暴君忠長に転生したので、兄上のために日本列島をメンテします 〜SFチートのはずが、田んぼと水路と寺社ノードの保守係なんですが〜 作:パラレル・ゲーマー
慶長二十年、春。
江戸城内、『御異物改方』に割り当てられた薄暗い一室で、俺はうずたかく積まれた書類の山と格闘していた。
大坂の陣が終わり、世が泰平へと舵を切ったことで、実務の波は容赦なく俺の文机に押し寄せている。
机の上には、『火薬遊技器具・花火筒使用許可台帳』、『魔鏡十三枚・保管状況確認帳』、『千歯扱き・試作運用記録』、そして『街道整備・補助金給付案』と、およそ一人の童が抱え込むべきではない質と量の帳面が、今にも雪崩を起こしそうになっていた。
「……花火の打ち上げ場所の選定基準に、魔鏡の返却手続き、それに新しい農具の耐久試験。戦が終わった途端、やることが多すぎる……」
俺が虚ろな目で墨を擦り直していると、部屋の襖がスッと開き、新六郎がひどく困惑した顔で入ってきた。
「若君。……大御所様への面会を強く願う『尼』が、城の門前へ参っております」
「尼さん? どこかの寺社からの、水路かお布施の陳情ですか?」
俺が顔を上げると、新六郎は言い淀むように視線を泳がせた。
「それが……頑として、用件を申さぬのです」
「え?」
「身なりは決して粗末ではなく、年若い二十歳前後の尼僧に見えるのですが、どこの寺の使いかとも明言いたしませぬ。ただ、『家康殿に会いたい。用件は、会えば分かる』とだけ繰り返し……。門番や護衛の者がいくら厳しく追及しても、柳に風と申しますか、全く動じる気配がないのです。奇物を持ち込んだとも申しておりますが、中身は明かそうとしませぬ」
俺は、筆を置いて深い溜め息をついた。
「……こういう『会えば分かる』系って、だいたい本当に面倒くさい案件なんですよね……」
*
新六郎からの報告は、当然ながら大御所・家康の耳にも即座に入れられた。
通常であれば、身元も用件も明かさぬ不審者など、門前払いで終わる話だ。
しかし、家康は報告を聞いて、すぐには追い返さなかった。
「若い尼が、用件も告げず、このわしに会いたいとな……」
「明らかに不審者にございます。直ちに追い返すか、捕縛して詮議すべきでは」
将軍・秀忠が眉をひそめて進言するが、家康は静かに首を振った。
「いや。頑なに用件を明かせぬ、深い事情があるのやもしれぬ」
「危険ではありませぬか」
竹千代兄上が、次期将軍としての警戒心を露わにする。
「危険だからこそ、国松と竹千代、お前たち二人も呼んだのじゃ。万が一、それが『御異物改方』に関わるような理外の話であったなら、この二人に立ち会わせるのが一番早い」
そうして、俺は無理やり筆を取り上げられ、面会の場へと連行されたのだった。
「えっ、私も同席ですか? 護衛なら、もっと屈強な武士を置くべきでは……」
「お前が関わると、大体どんな厄介なものの正体も、早く分かるからな」
「完全に、便利な『奇物鑑定係』扱いじゃないですか!」
*
かくして、江戸城の奥まった、警固の武士たちが襖の裏に息を殺して潜む厳重な座敷にて、家康、竹千代、俺の三人で、その奇妙な尼を待つことになった。
「へー。でも、どんな奇物を持ってきたんでしょうかね。尼僧に伝わる仏舎利とか、呪われた仏具とかですかね?」
俺が少しだけワクワクしながら言うと、竹千代が冷静に推測する。
「尼僧が一人で持ち込めるものなら、仏の秘宝の類かもしれぬな。あるいは、戦乱で寺社から流れたいわくつきの貴金属の可能性もある」
「それにしても、『会えば分かる』っていうのが不思議ですよね」
俺は、上座で目を閉じている家康に向かって尋ねた。
「大御所様、何か心当たりはあるんですか?」
家康は、閉じていた目をゆっくりと開け、呆れたように言った。
「若い女の尼じゃろう? ……そんなもの、四十年は抱いておらぬわ」
「言い方!」
俺は思わず突っ込んだ。
竹千代が、微塵も表情を崩さずに極めて真面目な顔で尋ねる。
「……では。実は『大御所様の隠し子である娘』です、と名乗り出てくる可能性は?」
「いやいやいや。いくら何でも、そのような覚えはないぞ」
家康が軽く手を振る。
「では、巡り巡って『孫』です、とかは?」
俺が重ねて聞くと、家康の動きがピタリと止まった。
「う──────ーん…………」
「……」
「ないことも…………ない、か……?」
「大御所様!? ここで今さら、全く見知らぬ御落胤の登場とか、後継争いの新たな火種になって洒落にならないですよ!?」
俺が青ざめて叫ぶと、竹千代が額を押さえた。
「真面目に考えさせるな。また胃が痛くなってきた……」
「いや、長き戦国を生き抜いておれば、若い頃の話など、どこにどう転がっておるか分からぬものじゃ」
「変なところで開き直らないでください!」
そんな、緊張感のない身内ノリの雑談を交わしていた、その時だった。
*
スッ、と。
音もなく、座敷の襖が開いた。
一人の若い尼が、静かに入ってきた。
見た目は、報告通り二十歳前後。雪のように白い肌と、整った顔立ちをした、清楚な尼装束の女性だった。
だが、一目見た瞬間、俺の背筋に冷たいものが走った。
雰囲気が、明らかにどこか『おかしい』のだ。
足運びが、天下人の御前であるにもかかわらず、やたらと軽い。
隠れた武士たちが放つ殺気や緊張感を、まるで春のそよ風か何かのように完全に無視している。
そして何より……家康を「恐れ多い大御所様」としてではなく、最初から『よく知っている相手』を見るような、ひどく親しげな目で見つめているのだ。
(若いのに……目だけが、妙に老成してる……?)
俺は、違和感の正体を探ろうと目を凝らした。
尼は、家康の正面に平然と腰を下ろすと、ふわりと微笑んだ。
「うん。久しぶり、家康殿」
座敷の空気が、一瞬で凍りついた。
もしここに秀忠父上がいれば、即座に「曲者!」と叫んで斬り捨てていただろう。
今回は三人だけの面会だったため、竹千代が氷のような声で即座に反応した。
「……無礼であろう。大御所様の御前であるぞ」
だが、尼は怒られることすら楽しむように、ケラケラと笑った。
「ごめんごめん。でも、昔からずっとこう呼んでたから、今さら変えられないんだよね」
俺が横を見ると、家康の様子が明らかにおかしかった。
いつもなら、不遜な輩には老獪な笑みを浮かべて威圧するはずの天下人が、完全に『硬直』していたのだ。
「……大御所様?」
俺が声をかけても、家康は反応しない。
尼は、ゆっくりと尼装束の頭巾を外し、その顔を完全にあらわにした。
家康の顔色から、一気に血の気が引いた。
「ば…………馬鹿な……!」
家康が、珍しく、いや俺が知る限り初めて、声をガタガタと震わせて後ずさった。
「ありえぬ……! なぜ、お主が……!」
俺は、先ほどの雑談を思い出して慌てた。
「えーと……大御所様? やっぱり、昔深く思いを寄せた女性にそっくりな、隠し子の孫とかですか!?」
「ち、違う!!」
家康は、目をひん剥いて叫んだ。
「こやつは……! わしがまだ、今川への人質として送られる前の『童』であった頃に会った尼に、寸分違わずそっくりなのじゃ!!」
「……童の、頃!?」
俺の頭の中の計算が、一瞬で弾け飛んだ。
家康が幼少期に会った尼なら、今はとうに老婆、いや、とっくに亡くなっているはずだ。
「つまり、娘や孫の類ではなく……『本人』、ということか?」
竹千代も、己の理解を超えた事態に目を瞬かせる。
尼が、ニコニコと無邪気に笑った。
「正解。やっほー、家康殿。ビビりすぎー。まあ、その見事な狼狽顔を見るために、わざわざ江戸まで足を運んだんだけどね」
「お主……! 本当に、あの時の……!」
家康は、幽霊でも見るかのように震えている。
「どういうことですか!? この人、何者なんですか!」
俺の叫びに、尼は軽い調子で自ら名乗った。
「気づかない? まあ、普通はこんなに若いままだと気づかないか」
尼は、悪戯っぽくウインクをした。
「私、『八百比丘尼』って呼ばれてるんだー」
*
「八百比丘尼!?」
俺は、思わず立ち上がって叫んだ。
「なんだ、その尼の名は」
竹千代が怪訝な顔で俺を見る。
「ええと……! 後の世に広く伝わる、伝説の尼の名前です! 人魚の肉を食べて不老不死になり、八百年の間、ずっと若い姿のまま諸国を巡って木を植えたり、人々を助けたりしたとか、そういうお伽話の……!」
「正解!」
八百比丘尼は、パンッと手を叩いた。
「まあ、八百年どころか、かれこれ千年くらいは生きてるんだけどね」
竹千代の思考が、完全に停止した。
「せん、ねん……?」
家康は、まだ呼吸を荒げながら動揺を引きずっていた。
「わしが幼き頃に見た尼が……半世紀以上経って、そのままの姿で目の前に現れるなど……」
「そうそう。家康ちゃん、昔から驚いた時に面白い顔してたよ。今も全然変わってないね」
「わしを『ちゃん』付けで呼ぶな!!」
天下人が、顔を真っ赤にして怒鳴った。
「あの大御所様が、完全にツッコミに回ってる……!」
俺は、目の前の存在が『神仏ノード』や『異星文明』とはまた違う、強烈な理外のバグであることを理解し始めていた。
「それで。……そのような伝説の者が、なぜわざわざわしに会いに来た」
家康が、どうにか天下人の威厳を取り戻そうと凄みを利かせる。
しかし、八百比丘尼は全く意に介さず、お茶菓子を勝手につまみながら答えた。
「趣味」
「……趣味?」
「うん。才能ありそうな子の『若い頃』に一度会っておいて、その子がしわくちゃに年老いてから、もう一度『答え合わせ』に会いに行くのが好きなんだよねー」
八百比丘尼は、楽しそうに笑う。
「信長ちゃんにも会ったし、秀吉ちゃんにも会ったよ。……だから、今度は家康ちゃんの番かなって思って」
「……歴史上の三英傑を、全員ちゃん付けで呼んでる……」
俺は、めまいがしそうだった。
「信長公と、秀吉公にも……会ったのか」
竹千代が、信じられないというように呟く。
「うん。信長ちゃんは面白かったよ。若い頃から、目がギラギラに燃えててさ、常識なんてぶっ壊す気満々だった。秀吉ちゃんは、若い頃は本当に猿みたいに身軽に動いてたなぁ。でも……年を取って、天下の頂点に立ってからは、誰も信じられなくなって、ちょっと寂しそうだったけど」
その言葉には、千年の時を生きる者だけが持つ、さらっとした、しかし確かな『歴史の重み』があった。
家康は、何も言わずに押し黙った。
「で、家康ちゃんは……ふふ」
八百比丘尼は、家康の顔をまじまじと見つめた。
「私が思ったよりずっと長生きして、思ったよりずっと……立派な『狸』になったね」
「……お主に言われると、どうにも無性に腹が立つのう」
家康が、忌々しそうにそっぽを向いた。
*
俺は、どうしても気になることを口にした。
「というか、八百比丘尼さん。……あなたの口調、妙に『後の世』っぽいというか、現代風なのはなんでですか?」
「あー、これ? 私、地味に『未来』も覗けるからね」
「予知能力!?」
「そんな大層なものじゃないよ。正確に言うと、未来の可能性をたまーに『夢』みたいに見る感じ。絶対当たるわけじゃないから、あんまり便利じゃないよ。……でも、その時に未来の言葉とか服とか、変な流行りの知識がちょいちょい頭に混ざるんだよねー」
「それで、そんなに口調が軽いんだ……」
俺が納得していると、八百比丘尼が、スッと俺の方へ顔を近づけてきた。
「あ、でも。国松君も、私と似たようなものでしょ?」
俺の心臓が、ドクンと跳ねた。
「……え?」
「君から、プンプン『未来の匂い』がするもん。未来を予知してるんじゃなくて……ああ、なるほど。前世が未来の人間なんだ」
竹千代が、鋭い視線を俺へ向けた。
「……すみません、兄上。一瞬で見抜かれました」
「隠す気もないのか、お前は」
「へー。転生系か。まあ、千年も生きてりゃ、そういう変なバグみたいなことも、たまにはあるよね」
「受け入れ方が軽すぎる!?」
その時。
俺の視界の端に、KAMI様が静かに現れた。
『彼女の言ってることは、全部本当よ』
(KAMI様! この人、何者なんですか!?)
『生きた伝説ね。世界線によっては、私とも知り合いだったりするわ。……まあ、この世界では、今のところただの他人だけどね』
(KAMI様と知り合いの世界線がある存在!? 格が違いすぎる!)
俺が内心で震えていると、八百比丘尼が俺の視線の先──KAMI様のいる空間を、じっと見つめた。
「……ねえ。国松君。今、君の横にいる『変な黒い子』と話してる?」
「えっ!?」
俺は飛び上がった。
『へー。この世界でも、私の姿が薄く見えるんだ。……やっぱり面白いわね、この尼』
(怖い怖い怖い! KAMI様を認識できる現地の人間とか、絶対に関わっちゃ駄目なやつだ!!)
*
家康が、ようやく天下人の気力を取り戻し、重い口を開いた。
「……不老不死、か。つまりお主は、神仏の理外の理を、その身に取り込んだのだな」
「そうそう。まあ、世間じゃ『人魚の肉』って言われてるけど、正確には人魚じゃないんだよね」
「人魚じゃない?」
「あれを勝手に『人魚』って呼んだ人間がいただけ。実際は、海のずっと奥底にいた、ちょっと変わった存在の『肉の塊』だったの」
八百比丘尼は、思い出すように空を見た。
「食べちゃったら、体の中身が作り変えられちゃった。老いが完全に止まって、病気で死ななくなったの。……まあ、死なないって言っても、首を落とされたりしたら多分普通に死ぬから、完全無敵ってほどじゃないよ。病気にならないだけ。ちょっと面倒くさい身体になったなって感じ」
彼女の口調には、物語によくある「死ねない悲劇の不死者」の絶望感など微塵もなかった。
「でもね、私は不老不死って、けっこう『便利』だと思ってるよ」
「……便利?」
竹千代が眉をひそめる。
「うん。だって、人間ってすぐ死ぬじゃん? せっかく覚えたことも、見た美しい景色も、愛した人も、あっという間に寿命で失くしちゃう。……でも、長く生きると、色んな時代の、色んな面白いものが、自分の目で見続けられる。それって、すごく得だと思わない?」
「不老不死になったことを、悔いている感じでは全くないのですね」
俺が驚いて言うと、八百比丘尼はケラケラと笑った。
「悔いる? なんで? 便利じゃん。毎日楽しいよ?」
「あ、そういう価値観なんだ……」
「人の死生観とは、根本からかなり違うな」と竹千代も呆れる。
「だって、私は『死なない側』だもん」
八百比丘尼は、俺の顔をまじまじと見つめた。
「国松君、本当に面白いね。水神っぽいけど、水神そのものじゃない。未来の匂いがするけど、未来を全部知ってるわけじゃない。……なんか、『神仏ノード』? みたいな見えない仕組みにも、こっそり触ってるし」
「めちゃくちゃ見抜いてくる……」
「私も、そこそこ長く生きて、色んな理外を見てきたからね。……不老不死の仲間が増えるかと思ったけど、君は違うか」
「いや、不死の仲間は増えなくていいです。私は寿命でちゃんと死にたいので」
「えー。日本人って、どうして不老不死をそんなに怖がるんだろうね。みんな、病気になったり寿命で死ぬ時、あんなに苦しそうで大変そうなのに」
「……その話、いつか倫理観を巡って、絶対に大問題になるやつですね」
俺は、千年の時を生きる彼女との、決定的な『価値観のズレ』を感じていた。
*
八百比丘尼は、茶を飲み干すと、ふうと息を吐いた。
「まあ、久しぶりの顔合わせは済んだし。……私、しばらくこの江戸の町にいるからさ。時々、お茶でも誘ってよ」
「江戸に滞在するというなら、城内に立派な部屋を用意させるが」
家康が、監視の意味も込めて申し出るが、彼女はあっさりと手を振った。
「あー、いいよいいよ。城とか、作法が窮屈で息が詰まるし」
「では、どこに住む気だ」
「適当に、下町の『長屋』でも借りて暮らすから」
「不老不死の伝説の尼が、長屋暮らし、か……」
竹千代が、頭が痛そうに呟く。
「楽しいよ? 長屋って噂が回るのが早いし、庶民のご飯も意外と美味しいしね」
「千年を生きた存在の生活感が、あまりにも庶民的すぎる……」
「それにさ。お城の上から人間を見下ろしてるより、下に混ざって一緒にワイワイやってる方が、人間って面白くて可愛いんだよね」
「公儀として、密かに監視はつけるぞ」
家康が凄むが、八百比丘尼は笑って返した。
「いいよー。どうせすぐに撒けるけど、つけたいならどうぞ」
「……堂々と言うでないわ」
*
八百比丘尼は、スッと立ち上がった。
「じゃ、挨拶も済んだから帰るねー。家康ちゃん、長生きしてね。またね」
「……二度と来るな」
「竹千代君も、真面目すぎて胃に穴を開けないように、いい将軍になりなよ」
「……承知した」
「国松君。君はやっぱり面白いから、近いうちにお茶しようね」
「あ、はい……お手柔らかにお願いします」
最後に、八百比丘尼は何もない空間に向かって手を振った。
「あと、黒い子にもよろしくねー」
『ふふ。やっぱり見えてるじゃない。じゃあね』
「ひぇっ……」
八百比丘尼は、軽い足取りで襖を開け、そのまま飄々と去っていった。
襖が閉まり、足音が遠ざかる。
しばらくの間、座敷には、三人とも言葉を発せないほどの重い無言が続いた。
*
家康が、ドッと疲れ果てたように深く息を吐き出し、肩を落とした。
「……心底、驚き疲れたわ」
「大御所様が、あそこまで本気で狼狽するの、初めて見ました」
「あれは卑怯じゃろう……。わしがまだ右も左も分からぬ幼き頃に見た尼が、そのままの若い姿で、突然目の前に現れるなど。いかなる知恵者でも予想できるはずがないわ」
「八百比丘尼。……ただの伝説や御伽話と思っていたものが、実在したか」
竹千代も、まだ信じられないというようにため息をついた。
「八百比丘尼まで普通に歩いてるのかよ……。いや、神仏ノードが実在して機能してる世界なら、おかしくはないのか……?」
『おかしくないわよ。この世界の神仏レイヤー、けっこう本気で脈々と生きてるもの』
「やっぱりこの世界、俺が思ってたよりファンタジー濃度が異常に高い……」
「国松」
竹千代が、実務の顔に戻って問うた。
「あの尼を、どう見る」
俺は、少し考えてから答えた。
「敵ではないと思います。少なくとも、今は」
「……」
「ただし、持っている知識量が桁違いです。不老不死で千年生きてるなら、歴史の『生き証人』どころの騒ぎじゃありません。それに、予知っぽい力もあるし、神仏ノードやKAMI様の気配も薄く見えている。……はっきり言って、公儀の力でどうにかできるような存在じゃありません。完全に『管理不能の上位存在』です」
「管理不能、か」
家康が渋い顔をする。
「はい。でも、敵対して追い詰めるより、美味しい茶菓子を出して『茶飲み友達』くらいの距離感で繋いでおく方が、絶対に安全です」
「なるほど。敵に回して探るより、茶に誘ってご機嫌を取れ、か」
「御異物改方の対象としては、どう扱う?」
竹千代の問いに、俺は端末を開いた。
「分類に、ひどく困りますね……」
端末のログが、新しい情報を保存する。
『対象:八百比丘尼』
『分類:生体奇物/神仏レイヤー接続存在/不老長命個体』
『危険度:測定不能』
『敵対度:低』
『管理方針:物理的な強制管理不可。友好的な接触を推奨』
『備考:本人が長生きを楽しそうにしているので、適当に放置するのが最適』
「備考欄がひどすぎる!」
*
花火は、人間が火薬で作った、夜空に咲く小さな星だった。
魔鏡は、人の技が作った、光の不思議だった。
だが今回、江戸城に現れたのは、「物」ではない。
千年という途方もない時間を生きた、一人の「尼」だった。
伝説だと思っていたものが、普通に歩いてやって来る。
家康公の幼い頃を知り、信長公と秀吉公を「ちゃん」付けで語り、未来の言葉を軽く混ぜて笑う。
しかも、本人は「死ねない悲劇」に酔いしれるどころか、長生きを心の底から面白がっているのだ。
この世界には、俺が思っていたよりずっと古く、ずっと深いものが、まだまだ当たり前のように眠っている。
御異物改方が扱うべきものは、危険な道具や鏡や火薬筒だけではない。
生きた伝説そのものが、ふらりと長屋から茶を飲みに来ることもあるのだ。
「……八百比丘尼までいるのかよ……」
俺は、頭を抱えた。
だが、同時に思った。
敵でないなら、まだいい。
話が通じるなら、なおいい。
お茶に誘えばニコニコと来るなら、かなりマシだ。
そんな風に「危険度の高低」で割り切って考えてしまう時点で、俺もこの理不尽な世界に、だいぶ毒され、慣れてきたのかもしれない。
端末のログには、新しい分類が一つ、確かに増えていた。
『生きた奇物:八百比丘尼』
『対応方針:定期的に、美味しい茶菓子を用意すること』
「……御異物改方って、結局なんの部署だったっけ?」
俺の小さな問いに答える者は、江戸城の奥深い座敷には、誰もいなかった。
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