暴君忠長に転生したので、兄上のために日本列島をメンテします 〜SFチートのはずが、田んぼと水路と寺社ノードの保守係なんですが〜   作:パラレル・ゲーマー

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第53話 水神様、豊作の田で戦の足音を聞く

 慶長十九年、旧暦八月末。

 

 方広寺大仏殿の鐘銘事件をきっかけに、江戸と大坂の空気が修復不可能なほどに悪化していく中。

 

 俺は、血生臭い政治劇から目を背けるように、江戸近郊の田んぼを駆け回っていた。

 

「よし……。ちゃんと実ってる。去年のやり方が、今年も通用した……!」

 

 俺の目の前には、見渡す限りの黄金色の波が広がっていた。

 

 今年は、去年の小規模な試験田とはわけが違う。

 

 徳川直轄領、旗本領、親藩領、さらには禁裏御料や一部の寺社領まで、途方もない規模で『田法』が導入された、その初年度の収穫なのだ。

 

 だが、表向きは嬉しい大豊作の景色を前に、俺の胃はギリギリと音を立てて悲鳴を上げていた。

 

「若君! 北の試験田で、刈り取り後の稲を高く積みすぎ、熱を持って蒸れ始めております!」

 

 新六郎が、泥跳ねも気にせずに駆け込んできた。

 

「蒸れる! すぐ広げて! 風を通して! 乾燥前に山積みにするなって、始末記に赤字で書いたよね!?」

 

「東の村からも報告です! 稲架(はさ)が全く足りず、刈った稲をそのまま地面に直置きしているとのこと!」

 

「地面に直置きは絶対禁止!! 湿気で一発で腐る! 竹でも木でもいいから、仮設で干し台を作らせて!」

 

 さらに、追い討ちをかけるように水番の百姓が叫んだ。

 

「水神様! 明後日から、大雨の気配がございます!」

 

「……最悪のタイミングで天気が来た!!」

 

 俺は頭を抱えた。

 

 ここで神様らしく天候操作でもできればいいのだが、あいにく俺はただの『マニュアル作成係』だ。

 

「神様っぽい奇跡なんて無理! できるのは泥臭い段取りだけだ!」

 

 *

 

 俺は、これ以上現場を自力で回りきれないと判断し、先日、神仏ノードとの接続が深まったことで使えるようになった『映像付き通信』の機能をフル活用することにした。

 

 端末を操作し、駿府や江戸にいる家康、秀忠、竹千代の三人へ映像を繋ぐ。

 

 空中に浮かんだ薄い水鏡の向こうに、政治の重苦しい空気を纏った三人の姿が映し出された。

 

『国松。これは……見事な豊作ではないか』

 

 竹千代が、水鏡に映る黄金色の田を見て、少しだけ表情を緩めた。

 

「豊作です! だからこそ、今めちゃくちゃ危ないんです!」

 

『……米が多すぎて危ないとは、また奇妙なことを言う』

 

 秀忠が、怪訝な顔で首を傾げる。

 

「米は、田んぼで実った瞬間に都合よく『白米』になるわけじゃありません! 刈る、干す、脱穀する、(もみ)で保管する、俵にする、蔵へ入れる。……その途中のどこか一つでも段取りを間違えれば、この豊作の米が全部腐ります!!」

 

『ほう……。豊作も、扱いを誤ればあっという間に災いとなるか』

 

 家康が、興味深そうに目を細めた。

 

「はい! 実りすぎた田んぼは、段取りが悪いと完全に地獄になります! 干す場所がない! 縛る縄が足りない! 入れる蔵が空いてない! そして雨が降る!」

 

 竹千代が、俺の悲鳴を聞いて即座に本質を理解した。

 

『……兵站(へいたん)と同じだな。物が多いほど、それを運び、置き、守る場所がいる』

 

「そうです! 田んぼの収穫は、平時の兵站の訓練と同じなんです!」

 

 その瞬間、家康の目が爛々と輝いた。

 

『面白いことを言う。ならば今年の収穫は、ただ米を得るだけでなく……徳川の兵站の処理能力を見る、良き試しにもなるな』

 

「……また、速攻で軍事転用された……!!」

 

 *

 

 俺は、大急ぎで各地へ対策の指示を飛ばした。

 

「刈り取りの順序を再編! 水抜きの済んだ田から優先して刈る! ぬかるんだ田は後回し! 早稲や、倒伏しやすい田に人手を集中投入しろ!」

 

「仮設の稲架を大増設! 竹林から竹を切って、水路沿いの風通しの良い場所に干し場を作れ! 寺社の境内や空き地も一時的に借りろ!」

 

「束の厚みは揃える! 蒸れた束はすぐ崩して広げろ! 雨の前に必ず仮屋根を作れ!」

 

「俵縄の緊急手配! 古蔵の虫干しを急がせろ! 足りなければ、寺社の空き蔵を臨時で借り上げろ!」

 

 俺の矢継ぎ早の指示を、新六郎が泣きそうな顔で帳面に書き留めていく。

 

「わ、若君! 豊作でめでたいはずなのに、失敗しかけた記録として書くことが多すぎます!」

 

「豊作の時の失敗例ほど大事なんだよ! 来年もっと規模が増えた時に、同じ失敗をしたら本当に全滅するから!」

 

 *

 

 俺が必死に段取りを立て直し、胃を削っている一方で。

 

 村人たちは、黄金に輝く田を見て、心の底から歓喜していた。

 

「おおお……! 今年も、去年の試験田のように見事に実った……!」

 

 顔の皺を深くした老人が、涙を流して稲穂を撫でる。

 

「いや、去年どころの騒ぎじゃねえぞ。あちらの村も、こちらの村も、みな穂が重く垂れておる!」

 

「水神様だ! 水神様の加護じゃ!」

 

「水神様の米だー!」

 

 村の女たちや子供たちが、無邪気に笑い声を上げる。

 

 彼らは、俺が蒸れや乾燥、蔵の確保で死にそうになっていることなど知らない。

 

 そして何より……彼らは、京の大仏の鐘の文字が、天下を二分する戦の火種になっていることなど、欠片も知らなかった。

 

「これは、まこと吉兆に違いない」

 

「徳川様の世は、やはり豊かになるのじゃな」

 

「京の大仏様の騒ぎなど、遠い都の話よ。……大坂がどうとか言われても、こちらには関係ねえ。我らにはこうして、確かな米が実っておるのだから」

 

 俺は、その歓声を聞きながら、ひどく複雑な思いに沈んでいた。

 

(この人たちは、戦がすぐそこまで来ているなんて知らない。ただ純粋に、自分たちの腹を満たす米が実ったことを喜んでる。……それでいいはずなのに。俺には、この米の山が、そのまま『兵糧』に見えてしまう)

 

 *

 

 その頃。

 

 史実の針は、残酷なほど正確に進んでいた。

 

 駿府。

 

 豊臣家の宿老・片桐且元(かたぎりかつもと)が、鐘銘問題の弁明のため、必死の思いで駿府へ下向してきていた。

 

 且元は、大坂城の外交や財政を取り仕切り、徳川からも知行を受ける立場にある。

 

 両家の間に立つには最適な人物だが、それゆえにどちらからも「裏切り」を疑われやすい、最も不遇な役回りでもあった。

 

「何卒……何卒、大御所様へ直接の申し開きを……!」

 

 且元が悲痛な声で懇願するが、本多正純が冷徹に跳ね除ける。

 

「まずは、こちらで文言の趣旨をお聞きする」

 

「清韓長老に、悪意など決してございませぬ! 国家安康は天下安穏、君臣豊楽は君臣ともに豊かに楽しむという、純然たる吉祥の文にございます!」

 

 且元が必死に弁明する。

 

 だが、金地院崇伝が鋭く切り込んだ。

 

「では、なぜ大御所様の御諱(おんいみな)を、あのような形で用いたのです」

 

「それは……」

 

 且元は、言葉に詰まった。

 

 悪意がないことと、政治的に不用意であることは全く違うのだ。

 

「豊臣家は、大御所様の名をどう扱ったのか。……その説明が、あまりにも足りませぬな」

 

 正純の冷ややかな言葉に、且元はどんどん追い詰められていく。

 

 家康は一向に面会を許さず、且元は何の結論も持ち帰れないまま、駿府で冷や汗を流し続けることになった。

 

 *

 

 それからしばらくして。

 

 大坂方から、大野治長(おおのはるなが)の母である大蔵卿局(おおくらきょうのつぼね)が、淀殿の使者として駿府へ派遣されてきた。

 

 家康は、且元とは頑なに面会しなかったにもかかわらず、大蔵卿局とはあっさりと面会し、極めて丁重に迎えた。

 

「遠路、大儀であった。……淀殿にも、秀頼にも、心配はいらぬと伝えよ」

 

 家康の穏やかな声に、大蔵卿局は完全に安堵した。

 

「では、大仏供養の件も、ほどなく……」

 

「何事も、筋を通せばよい。そうであろう」

 

 家康は、明言を避けつつも、極めて柔らかく応対した。

 

 この「曖昧な優しさ」が、致命的な猛毒だった。

 

 大蔵卿局は、「大御所様はそれほど怒っておられない。問題はない」と完全に受け取った。

 

 一方、且元は崇伝たちから厳しい話しか聞かされていない。

 

 ……結果、大坂へ戻った時の二人の報告が、真っ向から食い違うことになる。

 

「あ、これ……」

 

 俺は、江戸でその報告を聞き、青ざめた。

 

「大坂城内で、『片桐且元だけが、徳川に媚びて大げさに騒いでいる』って見られる最悪のパターンだ……」

 

「大御所様は、意図的に『温度差』を作っておられるのだ」

 

 竹千代が、冷徹に分析する。

 

「分断じゃないですか……」

 

「そうとも言う」

 

 天下人の、容赦のない恐ろしさだった。

 

 *

 

 田んぼに戻る。

 

 俺のギリギリの立て直しが何とか効き、大雨の前に主要な田の刈り取りと乾燥準備が間に合った。

 

 一部で、蒸れかけた米、倒伏した田、干し場不足、蔵不足、記録漏れなどの不手際はあったものの、致命的な大損害は回避できた。

 

「若君……!」

 

 新六郎が、震える声で最終的な収穫結果を報告してきた。

 

「最良区画は、前年の六割増に近い水準を維持しております。平均ではやや下がりますが、それでも通常田を大きく上回ります。……そして何より、対象となった田の総数が、前年とは比べ物になりませぬ」

 

「つまり。率は前年並みを維持しつつ、量は……桁違いに増えた、ということだな」

 

「はいっ……!」

 

 民草の歓喜が、江戸近郊の村々に響き渡った。

 

「水神様の田法は、本物じゃ!」

 

「今年も見事な豊作じゃ!」

 

「徳川様の世に、確かな瑞兆あり!!」

 

 ふと見ると、半兵衛がどこからともなく現れ、猛烈な勢いで筆を走らせていた。

 

『水神の若君、黄金の波を東国に広げ給う──』

 

「半兵衛!! そこ、また神話化しすぎない!!」

 

「ですが若君。民草はすでに、みな口々にそう申しております」

 

「民草が言ってても、公儀の記録係がそれに乗っかって盛るな!!」

 

 *

 

 江戸と駿府の徳川中枢にも、豊作の報告が集まった。

 

「流石は水神の若君」

 

「禁裏も褒め、民も喜ぶ。まこと吉兆よ」

 

 表向きは、皆が手放しで喜んだ。

 

 春日局も「若君のなされたことが、これほど民の腹を満たすとは……」と素直に感動してくれた。

 

 家康も、満足げに笑った。

 

「よい。米が有り余るということは、天下の安心じゃ」

 

 しかし。

 

 中枢の冷徹な者たちだけは、確実に「戦の空気」を感じ取っていた。

 

「米があるということは。……兵を、いついかなる時でも動かせるということでもある」

 

 竹千代が、冷たい声で言う。

 

「うむ。諸大名の兵糧手当ても、今年は圧倒的にしやすいか」

 

 秀忠も、完全に軍事計算の顔になっている。

 

「……父上、もう完全に戦の計算に入ってる……」

 

 俺が引き攣った顔をすると、家康が低く喉を鳴らした。

 

「豊作は吉兆でもある。……だが、戦支度において、これほど都合の良いことはない」

 

 俺は、その言葉に絶望的な温度差を感じた。

 

(民草が『吉兆だ』と無邪気に喜んでいる、全く同じこの米を。中枢の権力者たちは、戦の燃料として見ている……)

 

 *

 

 夜。

 

 俺と竹千代の二人の前には、二種類の報告書が並べられていた。

 

『田法・収穫大成功の報告』

 

『鐘銘事件・大坂城内対立悪化の報告』

 

「……同じ日に、大豊作の報告と、大坂が割れ始めた報告が同時に来るの、ひどすぎませんか」

 

 俺が項垂れると、竹千代は表情を変えずに言った。

 

「天下とは、そういうものだ」

 

「民は吉兆だって喜んでるんです。田んぼは確かに豊かになったんです。でも……その同じ米が、戦の準備にもなる」

 

「米は、民の命であり、兵の命でもある」

 

「……知りたくなかったです」

 

「お前はもう知っている」

 

「……はい」

 

 俺は、豊作を純粋に喜びたい。

 

 でも、戦がすぐそこまで来ているせいで、心の底からは喜びきれなかった。

 

 竹千代は、そんな俺を見て、少しだけ声のトーンを下げた。

 

「それでも。お前が泥にまみれて米を増やしたことは、間違いではない」

 

「……そうですよね」

 

「戦が来ようと来まいと。民の腹は、満たさねばならぬ」

 

 その言葉に、俺は少しだけ救われた気がした。

 

 *

 

 端末のログが、静かに光る。

 

『田法拡大初年度:収穫完了』

 

『最良区画:前年並み高収量維持』

 

『導入総面積・総収穫量:前年比大幅増』

 

『不手際:干し場不足/蒸れ/蔵不足/記録漏れ』

 

『次年度改善項目:多数』

 

『民間認識:水神の加護・吉兆』

 

『徳川中枢認識:兵糧余力の大幅上昇』

 

『方広寺鐘銘事件:継続的悪化』

 

『片桐且元・駿府交渉:難航』

 

『大蔵卿局・駿府応対:温和』

 

『大坂城内・情報齟齬による分断リスク:急上昇』

 

『大坂冬の陣発生確率:さらに上昇』

 

「……大豊作なのに、ログが全然めでたくない……」

 

『豊作はめでたいわよ。ただ、人間は『めでたい米』でも戦争できる生き物だってだけ』

 

「本当に、嫌な生き物ですね……人間って」

 

『でも、その米で子供も老人も生きるのよ。だから、嫌でも増やしなさい』

 

 稲穂は、重く垂れた。

 

 民は笑い、子供は黄金の田を走り回り、水神様の加護だと無邪気に叫んだ。

 

 それは確かに、吉兆だった。

 

 飢える者を減らし、冬を越す力を増やす、まぎれもない吉兆だった。

 

 だが、その同じ米を、徳川の中枢は「完璧な兵糧」としても見ていた。

 

 同じ豊作が、民には希望の光に見え、権力者には戦支度の余力に見える。

 

 大坂の空気は、日に日に悪くなっている。

 

 片桐且元は駿府で苦しみ、大蔵卿局は別の温度で大御所様に迎えられ、その残酷な扱いの差が、大坂城内をさらに歪ませ、引き裂いていく。

 

 田んぼは、黄金色に輝いていた。

 

 けれど、その向こう側から。

 

 軍靴のような、重く冷たい戦の足音が、確実に聞こえ始めていた。

 

 




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