暴君忠長に転生したので、兄上のために日本列島をメンテします 〜SFチートのはずが、田んぼと水路と寺社ノードの保守係なんですが〜 作:パラレル・ゲーマー
慶長十九年、旧暦十一月末。
大坂城の巨大な天守をはるかに望む、徳川軍の『後方兵站拠点』。
俺と竹千代兄上は、最前線の血生臭い戦闘からは少し離れた、比較的安全なこの場所に留まっていた。
竹千代は次期将軍として、これほどの大軍を動かす兵站、諸大名統制、軍令の運用を直に学ぶため。
俺は水土御用として、陣中の水場、井戸、衛生状態の管理と、周辺の村々からの徴発を監視するためだ。
「水場は部隊ごとに分けて! 飲み水と、馬を洗う水を絶対に混ぜるな!」
俺は、泥まみれになりながら陣中を駆け回り、必死に指示を飛ばしていた。
「熱を出した病人を、同じ井戸の近くに集めるな! 隔離しろ!」
「近隣村からの米や薪の徴発は、必ず帳面に書け! 勝手に取るなと大御所様の軍令が出てるだろ!」
「切り干し大根と味噌は、地面に直置きして一箇所に山積みにするな! 濡れたら一発で腐るぞ!」
戦そのものを止めることはできなかった。
だからこそ、俺は『戦の周辺で死ぬ人間を減らす』という決意を実行するために、ただひたすらに泥臭い保守運用を続けていた。
竹千代が、忙しく駆け回る俺を見て、少しだけ呆れたように言った。
「……国松。お前は、この天下を分つ大いくさの陣中へ来ても、相変わらず水路と帳面の話ばかりだな」
「戦場だからこそですよ! 戦は、刀と槍だけで決まるわけじゃありません。腹と、水と……便所の衛生で負けるんです!」
「便所で負ける戦、か」
「笑い事じゃありません! 水が腐って疫病が出たら、十万の軍勢だろうと三日で崩壊します!」
竹千代は、少しだけ口元を緩めたが、すぐに真剣な顔に戻って深く頷いた。
「……お前の仕組みは、この陣中でよく効いている。兵が飢えていなければ、村を無闇に襲わぬ。水が整っていれば、無駄に病で死ぬ者が減る。帳面があれば、乱暴な徴発も後から軍律で裁ける。……お前がやりたかった『戦の無秩序を抑えること』は、少なくともこの陣中では、確かに働いている」
俺は、少しだけ安堵した。
俺のやったことが、確かに被害を減らしている。
……でも、その全く同じ仕組みによって、徳川の軍勢は史実以上に強固になり、大坂城を絶望的なまでに追い詰めているのだ。
「……でも。それで、大坂は追い詰められているんですよね」
「そうだ」
竹千代は、俺を慰めなかった。
ただ、冷厳な事実だけを肯定した。
*
その時。
後方拠点へ、一騎の早馬が猛烈な勢いで駆け込んできた。
泥まみれで、息も絶え絶えになった伝令の武士が、馬から転げ落ちるようにして叫んだ。
「申し上げます!!」
陣中の誰もが、息を呑んでその言葉を待った。
「大坂方、和議を受諾!!」
「……!」
「豊臣秀頼公、ならびに淀殿様の御命は安堵!!」
「大坂城は、公儀へ召し上げ!!」
「豊臣家の旧領である摂津、河内、和泉は没収! 豊臣家は、常陸方面へと国替えに決定いたしました!!」
伝令は、最後に声を振り絞り、天に向かって絶叫した。
「お味方……大勝でございます!!!」
周囲の徳川兵たちが、一瞬の静寂の後、爆発するような歓声を上げた。
「勝ったぞ!」
「大坂が降った!」
「豊臣が折れた!」
勝利の喚声が、冬の空気を震わせて広がっていく。
しかし、俺は一瞬、全く言葉が出なかった。
(……え?)
竹千代は、静かに目を閉じた。
「……そうか。そうなったか」
「終わった……?」
俺は、震える声で竹千代を見た。
「本当に、終わったんですか?」
「はっ! 大坂城は開城、豊臣家は国替えを受け入れたとのことにございます!」
伝令が、力強く俺に答えた。
(……一ヶ月以上はかかるはずだった『冬の陣』が。いや、そもそも史実では、ここから和議を結んで堀を埋めて、来年の『夏の陣』へと泥沼に向かうはずだったのに……。……数日で、完全に決着がついた……!?)
竹千代は、俺の激しい動揺を見て、静かに言った。
「国松。……顔に出ているぞ」
「出ますよ……。これは……私の知ってる歴史じゃない」
*
夜。
後方拠点は、勝報の宴の熱気に包まれていたが、俺は一人、陣の隅の暗がりで端末を見つめていた。
空間が微かに歪み、KAMI様が現れた。
『やっほー。結果が出たわね』
「KAMI様……」
『言っておくけど、今回は歴史がものすごく大きく変わったわよ。……夏の陣は、消滅したわ。少なくとも、史実通りの『大坂夏の陣』は、もう二度と起きない』
俺は、息を呑んだ。
「……夏の陣が、消えた」
『そう。冬の陣の時点で、完全に決着はついたわ。結果を言うわね』
KAMI様は、淡々と歴史の変更点を並べた。
『豊臣秀頼は生存。淀殿も生存。大野治長ら豊臣の主要家臣も、大量処刑はなし。真田信繁や後藤又兵衛などの牢人衆も、武装を解いて城を出ることで、少なくとも史実通りの『悲惨な討死ルート』からは外れたわ。豊臣家は常陸方面へ国替え。大坂城は接収。……豊臣は、天下の柱ではなく、ただの一大名として徳川の秩序の中に完全に吸収されることになったの』
『本来の歴史では……この後に夏の陣が起きて、豊臣家は完全に滅びる。秀頼も、淀殿も、大野治長も、真田信繁も、何万人もの名もなき兵や民も、そこで死ぬ。……けど。この世界では、彼らは死ななかった』
俺は、膝から力が抜け、その場にへたり込んだ。
「……生き残ったんだ」
『ええ。天下人を追われ、一介の大名としてだけどね』
*
だが、俺はすぐに強い不安に襲われた。
「……これ、歴史がめちゃくちゃになりませんか?」
『なるわよ。細かいところではね』
「細かいところ?」
『死ぬ運命だった人間が大量に生き残った。豊臣家が、一大名として残った。大坂城の扱いも変わった。牢人衆の処理も変わった。……これは、歴史上ものすごく大きな変化よ』
「じゃあ……」
『でも。現代から見た『大きな歴史の流れ』は、おそらくそこまで変わらない可能性が高いわ』
「……え?」
『よく考えなさい。徳川幕府は完全に成立している。大坂は徳川の直轄支配下に入った。豊臣は、もはや天下の対抗軸ではなくなった。戦国時代は、これで名実ともに終わった。……つまり、日ノ本という国の政治の大筋は、史実と全く同じ方向へ進むのよ』
「……豊臣が生き残ったのに?」
『生き残っただけ、ならね。天下を争える武力も、金も、象徴であった大坂城も、畿内の豊かな所領も全て失っているのよ。常陸や江戸近くの、目の届く場所で一大名に落とされた豊臣は、もう徳川の秩序の中に逆らうことはできない。……現代から見ると、『豊臣家がただの一大名として細々と続いた』という違いはあっても、日本そのものが別物になるほどの変化ではないわ』
俺は、黙ってKAMI様の言葉を噛み砕いた。
『期待してたなら悪いけど……世界は、そんなに劇的には変わらないわ』
「期待したっていうか……」
俺は、少しだけ肩の力を抜いて言った。
「本来の歴史よりも、悪くなっていないだけで……安心しました」
KAMI様は、少しだけ目を細めて笑った。
『そう。それでいいのよ』
*
俺は、自分の心の中をゆっくりと整理した。
(俺が米を増やして、徳川の包囲が圧倒的に厚くなって、戦が早く終わった。……そのせいで、豊臣は敗北した。でも、史実より多くの人が生き残った。大坂の町も焼けなかった)
(それなら……少なくとも、俺が転生して何かをしたことは、完全な間違いじゃなかったのかもしれない)
『間違ってなかったみたいね』
KAMI様が、俺の思考を読み取って言った。
「……本当に?」
『ええ。あんたがこの時代に転生したのは、間違ってなかったみたい。……まあ、私が選んだんだから、当然なんだけどね』
「……そうかい」
俺は、久しぶりに、心からの自然な笑みを漏らした。
*
だが、KAMI様はすぐに現実を突きつけてきた。
『さて。安心してるところ悪いけど、ここからめちゃくちゃ忙しくなるわよ』
「……ですよね」
『夏の陣を待たずして、戦国時代は終わった。完全に江戸時代のスタートね』
「完全に、江戸時代……」
『全国の大名を完全に平伏させた徳川幕府は、これからさらに急激に成長する。しかも、史実よりかなり早くね』
KAMI様は、恐るべき前倒しイベントを羅列した。
『武家諸法度の制定が早まるわ。一国一城令的な城郭整理も早まる。参勤交代的な大名統制の構想も、早めに制度として検討され始める。諸大名の婚姻、築城、改易、転封の管理も徹底される。寺社や禁裏への法整備も早まる。……さらに、大坂城接収後の、大坂の直轄支配の都市設計が必要になる。大量の牢人対策も早期に必要。そして、豊臣家を移封先でどう監視・処遇するかも大きな課題ね』
「……」
『史実みたいに、幕府の制度がガチガチに硬直して腐敗するかどうかは……あんたにかかってるのよ』
「……責任重すぎません?」
『歴史の責任者ぶるなって言ったけど、目の前の仕事はしなさい。そこは全く別の話よ』
「ひどい」
『さあ、シャキッとしなさい。水神様として、これからも泥臭く頑張るんでしょ?』
「……分かったよ! はいはい、水神様として、これからも帳面抱えて頑張りますよ!」
*
翌朝。
竹千代兄上が、俺の顔を見て少しだけ口角を上げた。
「……いつものお前が、戻ってきたな」
「そう見えます?」
「昨夜までは、死んだ魚のような目をしていた」
「兄上、言い方」
「今は、死んだ魚が多少きれいな水を得たような顔をしている」
「それ、褒めてます?」
「褒めている」
竹千代は、短く皮肉を交えた後、結果を冷静にまとめた。
「豊臣は敗れた。だが、滅びなかった」
「大坂は焼けなかった。民も、多くは生き残った」
「そして徳川は……天下を完全に固め、新しい法を敷く段階に入った」
「……これから、地獄みたいに忙しいやつですね」
「そうだ」
竹千代が、立ち上がりながら言った。
「大御所様へ、戦勝の挨拶に行くぞ」
「はい」
「だが、その前に。大坂周辺の『水脈』を見に行く」
「……はい?」
俺は耳を疑った。
「大坂は、公儀の直轄地となる。ならば、あの巨大な城と町と水路を、今後どう扱うか、早急に見極めねばならぬ」
「いや、戦が終わったばかりですよ!?」
「だからこそだ」
竹千代は、次期将軍としての完璧な実務の顔になっていた。
「城をどう改修するか。巨大な堀をどう生かすか。町の水路をどう守り、焼け残った町をどう支え、発展させるか。……お前の水土御用の出番であろう」
「兄上、切り替え早すぎません!?」
「天下を治めるとは、そういうことだ」
そして竹千代は、少しだけ身内ノリの顔になって言った。
「それに。……よく考えれば、私はまだ、お前が『間近で水脈を掘り当てる』ところを、直接見たことがない」
「そこですか!?」
「今回は、それを視察しよう。大坂周辺ならば、堀も井戸も水路も、見放題だ」
「兄上! 戦後の大坂を、観光地みたいに言わないでください!」
「観光ではない。大真面目な水土御用の実地視察だ。行くぞ」
「はいはい、分かりましたよ兄上!」
*
夏の陣は、消えた。
豊臣は、滅びなかった。
だが、天下の中心ではなくなった。
それが史実より良い結果なのかどうかを、この時代の誰も知らない。
ただ、俺だけが知っている。
本来なら死んでいた人々が、生きている。
本来なら焼けていた町が、残っている。
それだけで……俺は、少しは救われた気がした。
けれど、歴史はそこで終わらない。
夏の陣を待たずして、戦国時代は終わった。
そしてその分だけ、江戸時代が早く、本格的に始まるのだ。
大名を縛る法。
城を減らす法。
参勤の仕組み。
寺社と禁裏の扱い。
そして、公儀の巨大都市へと作り替えられる、大坂の水と土。
やることは、山ほどある。
俺は神ではない。
歴史の責任者でもない。
ただの徳川国松として。
水神様と呼ばれる、泥と帳面の保守係として。
まずは、大坂の水脈を見に行くことになった。
「はいはい、分かりましたよ兄上! 水神様として、今回も頑張ります!」
俺の返事に、竹千代兄上は満足そうに笑った。
戦は終わった。
だが、保守運用は終わらない。
むしろ、ここからが本当の「江戸時代」の本番だった。
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