暴君忠長に転生したので、兄上のために日本列島をメンテします 〜SFチートのはずが、田んぼと水路と寺社ノードの保守係なんですが〜 作:パラレル・ゲーマー
慶長十八年、旧暦四月二十五日。
江戸の空はすっかり春めき、日差しには初夏の匂いすら混じり始めていた。
この二ヶ月の間、俺が立ち上げた「
「若君。
新六郎が持ってきた報告書を見て、俺は小さくガッツポーズをした。
「おお! ついにできたか!」
「はい。竹、硬木、角の三系統で試作させましたが、筒と棒の気密を保つのが想像以上に難しく、大量の不良品が出たとの由。……されど、職人たちが意地を見せ、現時点で十個の完成品が上がってきております」
「十個か。上出来だ!」
不良品の山ができたことは知っている。
だが、わずか二月足らずで南方渡りの技術を再現してみせた江戸の職人の意地は、素直に賞賛に値した。
しかも、この火熾し筒の完成に一番喜んだのは、他でもない大御所・家康だった。
『見よ。南方の火を生む筒を、徳川の職人が見事に作り上げたぞ。これは神の具ではない。人の手による世の理じゃ』
家康は上機嫌で、徳川の一門衆や重臣たちに、完成したばかりの火熾し筒を実演して自慢して回っているらしい。
(大名たちにドヤ顔で実験キットを自慢する大御所様……ちょっと楽しそうだな)
さらに、又兵衛からの現場報告も上々だった。
「若君。試験田の塩水選は複数の候補地で無事成功。真水洗いも徹底され、
「よしよし……田んぼの方も、完全に軌道に乗ったな」
俺は、熱いお茶をすすりながら深く息を吐き出した。
火熾し筒が十個完成。
試験田の苗代・水管理も順調。
手洗い・うがいの御清め作法も、江戸の町で確実に定着しつつある。
(怖いくらい、全てが順調だ……。ようやく、俺の『部下に投げて楽をする』中間管理職計画が、実を結び始めたぞ)
そんなふうに平和な春の午後を堪能していた、まさにその時だった。
*
「国松」
竹千代兄上が、いつになく重い足取りで部屋に入ってきた。
その顔から、普段の余裕が消え失せている。
「……駿府から、急ぎの報が入った」
「駿府?」
俺が茶を置くと、竹千代は短く、事実だけを告げた。
「
「大久保長安……」
俺は一瞬、その名前を何気なく聞き流しそうになった。
だが、前世の歴史ファンとしての記憶が、脳の深部でカチリと音を立てて繋がった。
「大久保長安、死去? ……あれ、それって『大久保長安事件』の始まりじゃ……?」
俺がうっかり口走った瞬間。
竹千代の動きが、ピタリと止まった。
「……事件?」
「あっ」
俺は慌てて口を塞いだが、遅かった。
懐の端末が、狂ったように青白い光を放ち、視界にARのシステムログを叩きつけてきた。
『未来知識開示判定中』
『対象事象:大久保長安死後処理』
『歴史影響判定:低』
『史実収束傾向:強』
『既存の権力構造、不正疑惑、勘定の滞留により、大局的な歴史変動の可能性は限定的』
『開示許可:条件付き承認』
『注意:開示内容により、処分対象・調査速度・関係者の運命に変動の可能性あり』
(……歴史の大筋は変わらないけど、俺が喋ることで『誰がどう裁かれるか』の細かい人の運命は変わる可能性があるってことか……!)
俺が青ざめていると、竹千代が、恐ろしいほどの無表情で俺を見下ろした。
「国松。……今のその顔は、何だ」
「あ、いや……」
「お前は、長安の死の先に、何を知っている」
俺は迷った。
だが、竹千代の目をごまかすことは絶対に不可能だと悟った。
「神仏……いや、私の端末は、話してもよいと判断しました。大局の歴史は揺るがないと。……ただし、細かな人の運命は変わる可能性があると」
竹千代の顔が、完全に能面になった。
「話せ」
*
俺は、冷や汗を拭いながら慎重に言葉を選んだ。
「……私の記憶にある後の世では、大久保長安殿の死後、彼にまつわる極めて巨大な『疑獄事件』が起きたと伝わっております」
「疑獄……」
「鉱山、財貨、代官、手代、そして彼が握っていた膨大な帳面……。不正蓄財の疑惑や、果ては幕府転覆の陰謀まで。どこまでが本当かは分かりません。後世でも謎が多いのです。ただ……彼の死後、公儀の猛烈な調査が入り、一族や関係者に、極めて重い処分が下されたはずです」
竹千代の目から、光が消えた。
「……長安は、金銀の鉱山と財政、そして全国の代官を広く握っていた。その男が死んだ途端に、全ての火種が火を噴くというのか」
「はい。たぶん……彼の持っていた『権限と帳面』が、あまりにも巨大すぎたんです」
俺は、言いながら自分でもゾッとした。
(これ……『担当者が巨大な権限を持っていて、本人しか全体の業務を把握していなくて、死んだ後に残された帳面が誰にも読めない』って……組織として最悪のパターンじゃないか……!)
竹千代は、ゆっくりと立ち上がった。
「……国松。大御所様と父上へ、直ちに報告する」
「い、今すぐですか?」
「今すぐだ。……これは、少し騒がしくなるなどという次元の話ではない」
*
急遽開かれた、江戸城の奥深くの密談の場。
火熾し筒の完成で上機嫌だったはずの家康の顔からは、すでに一切の笑みが消え失せていた。
竹千代が、端的に事実を報告する。
「国松が、大久保長安の死後について、後の世の知識を口にいたしました」
「……申せ」
家康の低く唸るような声が、座敷を震わせた。
俺は深く平伏し、先ほど竹千代に話した内容を、もう一度慎重に繰り返した。
「……どこまでが真実かは分かりませぬ。ですが、長安殿の死後、彼が握っていた帳面と財貨を巡って、幕府中枢が荒れに荒れることだけは、歴史の事実として残るかと存じます」
秀忠の顔が、見る見るうちに強張っていく。
だが、家康はしばらくの間、不気味なほどの沈黙を守っていた。
そして、ポツリと、地を這うような声で言った。
「……奴が束ねておった代官所の勘定が、ひどく滞っておるという話は……すでに入っておった」
(……っ!)
俺は、全身の毛穴が総毛立つ感覚を覚えた。
家康は、すでに長安が生きているうちから、その「火種」の気配を完全に察知していたのだ。
俺の未来知識は、ただその火種に油を注いだに過ぎない。
*
家康は、静かに、恐ろしく怒っていた。
激昂して怒鳴り散らすわけではない。
だが、その怒りは冷たく、重く、座敷の空気を完全に支配していた。
「死んだ者を、今さら責めても仕方あるまい。……だが」
家康の目が、暗闇で光る刃のように細められた。
「生きているうちに帳面を明らかにせず、配下に
「長安の配下、手代、代官所、鉱山関係者。全て、一から洗う必要がございます」
秀忠が、将軍としての冷徹な実務の顔で応じた。
「長安の葬儀は、止める」
家康のその一言に、秀忠がハッとして平伏した。
(史実通りだ……。勘定の滞りを理由に、家康公が長安の葬儀を差し止める……!)
俺は、家康の怒りの矛先が、長安の不正そのものというよりも、「帳面と権限の曖昧さ」に向かっていることを理解し、恐怖で震えた。
(これが、天下人の怒りか……。巨大な権限を持った人間が、責任を曖昧にしたまま死ぬことへの、底知れぬ憎悪……)
*
不意に。
家康の鋭い視線が、平伏している俺へと向けられた。
「国松。お前は、この長安の件から、何を見る」
俺は一瞬息を詰まらせたが、必死に頭を回して答えた。
「……『巨大な実務家の、死後処理の失敗』にございます」
座敷が、静まり返った。
「どれだけ有能であっても、一人の人間が、あまりにも多くの権限と帳面を握りすぎると、その人が死んだ瞬間に、組織の全体が壊れます。帳面が曖昧なら、残された有能な部下までが不正を疑われます。財貨の所在が不明なら、それが横領なのか、国への忠勤の結果なのかも分かりません。……そして、死んだ後では、本人はもう何も説明できないのです」
家康は、黙って俺の言葉を聞いている。
俺は、自分の首を絞めるのを覚悟で、言葉を継いだ。
「だから……私が今作っている『御異物改方』も、『水土御用』も。私一人が頭の中で分かっていればいい、では絶対に駄目なのです。私が急に死んだら、兄上や新六郎が読んでも、何一つ意味の分からない『謎の帳面と怪しい石』だけが残ります。……それでは、未来で必ず、同じことが起きます」
竹千代が、俺の言葉を聞いて静かに頷いた。
「……ようやく、己のこととして理解したか」
「はい。……正直、めちゃくちゃ怖いです」
*
竹千代は、即座に俺へ指示を下した。
「新六郎を呼べ。御異物改方と水土御用の全てに、『引き継ぎ用の台帳』を直ちに作らせる」
「また帳面が増えるんですか!?」
「今回は、笑い事ではないぞ、国松」
竹千代の冷徹な一言に、俺は口を噤んだ。
「お前が死んだ時、急に倒れた時、遠方へ行った時。残された者が、火熾し筒を、永冷石を、試験田法を、奇物を、どう扱えばよいか。誰が見ても分かるようにせよ」
秀忠も、父親としての顔を消し、将軍として厳しく加えた。
「分かる者だけが分かる帳面は、公儀の帳面ではない。ただの私物だ」
「……はい」
俺の懐の端末で、KAMI様のポップアップが飛んできた。
『KAMI:保守運用の基本ね。属人化を徹底的に潰しなさい』
「属人化……」
『KAMI:担当者しか分からない。担当者が死んだら仕事が終わる。担当者が悪事を働いても誰も検知できない。そういうブラックボックス化は、文明と組織の最大の敵よ。……あんたがやってることも、放っておけばいずれ第二の大久保長安になるわよ?』
「やめてください。本気で怖すぎます」
*
「長安の件は、こちらで全て調べる。国松、お前は今後一切、この件に口を挟むな」
家康の絶対の命令が下った。
「はい。承知いたしました」
「だが、お前の言ったことは覚えておく」
家康の目が、俺を真っ直ぐに見据えた。
「帳面というものは、人を殺す刃にも、人を守る盾にもなる。……お前の作る台帳は、徳川を守る盾にせよ」
「……はいっ」
「そして、火熾し筒の管理台帳も見直せ。火を生む道具の所在が少しでも曖昧になれば、それだけで江戸の町が焼けるからな」
「そこも増えるんですか……!」
「当然だ」
*
夜。
自室に戻った俺の机の上には、新六郎が超特急で用意した、新しい台帳の案が広げられていた。
『御異物改方・引継台帳』
『所有者一覧』
『保管場所一覧』
『使用許可者一覧』
『使用履歴記録簿』
『複製可否および複製条件』
『異常時対応手順』
『担当者死亡時処理手順』
『封印解除条件』
『禁止事項』
『責任者の連署枠』
「若君。これで、万が一若君が不在の事態に陥っても、最低限の管理は回ります」
新六郎が、淡々と事務的な声で説明する。
「……俺が死ぬこと前提の台帳って、やっぱり怖いな……」
「ですが、組織には必ず必要なものにございます」
「……うん。必要だ」
俺は、前世の記憶を思い出しながら、小さく頷いた。
火熾し筒は十個完成し、職人たちが燃えている。
田んぼは順調に進み、手洗い作法も民に根付き始めた。
すべてが、恐ろしいほどうまくいっているように見えた春の日。
俺は、一人の巨大な実務家の死によって、
『帳面が、人を殺すことがある』
という重すぎる現実を、骨の髄まで思い知らされたのだった。
「……俺の仕事、減るどころか、ついに『死後の引き継ぎ』まで始まったんだけど」
俺の愚痴に、端末は冷たい青文字で返してきた。
『保守運用とは、担当者の死後も続くものです』
「……重すぎるだろ、この世界」
春の夜は、嘘のように静かだった。
だが、その静けさの下で、駿府の帳面が、ゆっくりと、そして確実に血の匂いを帯び始めていた。
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