暴君忠長に転生したので、兄上のために日本列島をメンテします 〜SFチートのはずが、田んぼと水路と寺社ノードの保守係なんですが〜   作:パラレル・ゲーマー

60 / 61
第59話 禁裏、大坂冬の陣の終わりを聞く

 慶長十九年、冬。

 

 大坂での大戦の足音は、ほど近い京の都にも、重く冷たい震動として伝わってきていた。

 

 禁裏周辺の公家屋敷は、表向きは静まり返っていたが、内側は全く落ち着かなかった。

 

「……大坂は、もはや完全に囲まれたそうにござる」

 

「徳川方は、天下の諸大名を総動員したとか。東国も、西国も、外様も、ことごとく大坂を囲んだと聞く」

 

「それでは……豊臣は、いよいよ滅びるのではないか」

 

 公家たちの囁き声には、深い憂いと焦りが混じっていた。

 

 朝廷から見れば、豊臣家はかつて禁裏の修復、寺社の造営、朝廷への莫大な献金などで、決して少なくない「恩」がある家だ。太閤秀吉の威光は、都の公卿たちの記憶にまだ色濃く残っている。

 

 だが、今や天下の実権を完全に握っているのは、圧倒的な大軍を大坂へ送り込んだ徳川家である。

 

「豊臣家には、確かに恩がある」

 

 一人の公家が、扇を握りしめながら苦しげに言った。

 

「されど今、ここで豊臣を庇うような言葉を出せば……それは直ちに、徳川への『敵対』と取られかねぬ。禁裏が、武家の血生臭い争いに巻き込まれることだけは、何としても避けねばならぬ」

 

「左様。方広寺の鐘の件も、ただの文言とはいえ、徳川があれほどまでに大問題とした以上、こちらから軽々に口を挟むことはできませぬ」

 

 現実を重んじる公家が、冷たく同意する。

 

 鐘の銘文という『言葉』が、巨大な戦の火種になったのだ。

 

 言葉を間違えれば、都が再び火の海になる。公家たちは、極限の緊張の中で「沈黙」を選ぶことしかできなかった。

 

 *

 

 御簾の奥。

 

 若き主上──後の世に後水尾天皇と呼ばれる御方は、ただ静かに、大坂からの戦の報を待っておられた。

 

 帝は、直接「豊臣を助けたい」とは決して口になさらなかった。

 

 だが、豊臣が朝廷に尽くしてきた歴史も、公家衆の抱える恩義も、全て理解しておられた。

 

「豊臣家は、禁裏にも寺社にも、少なからぬ功を積んだ家である」

 

 帝の静かな御言葉に、周囲に控える公卿たちが深く頭を下げる。

 

「はっ。太閤秀吉公以来、朝廷も多くの恩を受けております」

 

「……されど」

 

 帝の御声が、少しだけ沈んだ。

 

「いま、天下の政を真に担うは、徳川である」

 

 その一言で、朝廷の置かれたあまりにも苦しい立場が明確に示された。

 

「御意にございます」

 

 現実派の公家が進み出る。

 

「ここで禁裏が、大御所様に対して公然と豊臣助命を願い出れば、徳川は間違いなく『朝廷が豊臣に肩入れした』と見るやもしれませぬ。……それは、朝廷そのものを危うくいたします」

 

「しかし、何も申さぬまま豊臣が滅びれば、我らは恩ある家を冷酷に見捨てたことになりませぬか……!」

 

 豊臣寄りの公家が、たまらず声を震わせる。

 

 重苦しい沈黙が落ちた。

 

「言葉を出せば、大いなる火となる」

 

 帝が、静かに、だが深く重いお声で仰った。

 

「されど、言葉を出さねば、深き悔いとなる。……まこと、難しき時よ」

 

 それは、天下の中心にいながら、己の言葉一つで兵火を呼ぶかもしれないという、頂点に立つ者のみが知る孤独な苦しみであった。

 

 *

 

 そこへ、京都所司代・板倉勝重からの急報が届いた。

 

 報告役の武士が、慌ただしい足取りで控えの間へ入り、御簾の前に平伏する。

 

「申し上げます! 大坂より、決着の報にございます!」

 

 公家たちが、一斉に扇を握りしめ、息を詰めた。

 

 誰もが、悲惨な『豊臣滅亡』の報を覚悟していた。

 

「徳川方、圧倒的勝利。……大坂方、和議を受諾いたしました」

 

 場が、小さくざわめく。

 

「やはり、そうか……」

 

 豊臣寄りの公家が、絶望に顔を伏せた。

 

 そのざわめきを縫うように、帝が静かに問われた。

 

「……秀頼は。淀殿は」

 

 短く、だが最も重い問い。

 

 報告役は、少しだけ声を張り上げて答えた。

 

「……助命されたとのことにございます」

 

 一瞬、座敷の空気が完全に止まった。

 

「助命……?」

 

「秀頼卿が、生き残られたのか!?」

 

「淀殿もか?」

 

 公家たちが、信じられないというように互いの顔を見合わせる。

 

「はっ」

 

 報告役が詳細を告げる。

 

「大坂城は公儀へ召し上げられ、摂津・河内・和泉の豊かな所領は没収。豊臣家は、江戸に近き常陸方面へと国替えとなる見込みにございます」

 

「……!」

 

「されど。秀頼公、淀殿、そして大野治長ら主要家臣の命は取られず。牢人衆も武装を解いて城を出ることで助命。……豊臣家は、一大名として存続を許されるとのことにございます」

 

 完璧な沈黙。

 

 そして。

 

 公卿たちの間から、深々と、安堵の息が漏れ出た。

 

 *

 

 帝は、しばらくの間、静かに目を閉じて沈黙しておられた。

 

 やがて、わずかに目を開け、ゆっくりと仰った。

 

「……そうか。命は、助かったか」

 

 その御言葉の響きに、公家たちも深く頭を垂れた。

 

「こちらは、何もできませなんだ……」

 

 豊臣寄りの公家が、声を震わせて涙を拭う。

 

「どちらにも味方できず、ただ報を待つしかなかった。……それでも。命が助かったのであれば、これに勝る喜びはありませぬ」

 

「徳川が、豊臣をただ力で滅ぼすことなく、一大名として残したことは……天下に残る怨みを、大きく和らげる道でもございましょうな」

 

 現実派の公家が、家康の冷徹な、しかし血を流しすぎない政治判断を評価する。

 

「豊臣は、天下の中心ではなくなった」

 

 帝が、静かに事の結末を総括された。

 

「されど、武家の世において、武家として生き残ることができたなら……それもまた、良しとしよう」

 

 朝廷の視点では、豊臣が天下人の格から一大名へと落とされたことは、確かに痛ましいことだ。

 

 しかし、凄惨な滅亡ではなく『生存』という結末であったなら。それ以上のことを、もはや今の朝廷が望むことはできなかった。

 

 *

 

「もし、禁裏より助命の御沙汰を一つでも出しておれば……」

 

 豊臣寄りの公家が、ぽつりと後悔を口にする。

 

「それは危うい」

 

 別の公家がすぐに制した。

 

「徳川がすでに全国の兵を動かしている中で、禁裏が豊臣助命を公然と願えば、徳川はそれを『禁裏の豊臣への肩入れ』と見たやもしれぬ」

 

「左様。今の徳川は、天下の全武家を完全に背後に従えております。そこへ禁裏が不用意に豊臣を庇えば……朝廷そのものが、武家の血生臭い争いに直接巻き込まれかねませんでした」

 

 現実派の公家が、苦渋の決断だったことを強調する。

 

 帝は、その言葉を聞き、静かに目を伏せられた。

 

「言葉を出さぬことにも、責はある。……されど、言葉を出せば、より多くの火を招くこともある。徳川が、自らの政として命を取らなんだこと。まずはそれを、深く良しとするほかあるまい」

 

 *

 

 報告は、戦後処理の詳細へと移る。

 

「大坂城は公儀のものとなり、豊臣の城ではなくなりました。堀や櫓は改められ、今後は徳川の城、あるいは公儀直轄の要として整えられる見込みにございます」

 

「大坂城が……豊臣の城ではなくなるか」

 

「太閤殿下の威光の象徴が、ついに完全に徳川の御手へ……」

 

「これで、名実ともに、天下は徳川へ移ったのだな」

 

 公家たちが、一つの時代の完全な終わりを実感して呟く。

 

「城は、武家の『家』の象徴である。豊臣が城を失ったことは、まこと重かろう」

 

 帝が、同情を込めて仰る。

 

「されど、城を失ってでも『命を残す道』を選んだのであれば……若き秀頼もまた、己の家を懸命に守ろうとしたのであろうな」

 

 それは、若き天下人の苦渋の決断に対する、最大級の評価の御言葉であった。

 

 *

 

「徳川は……苛烈ではありますが、ただ殺し、滅ぼすだけの政ではありませぬな」

 

 現実派の公家が、感心したように言う。

 

「豊臣を一大名へ落とし、公儀の秩序の中に組み込む。これは、ただ殺すよりもある意味で恐ろしいが……天下を治める手としては、あまりにも巧みでござる」

 

「巧みだからこそ、寂しいのだ」

 

 豊臣寄りの公家が嘆息する。

 

「豊臣が、もう天下の家ではなくなったことを、これ以上ない形で、誰の目にも明らかにしてしまった」

 

「武家の世は、武家の理で進む」

 

 帝が、威厳あるお声で締めくくられた。

 

「朝廷は、その荒々しき波に呑まれず。……されど、民と天下の安寧を、ただひたすらに祈るのみである」

 

 *

 

 重い空気が少し落ち着いたところで、公家の一人が報告書をめくりながら、ふと不思議そうな声を上げた。

 

「ところで……大御所家康公は、いまだ大坂の地に留まっておられるようにございますが」

 

「戦後の裁定と、大坂の差配を整えておるのか」

 

 帝が問われると、報告役の武士が、少しだけ困惑したような顔で答えた。

 

「はっ。それもございますが……その、少々変わった報が、同時に届いておりまして」

 

「変わった報?」

 

 公家たちが怪訝な顔をする。

 

「大御所様は、竹千代君、国松君らとともに……大坂城下の『水脈』を、直に調べておられるとのこと」

 

 場が、一瞬だけ止まった。

 

「……水脈?」

 

「はい。国松君が、大坂の地にて、井戸に適した場所を次々と言い当て、指差した場所から実際に清水が湧き出たとのことにございます」

 

「ほう……。大坂でも、水神の働きをなされたか」

 

 報告役は、さらに言葉を続けた。

 

「さらに……大坂城下にて、国松君が『温泉』を掘り当てられたとか」

 

 座敷が、どっとざわめいた。

 

「温泉!?」

 

「大坂でか!?」

 

「水だけでなく、湯まで見つけられたというのか……!?」

 

 それまで重苦しかった空気が、一気に、そして不思議なほど和やかに緩んだ。

 

 *

 

 帝の口元に、小さく、柔らかな微笑みが浮かんだ。

 

「ほほ……そうか。戦の終わった直後の大坂で、国松君は水神として働いておるか」

 

 公家たちも、先ほどまでの極度の緊張から解放され、口々に笑い合う。

 

「まこと、あの若君はどこへ行っても、水と土のことばかりでございますな」

 

「豊臣の旧都を、戦の傷跡ではなく、水と湯で整えようとなされるとは……」

 

「それは、まこと立派な、人の生を慈しむ働きにございます」

 

「戦の後、まず湧いたのが『血』ではなく『湯』であるなら……」

 

 帝が、優しく目を細めて仰った。

 

「それは、まこと、よきことよ」

 

 *

 

 公家の一人が、つい本音を漏らした。

 

「それほどの水神の御力ならば……いずれ、京にもお越しいただけぬものでございましょうか。京にも古き水路や、涸れた井戸、寺社の池など、水に悩む地が多くございますれば」

 

「禁裏御料にも、田法だけでなく水土の見立てをいただければ、どれほど助かりましょう」

 

 別の公家も乗っかる。

 

 帝も、少しだけ関心を示された。

 

「国松君が京の寺社を巡れば、古き水の流れも、いくらか整うやもしれぬな」

 

 だが、その御言葉に、公家たちが少しだけ慌てた。

 

「しゅ、主上。……それ以上は!」

 

「分かっておる。こちらから、無理を申してはならぬ」

 

 帝は、静かに首を振られた。

 

「国松君は、まだ元服もしておらぬ童である。いくら水神と呼ばれても、武家の政の渦中におる若君である。……こちらから『京へ来よ』と強く望めば、それは徳川への命令のように響いてしまう」

 

「御意にございます」

 

 現実派の公家が同意する。

 

「徳川の若君を、禁裏が呼びつけたとあっては、江戸も駿府も、容易には受け取れませぬ」

 

「いずれ、時が整えばよい」

 

 帝が、遥か東の空を想うように仰った。

 

「徳川より、正式な挨拶があるならば。……その時に、よき形で迎えればよい」

 

 *

 

 大坂冬の陣は、冬の寒さの残るうちに終わった。

 

 豊臣は、天下の家ではなくなった。だが、命は残った。

 

 朝廷は、何もできなかった。

 

 ただ、言葉を選び、沈黙を選び、祈ることしかできなかった。

 

 それでも、滅亡ではなく『存続』という報は、御簾の内に静かな、そして深い安堵をもたらした。

 

 そして同時に。

 

 もう一つの報が、京の都へ届いた。

 

 大坂で、水神の若君が水を見つけ、湯を湧かせている。

 

 戦に勝った徳川は、ただ城を奪い、血を流すだけではない。

 

 水を整え、湯を開き、傷ついた町を生かそうとしている。

 

 その事実は、都の者たちに、徳川の世がただの武断の世ではないことを、静かに、だが強烈に印象づけた。

 

 帝は、御簾の奥で小さく仰った。

 

「いずれ、京にも来る日があろう。……その時は、無理に呼ぶのではなく、よき形で迎えたいものよ」

 

 京の冬風は冷たい。

 

 だが、その冷たい風の中に……遠い大坂から湧き上がる温かな湯気の噂が、かすかに混じり始めていた。

 

 




ここまで読んでいただきありがとうございます! もし「面白い」「続きが気になる」と思っていただけましたら、ページ下部より【お気に入り登録】や【評価】、感想などをいただけると執筆の励みになります。 作者のモチベーション上昇に直結しますので、是非ともよろしくお願いします!
  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。