暴君忠長に転生したので、兄上のために日本列島をメンテします 〜SFチートのはずが、田んぼと水路と寺社ノードの保守係なんですが〜 作:パラレル・ゲーマー
慶長十九年、旧暦八月末。
方広寺大仏殿の鐘銘事件をきっかけに、江戸と大坂の空気が修復不可能なほどに悪化していく中。
俺は、血生臭い政治劇から目を背けるように、江戸近郊の田んぼを駆け回っていた。
「よし……。ちゃんと実ってる。去年のやり方が、今年も通用した……!」
俺の目の前には、見渡す限りの黄金色の波が広がっていた。
今年は、去年の小規模な試験田とはわけが違う。
徳川直轄領、旗本領、親藩領、さらには禁裏御料や一部の寺社領まで、途方もない規模で『田法』が導入された、その初年度の収穫なのだ。
だが、表向きは嬉しい大豊作の景色を前に、俺の胃はギリギリと音を立てて悲鳴を上げていた。
「若君! 北の試験田で、刈り取り後の稲を高く積みすぎ、熱を持って蒸れ始めております!」
新六郎が、泥跳ねも気にせずに駆け込んできた。
「蒸れる! すぐ広げて! 風を通して! 乾燥前に山積みにするなって、始末記に赤字で書いたよね!?」
「東の村からも報告です!
「地面に直置きは絶対禁止!! 湿気で一発で腐る! 竹でも木でもいいから、仮設で干し台を作らせて!」
さらに、追い討ちをかけるように水番の百姓が叫んだ。
「水神様! 明後日から、大雨の気配がございます!」
「……最悪のタイミングで天気が来た!!」
俺は頭を抱えた。
ここで神様らしく天候操作でもできればいいのだが、あいにく俺はただの『マニュアル作成係』だ。
「神様っぽい奇跡なんて無理! できるのは泥臭い段取りだけだ!」
*
俺は、これ以上現場を自力で回りきれないと判断し、先日、神仏ノードとの接続が深まったことで使えるようになった『映像付き通信』の機能をフル活用することにした。
端末を操作し、駿府や江戸にいる家康、秀忠、竹千代の三人へ映像を繋ぐ。
空中に浮かんだ薄い水鏡の向こうに、政治の重苦しい空気を纏った三人の姿が映し出された。
『国松。これは……見事な豊作ではないか』
竹千代が、水鏡に映る黄金色の田を見て、少しだけ表情を緩めた。
「豊作です! だからこそ、今めちゃくちゃ危ないんです!」
『……米が多すぎて危ないとは、また奇妙なことを言う』
秀忠が、怪訝な顔で首を傾げる。
「米は、田んぼで実った瞬間に都合よく『白米』になるわけじゃありません! 刈る、干す、脱穀する、
『ほう……。豊作も、扱いを誤ればあっという間に災いとなるか』
家康が、興味深そうに目を細めた。
「はい! 実りすぎた田んぼは、段取りが悪いと完全に地獄になります! 干す場所がない! 縛る縄が足りない! 入れる蔵が空いてない! そして雨が降る!」
竹千代が、俺の悲鳴を聞いて即座に本質を理解した。
『……
「そうです! 田んぼの収穫は、平時の兵站の訓練と同じなんです!」
その瞬間、家康の目が爛々と輝いた。
『面白いことを言う。ならば今年の収穫は、ただ米を得るだけでなく……徳川の兵站の処理能力を見る、良き試しにもなるな』
「……また、速攻で軍事転用された……!!」
*
俺は、大急ぎで各地へ対策の指示を飛ばした。
「刈り取りの順序を再編! 水抜きの済んだ田から優先して刈る! ぬかるんだ田は後回し! 早稲や、倒伏しやすい田に人手を集中投入しろ!」
「仮設の稲架を大増設! 竹林から竹を切って、水路沿いの風通しの良い場所に干し場を作れ! 寺社の境内や空き地も一時的に借りろ!」
「束の厚みは揃える! 蒸れた束はすぐ崩して広げろ! 雨の前に必ず仮屋根を作れ!」
「俵縄の緊急手配! 古蔵の虫干しを急がせろ! 足りなければ、寺社の空き蔵を臨時で借り上げろ!」
俺の矢継ぎ早の指示を、新六郎が泣きそうな顔で帳面に書き留めていく。
「わ、若君! 豊作でめでたいはずなのに、失敗しかけた記録として書くことが多すぎます!」
「豊作の時の失敗例ほど大事なんだよ! 来年もっと規模が増えた時に、同じ失敗をしたら本当に全滅するから!」
*
俺が必死に段取りを立て直し、胃を削っている一方で。
村人たちは、黄金に輝く田を見て、心の底から歓喜していた。
「おおお……! 今年も、去年の試験田のように見事に実った……!」
顔の皺を深くした老人が、涙を流して稲穂を撫でる。
「いや、去年どころの騒ぎじゃねえぞ。あちらの村も、こちらの村も、みな穂が重く垂れておる!」
「水神様だ! 水神様の加護じゃ!」
「水神様の米だー!」
村の女たちや子供たちが、無邪気に笑い声を上げる。
彼らは、俺が蒸れや乾燥、蔵の確保で死にそうになっていることなど知らない。
そして何より……彼らは、京の大仏の鐘の文字が、天下を二分する戦の火種になっていることなど、欠片も知らなかった。
「これは、まこと吉兆に違いない」
「徳川様の世は、やはり豊かになるのじゃな」
「京の大仏様の騒ぎなど、遠い都の話よ。……大坂がどうとか言われても、こちらには関係ねえ。我らにはこうして、確かな米が実っておるのだから」
俺は、その歓声を聞きながら、ひどく複雑な思いに沈んでいた。
(この人たちは、戦がすぐそこまで来ているなんて知らない。ただ純粋に、自分たちの腹を満たす米が実ったことを喜んでる。……それでいいはずなのに。俺には、この米の山が、そのまま『兵糧』に見えてしまう)
*
その頃。
史実の針は、残酷なほど正確に進んでいた。
駿府。
豊臣家の宿老・
且元は、大坂城の外交や財政を取り仕切り、徳川からも知行を受ける立場にある。
両家の間に立つには最適な人物だが、それゆえにどちらからも「裏切り」を疑われやすい、最も不遇な役回りでもあった。
「何卒……何卒、大御所様へ直接の申し開きを……!」
且元が悲痛な声で懇願するが、本多正純が冷徹に跳ね除ける。
「まずは、こちらで文言の趣旨をお聞きする」
「清韓長老に、悪意など決してございませぬ! 国家安康は天下安穏、君臣豊楽は君臣ともに豊かに楽しむという、純然たる吉祥の文にございます!」
且元が必死に弁明する。
だが、金地院崇伝が鋭く切り込んだ。
「では、なぜ大御所様の
「それは……」
且元は、言葉に詰まった。
悪意がないことと、政治的に不用意であることは全く違うのだ。
「豊臣家は、大御所様の名をどう扱ったのか。……その説明が、あまりにも足りませぬな」
正純の冷ややかな言葉に、且元はどんどん追い詰められていく。
家康は一向に面会を許さず、且元は何の結論も持ち帰れないまま、駿府で冷や汗を流し続けることになった。
*
それからしばらくして。
大坂方から、
家康は、且元とは頑なに面会しなかったにもかかわらず、大蔵卿局とはあっさりと面会し、極めて丁重に迎えた。
「遠路、大儀であった。……淀殿にも、秀頼にも、心配はいらぬと伝えよ」
家康の穏やかな声に、大蔵卿局は完全に安堵した。
「では、大仏供養の件も、ほどなく……」
「何事も、筋を通せばよい。そうであろう」
家康は、明言を避けつつも、極めて柔らかく応対した。
この「曖昧な優しさ」が、致命的な猛毒だった。
大蔵卿局は、「大御所様はそれほど怒っておられない。問題はない」と完全に受け取った。
一方、且元は崇伝たちから厳しい話しか聞かされていない。
……結果、大坂へ戻った時の二人の報告が、真っ向から食い違うことになる。
「あ、これ……」
俺は、江戸でその報告を聞き、青ざめた。
「大坂城内で、『片桐且元だけが、徳川に媚びて大げさに騒いでいる』って見られる最悪のパターンだ……」
「大御所様は、意図的に『温度差』を作っておられるのだ」
竹千代が、冷徹に分析する。
「分断じゃないですか……」
「そうとも言う」
天下人の、容赦のない恐ろしさだった。
*
田んぼに戻る。
俺のギリギリの立て直しが何とか効き、大雨の前に主要な田の刈り取りと乾燥準備が間に合った。
一部で、蒸れかけた米、倒伏した田、干し場不足、蔵不足、記録漏れなどの不手際はあったものの、致命的な大損害は回避できた。
「若君……!」
新六郎が、震える声で最終的な収穫結果を報告してきた。
「最良区画は、前年の六割増に近い水準を維持しております。平均ではやや下がりますが、それでも通常田を大きく上回ります。……そして何より、対象となった田の総数が、前年とは比べ物になりませぬ」
「つまり。率は前年並みを維持しつつ、量は……桁違いに増えた、ということだな」
「はいっ……!」
民草の歓喜が、江戸近郊の村々に響き渡った。
「水神様の田法は、本物じゃ!」
「今年も見事な豊作じゃ!」
「徳川様の世に、確かな瑞兆あり!!」
ふと見ると、半兵衛がどこからともなく現れ、猛烈な勢いで筆を走らせていた。
『水神の若君、黄金の波を東国に広げ給う──』
「半兵衛!! そこ、また神話化しすぎない!!」
「ですが若君。民草はすでに、みな口々にそう申しております」
「民草が言ってても、公儀の記録係がそれに乗っかって盛るな!!」
*
江戸と駿府の徳川中枢にも、豊作の報告が集まった。
「流石は水神の若君」
「禁裏も褒め、民も喜ぶ。まこと吉兆よ」
表向きは、皆が手放しで喜んだ。
春日局も「若君のなされたことが、これほど民の腹を満たすとは……」と素直に感動してくれた。
家康も、満足げに笑った。
「よい。米が有り余るということは、天下の安心じゃ」
しかし。
中枢の冷徹な者たちだけは、確実に「戦の空気」を感じ取っていた。
「米があるということは。……兵を、いついかなる時でも動かせるということでもある」
竹千代が、冷たい声で言う。
「うむ。諸大名の兵糧手当ても、今年は圧倒的にしやすいか」
秀忠も、完全に軍事計算の顔になっている。
「……父上、もう完全に戦の計算に入ってる……」
俺が引き攣った顔をすると、家康が低く喉を鳴らした。
「豊作は吉兆でもある。……だが、戦支度において、これほど都合の良いことはない」
俺は、その言葉に絶望的な温度差を感じた。
(民草が『吉兆だ』と無邪気に喜んでいる、全く同じこの米を。中枢の権力者たちは、戦の燃料として見ている……)
*
夜。
俺と竹千代の二人の前には、二種類の報告書が並べられていた。
『田法・収穫大成功の報告』
『鐘銘事件・大坂城内対立悪化の報告』
「……同じ日に、大豊作の報告と、大坂が割れ始めた報告が同時に来るの、ひどすぎませんか」
俺が項垂れると、竹千代は表情を変えずに言った。
「天下とは、そういうものだ」
「民は吉兆だって喜んでるんです。田んぼは確かに豊かになったんです。でも……その同じ米が、戦の準備にもなる」
「米は、民の命であり、兵の命でもある」
「……知りたくなかったです」
「お前はもう知っている」
「……はい」
俺は、豊作を純粋に喜びたい。
でも、戦がすぐそこまで来ているせいで、心の底からは喜びきれなかった。
竹千代は、そんな俺を見て、少しだけ声のトーンを下げた。
「それでも。お前が泥にまみれて米を増やしたことは、間違いではない」
「……そうですよね」
「戦が来ようと来まいと。民の腹は、満たさねばならぬ」
その言葉に、俺は少しだけ救われた気がした。
*
端末のログが、静かに光る。
『田法拡大初年度:収穫完了』
『最良区画:前年並み高収量維持』
『導入総面積・総収穫量:前年比大幅増』
『不手際:干し場不足/蒸れ/蔵不足/記録漏れ』
『次年度改善項目:多数』
『民間認識:水神の加護・吉兆』
『徳川中枢認識:兵糧余力の大幅上昇』
『方広寺鐘銘事件:継続的悪化』
『片桐且元・駿府交渉:難航』
『大蔵卿局・駿府応対:温和』
『大坂城内・情報齟齬による分断リスク:急上昇』
『大坂冬の陣発生確率:さらに上昇』
「……大豊作なのに、ログが全然めでたくない……」
『豊作はめでたいわよ。ただ、人間は『めでたい米』でも戦争できる生き物だってだけ』
「本当に、嫌な生き物ですね……人間って」
『でも、その米で子供も老人も生きるのよ。だから、嫌でも増やしなさい』
稲穂は、重く垂れた。
民は笑い、子供は黄金の田を走り回り、水神様の加護だと無邪気に叫んだ。
それは確かに、吉兆だった。
飢える者を減らし、冬を越す力を増やす、まぎれもない吉兆だった。
だが、その同じ米を、徳川の中枢は「完璧な兵糧」としても見ていた。
同じ豊作が、民には希望の光に見え、権力者には戦支度の余力に見える。
大坂の空気は、日に日に悪くなっている。
片桐且元は駿府で苦しみ、大蔵卿局は別の温度で大御所様に迎えられ、その残酷な扱いの差が、大坂城内をさらに歪ませ、引き裂いていく。
田んぼは、黄金色に輝いていた。
けれど、その向こう側から。
軍靴のような、重く冷たい戦の足音が、確実に聞こえ始めていた。
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