかけてる状態じゃねえか、これ……!)

 

 俺は、あまりの惨状に眩暈を覚えながらも、すぐに「保守係」としての腕をまくった。

 

「天海様、半兵衛、村の者たちもよく聞け。此度の作業、何よりも『火気厳禁』だ! 行灯や松明は絶対に蔵の中に持ち込むな。明かりは外の陽の光だけで賄う。それから……」

 

 俺は、前世の図書館の知識や、現代の衛生管理の常識をフル回転させて指示を出した。

 

「湿った書物を、焦って直射日光に当てすぎるな。紙が痛んでボロボロになる。風通しの良い日陰で、ゆっくりと湿気を飛ばすのだ。虫食いのひどい書物は、これ以上被害が広がらないよう、すぐに別の箱へ隔離しろ。破れた巻物は無理に開くな。破片が散る。……よし、分類の札を付け直していくぞ!」

 

 俺が的確に、かつ迅速に指示を出すと、半兵衛が目をキラキラと輝かせて帳面を開いた。

 

「若君……! 書物の扱い、そして湿気や虫の防ぎ方に至るまで、これほどまでに緻密な知恵をお持ちとは……!」

 

「ただの常識……いや、知恵の基本だ。紙というものは、水と、虫と、火に極端に弱い。それを守るのが、蔵の役目だろう?」

 

 俺が手を動かしながら答えると、横で静かに書物を運んでいた天海が、深く息を吐いて手を合わせた。

 

「なるほど。……水神様が、その御力を以て、今度は『水』の害から書物を守られる。まこと、理にかなった御姿にございますな」

 

「天海様! なんでそう、普通のお掃除を神話の文脈に変換するんですか! 私はただの、お片付けの係です!」

 

「それこそが、神仏の御用というものにございます」

 

(だめだ、この怪僧、完全に俺を生き仏のフォルダに分類し直してやがる……!)

 

     *

 

 作業を進めていた数刻後、床に散乱していた古い紙片の束を整理していた半兵衛が、不思議そうな声を上げた。

 

「……若君。これは、何と書かれているのでございましょう。漢籍とも、我が国の文字とも思えぬ、妙な這いつくばったような墨の跡がございますが」

 

 半兵衛が差し出してきたのは、ひどく変色した、羊皮紙か、あるいは目の詰まった異国の紙の断片だった。

 

 そこに書かれていたのは、アルファベットの羅列。

 

 ポルトガル語か、スペイン語か、あるいはラテン語の断片。

 

 当然、今の俺の目で見ても、ただの幾何学的な記号にしか見えない。

 

 だが、その紙片に触れた瞬間、俺の視界の端が、微かに青く明滅した。

 

『異文書片を検出』

 

『文字体系:未登録(多言語意味解析レイヤー休眠中)』

 

『推定カテゴリ:宗教文書/航海記録/通商書簡の可能性あり』

 

『読解補助機能:未解放。ノードの起動を推奨』

 

(……ビンゴだ。これ、完全に翻訳チートの餌じゃん!)

 

 俺の胸が、期待でドクドクと高鳴る。

 

 天海が、横からその紙片を覗き込んできた。

 

「異国の、南蛮の文字にございますな。国松様、何と書かれているか、お分かりになりまするか?」

 

 俺は、かつて竹千代兄上に言われた「知ることと、口にすることと、動くことは別だ」という厳しい言葉を思い出した。

 

 ここで下手に「これはキリスト教の聖書の一節ですね」などと言えば、それだけで俺の首が物理的に飛ぶ。

 

「……いいえ、分かりませぬ」

 

 俺は、その紙片をそっと丁重に別の箱へと収めた。

 

「今は、ただの『異国の古い紙』として、混ざらぬように厳密に保管しておきましょう。意味が分からぬものを、無理に読もうとすれば、かえって知恵を誤りますゆえ」

 

 俺の極めて慎重な、抑制の効いた態度を見て、天海は深く感心したように目を細めた。

 

「……素晴らしいご判断にございます。知を求めながらも、その危うさを知っておられる」

 

(いや、ただ単に兄上に怒られたくないだけです!)

 

     *

 

 丸一日の大掃除と、書物の分類、虫損の隔離作業が、ようやく終わった。

 

 経蔵の中は見違えるほど風通しが良くなり、床や棚も綺麗に整頓されている。

 

 俺は経蔵の中央に立ち、静かに手を合わせた。

 

(この蔵に眠る古い知識が、できるだけ正しく後世に伝わるようにします。……ただし、この時代の人間にとって『危なすぎる知識』に関しては、私がうっかり口を滑らせる前に、何かしらの安全装置をかけてください。お願いします)

 

 自分のガバガバな表情筋と口の軽さを自覚しているからこその、必死の神仏、もしくはシステムへの祈り。

 

 すると、端末がこれまでにない、ひときわ重い振動を返してきた。

 

『清掃完了/湿害軽減/虫損隔離に成功』

 

『分類情報、仮復旧を完了』

 

『知識保存ネットワーク接続:微弱回復』

 

『管理者候補認証:部分一致』

 

『経蔵・文書・知恵補助小ノード:再起動(オンライン)』

 

 脳内がパッと晴れ渡るような、奇妙な感覚。

 

 視界に、これまでとは違う、膨大な「文字の羅列」のレイヤーが展開されていく。

 

『初回知識保存ノード解放報酬を付与』

 

『知識照合補助:初段を展開』

 

『異文読解補助:初段を展開』

 

『多言語意味解析:試験版を有効化』

 

『未知情報開示リスク警告システム:起動』

 

『歴史影響予測レイヤー:限定起動を完了』

 

(きたあああああ! ついに翻訳チート、知識照合チートのベースが来たぞ!)

 

 俺は内心でガッツポーズを決めた。

 

 これで、先ほどの南蛮の紙片も読めるようになるはず――。

 

 そう思った、次の瞬間だった。

 

 俺の視界が、突如として禍々しいほどの「真っ赤な光」で埋め尽くされた。

 

『【警告】重大な歴史変動リスクを検出』

 

『知識の読解、開示、および伝達は、現行時間軸における予期せぬ歴史改変を引き起こす可能性があります』

 

『実施方法の不完全さ、および産業・社会基盤の不足により、未曾有の災害や混乱を招くリスク:極大』

 

『――それでも、この知識照合・開示機能を有効化しますか?』

 

 画面には、冷酷な三つの選択肢が点滅していた。

 

【有効化する(リスクを承諾)】

 

【保留する】

 

【詳細・影響予測を確認する】

 

「……待って。何これ、めちゃくちゃ怖いんだけど」

 

 俺の顔から、一瞬で血の気が引いた。

 

 便利な自動翻訳アプリが手に入ったと思ったら、起動した途端に『歴史改変免責同意書』という名の、とんでもない呪いの警告文を突きつけられたのだ。

 

「し、詳細! 詳細を確認!!」

 

 俺が心の中で叫ぶと、端末は淡々と、開示され得る知識の「リスク例」をリストアップし始めた。

 

『医療知識(抗生物質、種痘等):平均寿命の大幅な伸長に伴う人口動態の変化、および公儀の軍事動員数の爆発的増加。宗教・医療権威の崩壊リスク』

 

『製鉄知識(高炉、近代冶金):大量の武器生産による国内の軍事均衡の崩壊、および森林資源の急速な枯渇リスク』

 

『天文知識(地動説等):既存の太陰暦、陰陽道、朝廷儀礼の否定に伴う、幕府の権威失墜、およびキリスト教圏との思想的摩擦リスク』

 

『印刷技術(活版印刷の量産):情報流通の高速化に伴う、反幕府文書・危険思想の拡散、および宗教運動の過激化リスク』

 

 俺は、あまりの重圧にその場で嘔吐しそうになった。

 

(重すぎるだろ、このシステム……! なろう小説の主人公みたいに、現代知識でサクッと無双して楽に生きたいだけなのに、知識を一つ出すたびに『世界の破滅リスク』と向き合わされるのかよ!)

 

 虚空に、KAMI様の呆れたような声が響いた。

 

『KAMI:当たり前でしょ。知識は刃物よ。使い方と時代を間違えれば、畑を耕す代わりに、世界を簡単に切り刻む凶器になるわ』

 

「俺は、ただ異国の本を読んで、ちょっと楽な農具を作りたいだけなんだが!」

 

『KAMI:本を読むだけならいいわよ。問題は、その読んだ内容を、いつ、誰に、どうやって話すかよ。あんたのそのガバガバな口から漏れた一言が、どれだけの人間を殺すか、少しは自覚しなさいな』

 

 俺は、震える手で画面の選択肢を選んだ。

 

「……有効化する。ただし、設定は『警告強度:極大』。宗教、医療、軍事、外交に関するカテゴリは、必ず二重の確認画面を出すようにしてくれ!」

 

『了解。設定:警告強度【高】、開示前確認【有効】を適用しました。……これであんたの端末は、完全な『保護者制限』モードね』

 

「……俺が不甲斐ないせいで、端末が過保護にならざるを得なかったんだよ!」

 

     *

 

「国松様……? 急に顔色が真っ白になられましたが、いかがなされましたか?」

 

 天海が、本気で心配そうな顔をして俺の顔を覗き込んできた。

 

 半兵衛も、慌てて筆を置いて駆け寄ってくる。

 

「あ、いや……。少しばかり、頭の中に重すぎる知恵の仕組みが流れ込んできまして。……大丈夫です。ただの、安全装置の確認にございます」

 

 俺は、試しに、すでにこの世界に開示してしまった知識である「手洗い・うがい」を脳内で検索してみた。

 

『既開示知識:カテゴリ【衛生習慣】』

 

『歴史影響度:低〜中』

 

『効果:一部の接触・経口感染症の罹患率低下』

 

『限界:天然痘、麻疹などの空気感染経路には無効。水質悪化時は逆効果のリスクあり』

 

(あ……なるほど。こうやって、自分の出した知識の『限界』や『副作用』を、客観的な数字として出してくれるのか。これは……確かに便利だ)

 

 仕様が分かってくると、少しだけ恐怖が和らいだ。

 

「何か、新たなる御神託が?」

 

 天海が尋ねる。

 

「御神託ではございませぬ。……ただ、先日私が広めた『手洗い』は、確かに病を遠ざける理にございますが、決して万能ではない、という確認にございます。空気から入る強力な病には通じませぬし、水そのものが汚れていれば、かえって病を広げる毒にもなります」

 

 天海は、深く、深く感心したように頷いた。

 

「なるほど。……神仏の授けられた清めの作法であっても、その『限界』を正しく知らねば、かえって民を迷わせるということ。誠に、深い知恵にございますな」

 

(よしよし、いい感じに現実的なブレーキとして受け止めてくれたぞ。……天海様のこの高度な翻訳能力、時々本当に助かるな)

 

     *

 

 調子に乗った俺は、うっかり脳内で「天然痘・種痘・牛痘」という、現代人なら誰もが知っている医学の歴史を思い浮かべてしまった。

 

 その瞬間、視界が破滅的な真っ赤な光で埋め尽くされ、脳内に強烈なアラート音が鳴り響いた。

 

『【極大警告】カテゴリ:医療・公衆衛生【種痘法】』

 

『影響度:測定不能(極大)』

 

『乳幼児生存率の爆発的上昇に伴い、現行の農村基盤・食料生産能力を遥かに超越する人口爆発が発生するリスク:98%』

 

『年貢制度の崩壊、飢饉の激甚化、および幕府・朝廷の権威失墜に伴う大内乱の予兆あり』

 

『――それでも、この知識を開示しますか?』

 

「しません!!! 絶対に今はしません!!! キャンセル!!! 全消去!!!」

 

 俺は、心の中で肺が破れるほどの勢いで絶叫し、そのタスクを脳の最深部へと封印した。

 

「わ、若君!? 今度は急に、額から凄まじい冷や汗が……!」

 

 半兵衛が、本気で狼狽して俺の身体を支えようとする。

 

「……だ、大丈夫だ、半兵衛。ただ……今、あまりにも危険すぎる『命を救う知恵』を思い出してしまった。……だが、今のこの日ノ本という器には、到底収まりきらぬ劇薬だ。ゆえに……完全に、封印する」

 

 俺のその悲痛な言葉を聞き、天海の目が、これまでにないほど重く、深い畏怖の色を帯びた。

 

「……命を救う知であっても、時と器がなければ、国を滅ぼす毒になる。……それを、わずか七つにして見極め、自ら封印なされるか。国松様、その御覚悟、拙僧、魂の底より平伏仕るほかございませぬ」

 

「あ、いや、そんな大層な覚悟じゃなくて、ただ人口爆発で餓死者が出るってシステムが言ったからでして……」

 

「知恵の暴走を自ら統べる者。……まこと、尊き御姿にございます」

 

(だめだ……。俺が恐怖でビビって封印しただけの行為が、天海様の脳内で『知恵の暴走を統べる偉大な生き仏』のスタンプをドンと押されてしまった……!)

 

     *

 

 俺は、さらにいくつかの知識を頭の中でテストしてみた。

 

 例えば、地球が太陽の周りを回っているという「地動説」。

 

『【警告】カテゴリ:宇宙観・天文学【地動説】』

 

『影響度:高』

 

『既存の太陰暦、陰陽道、朝廷の儀礼思想との全面衝突。キリスト教圏の思想的流入を加速させるリスクあり。現段階での開示は【非推奨】』

 

「地動説、やっぱり超地雷じゃん! ガリレオが裁判にかけられる時代だもんな、今!」

 

「ちどう……とは、何にございますか?」

 

 天海が尋ねてくるが、俺は即座に首を横に振った。

 

「何でもございませぬ! ただの、天の星の無駄話にございます! 忘れてくだされ!」

 

『適切な判断です。知識の秘匿度を【高】に設定しました』

 

 端末の画面に、静かな青い文字が浮かぶ。

 

(……よし。初めてシステムに褒められたぞ。知ってるからって、何でもかんでも喋っちゃ駄目なんだ。この世界の知識チートは、そういう『言わないゲーム』なんだな)

 

 さらに、農具を増やすための「高炉」についても検索する。

 

『カテゴリ:製鉄・冶金【高炉技術】』

 

『影響度:中〜高』

 

『農具の生産効率は向上するが、同時に鉄製武器の大規模量産を可能とするため、大名間の軍事均衡を破壊するリスクあり。推奨:小規模な鍛冶の効率化、および修理技術の開示に限定せよ』

 

(俺は、ただ草祓い車や鍬の先を壊れにくくしたいだけなのに、どうして一瞬で戦争の影がチラつくんだよ……。人間って、鉄が増えたらやっぱり鍬じゃなくて槍を作っちゃう生き物なんだな)

 

『KAMI:当たり前でしょ。だから、あんたが今やるべきなのは世界を変える産業革命じゃなくて、目の前の経蔵の分類表を作ることよ』

 

「……分かってるよ。身の丈に合わないことはしないさ」

 

     *

 

 最後に、俺は先ほど半兵衛が見つけた「南蛮の文字の紙片」へと視線を戻した。

 

 端末の【異文読解補助】が起動し、画面に薄白い翻訳のテキストが重なっていく。

 

『多言語意味解析:試験版を適用』

 

『言語:ラテン語/初期ポルトガル語の混在』

 

『大意:神への祈祷文、および宗門への絶対的な誓約の断片』

 

『危険度:【高】。現行の禁教令の方針と完全に衝突する内容を含みます。詳細な読解は非推奨。閲覧を制限します』

 

「うわ……やっぱり、ガチのキリスト教の布教文書の断片だったか」

 

 俺の言葉に、隣にいた竹千代が、鋭く目を光らせた。

 

「……国松。内容は、何であった」

 

「……詳しくは読まない方がよろしゅうございます、兄上」

 

 俺は、その紙片を箱に収め、固く蓋を閉じた。

 

「ただ、海の向こうの、今公儀が最も警戒している宗門の、深い祈りの言葉にございます。私たちが今、軽々しく触れてよいものではございませぬ。厳重に封印し、誰も見ぬ場所に保管すべきかと存じます」

 

 竹千代は、俺の目をじっと見つめ、やがて満足そうに深く頷いた。

 

「……正しいな。読めるからといって、全てを読む必要はない。分かるからといって、全てを話す必要はない。使えるからといって、全てを広める必要はない。……国松、お前は、知恵の『手綱』の握り方を、実によく分かっておる」

 

「……兄上。私はただ、これ以上厄介な仕事を増やして、兄上に本気で怒られたくないだけでございます」

 

「それでよい。その怯えこそが、徳川の天下を最も安全に守る盾となるのだからな」

 

 次期将軍たる兄の、圧倒的な情報統制のセンス。

 

 俺が善意や好奇心で歴史を燃やしかねないということを、彼は誰よりも正確に予期し、そしてその安全弁として、俺をしっかりとコントロールしようとしてくれていた。

 

     *

 

 江戸城に帰還した後、俺と竹千代は、今回の巡回報告書をまとめていた。

 

 半兵衛が、またしても目をギラギラさせながら表題の草案を差し出してくる。

 

『水神様、道祖神地蔵を起こし道を開き給う覚』

 

「半兵衛!! だからその、俺が神話の主人公みたいな名前をつけるのはやめろと言っているだろうが!」

 

「では……『国松様御田法・知恵蔵開示之覚』」

 

「それもダメだ! 知恵を開示したんじゃない、掃除して隔離しただけだ!」

 

 結局、俺の必死の抵抗により、正式な表題は極めて地味なものに落ち着いた。

 

『竹千代様御試み田法 近郊古道并経蔵巡回報告』

 

「よし、これでいい。……って、半兵衛! お前、また欄外の端っこに小さく『国松様御案』って書き添えてるだろ! 見えてるぞ!」

 

「ははっ、事実を曲げるわけにはまいりませぬゆえ」

 

 生真面目すぎる部下のこだわりを、俺はもうツッコむ気力すら失っていた。

 

     *

 

 夜。

 

 自室の布団の中で端末を開くと、新しいステータスが静かに表示されていた。

 

『知識照合補助:初段』

 

『異文読解補助:初段』

 

『歴史影響予測:限定起動』

 

『警告強度:高(保護者制限有効)』

 

『高リスクカテゴリ:医療/軍事/宗教/外交/大規模産業』

 

『推奨タスク:経蔵分類表の作成』

 

「……はぁ。新しく手に入ったタスクが、結局アナログな『本の目録作り』って、地味すぎるだろ」

 

 俺は画面を閉じ、深い溜息をついた。

 

 俺が本当に欲しかったのは、なろう小説の主人公が使うような、何でも一発で解決してくれる便利な無双知識チートだった。

 

 けれど、この世界で手に入ったのは、知識の向こう側にある「歴史の崩壊リスク」や「人間の業」の重みまで、これでもかと突きつけてくる、ひどく面倒で、胃に悪い警告機能だった。

 

 だが、たぶん、これでいいのだ。

 

 水路も、道も、祠も、そして知識も。

 

 どれほど素晴らしいものであっても、一気に流し込んでしまえば、器であるこの時代は簡単に壊れてしまう。

 

「……まずは、地味な分類表の作成から、一歩ずつパッチを当てていくしかないな」

 

 画面が消え、真っ暗になった部屋の中に、初冬の静かな夜風の音だけが、優しく響いていた。




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