暴君忠長に転生したので、兄上のために日本列島をメンテします 〜SFチートのはずが、田んぼと水路と寺社ノードの保守係なんですが〜   作:パラレル・ゲーマー

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第31話 水神様、静かな成果に逆に怯える

 慶長十八年、旧暦二月下旬。

 

 江戸城の庭先を吹き抜ける風には、まだ冬の冷たさが残っているものの、日差しの下には確かな春の気配が混じり始めていた。

 

 田んぼでは、水路の泥をさらい、種籾(たねもみ)の準備に取り掛かる、本格的な農作業の始まりの季節である。

 

 俺は、自室の文机に広げられた複数の『報告書』を前に、腕を組んで深く息を吐き出していた。

 

 先日、『御異物改方(おいぶつあらためかた)』の試作第一号として発注した「火熾(ひおこ)し筒」の件。

 

 最初は、公儀の御用職人たちもひどく怯えていたという。

 

「南方渡りの、火の神具を作れとは……」

 

「我らのような下賎の者が、火を生む奇跡の筒など、作ってよいものか」

 

「下手に触れれば、火の神の祟りがあるのでは……」

 

 だが、ここで大御所様・家康の『政治力』が火を吹いた。

 

『これは神具などではない。天地の(ことわり)を使った、ただの道具である。これを公儀の管理下で正しく作り上げることこそが、徳川の御用であり、職人にとって無上の誉れである』

 

 その一言で、職人たちの意識は完全に、神具への畏れから「技術者魂」へと切り替わった。

 

 今では、竹細工師、指物師、鞘師の三系統が、「いかに筒と棒の隙間をなくし、空気を逃がさないか」という究極の気密性を巡って、プライドを懸けた技術競争に突入しているらしい。

 

(大御所様の一言、職人のモチベーション管理として強すぎるだろ……)

 

 俺は、報告書を読みながら感心するしかなかった。

 

 *

 

 ただ、一つだけ懸念があった。

 

 家康も、竹千代兄上も、秀忠父上も、火熾し筒の用途を極めて実務的に見ている。

 

 雨上がりの陣中での確実な火種確保。

 

 山仕事。

 

 寺社の灯明。

 

 そして、船上での予備。

 

(まあ、戦国時代を勝ち抜いた最終盤の大御所様が、これを見て『軍用』を考えないわけがないよな……)

 

 だが、火薬や兵器に直接繋がるような危険な応用へは、絶対に行かせない。

 

 俺はすかさず、新六郎に指示を出して強い釘を刺した。

 

「新六郎。職人と管理の役人に通達だ。『火薬場、および硝石を扱う蔵の付近での火熾し筒の持ち込み・使用は、いかなる理由があろうと絶対禁止』。それから、『厳格な火事対策の規定ができるまで、町方への流通・販売も一切禁止』。これを破った者は、公儀の咎めを受けると明記しろ」

 

 後日、その規定を見た家康は、楽しそうに笑っていたという。

 

『分かっておる。だからこそ、まずは公儀の厳重な監視下で試すのだ』と。

 

 それを聞いて、俺は少しだけ安心していた。

 

 *

 

「若君」

 

 そこへ、現場担当の又兵衛と、書記役の新六郎が、連れ立って部屋に入ってきた。

 

「江戸近郊の試験田候補地より、第一回の報告が上がってまいりました」

 

 又兵衛が差し出した帳面を、俺は少し緊張しながら受け取った。

 

 内容は、簡潔だった。

 

『塩水選、第一回、問題なく終了』

 

『浮いた種籾と沈んだ種籾の分別、完了』

 

『洗いを怠らず、真水にて三度念入りに洗いをかけたこと、確認』

 

『種籾の様子に異常なし』

 

『庄屋・代官・水番が立ち会い、記録を残した』

 

「……よしっ!」

 

 俺は、思わず拳を握りしめて小さくガッツポーズをした。

 

「よし……第一関門、突破だ!」

 

 去年は、俺自身が泥にまみれ、与平につきっきりで塩水の濃さから洗い方まで、直接現場で指導した。

 

 だが今年は違う。

 

 俺は城の奥にいて、現場の百姓や代官たちが、俺の作った『マニュアル』──試験田法覚の写本を読み、俺が直接手を下さずとも、手順を再現したのだ。

 

「俺がいなくても、ちゃんと『三度洗う』ところまでやったんだな……。マニュアルが、現場でしっかり機能した……!」

 

 俺が感動していると、新六郎が淡々と言った。

 

「写本に『塩水につけた後は、必ず真水で洗うこと。洗わねば種が死ぬ』と、三度にわたって念を押して記した効果かと存じます」

 

「新六郎! 君は本当に優秀だな! 大事なことは三回書く、マニュアル作成の基本だ!」

 

 だが、実務家の又兵衛は、ひどく冷静だった。

 

「若君、喜ばれるのはまだ早うございます。これはまだ、種籾の選別の第一関門を通っただけにございます」

 

「……」

 

「この先、苗代(なわしろ)で寒さにやられ失敗することも、田植えの正条植えで列が乱れることも、そして何より……上流と下流で水配分を巡って揉めることも、燃える場はいくらでも残っておりまする」

 

「燃えるって、揉めるって意味ですよね!? 分かってるけど、現場の人の口から聞くと怖いんだよ!」

 

 竹千代も、上座から冷ややかに言い放った。

 

「成功報告で浮かれるな。手順が一つ通っただけだ」

 

「兄上、厳しい。……でも、正しいです」

 

 俺は、浮かれかけた気を引き締めた。

 

 田んぼは、秋の収穫が終わるまで、何が起きるか分からないのだ。

 

 *

 

 次に、天海僧正と町方の役人経由で、別の報告が上がってきた。

 

 江戸の一部で、俺が提唱した「手洗い・うがいの御清め作法」が、急速に習慣化し始めているというのだ。

 

「特に、寺社の手水場(ちょうずば)、武家屋敷、料理を扱う大店の町家、そして……子を持つ母親や、医師、薬種商の間で、深く広がっております」

 

 天海が、どこか満足げに語った。

 

「その結果、江戸では……『冬から春先にかけて腹を壊す者が減った』『熱を出して寝込む子供が少ない』『台所が清潔になった』と、大変な評判になっております」

 

「厠の後に、必ず手を洗う家も増えたようでございますな」

 

 又兵衛も付け加える。

 

「……効いてる……!」

 

 俺は、思わず安堵の息を吐いた。

 

 現代の衛生観念が、江戸初期のこの時代でも、確かな病の予防効果を発揮したのだ。

 

 だが、すぐに俺の背筋に冷たいものが走った。

 

「……待って。これ、また『水神様の霊験』として過剰に扱われてないか?」

 

 天海は、にっこりと微笑んだ。

 

「ええ。すでに、『御清めの水神作法を行えば、あらゆる病が祓われる』として、民の間に篤く受け入れられておりますとも」

 

「やっぱり!! だから霊験扱いはやめてって言ったのに!!」

 

 俺は頭を抱えた。

 

「いいですか、天海様! 手洗いとうがいは、確かに病を遠ざけますが、決して万能ではありません! 疱瘡(ほうそう)や、大きな流行り病まで全て防げるわけではないんです!」

 

 竹千代が、俺の焦りを見て静かに確認を入れた。

 

「水で防げる病と、防げぬ病があるのだな」

 

「はい! だから、万能の霊験や奇跡みたいに広めるのは絶対に危険です! 万が一防げなかった時に、『水神様の祟りだ』とか『信仰が足りないからだ』って話になっちゃいます! あくまで『身を清潔にする日常の習慣』として広めてください!」

 

 天海は、俺の必死の訴えを聞き、深く頷いた。

 

「……なるほど。病をすべて祓う奇跡ではなく、己の身と場を清める、日々の『作法』として伝えるべきであると。承知仕りました。寺社の者どもにも、そのように厳命いたしましょう」

 

「それでお願いします、本当に!」

 

 俺は、衛生チートが宗教的暴走を引き起こすのを、間一髪で食い止めた。

 

 *

 

 報告が一通り終わった後、竹千代は俺が処理した案件を並べて、静かに整理した。

 

「火熾し筒は、公儀の職人が安全な管理の下で試作を始めた。田法は、国松が直接行かずとも、第一の手順が現場の百姓の手で正しく再現された。そして御清めの作法は、民の日常の習慣になり始めた」

 

 竹千代は、俺を真っ直ぐに見た。

 

「つまり、お前の仕事は、少しずつ『人の手で回るもの』になっているということだ」

 

 俺は、その言葉に少しだけ胸が熱くなった。

 

「俺がいなくても、回る仕組み……!」

 

「そうだ。それが組織であり、政というものだ」

 

 懐の端末から、KAMI様がひょっこりとポップアップを出した。

 

『KAMI:保守運用の理想ね。担当者が倒れても、マニュアルとシステムだけで現場が回る仕組み』

 

「いい言葉のはずなのに、なんで前世の『運用保守のトラウマ』が激しく蘇るんだろうな……」

 

 俺は一瞬、夢のようなことを考えた。

 

「仕組みが回り始めたってことは……俺の仕事も、そろそろ減るのでは?」

 

 だが、その淡い希望は、新六郎によって無残に打ち砕かれた。

 

「若君。新たな帳面にございます」

 

 新六郎が、俺の文机の上に、ドスッ、ドスッと新しい和紙の束を積み上げていく。

 

『火熾し筒試作・進捗台帳』

 

『試験田候補地別・進行記録台帳』

 

『御清め作法普及範囲・水場状況台帳』

 

『苦情・誤用報告台帳』

 

『試験田法覚・写本改訂履歴』

 

「……増えてる! 台帳の数が、前より確実に増えてる!!」

 

 俺が絶叫すると、新六郎は極めて涼しい顔で答えた。

 

「仕組みが回り、現場が広がれば、それに比例して管理し、確認すべき情報も増えます。当然の理にございます」

 

『KAMI:そういうこと』

 

「誰も俺を楽にする気がない!!」

 

 俺の嘆きは、春浅い江戸城の空に虚しく響いた。

 

 *

 

 江戸は、春の気配に満ちていた。

 

 火熾し筒の職人たちは、神具の恐れから解放され、公儀の道具として熱心に試作を進めている。

 

 試験田法は、俺の手を離れて第一関門の塩水選を突破した。

 

 手洗い・うがいの御清め作法は、病を減らす習慣として、江戸の一部で定着しつつある。

 

 すべてが、妙に順調だった。

 

 順調すぎて、俺はふと、背中に冷たいものが走るのを感じた。

 

「……なんか、順調すぎないか?」

 

 俺がぽつりと呟くと、竹千代が、書き物の手を止めて冷ややかな目を向けた。

 

「順調な時ほど、帳面を疑え。……本当に恐ろしい問題は、常に順調な顔をして、足音もなく近づいてくるものだ」

 

「兄上、怖いこと言わないでくださいよ」

 

 俺が身震いすると、端末のKAMI様が追い打ちをかけてきた。

 

『KAMI:嵐の前って、案外静かなものよ』

 

「やめて! そういうフラグを立てないで!!」

 

 俺は、山積みの台帳に目を落とした。

 

 火を起こす筒も、よく育つ種籾も、病を減らす清めの作法も。

 

 どれも成果であると同時に、次の火種だった。

 

 便利なものほど、管理を誤ればよく燃える。

 

 田も、町も、人の信仰も。

 

「……やっぱり、チートなんて楽なもんじゃないな」

 

 俺は、ため息をつきながら、新しい帳面のページを開いた。

 

 静かな春の始まり。

 

 だが、この平穏な時間が長く続かないことだけは、前世の歴史を知る俺の頭の片隅で、微かに、だが確かな警告音を鳴らし続けていた。

 

 

 




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