暴君忠長に転生したので、兄上のために日本列島をメンテします 〜SFチートのはずが、田んぼと水路と寺社ノードの保守係なんですが〜 作:パラレル・ゲーマー
江戸城の勘定方詰所には、今日も『銀出入并外国交易台帳』に関連する報告書が、全国の港から山のように届いていた。
その書類の海の中で、俺と本多正純が血走った目で筆を走らせていると、長崎奉行からの「大至急」の付箋が貼られた書状が目に留まった。
俺は、その内容を読んで、机に突っ伏した。
「……来た。絶対に来ると思ってた。いや、むしろ今までこの問題が顕在化しなかったのが、奇跡みたいなもんだ」
「国松様、いかがされましたか」
正純が怪訝そうに問う。俺は、長崎の通詞と役人が泣きながら書いたであろう、その悲鳴のような書状を読み上げた。
『南蛮商人より、医学書・薬草書・天文学書・暦学書として提出された書物の中に。……神学的記述、聖書の引用、および修道会による注釈と思われる文言が、多数見受けられます』
『これらを全て宗教書として禁じれば、公儀が求める医学・天文学・測量の最新の知識が入ってきませぬ』
『しかし、安易に通せば、禁教令に反する南蛮宗門書の流入を許す恐れがございます』
『現場では白黒の判断不能につき、至急、江戸の裁定を願います』
「知識は欲しい。でも布教は絶対に駄目」
俺は、深い深いため息をついた。
「……そんな都合のいい一線を、現場の役人に丸投げしたら、そりゃこうなりますよ」
長崎の通詞たちの具体的な悲鳴は、さらに切実だった。
『この書は、確かに薬草の効能を書いておりますが……冒頭の序文で、神への壮大な賛美を述べております』
『この天文学書は、星の運行を緻密に論じておりますが……途中で、神の定めた完全なる秩序について熱く語っております』
『この医学書は、人体の仕組みを解剖図付きで論じておりますが……魂の在り方に深く触れております』
『……これが学問なのか、宗教なのか。もはや我らには分かりませぬ!』
「長崎の通詞さん、現場で完全に泣いてるじゃないですか……」
「泣いてもらっても、公儀として明確な判断の基準は必要にございます」
正純は、一切の同情を見せずに淡々と答えた。
「正純殿、本当に容赦がない……!」
俺たちは、その長崎からの書状を持ち、家康、秀忠、竹千代、崇伝、天海が集まる小評定へと向かった。
*
「うーむ。……一律で禁書扱いは難しい、か」
家康が、長崎からの報告書を見ながら低く唸った。
「宗門の教えに少しでも触れているのなら。……全て禁じて焼き捨てる方が、国の安全のためではないのか」
秀忠が、将軍としての治安の観点から当然の疑問を呈する。
法と禁教令を司る崇伝も、その言葉に一瞬だけ深く頷きかけた。
しかし、宗教と民の安寧を見る天海が、静かに、だが重く口を開いた。
「されど、秀忠公。……神仏の名が一つでもあれば全てを邪法として禁じてしまえば。……異国が持つ最新の薬、暦、天文、測量といった、国を豊かにする『知』の道まで、全て閉ざされてしまいましょうぞ」
竹千代が、冷静に俺の方を見た。
「国松。……現場で、純粋な医学書と、布教のための宗教書を区別できなければ、公儀が最も欲している知識が入ってこないのではないか」
「はい、兄上。……まさに、そこが一番厄介な問題なのです」
俺は、一人称を「私」に切り替え、評定の場へ向けて説明を始めた。
「大御所様。この時代の欧州の書物は……後の世の感覚のように、『医学』『天文学』『神学』『哲学』が、それぞれ完全に切り離されているわけではないのです」
大学という学問体系の中に、教会の『神学』が強力な背骨として組み込まれている。
だからこそ、純粋な医学書や天文学書であっても、その序文に神への感謝が綴られ、聖書的世界観への言及があり、教会の検閲や修道会の注釈が入り込んでいることが多々あるのだ。
「もちろん、露骨な洗礼の勧めや、聖像礼拝、宣教師を育てるための教育書ならば、完全に『黒』として禁ずるべきです」
「ですが。医学書や天文学書の序文に、『神への言及』があるというただそれだけの理由で全てを黒にしてしまえば……我々は、欧州の学問のほとんどを、この日ノ本へ入れることができなくなります」
「……つまり。白でも黒でもない、『灰色』の書が山のようにあるということか」
秀忠が、厄介そうに眉を寄せた。
「はい。灰色です」
「法において、灰色を許せば、必ずそこに宗門の毒が入り込むぞ」
崇伝が鋭く警告する。
「ですが。灰色を全て焼き捨てれば、公儀に不可欠な知識が入りません」
俺が反論する。
白か、黒か。
この問題に対して、評定の場は完全に詰まってしまった。
*
『はいはい、ちょっと補足してあげるわ』
俺の視界の端に、KAMI様がひょっこりと現れた。
(今ですか)
『この時代の欧州の学問体系はね。現代みたいに、科学と宗教がきっぱり別れているわけじゃないの。ざっくり言うと、学問全体が、かなり明確な『ピラミッド構造』になっていたのよ』
(ピラミッド構造?)
『そう。一番上、頂点にあるのが『神学』。聖書解釈、教義、神の秩序を扱う、最高位の学問ね』
『その一段下に、『法学』や『医学』。これは社会を直接動かす専門職のための、重要な実学』
『さらにその下に、『自然哲学』や『自由学芸』がある。天文学、数学、物理的な自然観察、論理、修辞、音楽、幾何学なんかね』
(つまり。医学や自然哲学の土台にも、常に一番上の『神学』の影響が色濃くあるのが普通ってことですか?)
『その通り。この時代、学問っていうのは「神の作った世界を正しく理解するための手段」という強固な枠組みの中にあるの。……だから、天文学書に神の秩序が出てくるし、医学書に魂の在り方や創造の神秘の話が当然のように混じる』
『でも。だからといって、それを即座に『布教のための教本』扱いして燃やすのは、知識への理解が浅すぎるわ』
(なるほど……)
KAMI様は、さらに厄介な時代背景を付け加えた。
『ちなみに、史実の歴史では。この今年、一六一六年は、ガリレオ・ガリレイと『地動説』をめぐる、極めて重要な年でもあるわ』
『地動説がローマ教皇庁から強く警戒され、自然の法則を、聖書の解釈から『どう切り離すか』という議論と対立が、これから激しく加速していくの』
『……要するにね。科学が宗教から自立しようともがいている、巨大な『転換期』のど真ん中に……あんたたちは今、西洋の知識を輸入しようとしているわけ』
(最悪のタイミングじゃないですか!!)
俺は内心で頭を抱えた。
(ただでさえ三十年戦争前夜で、宗教と政治が泥沼で燃え始めてて。科学と神学の線引きもグラグラに揺れてる時期。……そこへ極東の日本が、「すみませーん、医学書の実用部分だけください! 布教の思想は一切いりません!」って、無茶な要求をしてるのか!)
(そりゃ、長崎の現場の通詞も泣くわ!!)
『以上、歴史と学問の補足終了!』
(軽い! 内容が重すぎるのに、ノリが軽い!)
*
俺は、KAMI様の補足を踏まえて、大御所様たちへ改めて説明した。
「大御所様。……おそらく、この時代の欧州においては、『神学』が学問全体に極めて強く関わっております。医学、天文学、自然哲学の書物であっても、その中に神の秩序や聖書解釈に触れる文章が混じることは、彼らにとってごく『当たり前』のことのようです」
「つまり。神の名が一言出たからといって、すぐさま禁書として燃やすわけにはいかぬか」
家康が理解を示す。
「はい。露骨な布教書とは、明確に区別すべきです」
「だが、布教書を『これは医学書です』と巧妙に偽って持ち込む者も、必ず出るぞ」
秀忠が警戒する。
「はい。だからこそ……白でも黒でもない『灰色区分』を公式に設け。現場の港ではなく、この江戸で、慎重に判定する必要があるのです」
俺は、三分類の案を提示した。
【白】
公儀が輸入を許可する書物。
医学書、薬草書、外科・疫病対策、天文学・暦学、測量、航海術、造船、鉱山技術、火薬安全管理、数学。自然哲学のうち、宗教性が薄いもの。
【黒】
即座に禁書扱いとするもの。
教義問答、洗礼指導書、宣教師教育書、布教用の聖画像付き冊子、聖人伝を通じた信仰拡大目的の本、修道会の内部指導書、日本人信徒向けの教理書、公儀批判や殉教煽動につながる危険文書。
【灰】
江戸へ送り、判定を『保留』するもの。
医学や天文学が主題だが、神学的な長い序文がある。自然哲学と神学が混ざっている。暦学と聖書解釈が絡む。大学の講義録。著者が聖職者だが内容は実学。注釈に布教的文言があるが本文は有用。逆に、表向きは学問書だが、裏に布教目的が隠されている可能性があるもの。
「白は入れる。黒は港で止める。……そして、灰色は全て江戸へ送り、判定する。これしかないかと存じます」
*
家康が、俺の顔をじっと見た。
「……では。その灰色の本は、国松。お前が一人で判定するでよいのか?」
「ええええええええ!?」
俺は、思わず評定の場であることを忘れて、素の悲鳴を上げた。
「わ、私、これ以上仕事が増えたら過労死するんですが!?」
「だが、お前はその不思議な『端末』とやらで、中身を分類できるのだろう」
竹千代が、無慈悲に指摘する。
「できることと、私がそれを『やっていいこと』は、全く違います、兄上!」
『まあ、一応端末のチラ見でシステム判定はできるから、あんた個人の負担はそこまでじゃないわよ?』
(なら良いのでは……いや待て)
『ただし。あんたが過労で死んだあと、残された日本の制度が完全にストップして困るだけね』
(それが一番駄目じゃないですか!)
俺は、咳払いをして、外向きの真面目な顔に戻った。
「大御所様。私個人が一人で判定する形は、絶対に避けるべきにございます」
「なぜじゃ」
「第一に、私が病に倒れれば、この国の知識輸入の制度が全て倒れます。第二に、私の判断だけで禁書を決めてしまえば、諸外国の商人やローマから見て、極めて『恣意的』で不公平に見えます。そして第三に……現場の通詞や、日本の学者が育ちませぬ」
正純が、深く頷いた。
「……国松様の御目に頼れば、確かに速い。ですが、それでは国家の『制度』として残りませぬな」
「はい。これは一時の検分ではなく、今後何十年も続く、日ノ本の知識輸入の確固たる仕組みにすべきです」
家康は、満足そうにフッと笑った。
「……ほう。己の不思議な力を使わず、あえて『制度』にして残すか」
「私個人の力に頼りすぎれば。……後世の人間が、必ず死にます」
俺は断言した。
*
俺は、そのための具体的な制度として、『五人の判定者』による多数決を提案した。
「五人の立場の違う判定者を立て、多数決で白・灰・黒を決めるのがよいかと存じます」
一、徳川公儀側の『実務』判定者。
正純配下の役人。公儀の法に反しないか、港別登録との整合性などを見る。
二、『実学』の判定者。
医学・天文・測量の内容が日本にとって有用かを判定する。医師、薬師、暦に通じた僧などを暫定的に置く。
三、崇伝系の『宗門監視』判定者。
布教目的が隠されていないか、禁教令違反に当たらないかを厳しくチェックする。
四、天海系の『宗教・民心』判定者。
日本側の寺社や神仏との摩擦が起きないか、妖術扱いによる混乱を避けるための視点を持つ。
五、ローマ側の判定者。
俺が五つ目を挙げた時、座敷がざわついた。
「ローマ法王庁、またはローマ側が推薦する、神学と書物に通じた判定者を、この五人の中に入れます」
「いきなり江戸に常駐させるのは難しいでしょう。最初は、マカオや長崎経由の書簡、あるいは水鏡の通信を利用し、ローマ側に『これは教義の教本か、それとも純粋な学術書か』を答えさせる役目を担わせます」
竹千代が、その政治的意図を即座に理解した。
「……なるほど。ローマ自身にも判定の場に参加させることで。こちらが一方的に難癖をつけて禁書狩りをしているのではなく、厳格性と透明性を確保するということだな」
「はい、兄上。……ただし、ローマ側の判定だけで無条件に通すわけではありません。最終的な輸入許可の権限は、あくまで徳川公儀が持ちます」
「ローマの者が白と言っても、公儀が危ういと見れば止めるのだな」
崇伝が確認する。
「はい。ですが、ローマ側を最初から完全に排除してしまえば、後で『徳川は、我らの学問の書まで、無知ゆえに宗教書扱いして全て焼き捨てた』と、国際的な非難を浴びて揉める火種になります」
「敵に見える相手にも、あえて判定の場と面子を与えることで、かえってこちらの裁きの正当性を強くするのですな」
天海が、感心したように頷く。
「……悪くない」
家康が、最終的な決断を下した。
*
この新たな制度の正式名称は、『
白黒だけじゃなく灰色まで細かく管理する部署。
名前を付けるなら『南蛮書籍白黒灰色改』だ。
……絶対に正式名称にはできないけど。
具体的な運用はこうだ。
長崎、平戸、堺大坂で見つかった外国書物は、まず現場で仮分類を行う。
明らかな「白」は、写しを江戸へ送り、原本は検分後に輸入・流通を許可。
明らかな「黒」は、現場で燃やして騒ぎにせず、厳重に封印して江戸へ送る。
判断に迷う「灰色」は、必ず江戸へ送る。
江戸に集められた灰色本は、五人で判定。
許可された本であっても、原本の保管と、一般に利用させる『
宗教的な序文や危険な注釈は、原本として江戸で厳重に保管するが、日本の学者に読ませる一般利用の抄訳には、その部分は一切載せない。
「……また、新しい帳面が増えた……」
俺は、新しく作ることになった『南蛮書物出入并判定控』の分厚い様式を見て、絶望の声を漏らした。
「国松様。必要な帳面にございます」
正純が淡々と言う。
「知ってます!!」
*
即座に、江戸から長崎へ返答の書状が出された。
『医学・天文学・暦学・測量・薬学に関わる書物であっても、当時の風習として神学的文言が含まれる場合がある。よって、神の名が序文にあるだけで、即座に全てを禁書とはしない』
『ただし、洗礼・教義問答・布教・殉教礼賛・日本国内での信徒拡大に直接関わる内容は、厳しく禁ずる』
『判断不能の灰色の書物は、現場で勝手に処分せず、封印して江戸へ送ること』
『今後、江戸の南蛮書物御改にて、白・灰・黒を正式に判定する』
この通達を受け取った長崎の現場は、「現場で全部の責任を負って決めなくてよい」と、心底安堵して泣いて喜んだという。
……ただし、同時に「江戸へ送るための梱包と、書物の荷送りの仕事がまた増える」と、別の意味でも泣いていたらしいが。
(現場の負担を減らしたはずなのに、結局荷物と帳面が増える。……でも、無知ゆえに現場で貴重な医学書を全部燃やされるよりは、百倍マシだ)
*
書物の判定制度についての議論が一段落した後。
家康が、ふと、思いついたように口を開いた。
「国松。……この前の、三十年戦争の話の続きなのじゃが」
「……はい」
「この江戸を。……『知の蓄積地』にできぬか」
俺は、目を丸くした。
「知の蓄積地、ですか」
「ローマが、世界の知の一角を強力に握っておることは分かった。欧州には大学があり、膨大な書物があり、医者や天文の学者がおる。……だが、明には明の膨大な書があり、朝鮮には朝鮮の学があり、琉球や南方にも、それぞれその土地の知があろう」
家康は、天下人としての壮大な構想を語り始めた。
「ならば。この江戸も、ただ南蛮から品物を買うだけでは足りぬ。様々な土地の知識を、公儀の帳面で管理し、写しを作り、翻訳し、一箇所に集める場所にできぬか」
「つまり。……江戸に、巨大な『知識の蔵』を作るということですか」
秀忠が、驚きを持って問う。
「そうじゃ。米の蔵があり、銀の台帳があり、港の帳面がある。ならば、国を支える『知の蔵』も要る」
ついに来た……!
図書館だ!
いや、ただの図書館じゃない。
公儀が完全に管理する、翻訳センター兼、検閲機関兼、国立研究所兼、公文書館だ!
……業務量が、確実に地獄になるやつだ!
「これからは、ただ刀を振るう強さではなく、学問が国を強くするということですね」
竹千代が、深く納得したように言う。
「戦が減れば、刀だけでは国は強くならぬ。治水、医術、測量、暦、船、鉱山、火薬の扱い、そして農具の改良。……すべてに、最先端の『知』が要る」
「……良い構想だと思います。帳簿の管理は地獄ですけど」
俺が正直に答えると、家康はカラハハと笑った。
「地獄の帳面管理なら、お前の得意分野じゃろう」
「得意と好きは違います!!」
*
この新たな施設の正式名称は、『
俺は内心で、分かりやすく『
江戸知庫の役割は多岐にわたる。
外国書物の原本の厳重な保管。
抄訳の作成。
医学・天文・測量・農政などのジャンルごとの分類。
危険な宗教文書の封印。
通詞と翻訳者の育成。
……そして、京から来た『公家文書御用』の公家たちの文書能力のフル活用と、江戸へ押し寄せてきた三男四男五男たちへの、写本・清書訓練の場。
「これは、ただ本を集めて並べるだけでは駄目です。分類、目録の作成、写本、翻訳、外部への貸出制限、閲覧資格の審査、危険文書の封印。……全部のルールが必要になります」
「つまり。……また『台帳』ですな」
正純が、俺を見る。
「そうです。また、信じられない量の台帳です」
書物入庫台帳。
翻訳進行台帳。
抄訳利用台帳。
禁書封印台帳。
医学薬学分類台帳。
貸出閲覧者台帳。
知識を集める。聞こえは素晴らしいが、実態は、俺が管理する帳面が一気に七冊以上増えるということだ。
*
最後に、ローマ側を判定者として引き込む手口について、家康が確認した。
「ローマの判定者を五人の内に入れるとして。向こうは、こちらの言うことを素直に聞くか」
「おそらく。……彼らは、聞かざるを得ません」
俺は断言した。
「ローマは、日本との対話窓口を絶対に失いたくないはずです。禁教令下であっても、技術交流と貿易の窓口は残っています。彼らが判定に参加すれば、純粋な医学書や天文学書までが『宗教書』として完全に禁じられてしまう事態を、自ら防ぐことができます」
「逆に参加しなければ。……公儀が独自判断で、彼らの学問の全てを禁書扱いにできてしまう。ローマとしても、布教書と学術書を明確に区別させる方が、結果的に彼らの利益になります」
「なるほど。ローマに一定の利を与えつつ、こちらの法の内側へと引き込むわけですな」
崇伝が、見事な手法だと頷く。
「刃を交えるより、文書の卓につかせる。悪くありませぬ」
天海も同意した。
「よし。ローマには、次回の水鏡、または長崎経由の書簡で問う。『日ノ本のため、布教書と学術書の判定に協力せよ』とな」
家康が、ニヤリと笑って決裁した。
ローマ法王に禁教令を一方的に伝えた次は、『うちの書物判定の手伝いをしろ』と来たか。
……ローマ側も、こんな無茶苦茶な要求をされて胃が痛いだろうな。
でも、こっちの胃も痛いから、お互い様だ。
*
俺は自室に戻り、真新しい帳面の表紙に、筆で文字を書き込んだ。
『南蛮書物御改帳』
『公儀御書物蔵入庫控』
『医学薬種抄訳控』
『禁書封印控』
田んぼの水口の泥を直していたはずだった。
それが、村の水札になり、蔵の米札になり、港の銀台帳になり……ついには、世界の知識を集める南蛮書物の白黒灰色判定まで来てしまった。
米を集めれば、蔵が要る。
銀を扱えば、台帳が要る。
そして。……膨大な知識を集めれば、もっと面倒な『知の蔵』が要る。
知識は、米や銀と違って腐らないと思っていた。
でも、違う。知識もまた、時代や扱い方を間違えれば、国を滅ぼす猛毒になる。
だから。知識にもまた、厳格な蔵番と、正確な帳面が絶対に要るのだ。
こうして江戸に、米でも銀でも武器でもなく。
世界中の知識を封じ、選び、写し、蓄えるための、新しい巨大な蔵が生まれた。名を、『公儀御書物蔵』という。
……俺の睡眠時間を削る仕事が、また一つ、増えたのだった。
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