暴君忠長に転生したので、兄上のために日本列島をメンテします 〜SFチートのはずが、田んぼと水路と寺社ノードの保守係なんですが〜 作:パラレル・ゲーマー
慶長十八年、旧暦九月末。
秋の気配が色濃くなり始めた京の都に、江戸からの「実りの噂」が静かに、だが確かな波紋となって流れ込んできた。
東海道を往来する飛脚、あるいは大坂の米相場を睨む商人たちから漏れ伝わったその噂は、やがて
「……江戸近くの田が、今年は並外れた実りを見せたとか」
「最もよき田では、周囲の田より六割も多く米が取れたそうにござる」
「六割……。それはまことか。天候の良し悪しだけで、そこまで極端に変わるものではありますまい」
公家屋敷の一角で、優雅に香を焚きしめた衣を纏う公卿たちが、扇を弄びながらひそひそと囁き合っていた。
「どうやら、徳川家に『水徳』を帯びた若君がおられるとか」
「
「ほう……。水神の若君とは、いかにもめでたき名ではないか」
「竹千代君と国松君。兄は
彼らの口に上る噂は、江戸の実務とは大きく
塩水選、正条植え、水配分の厳密な管理、年貢増徴の禁止、失敗例の記録……そうした泥臭く血の滲むような『マニュアル管理』の現実は、京の
「徳川家に、天下豊穣の瑞兆が現れたということか」
「いや。それが瑞兆であろうと、新しき田法であろうと構わぬ。米が増えるならばな」
公家の一人が、扇で口元を隠しながら現実的な本音を漏らした。
朝廷といえども、財政に余裕があるわけではない。
「我らの領地でも、その水徳の法とやらを試せぬものか」
「されど……徳川の秘法を、軽々しくこちらへ寄越せと求めれば、角が立ちましょう。徳川の若君の名を借りることにもなる」
「うむ。田のことは、村により水により異なる。江戸の法が、そのまま京の土に合うとも限らぬしな」
公家たちは、ただ噂に踊らされるだけでなく、徳川との政治的な距離感と、農業の現実的な難しさを天秤にかけて慎重に言葉を選んでいた。
*
その噂は、やがて禁中深く──若き今上、後に後水尾天皇と呼ばれる帝の御耳にも届くこととなった。
「……徳川の童君が、田の実りを増やしたとな」
「はっ。江戸近郊の試し田にて、他の田より大きく実ったとのこと。民は水神の若君と呼び、徳川の御威光いよいよ高まっていると専らの噂にございます」
公卿の一人が平伏して答える。
帝は、少しの沈黙の後、静かに仰った。
「民の腹が満たされるなら、それはまこと、天下の瑞兆であろう」
水を治め、田を豊かにする童が武家に現れた。帝はそれを、妬むでも警戒するでもなく、純粋な『吉兆』として褒め称えた。
「ただし」
帝の言葉に、わずかな重みが加わる。
「瑞兆とは、ただ遠くから眺めて
公卿の一人が、そのお言葉の真意を測りかねつつ、遠慮がちに進み出た。
「恐れながら……もしその水徳の法が、禁裏御料、あるいは寺社領の土にも適うものならば……一部だけでも、試すことは叶いませぬでしょうか。京の周辺は江戸とは水も土も異なりまする。されど、小さく試すだけならばと……」
帝は、ゆっくりと首を振った。
「徳川へ、無理を言うてはならぬ」
その声には、武家の
「武家の政にも、若君の務めにも、こちらから軽々しく触れてはならぬ。……されど」
帝は、少しだけ声を和らげた。
「民の実りを増やす術ならば、尋ねることそのものは悪くあるまい。京都所司代を通じ、無理のなき範囲で、禁裏御料の小さき田に試すことが叶うか……穏やかに問うてみよ」
「……はっ。仰せの通りに」
公卿たちは、ほっと息をついて深く平伏した。
*
その日。
朝廷と幕府の橋渡しを担う「京都所司代」の
「……これは、なんとも面倒な話が来たものだ」
勝重は、持ち込まれた書状の草案を見て、深い深いため息をついた。
禁裏が興味を示した。主上御自ら「瑞兆」と喜ばれた。
これを、ただの世間話として軽く断ることはできない。だが、その瑞兆の主は、家康公と秀忠公が手元に置き、厳重に管理している『国松様』なのだ。
しかも、朝廷が「寄越せ」と直接求めた形にすれば、江戸の幕府中枢は確実に硬化し、政治的に角が立つ。
(これは『願い』にしてはならぬ。……徳川の顔を立て、かつ禁裏の顔も潰さぬよう、『願いにならぬ書状』として江戸へ送らねばならぬな)
勝重は、実務家としての能力をフル回転させ、極めて慎重に文面を整えた。
『禁裏におかれまして、江戸近郊の試験田の成果が話題となっております。
主上は、民の実りが増えるならばまことの瑞兆であると、穏やかにお喜びになられました。
公家衆の間では、もし叶うならば禁裏御料や寺社領でも、その法を小さく試せぬかとの声がございます。
されど、これは決して無理な願いとしてではなく、あくまで公儀の御差配を仰ぎたく存じます──』
「……よし。これで江戸へ送れ」
勝重は、胃の痛む思いで飛脚を走らせた。
*
一方、江戸城。
俺は自室で、相変わらず『米と銭の橋を架けるための換算台帳』という、頭の痛くなるような書類仕事に沈んでいた。
「若君! 京都所司代の板倉様より、急ぎの書状が届きました!」
新六郎が、顔色を変えて飛び込んできた。
「京都!? なんで俺のところへ京都から連絡が来るんだよ!」
俺が嫌な予感全開で書状を受け取ると、竹千代兄上と秀忠父上も、報告を聞いて険しい顔で座敷へ入ってきた。
「……禁裏で、お前の試験田の法が話題になっているそうだな」
竹千代の冷ややかな声に、俺は書状を読んで絶望した。
「……主上が、私の田んぼの成果を『瑞兆』として喜ばれてる……。禁裏御料でも小さく試したいって……」
「当然じゃ。あれだけ米が増えるという話を、京の公家どもが聞き逃すはずがあるまい」
いつの間にか現れた家康が、面白そうに顎髭を撫でて笑う。
「でも! あれはただの農業マニュアルですよ!? 塩水と泥と、失敗の記録の積み重ねです! 『水徳の作法』とか『田遊び』とか、めちゃくちゃ雅な誤解をされてるじゃないですか!」
俺が叫ぶと、秀忠が厳しい将軍の顔になった。
「禁裏が興味を示したとなれば、軽くは扱えぬな」
「実務の泥臭い帳面を、そのまま京へ送るわけにはいかん」
竹千代が、無慈悲な決断を下した。
「国松。……京向けに、田法の手順を『雅な言葉』に改めよ」
「……また、翻訳作業ですか……!」
俺は、両手で頭を抱えて机に突っ伏した。
江戸で作ったガチガチの農業マニュアルを、朝廷向けの『瑞兆説明文』に書き直す。しかも、神仏への祈りと矛盾しないよう、天海僧正や所司代経由で言葉を整えなければならない。
懐の端末が、無慈悲な新項目をポップアップさせた。
『京向け水土作法要約:作成推奨』
『禁裏御料・試験田導入案:作成』
『寺社領導入時の誤解防止文言:作成』
『水神信仰過熱リスク:上昇』
「……瑞兆って、ただひたすらに、俺の事務仕事を増やすだけの呪いの言葉だったんだな……」
俺の虚しいつぶやきは、秋の夜風に吸い込まれていった。
京の御所では、徳川の水神童の噂が、静かに、しかし確実に広がっていた。
それは、俺が江戸で泥にまみれて積んだ米俵の実務が、都の雅なフィルターを通して、全く別の『神秘』へと姿を変えていく過程だった。
水は、田を潤すだけではない。
噂もまた、水のように都へ流れ込み、やがて思わぬ場所に、新しい火種という名の芽を出す。
徳川の「水神様」の名は、俺の意志とは裏腹に、ついに禁裏の
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