暴君忠長に転生したので、兄上のために日本列島をメンテします 〜SFチートのはずが、田んぼと水路と寺社ノードの保守係なんですが〜   作:パラレル・ゲーマー

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第40話 禁裏、水神の実りを聞く

 慶長十八年、旧暦九月末。

 

 秋の気配が色濃くなり始めた京の都に、江戸からの「実りの噂」が静かに、だが確かな波紋となって流れ込んできた。

 

 東海道を往来する飛脚、あるいは大坂の米相場を睨む商人たちから漏れ伝わったその噂は、やがて禁裏(きんり)──朝廷の公家(くげ)社会の奥深くへと行き着いた。

 

「……江戸近くの田が、今年は並外れた実りを見せたとか」

 

「最もよき田では、周囲の田より六割も多く米が取れたそうにござる」

 

「六割……。それはまことか。天候の良し悪しだけで、そこまで極端に変わるものではありますまい」

 

 公家屋敷の一角で、優雅に香を焚きしめた衣を纏う公卿たちが、扇を弄びながらひそひそと囁き合っていた。

 

「どうやら、徳川家に『水徳』を帯びた若君がおられるとか」

 

竹千代君(ぎみ)の弟君で、国松君と申されるそうにござる。民の間では『水神の若君』などと尊ばれ、田遊びの作法を改め、水と土を清められた結果、田の実りが爆発的に増えたとか」

 

「ほう……。水神の若君とは、いかにもめでたき名ではないか」

 

「竹千代君と国松君。兄は(まつりごと)を担い、弟は水と土を鎮める……。兄弟ともに利発とは、徳川の次代は安泰にござるな」

 

 彼らの口に上る噂は、江戸の実務とは大きく乖離(かいり)していた。

 

 塩水選、正条植え、水配分の厳密な管理、年貢増徴の禁止、失敗例の記録……そうした泥臭く血の滲むような『マニュアル管理』の現実は、京の(みやび)な言葉のフィルターを通すと、「田遊び」「水徳の作法」「神童の奇跡」という美しい瑞兆(ずいちょう)へと翻訳されてしまったのだ。

 

「徳川家に、天下豊穣の瑞兆が現れたということか」

 

「いや。それが瑞兆であろうと、新しき田法であろうと構わぬ。米が増えるならばな」

 

 公家の一人が、扇で口元を隠しながら現実的な本音を漏らした。

 

 朝廷といえども、財政に余裕があるわけではない。禁裏御料(皇室の領地)や、公家の家領、寺社領の収穫が一割でも二割でも増えるならば、それは喉から手が出るほど欲しい『実利』であった。

 

「我らの領地でも、その水徳の法とやらを試せぬものか」

 

「されど……徳川の秘法を、軽々しくこちらへ寄越せと求めれば、角が立ちましょう。徳川の若君の名を借りることにもなる」

 

「うむ。田のことは、村により水により異なる。江戸の法が、そのまま京の土に合うとも限らぬしな」

 

 公家たちは、ただ噂に踊らされるだけでなく、徳川との政治的な距離感と、農業の現実的な難しさを天秤にかけて慎重に言葉を選んでいた。

 

 *

 

 その噂は、やがて禁中深く──若き今上、後に後水尾天皇と呼ばれる帝の御耳にも届くこととなった。

 

「……徳川の童君が、田の実りを増やしたとな」

 

 御簾(みす)の奥から、穏やかで静かな声が響いた。

 

「はっ。江戸近郊の試し田にて、他の田より大きく実ったとのこと。民は水神の若君と呼び、徳川の御威光いよいよ高まっていると専らの噂にございます」

 

 公卿の一人が平伏して答える。

 

 帝は、少しの沈黙の後、静かに仰った。

 

「民の腹が満たされるなら、それはまこと、天下の瑞兆であろう」

 

 水を治め、田を豊かにする童が武家に現れた。帝はそれを、妬むでも警戒するでもなく、純粋な『吉兆』として褒め称えた。

 

「ただし」

 

 帝の言葉に、わずかな重みが加わる。

 

「瑞兆とは、ただ遠くから眺めて寿(ことほ)ぐものではない。民の飢えを実際に減らしてこそ、まことの瑞兆と言えよう」

 

 公卿の一人が、そのお言葉の真意を測りかねつつ、遠慮がちに進み出た。

 

「恐れながら……もしその水徳の法が、禁裏御料、あるいは寺社領の土にも適うものならば……一部だけでも、試すことは叶いませぬでしょうか。京の周辺は江戸とは水も土も異なりまする。されど、小さく試すだけならばと……」

 

 帝は、ゆっくりと首を振った。

 

「徳川へ、無理を言うてはならぬ」

 

 その声には、武家の(まつりごと)に対する絶対的な不可侵の線引きがあった。

 

「武家の政にも、若君の務めにも、こちらから軽々しく触れてはならぬ。……されど」

 

 帝は、少しだけ声を和らげた。

 

「民の実りを増やす術ならば、尋ねることそのものは悪くあるまい。京都所司代を通じ、無理のなき範囲で、禁裏御料の小さき田に試すことが叶うか……穏やかに問うてみよ」

 

「……はっ。仰せの通りに」

 

 公卿たちは、ほっと息をついて深く平伏した。

 

 *

 

 その日。

 

 朝廷と幕府の橋渡しを担う「京都所司代」の板倉勝重(いたくらかつしげ)のもとに、公家衆からのやんわりとした「お尋ね」が持ち込まれた。

 

「……これは、なんとも面倒な話が来たものだ」

 

 勝重は、持ち込まれた書状の草案を見て、深い深いため息をついた。

 

 禁裏が興味を示した。主上御自ら「瑞兆」と喜ばれた。

 

 これを、ただの世間話として軽く断ることはできない。だが、その瑞兆の主は、家康公と秀忠公が手元に置き、厳重に管理している『国松様』なのだ。

 

 しかも、朝廷が「寄越せ」と直接求めた形にすれば、江戸の幕府中枢は確実に硬化し、政治的に角が立つ。

 

(これは『願い』にしてはならぬ。……徳川の顔を立て、かつ禁裏の顔も潰さぬよう、『願いにならぬ書状』として江戸へ送らねばならぬな)

 

 勝重は、実務家としての能力をフル回転させ、極めて慎重に文面を整えた。

 

『禁裏におかれまして、江戸近郊の試験田の成果が話題となっております。

 

 主上は、民の実りが増えるならばまことの瑞兆であると、穏やかにお喜びになられました。

 

 公家衆の間では、もし叶うならば禁裏御料や寺社領でも、その法を小さく試せぬかとの声がございます。

 

 されど、これは決して無理な願いとしてではなく、あくまで公儀の御差配を仰ぎたく存じます──』

 

「……よし。これで江戸へ送れ」

 

 勝重は、胃の痛む思いで飛脚を走らせた。

 

 *

 

 一方、江戸城。

 

 俺は自室で、相変わらず『米と銭の橋を架けるための換算台帳』という、頭の痛くなるような書類仕事に沈んでいた。

 

「若君! 京都所司代の板倉様より、急ぎの書状が届きました!」

 

 新六郎が、顔色を変えて飛び込んできた。

 

「京都!? なんで俺のところへ京都から連絡が来るんだよ!」

 

 俺が嫌な予感全開で書状を受け取ると、竹千代兄上と秀忠父上も、報告を聞いて険しい顔で座敷へ入ってきた。

 

「……禁裏で、お前の試験田の法が話題になっているそうだな」

 

 竹千代の冷ややかな声に、俺は書状を読んで絶望した。

 

「……主上が、私の田んぼの成果を『瑞兆』として喜ばれてる……。禁裏御料でも小さく試したいって……」

 

「当然じゃ。あれだけ米が増えるという話を、京の公家どもが聞き逃すはずがあるまい」

 

 いつの間にか現れた家康が、面白そうに顎髭を撫でて笑う。

 

「でも! あれはただの農業マニュアルですよ!? 塩水と泥と、失敗の記録の積み重ねです! 『水徳の作法』とか『田遊び』とか、めちゃくちゃ雅な誤解をされてるじゃないですか!」

 

 俺が叫ぶと、秀忠が厳しい将軍の顔になった。

 

「禁裏が興味を示したとなれば、軽くは扱えぬな」

 

「実務の泥臭い帳面を、そのまま京へ送るわけにはいかん」

 

 竹千代が、無慈悲な決断を下した。

 

「国松。……京向けに、田法の手順を『雅な言葉』に改めよ」

 

「……また、翻訳作業ですか……!」

 

 俺は、両手で頭を抱えて机に突っ伏した。

 

 江戸で作ったガチガチの農業マニュアルを、朝廷向けの『瑞兆説明文』に書き直す。しかも、神仏への祈りと矛盾しないよう、天海僧正や所司代経由で言葉を整えなければならない。

 

 懐の端末が、無慈悲な新項目をポップアップさせた。

 

『京向け水土作法要約:作成推奨』

 

『禁裏御料・試験田導入案:作成』

 

『寺社領導入時の誤解防止文言:作成』

 

『水神信仰過熱リスク:上昇』

 

「……瑞兆って、ただひたすらに、俺の事務仕事を増やすだけの呪いの言葉だったんだな……」

 

 俺の虚しいつぶやきは、秋の夜風に吸い込まれていった。

 

 京の御所では、徳川の水神童の噂が、静かに、しかし確実に広がっていた。

 

 それは、俺が江戸で泥にまみれて積んだ米俵の実務が、都の雅なフィルターを通して、全く別の『神秘』へと姿を変えていく過程だった。

 

 水は、田を潤すだけではない。

 

 噂もまた、水のように都へ流れ込み、やがて思わぬ場所に、新しい火種という名の芽を出す。

 

 徳川の「水神様」の名は、俺の意志とは裏腹に、ついに禁裏の御簾(みす)の内にまで届いてしまったのだった。

 

 




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