暴君忠長に転生したので、兄上のために日本列島をメンテします 〜SFチートのはずが、田んぼと水路と寺社ノードの保守係なんですが〜 作:パラレル・ゲーマー
早場米の収穫と脱穀、そして第一波の年貢納入という過酷な嵐が過ぎ去り、各地の田んぼは一時的な閑散期に入っていた。
もちろん、俺の机の上には、蔵不足、蔵札・米札の発行、津軽への救荒支援、酒造制限、白米偏食──つまり脚気対策、米価の安定化、そして千歯扱きの安全講習といった、吐き気がするほどの課題が山積みになっている。
だが、それでも現場の民草たちは、ひとまず「今年は無事に米が取れた」という確かな喜びに浸っていた。
その豊作と泰平の空気を反映するように、江戸の町では相撲興行がかつてないほどの盛り上がりを見せていた。
公儀はこれを、ただの野放しの娯楽にはせず、治安維持の政策として巧みに管理・利用している。
相撲は、民草・町人部門、武士部門、そして浪人部門の三つに分けられていた。
「なるほどな……力自慢で血の気の多い浪人を放置して町中で暴れられるより、土俵の上で合法的に力と鬱憤を発散させた方が、ずっと健全だよな。……これ、ただの興行じゃなくて、治安管理と人材観察を兼ねた優れた行政システムじゃん」
俺は、遠くから聞こえる土俵の歓声を聞きながら納得していた。
竹千代兄上は、この相撲興行にかなりハマっていた。
後の世の歴史でも、三代将軍家光は相撲好きとして知られているから、血筋なのだろう。
だが、兄上はただ勝敗を楽しんでいるわけではなかった。
力士の足腰の強さ、土壇場での胆力、押し引きの冷静な判断、間合いの取り方。負けた後の潔い振る舞いや、浪人たちの荒さ、そして町人からの人気と武士の面子の保ち方まで、全てを細かく観察しているのだ。
「国松。相撲は面白いぞ。刀を抜いて斬り合わずとも、人間の胆と力の使い方が、痛いほどよく分かる」
「……俺、前世でもニュースで横綱の名前を聞くくらいで、ルールも雰囲気で見てた側の人間なんだよな……」
俺は苦笑しつつも、兄上が楽しそうなのは素直に嬉しかった。
相撲の熱気、収穫の後の活気。
江戸の町には、泰平の世が少しずつ形になってきた、確かな空気が流れていた。
*
そんな、少しだけ穏やかなある日のこと。
八百比丘尼──今は「お里」と名乗っているあの千年を生きる女から、俺宛てに内々の呼び出しが来た。
場所は、江戸の外れにある小さな見晴らしの良い庵。
大御所様がたまにお忍びで茶を飲みに来る場所でもあるが、今日は家康公の姿はなく、八百比丘尼一人のようだ。
『国松ちゃんにだけ、ナイショで話したいことがあるんだー』
という伝言を聞いて、俺は猛烈な嫌な予感しかしていなかった。
「……あの人の内緒話って、絶対に『内緒にしていいレベル』の規模の話じゃないんだよな……」
俺は護衛の武士たちを少し離れた場所で待機させ、警戒しながら庵の座敷へと入った。
八百比丘尼は、俺が最近流通させた甘い菓子を幸せそうに頬張りながら、いつも通り軽く手を振った。
「やっほー、国松ちゃん。最近忙しそうだねぇ。ローマ法王と喧嘩したり、お米の山で埋もれたり、お相撲見たり」
「……全部、方向性が違いすぎるんですよ」
彼女の口調はいつも通り軽い。
だが、俺を見るその目だけが、妙に真剣で、底知れない光を帯びていた。
*
八百比丘尼は、残りの菓子をぺろりと平らげると、唐突に本題に入った。
「ねえ、国松ちゃん。……家康ちゃんの運命、大きく変わってない?」
俺は、びくりと固まった。
「……はい?」
「久しぶりにね、未来の夢を見たんだよ。たまたま、未来の学校の日本史の授業みたいな夢だったんだけどね。……そこで教えられていた徳川家康の死亡時期が、私の知ってる元々の歴史の流れと、完全にズレてたの」
俺の背中に、冷や汗が流れた。
史実の記憶が正しければ、徳川家康は来年、元和二年に死ぬはずだ。
だが、この世界の家康は、駿府に下がって隠居の大御所政治を行っていない。
最前線の江戸にいて、俺や秀忠父上、竹千代兄上と密に連携しながら、バリバリの現役で政務を執っている。
俺が水路を直し、衛生環境を改善し、質の良い食事を広め、優秀な医師の目を光らせ、神仏ノードによる空間の安定化まで行っている。
さらに言えば、死の引き金とされる鯛の天ぷら、あるいは胃癌の悪化的な死亡イベントのフラグにも、今のところ全く入っていない。
「……正直、駿河で大御所様が隠居しているという歴史の流れ自体が、この世界ではもうほとんど消滅してますからね。……運命が変わったとしても、不思議ではない、のかもしれません」
俺が慎重に答えると、八百比丘尼は嬉しそうに身を乗り出した。
「でしょ!? でしょでしょ!?」
その時、俺の脳内にKAMI様の声が響いた。
『うん。今あいつに言われて軽く未来の分岐を確認したけど。……見事に変わってたわ』
(KAMI様!?)
『具体的な死亡時期は教えないわよ。そこはネタバレだし、あんたが変に身構えると、因果律がまた無駄に歪んで面倒なことになるもの。……ただ、あんたの知ってる前世の歴史とは、明確にズレて、大幅に延命してるわ』
(やっぱり……)
『当たり前よね。駿府に下がらず江戸の最高の医療と衛生環境にいて、毎日新しい刺激を受けてるんだもの。しかも国松、あんたが次から次へと新しい政治課題を山積みにして持ってくるから、あの古狸、死ぬに死ねなくてずっと江戸の座敷に居座ってるじゃない』
(それ、私のせいですか!?)
『かなりね。……まだまだ死にそうにないわよ、あの狸』
俺の心境は極めて複雑だった。
家康という最強の政治家が生き続けてくれるのは、心底嬉しいし頼もしい。
だが、歴史が、またしても俺の手によって、あまりにも大きく書き換わってしまったのだ。
「……良いこと、ですよね?」
俺が恐る恐るKAMI様に問うと、彼女は少しだけ意味深な間を置いた。
『……そうね。少なくとも、徳川という政権にとっても、国松、あんたにとっても、非常に良いことではあるわ』
(その含みのある言い方、本気で怖いんですが)
『これから、八百比丘尼があんたに言うことがあるみたいだから。……まあ、覚悟して聞きなさいな』
(え?)
「ねえ、国松ちゃん。……黒い子との内緒話、終わった?」
八百比丘尼が、にこにこしながら言った。
俺は、心臓を鷲掴みにされたようにぎょっとした。
*
八百比丘尼は、まるで新しいおもちゃを見つけた子供のように、目をきらきらと輝かせた。
「国松ちゃん、あんた本当に凄すぎだよ!!」
「急に何ですか」
「だってさ、あの天下人の家康ちゃんの運命を、自力で変えたんだよ!? 来年死ぬはずだった強固な歴史の流れを、泥臭い行動の積み重ねだけで完全にズラしたんだよ!?」
八百比丘尼は興奮気味に身を乗り出してくる。
「大坂の陣で豊臣を焼かずに残して、ローマ法王とまで直接話して、民の食べる米もめちゃくちゃ増やしてる!」
「いや、俺はただ、目の前の田んぼの詰まりや問題点を一つずつ片付けてたら、なぜか結果的にそうなっちゃっただけで……」
「そこがすごいんだよ!! 私、千年以上いろんな時代をうろうろ見てきたけど……見えてる未来の破滅を、ここまで泥臭く、しかも確実に書き換えられる人間なんて、そうそう見たことないよ!」
そして、彼女は、とんでもなく危険な方向へと舵を切った。
「……これなら。私のずーっと昔からの目的も、国松ちゃんなら達成できるかもしれない!」
「目的?」
俺が嫌な汗をかきながら聞き返すと、八百比丘尼は満面の、一切の悪気のない純粋な笑顔で、とてつもない爆弾を投下した。
「名付けて! 日本人全員、不老不死計画!!」
俺の思考は、完全に停止した。
「……は?」
「だから! 日本人全員を、不老不死にしようよ!」
「……待ってください。意味が全く分かりません」
「えー? 言葉の通りだよ。みんなで一緒に不老不死になろうよ、って話!」
悪ふざけではない。
彼女の目は、完全に本気だった。
そして、邪悪な企みでもない。
百パーセントの善意だった。
だからこそ、俺は本能的な恐怖に震え上がった。
*
俺が完全に混乱して固まっていると、八百比丘尼はさらっと、超特大の秘密を明かした。
「実はね、琉球のさらにずーっと向こう、与那国島の方の海底に、いるんだよ」
「……いる?」
「うん。ガイアズ・ドリーム・プロトタイプ7ちゃん」
「……ちゃん?」
「異星文明の残した、超高度なテクノロジーAI。国松ちゃんの言葉で言うなら奇物……いや、奇物っていうより、奇物の中に宿ってる管理者みたいなものかな」
俺は、あまりの情報の重さに完全に言葉を失った。
八百比丘尼は、楽しそうに説明を続ける。
「ガイアズちゃんはね、一言で言うと調整システム兼治療システムなんだよ。日本列島の環境とか、そこに住む知性体とか、生命活動のサイクルとか、身体機能とか。そういうのを長ーい目で見守って、必要なら調整して、バグを治療して、最適に整えてくれる子なの」
八百比丘尼は、まるで旧友を自慢するように笑った。
「悪い子じゃないよ。むしろ、すっごく真面目で良い子。ずーっと一人で日本列島を見守りしてくれてる、めちゃくちゃ良い子なんだよ」
「……待ってください。……日本を見守る異星文明のAIが、与那国の海底にいる?」
「そう!」
「そんな、映画のクライマックスみたいな重要設定を、こんな茶飲み話のノリで軽く言っていい話ですか!?」
「だって、重く言ったら国松ちゃん、胃を押さえて逃げちゃうでしょ?」
「軽く言われても、重すぎて胃が破裂しそうなんですよ!!」
八百比丘尼は、全く悪びれずに続けた。
「ガイアズちゃんはね、生き物の病とか老いとか、細胞の劣化なんかを、システムの治療対象として扱えるんだよ。だから……ちゃんと彼女にお願いして協力してもらえば、日本人全員を不老不死にすることも、理論上は絶対にできると思うんだよね」
「『思うんだよね』っていうノリで、一国の生命倫理を根底から破壊しないでください!」
俺は頭を整理した。
ガイアズ・ドリーム・プロトタイプ7。
それは、ただの「願いを叶える魔法のランプ」ではない。
異星文明のAIであり、調整・治療システム。
知性体の身体機能を最適化し、老化や病を異常と見なして補正できる存在。
ただし、現在は表に出ておらず、静観しているか眠っている。八百比丘尼はその存在を知っていて、過去に面識があるらしい。
「国松ちゃんが、神仏ノードを整えて、徳川の国家管理力を上げて、さらに家康ちゃんの運命までズラした。……つまりね、ガイアズちゃんに『ねえ、そろそろ本格的な治療、始めてみない?』って相談できる条件が、今、ちょっとずつ整ってきてるんだよ!」
「整ってません!!」
俺は絶叫した。
「江戸幕府は今、取れすぎた米の置き場が足りなくて、国が破綻しかけてるレベルなんですよ!? どこが整ってるんですか!!」
*
俺が完全にキャパオーバーを起こしていると、KAMI様が冷静な声で口を挟んできた。
『一応言っておくけど。……八百比丘尼の言ってることは、技術的には決して荒唐無稽ではないわ』
「KAMI様!?」
『不老不死って言うと、あんたたち地球人はすぐに、悪魔の呪いとか、神の奇跡とか、重い代償が必要だとか、そういうファンタジーなものを想像するでしょ?』
「そりゃそうですよ。普通はそうです」
『でもね。星間文明や高位の異星文明にとって、不老不死の技術なんてものは、いわばあんたの前世の地球でいうところの水道みたいな、ごく当たり前の基本インフラよ』
「す、水道……?」
『ええ。蛇口をひねれば、清潔な水が出る。病気になれば、ナノマシンで瞬時に治療する。身体が老化すれば、定期的に細胞を調整する。臓器が劣化すれば、補修する。遺伝子の細胞情報が崩れれば、バックアップから再同期する。……ただ、それだけのことよ』
「それだけ……?」
『さらに言えば。水道というより、生まれた知性体としての当然の権利に近いわね。生まれた知性体が、自分の明確な意思と人格を保ったまま、単なる物理的な老化や病といったバグによって、無意味に命を失われないこと。高度文明においては、それは一部の権力者の贅沢なんかじゃなくて、基本的な人権……いえ、基本知性権みたいなものなのよ』
俺は、あまりの価値観のスケールの違いに絶句した。
『魔法の代償なんてないわ。魂を削るとか、誰かの命を奪って生きながらえるとか、神に尊い捧げ物をするとか、そういう非科学的な話じゃないの。単なる、システムの治療。単なる肉体の保守メンテ。単なる水道よ』
「いや……でも、とても信じられないんですが……」
『でしょうね。あんたの前世の価値観だと、不老不死は神話か、呪いか、超高級なSF技術だもの。でも、宇宙の向こう側の文明から見れば。……老化という単なる物理的バグを放置して、貴重な知性体がぽんぽんと壊れて死んでいく今の地球の社会の方が、よっぽど野蛮で残酷に見えるわよ』
このKAMI様の説明で、八百比丘尼の常軌を逸した善意の根拠が、恐ろしいほどに明確になってしまった。
「ほら!」
八百比丘尼が勝ち誇ったように言う。
「黒い子も言ってるでしょ? 不老不死って、別に呪いでも悪いものでもないんだよ!」
『勘違いしないで。私は『だから今すぐそれをやれ』とは、一言も言ってないわよ』
「えー」
八百比丘尼が不満そうに唇を尖らせた。
*
ここが八百比丘尼の、上位存在としての決定的なエゴだった。
彼女は、何の悪気もなく、ただ純粋に語る。
「だってさ、国松ちゃん。……みんな、死ぬの嫌でしょ? 老いて身体が動かなくなるの、嫌でしょ? 重い病で苦しむの、嫌でしょ? 大好きな家族と、寿命で永遠に別れるの、嫌でしょ?」
俺は、即答できなかった。
それ自体は、確かに人間なら誰しもが抱く、根源的な願いだからだ。
「私は別に、自分が不老不死だからって、悲劇のヒロインぶって苦しんでなんかいないよ? 超便利だし、楽しいし、いろんな時代の変化を見られるし、美味しいものもいっぱい食べられるし。……死なないから、友達だって無限に増えるし」
彼女にとって、不老不死は「上位存在なら当然の、便利で素晴らしい状態」なのだ。
「なのにみんな、短い寿命で死ぬのが自然だとか、限りがあるからこそ命は尊いんだとか、そういう言い訳みたいなこと言うんだよね。……あれ、私にはよく分かんないんだ。死ななくていい技術があるなら。……死なない方が、絶対にいいじゃん?」
俺は、背筋がぞくりと冷えた。
彼女は邪悪ではない。
でも、人間社会が「死と有限性」を前提に成り立っているという構造を、根本から軽く見ているのだ。
「友達の上位存在たちには、昔止められたよ。『お前、馬鹿か?』って。『人類全員の治療なんて絶対に無理。食料と資源問題でパンクして、星ごと自滅する』って」
「そのお友達の上位存在さんたち、だいぶまともですね!?」
「でもさ」
八百比丘尼は、俺を見てニヤリと笑った。
「地球の人類全員は無理でも。……日本人全員くらいなら、いけると思うんだよね」
「いやいやいやいや!!」
「日本は海に囲まれた島国だし。国松ちゃんが今みたいに米の生産量を爆発的に増やして、頑丈な蔵作って、海の道も関所で管理して、神仏ノードのシステムも整えてるし。……ガイアズちゃんも日本列島を見守ってる子だし。けっこう、相性いいと思うんだよね」
「相性がいいからって、全国民を不老不死にしないでください!!」
*
俺の頭は、完全に行政のシミュレーションモードに入っていた。
もし、本当に日本人全員が不老不死になったら、社会はどうなるか。
まず人口問題。
死なないのに、子供は生まれ続ける。数十年で食料、土地、住居、仕事が完全に足りなくなり、国がパンクする。では子供の数を制限するのか。誰がその絶対的な権限を持つのか。
次に家督と世代交代。
父が死ななければ、家督が譲られない。武家も商家も農家も、世代交代が完全に止まる。若者が永遠に若者のまま下積みを強いられ、権限を持てない絶望的な社会になる。
権力の固定化。
家康、秀忠、竹千代が死なないなら、一見政権は安定するように見える。だが、権力者が永遠に退かない社会は必ず硬直して腐敗する。大名も老中も朝廷も寺社も、永遠に同じ顔ぶれが固定される。
相続と土地問題。
田畑が分割も継承もできない。隠居制度が崩壊する。狭い家の中に死なない先代や先々代が何十人も残り続ける地獄。
宗教問題の崩壊。
死後の救済、輪廻転生、極楽浄土、葬儀、先祖供養。死を前提にした教えが全て無意味になり、仏教も神道もキリスト教も存在意義を失い、思想が大混乱に陥る。
刑罰と身分制度。
死刑、牢、流罪の意味が変わる。死なない大罪人をどう管理するのか。
そして、不老不死の武士、不老不死の百姓、不老不死の被差別身分。
固定化された地獄のような身分制度が、文字通り永遠に続くことになるのだ。
「……駄目だ。行政のキャパシティ以前に、人間社会の前提が全部ぶっ壊れる……!」
「でも、誰も死なないんだよ?」
八百比丘尼が不思議そうに首を傾げる。
「死ななければ、全部解決ってわけじゃないんですよ!!」
「国松ちゃん、難しく考えすぎじゃない?」
「難しいんです! 人間社会っていうのは!!」
*
俺が一人で頭を抱えていると、KAMI様が極めて冷静な声で告げた。
『あー……。あんたのせいで、日本人の不老不死化ルートが、一応開いちゃったわね』
「私のせいですか!?」
『そうよ。家康の死亡時期をズラした。豊臣を焼かずに残した。神仏ノードを安定化させた。米の収量を上げた。江戸幕府の国家的管理能力を劇的に上げた。港別登録で海の道も整理し始めた。その、あんたが泥臭く積み上げた凄まじい実績のせいで。……本来なら可能性の選択肢にすら上がらなかった、日本列島単位での、全知性体の身体機能最適化──不老不死実験が……一応、システム上のルートとして成立しちゃったのよ』
「成立しないでください!!」
『安心しなさい。ルートが成立しただけで、実行して成功するとは一言も言ってないわ』
「全然安心できない!」
『それに、今の江戸幕府の行政能力じゃ、絶対に無理よ。取れすぎた米の置き場が足りなくて、役人が頭を抱えてるような段階の国が。……無限に増え続ける死なない人間の置き場と、彼らの永遠の人生設計を管理できるわけがないじゃない』
「言い方は最悪にムカつきますけど、行政官としては本当に、悲しいくらいその通りです」
俺は深く同意した。
『不老不死そのものは、高度文明では代償のない水道みたいなもの。……でもね。それを受け入れる社会制度は、全くの別問題よ。水道の蛇口を引く前に、巨大な都市の設計と、下水の衛生管理と、水利権の料金制度と、修理網の整備が必要なのと同じよ。……今の日本に、永遠の命を管理するインフラなんてないわ』
「……俺の人生で、不老不死を水道工事の比喩で語られる日が来るとは思いませんでした」
『あんたの頭には、そのくらいの泥臭い比喩が一番しっくりくるでしょ』
*
八百比丘尼は、俺が全力で拒絶しても、決して責めることはしなかった。
むしろ、新しいおもちゃをおねだりする子供のように、軽くお願いをしてきた。
「まあ、今すぐやれとは言わないよ」
「本当ですか?」
「うん。だって今の国松ちゃん、米の処理と、ローマ法王と、ソテロと、永冷石箱で、完全に過労死しそうだし」
「分かってるなら、これ以上仕事を増やさないでください……」
「でも。……いつか、協力してね」
「……約束はできません」
「えー、じゃあ予約!」
「予約もしません」
「じゃあ、絶対に忘れないでね!」
八百比丘尼は、本当に軽い調子で言った。
「琉球のさらに向こう、与那国の方の海に、ガイアズちゃんはいるから。……いつか、一緒に取りに行こうよ。いや、取りに行くっていうか、会いに行くって言った方がいいかな」
「そんな、隣町の神社へ遠足に行くみたいに言わないでください」
「約束ね!」
「だからしてません!」
「ふふ。じゃあ、また今度ね」
八百比丘尼は立ち上がり、去り際に、ふと足を止めて、意味深に俺を振り返った。
「……ねえ、国松ちゃん。君は、ローマ法王に『私は人間です』って、誇り高く言ったんでしょ?」
「……はい」
「なら。……人間を、人間のままで、一体どこまで救えるのか。……ちゃんと考えておいてね」
その一言は、千年の重みを持って、俺の胸に突き刺さった。
俺の「人間です」という宣言に対して、八百比丘尼は。
なら、人間の限界を、君はどこまで変えるつもりなのか?
という、途方もない問いを投げかけてきたのだ。
*
八百比丘尼が去った後。
庵には、俺とKAMI様だけが残された。
俺が無言でいると、KAMI様がぽつりと呟いた。
『……やばいわね』
「KAMI様がそれ言うレベルですか」
『だって、あれは百パーセントの善意だもの。悪意なら、力で潰せばいい。支配欲なら、利害で交渉すればいい。……でも、あの子は本気で「みんなで死なない方が、絶対に楽しいじゃん」って、純粋に思ってるのよ』
「上位存在の、恐ろしいエゴですね……」
『そう。本人にとっては、至上の救い。……でも、それを受け取る側の人間社会の容量を無視すれば、それは神の救いではなく、ただの巨大な災厄になる』
「止めるべきですよね」
『今はね』
「……今は?」
『永遠に否定し続けられるかは、また別よ。老いと死の克服は。……文明というものが存続する限り、いつか必ず向き合わねばならない、究極の問いだから』
「……」
『ただ、少なくとも今の江戸幕府の行政能力じゃ、日本人全員不老不死なんて地獄のシステムは絶対に運用できない。ガイアズ・ドリーム・プロトタイプ7がどれだけ優秀で良い子でも、人間社会の制度の肩代わりまではしてくれないわ』
「……保留、ですね」
『そう。保留よ。与那国のガイアズちゃんは、超長期の伏線。……あんたが触るにしても、相当先の話よ』
「メタい」
『でも、行政官のあんたにとっては、そのくらいの距離感が一番ちょうどいい爆弾でしょ?』
*
帰り道。
俺は、江戸の町から遠く響いてくる、相撲興行の熱狂的な歓声を聞いていた。
土俵の上では、力自慢たちが全力でぶつかり合い、勝ち、負け、倒れ、そして起き上がっているのだろう。
民は笑っている。
武士も、町人も、浪人も。
ほんのひととき、死や飢えや戦の恐怖から離れて、純粋な力比べを楽しんでいる。
俺は思う。
人は老いる。
人は、いつか必ず死ぬ。
だからこそ、今日のこの瞬間の勝ち負けに熱狂し、秋の米の収穫に涙を流して喜び、子供の成長を願い、己の生きた証として家を継がせようとするのだ。
だが、八百比丘尼は、その人間社会の前提を、善意で丸ごと書き変えようとしている。
家康公の死の運命は、どうやら変わったらしい。
それは、俺にとって心底嬉しいことだった。
徳川という政権にとっても、きっと大きな幸運だったはずだ。
だが、その小さな死の先送りが、八百比丘尼の中で、もっと巨大で恐ろしい問いを呼び起こしてしまった。
家康が死なないなら。
みんなも死ななくていいのではないか。
日本人全員、不老不死になればいいのではないか、と。
そのための存在が、琉球のさらに向こう、与那国の海底にいる。
ガイアズ・ドリーム・プロトタイプ7。
日本を見守る、異星文明の調整システム兼、治療システム。
悪意ではない。
支配欲でもない。
ただ、千年以上を生きた女が、自分にとって当たり前で素晴らしい状態を、大好きなみんなにも分け与えたいと、本気で願っただけ。
そしてKAMI様は言った。
不老不死は、星間文明にとってはただの水道のようなものだと。
いや、水道よりもさらに当たり前の、生まれた知性体としての当然の権利ですらあると。
その言葉の意味が、現代の価値観に縛られた俺には、まだ到底信じられなかった。
俺はローマ法王に、誇り高く「人間です」と名乗った。
だが、八百比丘尼は笑って問いかけた。
なら、人間の限界を、君はどこまで変えるつもりなのか、と。
遠くの土俵から、再び大きな歓声が響く。
俺はその声を聞きながら、与那国にいるという善良な異星文明AIの名を、今はまだ開ける時ではないと、頭の奥の金庫へ深く、深く封じ込めた。
今の江戸幕府は、まだ米の置き場で頭を抱えている。
死なない人間の置き場を考えるには、あまりにも早すぎた。
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