暴君忠長に転生したので、兄上のために日本列島をメンテします 〜SFチートのはずが、田んぼと水路と寺社ノードの保守係なんですが〜 作:パラレル・ゲーマー
慶長十九年、冬。
大坂での大戦の足音は、ほど近い京の都にも、重く冷たい震動として伝わってきていた。
禁裏周辺の公家屋敷は、表向きは静まり返っていたが、内側は全く落ち着かなかった。
「……大坂は、もはや完全に囲まれたそうにござる」
「徳川方は、天下の諸大名を総動員したとか。東国も、西国も、外様も、ことごとく大坂を囲んだと聞く」
「それでは……豊臣は、いよいよ滅びるのではないか」
公家たちの囁き声には、深い憂いと焦りが混じっていた。
朝廷から見れば、豊臣家はかつて禁裏の修復、寺社の造営、朝廷への莫大な献金などで、決して少なくない「恩」がある家だ。太閤秀吉の威光は、都の公卿たちの記憶にまだ色濃く残っている。
だが、今や天下の実権を完全に握っているのは、圧倒的な大軍を大坂へ送り込んだ徳川家である。
「豊臣家には、確かに恩がある」
一人の公家が、扇を握りしめながら苦しげに言った。
「されど今、ここで豊臣を庇うような言葉を出せば……それは直ちに、徳川への『敵対』と取られかねぬ。禁裏が、武家の血生臭い争いに巻き込まれることだけは、何としても避けねばならぬ」
「左様。方広寺の鐘の件も、ただの文言とはいえ、徳川があれほどまでに大問題とした以上、こちらから軽々に口を挟むことはできませぬ」
現実を重んじる公家が、冷たく同意する。
鐘の銘文という『言葉』が、巨大な戦の火種になったのだ。
言葉を間違えれば、都が再び火の海になる。公家たちは、極限の緊張の中で「沈黙」を選ぶことしかできなかった。
*
御簾の奥。
若き主上──後の世に後水尾天皇と呼ばれる御方は、ただ静かに、大坂からの戦の報を待っておられた。
帝は、直接「豊臣を助けたい」とは決して口になさらなかった。
だが、豊臣が朝廷に尽くしてきた歴史も、公家衆の抱える恩義も、全て理解しておられた。
「豊臣家は、禁裏にも寺社にも、少なからぬ功を積んだ家である」
帝の静かな御言葉に、周囲に控える公卿たちが深く頭を下げる。
「はっ。太閤秀吉公以来、朝廷も多くの恩を受けております」
「……されど」
帝の御声が、少しだけ沈んだ。
「いま、天下の政を真に担うは、徳川である」
その一言で、朝廷の置かれたあまりにも苦しい立場が明確に示された。
「御意にございます」
現実派の公家が進み出る。
「ここで禁裏が、大御所様に対して公然と豊臣助命を願い出れば、徳川は間違いなく『朝廷が豊臣に肩入れした』と見るやもしれませぬ。……それは、朝廷そのものを危うくいたします」
「しかし、何も申さぬまま豊臣が滅びれば、我らは恩ある家を冷酷に見捨てたことになりませぬか……!」
豊臣寄りの公家が、たまらず声を震わせる。
重苦しい沈黙が落ちた。
「言葉を出せば、大いなる火となる」
帝が、静かに、だが深く重いお声で仰った。
「されど、言葉を出さねば、深き悔いとなる。……まこと、難しき時よ」
それは、天下の中心にいながら、己の言葉一つで兵火を呼ぶかもしれないという、頂点に立つ者のみが知る孤独な苦しみであった。
*
そこへ、京都所司代・板倉勝重からの急報が届いた。
報告役の武士が、慌ただしい足取りで控えの間へ入り、御簾の前に平伏する。
「申し上げます! 大坂より、決着の報にございます!」
公家たちが、一斉に扇を握りしめ、息を詰めた。
誰もが、悲惨な『豊臣滅亡』の報を覚悟していた。
「徳川方、圧倒的勝利。……大坂方、和議を受諾いたしました」
場が、小さくざわめく。
「やはり、そうか……」
豊臣寄りの公家が、絶望に顔を伏せた。
そのざわめきを縫うように、帝が静かに問われた。
「……秀頼は。淀殿は」
短く、だが最も重い問い。
報告役は、少しだけ声を張り上げて答えた。
「……助命されたとのことにございます」
一瞬、座敷の空気が完全に止まった。
「助命……?」
「秀頼卿が、生き残られたのか!?」
「淀殿もか?」
公家たちが、信じられないというように互いの顔を見合わせる。
「はっ」
報告役が詳細を告げる。
「大坂城は公儀へ召し上げられ、摂津・河内・和泉の豊かな所領は没収。豊臣家は、江戸に近き常陸方面へと国替えとなる見込みにございます」
「……!」
「されど。秀頼公、淀殿、そして大野治長ら主要家臣の命は取られず。牢人衆も武装を解いて城を出ることで助命。……豊臣家は、一大名として存続を許されるとのことにございます」
完璧な沈黙。
そして。
公卿たちの間から、深々と、安堵の息が漏れ出た。
*
帝は、しばらくの間、静かに目を閉じて沈黙しておられた。
やがて、わずかに目を開け、ゆっくりと仰った。
「……そうか。命は、助かったか」
その御言葉の響きに、公家たちも深く頭を垂れた。
「こちらは、何もできませなんだ……」
豊臣寄りの公家が、声を震わせて涙を拭う。
「どちらにも味方できず、ただ報を待つしかなかった。……それでも。命が助かったのであれば、これに勝る喜びはありませぬ」
「徳川が、豊臣をただ力で滅ぼすことなく、一大名として残したことは……天下に残る怨みを、大きく和らげる道でもございましょうな」
現実派の公家が、家康の冷徹な、しかし血を流しすぎない政治判断を評価する。
「豊臣は、天下の中心ではなくなった」
帝が、静かに事の結末を総括された。
「されど、武家の世において、武家として生き残ることができたなら……それもまた、良しとしよう」
朝廷の視点では、豊臣が天下人の格から一大名へと落とされたことは、確かに痛ましいことだ。
しかし、凄惨な滅亡ではなく『生存』という結末であったなら。それ以上のことを、もはや今の朝廷が望むことはできなかった。
*
「もし、禁裏より助命の御沙汰を一つでも出しておれば……」
豊臣寄りの公家が、ぽつりと後悔を口にする。
「それは危うい」
別の公家がすぐに制した。
「徳川がすでに全国の兵を動かしている中で、禁裏が豊臣助命を公然と願えば、徳川はそれを『禁裏の豊臣への肩入れ』と見たやもしれぬ」
「左様。今の徳川は、天下の全武家を完全に背後に従えております。そこへ禁裏が不用意に豊臣を庇えば……朝廷そのものが、武家の血生臭い争いに直接巻き込まれかねませんでした」
現実派の公家が、苦渋の決断だったことを強調する。
帝は、その言葉を聞き、静かに目を伏せられた。
「言葉を出さぬことにも、責はある。……されど、言葉を出せば、より多くの火を招くこともある。徳川が、自らの政として命を取らなんだこと。まずはそれを、深く良しとするほかあるまい」
*
報告は、戦後処理の詳細へと移る。
「大坂城は公儀のものとなり、豊臣の城ではなくなりました。堀や櫓は改められ、今後は徳川の城、あるいは公儀直轄の要として整えられる見込みにございます」
「大坂城が……豊臣の城ではなくなるか」
「太閤殿下の威光の象徴が、ついに完全に徳川の御手へ……」
「これで、名実ともに、天下は徳川へ移ったのだな」
公家たちが、一つの時代の完全な終わりを実感して呟く。
「城は、武家の『家』の象徴である。豊臣が城を失ったことは、まこと重かろう」
帝が、同情を込めて仰る。
「されど、城を失ってでも『命を残す道』を選んだのであれば……若き秀頼もまた、己の家を懸命に守ろうとしたのであろうな」
それは、若き天下人の苦渋の決断に対する、最大級の評価の御言葉であった。
*
「徳川は……苛烈ではありますが、ただ殺し、滅ぼすだけの政ではありませぬな」
現実派の公家が、感心したように言う。
「豊臣を一大名へ落とし、公儀の秩序の中に組み込む。これは、ただ殺すよりもある意味で恐ろしいが……天下を治める手としては、あまりにも巧みでござる」
「巧みだからこそ、寂しいのだ」
豊臣寄りの公家が嘆息する。
「豊臣が、もう天下の家ではなくなったことを、これ以上ない形で、誰の目にも明らかにしてしまった」
「武家の世は、武家の理で進む」
帝が、威厳あるお声で締めくくられた。
「朝廷は、その荒々しき波に呑まれず。……されど、民と天下の安寧を、ただひたすらに祈るのみである」
*
重い空気が少し落ち着いたところで、公家の一人が報告書をめくりながら、ふと不思議そうな声を上げた。
「ところで……大御所家康公は、いまだ大坂の地に留まっておられるようにございますが」
「戦後の裁定と、大坂の差配を整えておるのか」
帝が問われると、報告役の武士が、少しだけ困惑したような顔で答えた。
「はっ。それもございますが……その、少々変わった報が、同時に届いておりまして」
「変わった報?」
公家たちが怪訝な顔をする。
「大御所様は、竹千代君、国松君らとともに……大坂城下の『水脈』を、直に調べておられるとのこと」
場が、一瞬だけ止まった。
「……水脈?」
「はい。国松君が、大坂の地にて、井戸に適した場所を次々と言い当て、指差した場所から実際に清水が湧き出たとのことにございます」
「ほう……。大坂でも、水神の働きをなされたか」
報告役は、さらに言葉を続けた。
「さらに……大坂城下にて、国松君が『温泉』を掘り当てられたとか」
座敷が、どっとざわめいた。
「温泉!?」
「大坂でか!?」
「水だけでなく、湯まで見つけられたというのか……!?」
それまで重苦しかった空気が、一気に、そして不思議なほど和やかに緩んだ。
*
帝の口元に、小さく、柔らかな微笑みが浮かんだ。
「ほほ……そうか。戦の終わった直後の大坂で、国松君は水神として働いておるか」
公家たちも、先ほどまでの極度の緊張から解放され、口々に笑い合う。
「まこと、あの若君はどこへ行っても、水と土のことばかりでございますな」
「豊臣の旧都を、戦の傷跡ではなく、水と湯で整えようとなされるとは……」
「それは、まこと立派な、人の生を慈しむ働きにございます」
「戦の後、まず湧いたのが『血』ではなく『湯』であるなら……」
帝が、優しく目を細めて仰った。
「それは、まこと、よきことよ」
*
公家の一人が、つい本音を漏らした。
「それほどの水神の御力ならば……いずれ、京にもお越しいただけぬものでございましょうか。京にも古き水路や、涸れた井戸、寺社の池など、水に悩む地が多くございますれば」
「禁裏御料にも、田法だけでなく水土の見立てをいただければ、どれほど助かりましょう」
別の公家も乗っかる。
帝も、少しだけ関心を示された。
「国松君が京の寺社を巡れば、古き水の流れも、いくらか整うやもしれぬな」
だが、その御言葉に、公家たちが少しだけ慌てた。
「しゅ、主上。……それ以上は!」
「分かっておる。こちらから、無理を申してはならぬ」
帝は、静かに首を振られた。
「国松君は、まだ元服もしておらぬ童である。いくら水神と呼ばれても、武家の政の渦中におる若君である。……こちらから『京へ来よ』と強く望めば、それは徳川への命令のように響いてしまう」
「御意にございます」
現実派の公家が同意する。
「徳川の若君を、禁裏が呼びつけたとあっては、江戸も駿府も、容易には受け取れませぬ」
「いずれ、時が整えばよい」
帝が、遥か東の空を想うように仰った。
「徳川より、正式な挨拶があるならば。……その時に、よき形で迎えればよい」
*
大坂冬の陣は、冬の寒さの残るうちに終わった。
豊臣は、天下の家ではなくなった。だが、命は残った。
朝廷は、何もできなかった。
ただ、言葉を選び、沈黙を選び、祈ることしかできなかった。
それでも、滅亡ではなく『存続』という報は、御簾の内に静かな、そして深い安堵をもたらした。
そして同時に。
もう一つの報が、京の都へ届いた。
大坂で、水神の若君が水を見つけ、湯を湧かせている。
戦に勝った徳川は、ただ城を奪い、血を流すだけではない。
水を整え、湯を開き、傷ついた町を生かそうとしている。
その事実は、都の者たちに、徳川の世がただの武断の世ではないことを、静かに、だが強烈に印象づけた。
帝は、御簾の奥で小さく仰った。
「いずれ、京にも来る日があろう。……その時は、無理に呼ぶのではなく、よき形で迎えたいものよ」
京の冬風は冷たい。
だが、その冷たい風の中に……遠い大坂から湧き上がる温かな湯気の噂が、かすかに混じり始めていた。
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