暴君忠長に転生したので、兄上のために日本列島をメンテします 〜SFチートのはずが、田んぼと水路と寺社ノードの保守係なんですが〜 作:パラレル・ゲーマー
元和元年、夏。
改元から間もなく、江戸城ではいよいよ『一国一城令』の過酷な実運用が始まろうとしていた。
すでに、単純な「無条件に全て壊せ」という粗暴なやり方ではなく、俺の提案した『城郭用途分類』による精緻な切り分けを行う方針は固まっている。
甲:本城(大名の居城・軍事政庁機能)
乙:陣屋(行政拠点)
丙:蔵(米・救荒作物・種籾保管)
丁:水防番所(川・堤・防潮管理)
戊:避難所(津波・洪水・火災・飢饉時の民の避難用)
己:港湾・街道番所(物流・通行管理)
庚:破却対象(不要な軍事拠点)
だが、この分類表を前に、俺は早くも頭を抱えていた。
「……駄目だ。各藩からの届け出が、完全に無法地帯になってる……」
理由は簡単だ。
諸大名が、自分の大切な城をなんとか壊されまいと、あからさまな言い訳を連発してきているのだ。
『大御所様。これは山上の堅固な城ではなく、あくまで米を守る「蔵」にございます』
『これは城ではなく、いざという時の民の「避難所」にございます』
『これは軍事拠点ではなく、海賊への備えとしての「港湾番所」にございます』
届け出の書類を見た竹千代兄上が、冷たく言い放つ。
「ふん。全員、残したい城を『別名』で呼んでいるだけではないか」
「はい。七割くらいは完全にそのパターンです」
俺が疲れ切った声で答える。
「七割もか」
秀忠父上が、呆れたようにため息をつく。
「ただし、残り三割は、本当に必要な施設なんです。……だから、全部一律で『嘘だ、破却しろ!』とは言えないのが一番キツいところなんです」
家康は、諸大名の苦しい言い訳の束を眺めながら、面白そうに笑った。
「はっはっは。そこを厳密に切り分けるための、お前の台帳じゃろう」
「分かってますけど! これ、現場の確認なしで図面だけで判断したら、絶対に事故りますよ!」
俺は、積まれた書類の束をバンッと叩いてキレた。
「壊す前に、正確な用途を書け! どこにあるかを書け! 近くに川があるのか、港があるのか、蔵があるのか、避難に使っている村があるのかを詳細に書け! 石垣を壊したら水が流れ込むのか、堀を埋めたら大雨の時に洪水になるのか、全部書けと言ってるんです!!」
俺の絶叫に、竹千代が冷静にツッコミを入れた。
「これでは一国一城令というより、『一国一用途届』だな」
「その通りです! 軍事施設と防災インフラをごちゃ混ぜにして破壊したら、災害の時に取り返しがつかなくなるんです!」
*
そんな修羅場の中。
俺が新たに立ち上げた『救荒(きゅうこう)備蓄台帳』の担当役人から、急ぎの報告が飛び込んできた。
場所は、遥か北国。
津軽(つがる)領からだった。
俺は報告書を読み、一瞬で顔色を変えた。
「……雨が続いている。夏なのにひどく冷える。日照が少なく、稲の伸びが著しく悪い。穂の出方が不揃いで、水田が冷え切っている……」
報告の内容は、極めて重かった。
早くも領内には飢えの兆しが見え始め、米を酒に回す余裕がないため、すでに『酒造を禁じる』動きが出ているという。
領内では不満が高まり、不穏な空気が漂い始めている。
「……北国、もう出たか」
「凶作か」
秀忠が、厳しい顔で俺を見た。
「まだ完全な確定ではありません。ただ、長引く霖雨(りんう)と、異常な『冷夏』です。東北の稲には、かなり致命的に危険です」
「やませ、か?」
竹千代が、スッと核心を突いた言葉を口にした。
「……兄上、覚えていたんですか」
俺が驚いて振り返ると、竹千代は当然のように答えた。
「お前が以前、北国特有の冷たい風の話をしていたからな。夏であっても容赦なく稲を冷やし、実りを著しく悪くする、恐ろしい風だと」
「はい。冷害です」
俺は、地図の北の方角を指差した。
「東北は土地が広くて、水も豊かです。だから、天候さえ良ければ、本来は米がかなり取れる地域もあります。でも……冷夏や『やませ』が来ると、一気に全滅に近い外れ年になります。当たり外れが異常に大きいんです」
家康が、老獪な目を細めた。
「江戸や西国が豊作で浮かれておっても……北国では飢えるか」
「はい。だからこそ、豊作の年に油断せず『救荒備蓄台帳』を作ったんです」
(……それにしても、作って即、初年度から実戦投入とか。やっぱりこの時代、天候への油断が許されなさすぎる……)
*
その日の夜。
俺が自室で津軽からの報告書を読み込んでいると、視界の端の空間が歪み、KAMI様がフワリと現れた。
『やっほー。北国の冷害で、また胃を痛めてるわね』
「出ましたね、冷害。……これ、歴史的にはどれくらいの規模の凶作になるんですか?」
『一応、この冷害による凶作は、来年の元和二年にはひとまず収まるわ』
「よかった……数年続くような壊滅的なものじゃないんですね」
『でもね。歴史的には、この時期の津軽では冷害や飢えが一揆の火種になりやすいのよ。だから、決して軽く見ていい話じゃないわよ』
「やっぱり、民の不満が爆発するんですか」
『そりゃそうよ。冷害、容赦のない飢え、厳しい年貢、領主への不満。……米が取れない土地で、上に立つ者が変に強欲なことをすれば、民は簡単に限界を超えるわ』
「津軽って、そんなに厳しい土地なんですか?」
『冷害が日常茶飯事で頻発する一方で、土地そのものはとても広いのよ。だから、やませさえ来なければ、かなり莫大な量の米は取れるの。だからこそ、当たり外れのギャップが大きくて苦労するのよね』
「なるほど……。不作の年は地獄。でも、当たり年のリターンは大きいのか」
『それに、北奥(ほくおう)や出羽(でわ)の方面全体で見れば、院内銀山みたいな大きな銀山もあるし、鉱山や林業の経済も絡んでる。北国は、ただ雪深くて貧しいだけの土地じゃないわ。現金収入や独自の経済圏もあるから、単純に『米がない=国が貧しい』だけで見てると、経済を読み間違えるわよ』
「米がないから全部貧しい、わけではない。……けど、最終的に『米がないと人は食えない』」
『その通り』
ここで、KAMI様は少し意地悪な笑みを浮かべ、俺に『禁じ手』を提示してきた。
『ちなみに。……あんたが『神仏ノード』の力をフルに使って、冷害に強い、未来の品種改良済みの米の種籾を出せば、この問題、かなり根本的に解決するわよ?』
「……え?」
『たとえば、後世の東北向けに開発された、寒さに強い優秀な品種……『ひとめぼれ』系統とかね。出そうと思えば、あんた出せるでしょ?』
「いやいやいやいや!!!」
俺は、全力で首を横に振った。
「未来のチート品種を、この時代にいきなり出すのは、いくらなんでも危険すぎます!」
『ふふ。分かってるじゃない。だから、今すぐやれとは言ってないわ』
「品種改良の歴史、その土地に根付いた在来種、種籾の流通経路、年貢の基準、食味の変化、未知の病害への耐性。……いきなりそんなものを出したら、全部が狂います。あと、そんな都合のいい奇跡の米を出したら、また『水神様の奇跡』として信仰が変な方向に大爆発して、収拾がつかなくなります!」
『ええ。だから、今は泥臭く『対応』するしかないわね。でも、長期目標としては、東北方面の『神仏ノードの解放』を目指してもいいかもね』
「東北の神仏ノード……」
『冷害に対して、その土地特有の祈りや、水や風の癖を正確に読むなら、江戸のノードだけじゃ遠すぎるわ。いずれ、東北側のノードの力も必要になるかもしれないわね』
「……また、俺の長期タスクの重いのが増えた……」
『でも、今は目の前の飢えに対応しなさい。未来の品種で一発解決、なんて雑で危険なチートは後回しよ』
「はい、分かってます」
*
翌日の評定。
俺は、津軽方面の凶作の報告書を抱えて評定の間へ入り、それと同時に『一国一城令の用途分類表』をバサッと広げた。
「城の話と、津軽の凶作の話。……その二つを、同時に持ち込むか」
家康が、俺の意図を探るように目を細めた。
「はい。この二つは、完全に繋がっているからです」
「どう繋がるのだ」
竹千代が問う。
「北国で飢えが起きた時。当然、米を安全に保管する巨大な『蔵』、大量の米を運び込むための『港』、家を失った民の『避難場所』、そして雪深い冬を越すための『拠点』が絶対に必要になります」
「……」
「一国一城令で、戦のための軍事拠点を減らす方針は正しいです。でも、何も考えずに『城だから』という理由で全てを壊せば……飢えを救うために必要な蔵や避難所、港湾番所まで、丸ごと消え失せることになります」
「城を減らすという公儀の命令が、いざという時の『飢饉対応の力』を根本から削る恐れがあるというのか」
秀忠が、ハッとして顔を上げた。
「はい。だから、絶対に壊す前に用途確認が必要なんです!」
家康が、深く、重々しく頷いた。
「戦の牙は抜く。だが……民を守るための骨まで砕いてはならぬ、か」
「その通りです」
ここで、俺が前もって仕込んでいた『用途分類』の規定が、完璧に機能し始めた。
「津軽や北国方面の城郭施設は、いきなり破却を命じず、用途確認を最優先とします」
「海沿い、川沿い、街道沿いの施設は、蔵、避難所、輸送番所へ転用可能かを確認。軍事設備は削りますが、米蔵、船着き場、水防機能、雪中避難機能は残します」
「北国では冬越しを考え、避難所の分類基準をより厳格にし、城下の空き地は救荒米の一時保管場所として使えるように確保させます」
「つまり……一国一城令の運用を、お前の作った『救荒台帳』と完全に連動させるのだな」
竹千代が、俺の狙いを正確に言語化する。
「はい。城郭用途届と、救荒備蓄台帳を紐づけます」
「また帳面同士が繋がって、複雑になったな……」
秀忠が頭を抱える。
「繋げないと、現場で人が死ぬんです!」
*
次の問題は、幕府が津軽へ「米をどうやって支援するか」だった。
これは単なる施しではなく、公儀としての統治の姿勢が問われる重大な決断だ。
「津軽へ、公儀の蔵から米を出すか」
家康の問いに、秀忠が続ける。
「出すとして、無償の『下賜(かし)』とするか、それとも『貸付(かしつけ)』とするか」
俺は即答した。
「貸付がよいと思います」
「なぜだ」
竹千代が眉をひそめる。
「飢えている民がいるならば、公儀の威光として無償で与えてやればよいのではないか」
「もちろん、目の前の命を繋ぐための『緊急の炊き出し分』は無償でよいです」
俺は、冷徹な行政官の視点で答えた。
「ですが、領地全体を支える莫大な量の米を、全部タダで与えると、自力で頑張っている他領との均衡が完全に崩れます。また、無償でもらえるとなれば、津軽側の自助努力や、来年以降の備蓄改善の意識が決定的に弱くなります」
「なので、幕府の救荒米として『貸し付ける』形にします。返済は、豊作の年に分割。もし返済不能な場合は、労役や物産、木材、鉱山からの収入、港湾整備の協力などで代替できるように柔軟にします」
家康が、目を細めてニヤリと笑った。
「ただの甘い慈悲ではない。……公儀の帳面にしっかりと載せる『救い』か」
「はい。救うけれど、記録する。貸すけれど、潰さない。確実に返させるけれど、絶対に飢えさせない。……それが、公儀の統治です」
「額は、いかほど用意する」
秀忠が実務を問う。
「幕府としては、まだ十分に余裕があります。今ある江戸近郊や各地の備蓄、余剰米、今後の田法による増産見込みを考えると……多めに見て、『五年』は支援できる程度の枠を初めから確保しましょう」
「五年もか」
竹千代が驚く。
「実際には、そこまで凶作が続かない可能性もあります。でも、最初から『一年分しかない』とケチな見積もりをすると、二年目で想定外が起きた時に完全に破綻します。救荒は、圧倒的な余裕を持たないと駄目です」
「よい」
家康が即決した。
「五年分の枠を、帳面に確保せよ」
*
「ただし、一度に全部の米を出すわけではありません。状況に応じた『段階支給』にします」
俺は、ホワイトボード代わりに紙に支援の設計図を書き出した。
【津軽救荒米貸付案】
第一段:緊急炊き出し分(無償)
第二段:来年の種籾(たねもみ)を食わせないための生活米
第三段:過酷な冬越し用の備蓄米
第四段:翌年の作付けまでの繋ぎの米
第五段:元和二年まで不作が続いた場合の追加枠
「さらに、米を貸す条件として、以下の項目を厳守させます」
・豊作年の分割返済。利は低くするか、当面は免除。
・領内の蔵の補修・新設を返済条件に含める。
・米を大量に消費する『酒造の禁止』と、悪徳商人による『米買い占め禁止』。
・絶対の種籾保護。
・米の使途報告(本当に民に届いたか)を必須にする。
・己の利益のために領民を飢えさせて、米を隠匿した役人や商人は厳罰。
「米を貸し、同時に蔵と台帳を作らせる。……飢えを救いながら、その領地を公儀の確固たる仕組みの中へ組み入れるわけじゃな」
家康が、その統治の恐ろしさを正確に読み取る。
「はい。飢えを救うだけでなく、次の凶作への『備え』を強制的に作らせます」
「救荒もまた、強力な統治か」
竹千代が呟く。
「むしろ、救荒こそが最大の統治です」
*
米を出すと決まったら、次は『輸送計画』だ。
どこから、どうやって米を動かすか。
俺は日ノ本の地図を広げた。
「津軽へ大量の米を送るには、陸路だけでは時間がかかりすぎます。港と船を使います」
江戸・関東の余剰米。
北陸・越後方面の米。
出羽や陸奥で余裕がある地域の米。
それらを、日本海側と太平洋側の港を使い分けて輸送する。
「ですが、この時代の輸送力には限界があります。未来のように、明日すぐ大量の米が届くわけではありません。だから、送る量、時期、港、そして到着後の『保管場所』を細かく分けます」
ここで、再び『一国一城令の用途分類』が強力に機能した。
「港の近くにある城郭施設を、一時的な『蔵』に転用します。水防番所を、米輸送の中継地点に使います。破却予定だった城でも、救荒輸送が終わるまでは解体を延期させ、米の置き場として使います」
「冬の雪に閉ざされる前に保管場所を確保し、米が濡れないように湿気対策を急がせます」
「一国一城令の猶予を、救荒のために柔軟に使うか」
家康が頷く。
「はい。戦のためではなく、飢えを防ぐための猶予です」
*
次に、津軽の報告にあった『酒造禁止』の問題を取り上げた。
「酒造を禁ずるとは、そこまで米が足りぬのか」
竹千代が問う。
「はい。酒は嗜好品であり、大きな商売でもありますが、原料として莫大な量の『米』を使います。不作の時に酒を造り続ければ、人が食うための米が決定的に減ります」
「だが、酒造を完全に止めれば、酒屋の商人や杜氏(とうじ)といった職人が干上がり、困窮するぞ」
家康が、経済の停滞を危惧する。
「だから、全てを一律禁止にするのではなく、凶作地域は一時停止、余裕のある地域は量を制限し、酒造用の米の一部を公儀が『救荒米として買い上げる』形がよいです」
「買い上げるのか」
秀忠が少し驚く。
「はい。ただ権力で奪い取ると、必ず反発が出ます。適正な価格で買い上げて救荒に回せば、商人の損を少し減らしつつ、確実に米を確保できます」
「……ここでも、新たな帳面が要るな」
竹千代が、無慈悲に指摘する。
「はい。酒造米転用帳です」
「また増えた」
「言わないでください。私が一番分かってますから!」
*
さらに、救荒米を動かすと、必ず悪徳な商人が反応する。
米価が上がると見て、裏で買い占めを行う者が出るからだ。
「米価の急騰と、買い占めを厳重に監視します」
俺は先手を打った。
・米問屋への在庫報告の義務化。
・救荒米輸送中の横流し禁止。
・津軽向けに手配した米の転売禁止。
・買い占め発覚時は、米を没収した上で厳罰。
・ただし、通常の適正な取引までは潰さない。
・公儀の買い上げ価格を明示し、各地の米価を週次で記録する。
「商人を殺さず、欲だけを縛るか」
家康が感心したように言う。
「はい。商人の流通網は絶対に必要です。でも、民の飢えを商機にされると、確実に人が死にます」
「救荒とは……米だけでなく、人の欲も運んで管理せねばならぬのだな」
竹千代の言葉に、俺は深く頷いた。
「嫌な言い方ですが、全くその通りです」
*
俺は、津軽へ送る使者に持たせる『条件』をまとめた。
【幕府から津軽への通達】
・公儀は救荒米を貸し付ける。返済は豊作年に分割でよい。
・領民への配布記録を必ず作ること。
・種籾を絶対に食わせないこと。
・酒造制限を行うこと。
・米の隠匿、買い占めを厳しく取り締まること。
・蔵の補修、新設を進めること。
・冷害の被害状況を、村別の報告書として出すこと。
・城郭施設の用途届を出すこと。軍事拠点は減らすが、蔵・避難所として使うものは申請すること。
「津軽には、米と一緒に『書式』も送ります」
「飢えて苦しむ土地に、小難しい書式を送るのか」
秀忠が少し顔をしかめる。
「冷たく聞こえるかもしれませんが、配布記録がないと、米が本当に末端の民にまで届いたか分からないんです」
俺は、断固として言った。
「飢えた民のために公儀が出した米が、途中で悪徳な役人や商人に抜かれて私腹を肥やされたら、何の意味もありません」
「救うための帳面、か」
家康が、静かに頷いた。
「はい」
*
夜。
自室で一人になった俺は、深く考え込んでいた。
KAMI様が出した『未来の冷害に強い品種』の言葉が、どうしても頭から離れないのだ。
(神仏ノードのエネルギーを使えば、解決する問題……か)
できるかもしれない。
東北の過酷な環境に合う、冷害に強い米。
たとえば、後世の高度な品種改良で生まれる、東北向けの優秀な米……『ひとめぼれ』の系統のようなもの。
それを出せば、間違いなく今年から飢える人は劇的に減るだろう。
しかし。
それは同時に、取り返しのつかない危険を伴う。
突如として現れた種籾の由来を、誰にも説明できない。
地域の生態系や在来種が一気に置き換わってしまう。
収量が上がれば、強欲な領主が年貢の基準を跳ね上げるかもしれない。
何より、『水神様の奇跡の米』として、信仰が完全に暴走する。
他国がその種籾を巡って血みどろの奪い合いを始める。
未知の病害への耐性も、この時代の環境では全く読めない。
俺は、拳を握りしめ、結論を出した。
「……今は、やらない」
「未来のチート品種は、本当にどうしようもなくなった時の、最後の最後の札だ」
「今俺がやるべきは、今ある米を動かすこと。蔵を作ること。来年の種籾を守ること。そして、水を見張ることだ」
空間の片隅で、KAMI様が軽く笑った。
『よろしい。便利なチートを雑に切らないのは、本当に偉いわ』
「……褒めてるんですか」
『褒めてるわよ。あんたはすぐ胃を痛めて泣き言を言うけど、そういう本質的な判断はかなり賢いわ』
「胃はもう手遅れです」
*
数日後。
幕府は正式に、津軽への支援を決定した。
もちろん、形は『救荒米貸付』である。
俺が徹夜で作った台帳が、役人たちの間でフル稼働し始めた。
『津軽救荒米貸付帳』
『北国冷害・霖雨被害報告控』
『酒造米転用・買上帳』
『城郭用途届・救荒連動控』
江戸の公儀の蔵から、次々と米俵が出される。
勘定方が、声を張り上げて数量を読み上げる。
厳しい条件を通達するための使者が、早馬で出発する。
港では、北へ向かう船への積み込み準備が進む。
街道では、運送のための馬と人足の手配が急ピッチで行われる。
寺社には、いざという時の炊き出し経路の確認が通達され、各地の米問屋には、厳しい在庫報告命令が下された。
俺は、その騒然とした江戸城の実務の様子を見ながら、心の中で思った。
(米を送るだけじゃない)
(米が民に確実に届くまでの『道』を作る)
(届いた米が、途中で欲深い者に奪われない『仕組み』を作る)
(そして……来年また同じことで死なないように、蔵と『記録』を残す)
(……これが、本物の『救荒』か……)
家康が、俺の横に立ち、静かに言った。
「よいか、国松。米を貸すとは、ただ腹を満たすだけではない」
「公儀が、飢えた土地を決して見捨てぬと、天下に示すことじゃ」
「はい」
「そして同時に。……公儀に救われた土地は、公儀の帳面へと深く、永遠に組み込まれる」
竹千代が、冷徹な統治の現実を告げる。
「兄上、その言い方はものすごく怖いですが……事実ですね」
「慈悲と支配は、時に全く同じ米俵の中に入るものじゃ」
「大御所様まで、怖いことを言わないでください」
*
元和元年。
武を伏せ、和を元とする、泰平を願う年号。
だが、その年の夏。
北の空は重く晴れず、冷たい雨が、津軽の田を容赦なく叩き続けていた。
江戸では、道普請の活気とともに豊作を期待する声がある。
西国では、豊かな米が次々と蔵へ入り始めている。
だが、同じ日ノ本の北の果てでは、冷たいやませに稲が冷え、穂が痩せ細り、民が冬の飢えを恐れて震えているのだ。
泰平とは、ただ戦がないことではない。
飢えの兆しをいち早く見つけ、莫大な米を動かし、蔵を開き、商人の欲を縛り、そして全てを記録に残すことだ。
そして、戦のための城を減らす『一国一城令』は、飢えを防ぐための蔵と避難所を残すための『帳面』と、全く同じ机の上に置かれたのだ。
城を壊す前に、用途を書け。
米を送る前に、配る道を書け。
飢えを救った後に、次の飢えへの備えを書け。
俺は、新しい帳面の表紙に、震える手で筆を入れた。
『津軽救荒米・貸付管理帳』
「……元和って、本当に忙しすぎるだろ……」
愚痴をこぼしても、米俵は決して待ってはくれない。
江戸の蔵から出された米は、帳面に正確に記され、船に積まれ、冷たい海を越えて北へ向かう。
それは、ただの甘い施しではなかった。
飢えた土地を救い、同時にその土地を、公儀の強固な制度の中へと深く結びつける、冷たくも温かい米俵だった。
元和の泰平は、武士が刀を置いた瞬間に、魔法のように生まれるものではない。
飢えた民の口へ確実に米が届き、その泥臭い記録が、次の年の備えになる時。
その時、ようやく少しだけ、泰平は『形』になるのだ。
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