暴君忠長に転生したので、兄上のために日本列島をメンテします 〜SFチートのはずが、田んぼと水路と寺社ノードの保守係なんですが〜 作:パラレル・ゲーマー
慶長十八年、旧暦五月半ば。
大久保石見守長安が死去し、その死後に残された膨大かつ曖昧な帳面の数々が、駿府と江戸の空気をいまだに重く縛り付けていた。
その余波で、長安が代官頭として広く握っていた諸国の金銀山や領地、代官所から、公儀のもとへ凄まじい量の帳面や報告書が強制的に集められ、洗い出されることになった。
当然、俺たち「
「若君。……奥州筋より取り寄せた記録の中に、沿岸の村落の復興に関するものが混じっております」
新六郎が、仕分けの手を止めて、少しだけ重い顔で数冊の帳面を俺の机に置いた。
「奥州? 伊達殿の領地とか、相馬、南部の方面か?」
「はい。……およそ一年半前、慶長十六年の秋に起きた『大津波』の被害と、その後の復興に関する記録にございます」
俺の手が、ピタリと止まった。
「……津波」
俺は、震える手でその帳面を開いた。
そこには、江戸から見れば遠い海の惨状が、ひどく無機質に、冷たく記されていた。
『海沿いの村、
『寺の過去帳に、一度に多くの名が記さる。溺死者の身元、半数は知れず』
『祠も墓も流さる。高き所へ逃げた者のみ命を繋ぐ』
『海が異様に退いた後に、山のごとき波が来たと証言あり』
『大きな揺れののち、海を見に行った者は、一人として戻らず』
俺は、息を呑んだ。
「……これは。田んぼの水路とか、井戸の水脈とか……そういう、俺が今まで見てきた『水』とは、完全に桁が違う」
海の水が、大地を飲み込む。
その圧倒的な破壊力を前に、俺はただ帳面を見つめて押し黙ることしかできなかった。
*
「これは、私一人の裁量で分類していい記録ではない」
俺は即座に判断し、竹千代兄上へ報告を上げた。
記録の重さを見た竹千代は、すぐに家康、秀忠、そして天海を秘密の座敷へと招集した。
「……奥州の海か。伊達の地も、まだあの傷が痛んでおるか」
家康は、長安事件の調査で機嫌がすこぶる悪い時期だったが、この津波の記録には深く、重い反応を示した。
「津波とは、海の水が大地へ押し寄せる災いであったな」
秀忠も顔を曇らせる。
「はい。ただの高波ではございません。地震などで、海そのものが大きく動き、海岸へ途方もない勢いで押し寄せる災害です」
俺が説明すると、竹千代が静かに問うた。
「……地震と、海が繋がっているのか」
「はい。全てではありませんが、大きな津波の多くは、激しい地の揺れと関係して起こります」
*
その時。
家康が、俺を真っ直ぐに見据えて問うてきた。
「国松。……後の世の知恵を使えば、この津波とやらも、どうにかできるのであろう?」
その言葉には、明らかな『未来信仰』が含まれていた。
長安事件で帳面の恐ろしさを知り、硝石から氷を作る
秀忠も、父親として、将軍として、すがるように言葉を継いだ。
「海の水が来る前に、それを知る確かな術や、海を完全に防ぎ切るような巨大な
竹千代もまた、わずかに期待を含んだ目で俺を見つめた。
「お前の知る後の世なら、民を逃がすどころか、波そのものを抑え込む法もあるのか?」
天下人たちの、すがるような期待の目。
だが俺は。
彼らのその幻想を、真っ向から斬り捨てなければならなかった。
「……ありません」
座敷の空気が、完全に凍りついた。
「……ない?」
家康の目が、鋭く細められる。
「はい」
俺は、彼らの目を真っ直ぐに見返して、きっぱりと断言した。
「少なくとも、私の知る後の世の途方もない技術をもってしても、津波の発生そのものを止める術は、存在しません。……被害を完全に、一つ残らずなくすことも、不可能です」
家康から一瞬、苛烈な不機嫌の圧が放たれた。
期待を裏切られた落胆と、人の力ではどうにもならない自然の理不尽に対する、天下人の苛立ちだった。
*
だが、俺は怯まずに言葉を続けた。
「……後の世では、確かに多くの術が生まれました。地の揺れを観測する術。海の動きを精緻に測る術。どの海岸に、どれほどの高さの波が来るかを予想する術。それを遠くの村へ、一瞬で知らせる仕組み。巨大な防潮堤。避難のための道。高台への移転。訓練。地図。警報」
俺はそこで一拍置き、最も重要なことを言った。
「でも、それは全て『津波そのものを消す術』ではありません。人が逃げる時間をほんの少しだけ稼ぎ、一人でも多くの死者を減らすための、『被害を減らすための術』なのです」
懐の端末の画面に、KAMI様のポップアップが静かに浮かんだ。
『そうね。後の世の人類も、決して津波を支配したわけじゃない。少しだけ早く知って、少しだけ高い所へ、少しでも多く逃げる仕組みを作っただけよ。……自然を甘く見ちゃ駄目』
「……だから。未来にできるのは、海に対する『完全勝利』ではなく、泥臭く『被害を減らす努力』だけです」
俺が『未来万能論』を明確に斬り捨てると、座敷には重い沈黙が落ちた。
*
家康は、じっと黙考していた。
彼は天下人として、できることとできないことの線を引く男だった。
「……後の世でも、海は止まらぬか」
「止まりません」
「ならば、未来とて決して万能な神ではないのだな」
秀忠が呟く。
「はい。後の世は、今の世よりも少しだけ多くのことを知っていて、少しだけ便利な道具を持っているだけです。神ではありません」
竹千代が、鋭い視線で俺の言葉を『政治の言葉』へと翻訳した。
「……つまりこれは、『災いを消す策』を考えるのではなく、『死者を減らす策』を考えねばならぬということだな」
「はい。まさにそれです、兄上」
家康は、しばらくの沈黙の後、フッと息を吐いて低く笑った。
それは落胆の笑いではなく、現実と向き合う覚悟の息だった。
「ならば、それでよい。……海を止められぬなら、人を逃がす
*
俺は、現代の防災知識を、この江戸初期の時代で「できる範囲」に落とし込んで提案した。
「今すぐできること。まずは『高台の確認』です。村ごとに『逃げる高き所』を必ず決めておく。田畑や港からそこへ至るまでの道を塞がず、夜でも分かる目印を置くこと」
「そして、『津波の碑』や標柱を立てること。『ここより下に家を建てるな』『大きな揺れの後は海を見るな、ただ高き所へ逃げよ』という警告を、腐らない石や木札で残すのです」
俺が言い終えると、天海が深く頷いて引き継いだ。
「津波で亡くなった者を弔う祠を建てる。その祠に、逃げる道と高き場所を刻む。……死者の供養と、生者のための教えを、一つにするのですな」
「はい! ただ祈るだけでは駄目です。その祈りが、『逃げる行動』に繋がる形にしてください」
「祈りは、足を止めるためではなく、足を動かすために用いる。……まこと、尊き教えにございます」
天海のその言葉に、俺は深く頷いた。
「港には、地震の後に逃げるための鐘や太鼓を置いてください。見張りが波を目で確認してからでは、絶対に逃げ遅れます。そして……」
俺は一番大事なことを言った。
「子供たちへの教育です。『海が引いたら、絶対に貝を拾いに行くな』『揺れたら、海を見に行くな』。これを、村の掟として徹底させてください」
*
秀忠が、少し考え込んで言った。
「だが、波を完全に止める巨大な壁を作ればよいのではないか。普請に金と人はかかるが……」
「駄目です」
俺ははっきりと否定した。
「壁を作っても、必ずそれを越える『想定より大きい波』がいつか来ます。そして何より恐ろしいのは、『立派な壁があるから逃げなくていい』という、慢心と油断が生まれることです」
「……壁が民を守ると同時に、民の足を止め、殺すということか」
家康が、渋い顔で呟いた。
「はい。防ぎの道具も、過信すれば人を殺します」
「火熾し筒と同じだな。便利な道具ほど、扱いを誤れば人を焼き、人を沈める」
竹千代の言葉に、俺は「その通りです」と深く同意した。
*
「……奥州の海か」
竹千代が、地図を思い浮かべるように目を細めた。
「伊達政宗殿は、その恐るべき海へ、自前の船を出そうとしている」
「……ええ」
俺は、史実の慶長遣欧使節団の影を思い浮かべた。
「あれだけの津波の傷を食らった奥州が、それでも海へ出て、外の世界と繋がろうとする。……これは、ひどく重い事実ですね」
「海は、途方もない富も運ぶが、同時に全てを飲み込む災いも運ぶ。政宗は、その両方を両目で見開いておるのだろうな」
家康が、遠き北の独眼竜を思い浮かべるように、低く喉を鳴らした。
*
家康が、最終的な方針を下した。
「奥州沿岸の被害記録を、伊達、南部、相馬より改めて詳細に出させよ。死者の数だけでは足りぬ。波がどこまで来たか、誰が助かったか、どこへ、どう逃げたかを記させよ」
「はっ。高台、寺社、港、避難路、流された田畑も全て帳面に加えさせます」
秀忠が応じる。
「国松。水土御用の調査項目に、新たに『津波逃げ道』を追加する」
竹千代の冷徹な指示に、俺は悲鳴を上げかけた。
「また項目が……!」
だが、今回ばかりは俺も文句を途中で飲み込んだ。
「……いや、これは絶対に必要ですね。増やします」
「そうだ。これは、天下に必要な帳面だ」
*
夜。
俺は自室で、奥州津波の記録の写しを静かに読み返していた。
端末の画面には、また新しい項目がずらりと並んでいる。
『水土御用・沿岸災害項目:追加完了』
『高台避難路台帳:作成開始』
『津波伝承碑・祠連携案:作成推奨』
『港湾ノード調査:津波避難観点を追加』
『未来万能誤解:低減』
「……未来でも、無理なものは無理。それをハッキリ言うのって、結構しんどいな。期待外れって顔をされるの、辛いし」
俺がため息をつくと、KAMI様がポップアップを出してきた。
『でも、大事なことよ。できないことを『できる』と嘘をついて慢心させる方が、ずっと罪深く、残酷なんだから』
「そうですね」
水神様と呼ばれても、俺に海の水は止められない。
未来の知識があっても、津波そのものを消すことは絶対にできない。
俺にできるのは、ただ逃げるための道を作ること。
忘れないための石や祠を立てること。
次の誰かが同じ場所で死なないように、泥臭く帳面に記録を残すこと。
「……水神様って、思ったよりずっと地味で、無力だな」
俺の独り言に、端末は少しだけ間を置いてから、静かな青文字で答えた。
『それが、本物の保守運用です』
俺は、その一言に、何も言い返せなかった。
ただ、どこにも聞こえないはずの海鳴りを、帳面の向こうに幻のように感じながら、新しい台帳のページをめくることしかできなかった。
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