暴君忠長に転生したので、兄上のために日本列島をメンテします 〜SFチートのはずが、田んぼと水路と寺社ノードの保守係なんですが〜 作:パラレル・ゲーマー
江戸城、小評定の間。
俺は、まだ墨の匂いが新しい数冊の帳面と覚書を抱え、畳の上に静かに置いた。
表紙には、俺の字でこう書いてある。
『欧州宗教戦乱および、銀流出注意覚書』
自分で書いておいてなんだが、見るからに嫌な題名だ。
旧正月明けだというのに、めでたさの欠片もない。
上座には家康。
その隣に秀忠。
少し下がって竹千代。
さらに、本多正純、崇伝、天海が控えている。
あまり広く聞かせるべき話ではないので、いつもの大きな評定ではなく、ごく限られた面子だけが集められた。
家康は、俺の前に置かれた帳面を見て、すぐに目を細めた。
「国松。また嫌な帳面を持ってきた顔じゃな」
「はい、大御所様。……かなり嫌な帳面にございます」
「旧正月が明けたばかりだというのに、今度は何じゃ」
秀忠が、やや疲れた顔で問う。
俺は一度、深く息を吸った。
「まだ起きてはおりませぬ。ですが、近く起きる可能性が高い話にございます」
竹千代が、静かにこちらを見た。
「未来の話か」
「はい、兄上。ただし、私の前世の知識だけではございませぬ。お里……八百比丘尼さんからも、強く警告を受けました」
家康の目が、わずかに鋭くなる。
「お里か」
「はい」
「……あの女がわざわざ警告したなら、笑い話では済まぬな」
場の空気が重くなる。
俺は、覚書の一枚目を開いた。
「大御所様。後の世の知識では、欧州にて一六一八年頃より、宗教対立を火種とする大規模な戦乱が起きます。後の世では、その戦はこう呼ばれておりました」
俺は、ゆっくりと言った。
「三十年戦争、と」
「三十年戦争……?」
家康が、低く繰り返す。
秀忠が眉をひそめた。
「三十年、戦が続くのか?」
「はい。後の世では、そうでした」
その一言で、小評定の間は水を打ったように静まり返った。
戦国を知る家康や、戦の気配を知る秀忠でさえ、三十年という言葉には重みを感じたのだろう。
竹千代も、静かに息を呑んでいた。
家康が問う。
「どこの戦じゃ」
「欧州の中心、神聖ローマ帝国と呼ばれる地域。主に独逸、つまりドイツ方面でございます。ただし、そこで終わりませぬ。カトリックとプロテスタントの宗教対立を火種としながら、やがてハプスブルク、フランス、スウェーデン、スペイン、オランダなど、周辺の大国が次々と絡み、宗教戦争という名の欧州全体の覇権争いへ変わっていきます」
俺は、そこで一度言葉を切った。
「ただし、私は専門家ではございませぬ。細かな戦場の推移や、講和の順序までは完全に知りませぬ。ですが、宗教対立から欧州全体の大戦乱へ広がり、長く泥沼化したことは覚えております」
崇伝が、ゆっくりと息を吐いた。
「宗教対立が、国々を巻き込む大戦になる……」
天海も、目を伏せる。
「人を救うはずの宗門が、国を焼く火種となる。何とも、業の深い話にございますな」
秀忠は、旧正月の席で示した禁教令の方針を思い出したのだろう。
「つまり、我らが恐れていた『信仰と外国の軍事・政治が結びつく』という事態が、欧州では大規模に起こるということか」
「はい。まさに、それにございます」
俺は素直に頭を下げた。
「これについては、私の迂闊にございました。ローマとの線引き、港別登録、技術交流ばかりを見ており、その先にある欧州情勢を軽く見すぎておりました」
竹千代が静かに言う。
「国松一人で、世界中の年表を背負えるわけではない」
「兄上……」
優しい。
兄上は、本当に優しい。
だが、その言葉で仕事が減るわけではない。
本多正純が、実務家らしく問いを挟んだ。
「その戦は、日ノ本へ直接及ぶものにございますか」
「欧州の軍船が、直接日ノ本を攻めに来る可能性は低いと思われます。ですが、交易には確実に影響します」
「港、船、銀、火薬、商人、商館の信用……」
「はい。特に問題なのは、銀にございます」
俺は、覚書の次の頁を開いた。
*
「大御所様。私が最も恐れているのは、日本の銀でございます」
「銀か」
家康の声が低くなる。
「はい。日ノ本は銀を産します。交易を続ければ、銀は必ず外へ流れます。欧州が戦乱に入れば、その銀は、武器、火薬、船、傭兵、同盟、借金へと変わります」
正純が、即座に理解したように頷いた。
「銀は、商いの銭であると同時に、戦の兵糧でもあるということか」
「はい。米が日ノ本の戦を支えるように、銀は海の向こうの戦を支える可能性がございます」
家康が目を細めた。
「日ノ本の米は兵を養う。欧州の銀は兵を雇う、か」
「まさに、そのようなものにございます」
俺はさらに続けた。
「先の港別登録制度によって、長崎、平戸、堺・大坂、博多、対馬、薩摩・琉球、江戸、それぞれの港の役割は帳面に載り始めました。これは大きな前進です。しかし同時に、公儀がどこへどれだけ銀を流すかを、ある程度左右できるようになるということでもあります」
秀忠の表情が重くなる。
竹千代も、黙って俺の話を聞いている。
「私たちは欧州の戦に参加するつもりなどございませぬ。ですが、銀を流すことで、結果として特定の勢力を支えることになるかもしれませぬ」
崇伝が低く呟いた。
「武器を渡さずとも、銀を渡せば武器に変わる」
天海が静かに目を閉じた。
「縁とは恐ろしいものにございますな。海を越えた銭が、遠き国の血に変わるとは」
俺も同じ気持ちだった。
江戸で田んぼの水口を見ていたはずなのに、いつの間にか欧州の戦争資金の心配をしている。
世界は繋がっている。
その言葉は、物語としては綺麗だ。
だが、末端の行政担当者にとっては、管理すべき帳面が無限に増えるという意味でしかない。
*
しばらく、誰も口を開かなかった。
家康は、覚書をじっと見つめていた。
やがて、ぽつりと呟く。
「三十年か」
その声は、妙に静かだった。
「日ノ本でも、戦国の世は長かった。だが、一つの大きな戦が三十年燃え続けるとなれば、民も田も町も、ただでは済むまい」
「はい。後の世の知識では、欧州の一部地域では人口も土地も大きく疲弊したと聞きます」
「うむ」
家康は、ゆっくりと頷いた。
「なるほど。日ノ本では考えられぬ規模じゃな」
そして。
家康は、ふっと笑った。
「だが、悪くない」
「ええ……?」
俺の声が、完全に素で漏れた。
秀忠も、竹千代も、思わず家康を見る。
いや、今、悪くないって言った?
三十年戦争の話を聞いて?
欧州全体の泥沼の話を聞いて?
悪くないって言った?
家康は、俺たち三人の視線を見て、苦笑した。
「そんな目で見るな、国松、秀忠、竹千代」
「父上……欧州の凄惨な戦を、利用するかのような言い方は……」
秀忠が、常識人として諫める。
だが、家康の目は、戦国を生き抜いた天下人のものになっていた。
「世界の列強どもが、宗門と王家の面子で泥沼の戦をする。日ノ本は、その火の粉を受けぬよう離れておる。ならば、巻き込まれぬ範囲で銀を流し、代わりに知識と技術を搾り取る」
家康の声は、冷たいほど澄んでいた。
「奴らが三十年も戦うなら、三十年疲れ続けるということじゃ。その間に、我らは海を閉じきらず、しかし帳面で縛り、銀を無駄に流さず、書物、薬、測量、時計、造船、航海術、鉱山、硝石、火薬の扱い……そうしたものを買い集める」
正純の目が鋭くなる。
家康は続けた。
「そして三十年後。疲弊した欧州を相手に、日ノ本は、米も銀も人も技術も整えた国として商いをする。……悪くない絵図ではないか?」
俺は、内心で戦慄した。
大御所様……流石、戦国時代の天下人……!
俺が見ていたのは、ただのリスクだ。
欧州の戦争。
銀の流出。
巻き込まれ。
宗教と政治の結合。
だが家康が見ているのは、リスクの向こう側にある巨大な交渉余地と国家の利益だ。
危機報告をしたら、即座に「敵が勝手に消耗するなら、それを利用して強くなれ」と変換した。
クレバーすぎる。
そして、怖すぎる。
秀忠が、なおも低く言った。
「父上。欧州の戦を望むわけではございますまい」
「望んではおらぬ」
家康は即座に答えた。
「止められぬ火ならば、こちらの蔵と田を焼かれぬようにし、その熱で鍛冶をするだけよ」
その言葉に、誰もすぐには反論できなかった。
*
俺は、慌てて釘を刺すことにした。
「大御所様。銀を意図的に流して、欧州の戦を長引かせるような政治工作は、絶対に避けるべきにございます」
「分かっておる」
「本当ですか?」
「本当じゃ。国松、わしを何だと思っておる」
戦国時代の覇者です。
とは、口が裂けても言えない。
家康は、俺の顔を見て笑った。
「戦を煽る必要はない。むしろ、片側に肩入れしすぎれば、後で恨みを買う。日ノ本の銀が欧州の戦を決めたと知られれば、面倒な火種となろう」
正純も頷く。
「ゆえに、銀の流れは一つに絞らず、多路に分けるべきにございます。南蛮、紅毛、唐船、琉球、朝鮮。複数の経路で流れを分散させ、どこか一国の戦費を支える形にはしない方がよろしいかと」
「はい。私も同じ考えです」
俺は深く頷いた。
「大事なのは、銀を武器として振り回すことではなく、銀がどこへ流れ、何に変わったかを見続けることにございます」
竹千代が口を開いた。
「銀を流す相手を選ぶのではなく、銀の行き先を見続ける」
「はい、兄上。それが最も重要です」
家康が満足げに笑う。
「つまり、銀の流れを見て、相手の腹を読むのじゃな」
「その通りにございます」
「ならば、帳面じゃな」
その一言で、俺の胃が痛くなった。
また帳面だ。
どうして全ての問題は最終的に帳面へ戻ってくるのか。
*
ここからは、正純の独壇場だった。
国松が持ち込んだ覚書をもとに、正純は即座に具体的な台帳案へ落とし込み始める。
「名は、『銀出入并外国交易台帳』といたしましょう」
正純は、筆を走らせながら項目を並べた。
「港名。年月日。船籍。国籍。商館名。船主。商人名。仲介者。輸出銀の量。対価として受け取る品。対価の分類。再輸出先の推定。相手国の戦乱関与度。商人の信用度。もたらされた情報の価値」
「銀の量だけでは足りませぬ」
正純は淡々と続ける。
「何に変わったかを見ねば、意味がございませぬ」
「はい。銀が布や香辛料に変わるのと、火薬や傭兵代に変わるのでは、意味が全く違います」
秀忠が眉をひそめた。
「商人が素直に書くと思うか」
「書かせる仕組みが必要にございます」
正純は即答した。
「虚偽申告には罰。正確な報告には取引優先、あるいは関税の調整を。商人は利で動きます。ならば、公儀の帳面に正しく載った方が得になるようにすべきかと」
俺は内心で頷いた。
そう。
商人は悪人ではない。
利益に忠実なだけだ。
だから、罰だけで押さえつければ必ず闇に潜る。
正直に書いた方が得だ、と思わせなければならない。
家康が、静かに言った。
「銀は止めるな。だが、野放しにもするな」
全員が家康を見る。
「銀は血じゃ。血を流しすぎれば日ノ本が痩せる。だが、流さねば商いは死ぬ。ならば、どこへ流れ、何を持ち帰るかを、こちらで決める」
「はい」
「国松。お前の帳面に、また一つ項目が増えたな」
「増えました……」
「喜べ。天下を治めるとは、そういうことじゃ」
喜べる要素がない。
*
銀の対価についても、方針を整理した。
銀を出すなら、対価を絞る。
贅沢品ではなく、日ノ本の力になるものへ寄せる。
俺は、覚書の該当部分を読み上げた。
「優先すべきは、医学書、薬種、天文学や暦学の書、測量器具、望遠鏡、時計、造船技術、航海術、鉱山技術、治水・排水技術、火薬の安全管理知識、そして欧州情勢の情報にございます」
正純が、すぐに補足を書き込む。
「警戒すべきは、武器そのもの、火薬そのもの、宗教書の大量持ち込み、宣教師の密入国、贅沢品ばかりの取引、偽情報、相場操作」
崇伝が重々しく頷いた。
「この欧州の戦乱が宗門を火種とするならば、先日の禁教令の線引きは、なおさら重要になりますな」
「はい。信仰そのものではなく、信仰と外国勢力の政治・軍事が結びつくことを禁じる。この方針は間違っていないと思います」
「欧州の戦乱を見れば、諸大名にも理解しやすくなりましょう。宗門が国と結びついた時、どれほど大きな戦になるか」
秀忠が、そこで静かに言った。
「だが、この話を諸大名に広く伝えるかは別だ」
正純も同意する。
「三十年戦争などと告げれば、未来を知る者と受け取られます。危険にございます」
竹千代が、落ち着いた声でまとめた。
「表向きは、欧州宗門諸国の争乱兆候。銀流出注意。港別登録強化。……その程度に留めるべきだ」
「はい、兄上。『三十年戦争』という名と規模は、この場の極秘にすべきです」
未来名は危険だ。
大名や商人に出せば混乱する。
ローマ法王へ出せば、完全に説明不能になる。
だから、表に出す言葉はあくまで、
『欧州宗門諸国の不穏』
『銀流出注意』
『港別登録強化』
この程度でいい。
*
竹千代は、改めて指を折って整理した。
「つまり、やることは四つだな」
家康が、面白そうに竹千代を見る。
「申してみよ」
「一つ。銀の流れを帳面に載せる」
竹千代は、迷いなく続けた。
「二つ。特定の勢力に偏らせず、複数経路で分散する」
「三つ。銀の対価を、贅沢品ではなく、技術、書物、薬、情報へ寄せる」
「四つ。欧州戦乱の火種が日ノ本の宗門へ飛び火しないよう、禁教令の線を再確認する」
俺は、思わず感心した。
兄上、整理が速い。
しかも、俺より政治的に言い換えるのが上手い。
家康が、満足げに笑った。
「竹千代、よく見えておる」
秀忠も、誇らしげに頷いた。
竹千代は少し照れたように目を伏せたが、その横顔には、将来の為政者としての冷静さが宿っていた。
家康は、最後に方針を下した。
「よし。銀を止めるな。だが、野放しにもするな」
その声には、迷いがなかった。
「港別登録に銀の項目を加えよ。銀の量、相手、対価、情報、全てを記録する。南蛮、紅毛、唐船、琉球、朝鮮、経路は分散させる。武器と火薬の輸入管理は強める。技術書、薬種、望遠鏡、時計、造船、航海、鉱山、火薬の扱い、欧州の情報は優先して買え」
そして、少しだけ声を落とす。
「ローマとの対話は続ける。だが、欧州の戦へ肩入れはせぬ。三十年戦争という名も、規模も、外へ出すな」
「ははっ」
正純が深く頭を下げる。
俺も、竹千代も、秀忠も、崇伝も、天海も続いた。
こうして、徳川幕府の帳面に、また一つ新しい怪物が生まれた。
銀の流れを記録する帳面。
海の向こうの戦争と繋がる帳面。
そして、俺の胃をまた一段深く削る帳面である。
*
小評定が終わった後。
俺は、竹千代と並んで廊下を歩いていた。
しばらく無言だったが、竹千代がふと口を開く。
「国松。大御所様の言葉に驚いたか」
「はい、兄上。欧州が三十年戦う話を聞いて、『悪くない』と言える胆力に、かなり引きました」
「私も少し引いた」
兄上も引いたんだ。
ちょっと安心した。
だが、竹千代はすぐに真面目な顔に戻る。
「だが、理解はできる。止められぬ戦なら、そこから何を得るかを見る。あれが、戦国を終わらせた者の目なのだろう」
「私は……できれば、そういう目を一生持ちたくありません」
「ならば、お前は帳面で止めろ」
「え?」
「大御所様が、戦国の嗅覚で機を見て進むなら、お前は冷徹な数字を見て、公儀が足を踏み外さぬようにブレーキをかける。それがお前の役目だ」
兄上は、さらっと俺の仕事を増やした。
でも、たぶんその通りなのだ。
家康が戦国の覇者として、火の中に利益を見出すなら。
俺は現代人として、帳面で火の粉の飛ぶ方向を見続けなければならない。
人の血を、ただの数字として扱わないために。
銀の流れを、誰かの戦の燃料として無自覚に垂れ流さないために。
俺は、見続けなければならない。
*
自室へ戻ると、机の上には、まだ白紙の帳面が何冊も積まれていた。
俺は、その中から一冊を取り、表紙に筆を入れた。
『銀出入并外国交易台帳』
もう一冊。
『欧州宗教戦乱関連情報控』
さらに一冊。
『港別銀流出監査覚』
書けば書くほど、胃が痛くなる題名ばかりだ。
田んぼの水口の泥を、一生懸命直していたはずだった。
それが米になり、蔵になり、蔵札になり、港別登録になり、ローマ法王との水鏡会談になり、ついには欧州の三十年戦争と銀の流れになってしまった。
世界は繋がっている。
その言葉は、本当に綺麗だ。
でも、実務に落とすと、管理する帳面が無限に増えるだけの地獄になる。
それでも、見ないわけにはいかない。
見なければ、日本の銀は、誰かの戦を支える血みどろの燃料になるかもしれない。
見れば、少なくとも、流れ方を少しは選べる。
止められぬ火なら、せめてこちらの蔵と田を焼かせない。
そして、可能なら、その熱で鍛冶をする。
家康の言葉は、冷酷だった。
だが、為政者としては、恐ろしく正しい。
俺は深く息を吐き、筆を置いた。
こうして、徳川幕府の帳面には、田んぼでも蔵でも城でも港でもなく、海の向こうの戦争へ流れる『銀の道』が、新たに書き加えられた。
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