暴君忠長に転生したので、兄上のために日本列島をメンテします 〜SFチートのはずが、田んぼと水路と寺社ノードの保守係なんですが〜   作:パラレル・ゲーマー

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第66話 水神様、戦のない武を考える

 慶長二十年、春も深まりつつある頃。

 

 江戸城の評定の間には、いつになく活気と疲労が入り交じった空気が漂っていた。

 

 大御所・家康、将軍・秀忠、そして次期将軍たる竹千代兄上の前で、江戸近郊の普請に携わる役人たちが、次々と報告を上げている。

 

 俺も末席に座り、自らが提案した『普請米』による公共事業の進捗に耳を傾けていた。

 

「主要街道の泥濘(ぬかるみ)が酷かった区間ですが、砂利と板敷きの手配が進み、見違えるように歩きやすくなっております。また、排水溝の整備も順調。橋の架け替えにつきましても、十分な数の人足が確保できており、工期は予定を上回る速さで進んでおります」

 

 役人の声は弾んでいた。

 

「懸念された『人足札』の不正も、日替わりの焼印と支給所の分散により、初期に比べれば格段に減り始めております。新たに区画した屋台村も大層な賑わいを見せ、商いが活発化しております。さらに、あぶれていた牢人たちの一部を警備や監督役に抜擢したことで、現場の取りまとめが劇的に楽になりました」

 

 そこまで聞くと順風満帆に思えるが、もちろん良いことばかりではない。

 

 役人は少し声を潜め、別の帳面を開いた。

 

「……ただし。やはり人が集まりすぎたせいか、問題も頻発しております。巧妙に偽造された人足札の持ち込み、酒場での流血沙汰、隠れて行われる賭博、夕刻の米支給所に人が殺到することによる小競り合い。さらには、屋台の密集による火災の危険や、口入れ屋による悪質な中抜き、牢人同士の派閥争いなど……頭の痛い揉め事も後を絶ちませぬ」

 

 報告を聞き終えた家康は、鷹揚に頷いた。

 

「うむ。江戸の道路整備は、概ね順調じゃ。問題は山ほどあるようじゃが……まあ、まずまずじゃな」

 

「大御所様。こんなに問題の報告が続いているのに、『まずまず』で済ませてしまっていいんですか?」

 

 俺が思わず突っ込むと、竹千代兄上が涼しい顔で答えた。

 

「問題がこうしてはっきりと見えているということは、公儀の力で管理し、対処できるということでもある。恐れるべきは、見えないところで腐っていくことだ」

 

「左様。見えぬ不満が溜まり一揆に繋がるよりは、目に見えている小競り合いの方が、はるかに統制しやすい。(まつりごと)とはそういうものだ」

 

 秀忠も、全く動じる様子がない。

 

(徳川中枢の面々、問題に対する耐性が高すぎる……。これが修羅場をくぐり抜けてきた天下人のメンタルか)

 

 俺は、一人で胃の辺りをさすった。

 

 *

 

 役人たちが退室し、座敷に一門の者だけが残された。

 

 家康は、普請の報告書をそっと畳に置くと、ふと、遥か遠くの空を見るような目をした。

 

「……日ノ本は、一つにまとまった」

 

 その言葉には、途方もない重みがあった。

 

 大坂冬の陣が冬のうちに終わり、豊臣家は刃を交える力を削がれ、一大名として国替えを受け入れた。

 

 国内において、徳川を脅かす大規模な戦乱の種は、事実上潰えたのだ。

 

 しかし、家康の表情に、安堵の色は微塵もなかった。

 

「わしは、太閤殿のように、無闇に兵を動かして朝鮮へ攻め入るようなことに興味はない。あのような真似をすれば、国が根底から疲弊するだけじゃ。……だがな」

 

 家康は、鋭い視線を俺たちに向けた。

 

「日ノ本が一つにまとまり、内なる敵が消えた今。我らが次に見るべき敵は、海の外にある」

 

 秀忠が、厳しい顔で頷いた。

 

「南蛮、紅毛、そして伴天連(ばてれん)の宣教師どもにございますな」

 

「うむ。だからこそ、わしは先んじて『禁教令』を出した。あれは、単なる信仰の良し悪しの問題ではない。外の国が、信仰という見えざる(くさび)を足掛かりにして、日ノ本という国へ侵略の手を伸ばしてくることを恐れたがゆえの処置じゃ」

 

(海外勢力の植民地政策と、宗教の布教、そして貿易と軍事力が、全部複雑に絡み合っている時代だもんな……。警戒して当然だ)

 

 俺は、以前の禁教令を巡るやり取りを思い出しながら、黙って頷いた。

 

「ゆえに、徳川の世においても、外敵を跳ね返すだけの『強い武士』は絶対に必要じゃ。いざという時に国を守れぬような腑抜けばかりになってはならぬ」

 

 家康は、ゆっくりと嘆息した。

 

「……だが、皮肉なものよな。日ノ本を守るために強い武士が必要なれど、彼らが腕を振るうべき『戦乱の時代』は、わしの手で終わらせてしまった。これからは、武士が日々戦場で命を懸け、血の臭いの中で腕を磨く時代ではなくなる」

 

 家康の目が、真っ直ぐに俺を捉えた。

 

「国松。……お前の、突拍子もない知恵が欲しい」

 

「……うわぁ、嫌な予感しかしないんですけど」

 

 俺は、思わず後ずさろうとしたが、竹千代兄上の冷たい視線に釘付けにされた。

 

 *

 

「大御所様の懸念は、もっともにございます」

 

 竹千代が、この難題を理路整然と整理し始めた。

 

「戦がなくなれば、当然ながら武士の実戦経験は減り、武は衰える。だが、武が衰えれば、いずれやって来るかもしれない外敵や、不測の内乱に備えることができぬ」

 

「かといって……逆に、武士たちの血の気をそのまま放置し、彼らに戦場を求めさせれば、せっかく終わらせた戦乱を、我ら自身の手で再び呼び戻すことになってしまう」

 

 秀忠が、為政者のジレンマを口にする。

 

「武を高く保ちつつ、決して戦を起こさせぬ仕組み。……それが必要なのだ」

 

 俺は、話を聞きながら、現代の歴史や社会構造の変遷を頭の中で思い描いていた。

 

「つまり……『平和になった世の中で、軍人の存在意義をどうするか問題』ですね」

 

「ぐんじん?」

 

 家康が聞き慣れぬ言葉に首を傾げる。

 

「ええと、戦うことそのものを『職分』とする者たちのことです。この国における、武士のような存在です。彼らから戦場を取り上げたら、一体何をして生きがいを見出せばいいのか、という話です」

 

「まさにそれじゃ」

 

 家康が我が意を得たりと膝を叩く。

 

「その武士が、血を流す戦のない世において、いかにして己の強さを保ち、何をもって己の価値を世に示すか。……公儀として、その『武の新しい形』を決めてやらねばならぬのだ」

 

 *

 

「それなら……」

 

 俺は、前世の記憶にある『武道』という概念を引っ張り出し、この時代の言葉に変換して提案した。

 

「一番王道なのは、江戸という場所に、腕のある武芸者たちを集めて『道場』を公然と開かせることですね」

 

「道場、か」

 

「はい。剣術、槍術、弓術、馬術、柔術、さらには砲術まで。各流派の優れた師範に江戸で立派な道場を持たせ、武士やその子弟たちが、日々の鍛錬として学べるようにするんです」

 

 俺は、教育とスポーツ的側面の融合を説いた。

 

「公儀が『男子たるもの、平時においても武芸を身につけるべし』と推奨すれば、江戸に集まる武士たちも、喜んでそこに通うでしょう。武芸を『戦場で人を殺すための技術』から、『道場で己を磨くための技術』にスライドさせるんです。技を体系化して、教え、記録し、後世へ継承する。そうやって形を整えれば、戦乱がなくても武芸が腐ることはありません」

 

「うむ。それについては、儂もかねてより考えておった」

 

 家康が、深く頷く。

 

「江戸に名のある武芸者を一堂に集めれば、公儀として彼らの動向を監視するのも容易になりますな」

 

 秀忠が、即座に治安維持と監視の側面を見出した。

 

「あ、やっぱり為政者としてはそこも考えますよね」

 

「当然じゃ」

 

 家康がニヤリと笑う。

 

「腕の立つ危険な武芸者が、諸国の片田舎に散って勝手に私兵のような弟子を集めるよりは、公儀の目の届く江戸のど真ん中で名誉を与え、飼い慣らした方がよほど安全だからな」

 

 *

 

「それと、もう一つ」

 

 俺は、さらにモチベーションを高めるための案を出した。

 

「定期的に、名誉ある『御前試合』を開くのも良いと思います。大御所様や将軍家の御前で、武芸者同士がその腕を競い合う。勝者には、公儀から立派な褒美と名誉を与えるんです。これなら、腕自慢の武士たちは張り切って鍛錬に励むでしょう」

 

「うむ。御前試合か。武士の闘争心と名誉心をくすぐるには、悪くない手じゃな」

 

 家康が乗り気になったが、ここで竹千代が、極めて冷静な視点で水を差した。

 

「しかし、勝てば名誉だが……公儀の御前で『負ければ一生の恥』となるのではないか」

 

「えっ?」

 

「戦場での死は誉れになるが、ただの腕比べで無様に敗北する様を晒せば、己の流派や主家の名折れになる。……そう考えれば、本当に腕に覚えのある誇り高き者ほど、負けた時の恥を恐れて、かえって出ようとしないのではないか」

 

「確かに」

 

 秀忠も、武士の面倒なプライドの構造に同意した。

 

「一時の名誉のために、家名を傷つける危険を冒す者は少ないかもしれぬ」

 

「それもあるな」と家康。「よほど己の腕に絶対の自信があり、かつ、少々面の皮が厚い目立ちたがり屋しか集まらんやもしれぬ」

 

「うーん……」

 

 俺は腕を組んだ。

 

「『負けたら取り返しのつかない恥』という空気を、根本から弱めないと駄目ですね」

 

 *

 

「戦国の世だと、勝負事=『命の取り合い』になりがちです」

 

 俺は、前世のスポーツや格闘技の概念を懸命に翻訳しようと試みた。

 

「でも、これからの泰平の世では……『命を取らずに、勝ち負けだけをきっちり決める文化』が必要なんです」

 

「命を取らずに、勝ち負けを決める、か」

 

 家康が、その言葉を反芻する。

 

「はい。純粋な技量や力だけを競うけれど、負けた者が死ぬわけじゃない。そして、負けても決して家の恥にはならず、鍛錬を積んで『次にまた挑める』という仕組みです」

 

 俺は、真剣な顔で言った。

 

「そういう『娯楽でありながら真剣な勝負の文化』を作って普及させないと、武士の血の気は、最終的に全部、本物の殺し合いや辻斬りに戻ってしまいます」

 

「つまり……勝負そのものを、規則を定めて『制度化』するということか」

 

 竹千代が、本質を突いてくる。

 

「そうです。(いくさ)ではなく、『競技(きょうぎ)』にするんです。決められた四角い場、決められた作法、決められた勝敗の基準で行う勝負。勝っても相手の命は奪わない。負けても名誉を完全に失うわけではなく、むしろ健闘を称えられる。……純粋に、武の技と力を見せる場にするんです」

 

 それを聞いて、竹千代や秀忠が思案顔になる中、俺は最も分かりやすい具体例を口にした。

 

「そこで。……『相撲(すもう)』とか、良いんじゃないですか?」

 

 *

 

「相撲、か」

 

 家康の目が、ハッと見開かれた。

 

「相撲は、ただの力比べではなく、古くより神事に繋がるものだな」

 

 竹千代が思い当たる。

 

「うむ。奉納相撲や、宮中で行われていた相撲節会(すまいのせちえ)、寺社の修繕費を集める勧進相撲など……古くから日ノ本にある伝統だ」

 

 秀忠も、歴史的背景を補足した。

 

「はい。だからこそ良いんです」

 

 俺は身を乗り出した。

 

「いきなり公儀が『南蛮渡りの怪しい新しい競技をやれ!』と言っても誰も乗りませんが、伝統と神事の延長として扱えば、抵抗なく受け入れられます」

 

「しかも、基本は素手で組み合い、相手を転がすか、土俵という決められた円の外に出せば勝ちになる。刀を使わないから、命を取らずに勝敗がはっきりします」

 

「負けても死なないし、次の場所で取り返せばいい。……民草が見ても、勝ち負けがものすごく分かりやすくて、見ていて最高に熱狂できるんです」

 

 俺が熱く語っていると、家康がふと、ひどく懐かしそうな、そして少しだけ寂しそうな目をした。

 

「そういえば……。かつて、信長公は、大の相撲好きであったな」

 

「えっ」

 

「安土の城下で盛大に相撲の大会を開き、身分を問わず力自慢を集めては、自らも熱狂して見物しておったわい。……あの頃が、なんとも懐かしいのう」

 

(天下人が、若き日の覇王との思い出にしんみりしている……)

 

『信長ちゃん呼びの八百比丘尼といい、最近、あんたの周りで信長関連の思い出話が増えるわね』

 

(KAMI様! その『ちゃん』付けの呼び方が伝染してますって!)

 

 *

 

 家康は、過去の追憶から戻り、再び天下人の鋭い目つきになった。

 

「相撲か……。確かに、徳川幕府として、武士だけでなく『民草の熱狂する娯楽』として公然と育てるのも、非常に良いかもしれぬな」

 

「神事としての形をしっかりと残せば、寺社勢力とも良好な関係を保ちながら繋がることができます」

 

 竹千代が、宗教統制の観点から賛同する。

 

「命を取らない力勝負の場として広めれば、血の気の多い荒くれ者たちの『暴力の向け先』にもなるだろう」

 

「その通りです」

 

 俺も頷いた。

 

「今、江戸には道普請で人足や牢人が山ほど増えています。彼らの鬱憤や有り余る体力を放置すれば、必ず喧嘩や違法な賭博に流れます。なら、公儀が用意した『ちゃんとした土俵』で、力自慢を堂々と競わせた方が絶対にいいです」

 

「勝者には、名誉と、褒美の『米』を与える。負けても命までは取られない。見物人は大いに盛り上がる。寺社への奉納や公儀の主催という形をとれば、そこに確かな秩序が生まれます」

 

「勝者には名誉と米、か。いかにも分かりやすくて良い」

 

 家康が満足げに笑う。

 

「さらに」

 

 俺は、人事的な利点も付け加えた。

 

「相撲の興行は、強い人足や牢人を見つけるための『人材発掘の場』にもなります。土俵で目立った強い男がいれば、そのまま公儀の治安維持役や、普請現場の力強い監督役としてスカウトできるかもしれません」

 

「なるほど。単なる見世物で終わらせるのではなく、秩序を守れる力自慢を吸い上げる場にもなるわけか」

 

 竹千代が、完璧な政策だと評価した。

 

 *

 

「開催の時期ですが」

 

 俺は、水土御用としての絶対の条件を提示した。

 

「田んぼの繁忙期である田植えや稲刈りの時期にやると、農村の労働力がそっちに流れて困ります。だから、相撲の興行は、必ず『田んぼの閑散期』に重なるように、江戸で開催するのが良いと思います」

 

「農作業の合間であれば、地方から力自慢の若者や、見物人も江戸へ来やすくなりますしね」

 

「なるほどな。……田の都合に合わせて、娯楽と武芸の興行を動かすというわけか」

 

 家康が、深く納得したように頷く。

 

「この国は、どこまでいっても『米の国』ですからね。何をするにも、田んぼの(こよみ)とずらすことが、一番大事な政治なんです」

 

「客星の祈祷も暦、田法の拡大も暦、そして相撲興行も暦、か」

 

 竹千代が、呆れたように呟く。

 

「結局、全部が泥臭い田んぼのスケジュールに戻ってくるんですね……」

 

 俺が疲れた顔で言うと、KAMI様が耳元で囁いた。

 

『水神様の管轄が、また一つ大きく広がったわね。おめでとう』

 

「全然嬉しくないです!」

 

 *

 

「よし。これで道筋は見えた」

 

 家康が、力強く結論を下した。

 

「まず、腕のある武士、牢人、流派の師範には、公儀の許可を得た上で、江戸で堂々と道場を開くことを認める。これにより武芸者を江戸に集め、同時に公儀の目の届く場所で管理する。……武士の子弟には、道場での修練を強く推奨せよ」

 

「御前試合は、いきなり流派を背負った真剣勝負ではなく、まずは木刀や袋竹刀を用いた『模範試合』の形から始める。負けて恥をかかせる場ではなく、純粋に『技の美しさと礼法を披露する場』として位置づける」

 

「そして、相撲じゃ。これは神事として、また民草の鬱憤を晴らす娯楽として定める。命を取らぬ勝負の文化として、この江戸の地で盛大に育てよ」

 

 方針が綺麗にまとまったかに見えたが、実務を知る俺の脳内では、すでに警報が鳴り響いていた。

 

「……大御所様。言うのは簡単ですが、相撲の興行を大々的にやるとなると、死ぬほど問題が出ますよ」

 

「またか国松」

 

「人が大量に集まって勝負事を見れば、裏で必ず『賭博(とばく)』を仕切るヤクザな連中が出ます。強い力士を抱える金持ちが、裏で勝敗を操作しようとする八百長も起きます。熱狂した見物人同士の喧嘩も起きますし、飯屋や酒屋の屋台が増えれば火事の危険もあります。もちろん、土俵の上で怪我人も出ますし、勝って調子に乗った力自慢が、夜の町で暴れる可能性だってあります!」

 

「つまり。……相撲興行一つやるにしても、お前の言う『管理台帳』が山ほど必要になるということだな」

 

 竹千代が、無慈悲に宣告した。

 

「はい……」

 

 俺の視界で、端末のログが滝のように更新されていく。

 

『新規課題:江戸相撲興行・運営管理規定』

 

『新規課題:力士登録制度および身元確認』

 

『新規課題:違法賭博対策および裏社会排除』

 

『新規課題:興行会場の火災防止および避難誘導策』

 

『新規課題:怪我人対応および医師の手配』

 

『新規課題:江戸武芸道場・公儀登録制度』

 

「うわあああああ!! また仕事が増えたぁぁ!!」

 

 俺は、畳を叩いて絶叫した。

 

「よいではないか、国松」

 

 家康は、全く悪びれずに豪快に笑った。

 

「戦のない泰平の世で、武士や力自慢たちが、その有り余る力を正しく示す『晴れの場』ができるのだ。これほど目出度いことはあるまい」

 

「仕事の物理的な量とストレスで、私が戦死しそうです!!」

 

 *

 

「だが、これで江戸という町の形が、さらに面白くなるな」

 

 竹千代が、都市計画の視点で語り始めた。

 

「道場が増えれば、諸国の血気盛んな若い武士たちが、修行のために続々と江戸へやって来る。相撲興行が盛り上がれば、それを見物するために遠方から民草が江戸へ集まる。……先日定めた『街道整備の補助金』の効果が、ここでも存分に発揮されるわけだ」

 

「江戸が、ただ殺風景な大名屋敷と役所が並ぶだけの政治の町ではなくなるのだな」

 

 秀忠も、都市の発展に目を見張る。

 

「武芸の道場、熱狂する相撲、夜空を彩る花火、道普請で活気づく現場、そして立ち並ぶ美味い屋台。……人が集まり、銭が激しく回り、新しい名物が次々と生まれる」

 

 家康が、まるで巨大な絵巻物を眺めるように言った。

 

「これこそが、儂が思い描く『泰平の城下町』の真の姿よ」

 

「……都市としての江戸の吸引力が、ブラックホール並みに上がり続けてるんですけど……」

 

『江戸が、『文化都市』であり、『武芸都市』であり、『巨大公共事業都市』へと、同時並行で恐ろしい速度で進化中ね』

 

「都市に付与されてる属性が多すぎる!」

 

 *

 

 笑いが収まった後、家康は最後に、ひどく真面目な声で語りかけた。

 

「戦国の武士は、敵の首を取ることでのみ、己の価値を世に示した」

 

 その声には、自らも血みどろの戦場を駆け抜けてきた者としての、重い実感がこもっていた。

 

「だが、これからの武士が同じことを求めれば、それは天下を無意味に乱すだけの『賊』になる」

 

「……」

 

「ならば、公儀は、彼ら武士に対して『別の名誉』を与えてやらねばならぬのだ」

 

 道場で、己の技を磨き、立派な弟子を育てる名誉。

 

 御前試合で、主君の御前で美しき技を披露する名誉。

 

 相撲の土俵で、正々堂々と力を示し、喝采を浴びる名誉。

 

「儂は、彼らに武を捨てよと言っているのではない」

 

 家康の目は、深く、澄んでいた。

 

「武を、血生臭い『戦』から、完全に切り離すのじゃ」

 

「……それが、大御所様の考える『泰平の武』ですか」

 

 俺が問いかけると、家康は静かに頷いた。

 

「そうじゃ」

 

「武士は、決して弱くなってはならぬ」

 

 竹千代も、次期将軍としての覚悟を口にする。

 

「だが、その強さを発揮する場を、少しでも間違えさせてもならぬのだ」

 

「なるほど……」

 

 俺は、その深い統治の哲学に、素直に感服した。

 

 *

 

「よし、まずは小さく試してみよう」

 

 家康が、試験開催を決定した。

 

「第一回は、江戸城外の安全な広場か、懇意の寺社の境内を借りる。あくまで『神事としての奉納相撲』という名目じゃ」

 

「見物は、公儀の関係者と、江戸の町人の一部に限定します。勝者には、米と上質な布を与えます」

 

 俺が実務を詰める。

 

「乱闘は絶対禁止。賭博も厳禁。屋台の区画は厳密に指定し、火消しと医師を必ず待機させること。……牢人や人足からの参加も認めるが、必ず事前の登録制とする」

 

 竹千代が、さらに条件を付け足す。

 

「大御所様。血の気の多い武士と、町人や人足がいきなり同じ土俵で混ざると、身分の違いで絶対に揉め事が起きます。最初は、参加者の組をはっきりと分けた方がいいです」

 

「うむ。武士の組、町人の組、そして力自慢の牢人・人足の組、か。よいじゃろう。まずは、試しじゃ」

 

「……えーと」

 

 俺は、嫌な汗をかきながら、おそるおそる手を挙げた。

 

「これ……結局、誰が実務を管理するんですか?」

 

 座敷にいた家康、秀忠、竹千代の三人が、ピタリと沈黙し、一斉に俺の顔を見た。

 

「……やっぱり、私ですか!?」

 

「お前が言い出したことだろうが」

 

 竹千代が、無慈悲に言い放つ。

 

「なんでもかんでも『発案者責任制度』にするの、本当にやめてください! 私のキャパシティはとっくに限界を超えてます!」

 

「安心せよ。何もお前一人に全てをやらせるわけではない」

 

 家康が、笑いを噛み殺しながら言う。

 

「寺社奉行、町奉行、普請方、そして暇を持て余しておる武芸者たち。……使える者は皆、存分に使って構わぬ。公儀の権限で動かせ」

 

「本当ですか!?」

 

「うむ。……ただし、全体の『最初の仕組みと帳面の形』だけは、お前が責任を持って整えよ」

 

「……それ、一番頭を使って、一番責任が重いやつじゃないですか!!」

 

 俺の悲痛な叫び声が、江戸城の奥深くに空しく響き渡った。

 

 *

 

 日ノ本は、一つにまとまった。

 

 大坂の血みどろの戦は終わり、豊臣は一大名となり、長かった戦国の世は、いよいよ終わる道へ入った。

 

 だが、戦が終わったからといって、国から『武』が不要になるわけではない。

 

 海の外には、まだ見ぬ強大な国がある。信仰という見えない武器を足掛かりに、この国に入り込もうとする者もいる。

 

 そして何より、武士たちから武を奪い去ってしまえば、彼らの精神の支柱である『誇り』そのものが腐り落ちてしまう。

 

 天下を治めるために必要だったのは、彼らに武を捨てさせることではなかった。

 

 武を、戦場という殺し合いの場から、巧みに切り離すことだったのだ。

 

 道場。

 

 御前試合。

 

 そして、相撲。

 

 命を奪うことなく、勝ち負けだけを鮮やかに決める場。

 

 強さを示し、己の技を磨き、多くの者の喝采を浴びて名誉を得る場。

 

 それはきっと、泰平の世における武士たちの、唯一の逃げ道であり、新しい居場所になるのだろう。

 

 ……もちろん。

 

 その素晴らしい『逃げ道』を綺麗に整えるために、俺の机の上には、またしても新しい帳面がドサリと積まれていたわけだが。

 

『江戸武芸道場・公儀登録帳』

 

『第一回・御前試合安全運用規定』

 

『江戸・奉納相撲試験開催案』

 

『力士身元登録および違法賭博禁止罰則規定』

 

『田んぼ閑散期・江戸娯楽行事全体調整スケジュール表』

 

「……田んぼが暇な時期を狙ったはずなのに、なんで俺が、武士と力士のスケジュールと賭博対策まで管理してるんだよ……」

 

 俺は、墨の匂いが染み付いた自室で、静かに頭を抱えた。

 

 泰平の世には、確かに戦がない。

 

 だがその代わり、人間が『戦わないための仕組み』を作り、それを必死に維持する泥臭い仕事が、山ほどあるのだった。

 

 




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