暴君忠長に転生したので、兄上のために日本列島をメンテします 〜SFチートのはずが、田んぼと水路と寺社ノードの保守係なんですが〜   作:パラレル・ゲーマー

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第71話 紅毛商人、永冷石箱に魂を売る

 大坂冬の陣が終結し、豊臣家が屈したという報せは、風に乗り、波を越えて、日ノ本の近海を巡る異国の商人たちにも急速に伝わっていた。

 

 平戸や長崎の商館。

 

 あるいはマニラ、マカオの居留地、そして琉球を経て東シナ海を行き交う唐船(とうせん)の甲板。

 

 肌の色も言語も異なる海の男たちの間で、今、共通の奇妙な噂が広まり始めている。

 

「日ノ本は、完全に徳川という一族の下に統一されたらしい」

 

「かの強大なトヨトミは滅ぼされたのか?」

 

「いや、一族の血は絶やされず、生かされているという。ただし、領地を削られ、もはや天下の柱としての力は失ったそうだ」

 

「ということは……我々が交渉すべき相手は、あの老獪なトクガワに一本化されたということだな」

 

 この変化は、異国の商人たちにとって極めて重大な意味を持っていた。

 

 戦国時代の日ノ本は、独自の優れた産物や大量の銀を産出する魅力的な市場であったが、同時にひどく面倒な国でもあった。

 

 地域ごとに権力者が異なり、誰に正式な許可を取ればよいのか分からない。

 

 戦が起きれば港は閉ざされ、大名ごとに関税や贈答、賄賂の額まで違う。

 

 キリスト教の布教を巡る泥沼の政争に、商人までが巻き込まれることも珍しくなかったのだ。

 

 だが、徳川幕府が権力を盤石なものとしたのなら、事態は変わる。

 

 ただ一つの相手と取引をし、一つの政権の許可を得れば済む。

 

 法と港を統べる者が誰なのか明確になる。

 

 これは、利益を追求する商人にとって、極めて合理的な状況であった。

 

「統一された市場は、一度怒りを買えば全てを失う危険もあるが……途方もなく魅力的だ」

 

 オランダの商人は、緻密な計算の末にそう呟いた。

 

 イギリスの商人もまた、契約の永続性を重んじる視点から頷く。

 

「徳川に認められさえすれば、あの黄金の国全体への確かな道が開く」

 

 カトリックの布教と貿易を一体としてきたポルトガル商人たちは、少し事情が違った。

 

「禁教令は厄介だ。だが、貿易の道さえ残るなら、まだ我々にも希望はある」

 

 そして唐船の商人たちは、何よりも物流の安定を望んでいた。

 

「徳川が港を整え、賊を討つというのなら、荷の流れも読みやすくなるというもの」

 

 海の向こうの者たちは、薄々感づき始めていた。

 

 今の徳川幕府は、ただ力で暴れ回る武家政権ではない。

 

 緻密な『台帳』と『法度』で国を動かし、海をも支配しようとする、底知れぬほど巨大な役所になり始めているのだと。

 

 *

 

 江戸城、評定の間。

 

 家康、秀忠、竹千代、俺、そして本多正純、天海、崇伝が集まり、新たな議題に取り組んでいた。

 

 議題は「海外船の扱い」である。

 

 前提として、この世界では安易な『鎖国』という選択肢は取らない。

 

 だが、だからといって、過去のようなどこからでも入り放題の自由放任を続けるつもりもなかった。

 

「外国船を、彼らの好きな港へ勝手に入港させていたら、密貿易、禁じられた布教、不当な火薬の流入、そして未知の病の蔓延を、全て管理できなくなります」

 

 俺は、自ら書き上げた港湾整理案の紙を広げながら言った。

 

「でも、恐れて全部の港を閉じてしまえば、世界の情報も、必要な技術も入ってこなくなります。だから、閉じるのではなく、港ごとに『役割』を厳密に決めて、完全に登録制にするべきです」

 

 俺が示した『港別登録制度案』は、日本の沿岸を巨大な物流システムとして再構築するものだった。

 

 長崎は、ポルトガル船と唐船の窓口。

 

 マカオ経由の南蛮品や生糸、薬種を扱うが、布教のリスクが高いため『宗教監視最重点港』とする。

 

 平戸は、オランダ、イギリス船の窓口。

 

 宗教色の薄い彼らからは、望遠鏡、時計、羅針盤、海図といった『技術品』を優先して受け入れる。

 

 堺・大坂は、国内再流通の拠点。

 

 朱印船や豪商たちが船荷を保管し、江戸や京への物流調整を担う。

 

 博多は、唐船と九州商人の窓口であり、対馬は朝鮮外交と北方海防の中継地。

 

 薩摩・琉球は、明や東南アジアの産物、陶磁器や暦書を集める。

 

「そして江戸は」

 

 俺は江戸の場所を指差した。

 

「外国商人が勝手に品物を売り歩く場所ではなく、外交の許可、献上品や奇物の『技術鑑定』を行う中心とします。各国に江戸詰所を作らせ、そこで管理するんです」

 

 俺は一気に話し終え、家康を見た。

 

「貿易はしていい。でも、入る物と出る物は、指定した港で役人が責任を持って記録する。担当の港以外に入ったら重罪。……これなら、国を完全に(とざ)さなくても、全てを管理できます」

 

 家康は、楽しげに喉を鳴らした。

 

「つまり、港を閉じるのではなく、港を『帳面で縛る』のじゃな」

 

「言い方は怖いですけど、要するにそうです」

 

 俺が苦笑すると、竹千代兄上が腕を組んで呟いた。

 

「海の関所、というわけか」

 

「はい。海の関所です」

 

 *

 

 方針が決まると、幕府は次々と新たな通達の作成に取り掛かった。

 

 まずは『外国船入港札』の制度だ。

 

 外国船が日ノ本の港へ入る際、船名、船長名、国籍、出発地と経由地、乗員数、積荷の明細、武器や火薬の有無、宗教者や病人の有無などを、一つ残らず届け出させる。

 

「うわ、完全にやってることが近代の港湾行政……」

 

 俺が大量の書式のフォーマットを作りながら呻いていると、KAMI様がひょっこり現れた。

 

『おめでとう。水神様、ついに港の入出国管理にまで手を出したわね』

 

「したくてしたんじゃないんですよ!」

 

 さらに、天海と崇伝の強い主張により、厳格な『宗教分離規定』が盛り込まれた。

 

「交易は許す。だが、布教は絶対に許さぬ。商人は入れるが、宣教師は入れない」

 

 崇伝が、冷徹な声で言い切る。

 

「西洋の医学、天文学、時計、地図、薬。これら有益な知恵は受け入れましょう。しかし、洗礼を施し、教会を建て、聖画像を拡散する行為は厳禁とする。……布教を商売の荷に紛れ込ませることを、我らは最も警戒すべきにございます」

 

 天海も深く同意する。

 

「知恵は受け入れる。だが、信仰による魂の侵食は防ぐ。……その明確な線を、公儀の刃をもって引く必要がございますな」

 

「よい。交易の扉は閉じぬ。だが、日ノ本の腹の中へ、勝手に異国の信仰の根を張らせるような真似はさせん」

 

 家康の決定により、鎖国をしない幕府の、強固な基本姿勢が定まった。

 

 *

 

 そして、幕府から外国勢力へ向けた、決定的な通知が発せられた。

 

『日ノ本との本格的な取引を望む国および商会は、江戸に正式な【詰め所】を置くことを検討せよ』

 

 ただし、その条件は一方的であった。

 

 土地は幕府が指定し、建物は幕府の許可と監督の下で建てる。

 

 教会は禁止。

 

 認めるのは倉庫、帳場、通詞(通訳)詰所、献上品保管所、技術説明所のみ。

 

 さらに『日本の気候、火事、地震に耐える建物を造るため、本国から優れた建築技術者を派遣すること』と書き加えられた。

 

「献上品として珍しい宝を求めるのではなく、建てる『技術者』を寄越せと要求するのか」

 

 秀忠が感心したように言う。

 

「はい。変な宝石や高級な布より、建築技術者、時計職人、測量師、有能な通詞や帳簿係の方が、公儀にとっては遥かに価値があります」

 

 俺は実利の観点から答えた。

 

「各国の建物を江戸の監視下に作らせれば、向こうの技術水準や習慣も分かりますし、こちらが彼らを監視・保護するのも容易になります」

 

「各国に勝手に自由な商館を作らせるのではなく、公儀の土地に、公儀の許可で、公儀の監視下に建てさせるのだな」

 

 竹千代が、その巧妙な囲い込みの意図を正確に読み取る。

 

「はい。自由な商館ではなく、幕府の管理下にある『外交館』のような扱いです」

 

「よい。外国の者どもに、江戸へ来るなら徳川の法の中へ入れ、と示すのじゃ」

 

 家康の顔には、天下人としての揺るぎない自信が満ちていた。

 

 *

 

 この通知は、海外商人たちの間に様々な波紋を広げた。

 

 オランダ商人は、これを極めて合理的な提案だと受け取った。

 

「徳川が日本を完全に統一したというなら、首都である江戸に窓口を置くのは当然の理だ。教会を禁じるという条件も、カトリックではない我らには大きな問題ではない」

 

「それに、技術者を送れという要求は興味深い。見栄えのする献上品よりも、実利ある技術を重視する政権ということか。この幕府は見込みがある。宗教よりも取引と技術を重んじるなら、我々にとって非常に良い商売相手になるぞ」

 

 彼らは早速、時計、望遠鏡、地図、測量器具、そして倉庫建築に長けた技術者を用意し始めた。

 

 イギリス商人もまた、契約の観点からこれを歓迎した。

 

「江戸に正式な詰め所を置けるなら、単発の取引ではなく長期契約の強固な足場になる。幕府が港別登録を行い、関税と許可が明確になるなら、賄賂と地元の役人の口約束だけで動く不安定な港より、書面で動く政権の方が遥かに扱いやすい」

 

 一方で、ポルトガル側の顔色は暗かった。

 

「教会禁止、か……。神の教えを広められぬのは痛恨の極みだ」

 

「だが、貿易の道が完全に閉ざされるよりはよい。徳川は布教を異常に警戒しているが、我らの持つ技術と品物は欲しがっている。ならば、まずは純粋な商人として近づき、機を待つしかない」

 

 彼らは不満を飲み込み、ガラス器や薬、砂糖、絹、南蛮菓子、そして時計職人を船に積み込んだ。

 

 スペイン系のマニラ勢力は、太平洋航路を意識し「江戸に窓口を置けるなら、マニラと日本を太く結べる」と計算し、唐船の明商人たちも「全てを記録されるのは面倒だが、賄賂を減らし、道筋が明確になるなら悪くない」と、薬種や陶磁器、暦書を江戸へ運ぶ準備を始めた。

 

 こうして、世界の欲望を乗せた代表者たちが、続々と江戸を目指し始めたのである。

 

 *

 

 平戸、長崎、堺、琉球経由で、各国の代表者たちが江戸へ到着した。

 

 江戸側は、予期していたとはいえ、大騒ぎだった。

 

 言葉の通じない外国人を勝手に町中へ入れるわけにはいかない。

 

 公儀は、指定された水辺の広大な土地に、厳重な門と高い塀で囲まれた『仮の外国人滞在所』を突貫工事で設営していた。

 

 そこには通詞が常駐し、火気管理が徹底され、入る荷物は宗教物検査と検分を必ず受ける。

 

 町人との接触も厳しく制限された。

 

「……これ、仮設の国際展示場兼、検疫所みたいになってきたな……」

 

 俺が塀を見上げながら呟くと、KAMI様が現れた。

 

『ミニ出島の江戸版ね。ただし、向こうをただ閉じ込めるだけじゃなく、献上品や奇物を検分して、情報を徹底的に吸い上げるための施設よ』

 

「それ、相手からしたらかなり怖い制度ですよね……」

 

「怖くなければ、海千山千の外国など相手にできぬ」

 

 隣にいた竹千代が、冷ややかに言い放った。

 

 *

 

 江戸城の一室、あるいは設営されたばかりの仮の外国御用屋敷にて。

 

 家康、秀忠、竹千代、そして俺の四人が、海外勢の代表者たちを正式に歓迎した。

 

 海外の商人たちは、会見の場に満ちる徳川政権の厳格な礼法と、一分の隙もない秩序に息を呑んだ。

 

「この国は、確かに統一されたのだな……。噂通りだ」

 

「荒々しい武人の国だと聞いていたが……見ろ、あの記録係の多さを。何をするにも、一言一句書き留めている。この幕府は、商売相手として恐ろしいほど几帳面だぞ」

 

 俺は、彼らが持参した品々を食い入るように検分した。

 

 真鍮製の望遠鏡、精巧なゼンマイ時計、羅針盤、最新の世界地図、薬瓶、カッティングが美しいガラス器、銅版画、活版印刷の書物、上質な毛織物。

 

 そして、建築図面や煉瓦、石材の見本。

 

「大御所様、これ凄いです! 献上品としては、ただのピカピカした宝石や金銀をもらうより、こっちの技術の結晶の方がずっとありがたいですよ!」

 

 俺が興奮して家康に囁くと、通詞を通じてその反応を知った海外商人たちは、密かに徳川幕府への評価を跳ね上げた。

 

「この政権の首脳部は、見栄えだけの宝ではなく、実用的な知恵を好む。良い傾向だ。技術で強気な商売ができるぞ」

 

 *

 

 だが、彼らが優越感に浸っていられたのは、そこまでだった。

 

 会談も中盤に差し掛かった頃、家康が満を持して、あの『切り札』を場に出した。

 

「そちらが、遠き国の見事な品を見せてくれた。……ならば、こちらも日ノ本に古くから伝わる、比類なき品を見せよう」

 

 家康の合図で、厳重に封印された白木の木箱が運ばれてきた。

 

 俺は内心で、猛烈な嫌な予感に襲われた。

 

(ちょっと待って、大御所様。まさかあの『永冷石氷室箱』を、この海外勢に見せるおつもりですか……?)

 

 俺が家康に視線を送ると、家康は声を潜めてニヤリと笑った。

 

「見せるだけではない。売る」

 

「えっ」

 

「高値でな」

 

 秀忠が、ぼそりと補足する。

 

「えええっ!?」

 

 俺は素っ頓狂な声を上げそうになった。

 

「あ、あれは理外の奇物ですよ!? 海外に流出させていいんですか!?」

 

「海外の富と、我らの持たぬ技術を根こそぎ引き出すための極上の餌じゃ。お前の手で増やせる奇物となった以上、これを外交の場で使わねば損よ」

 

 家康は、完全に悪徳商人の顔になっていた。

 

「ただし、全てを売り渡すわけではない。まずは一台、関係を結び、彼らを縛るための『(くさび)』として渡すのだ」

 

 竹千代が冷徹に告げる。

 

(国際関係の主導権を、冷蔵箱で釣ろうとするなよ……!)

 

 俺の心痛をよそに、木箱の蓋が開けられた。

 

 スゥッ、と。

 

 春の暖かな広間の空気を切り裂くように、白い冷気が溢れ出す。

 

 箱の中には。

 

 器に張った氷。

 

 冷やされ、水滴をまとった水。

 

 何日も保存されているはずの、新鮮な魚。

 

 そして、冷やされた果物。

 

 海外の商人や外交使節たちは、その光景を前に、完全に絶句した。

 

 *

 

 彼らは最初、自分の目で見ているものが理解できなかった。

 

「これは……氷、か?」

 

「地下の氷室から、今しがた運び出したものではないのか?」

 

「いや、見ろ! このただの木箱の中で、水が凍っているぞ!」

 

「馬鹿な。今は春だ。そんなこと、自然界の摂理に反している!」

 

 俺は、通詞を通じて彼らに淡々と説明した。

 

「これは『永冷石』という、日ノ本に古くから伝わる冷気を保つ奇石を用いた箱です。公儀がその性質を板に移し、箱の内に貼りました」

 

「この箱の中に物を入れれば、冬の寒さがなくとも、水を冷やし、条件が合えば氷すら作れます。食材や貴重な薬の傷みを、劇的に遅らせることもできます」

 

 その言葉が訳された瞬間、海外側の顔色が一斉に変わった。

 

「自然の法則を……完全に覆している……」

 

 オランダ商人が、信じられないものを見るように後ずさる。

 

「これは単なる便利な箱ではない! 長旅の船荷、熱に弱い薬、肉、魚、果物。……流通する全ての物の価値を根底から変える、悪魔的な発明だ!」

 

 イギリス商人が、血走った目で箱を凝視する。

 

「主よ……これは神の奇跡か……?」

 

 ポルトガル商人は、十字を切って震え上がった。

 

 通詞が、興奮して飛び交う彼らの言葉を必死に訳す。

 

「大御所様。彼らは、この箱を『神の道具』だと申しております」

 

(神じゃなくて、異星文明の遺物なんだけど……いや、言えない)

 

 海外商人の一人が、這いずるようにして家康の前に進み出た。

 

「徳川の偉大なる君主よ! この……この神の箱を、金で買えるのですか!?」

 

 家康は、鷹のように目を細めて笑った。

 

「買う気は、あるか」

 

「あります!!」

 

「いくらでも!!」

 

「我々の商会が持つ銀、金、宝石、薬、地図、時計、望遠鏡、技術者の派遣。……その全てを差し出してもよい!」

 

 海外勢の狂乱ぶりに、俺は完全に引いていた。

 

 するとKAMI様が、俺の横に浮かんで耳打ちした。

 

『この時代、当然ながら電気冷蔵庫なんてものは存在しないわ』

 

『氷室や雪室の知恵はある。でも、持ち運べるただの木箱で水を冷やし、真夏でも食材や薬を長期間保存できるなんて……彼らの常識から見れば、自然哲学を根底から破壊する正真正銘の魔法よ』

 

『価値にしたら、世界の富を全て集めても足りないくらいの衝撃はあるわね。下手すれば、王権の象徴にもなるわ。『夏に氷を支配する王』なんて、大衆にはものすごく分かりやすい神秘の証明でしょ』

 

(……俺たち、とんでもない爆弾を、国際市場のど真ん中に出そうとしてるぞ……)

 

『出そうとしてるんじゃないわ。もう、取り返しがつかないくらいに出しちゃってるのよ』

 

 *

 

 家康は、これ以上ないほど悪い笑みを浮かべて、商談の主導権を握った。

 

「うむ。では、とりあえず『金』で取引しよう」

 

「まずは、そちらが『今、この場に出せるだけ』の金でよいぞ」

 

 海外商人たちは、耳を疑った。

 

「今、あるだけで……よろしいのですか?」

 

「構わん。足りぬ莫大な分は、公儀の『帳簿』で厳格に管理する。今後、分割で払ってもよい」

 

 家康の目は、笑っていなかった。

 

「この箱を持ち帰れば、そちらの国で、いくらでも富を回収できるのであろう?」

 

 海外商人たちは、興奮で身を震わせながら何度も頷いた。

 

「その通りです! この箱があれば、各国の王侯貴族が家が建つほどの金を積みます!」

 

「貴重な薬を赤道直下でも守れる! 長き航海で新鮮な食料を保ち、水夫の病を防げる! 熱帯の港で肉や果物を保てる!」

 

「これは、まさに富を生み出す神の道具です!」

 

「ならば、こちらも安くは売らぬ」

 

 家康は言い放った。

 

「一台は、確実に渡してやろう」

 

「だが、二台目、三台目……さらに大きな箱が欲しくば、今後の公儀との『関係次第』じゃ」

 

「まずはこれを持ち帰り、国元にいる王や商会の長に、事の顛末を詳しく報告するとよい」

 

 俺は、あまりのエグい交渉術に耐えきれなくなった。

 

「いやいやいや、大御所様! これ、売るっていうか、相手の弱みを完全に握る、世界規模の外交カードですよ!?」

 

「だから売るのじゃ」

 

 家康は事も無げに言った。

 

「相手に死ぬほど欲しがらせ、今ある金を出させ、技術者を出させ、江戸の地に立派な館を建てさせる。ただ見せるだけでは足らぬ。実物を持ち帰らせて、相手の国ごと、この箱を欲しがらせるのじゃ」

 

「一台渡すだけで、向こうの国の王や巨大な商会は、次が欲しくて狂うようになる」

 

 竹千代が、無機質な声で続ける。

 

「その時、彼らは……どうしても、この江戸の公儀の門を叩かざるを得なくなるのだ」

 

「……兄上まで、完全に冷酷な国際交渉の顔になってる!」

 

 *

 

 海外勢は、もはや正気を失ったように、自らの財産を差し出し始めた。

 

 彼らが今回の航海で持ち込んでいた金銀、宝石、珍品、時計、望遠鏡、航海道具の全て。

 

 ……もちろん、その場の全財産をかき集めたところで、一台の永冷石箱の真の価値に足りるわけがない。

 

 だが家康は、それを理解した上で取引を成立させた。

 

「よい。まずは手付けとして受け取ろう」

 

「残りの支払いは、次回以降の取引において、約束した建築の技術者の派遣、江戸館の建築、望遠鏡・時計・地図の提供、そして船大工の技術で払え」

 

 海外商人たちは、むしろ安堵して涙を流した。

 

「本当に、それでよいのですか……!」

 

「我らは必ずこれを無事に持ち帰り、国へ報告します!」

 

「次は、さらに多くの銀と、公儀が望まれる一流の技術者を連れて参ります!」

 

「期待しておるぞ」

 

 家康が鷹揚に頷くと、秀忠が厳しい声で釘を刺した。

 

「ただし、約束を一つでも破れば、二台目は永久にない」

 

「そして、江戸の法を少しでも破れば、その預けた一台目もただちに取り上げる」

 

 竹千代の追撃に、海外商人たちは深く平伏した。

 

 *

 

 会見の最後、家康が一つだけ、奇妙な忠告をした。

 

「一つ、忠告しておく」

 

 海外勢が息を呑んで耳を傾ける。

 

「この箱を、そなたらの国の未熟な知恵で、勝手に『分解』することを固く禁ずる」

 

 俺は、思わず小声で突っ込んだ。

 

「禁じても、絶対に裏で分解して仕組みを盗もうとしますよ」

 

「分かっておる」

 

 家康は、俺にだけ聞こえる声で笑うと、海外勢へ向けて冷徹に告げた。

 

「分解すれば、理外の仕組みが壊れる可能性がある」

 

「壊せば……そなたらは、国元で得るはずだった莫大な利益を、全て自らの手で回収できなくなる」

 

「まずは、決して壊さず、そのまま使え」

 

「この箱がどれほどの富を生むか、十分に自分の目で見て、甘い汁を吸ってから考えることじゃな」

 

 海外商人たちは、真剣な顔で何度も頷いた。

 

「承知いたしました」

 

「神秘の国宝として、最も慎重に扱います」

 

「分解など、利益を生み出す前にする愚行です。絶対にいたしません」

 

(いや、絶対に誰かは誘惑に負けて分解する。でも、利益が大きすぎるから、しばらくの間は怖くて誰も手を出せない……大御所様、そこまで読んで人間の『欲』を利用して足止めしてるのか)

 

『人間は欲で致命的な失敗をする。でも、欲のせいで極端に慎重にもなるのよ』

 

「一応、忠告はしたからのう」

 

 家康は、どこまでも非情だった。

 

「壊したなら、それはそちらの完全な『損』じゃ」

 

 *

 

 会見が終わり、海外商人たちは永冷石箱を、まるで神の遺物でも扱うように丁重に運び出していった。

 

 箱には、幕府の封印札と、俺が書いた管理札が貼られている。

 

『分解禁止』

 

『破損時即報告』

 

『二台目以降は関係次第』

 

『江戸館建設協力』

 

『技術者派遣』

 

『港別登録遵守』

 

『布教禁止遵守』

 

 これだけがんじがらめの条件を付けられても、海外勢はもう、完全に徳川幕府を見る目を変えていた。

 

「徳川は、ただの武家政権ではない」

 

「彼らは、自然法則を覆す恐るべき秘宝を持っている。しかも、それを売るほどの余裕があるのだ」

 

「しかも、金銀の富ではなく、技術者と建築、そして継続的な『関係』を求めてきている」

 

「この国は恐ろしい。……だが、我々にとって最高の取引相手だ」

 

 オランダの商館長が、震える声で呟いた。

 

「徳川幕府は……これから、世界で最も高価で、最も重要な市場になるかもしれない」

 

 *

 

 海外勢が去った後。

 

 俺は、家康たちの前で頭を抱えていた。

 

「大御所様……。永冷石箱を海外に出すのは、本当に大丈夫なんですか?」

 

「これ、向こうの王侯貴族や巨大商会が、本気で狂ったように欲しがりますよ。下手したら、この箱の利権を巡って、海の向こうで新しい戦争の火種になりかねないですよ」

 

「だから、江戸へ来させるのじゃ」

 

 家康は平然と言い放った。

 

「欲しければ、徳川の法に完全に従え。港別登録に従え。江戸館を建てよ。技術者を送れ。布教はするな。……ただ武力で拒むより、奴らの強烈な欲を、こちらの道へ流してやる方が、はるかに御しやすいものじゃ」

 

「海をただ閉じれば、彼らは密かに忍び込む」

 

 竹千代が続ける。

 

「ならば、欲しがる者に巨大な門を作り、そこに厳格な門番を置き、彼らの動きの全てを『台帳』に書き記す」

 

「……ついに、外国人まで台帳で管理する国になってきた……」

 

「お前が最初にそう言ったのではないか、国松」

 

 秀忠が俺を見た。

 

「国を(とざ)すのではなく、港ごとに記録せよ、とな」

 

「言いましたけど! 永冷石箱で世界中を釣るとは言ってないです!」

 

『でも、効果的よ』

 

 KAMI様が、空間に浮かびながら言った。

 

『世界はもう、徳川をただの東の島国とは見なくなる。……不思議な箱を売る国。富より技術を求める国。そして、徹底的な記録と台帳で相手を縛る国。……世界史の視点から見ても、面白くなってきたじゃない』

 

「面白がるな!」

 

 *

 

 家康は、最後に実務の命令を下した。

 

「よし。江戸に、正式な『外国御用屋敷』を作る」

 

 オランダ屋敷。

 

 イギリス屋敷。

 

 南蛮屋敷。

 

 唐船屋敷。

 

 それらを管理する通詞詰所。

 

 献上品検分所。

 

 海外奇物検分所。

 

 時計や望遠鏡、地図を鑑定する検分室。

 

 火薬や薬品の隔離蔵。

 

 宗教物検査所。

 

 そして外国人宿泊所。

 

「建物は、公儀所有の土地に、公儀の監督下で建てる。それを各国に貸し出す形にする。教会は当然禁止。布教も禁止」

 

「建築技術者は各国から出させるが、日ノ本の地震と火事に耐えうる構造かどうかは、国松、お前と職人たちで厳密に確認せよ」

 

「……外国の館を一つ作らせるだけで、土木、建築、通訳の確保、火災対策、宗教監視、荷物検分、奇物鑑定の業務が、全部同時に発生するんですけど……」

 

「つまり、お前の仕事だ」

 

 竹千代が、無慈悲に宣告する。

 

「やっぱり!!」

 

「江戸は、これより日ノ本の中心であるだけでなく、海の向こうと向き合う『窓』にもなる」

 

 家康は、遠くを見据えて言った。

 

「だが。その窓には、公儀の手によって必ず『格子』を入れる。……窓を開けて風は入れるが、不届き者どもを、勝手には中へ入らせぬ」

 

 それが、鎖国をしない徳川幕府の、したたかな統治方針であった。

 

 *

 

 徳川幕府は、日ノ本を完全に閉ざすことを選ばなかった。

 

 だが、無防備に開け放つことも選ばなかった。

 

 港を定める。

 

 船を登録する。

 

 荷の明細を記す。

 

 通詞を置く。

 

 宗教と交易を切り分ける。

 

 江戸に、公儀管理の館を建てさせる。

 

 そして、世界の欲望の入口には、必ず公儀の『台帳』を置く。

 

 海の向こうからやって来た商人たちは、徳川の武力に屈したのではなく、一つの冷たき箱に魂を奪われたのだ。

 

 永冷石氷室箱。

 

 真夏に氷を作り、魚を保ち、薬を守る、自然の理を踏み越えた魔法の箱。

 

 それは彼らにとって、どんな金銀財宝よりも価値あるものだった。

 

 そして家康は、その箱を一台、海の向こうへ渡すことを許した。

 

 ただし、ただではない。

 

 金を出せ。

 

 技術者を出せ。

 

 江戸に館を建てよ。

 

 港の登録に従え。

 

 布教の真似はするな。

 

 次が欲しければ……徳川の法という、絶対の枠組みの中へ入れ。

 

 それは、鎖国ではなかった。

 

 だが、自由貿易でも、決してなかった。

 

 徳川の台帳の上にだけ開かれた、きわめて狭く、きわめて強欲な海の道だった。

 

 俺は、白い冷気を微かに漏らしながら遠ざかっていく永冷石箱を見送りながら、深々と頭を抱えた。

 

「……日本列島のメンテだけでも死ぬほど手一杯なのに、海外との交渉窓口まで増えた……」

 

 KAMI様が、俺の肩の横で楽しそうに笑った。

 

『おめでとう、国松。水神様、今度は世界の欲望までメンテ対象ね』

 

「絶対に違う!!」

 

 だが、もう遅い。

 

 江戸の水辺には、早くも西洋風の頑丈な館の基礎が築かれようとしている。

 

 平戸、長崎、堺、琉球、唐船、紅毛船。

 

 それら全ての海の道が、冷たき箱に引かれるように、少しずつ、しかし確実に……俺の目の前にある江戸の台帳へと結びつき始めていた。

 

 




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