暴君忠長に転生したので、兄上のために日本列島をメンテします 〜SFチートのはずが、田んぼと水路と寺社ノードの保守係なんですが〜 作:パラレル・ゲーマー
江戸城、御異物改方の薄暗い自室。
俺は、今にも崩れ落ちそうな帳面の山に囲まれながら、血走った目で筆を動かし続けていた。
『天文観測記録・全国統一様式案』
『公儀御書物蔵・南蛮書物分類仮目録』
『諸国公儀米蔵・応急床上げ改築手配』
京の朝廷から、星の観測を見届けるための公家衆が向かってきている。
その受け入れ準備と、南蛮書物の灰色の検閲。
おまけに、夏に向けての米の蔵不足問題。
どれか一つでも国家の一大事業なのに、なんで全部同時に俺の机の上へ降ってくるんだよ。
限界を迎えた胃を押さえながら、ふぅと息を吐き出したその時だった。
長崎奉行所からの書状を携えた若い役人が、奇妙な形状の木箱を抱えて部屋に入ってきた。
「国松様。長崎より、至急の検分を要する品が届いております」
「……また、ろくでもないものですか」
俺は筆を置き、どんぐりのように重い頭を上げた。
役人は、木箱を机の上にそっと置き、気味悪そうに一歩後ずさった。
「長崎の南蛮商人が、絵師や学者が用いる『風景を切り取る箱』として所持していたものにございます」
「風景を、切り取る?」
「はい。……この箱の内に、外の景色が生き写しのように、ありのまま映り込むとの由。人や馬の動き、雲の流れまでもが、箱の中に閉じ込められるように見えるそうで……妖術の類、あるいは南蛮宗門の怪しき道具である可能性も捨てきれず、急ぎこちらへ送られてまいりました」
また来た。
箱の中に景色が映る?
いや、それって、たぶん……。
俺は、怪訝な顔を作ったまま、その木箱を観察した。
横長の、しっかりとした作りの木箱だ。
前方の面には、真鍮の筒にはめ込まれた硝子のレンズがついている。
箱の上部はぽっかりと開いており、そこには油を引いた薄い半透明の紙が張られていた。
俺は立ち上がり、箱のレンズ側を、部屋の窓の真っ白な障子から外の庭へと向けた。
そして、上部の薄紙を覗き込む。
「ひっ……!」
覗き込んだ若い役人が、情けない悲鳴を上げて腰を抜かした。
「ひ、人が! 庭を歩く見回りの者の姿が、箱の中に吸い込まれております! これは、魂を抜く邪法にございます!!」
俺は、呆れ顔で役人を見た。
「……魂は抜いてません。ただ、光が映っているだけです」
箱の上の薄紙には、窓の外にある江戸城の白壁、庭の松の木の緑、そして今そこを歩いていった侍の姿が、ぼんやりと、しかし驚くほど正確な輪郭をもって、逆さまに映し出されていた。
やっぱりだ……!
*
『やっほー。また、時代を変える面白いものが来たわね』
視界の端で、KAMI様がいつものように宙に浮きながら、薄紙に映る逆さまの庭の景色を覗き込んできた。
(KAMI様。これって、やっぱり……)
『ええ。カメラ・オブスクラね。あんたの前世の記憶にある、写真機の偉大なるご先祖様よ』
(だと思いましたよ。……でも、これって、異星文明の奇物とか、そういう超常的なものじゃないですよね?)
『もちろん。これは異星のテクノロジーでも、神仏ノードの奇跡でもなんでもないわ。ただの純粋な光学装置よ』
『前方のレンズを通った外の光が、黒く塗られた暗い箱の中で結像する。それを箱の中に斜めに仕込んだ鏡で上へと反射させて、この薄紙に映像として映し出しているだけ』
(つまり、魔法でも妖術でもない)
『全然違うわ。欧州では、かなり前から絵師や学者が、遠近法を正確に取るための補助道具として普通に使っている代物よ。だから、南蛮の商人が持っていても全く不思議じゃないわね』
(……ということは。これ、写真機みたいに、この紙に勝手に景色が記録されるわけじゃないんですね?)
『当たり前でしょ。銀塩も感光板もないんだから。あくまで、映った像の上から、人間が自分の手と筆でなぞって写し取るための、ただの下敷きよ』
俺は、箱の構造をまじまじと観察した。
木箱。
黒い塗料。
硝子のレンズ。
鏡。
薄紙。
(……これ。理屈さえ完全に分解して理解できれば。……今の江戸の職人の技術でも、普通に再現して作れるんじゃないですか?)
『作れるわよ。硝子を正確な曲面に磨ける職人と、歪みのない鏡を作れる鏡師、それに精密な木工職人がいれば、この時代でも量産可能ね』
『……あんたたち行政官にとっては、神様の奇跡なんかじゃなくて、人間の技術として再現可能な代物だからこそ。……最高に厄介で、面倒なのよ』
俺は、背筋が凍るのを感じた。
ですよね。
再現できるってことは、世の中に普及できるってことだ。
普及できるってことは、公儀が強烈に規制して帳面で縛らないと、絶対に最悪の形で悪用されるってことだ。
*
翌日。
江戸城内の小評定の間。
俺は、持ち込まれた《暗箱写し》──そう仮称をつけた箱を、家康、秀忠、竹千代、本多正純、天海、そして呼び出された公儀の御用絵師と、測量を担う算学の役人の前に提示した。
「大御所様。……結論から申しますと、これは奇跡でも妖術でもございませぬ」
俺は、一人称を「私」にして、極めて事務的に説明を始めた。
「光の直進する性質を用いた、南蛮由来の『光学のからくり箱』にございます。……穴、あるいは硝子の玉を通った光は、暗い箱の内に外の景色を逆さに結びます。そこへ鏡を用いて向きを上へ変えれば、このように、箱の上に置いた紙へ景色を映し出すことができるのです」
家康は、薄紙に映り込む庭の景色を興味深そうに眺めた。
「箱の中に景色を映すのが、妖術ではないと申すか」
「はい。水鏡に己の顔が映るのと同じ理にございます」
秀忠が、警戒を解かずに問う。
「つまり、外の景色や人の魂を閉じ込めているのではなく、ただ、光がこの箱の中を通っているだけか」
「そのご理解で間違いございませぬ」
竹千代が、最も鋭い本質を突いた。
「……国松。そこに映った景色は、そのまま紙に残るのか?」
「残りませぬ」
俺は即答した。
「あくまで、光が映っているだけです。これを記録として残すには、絵師や測量役が、映った輪郭をその手で、筆でなぞって写し取る必要がございます」
「ほう。……結局は、人間の手と技が要るのだな」
家康が、扇を口元に当てて目を細めた。
「はい。ですので、これは絵師や測量役の目と手を助けるための、ただの便利な道具に過ぎませぬ」
家康は、にやりと笑った。
「ならば。……これを用いれば、堅牢な城の形、入り組んだ堀の曲がり、港に停泊する異国船の構造、そして遠くの山の稜線も。……これまで以上に、正確無比に写し取れるということか」
「……できます」
あ、駄目だ。
大御所様が完全に、統治と軍事への強烈な用途を理解した顔だ。
これは絶対に、俺の仕事が爆増する流れだ。
*
実証のため、同席していた御用絵師と測量役に、暗箱写しを試させた。
絵師は、薄紙の上に和紙を重ね、透けて見える江戸城の櫓の輪郭を筆でなぞり……その出来上がった線を見て、戦慄したように筆を取り落とした。
「……線が。遠近の線が、全く狂いませぬ」
「遠くの建物の屋根の細さ、角度……。肉眼で推し量って描くより、遥かに正確な姿が、一瞬にして紙の上に現れます。……さらには、遠くを歩く人の姿や動きの影すらも、幽かに紙の上を歩いているようでございます……!」
測量役も、驚愕に目を見開いていた。
「堀の角度、城壁の湾曲の度合い。……目測の歩測より、遥かに精緻にその輪郭を捉えられます。遠景の山の稜線も、これを同じ場所に固定すれば、何度でも全く同じ形を紙に写し取れる。……こ、これは、地図作りを根本から覆す代物にございますぞ!」
彼らの熱狂に対し、俺は冷水をかけるように言った。
「誤解してはなりませぬ。これは、絵師の長年の鍛錬や、測量役の計算の腕を不要にする魔法の道具ではありません」
「むしろ、あなた方のような基礎の技量がない者が使えば、焦点がずれ、紙がずれ、ただの歪んだ落書きになります。……箱を置く場所、高さ、鏡の角度。これら全てを正確に揃え、熟練した手でなぞらねば、意味のある図にはなりませぬ」
便利ではある。
だが、最終的に出力するのは人間の手だ。
絵師が下手なら、映った像をなぞっても線は狂う。
知識と同じで、人間が咀嚼し、訓練して、ようやく使いこなせる道具なのだ。
*
「大御所様。私は、これを城郭や港の絵図だけでなく。……天文学の観測にこそ、用いるべきだと考えております」
俺が提案すると、天海がピクリと反応した。
「天の運行の観測に、この箱を使うと申されるか」
「はい。とくに日輪の観測にございます」
俺は、レンズの向きを空へ向けた。
「日輪を肉眼で直視すれば、強い光で目を焼き、最悪は失明いたします。しかし……この暗箱の中に太陽の光を導き入れ、紙の上にその像を映し出せば。……目を傷めることなく、安全に、太陽の欠け方や、影の角度の正確な記録を取ることができます」
「なるほどな……」
竹千代が、深く頷いた。
「星の観測は夜に行うが、日輪の観測は昼に行える。記録の作法の修練にもなる。……何より、江戸、京、長崎で、全く同じ寸法の箱を作り、同じ時刻に、同じ方角へ向けて写し取れば。各地の観測記録の誤差を、正確に比べる術となるか」
「はい、兄上。その通りにございます」
と答えた瞬間、俺は自分の発言の重大さに気づき、内心で舌を噛んだ。
しまった。
『同じ寸法の箱』で『誤差を比べる』ってことは……これ、箱の縦横の寸法規格、レンズの硝子の曲率、鏡の角度、設置する台座の高さ、紙の種類、時刻の合わせ方まで、全部を全国統一規格として台帳化して、マニュアルを作らないと運用できないってことじゃないか。
景色を写す箱が来た。
ただそれだけだったはずなのに。
気づけば、俺の仕事に『暗箱写し・公儀精密規格台帳』の作成が爆誕してしまった。
*
「国松様。……これは、間もなく京より到着される朝廷の公家衆にも、最初から包み隠さず見せるべきでしょうな」
天海が、静かに、だが極めて政治的な提案をした。
俺は、ハッとした。
そうだ。
朝廷からの星見の見届けの公家衆。
土御門家や広橋家に連なる厄介な連中が、もうすぐこの江戸に到着する。
彼らは、江戸が星の記録を独占して暦を奪うのではないかと、極度に警戒している。
そこへ、「太陽や星の像を、箱の中に正確に映し取れます」なんていう南蛮の怪しい光学装置が隠されていると知れたら。
絶対に、朝廷の疑心暗鬼が爆発して大炎上する。
「隠すより、先に見せる、ですか」
「左様。隠して後で知られれば、朝廷の疑心は深まりましょう。初めから『これは朝廷の暦を奪う妖術の箱などではなく、京へ献上する観測記録を、より正確にするためのただの便利な補助具である』と。……堂々と実物を見せ、その理屈を説明した方がよろしい」
「うむ。朝廷の目を入れると言ったばかりじゃ。ならば、この箱も共に見てもらい、京にも一つ、この箱を置いてやればよい」
家康が、鷹揚に笑って賛同した。
ローマ法王の判定者も、自国の制度の内側へ引き込んだ。
朝廷の星見公家も、内側へ引き込んだ。
今度は、この暗箱写しという最新の観測装置すらも、最初から共有して一緒に使わせる。
敵にしないために、疑われる前に全てを共有して共犯者にするという大御所様の方針が、どんどん加速しているな。
*
だが、この道具の恐ろしさは、天文観測だけではない。
秀忠が、為政者としての最も冷徹な視点で、厳しい警告を発した。
「これは、ただの便利な道具ではない。……これほどまでに正確に物の輪郭を写し取れるのであれば、その悪用も極めて容易いということだ」
秀忠の目が、鋭く光る。
「もし、敵国や他家の忍び、あるいは外国の商人がこれを持ち。堅牢な城の構造や、堀の深さを正確に写し取ればどうなる? 港に停泊する軍船の大砲の配置を、寸分違わず紙に落とせばどうなる? ……城の弱点が、筒抜けになるぞ」
「はい。その懸念は、極めて重大にございます」
俺は深く同意した。
「ですので。……この暗箱写しを、町方や大名の間で自由に流通させることは、絶対に避けるべきです」
さらに、危険は軍事機密の漏洩だけではない。
「人の姿をあまりに正確に写し取れるがゆえに、『箱に魂を抜かれた』という根も葉もない噂による民の混乱。……許可なく大名や公家の姿を写し取る、不敬極まりない行い。さらには、これを『景色を小箱に封じ込める奇跡』だと吹聴し、詐欺や新興宗教の布教に用いる悪党も必ず出ます」
「町方への自由な流通は危うい。ならば、どうする」
秀忠が問う。
「御用登録制にいたします」
俺は、即座に制度の枠組みを答えた。
「これを所持できるのは、公儀の許可を得た者のみ。城郭、港湾、軍船、および身分ある人物の無断での写しは国法で厳重に禁ずる。外国商人への販売や技術漏洩も禁止。……使用を許すのは、公儀に登録された絵師、測量役、天文観測役、および普請検分役に限ります。そして、写し取った絵図面は、全て公儀へ提出するか、厳重に封印させます」
やっぱり。
写すだけの便利な箱じゃ済まない。
世界を正確に写し取れる道具は、一歩間違えれば、他人の秘密を暴き、世界を盗むための危険な兵器にもなるんだ。
だから、これも帳面でがんじがらめに縛るしかない。
*
方針は決まった。
俺は、本多正純と共に、この暗箱写しを江戸で再現し、公儀の道具として運用するための実務に入った。
「まずは、十台だけ。……江戸の職人に命じて試作させましょう」
俺が言うと、正純が怪訝な顔をした。
「国松様。江戸、京、長崎、平戸、水土御用の測量、公儀御書物蔵での図面写し、城郭検分用……用途を考えれば、十台では全く足りませぬぞ」
「足りません。分かっています。……でも、最初からこれを百台も量産して全国にばら撒けば、絶対に管理の帳面がパンクして、図面の漏洩事故が起きます」
「……」
「それに、まだ江戸の職人に、この『レンズの歪みを無くす硝子磨き』や『焦点の正確な合わせ方』の技術が根付いておりません。見た目だけ真似た粗悪品を配っても、使い物にならぬのです。……まずは十台。その十台で運用と帳面の仕組みを固めてから、徐々に増やします」
「……相分かった。では、まずは十台の試作と、その厳格な管理台帳の作成から始めましょう」
正純も、俺の言う「管理が死ぬ」という言葉の重みを理解し、同意してくれた。
*
夜。
自室に戻った俺は、机の上にまた新しく増えた白紙の帳面を並べた。
『暗箱写し御用登録控』
『光学硝子磨方試作控』
『城郭・港湾写取特別許可帳』
『天文観測用・暗箱寸法統一規格書』
『写景絵師并測量役・訓練手引書』
箱の中に、外の景色が逆さまに映る。
ただそれだけのことなら、「なんて美しくて不思議なからくりだろう」と、純粋な好奇心だけで楽しめたのかもしれない。
南蛮の商人も、絵師も、きっと最初はそうやって光の悪戯を楽しんでいたはずだ。
だが。
それを国家を治める統治の道具として見た瞬間。
それは、城の弱点を写し、港の軍船を写し、空の星の運行を写し……そして、今まで人間の目では曖昧だった世界の輪郭を、冷酷なまでに正確な線として、台帳へ固定するための恐ろしい道具へと変貌してしまう。
世界を正確に写し取れる道具は、世界を正確に管理する道具でもある。
そして、正確に管理できるものは……必ず、新たな争いと、果てしない実務の火種になるのだ。
俺は、部屋の隅に置かれた、試作第一号となる暗箱写しを見つめた。
レンズを通ったロウソクの光が、箱の上の薄紙に、逆さまになった俺自身の疲れた顔を、ぼんやりと映し出している。
光は、ただ自然の理に従って真っ直ぐ進んだだけだ。
だが、その光が木箱の中に結んだ小さな景色は……また一つ、俺の目の前に、逃げ場のない新しい帳面地獄の輪郭を、くっきりと写し出していた。
ここまで読んでいただきありがとうございます! もし「面白い」「続きが気になる」と思っていただけましたら、ページ下部より【お気に入り登録】や【評価】、感想などをいただけると執筆の励みになります。 作者のモチベーション上昇に直結しますので、是非ともよろしくお願いします!