暴君忠長に転生したので、兄上のために日本列島をメンテします 〜SFチートのはずが、田んぼと水路と寺社ノードの保守係なんですが〜   作:パラレル・ゲーマー

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第87話 欧州宗教戦乱および銀流出注意覚書

 江戸城、小評定の間。

 

 俺は、まだ墨の匂いが新しい数冊の帳面と覚書を抱え、畳の上に静かに置いた。

 

 表紙には、俺の字でこう書いてある。

 

『欧州宗教戦乱および、銀流出注意覚書』

 

 自分で書いておいてなんだが、見るからに嫌な題名だ。

 

 旧正月明けだというのに、めでたさの欠片もない。

 

 上座には家康。

 

 その隣に秀忠。

 

 少し下がって竹千代。

 

 さらに、本多正純、崇伝、天海が控えている。

 

 あまり広く聞かせるべき話ではないので、いつもの大きな評定ではなく、ごく限られた面子だけが集められた。

 

 家康は、俺の前に置かれた帳面を見て、すぐに目を細めた。

 

「国松。また嫌な帳面を持ってきた顔じゃな」

 

「はい、大御所様。……かなり嫌な帳面にございます」

 

「旧正月が明けたばかりだというのに、今度は何じゃ」

 

 秀忠が、やや疲れた顔で問う。

 

 俺は一度、深く息を吸った。

 

「まだ起きてはおりませぬ。ですが、近く起きる可能性が高い話にございます」

 

 竹千代が、静かにこちらを見た。

 

「未来の話か」

 

「はい、兄上。ただし、私の前世の知識だけではございませぬ。お里……八百比丘尼さんからも、強く警告を受けました」

 

 家康の目が、わずかに鋭くなる。

 

「お里か」

 

「はい」

 

「……あの女がわざわざ警告したなら、笑い話では済まぬな」

 

 場の空気が重くなる。

 

 俺は、覚書の一枚目を開いた。

 

「大御所様。後の世の知識では、欧州にて一六一八年頃より、宗教対立を火種とする大規模な戦乱が起きます。後の世では、その戦はこう呼ばれておりました」

 

 俺は、ゆっくりと言った。

 

「三十年戦争、と」

 

「三十年戦争……?」

 

 家康が、低く繰り返す。

 

 秀忠が眉をひそめた。

 

「三十年、戦が続くのか?」

 

「はい。後の世では、そうでした」

 

 その一言で、小評定の間は水を打ったように静まり返った。

 

 戦国を知る家康や、戦の気配を知る秀忠でさえ、三十年という言葉には重みを感じたのだろう。

 

 竹千代も、静かに息を呑んでいた。

 

 家康が問う。

 

「どこの戦じゃ」

 

「欧州の中心、神聖ローマ帝国と呼ばれる地域。主に独逸、つまりドイツ方面でございます。ただし、そこで終わりませぬ。カトリックとプロテスタントの宗教対立を火種としながら、やがてハプスブルク、フランス、スウェーデン、スペイン、オランダなど、周辺の大国が次々と絡み、宗教戦争という名の欧州全体の覇権争いへ変わっていきます」

 

 俺は、そこで一度言葉を切った。

 

「ただし、私は専門家ではございませぬ。細かな戦場の推移や、講和の順序までは完全に知りませぬ。ですが、宗教対立から欧州全体の大戦乱へ広がり、長く泥沼化したことは覚えております」

 

 崇伝が、ゆっくりと息を吐いた。

 

「宗教対立が、国々を巻き込む大戦になる……」

 

 天海も、目を伏せる。

 

「人を救うはずの宗門が、国を焼く火種となる。何とも、業の深い話にございますな」

 

 秀忠は、旧正月の席で示した禁教令の方針を思い出したのだろう。

 

「つまり、我らが恐れていた『信仰と外国の軍事・政治が結びつく』という事態が、欧州では大規模に起こるということか」

 

「はい。まさに、それにございます」

 

 俺は素直に頭を下げた。

 

「これについては、私の迂闊にございました。ローマとの線引き、港別登録、技術交流ばかりを見ており、その先にある欧州情勢を軽く見すぎておりました」

 

 竹千代が静かに言う。

 

「国松一人で、世界中の年表を背負えるわけではない」

 

「兄上……」

 

 優しい。

 

 兄上は、本当に優しい。

 

 だが、その言葉で仕事が減るわけではない。

 

 本多正純が、実務家らしく問いを挟んだ。

 

「その戦は、日ノ本へ直接及ぶものにございますか」

 

「欧州の軍船が、直接日ノ本を攻めに来る可能性は低いと思われます。ですが、交易には確実に影響します」

 

「港、船、銀、火薬、商人、商館の信用……」

 

「はい。特に問題なのは、銀にございます」

 

 俺は、覚書の次の頁を開いた。

 

 *

 

「大御所様。私が最も恐れているのは、日本の銀でございます」

 

「銀か」

 

 家康の声が低くなる。

 

「はい。日ノ本は銀を産します。交易を続ければ、銀は必ず外へ流れます。欧州が戦乱に入れば、その銀は、武器、火薬、船、傭兵、同盟、借金へと変わります」

 

 正純が、即座に理解したように頷いた。

 

「銀は、商いの銭であると同時に、戦の兵糧でもあるということか」

 

「はい。米が日ノ本の戦を支えるように、銀は海の向こうの戦を支える可能性がございます」

 

 家康が目を細めた。

 

「日ノ本の米は兵を養う。欧州の銀は兵を雇う、か」

 

「まさに、そのようなものにございます」

 

 俺はさらに続けた。

 

「先の港別登録制度によって、長崎、平戸、堺・大坂、博多、対馬、薩摩・琉球、江戸、それぞれの港の役割は帳面に載り始めました。これは大きな前進です。しかし同時に、公儀がどこへどれだけ銀を流すかを、ある程度左右できるようになるということでもあります」

 

 秀忠の表情が重くなる。

 

 竹千代も、黙って俺の話を聞いている。

 

「私たちは欧州の戦に参加するつもりなどございませぬ。ですが、銀を流すことで、結果として特定の勢力を支えることになるかもしれませぬ」

 

 崇伝が低く呟いた。

 

「武器を渡さずとも、銀を渡せば武器に変わる」

 

 天海が静かに目を閉じた。

 

「縁とは恐ろしいものにございますな。海を越えた銭が、遠き国の血に変わるとは」

 

 俺も同じ気持ちだった。

 

 江戸で田んぼの水口を見ていたはずなのに、いつの間にか欧州の戦争資金の心配をしている。

 

 世界は繋がっている。

 

 その言葉は、物語としては綺麗だ。

 

 だが、末端の行政担当者にとっては、管理すべき帳面が無限に増えるという意味でしかない。

 

 *

 

 しばらく、誰も口を開かなかった。

 

 家康は、覚書をじっと見つめていた。

 

 やがて、ぽつりと呟く。

 

「三十年か」

 

 その声は、妙に静かだった。

 

「日ノ本でも、戦国の世は長かった。だが、一つの大きな戦が三十年燃え続けるとなれば、民も田も町も、ただでは済むまい」

 

「はい。後の世の知識では、欧州の一部地域では人口も土地も大きく疲弊したと聞きます」

 

「うむ」

 

 家康は、ゆっくりと頷いた。

 

「なるほど。日ノ本では考えられぬ規模じゃな」

 

 そして。

 

 家康は、ふっと笑った。

 

「だが、悪くない」

 

「ええ……?」

 

 俺の声が、完全に素で漏れた。

 

 秀忠も、竹千代も、思わず家康を見る。

 

 いや、今、悪くないって言った? 

 

 三十年戦争の話を聞いて? 

 

 欧州全体の泥沼の話を聞いて? 

 

 悪くないって言った? 

 

 家康は、俺たち三人の視線を見て、苦笑した。

 

「そんな目で見るな、国松、秀忠、竹千代」

 

「父上……欧州の凄惨な戦を、利用するかのような言い方は……」

 

 秀忠が、常識人として諫める。

 

 だが、家康の目は、戦国を生き抜いた天下人のものになっていた。

 

「世界の列強どもが、宗門と王家の面子で泥沼の戦をする。日ノ本は、その火の粉を受けぬよう離れておる。ならば、巻き込まれぬ範囲で銀を流し、代わりに知識と技術を搾り取る」

 

 家康の声は、冷たいほど澄んでいた。

 

「奴らが三十年も戦うなら、三十年疲れ続けるということじゃ。その間に、我らは海を閉じきらず、しかし帳面で縛り、銀を無駄に流さず、書物、薬、測量、時計、造船、航海術、鉱山、硝石、火薬の扱い……そうしたものを買い集める」

 

 正純の目が鋭くなる。

 

 家康は続けた。

 

「そして三十年後。疲弊した欧州を相手に、日ノ本は、米も銀も人も技術も整えた国として商いをする。……悪くない絵図ではないか?」

 

 俺は、内心で戦慄した。

 

 大御所様……流石、戦国時代の天下人……! 

 

 俺が見ていたのは、ただのリスクだ。

 

 欧州の戦争。

 

 銀の流出。

 

 巻き込まれ。

 

 宗教と政治の結合。

 

 だが家康が見ているのは、リスクの向こう側にある巨大な交渉余地と国家の利益だ。

 

 危機報告をしたら、即座に「敵が勝手に消耗するなら、それを利用して強くなれ」と変換した。

 

 クレバーすぎる。

 

 そして、怖すぎる。

 

 秀忠が、なおも低く言った。

 

「父上。欧州の戦を望むわけではございますまい」

 

「望んではおらぬ」

 

 家康は即座に答えた。

 

「止められぬ火ならば、こちらの蔵と田を焼かれぬようにし、その熱で鍛冶をするだけよ」

 

 その言葉に、誰もすぐには反論できなかった。

 

 *

 

 俺は、慌てて釘を刺すことにした。

 

「大御所様。銀を意図的に流して、欧州の戦を長引かせるような政治工作は、絶対に避けるべきにございます」

 

「分かっておる」

 

「本当ですか?」

 

「本当じゃ。国松、わしを何だと思っておる」

 

 戦国時代の覇者です。

 

 とは、口が裂けても言えない。

 

 家康は、俺の顔を見て笑った。

 

「戦を煽る必要はない。むしろ、片側に肩入れしすぎれば、後で恨みを買う。日ノ本の銀が欧州の戦を決めたと知られれば、面倒な火種となろう」

 

 正純も頷く。

 

「ゆえに、銀の流れは一つに絞らず、多路に分けるべきにございます。南蛮、紅毛、唐船、琉球、朝鮮。複数の経路で流れを分散させ、どこか一国の戦費を支える形にはしない方がよろしいかと」

 

「はい。私も同じ考えです」

 

 俺は深く頷いた。

 

「大事なのは、銀を武器として振り回すことではなく、銀がどこへ流れ、何に変わったかを見続けることにございます」

 

 竹千代が口を開いた。

 

「銀を流す相手を選ぶのではなく、銀の行き先を見続ける」

 

「はい、兄上。それが最も重要です」

 

 家康が満足げに笑う。

 

「つまり、銀の流れを見て、相手の腹を読むのじゃな」

 

「その通りにございます」

 

「ならば、帳面じゃな」

 

 その一言で、俺の胃が痛くなった。

 

 また帳面だ。

 

 どうして全ての問題は最終的に帳面へ戻ってくるのか。

 

 *

 

 ここからは、正純の独壇場だった。

 

 国松が持ち込んだ覚書をもとに、正純は即座に具体的な台帳案へ落とし込み始める。

 

「名は、『銀出入并外国交易台帳』といたしましょう」

 

 正純は、筆を走らせながら項目を並べた。

 

「港名。年月日。船籍。国籍。商館名。船主。商人名。仲介者。輸出銀の量。対価として受け取る品。対価の分類。再輸出先の推定。相手国の戦乱関与度。商人の信用度。もたらされた情報の価値」

 

「銀の量だけでは足りませぬ」

 

 正純は淡々と続ける。

 

「何に変わったかを見ねば、意味がございませぬ」

 

「はい。銀が布や香辛料に変わるのと、火薬や傭兵代に変わるのでは、意味が全く違います」

 

 秀忠が眉をひそめた。

 

「商人が素直に書くと思うか」

 

「書かせる仕組みが必要にございます」

 

 正純は即答した。

 

「虚偽申告には罰。正確な報告には取引優先、あるいは関税の調整を。商人は利で動きます。ならば、公儀の帳面に正しく載った方が得になるようにすべきかと」

 

 俺は内心で頷いた。

 

 そう。

 

 商人は悪人ではない。

 

 利益に忠実なだけだ。

 

 だから、罰だけで押さえつければ必ず闇に潜る。

 

 正直に書いた方が得だ、と思わせなければならない。

 

 家康が、静かに言った。

 

「銀は止めるな。だが、野放しにもするな」

 

 全員が家康を見る。

 

「銀は血じゃ。血を流しすぎれば日ノ本が痩せる。だが、流さねば商いは死ぬ。ならば、どこへ流れ、何を持ち帰るかを、こちらで決める」

 

「はい」

 

「国松。お前の帳面に、また一つ項目が増えたな」

 

「増えました……」

 

「喜べ。天下を治めるとは、そういうことじゃ」

 

 喜べる要素がない。

 

 *

 

 銀の対価についても、方針を整理した。

 

 銀を出すなら、対価を絞る。

 

 贅沢品ではなく、日ノ本の力になるものへ寄せる。

 

 俺は、覚書の該当部分を読み上げた。

 

「優先すべきは、医学書、薬種、天文学や暦学の書、測量器具、望遠鏡、時計、造船技術、航海術、鉱山技術、治水・排水技術、火薬の安全管理知識、そして欧州情勢の情報にございます」

 

 正純が、すぐに補足を書き込む。

 

「警戒すべきは、武器そのもの、火薬そのもの、宗教書の大量持ち込み、宣教師の密入国、贅沢品ばかりの取引、偽情報、相場操作」

 

 崇伝が重々しく頷いた。

 

「この欧州の戦乱が宗門を火種とするならば、先日の禁教令の線引きは、なおさら重要になりますな」

 

「はい。信仰そのものではなく、信仰と外国勢力の政治・軍事が結びつくことを禁じる。この方針は間違っていないと思います」

 

「欧州の戦乱を見れば、諸大名にも理解しやすくなりましょう。宗門が国と結びついた時、どれほど大きな戦になるか」

 

 秀忠が、そこで静かに言った。

 

「だが、この話を諸大名に広く伝えるかは別だ」

 

 正純も同意する。

 

「三十年戦争などと告げれば、未来を知る者と受け取られます。危険にございます」

 

 竹千代が、落ち着いた声でまとめた。

 

「表向きは、欧州宗門諸国の争乱兆候。銀流出注意。港別登録強化。……その程度に留めるべきだ」

 

「はい、兄上。『三十年戦争』という名と規模は、この場の極秘にすべきです」

 

 未来名は危険だ。

 

 大名や商人に出せば混乱する。

 

 ローマ法王へ出せば、完全に説明不能になる。

 

 だから、表に出す言葉はあくまで、

 

『欧州宗門諸国の不穏』

 

『銀流出注意』

 

『港別登録強化』

 

 この程度でいい。

 

 *

 

 竹千代は、改めて指を折って整理した。

 

「つまり、やることは四つだな」

 

 家康が、面白そうに竹千代を見る。

 

「申してみよ」

 

「一つ。銀の流れを帳面に載せる」

 

 竹千代は、迷いなく続けた。

 

「二つ。特定の勢力に偏らせず、複数経路で分散する」

 

「三つ。銀の対価を、贅沢品ではなく、技術、書物、薬、情報へ寄せる」

 

「四つ。欧州戦乱の火種が日ノ本の宗門へ飛び火しないよう、禁教令の線を再確認する」

 

 俺は、思わず感心した。

 

 兄上、整理が速い。

 

 しかも、俺より政治的に言い換えるのが上手い。

 

 家康が、満足げに笑った。

 

「竹千代、よく見えておる」

 

 秀忠も、誇らしげに頷いた。

 

 竹千代は少し照れたように目を伏せたが、その横顔には、将来の為政者としての冷静さが宿っていた。

 

 家康は、最後に方針を下した。

 

「よし。銀を止めるな。だが、野放しにもするな」

 

 その声には、迷いがなかった。

 

「港別登録に銀の項目を加えよ。銀の量、相手、対価、情報、全てを記録する。南蛮、紅毛、唐船、琉球、朝鮮、経路は分散させる。武器と火薬の輸入管理は強める。技術書、薬種、望遠鏡、時計、造船、航海、鉱山、火薬の扱い、欧州の情報は優先して買え」

 

 そして、少しだけ声を落とす。

 

「ローマとの対話は続ける。だが、欧州の戦へ肩入れはせぬ。三十年戦争という名も、規模も、外へ出すな」

 

「ははっ」

 

 正純が深く頭を下げる。

 

 俺も、竹千代も、秀忠も、崇伝も、天海も続いた。

 

 こうして、徳川幕府の帳面に、また一つ新しい怪物が生まれた。

 

 銀の流れを記録する帳面。

 

 海の向こうの戦争と繋がる帳面。

 

 そして、俺の胃をまた一段深く削る帳面である。

 

 *

 

 小評定が終わった後。

 

 俺は、竹千代と並んで廊下を歩いていた。

 

 しばらく無言だったが、竹千代がふと口を開く。

 

「国松。大御所様の言葉に驚いたか」

 

「はい、兄上。欧州が三十年戦う話を聞いて、『悪くない』と言える胆力に、かなり引きました」

 

「私も少し引いた」

 

 兄上も引いたんだ。

 

 ちょっと安心した。

 

 だが、竹千代はすぐに真面目な顔に戻る。

 

「だが、理解はできる。止められぬ戦なら、そこから何を得るかを見る。あれが、戦国を終わらせた者の目なのだろう」

 

「私は……できれば、そういう目を一生持ちたくありません」

 

「ならば、お前は帳面で止めろ」

 

「え?」

 

「大御所様が、戦国の嗅覚で機を見て進むなら、お前は冷徹な数字を見て、公儀が足を踏み外さぬようにブレーキをかける。それがお前の役目だ」

 

 兄上は、さらっと俺の仕事を増やした。

 

 でも、たぶんその通りなのだ。

 

 家康が戦国の覇者として、火の中に利益を見出すなら。

 

 俺は現代人として、帳面で火の粉の飛ぶ方向を見続けなければならない。

 

 人の血を、ただの数字として扱わないために。

 

 銀の流れを、誰かの戦の燃料として無自覚に垂れ流さないために。

 

 俺は、見続けなければならない。

 

 *

 

 自室へ戻ると、机の上には、まだ白紙の帳面が何冊も積まれていた。

 

 俺は、その中から一冊を取り、表紙に筆を入れた。

 

『銀出入并外国交易台帳』

 

 もう一冊。

 

『欧州宗教戦乱関連情報控』

 

 さらに一冊。

 

『港別銀流出監査覚』

 

 書けば書くほど、胃が痛くなる題名ばかりだ。

 

 田んぼの水口の泥を、一生懸命直していたはずだった。

 

 それが米になり、蔵になり、蔵札になり、港別登録になり、ローマ法王との水鏡会談になり、ついには欧州の三十年戦争と銀の流れになってしまった。

 

 世界は繋がっている。

 

 その言葉は、本当に綺麗だ。

 

 でも、実務に落とすと、管理する帳面が無限に増えるだけの地獄になる。

 

 それでも、見ないわけにはいかない。

 

 見なければ、日本の銀は、誰かの戦を支える血みどろの燃料になるかもしれない。

 

 見れば、少なくとも、流れ方を少しは選べる。

 

 止められぬ火なら、せめてこちらの蔵と田を焼かせない。

 

 そして、可能なら、その熱で鍛冶をする。

 

 家康の言葉は、冷酷だった。

 

 だが、為政者としては、恐ろしく正しい。

 

 俺は深く息を吐き、筆を置いた。

 

 こうして、徳川幕府の帳面には、田んぼでも蔵でも城でも港でもなく、海の向こうの戦争へ流れる『銀の道』が、新たに書き加えられた。

 

 




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