暴君忠長に転生したので、兄上のために日本列島をメンテします 〜SFチートのはずが、田んぼと水路と寺社ノードの保守係なんですが〜 作:パラレル・ゲーマー
慶長十八年、旧暦正月明け。
新年の重苦しい儀礼の連続と、柳生宗矩による「ひたすら逃げ回る」という地獄の護身訓練をなんとか乗り越え、俺は自室の畳の上で大の字になっていた。
「はあ……終わった。儀式の山も、柳生様のプレッシャーも、とりあえずは一区切りだ……」
全身の筋肉が微かに悲鳴を上げているが、心は少しだけ晴れやかだった。
なんといっても、俺は『竹千代附・水土異物御用見習』という正式な役目を得たのだ。これでもう、ただの「便利な不思議な子供」として無秩序に神輿に担がれる危険は大幅に減ったはずだ。
しかも、竹千代兄上の話によれば、俺の手足となって働く「部下」が何人かつくらしい。
(これでようやく、俺が一人で泥田を走り回り、祠を掃除し、港で怒鳴り散らす日々から解放されるかもしれない。人に任せられるところは任せて、俺は後ろでふんぞり返って指示を出せばいいんだ)
そんな甘美な未来を想像しながら、俺は懐の端末をこっそり開いた。
青白い画面には、今後の業務予測が淡々と表示されている。
『補助人員:増員可能』
『業務効率改善見込み:中』
『管理負荷上昇見込み:高』
俺は、一番下の文字からそっと目を逸らした。
「よし、最後の一行は気にしないことにしよう。見なかったことにすれば、きっと存在しない」
すると、画面の端からKAMI様のポップアップがひょっこりと顔を出した。
『KAMI:現実から目を逸らすの、本当に得意ね。そんなんだから足元をすくわれるのよ』
「うるさい。今日はもう休業日なんだ。出てこなくていいです」
俺が端末を閉じようとしたその時、廊下からパタパタと小姓が走ってくる足音が聞こえた。
「国松様。竹千代様より、至急お召しにございます」
俺は畳に額をこすりつけながら、深いため息を吐き出した。
(……やっぱり、休業日なんてものは、この時代には存在しないらしい)
*
「兄上、今度は何ですか? 柳生様の追加稽古ですか? それともまた奇石の実験? 港の火事? 田んぼの害虫ですか?」
竹千代の部屋に入るなり、俺は早口で文句を連ねた。
だが、上座に座る竹千代は、俺の愚痴など全く気にした様子もなく、ただ冷ややかに顎で前を示した。
「全部に近い。……座れ」
「全部に近いって何ですか。もう帰っていいですか」
「座れと言っている」
有無を言わさぬ声に押され、俺は渋々指定された座布団に腰を下ろした。
そして、ふと竹千代の脇に目をやって、息を呑んだ。
そこには、俺の背丈ほどもありそうな、凄まじい量の書状がうず高く積まれていたのだ。
和紙の束、木箱に入った書状、丁寧に封がされた立派な文。それらが、まるで小さな山脈のように鎮座している。
「……兄上。この書状の山は、一体何ですか?」
嫌な汗が背中を伝うのを感じながら問うと、竹千代は表情をピクリとも変えずに答えた。
「一門衆、譜代の重臣、江戸近郊の領主、寺社、さらには江戸に出入りする上方・堺商人筋から届いた、問い合わせの山だ」
「……問い合わせ?」
「お前の『水土異物御用見習』という役目が、年始の場で内々に知れたからな。国松の動きが公儀に認められたと察した者たちが、我先にと探りを入れてきているのだ」
「まさか……」
俺は絶望的な顔で、その紙の山を見つめた。
「皆、お前の田法、井戸探し、水清めの作法、港の荷札管理、祠の修繕、奇石の噂、唐物の検分について、何かしら自分の領地や商いでも試せぬか、恩恵に与れぬかと聞いてきている」
「正式ルートになったせいで、仕事が全部、兄上経由で俺のところに一極集中するようになったってことですか……!」
「そうだ」
竹千代は平然と頷いた。
「直接お前の元へ押しかけてこない分、政治的には安全になった。だが、集約された分だけ、処理すべき量は爆発的に増える」
「安全と引き換えに事務処理が激増するの、現代社会の稟議制度で嫌というほど見たやつだ!」
俺が頭を抱えて叫んでも、竹千代には全く通じない。
*
「少し読んでやろう」
竹千代が、一番上にあった書状をペラリと開いた。
「『当家の領地におきましても、是非とも塩水による種籾選びを試したく……』」
「『正条植えとやらと、草を祓う車の図面を頂戴できぬか……』」
「『村の古い祠を掃除いたせば、枯れた水脈が戻るというのは誠にございますか』」
「『港の荷札を二重にする法、当家の船着場でも採用したく存じます』」
そこまではまだ、真面目な実務の問い合わせだった。
だが、竹千代が読み進めるにつれ、内容はどんどん怪しくなっていく。
「『手洗い・うがいの御清め作法を、当山でも霊験あらたかなる儀式として広めたく……』」
「『冬でも温かき奇石と同じものを、何卒一つ譲り受けたく……』」
「『国松様に一度、当家の田と水脈を直接見ていただき、御神託を賜りたく……』」
「もうやめてください!!」
俺は途中でたまらず、机に突っ伏した。
「多い……! そして後半、完全にオカルト目当てじゃないですか! みんな、私のやってることを『田んぼの秘術』とか『水神の奇跡』だと思ってますけど、秘術なんかじゃありません! ただの理にかなった『手順』です!」
俺が涙目で訴えると、竹千代は書状をパタンと置き、冷徹な目で俺を見下ろした。
「ならば、その『ただの手順』とやらを、誰にでも間違いなく分かるようにまとめろ」
「……」
俺は言葉を失った。
「それが一番大変なんですよ!! マニュアル化って、実務をやるより何倍も労力がかかるんですから!」
*
「泣き言を言うな。お前一人でやれとは言っておらぬ」
竹千代が、スッと扇子で隣の部屋を指し示した。
「そこで、お前の下に置く者を増やす。すでに手配は済ませてある」
「やったー!! 部下だ!! これでやっと現場の負担が減って、楽になる!!」
俺は机から跳ね起き、万歳をして喜んだ。
竹千代は、そんな俺をひどく冷ややかな目で見て言った。
「楽になるとは、一言も言っていないがな」
「今だけ喜ばせてください! 希望がないとやってられません!」
竹千代が合図をすると、ふすまが開き、四人の男たちが座敷に入ってきた。
「まず一人目だ。伊奈の筋から、普請と水路に通じた者を借り受けた」
紹介されたのは、がっしりとした体格に、日に焼けた精悍な顔つきの若い武士だった。
伊奈家といえば、徳川の治水・土木を担う代官頭の家系である。
「伊奈配下、榊原又兵衛(さかきばら・またべえ)と申します」
又兵衛は、低く落ち着いた声で挨拶をした。測量や水路の設計、村役人との泥臭い交渉を得意とする生粋の現場主義者だ。
「プロの土木担当! これは本当にありがたい!」
俺が目を輝かせると、又兵衛は俺の小さな身体を上から下まで値踏みするように見て、ポツリと漏らした。
「……失礼ながら。まだ七歳の若君に、田の理や水脈が分かるとは、俄かには信じ難く存じます」
竹千代がピクリと眉を動かしたが、俺はむしろ満面の笑みで頷いた。
「いいぞ! その反応が正常です! むしろ、いきなり『水神様!』とか拝んでこない実務家で安心しました!」
又兵衛は、俺の予想外の反応に少しだけ目を丸くしたが、「若君の法が本物かどうか、現場でこの目で見極めさせていただきます」と不敵に口角を上げた。
*
「二人目だ。これは、半兵衛の下につける書役だ」
次に進み出たのは、細身で色白、どこか神経質そうな顔つきの若者だった。
「青山新六郎(あおやま・しんろくろう)にございます。帳面の整理、分類、清書を得意としております」
「清書担当! これで台帳管理が劇的に楽になる!」
俺が喜んでいると、後ろに控えていた半兵衛が、先輩風を吹かせるように胸を張った。
「新六郎殿。共に、国松様の数々の御偉業と神異を、正しく後世の神話として書き残しましょうぞ」
「新六郎!」
俺は即座に彼の手を両手で握りしめた。
「頼むから、半兵衛の文体に染まらないでくれ! 事実だけを! 乾いた事務的な言葉だけで記録してくれ!」
新六郎は、俺の必死の形相に少し引き気味になりながらも、深く頭を下げた。
「承知仕りました。感情を交えず、極めて事務的に記録いたします」
「君、素晴らしいよ! 今後の事務方の希望だ!」
*
「三人目は、柳生宗矩からの推薦だ。お前の護衛兼、雑務を担う」
三番目は、いかにも身のこなしが軽そうな、柳生門下の若侍だった。
「庄田平八郎(しょうだ・へいはちろう)にございます。柳生様より、若君の『逃げ足』の稽古相手も務めるよう仰せつかっております」
「護衛というより、俺が逃走するルートの確保係ですね」
俺が確認すると、竹千代が真顔で頷いた。
「その認識でよろしい。危うい時は、こやつを盾にしてお前だけ逃げろ」
「それは平八郎に申し訳ないのでは……」
「若君を逃がすのが、私の唯一の役目にございますゆえ」
平八郎は、ニコリともせずに言い切った。覚悟が決まりすぎている。
*
「そして最後は、天海が手配した者たちだ」
最後に控えていたのは、墨染の衣を着た数名の僧侶たちだった。
いつの間にか座敷の隅にいた天海が、静かに微笑みながら言った。
「拙僧の方で、口が堅く、筆の立つ信の置ける僧を集めました。あくまで拙僧の預かりとして、必要な折に写本へ回す者たちにございます」
「写本チームだ! 印刷機がないこの時代の、最強の人力コピー機!」
「こぴい……とは?」
竹千代が怪訝な顔をする。
「同じものを、一言一句間違えずにたくさん書き写す役目のことです」
「ならば、経を写し慣れた寺の者たちは、まさにうってつけにございます」
天海が満足そうに頷く。
「やったー! これでさらに部下が増えたぞ!」
俺が小躍りしていると、端末のポップアップが非情なツッコミを入れてきた。
『KAMI:部下じゃなくて、それ完全に外部委託(アウトソーシング)ね』
「言い方が現代のビジネス用語すぎる!」
*
部下の顔合わせが終わると、竹千代は容赦なく本題に入った。
「さて、国松。問い合わせに一々個別に返状を書いていては、お前が倒れる。まずは先ほど申した通り、基本の手順書を作れ」
「つまり、教科書を作るんですね」
「きょうかしょ?」
「誰が読んでも、最低限同じ手順で、同じ結果が出せるようにするための本です」
「それだ」
竹千代は、パンと膝を打った。
だが、俺は嫌な予感しかしていなかった。
「……待ってください。つまり、その教科書の中身を、私が最初から全部口述筆記で書くってことですか?」
「お前以外に、全体の理と手順を正確に理解している者がいないだろう」
「また俺か!!」
俺は天を仰いだ。
竹千代が、容赦なく「作るべき資料の目録」を読み上げていく。
「『種籾選びの覚』『塩水選と洗い方の覚』『正条植えの試し方覚』『水札と水口管理の覚』『草祓い車の扱い覚』『試験田の区画分け覚』『収量記録の覚』……」
「どんどん本が増えてる! これ、書くだけで春になっちゃいますよ!」
さらに、港や生活に関するものまで。
「『手洗い・うがいの御清め作法覚』『荷札二重化と港の荷管理覚』。……以上だ」
俺が白目を剥いていると、半兵衛が嬉々として声を上げた。
「いずれこれらを全てまとめ、国松様御撰『水土御用大成』として、天下の奇書として語り継がれることに……」
「勝手に全集化するな! ただの業務マニュアルだ!」
*
俺は気を取り直し、部下たちを前にして「知識の分類会議」を始めることにした。
黒板の代わりに、大きな鳥の子紙を広げ、墨で線を引いていく。
「いいか、みんな。大前提として、俺の知識を『全部そのまま広める』のは絶対に駄目だ。場所や条件によっては、かえって逆効果になる毒もある。だから、まずは知識を分類する」
竹千代も、腕を組んで深く頷いた。
「うむ。分類せよ」
俺は、紙の左側に『甲(広めてよいもの)』と書いた。
「まず、条件付きで広めてよいもの。田んぼ関係の『塩水選』『正条植え』『水札管理』『草祓い車の原型』だ。これらは、決まりを守るなら広めた方が国のためになる」
又兵衛が、実務家らしい鋭い目で問いかけてきた。
「条件、と申されますと?」
「いきなり村全部でやらず、必ず『小区画』で試すこと。記録を残すこと。失敗しても隠さないこと。田に合わなければ無理せずやめること。……そして何より、『増収分を、すぐに年貢の増徴に直結させないこと』だ」
その言葉に、又兵衛は少しだけ顔を曇らせた。
「……若君。その『増えた分を年貢にせぬ』という条件は、領主や代官が最も嫌がりますな。米が増える法を教えながら、取るなというのは酷な話にございます」
俺が答えに窮していると、上座の竹千代が冷たく言い放った。
「嫌がる領主には、その法を渡すな。それだけのことだ」
又兵衛が、ハッとして竹千代を見た。
「……次期将軍の威を以て、従わぬ者には一切の益を与えぬ、と」
「そうだ」
「兄上、相変わらず政治的圧力が強い……」
俺は冷や汗を拭いながら、話を続けた。
港の『荷札の二重化』や『水濡れ対策』『洗い水と飲み水の分離』も、低リスクなので広めてよいカテゴリに入れた。
*
次に、真ん中の欄に『乙(地域差を見て慎重に広めるもの)』と書く。
「問題はここだ。『手洗い・うがい』の御清め作法。これは病を減らすために広めたいが……致命的な問題がある」
天海が、静かに答えた。
「水、でございますな」
「はい。江戸のような水が整備されつつある場所ならともかく、水が貴重な村で『日に何度も手を洗え』と言えば、飲み水が枯れます。逆に、汚れた泥水で洗えば、病を広げる結果になります」
竹千代が問う。
「ならば、どうする。誰から広める」
「まずは、確実に清い水を確保できる層からです。貴人、武士、大商人、医師、料理を扱う者。……そして、寺社です」
俺が天海を見ると、老僧は深く頷いた。
「寺社の手水作法として広めるのであれば、我らにお任せあれ。仏前を清める儀礼として、自然に根付かせましょう」
「ただし、水が清い場所限定です! 泥水で御清めとか言われると本末転倒ですからね!」
俺が強調すると、新六郎が静かに筆を走らせた。
『御清め作法、水質不良の地では非推奨』
「そう! それ大事! 新六郎、君は本当に優秀だ!」
俺は、感情を排して的確に記録する新六郎に拍手を送った。
さらに『井戸・水脈探索』もここに入れた。これは俺の端末、つまりノード接続がないとできないため、部下にはマニュアル化できない。
だが、事前調査なら可能だ。
「又兵衛。私が直接行く前に、古い井戸の位置、地名に『水』や『谷』がつく場所、湿地の有無、古い祠の場所などの『現地の情報』を事前に集めておいてくれ」
「つまり、若君が御神託を下す……もとい、地を見る前に、我らが地の理を集めておくのですな」
「それです! 予習資料があるだけで、俺の現場での負担が激減します!」
*
最後に、右端の欄に『丙(まだ早い/禁制)』と赤字で書いた。
「永冷石・永熱石の貸与。奇石の増殖。硝石・火薬の知識。高炉などの近代製鉄。外国との直接交渉。……そして、『疱瘡の予防法』だ」
俺が疱瘡の名を出した瞬間、座敷の空気が少しだけ重く沈んだ。
「これらは、絶対に駄目です。出せば国が壊れるか、飢饉を呼びます」
竹千代は、鋭い目でその赤字を見つめた。
「……命を救う知識であっても、今はまだ、封じるのだな」
「はい。食料生産と、国全体の制度という『器』が足りません」
少しの沈黙の後、竹千代は力強く頷いた。
「ならば、今は米と水だ。器を広げるために、まずは田を整える」
「はい。だからこそ、田んぼの手順書が最優先なのです」
*
知識の分類が終わると、俺は一つの重要な訂正を行った。
「皆、この田んぼのやり方を『秘術』だの『神の法』だのと呼んでいるが、それはやめてくれ。神秘にしてしまうと、失敗した時に『何が悪かったのか』を検証できなくなる」
「では、何と呼ぶ」
「田法……いや、『試験田法』にしましょう。まずは小さく試して、記録を取り、その土地に合えば広める。合わなければやめる。そういう方法です」
又兵衛が、深く感心したように頷いた。
「試験田法……。現場の土と水に問う。実によろしい名かと存じます」
竹千代も頷く。
「採用する」
半兵衛が、帳面に勢いよく書き込んだ。
『水神様御伝授・試験田法』
「だから『御伝授』を消せ!!」
俺が叫ぶより早く、新六郎が横から静かに口を挟んだ。
「恐れながら、半兵衛様。表題に『御伝授』と入れますと、これは神秘として受け取られ、試験と検証の意義が薄れます。ここは、極めて事務的に『試験田法覚』とするのが適切かと」
「……おお」
俺は感動で新六郎を見た。
「新六郎! 君は本当に希望だ! 半兵衛の暴走を止められる人材がついに現れた!」
半兵衛は少しだけ不満そうだったが、竹千代が無言で頷いたため、最終的に、マニュアルの名前は極めて地味な『試験田法覚』に落ち着いた。
*
次に、天海が手配した僧侶たちによる「写本体制」の確認だ。
「いいか、皆の者。この覚書を書き写すにあたって、絶対に守るべき掟がある」
俺は、真剣な顔で僧侶たちに告げた。
「勝手な追記は禁止。神話的な表現に直すのも禁止。数字は絶対に改変しないこと。そして……『年貢増徴禁止』の条件と、『失敗した時の例』は、絶対に削らずに書き写すことだ」
新六郎が、少しだけ不思議そうな顔をした。
「失敗例も、残すのでございますか? 普通は、成功した良き事のみを記すものでは……」
「違う。むしろ、失敗例こそが一番大事なんだ」
俺は断言した。
「水が深すぎて根が腐った。塩水選の塩が濃すぎて種が死んだ。そういう『どうやったら失敗するか』の記録があるからこそ、他の村は同じ過ちを避けられる。成功の裏には、必ず無数の失敗があるんだ」
その言葉を聞いて、竹千代が深く、力強く頷いた。
「……よく言った。失敗を隠す者は、いずれ国を誤る。その掟、厳に守らせよ」
*
最後に、問い合わせに対する具体的な返答方針と、俺の今後の行動予定が決まった。
すぐに返せるものには『試験田法覚』の写本を渡し、小区画での試験と結果報告を義務付ける。
しかし、俺が「直接見に行く」場所については、厳しく絞られた。
「すべてに行くのは無理だ。まずは、江戸近郊からだ」
竹千代が地図を広げ、又兵衛に候補地を挙げさせた。
「江戸近郊の御料地。品川・浅草周辺の水場。小石川・神田方面の新たな水路。駒込・本郷方面の寺社……。このあたりから攻めるのがよろしいかと」
「とりあえず、日帰りか一泊で行ける距離ですね。いきなり遠国へ行くのは、体力的に無理です」
俺が安心していると、竹千代が冷たく言い放った。
「今すぐではない。だが……いずれは、天下の全てをその目で見ることになるやもしれぬぞ」
「えっ……いずれ、全国行脚しろってことですか!?」
「逃げるなよ、国松」
俺は、山積みになった問い合わせの書状を見て、青ざめた。
(これ、江戸近郊が終わったら、次は関東、その次は東海、近畿……って、無限に巡回範囲が広がるやつじゃないか!)
*
その場で、部下たちに矢継ぎ早に仕事が割り振られた。
又兵衛には、試験導入候補地のリスト作成と、事前の水路・田の調査。
新六郎には、俺の口述の清書と、領地別の問い合わせ分類台帳の作成。
半兵衛は、相変わらず俺の発言記録だが、神話調にならないよう新六郎の厳重な監督下に置かれることになった。
「私が……新入りの新六郎殿に監督される側に……?」
「君は放っておくとすぐポエムを書くからね」
写本僧たちは別室でひたすら写経ならぬ写本作業。
平八郎は、巡回先の逃走経路の事前確認。
それぞれが自分の役割を理解し、一斉に動き始める。
「なんか……本当に、一つの組織として回り始めた感じがするな……!」
俺が少しだけ感動していると、竹千代が鼻で笑った。
「だから言っただろう。組織化するとな。……さあ、口述筆記を始めろ。まずは『種籾選びの覚』からだ」
「はい……」
*
夜。
喉を枯らし、頭を使い果たして自室に戻った俺は、布団に倒れ込みながら端末を開いた。
『補助人員:正式配置』
『写本体制:仮稼働』
『試験田法覚:作成開始』
『問い合わせ処理:竹千代経由に統一』
『神輿化リスク:さらに低下』
『水土御用処理能力:上昇』
『管理業務負荷:急上昇』
「……処理能力は上がったのに、俺の管理負荷も上がってる……!」
俺の悲鳴に合わせるように、KAMI様のポップアップが飛んできた。
『KAMI:組織ってそういうものよ。人が増えれば、できることの規模も大きくなる。でも、その分だけ責任も、確認作業も、報告書も増えるの』
「部下が増えたら、俺は楽にサボれると思ってたのに……!」
『KAMI:甘いわね。部下は“自分の分身”じゃないのよ。育てて、教えて、間違いを確認して、最後に責任を取る相手よ。……せいぜい、立派な中間管理職として働きなさいな』
「うわぁ……。前世の中間管理職の、胃の痛い記憶が蘇る……」
俺は、文机の上に視線を向けた。
そこには、新六郎が綺麗に整えてくれた新しい帳面が、昨日よりも三冊増えて山積みになっていた。
「……部下が増えたのに、俺がチェックしなきゃいけない帳面も増えるのはおかしくないか?」
端末は、冷たい青い光を放ちながら、無慈悲に答えた。
『正常です』
「正常じゃないよ!」
俺の虚しい叫びは、江戸の冷たい冬の夜風に流されていった。
こうして、俺の「水土異物御用見習」としての、終わりの見えない組織的業務が、本格的に幕を開けたのだった。
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