暴君忠長に転生したので、兄上のために日本列島をメンテします 〜SFチートのはずが、田んぼと水路と寺社ノードの保守係なんですが〜   作:パラレル・ゲーマー

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第94話 江戸外国御用屋敷、氷箱と技術書でざわつく

 元和二年、秋。

 

 豊作への歓喜、水害への悲鳴、そして夜空を見上げる天体観測の喧騒で、江戸城の内側が混沌の極みに達しているその裏側で。

 

 江戸湊の近く、公儀の目が厳しく光る一角に設けられた『外国御用屋敷』もまた、全く別の熱気と疑心暗鬼に包まれていた。

 

 ここは、決して外国人が自由に闊歩できる居留地ではない。

 

 長崎や平戸で行われる本格的な大量取引を前に、各国の商人や通詞、使者が、公儀と直接交渉し、見本品を検分させるための『監視付きの仮商館』だ。

 

 周囲は頑丈な木戸と堀で囲まれ、出入りには公儀の厳格な許可証が要る。

 

 日本の番所と通詞が常駐し、武器の持ち込みや火の扱いはもちろんのこと、酒の消費量、使用人の数、夜間の訪問者に至るまで、全てが帳面に記録される。

 

 ……当然、教会の建設や、日本人との密談など、もってのほかである。

 

 オランダ、イングランド、ポルトガル、唐人、そしてイスパニア系の詰所。

 

 旗や印で明確に区画分けされたその屋敷の中で、異国の商人たちは、互いに牽制し合いながら、この極東の大国の『本当の財布の底』を探り合っていた。

 

 *

 

 イングランド商館の、厚手の毛織物が掛けられた薄暗い一室。

 

 商館長は、日本の和紙で綴じられた『公儀からの買い上げ目録』を前に、羽根ペンを握ったまま、深い困惑の溜息を漏らしていた。

 

「……信じられん。毛織物よりも、本の方が高く売れるなどということが、現実にあるのか」

 

 イングランド商人が、日本との交易で利益を生むと踏んでいたのは、上質な毛織物、鉛、錫、香辛料、武器、あるいは南洋の珍しい品々だった。

 

 しかし、徳川幕府の役人たちが、血走った目で最も異常な高値をつけて買い上げていったのは、そうした一般的な交易品ではなかったのだ。

 

『航海術の指南書』

 

『測量器具の図説』

 

『造船技術書』

 

『精巧な時計のからくりを記した書』

 

『硝子の製法とレンズ研磨の専門書』

 

 さらには、『鉱山の排水・坑道補強の技術書』『薬草・人体解剖の医学書』『天文学と算術・幾何学の書』『ポンプや水車、圧搾機の機械図面』『火薬の安全な保管と管理に関する実用書』『暖炉、煙突、換気、防火の建築書』まで。

 

「しかも、ただの神学書や祈祷書ではない。……船の作り方、星の測り方、病の治し方、鉱山の水の抜き方だぞ」

 

 商館員の一人が、呆れ果てたように言う。

 

「この国では、良質な羊毛の一反よりも、油紙に包まれた小汚い紙の束の方が、重い銀に化けるのか」

 

 商館長は、目録を置き、窓の外の厳重な日本の番所を睨みつけた。

 

「……徳川の狙いは、明確だ」

 

「どういうことですか、館長」

 

「彼らは、我々から商品を買おうとしているのではない。……その商品を、自分たちの手で生み出すための方法を買っているのだ」

 

 イングランド商人たちは、戦慄した。

 

 東方の国々といえば、金銀財宝や絹、香辛料を求め、完成された珍品を珍重するのが常だ。

 

 だが、この日本の為政者は違う。

 

 彼らは、完成品には適度な値しかつけず、その背後にある『再現可能な技術の理屈』に対して、狂ったような莫大な銀を投じてくるのだ。

 

 *

 

 技術書が一番儲かる。

 

 その事実が知れ渡るや否や、各国の商館は、手持ちの書物をこぞって公儀の役人へ提示し始めた。

 

 イングランド商館でも、試しに古い航海術書や、レンズの研磨について書かれた薄い冊子を出してみたところ、驚くほど即座に、重い銀貨で買い上げられた。

 

「館長! これならば、次からの船には、かさばる布や鉛より、本を山ほど積んでくるべきです! 特に実用技術の書を!」

 

 商館員が興奮して進言する。

 

 だが、商館長は冷静だった。

 

「分かっている。だが、問題は山積みだ」

 

「問題、ですか?」

 

「第一に。……今すぐ本国から本を取り寄せることなど、不可能だ」

 

 現代の通信はない。

 

 イングランドから平戸へ船が着くまで、季節風を乗り継ぎ、東南アジアの拠点を経由して、手紙が届くだけでも一年近くかかる。

 

 そこから船荷を揃えて日本へ戻ってくるのは、さらに一年後だ。

 

「今、目の前で銀を積まれて『これが欲しい』と言われても、ロンドンの埃っぽい倉にある本を、明日この江戸へ持ってくる魔法は我々にはないのだ」

 

「ならば、今ここにある本を急いで写本させて売れば……」

 

「馬鹿を言え。あの徳川の役人の目を見たか?」

 

 商館長が、震える声で遮った。

 

「あの恐るべき帳面の役人どもは、買った本をそのままありがたがるような素人ではない。……彼らは、我々の出した本と、オランダ人の出した本、ポルトガル人の本、そして唐人の情報を横に並べ、一つ一つ比較して、我々の嘘や誇張を精密に見抜こうとしているのだ」

 

「粗悪な写本や、内容を誤魔化した本を掴ませれば……二度と、あの館の敷居を跨ぐことはできなくなるぞ」

 

 徳川の書物買いは、単なる成金の手当たり次第の買い物ではない。

 

 極めて厳格な『比較検証の制度』なのだと、彼らは肌で理解し始めていた。

 

「第二の問題は……」

 

 商館長が、ひどく疲れた顔で額を押さえた。

 

「……我々の持ち込む純粋な実学の書すらも、公儀の検閲で灰色として保留されかねないことだ」

 

 欧州の書物は、どうしても宗教から切り離せない。

 

「先日出した数学の書も、日本の通詞から『なぜ序文で、神の偉大なる創造の御業を長く讃えているのですか? これは布教の書ですか?』と激しく問い詰められた」

 

「欧州の学者にとっては、それが当然の作法なのです、と弁明しても、全く聞き入れられない! ……カトリックの国だけではない。我々プロテスタントの実学書すらも、彼らの容赦ない南蛮書物御改の網に引っかかってしまうのだ!」

 

 江戸城内で国松たちが立ち上げた『白黒灰色の書物判定制度』は、早くも外国商館の懐事情と精神を、容赦なく締め上げ始めていた。

 

 *

 

 だが。

 

 彼らの胃を最も痛めつけている最大の要因は、本のことではない。

 

「……ところで。あの箱は、今頃どうなっているだろうか」

 

 商館員の一人が、声をひそめて呟いた。

 

 永冷石箱。

 

 夏でも氷を生み出し、腐敗を防ぐという、あの天理を覆す徳川の至宝。

 

 すでに、イングランド商館へ貸与されたその箱は、厳重な梱包のまま平戸から船に載せられ、遠い祖国へ向けて長く危険な航路の途上にある。

 

「今頃は、東南アジアの海を越え、南へ向かう船の暗い腹の中だろうな」

 

 商館長が、祈るように目を閉じた。

 

「無事に本国へ届けば……国王陛下も、宮廷の貴族たちも、高名な医師も大商人も、全員が狂ったようにあの箱の力を欲しがるはずです」

 

「……欲しがるだけならば、まだ良い」

 

 商館長は、目を開き、その中に濃い絶望を浮かべた。

 

「最も恐ろしいのは。……その絶対的な価値を知った国王陛下や宮廷の権力者が、『これは王室のものだ』と宣言し、強引に没収してしまうことだ」

 

 永冷石箱の表面には、日本国の公儀の証文がびっしりと貼られている。

 

【箱は徳川公儀からの貸与・預かり品である。無断での分解を禁ず。他国への又貸しを禁ず。本国での使用状況を厳密に報告せよ。契約違反があれば、以後の取引停止、および重大な処罰の対象となる】

 

「日本人は、あの箱を単なる気前の良い贈り物として渡したのではない。……あれは、我らの首を絞める鎖であり、試験だ」

 

「試験、ですか」

 

「そうだ。我々イングランドという国が、他国との契約、所有権、貸与規定を、自国の王の欲望よりも優先して厳守できる国かどうか。……徳川が我らの器を測るための、冷酷な試金石なのだ」

 

 もし、本国で箱が分解されたり、王に没収されて報告が滞ったりすれば。

 

 その瞬間、日本の公儀は容赦なくイングランド商館を追放し、莫大な利益を生むこの東洋の扉を、永遠に閉ざしてしまうだろう。

 

「……急ぎ、本国の会社幹部へ向けて、追加の手紙を書く」

 

 商館長は、新しい羊皮紙を引き寄せた。

 

「次の船には、羊毛や見世物ではなく、実用的な技術書と測量器具をありったけ積むべきこと。宗教色の強い書物は検閲で弾かれること。粗悪な本は比較されて嘘を見抜かれること。……そして何より、あの箱を、絶対に王や貴族に勝手に献上してはならないと」

 

『……この国は、単なる金持ちの消費市場ではない』

 

 商館長は、震える手でペンを走らせた。

 

『彼らは、品物を買っているのではない。品物を生む方法を買っている。……知識を集め、自国の手でそれを再現しようとする、恐るべき意思を持った国である。ゆえに、我らが今売るべきは、布ではなく技術だ。そして、技術を売った後の、彼らの成長の速度にこそ、最大限の警戒を払わねばならない』

 

 商館長は、その手紙に蝋で厳重に封をした。

 

 だが、この切実な警告が、本国の取締役たちの机の上に届くのは、嵐と海賊と季節風を越えた、ずっとずっと先のことになるのだ。

 

 *

 

 一方、オランダ商館の区画では、全く異なる空気が流れていた。

 

 彼らは徹底的な商人国家の集団であり、この事態を「最高に美味しい商機」として即座に計算し始めていた。

 

「聞いたか! 徳川が、レンズ、測量、造船の書物を、破格の銀で買い漁っているぞ!」

 

「イングランドの鈍物どもが本国に手紙を書いている間に、東インド会社のアジアの交易網をフル稼働させろ! バタヴィア経由で、かき集められるだけの技術書と器具の実物を、この江戸へ持ち込むのだ!」

 

 オランダ商人は、布教を伴わない実利の商売においては、他国より一日の長がある。

 

「だが、最新の軍事機密や、一番美味しい核心の技術だけは、絶対に売り渋れ。……この国に知識を渡しすぎれば、いずれ彼らは自前でレンズを磨き、時計を作り、正確な地図を描き始める。我々への依存を減らす気だ」

 

「……日本は、極めて金払いの良い客だ。だが、その良い客である期間は、そう長くはないかもしれんな。彼らは、学びが早すぎる」

 

 永冷石箱についても、オランダ商館は極めてドライだった。

 

「箱そのものの利益より、徳川との長期的な取引許可の帳面の方が、遥かに価値がある。……本国の総督府が箱を独占して日本市場を失うなど、算盤の弾けない阿呆のやることだ。厳重に管理させろ」

 

 *

 

 だが、ポルトガル商館の空気は、最も暗く沈み込んでいた。

 

 彼らは最も長く日本と貿易を行ってきたが、近年の禁教令と宗門監視の強化によって、その立場は崖っぷちに立たされている。

 

「……これも、灰色。これも、灰色本だと!?」

 

 ポルトガル商人が、公儀から突き返された書物の束を見て怒りに震える。

 

「これは純粋な医学書だ! 布教の書ではない!」

 

「では、なぜ各章の終わりに、修道会の長々とした祈りの注釈がこれほど大量に書き込まれているのですか」

 

 日本の通詞が、冷たく帳面を突きつける。

 

「それは、本国において、高度な学問を担っているのが修道会の者たちだからだ! 当たり前のことだろうが!」

 

 彼らにとって、ローマ側の判定者が日本の制度に組み込まれたことは、一律の禁書狩りを防ぐ救いであった。

 

 だが同時に、至高の教皇庁が、極東の武家の制度の下請けのように組み込まれたことへの、屈辱と激しい焦りでもあった。

 

 さらに、永冷石箱の行方についても、ポルトガル商館は深い不安を抱えていた。

 

「……マカオの役人や総督が、あの箱の利権を巡って奪い合いを始めるのではないか」

 

「リスボンへ届く前に、教会の狂信的な司祭が『これは神の奇跡だ』と言い張り、勝手に祭壇に安置してしまうやもしれん。……徳川の証文に反すれば、我らの商いの道は完全に終わるぞ……!」

 

「あの箱は、我らに巨大な富をもたらすのか、それとも破滅をもたらすのか。……もはや、誰にも分からん」

 

 イスパニア系のルソン商館もまた、宗教監視の厳しさに嫌気がさしつつも、喉から手が出るほど欲しい日本の銀を引き出すため、新大陸の珍しい植物や、独自の航海情報をなんとか売り込もうと、必死に帳面の裏側を駆けずり回っていた。

 

 *

 

 そして。

 

 唐人商館の区画では、さらにきな臭い噂が囁かれ始めていた。

 

 通詞を通じて、その噂はあっという間に各国の商人たちの耳にも入った。

 

「……聞いたか。明国へ向けたあの氷の箱を載せた船が。すでに、中国の沿岸へ到着しつつあるらしいぞ」

 

 まだ、北京の紫禁城や万暦帝のもとへ届いたわけではない。

 

 だが、沿岸の港の税関に届いただけで、すでに凄まじい大騒ぎになっているというのだ。

 

「唐船の商人どもは、あの箱の利権を絶対に手放したくないと必死らしい」

 

「だが、地方の役人は『皇帝への至宝だ』と目を光らせ、朝廷の宦官どもが利権の匂いを嗅ぎつけて動き出しているとか」

 

「箱の中で、季節に逆らう氷を見た者は、天の理を覆す宝だと震え上がっているそうだ……」

 

 唐人商人の一人が、青ざめた顔で吐き捨てるように言った。

 

「……明の港へ届いた時点で。あれはもはや、ただの商人だけが抱え込める品ではなくなった。……地方の軍閥が握るか、宮中へ上がるか、それとも途中で誰かの懐へ消えるか。……明国の政治の闇は、我らにも全く読めぬ」

 

 永冷石箱は。

 

 ただの便利な外交カードではなく。

 

 ……各国の政治の腐敗と欲望の構造を、容赦なく炙り出す強烈な火種となり始めていたのである。

 

 *

 

 その頃。

 

 江戸城の、御異物改方の自室。

 

 俺の机の上には、外国御用屋敷からの、膨大な監視報告書が積み上げられていた。

 

『イングランド商館、本国へ技術書の大量発注を画策の模様』

 

『オランダ商館、バタヴィア経由でレンズと測量器具の独占を狙う動きあり』

 

『ポルトガル商館、灰色本判定に苦慮。ローマとの連絡を急ぐ』

 

『明国沿岸にて、永冷石箱の噂による混乱の兆しあり。対馬・琉球の連絡屋敷よりの情報と合致』

 

 俺は、その報告書の束を見て、こめかみを強く揉んだ。

 

「……やっぱり。永冷石箱は、ただの便利な贈り物じゃない。……各国が、自分の国の欲望を抑え込んで契約と管理をきっちり守れるかを見る、最高の試験紙になってるんだ」

 

 そして、技術書の買い上げについても、新たな地獄が口を開けていた。

 

「……公儀が技術書を高値で買うと知れ渡れば。……次からは、絶対に粗悪な偽本や、中身の薄い見世物本、意図的な誤訳、詐欺師が大量に押し寄せてくる。……他国の本と比較して検証する手間が、今までの十倍になるぞ……」

 

 俺は、無意識のうちに、新しく作らねばならない帳面の項目を、頭の中で羅列していた。

 

『外国御用屋敷・日々の出入人別帳』

 

『技術書買上・真贋判定控』

 

『各国技術書・内容比較監査台帳』

 

『永冷石箱・海外貸与状況追跡控』

 

『商館火気・武器・宗門監査控』

 

 俺は、完全に死んだ魚の目になって、天井を見上げた。

 

「……商人を一つの場所にまとめて監視しやすくしたと思ったら。……今度は、商館の動きそのものを、複数の帳面で厳重に管理する地獄が始まるんだな……」

 

 秋の、江戸湊。

 

 外国御用屋敷の重厚な窓の奥には、夜遅くまで、各国のランプの灯りがともっていた。

 

 その灯りの下で、異国の商人たちは、日本の銀と、書物と、氷の箱の行方を巡って、必死に算盤を弾き、血走った目で手紙を書き綴っている。

 

 世界の商人たちは、徳川の底知れぬ財布と欲望を見ていた。

 

 徳川は、彼らの持つ技術と、契約の守り方を、冷酷に測っていた。

 

 そして俺は。

 

 ……その両方の思惑が、一つもこぼれ落ちて事故を起こさないよう、今夜もまた、新しい帳面の表紙に墨を入れる羽目になっていた。

 

 




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