暴君忠長に転生したので、兄上のために日本列島をメンテします 〜SFチートのはずが、田んぼと水路と寺社ノードの保守係なんですが〜   作:パラレル・ゲーマー

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第67話 大御所様、泰平の法を草案する

 江戸城、御異物改方の一室。

 

 俺は、いつものように書類の山に深く埋もれていた。

 

 机の上に並んでいるのは、大坂の陣が終わってからというもの、狂ったような速度で増え続けた「台帳」の群れだ。

 

『水土御用始末記』

 

『田法導入記録』

 

『蔵点検報告』

 

『千歯扱き試作記録』

 

『普請米支給台帳』

 

『人足札管理帳』

 

『屋台火災防止規定』

 

『花火筒使用許可台帳』

 

『八百比丘尼対応・茶菓子記録』

 

『江戸武芸道場登録帳』

 

『奉納相撲試験開催案』

 

『力士登録・賭博禁止規定』

 

 俺は、最後に挙げた三つの帳面を見て、ゆっくりと机に突っ伏した。

 

「……俺は水神様なのか、総務部なのか、法務部なのか、それともイベント運営会社なのか、もう自分でも分からなくなってきた……」

 

『全部じゃない?』

 

「やめてください。そこは優しく否定してほしかった」

 

 そこへ、竹千代兄上が音もなく部屋に入ってきた。

 

 竹千代は、俺の机の上に高く積まれた台帳の山を一通り見渡し、少しだけ黙り込んだ。

 

「……多いな」

 

「いつも無慈悲に仕事を積んでいく兄上がそれを言うって、相当なレベルですよ!?」

 

 俺が抗議すると、竹千代は極めて冷静な顔で言った。

 

「だが、ここまで無秩序に増えたのならば、そろそろ『個別の台帳』という形では限界だ」

 

「限界?」

 

「そうだ。このままでは、お前や、実務を分かっている一部の有能な役人が倒れた時に、公儀の仕組みそのものが止まる。……属人化している」

 

 俺は、嫌な汗が背中を流れるのを感じた。

 

「兄上、今、すごく現代のシステムエンジニアの心に深く刺さる言葉を言いましたね……」

 

「大御所様がお呼びだ」

 

 竹千代は、俺の怯えを完全に無視して言った。

 

「これらを、ただの『一介の部署の台帳』ではなく、公儀の『法と仕組み』として、完全に落とし込む」

 

「……俺の個人的な管理台帳が、ついに天下の『法律』になるの!?」

 

 俺の悲鳴に近い声が、部屋の中に虚しく響き渡った。

 

 *

 

 江戸城、評定の間。

 

 上座には家康と秀忠、そして竹千代。

 

 下座には俺と、本多正純、金地院崇伝、天海といった幕閣の重鎮たち。

 

 さらに、京都所司代・板倉勝重への文案担当、普請方や水土御用関係の役人、寺社や朝廷との調整役がズラリと顔を揃えていた。

 

 家康が、ひどく重い口調で切り出した。

 

「戦国は、終わった」

 

 その一言に、座敷の空気がピンと張り詰める。

 

「……だが。戦が止んだだけでは、泰平とは言わぬ」

 

 家康の目は、冷徹に未来を見据えていた。

 

「戦が再び起こらぬよう、この日ノ本の『道筋』を、絶対の法で固めて、初めて泰平の世となるのだ」

 

 秀忠が、将軍としての覚悟を持って頷く。

 

「左様。大名どもは、もはや己の領地で勝手に兵を動かす戦国大名ではない。これからは、公儀の法の下で、国を『預かる者』として振る舞わせねばなりませぬ」

 

「道路、蔵、田法、道場、相撲、そして火薬」

 

 竹千代が、俺の台帳の項目を並べ立てた。

 

「すでに、公儀の触れは山のように増えています。だが、その触れがばらばらのままでは、大名も民も、後々必ず混乱します。束ねる『芯』が必要です」

 

 家康が、俺を見た。

 

「国松。……お前の作った台帳は、どれも実務を見据えて、実によくできておる」

 

「は、はあ……」

 

「だが、台帳はあくまで『台帳』じゃ。一部の役人が見るだけのものでしかない。天下を広く動かし、数百年先まで治めるというのなら……それを、誰もが逆らえぬ『法』にせねばならぬ」

 

「……嬉しくない褒められ方!」

 

「これより、泰平の世を根底から支える、三つの法を草案する」

 

 家康は、三本の指を立てた。

 

「一、天下の武家を律し、軍事と政の振る舞いを定める法」

 

「二、禁裏と公家の職分を定め、朝廷を政争から守る法」

 

「三、諸国の城と拠点を整理し、戦の火種を物理的に減らす法」

 

「名はまだ仮でよい。だが、この三つの柱を、いずれ天下に明確に示す」

 

 これが、泰平の世を動かすための、巨大な国家法制の原案会議の始まりだった。

 

 *

 

「第一の柱、武家を律する法にございますな」

 

 本多正純が、あらかじめ用意していた草案の要骨を読み上げ始めた。

 

『一、大名同士の私戦、および勝手な同盟の禁止』

 

『一、大名の婚姻・養子縁組は、必ず公儀へ届け出ること』

 

『一、無断での新たな築城、および既存の城の大修築の禁止』

 

『一、参府および江戸滞在に関する、将来的な規定の準備』

 

『一、軍備・火薬の厳重な管理』

 

『一、領内における乱暴狼藉の禁止と、公儀の命への絶対の服従』

 

 ここまでは、従来の武家統制の延長だ。

 

 だが、俺はここで、水土御用の責任者として、作中独自の「実務的な条項」をねじ込んだ。

 

「大御所様。……田法の支援を受ける国は、『いきなり年貢を増やすこと』を、明確に禁じるべきです」

 

 俺の提案に、評定衆がざわついた。

 

「米が増えたというのに、年貢を増やすなと申すか?」

 

 正純が怪訝な顔をする。

 

「はい。少なくとも最初の数年は、絶対に駄目です」

 

 俺は、農政の崩壊パターンを説明した。

 

「田法で米が急に増えた直後に、領主が『余った分』を全部吸い上げたら、民はただ働きさせられただけで、限界まで疲弊します。来年の種籾も残らない。増えた米を入れる蔵も整っていない。……そんな状態では、次に飢饉が来た時に、国ごと一発で崩壊します」

 

「まずは民の体力を戻し、各村の蔵を整えさせ、村自身の余剰として記録させる。公儀への増税はその『後』です。民の体力を無視した収奪は、長期的な税収を必ず落とします」

 

 竹千代が、俺の言葉を政治の言葉に翻訳する。

 

「水土御用は、民を潰して蔵だけを太らせるための卑しい技ではない、ということだ」

 

「よい。入れよ」

 

 家康が即決した。

 

「民を潰すような愚かな大名は、公儀から国を預かる資格なし、と明記せよ」

 

 *

 

 俺はさらに、普請米と補助金に関する「不正防止条項」も追加した。

 

「公儀から、普請米や街道整備の補助金を受け取る国については、不正を厳しく禁じる一文も入れてください」

 

「幽霊人足の禁止、補助金の横流しの禁止、道路整備費の着服の禁止、民への過重な追加負担の禁止、そして……工事の進捗と会計記録の『提出義務』です」

 

「銭と米を出す以上、その使い道をきっちりと記させるのは、公儀として当然じゃな」

 

 家康が頷く。

 

「つまり……補助金に対する『監査』ですね」

 

「監査、か。また後の世の言葉が出たな」

 

 竹千代が呆れる。

 

 さらに、政宗の持ち込んだ花火の件を回収し、「火薬・花火条項」も組み込んだ。

 

「火薬の製造・保管は、完全な届け出制。戦用の火薬と、祭礼用の花火は明確に区別する。花火の製造と打ち上げは公儀許可制。火薬蔵の位置、湿気対策、火気管理、そして地震や火災時の隔離策まで、細かく規定します」

 

「火薬は戦の道具であり、同時に祭りの道具にもなりました。だからこそ、どちらにしても厳密な管理が必要です」

 

「うむ」

 

 家康の目が鋭くなる。

 

「表向きは祭りと偽り、火薬を隠して大量に蓄える者は、公儀への『謀反の種』と見る」

 

 そして、「道場・武芸条項」も追加される。

 

「江戸での流派道場の開設は、公儀への登録制。弟子数や稽古内容の定期的な報告。道場破りなどの私闘や真剣勝負の禁止。御前試合は公儀の許可制。……武芸の鍛錬は奨励しますが、それを『私兵化』することは禁じます」

 

「武を禁じるのではない。武を、公儀の目の届く安全なところで磨かせるのじゃ」

 

 家康が、武士の統制の根幹を語る。

 

「相撲の興行も同じです。奉納相撲・江戸相撲は許可制。賭博の禁止、乱闘の禁止、力士の登録。寺社や町奉行との連携、興行場所の火災対策。……相撲は命を取らない勝負文化として育てたいですが、放置すれば必ず賭博と喧嘩の温床になります」

 

「娯楽もまた、法で厳重に囲わねばならぬか」

 

「はい。人が大量に集まるものは、全部そうです。放置すれば必ず腐ります」

 

 *

 

 武家を律する法の草案が、俺の口出しによって、どんどん長く、細かくなっていく。

 

 俺は、筆を走らせる書記役を見ながら、真顔でつぶやいた。

 

「……大御所様。これ、国家の『法律』というより……ただの巨大な『運用マニュアル』じゃないですか?」

 

 家康が、呵々大笑した。

 

「はっはっは! 国松よ。天下を治めるとは、すなわち『巨大な運用』に他ならぬのだぞ」

 

「……言い返せない……!」

 

『よかったじゃない。あんたがずっと気にしていた『属人化の防止』よ』

 

「属人化防止の手段が『国家法制の制定』になるの、どう考えても規模がおかしいんですよ!」

 

 *

 

 次に、第二の柱。

 

 朝廷と公家に関する法だ。

 

 ここは、非常に慎重な議論が求められた。

 

 崇伝が、用意した草案を示す。

 

「表向きの最大の名目は……『禁裏の御威光を守り、朝廷と公家が、武家の血生臭い政争に巻き込まれぬよう、儀礼・官位・文言・寺社との関係の道筋を明確に定める』ということにございます」

 

 俺は、草案の文面を見て少し緊張した。

 

「これ……言い方を少しでも間違えると、朝廷を『縛り付けるための法』に見えますよね」

 

「実際に、権限を縛る面は多大にある。……だが、それを正面から言えば、新たな火種になるだけだ」

 

 天海が、目を閉じたまま静かに言う。

 

「だからこそ、名目が肝要なのです」

 

 崇伝が、冷徹な外交官の顔で言葉を紡ぐ。

 

「禁裏を押さえつけるのではなく、『禁裏を政争から守る』。公家を軽んじるのではなく、『公家の本来の職分を明らかにする』。帝を政治の駒にするのではなく、『学問・儀礼・祈りの絶対的な中心として尊ぶ』のです」

 

 家康が、深く頷いた。

 

「方広寺の鐘の件で、骨の髄まで分かった」

 

「……」

 

「言葉一つ、文言一つで、天下を二分する戦は起こるのだ。……ならば、その言葉と儀礼の『道筋』を厳格に定めることも、兵火を避けるための立派な政じゃ」

 

 草案の条項が詰められていく。

 

『帝は学問・和歌・儀礼・暦・祭祀を第一とする』

 

『公家は家職・儀礼・学問を重んじる』

 

『官位の授与、勅許、祈願文、銘文などを、勝手に武家の政争の道具として使ってはならぬ』

 

『武家が朝廷に働きかける際は、必ず京都所司代など公儀の窓口を通すこと』

 

『公家と大名の、私的な接近と婚姻を慎む』

 

 俺は、ここでも実務的な提案をした。

 

「ただ行動を縛るだけではなく、『公儀からの支援』も明確に入れた方が良いです。禁裏の修繕、古い書物や古典籍の保護、美術品の保護にかかる費用。ここは徳川が責任を持って支える形にすれば、ただの締め付けには見えなくなります」

 

「うむ。古き文物を守ることは、泰平の世を治める者の役目でもあるからな」

 

 家康が同意する。

 

「朝廷を尊ぶ形を完璧に取りつつ、政治利用の道だけを完全に塞ぐ、ということだな」

 

 竹千代が要約する。

 

「上品に言うとそうですね。現代風に言うと、『権限分掌の明確化』と『外部窓口の一本化』です」

 

「また変な言葉が出た」

 

 *

 

「大御所様。これは必ず、事前に『禁裏側の意見』を丁寧に聞いた方がいいです」

 

 俺は、システム導入時の鉄則を説いた。

 

「江戸で勝手に決めて一方的に押し付けたら、『守るための法』ではなく、完全に『朝廷を鳥籠に囲うための法』だと反発されます」

 

「実際、そう悪く受け取る公卿も少なからず出よう」

 

 秀忠も懸念を示す。

 

「ゆえに、京都所司代の板倉勝重殿を通じ、あくまで『草案』という形で、極めて丁寧に送るべきです」

 

 崇伝が手順を提案する。

 

「帝の御心を損ねぬこと。これが第一にございます」

 

 天海が念を押す。

 

「よい。禁裏については、決して拙速に進めるな。勝重を通じ、まずは京の空気を慎重に探らせよ」

 

 家康が命じた。

 

「やった、今回は少し慎重な進行だ!」

 

 俺が喜ぶと、家康がニヤリと笑った。

 

「慎重に進めるだけで、法を進めぬとは一言も言っておらぬぞ」

 

「……ですよね!」

 

 *

 

 最後に、第三の柱。

 

 諸国の城を整理する法だ。

 

 本多正純が、史実寄りとも言える強硬な案を出した。

 

「戦を根本から防ぐためには、諸国に無数にある大名の支城を全て破却させ、大名の居城は『一国につき一城』を絶対の原則とするべきかと存じます」

 

 評定衆の多くが、深く頷いた。

 

 戦国大名の軍事拠点を減らすには、当然の策だ。

 

 だが、俺は即座に手を挙げた。

 

「待ってください。全部を『城だから』という理由で雑に壊すと、災害対応の面で完全に詰みます」

 

「ほう」

 

 家康が興味深そうに身を乗り出す。

 

「この時代の城や砦の中には、単なる戦の軍事拠点だけではなく……蔵、行政の役所、川の水防拠点、港の密貿易監視、山間部の避難所、街道の番所などを兼ねているものが山ほどあります」

 

「それを『全部壊せ』でやると、洪水や津波、飢饉、大火事の時に、民を守り、米を配るための拠点まで失うことになります」

 

「純粋な『軍事拠点としての城』と、『行政・防災拠点としての施設』は、必ず分けてください」

 

「なるほど。名を変えて、城をこっそり残そうとする者が出るやもしれぬな」

 

 竹千代が、大名の抜け道を指摘する。

 

「だからこそ、『分類』と『詳細な届け出』が必要なんです」

 

 *

 

 俺は、前世の施設の用途区分の知識を引っ張り出し、『城郭用途分類令』とも呼ぶべき案を提示した。

 

 表向きは一国一城令だ。

 

 だが、運用上は明確に「用途分類」する。

 

『甲:本城』

 

 大名の居城。軍事・政庁機能あり。一国につき原則一つ。

 

『乙:陣屋・役所』

 

 純粋な行政拠点。石垣・櫓・大堀の増築は禁止。武器備蓄は制限。公儀へ図面提出。

 

『丙:蔵・米倉』

 

 米・救荒作物・種籾の保管特化。防火・防湿・防鼠を重視。軍事利用禁止。水土御用と連携。

 

『丁:水防番所』

 

 川、堤、防潮、水門の管理。土嚢、材木、縄などの道具の備蓄可。兵器備蓄は禁止。

 

『戊:避難所』

 

 津波、洪水、火災、飢饉時の民の一時避難用。武装化禁止。寺社や高台と連携。

 

『己:港湾・街道番所』

 

 物流・通行管理。密貿易・火薬流通・伴天連の監視。過度な軍備は禁止。

 

「軍事施設としての牙は徹底的に減らす。でも、民を守るための爪までは剥がさない。……これが良いと思います」

 

「城を減らすのではない。……戦を起こす城を減らし、民を守る拠点を残す、か」

 

 家康が、その言葉の響きを気に入ったように頷く。

 

「いかにも国松らしい、泥臭い考えだ」

 

 竹千代が同意する。

 

「しかし、分類が少々細かすぎませぬか」

 

 正純が懸念を示すが、俺は首を振った。

 

「細かく定義しないと、絶対に大名の抜け穴になります」

 

「よい。大名どもには、全ての拠点の図面、用途、人員、そして備蓄している武器の量を、詳細に公儀へ届け出させよ」

 

「……また公儀に集まる書類が爆発的に増えた!」

 

 *

 

「一国一城を急に強く出せば、外様大名たちは激しく警戒します」

 

 秀忠が、政治的配慮を口にする。

 

「大坂が収まり、ようやく天下が落ち着いたところで、無用な反発は避けたい」

 

 竹千代も頷く。

 

「だからこそ、納得させる『理屈』が必要なのじゃ」

 

 家康が言う。

 

「戦を起こす牙は抜く。でも民を守る拠点は残す、という『大義名分』ですね」

 

「うむ」

 

「城を壊せではなく、泰平の世に合わせて、城の用途を『改めよ』と命じるわけか」

 

 正純が、大名への説明の筋道を理解する。

 

「はい。軍事拠点としての機能を弱め、行政、防災、物流拠点へと『変換』させるんです」

 

『城のデミリタライズね』

 

「絶対この時代で言えない言葉がまた出た!」

 

 *

 

「武家を律する法で、大名の行動を律する」

 

 竹千代が、三つの法の全体像を整理する。

 

「禁裏と公家の職分を定める法で、朝廷と公家が武家の政争へ引きずり込まれることを防ぐ」

 

「諸国の城を整理する法で、戦を起こす物理的な軍事拠点を整理する」

 

「この三つは、別々のものではない。一つの『泰平の仕組み』だ」

 

「つまり、戦を起こす原因を、政治、権威、軍事の三方向から同時に潰すわけですね」

 

 俺の言葉に、家康が深く頷く。

 

「そうじゃ」

 

「だが、ただ潰すだけではない」

 

 秀忠が言う。

 

「民政、文物保護、防災、物流、武芸、娯楽。……国松の入れた、それらを生かす仕組みも入っておるからな」

 

「戦国の終わりを告げる法であり。……泰平の世を動かすための法でもある」

 

 家康の言葉に、評定衆は深い感銘を受けて沈黙した。

 

 *

 

 もちろん、これらの草案はすぐに発布されるわけではない。

 

「武家を律する法と、諸国の城を整理する法は、まずは信頼できる譜代大名に事前根回しを行え。外様大名には、『戦を防ぐため』『民を守る拠点は残す』と丁寧に説明し、支城の調査を先行させる」

 

「禁裏と公家の職分を定める法は、板倉勝重を通じて京都へ草案を送付し、朝廷側の反応を慎重に確認せよ。『朝廷を守るため』という名目を徹底し、禁裏修繕や文物保護の支援案を必ず添えよ」

 

「つまり、法度をいきなり出す前に、各所としっかり『調整』するんですね」

 

 俺が言うと、家康は当然だというように笑った。

 

「法は、出せば終わりではない。……相手に『受け取らせる』までが、法じゃ」

 

「運用開始前の、ステークホルダーとの事前調整……」

 

「また後の世の言葉か」

 

 竹千代が呆れた。

 

 *

 

 会議の後。

 

 俺は、自室で出来上がった草案の写しを見て、完全に固まっていた。

 

 自分がこれまで、目の前の問題を解決するために作ってきた管理台帳の内容が、次々と国家の条文に変換されているのだ。

 

 田法導入台帳は、民政条項へ。

 

 普請米台帳は、公儀支援不正禁止条項へ。

 

 花火管理台帳は、火薬管理条項へ。

 

 道場登録帳は、武芸者登録条項へ。

 

 相撲興行案は、興行管理条項へ。

 

 蔵点検報告は、蔵・備蓄条項へ。

 

 水防記録は、水防番所の分類基準へ。

 

 御異物改方記録は、奇物・古物保護方針の参考へ。

 

「……俺の個人的な台帳が、どんどん日ノ本の法律の素材になってる……」

 

『おめでとう。一介の役人の個人メモから、国家法制への大昇格よ』

 

「昇格じゃなくて、これ呪いでは?」

 

「お前が倒れても、泰平の仕組みが残る。よいことだ」

 

 竹千代が、俺の肩をポンと叩いた。

 

 俺は、少しだけ黙り込んだ。

 

 属人化を防ぐことは、本当に大事なことだ。

 

 自分一人が未来の知識で全部抱え込むより、法と役所の仕組みに落とし込む方が、社会としては絶対に正しい。

 

 だが同時に、その責任の異常な重さに震える。

 

「……俺が徹夜で適当に書いた運用メモが、この先数百年続く江戸時代の制度の『雛形』になる可能性があるの、いくらなんでも怖すぎるんですけど……!」

 

『だから、適当に書かずにちゃんと真面目に考えなさい』

 

「正論が一番痛い!」

 

 *

 

 戦国の世は、ただ大きな戦が終われば、それだけで勝手に終わるものではない。

 

 もう、大名同士の私戦は許されぬ。

 

 もう、勝手な城の増築は許されぬ。

 

 もう、朝廷の言葉を、武家が好き勝手に火種として使うことは許されぬ。

 

 そうやって天下の全ての者に示して、初めて人々は「ああ、時代が本当に変わったのだ」と理解する。

 

 そのための法が、いま、この江戸城の奥深くで生まれようとしていた。

 

 武家を律する法。

 

 禁裏と公家を守り、同時に公儀の鳥籠に囲う法。

 

 城を戦の牙から、民を守る拠点へと作り替える法。

 

 それらは、単なる締め付けではない。

 

 戦国の火種を、一つ一つ確実に湿らせていくための、巨大な「運用規約」だった。

 

 そして。

 

 その草案の端々に、俺が泥にまみれて作った台帳や、俺がうっかり口を滑らせた言葉が、恐ろしいほど自然に混ざり込んでいる。

 

「……俺のメモが、法になる……」

 

 俺は、震える手で草案の写しをパタンと閉じた。

 

 最初は、ただ田んぼの水を見ていただけのはずだったのに。

 

 いつの間にか、天下の法の水路まで掘らされている。

 

 泰平の世とは、戦がない世ではない。

 

 戦を起こさせないための「仕組み」を、法として永遠に流し続ける世なのだ。

 

 その流れを少しでも間違えれば、また天下は泥に濁る。

 

「……水路の設計より、こっちの方がよっぽど怖いんだけど……」

 

 俺の小さな呟きは、積み上がった草案と台帳の山に、あっさりと吸い込まれていった。

 

 




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