暴君忠長に転生したので、兄上のために日本列島をメンテします 〜SFチートのはずが、田んぼと水路と寺社ノードの保守係なんですが〜   作:パラレル・ゲーマー

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第39話 水神様、米の山を見て通貨を考える

 慶長十八年、旧暦九月。

 

 江戸の空は高く澄み渡り、秋の涼風が吹き抜ける収穫の季節がやってきた。

 

 だが、俺の自室の空気は淀みきっていた。

 

『ローマ法王宛て密封箱の護送手順書』

 

『遠見筒の試作および焦点距離記録台帳』

 

『火熾し筒の不良品原因分析帳』

 

 これらに加え、各地の村や代官からの問い合わせ対応で、俺の文机の上は、もはや一つの巨大な要塞と化していた。

 

「……もう駄目だ。俺の脳の処理容量(メモリ)が限界だ……。なんで水神様って呼ばれてるのに、一日中筆を握って書類の山と格闘してるんだよ……」

 

 俺が文机の上に顔を突っ伏していると、書記役の青山新六郎が、満面の笑みで部屋に駆け込んできた。

 

 新六郎が笑顔を見せるなど、極めて珍しいことだ。

 

「若君! 江戸近郊の試験田より、秋の収穫の最終報告が上がりました!」

 

 その一言で、俺の疲労は一瞬で吹き飛んだ。

 

「……来たか!」

 

 俺は弾かれたように顔を上げた。

 

 今年の春から、俺の直属チームが主導し、代官や村人たちを巻き込んで実施した『試験田法』。

 

 塩水選による徹底した種籾の選別。

 

 真水での三度洗い。

 

 正条植えによる間隔の確保。

 

 水番の設置。

 

 上流下流の水配分の調整。

 

 そして『試験期間中の年貢増徴禁止』という、政治的縛りまでセットにした、初の広域プロジェクト。

 

 これに失敗すれば、俺の「水土御用」の看板に傷がつく。

 

「で、結果は!」

 

 俺が食い気味に尋ねると、新六郎は少しだけ声を震わせて答えた。

 

「試験田全体として、周辺の従来田よりも明確な増収にございます! 中には、水管理を誤った区画や、正条植えの列が乱れて伸び悩んだ失敗区画もございますが……。最も条件と管理が噛み合った『最良の区画』では、なんと周辺の田に比べて『六割増し』という、恐るべき実りを叩き出しております!」

 

「……ろくわり!?」

 

 俺は、思わず天を仰いだ。

 

「よしっ!! 勝った!!」

 

 *

 

 その日の午後、江戸城の奥深い座敷で、極秘の「身内会議」が開かれた。

 

 出席者は、大御所・家康、秀忠父上、竹千代兄上、そして俺。

 

 外様の者や重臣すらいない、完全なる水入らずの場である。

 

「六割増しか。……ほう、ほうほうほう」

 

 家康は、新六郎がまとめた報告書を手に、目尻を下げて上機嫌に喉を鳴らした。

 

「全ての田がそうなるわけではあるまいが……それでも、平均して明確に増収しておるとは。試験としては、大成功じゃな」

 

 秀忠も、ほっとしたように将軍の顔を崩し、大きく頷いた。

 

 だが、次期将軍たる竹千代は、一人だけ冷徹な目で帳面を見つめていた。

 

「失敗した区画もある。……国松。なぜ伸び悩んだのか、成功例だけではなく、失敗例も全く同じ重さで記録せよ」

 

「兄上、そこ大事です。大豊作の成功例だけを宣伝して配ると、水や土の条件が合わない村が真似をして、かえって全滅します。……成功だけを切り取って見せる資料は、だいたい詐欺です」

 

 家康が、可笑しそうに笑った。

 

「また失敗の帳面か」

 

「失敗こそ宝です! どうやったら失敗するかが分かれば、被害を最小限に防げますから!」

 

 身内しかいない気安さもあり、俺は遠慮なく主張した。

 

 *

 

 米が増えた。

 

 その政治的な意味は、途方もなく大きい。

 

「増収すれば、飢饉への備えとなる村の備蓄が増え、翌年の良質な種籾も確保できる。百姓の余力が増せば、逃散(ちょうさん)も減り、公儀の土台が磐石となる」

 

 秀忠が、将軍としての統治の視点で整理する。

 

「新田開発で無理に荒地を切り拓かずとも、既存の田の質を上げることで江戸の米の供給が増える。これは大きいぞ」

 

 だが、家康が老獪な声で、現実の『火種』を突いた。

 

「増えた米を、誰が己の蔵へ入れるかで……必ず揉めるな」

 

「代官、村の庄屋、小作の百姓、領主、そして米を商う商人。……皆が、積み上がった米の山を見て、真っ先に手を伸ばそうとするはずです」

 

 秀忠の懸念に、俺は「ですよね……」と深くため息をついた。

 

(技術で米を増やせても、結局、人間の『欲』の配分で揉めるんだよな)

 

 竹千代が、スッと扇子で畳を叩いた。

 

「以前、国松が条件とした通りだ。試験期間中の増収分を、決してすぐには年貢に反映させぬ。これを徹底させる」

 

「兄上、ありがとうございます! そこを破られると、もう二度と誰も新しい田法を試してくれなくなりますから!」

 

 *

 

 家康は、満足げに俺を見た。

 

「国松。これは良い。火を噴くような派手さはないが、天下の根を支える、誠に良い仕事じゃ」

 

「ありがとうございます。でも、まだ初年度の試験です。気候や水の条件もありますし、来年も同じようにいくとは限りません」

 

「それでこそよ。成果に浮かれぬ者の言葉じゃ」

 

 家康が褒めると、横から竹千代が冷水のようなツッコミを入れてきた。

 

「言葉ではそう言うが、浮かれている時は完全に顔に出ておるがな」

 

「兄上! 身内しかいないからって、ここぞとばかりに刺してこないでくださいよ!」

 

 俺が抗議すると、秀忠が苦笑混じりに言った。

 

「今日くらいは、少しぐらい誇ってもよかろう。お前が泥にまみれて始めたことが、確かに実を結んだのだからな」

 

「……じゃあ、少しだけ。……やったー!! 大豊作だー!!」

 

 俺が両手を挙げて万歳をすると、家康が腹を抱えて大笑いした。

 

 *

 

 だが。

 

 一通り豊作を喜び合った後、俺は再び帳面に目を落とし、ふと真顔になって黙り込んだ。

 

「どうした、国松。あの恐るべき六割増しの数字が、不満か」

 

 竹千代が、怪訝そうに問うてきた。

 

「不満ではないです。むしろ、数字としては最高です。ただ……」

 

 俺は、言葉を選びながら言った。

 

「米が増えれば増えるほど……この国が、『米』というものに頼りすぎている仕組みの怖さも見えてきまして」

 

「米に頼りすぎている?」

 

 秀忠が、怪訝な顔をする。

 

「……そもそも、米って、基本的には『食べ物』ですよね」

 

「当たり前じゃ」と家康。

 

「でも、この日ノ本では、米が『税』であり、武士の『(給料)』であり、大名の『身分の尺度(石高)』であり、飢饉の『備蓄』でもあります。その上、商人に売れば『銭』にもなる。……つまり、米がほぼ『通貨』と同じように扱われています」

 

 竹千代が、少しだけ眉をひそめた。

 

「米は米だ。銭ではない」

 

「そうなんです! 米は銭じゃないんです。でも、公儀も武士も百姓も、みんな『米』を基準にして世の中を動かしている。そこが、長期的にはひどく怖いんです」

 

 *

 

 俺は、つい現代の経済概念を口走ってしまった。

 

「本当は、米なんていう腐りやすい食べ物じゃなくて、公儀が安定した『通貨』を発行して、経済の血流を管理できる方が、国としては圧倒的に強いんですよ。つまり、公儀が『通貨発行権』を完全に握って……」

 

「つうか……はっこうけん?」

 

 竹千代が、完全に理解不能という顔をした。

 

「ですよね。分かりませんよね」

 

「公儀の銭を作る(けん)のことか?」

 

 秀忠が、なんとか食らいついてくる。

 

「近いです。でも、ただ銅銭を作るだけじゃないんです。後の世では、国が『信用』をもとにして貨幣(紙幣など)を発行し、物の流れや税、給料、借金をコントロールするようになるんです」

 

「信用をもとに、銭を作るじゃと?」

 

 家康の目が、鋭く光った。

 

「はい」

 

「……金銀の裏づけもなしに、か?」

 

「時代によりますが、最終的にはそういう方向へ行きます」

 

 座敷に、重い沈黙が落ちた。

 

 竹千代が、深くため息をついて言った。

 

「お前が嘘を言うとは思わぬ。だが……それはさすがに、今の我らの理解が追いつかぬぞ」

 

「でしょうね! 私だって、現代の管理通貨制度の仕組みなんて、本質的にはよく分かってませんし!」

 

 *

 

 俺は、早すぎた現代経済学の講義を諦め、この時代の現実に話を落とし込んだ。

 

「すみません、今の話は忘れてください。早すぎました。今のこの時代でできるのは、せいぜい『金・銀・銭の質と量を公儀で整え、徳川の銭を天下に信用させること』くらいです」

 

 その言葉に、家康は深く頷いた。

 

「慶長金銀の話か」

 

「はい。大御所様が進めている、金座・銀座を押さえて公儀の金銀を鋳るという政策は、後の世から見ても、ものすごく大事な第一歩です」

 

「ただ……」

 

 俺は問題点を指摘した。

 

「庶民が日々使う少額の小銭(銅銭)が圧倒的に足りていません。渡来銭も混じり、地域ごとの独自の慣習もあります。だから、いきなり明日から『税も給料も全部公儀の通貨で統一だ!』なんてやったら、経済が崩壊します」

 

 竹千代が、冷静に整理する。

 

「米は腐る。重い。運ぶのに手間と金がかかる。だが、天下の誰もが、その『腹を満たす』という確かな価値を知っている」

 

「年貢として集めやすく、戦となればそのまま兵糧にもなるからな」と秀忠。

 

「大名の力を『石高』という目に見える形ではかるのも、天下を統べるには極めて便利じゃ」と家康。

 

「はい。だから、今すぐ米本位の基準を捨てるのは絶対に無理です。むしろ危険すぎます」

 

 俺は、一つの現実的な結論を出した。

 

「私が言いたいのは……米を通貨扱いするのをやめたい、というのは、あくまで遠い未来の理想です。今やるべきは、米の管理を極限まで正確にして、『米と金銀銭の換算(相場)』を、公儀がハッキリと見えるようにすることです」

 

「つまり。……また帳面か」

 

 竹千代が、すべてを察した顔で言った。

 

「はい。また帳面です」

 

 *

 

 俺は、頭の中で考えていた現実案を、次々と挙げた。

 

「一つ目は、『米の計量と質の統一』です。俵の大きさは同じか。乾燥具合はどうか。(もみ)か玄米か。米は水分で重さが変わります。ここを商人や代官に誤魔化されると、税も備蓄も全部狂います」

 

「二つ目は、『蔵米台帳』の整備。どの蔵に、どの村の米が、どれだけ、いつ入ったか。そして、どれだけ虫や湿気で減ったのかを厳密に追います」

 

「三つ目は、『金銀銭との換算記録』。米一石が、その時その場所で、金銀銭いくらに当たるのか。江戸、大坂、地方で相場は違います。その相場を公儀が記録し、両替商の情報も集めるのです」

 

「四つ目は、『飢饉備蓄と市場放出の基準』。米の値段が高騰した時、公儀の蔵からどのくらい米を出すか。逆に安すぎる時、百姓が潰れないようどう動くか。……飢饉時の蔵開きの『条件』を決めておくのです」

 

 家康は、俺の「通貨発行権」という概念は完全には理解しなかったかもしれない。

 

 だが、米の台帳と、金銀銭との換算記録の重要性については、はっきりと理解したようだった。

 

「……米を銭に変える道筋を、公儀の目でハッキリと見えるようにせよ、ということか」

 

「はい。米そのものを急にやめるのではなく、米と金銀銭の間に『確かな橋』を架ける感じです」

 

「ならば、分かる」

 

 家康が、深く頷いた。

 

「米が増えたことで、逆に、今の米の管理の『(あら)』が見えるようになったということか」

 

 秀忠が感心したように息を吐く。

 

「豊作は喜びであると同時に、制度の弱さを炙り出すのだな」

 

 竹千代の完璧なまとめに、俺は拍手した。

 

「兄上、今日もまとめが完璧です!」

 

 *

 

 少し空気が緩んだところで、俺はぽろっと本音をこぼした。

 

「……最終的には、米が給料で、米が税で、米が身分で、米がほぼ通貨扱いなの……全部やめたいんですけどねー」

 

「国松。お前、実は米が嫌いなのか?」

 

 家康が、不思議そうな顔をする。

 

「違います! 大好きですよ、塩むすび最高です! 食べ物としては! ……でも、国の制度の中心に置くには、重いし腐るし運びにくいし、豊作や不作で価格変動するし、放っておけば虫に食われるじゃないですか」

 

「……米への悪口が多すぎるな」

 

 秀忠が呆れる。

 

「悪口じゃないです! 米は悪くない。人間が、米に『国の機能』を全部背負わせすぎなんです!」

 

「水神様、今度は米の働きすぎを労わり始めたか」

 

 竹千代が冷たく突っ込む。

 

「米だって過労死しますよ!」

 

 俺の悲痛な叫びに、家康がたまらず大笑いした。

 

 *

 

 最終的に、次の方針が決まった。

 

 試験田法は成功。

 

 ただし、来年も継続して試験を行う。

 

 最良区画の手順を精査し、失敗区画も同じ重さで記録する。

 

 増収分の即時年貢増徴は禁止を継続し、村の備蓄と種籾の確保を優先する。

 

 そして、蔵米台帳の整備と、米と金銀銭の換算相場の記録を開始し、金座・銀座・大坂の米市場の情報を集める。

 

「……国松。お前、その『米と銭の橋』について、早急に整理して帳面を出せ」

 

 竹千代が、無慈悲な命令を下す。

 

「また私ですか!?」

 

「お前が言い出したことだ」

 

「ですよね!」

 

 *

 

 夜。

 

 自室に戻った俺の端末に、新しいタスクがずらりと並んでいた。

 

『試験田収穫報告:最良区画六割増を記録』

 

『失敗区画原因分析帳:作成推奨』

 

『蔵米台帳標準案:作成推奨』

 

『米・金銀銭換算相場記録:試験運用開始』

 

『通貨発行権概念:現時点での説明は困難』

 

『米本位依存の脱却:長期課題として設定』

 

『水神様、米の過労死を心配:記録不要』

 

「……最後の一行、絶対に要らないだろ!!」

 

 俺が絶叫すると、KAMI様がポップアップを出してきた。

 

『いるわよ。米がこの国で背負わされてるもの、あまりにも多すぎるもの』

 

「まあ、それはそうなんだけどさ」

 

『でも焦っちゃ駄目。この米の国で、いきなり米を制度の中心から引きずり下ろすなんて絶対に無理よ。まずは正確に記録する。次に、銭との換算を見える化する。その次に、公儀の銭の信用を少しずつ高める。……通貨というものは、神の奇跡じゃなくて、人間の泥臭い『信用の積み重ね』なんだから』

 

「信用の積み重ね……ですか」

 

『そう。水路も、田んぼも、通貨も、全部同じよ。流れを詰まらせず、誤魔化しを減らし、皆が信じて使えるようにする。それだけよ』

 

「……その『それだけ』が、一番難しいんだよなぁ」

 

 俺の言葉に、KAMI様は反論しなかった。

 

 試し田は、確かに大きな実りをもたらした。

 

 だが、その高く積まれた米の山は同時に、この国の仕組みがいかに脆く、米という一つの食べ物に重荷を背負わせているかを、俺に突きつけてきたのだ。

 

 米は、人を生かす。

 

 だが、米に税も禄も身分も通貨の代わりも背負わせ続ければ、いつか米そのものが、制度の重さで確実に潰れる。

 

 水神様と呼ばれる俺の次の仕事は、どうやら水路の泥さらいでも井戸掘りでもなく、

 

『米と銭の間に、頑丈な橋を架けること』

 

 らしかった。

 




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