暴君忠長に転生したので、兄上のために日本列島をメンテします 〜SFチートのはずが、田んぼと水路と寺社ノードの保守係なんですが〜   作:パラレル・ゲーマー

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第97話 江戸冬場所、砂かぶり席と豊臣相撲部屋で盛り上がる

 元和二年の冬。

 

 江戸の空は高く澄み渡り、冷たい風が町を吹き抜けていた。

 

 だが、江戸城下から少し離れた広い空き地に設けられた特設の相撲場の周辺だけは、真夏のような異様な熱気に包まれていた。

 

 竹千代兄上が取り仕切る、公儀許可の『冬の奉納相撲』。

 

 そして、初の『試行番付』が掲げられた、歴史的な興行の初日である。

 

 会場には、青竹で囲われた立派な土俵。

 

 その周囲には、安い木戸銭で入れる広大な一般見物席が設けられ、さらに土俵のすぐ脇には、高額な銭を払った者だけが座れる『土俵脇特別見物席』──町人たちが勝手に「砂かぶり」と呼び始めた特等席──が設置されていた。

 

 裏手には、力士詰所、医師と薬師が待機する救護所、火消しの詰所、さらには見物客の腹を満たすための巨大な屋台村までが広がっている。

 

 木戸口の脇には、鋭い目つきの役人たちが立つ『賭博・乱闘取締番所』が睨みを利かせていた。

 

 俺は、視察のためにその巨大な会場を見渡し、内心で頭を抱えていた。

 

(……これ、もうただの相撲の奉納行事じゃないぞ。完全に、現代の大型イベント会場運営と同じだ)

 

(数千、数万の人が集まる。火が使われる。大金が動く。酒が入る。血の気の多い連中が肩をぶつけ合う。……つまり、事故とトラブルの予感しかしない!)

 

 だが、俺の心配をよそに、木戸口には朝から信じられない数の民草が押し寄せていた。

 

 木戸銭は、庶民が気軽に払えるよう、あえてかなり安めに設定してある。

 

 この興行の最大の目的は、金儲けではない。

 

 冬の農閑期に民へ健全な娯楽を提供し、武士の有り余る力を発散させ、大名や商人の名誉欲を血の流れない勝負へと誘導すること。

 

 そして、集まった銭の一部を、寺社の修繕や橋普請、救荒米の資金へ回すという、高度な公共政策なのだ。

 

「おい、今日の相撲は、どこそこの抱えの大男が出るらしいぞ!」

 

「表の大きな番付の上に書かれた大関様、昨日の立ち合いも見事だったらしいな!」

 

「木戸銭が安いから、仕事の合間にちょっと見てこようぜ!」

 

 江戸の町人や職人、近郊の農民たちが、こぞって相撲場へと吸い込まれていく。

 

 俺は、その凄まじい熱気を見て、ごくりと唾を飲み込んだ。

 

(まずい。……これ、俺が思っていた以上に、民衆に強烈に受けている)

 

(これは絶対に、今年だけの試しでは終わらないやつだ。……来年からは、さらに巨大な興行として定着してしまう!)

 

 *

 

 会場の正面、一段高くなった立派な見物席には、この興行の総責任者である竹千代が陣取っていた。

 

 彼は連日、この相撲場へ顔を出し、土俵上の熱い勝負の流れに目を輝かせている。

 

 だが、俺や家康から見れば、竹千代のこの行動は、ただの相撲好きの少年の見物の枠を完全に超え、高度な大名外交の場と化していた。

 

 次期将軍候補である竹千代が連日いるとなれば、近場の大名や旗本、江戸詰めの重臣たちが、当然のように彼の近くの席へと集まってくる。

 

 竹千代は、彼らと並んで土俵を見つめながら、ごく自然に言葉を交わしていた。

 

「……あの勝ち名乗りを受けた力士は、そなたの家の抱えであったな。腰が低く、押しがめっぽう強い。見事な鍛錬である」

 

「はっ、恐悦至極に存じます!」

 

「昨日の取り組みも見事であった。……だが、決して無理な稽古を強いて、取り返しのつかぬ怪我人を出してはならぬぞ。強さは、健やかな体あってのものだ」

 

「ははっ、肝に銘じまする」

 

「それと。万が一にも、そなたの陣営から賭博の噂が立てば……私は容赦なく公儀の許可を取り消す。勝負は、どこまでも堂々と、清くやれ」

 

「も、もちろんにございます! 家中に厳しく申し伝えます!」

 

 竹千代本人は、純粋に相撲の感想を述べ、念のために禁制の注意をしているだけのつもりなのだろう。

 

 だが、言われた大名や家臣からすれば。

 

 次期将軍候補の若君が、自分の家の抱え力士の顔と戦いぶりを、正確に覚えておられる。

 

 自分の家の名誉を、お側でしかと見て、評価してくださっている。

 

 しかも、褒めるだけでなく、さりげなく越えてはならぬ一線の強烈な釘も刺してくる。

 

 ……という、極めて濃厚で効果的な政治的接触になっているのだ。

 

 俺は、合間を縫って竹千代の席に顔を出し、そのやり取りを見て感心した。

 

(この時代は。……堅苦しい評定の間でしかめっ面をして話すより、こうして同じ土俵の砂埃を見て、同じ場で一緒に歓声を上げること自体が、最強の外交になるんだ)

 

(兄上、無自覚なんだろうけど、為政者としてめちゃくちゃ大事なことをやってるな)

 

 遠くの席からお忍びで見物していた家康も、満足げに笑っていた。

 

「よい。……竹千代は、ただ相撲を見ているのではない。相撲を通じて人の顔を覚え、大名たちの欲望の形と癖を見ておる。……あれもまた、将軍となるための立派な稽古よ」

 

 *

 

 だが、感心ばかりもしていられない。

 

 俺が会場の裏手の屋台村を巡回していると、信じられない光景が目に飛び込んできた。

 

「はい、いらっしゃい! 相撲を見るなら、美味しい美味しい『お里団子』だよー!」

 

「甘味噌団子、醤油焼き団子、南蛮の香辛料を少し効かせた甘辛団子もあるよ! 安いよ安いよー!」

 

 ……八百比丘尼ことお里が、頭に手拭いを被り、割烹着姿で、なぜか大繁盛している団子屋の店主をやっていた。

 

「……何してるんですか、あなた」

 

 俺は、絶望的な顔で屋台の前に立った。

 

「あ、国松ちゃん! 見ての通り、団子売ってるの!」

 

「見れば分かりますよ! なんで、千年の時を生きる不老不死の上位存在が、江戸の相撲場の裏で団子を焼いて売ってるんですか!!」

 

「だって、お祭りで面白そうだったんだもん」

 

 八百比丘尼は、全く悪びれずに言った。

 

 彼女は、あのチート奇物である『どこでもキューブ』の中に、過去千年で世界中から集めて仕込んでいた極上の調味料──砂糖、良質な味噌、醤油、南蛮の貴重な香辛料──をこっそり使い、期間限定の格安団子を売り捌いていたのだ。

 

 チート調味料を惜しげもなく使っているのだから、当然、味は異様に美味い。

 

「このお里団子、なんでこんなに安くて美味いんだ!?」

 

「相撲を見て、この団子を食う。……こりゃあ、冬の江戸の最高の名物になるぞ!」

 

 屋台の前には、民草の長蛇の列ができている。

 

 俺は、完全に死んだ魚の目になった。

 

(……どこでもキューブを、国家の蔵問題の解決には使わなかった。それは行政として絶対に正しい判断だった)

 

(……だが。まさかその超常のチート奇物が、相撲場の裏で団子屋の調味料倉庫として使われることになるとは思わなかった。何なんだ、この歴史のバグみたいな屋台は!)

 

「いいじゃん、別に」

 

 八百比丘尼が、胡麻団子をひっくり返しながら笑う。

 

「民が美味しいもの食べて、相撲見て大声で笑って。……それで、私が儲けた売り上げの一部は、ちゃんと公儀の決まり通り、橋普請や救荒米の資金に入れるんだよ? すごく平和でしょ?」

 

「……結果だけ見れば平和ですけど。あなたがやると、過程の全てが怪しく見えるんですよ!」

 

 俺はため息をつきながらも、ちゃっかり甘辛団子を一本買って齧った。

 

 ……悔しいが、べらぼうに美味かった。

 

 *

 

 会場の正面入り口には、高くそびえるように、巨大な試行番付表が掲げられていた。

 

 まだ正式な「横綱」という称号はない。

 

 俺が神格化を恐れて止めたため、最上位は大関である。

 

 大関、関脇、小結、前頭、幕下、新参。

 

 東西に分けられ、強い者、上位の者ほど、墨の文字が太く、巨大に書かれている。

 

 これなら、細かい文字が読めない民草であっても、「上にでっかく書かれているやつが一番強い」と、一目で理解できる。

 

「おお、あのひときわ大きな字の力士が、東の大関様か!」

 

「昨日、あの前頭の若えのが、格上の関脇を見事に投げ飛ばしたんだぞ!」

 

「ってことは、来年の番付じゃあ、あいつの字がもっと大きくなるんじゃねえか!?」

 

 町人たちが、番付表の前に群がり、熱を帯びた声で語り合っている。

 

 俺は、その光景を見て、背筋に薄ら寒いものを感じた。

 

(……やばい。番付という順位を可視化したことで。相撲が、完全に民衆のコンテンツとして定着し始めている)

 

 勝敗の記録を見える形にすると、人間は必ずそこに物語を見出すのだ。

 

 のし上がる若者。

 

 落ちていくベテラン。

 

 劇的な番狂わせ。

 

 因縁の再戦。

 

 ただの力比べが、台帳と番付によって、巨大なドラマに変わる。

 

 だが、人が熱狂すれば、当然そこに悪意も群がる。

 

 俺の耳には、すでに不穏な報告がいくつも入ってきていた。

 

「国松様! 公儀の許可なく、勝手に番付の写しを刷って高値で売り歩く者が出ております!」

 

「国松様! 『明日は誰が勝つか』と、見物客の間で勝敗予想の賭博の胴元をやろうとする町人を数名、番所で捕縛いたしました!」

 

「国松様! 贔屓の力士の応援が過熱しすぎた連中が、土俵の外で小競り合いの喧嘩を起こしております!」

 

 俺は、即座に懐の帳面を開き、朱筆で激しく書き込んだ。

 

「……番付の写しは、公儀の許可制にして印を押せ! 無許可の販売は没収だ!」

 

「勝敗予想の賭博は、一発で牢送り! 胴元は全財産没収のうえ江戸から追放しろ! 武家の家臣が関わっていた場合は、大名の家名を公表すると脅せ!」

 

「応援席での喧嘩は、両成敗で即刻つまみ出せ! 番付表を勝手に改竄する悪ふざけは、重罰に処す!」

 

(ただの順位表を作っただけのはずなのに。もうそこから派生する商売と犯罪の芽が、ボコボコ出まくっている。……人間、面白い娯楽を見つけるのも早いが、それを悪用するのも早すぎるんだよ!!)

 

 *

 

 今回の冬場所で、最も人々の注目を集め、そして最大の歓声を浴びている勢力があった。

 

 それが、意外にも──豊臣側の抱え力士組であった。

 

 正式な公儀の帳面上の呼び名は、『豊臣抱え力士組』、あるいは『豊臣相撲御用稽古場』である。

 

 だが、熱狂する町人たちは、それを勝手に短縮して『豊臣部屋』と呼び始めていた。

 

 豊臣の看板は、この泰平の世においても、やはり絶大なネームバリューを持っていた。

 

 かつて天下人であった豊臣の名。

 

 そこには、元々家臣筋であった者や、大坂に縁のある浪人、武勇に覚えのある大男、そして「相撲で一旗揚げて名前を売りたい」という野心に燃える若者たちが、吸い寄せられるように集まってきた。

 

 さらに、豊富な資金力を持つ大坂の商人たちが、「豊臣部屋の力士が勝てば、我ら大坂の商人の名誉にもなる」と、こぞって裏から莫大な資金援助を行っていた。

 

 結果として、豊臣部屋は、相撲制度が始まって初年度から、江戸で最大規模にして最強の相撲組となっていたのである。

 

 俺は、土俵に上がる豊臣の力士たちを見て、ひどく複雑な顔になった。

 

(……これ、歴史のイフとしては、面白すぎる展開だろ)

 

(戦場での血みどろの戦いで徳川に刃向かうのではなく。……相撲という土俵の上で、正々堂々と豊臣の名を示し、民衆の歓声を浴びている。……豊臣の看板が、平和な世の興行として、見事に再利用されているんだ)

 

 周囲の大名たちも、その光景を見てざわついていた。

 

「……豊臣の名は、まだこれほどまでに人を集め、熱狂を生むか」

 

「だが。刀や鉄砲ではなく、素手の相撲ならば。……むしろ、公儀の定めた泰平の理にかなっておる」

 

「左様。豊臣が、反乱の戦ではなく、土俵の興行で名を上げるのであれば……公儀としても、むしろ御しやすい相手となるのではないか」

 

 家康は、特等席から豊臣の力士の活躍を見て、静かに、そして本当に嬉しそうに笑っていた。

 

「……よいではないか」

 

「大御所様?」

 

「豊臣の名が。……血塗られた戦場ではなく、清められた土俵の上で、民の歓声を浴びておる。……あれこそが、彼らが泰平の世に見事に適応し、生き残る道を見つけた証よ」

 

 俺は、その家康の言葉に、ハッとさせられた。

 

(そうか……。豊臣家を、武力で完全に根絶やしにして消し去るのではなく。……戦えない形で、確かな名誉と居場所を残してやる)

 

(それは、一歩間違えれば危険な火種を残すことにもなるが……上手くコントロールできれば、彼らの怨念を薄め、世の不満を完全にガス抜きすることができる。……ただ力で叩き潰すより、ずっと高度で冷酷な処理だ)

 

(大御所様。……やっぱり、アンタ恐ろしい為政者だよ)

 

 豊臣の力士が豪快な投げを決めて勝つと、会場は割れんばかりの大歓声に包まれる。

 

 だが、それは決して徳川への武装蜂起の歓声ではない。

 

 ただの、純粋な土俵の上の勝利に対する、平和な称賛の嵐なのだ。

 

 *

 

 中盤の最大の山場。

 

 豊臣部屋が誇る巨漢の力士と、伊達家が支援する派手な化粧回しをつけた人気力士の取り組みが始まった。

 

 立ち合いの瞬間。

 

 ドゴォォン!! 

 

 という、人間の肉体同士がぶつかり合う凄まじい衝撃音が響き、土俵際の砂が激しく宙を舞う。

 

 民草が、興奮のあまり総立ちになって叫ぶ。

 

 大名たちも、体面を忘れて素の声を上げ、拳を握りしめている。

 

 竹千代は、身を乗り出し、食い入るように勝負の行方を見つめていた。

 

 俺の隣では、外国御用屋敷から招かれた異国の商人たちも、言葉を失ってその光景に圧倒されていた。

 

 竹千代の計らいで、外国商人や富裕な商人、大名の使者たちのために、土俵のすぐ近くに高額な『土俵脇特別見物席』──通称・砂かぶり席──が用意されていた。

 

 高額だが、その価値は十二分にある。

 

 力士の息遣い、筋肉の軋む音、そして飛び散る砂と汗の迫力が、直接腹の底に響くのだ。

 

「オー、ゴッド……。これは……戦争ではないのか?」

 

 イングランド商人が、目を丸くして呟いた。

 

「武器を持たぬ戦争だ。……いや、下手に大砲を撃ち合う戦争よりも、はるかに分かりやすくて恐ろしい。二人の巨人が、ただ己の肉体と技だけで、真っ向からぶつかり合っている……!」

 

 オランダ商人は、その興奮の中で、即座に冷徹な商売の計算を始めていた。

 

「……この席は、いくら高くしても絶対に売れる。金持ちの商人は必ず払うぞ」

 

「番付表の写しも売れる。強い力士の似顔絵も売れる。……これは、ただの神事ではない。恐るべき熱量を持った、巨大な興行だ」

 

 ポルトガル商人は、少し違った視点で見ていた。

 

「神仏への奉納という名目と、民衆の熱狂的な興行が、見事に混ざり合っている。……実におぞましく、しかし実に日本らしい光景だ」

 

 唐人商人は、力士の身体能力に舌を巻いていた。

 

「軍の中にいる、ただの力自慢の荒くれ者とは全く違う。彼らの動きには、鍛え抜かれた礼と型がある……」

 

 俺は、彼らの反応を見て確信した。

 

(相撲が、外国人にめちゃくちゃ刺さっている)

 

(理由は単純だ。分かりやすいからだ。言葉が全く通じなくても、二人の大男がぶつかって、円の外へ押し出した方が勝ち。……世界中探しても、こんなに異文化へ翻訳しやすい娯楽はない!)

 

 取り組みは、息詰まる熱戦の末。

 

 最後は土俵際で粘った伊達家の力士を、豊臣側の力士が豪快なうっちゃりで沈め、劇的な勝利を飾った。

 

 会場が、地鳴りのような歓声に揺れる。

 

 竹千代は、思わず「おぉっ!」と叫びそうになったが、ハッとして次期将軍としての体面を思い出し、必死に居住まいを正した。

 

(兄上、顔が完全に、ヒーローに夢中な相撲少年になってますよ)

 

 俺は内心で微笑ましく思いながらも、周囲の大名たちの反応を見た。

 

 大名たちは、竹千代のその無邪気な反応を見て、ひどく嬉しそうに、安心したような顔をしていた。

 

 次期将軍が、自分たちと全く同じものを見て、同じ熱気を感じて、心を躍らせている。

 

 ……それだけで、彼らと徳川の距離は、どんな言葉を尽くすよりも確実に縮まっていた。

 

 竹千代は、勝負が決した土俵に向けて、よく通る声で言った。

 

「……見事な勝負であった! だが、勝った者も、負けた者も。どちらも己の感情に飲まれて土俵を汚すことなく、最後まで深く礼を尽くした。……そこが、何より良い!」

 

 勝敗の行方だけでなく、その背後にある礼法を褒め称える。

 

 その竹千代の言葉によって、相撲は、ただの野蛮な武力誇示ではなく、礼を伴う泰平の世の高度な競技として、明確に方向づけられたのだ。

 

 *

 

 その熱戦を見た後。

 

 外国商人たちが、興奮冷めやらぬ様子で竹千代へ申し出をしてきた。

 

「若君! この素晴らしい勝負の場に。……我が国の、大男たちを出場させることはできませぬか!」

 

 イングランド商人が身を乗り出す。

 

「我が国には、日本の力士よりもさらに背の高い、屈強な船乗りや兵がおります! 彼らに相撲の技を教え込めば、必ずやこの土俵で一番になれましょう!」

 

「いや、我ら紅毛人の力士が番付に載れば、見た目の珍しさで、見物人はさらに倍増しますぞ!」

 

 オランダ商人も商機と見て口を挟む。

 

「マカオやインドにも、凄まじい怪力の男たちは山ほどおります」

 

 と、ポルトガル側も負けじと言う。

 

 だが、竹千代は、その要望に対し、一分の隙もなく、きっぱりと首を横に振った。

 

「今は。……日ノ本の者のみとする」

 

 外国商人たちは、あからさまに不満げな顔をした。

 

 だが、竹千代は理路整然とその理由を説いた。

 

「相撲とは。ただ大きな者が力任せにぶつかるだけのものではない。そこには清められた礼があり、型があり、大怪我を防ぐための作法があり、そして何より、師匠が弟子の一生を預かる重い責任がある」

 

「まだ、その全てを異国の者に一から教え込む仕組みが、この国には整っておらぬ。……ゆえに、参加は認められぬ」

 

 さらに、竹千代は彼らの目を見据えて言った。

 

「また。もし言葉の通じぬ異国の者が土俵で勝ち、あるいは負ければ……民はそれを、ただの力比べではなく、国同士の勝ち負けの代理戦争だと、必ず誤解する者が出よう。……それは、泰平の娯楽の趣旨に反する。ゆえに、今はまだ、早すぎるのだ」

 

(兄上。……それ、正解です。めちゃくちゃ大正解です!!)

 

 俺は、内心で竹千代に拍手喝采を送った。

 

(ただでさえ体格差のある海外勢を、ルールも文化も固まっていないこの初期の相撲にいきなりぶち込んだら、競技のバランスも、世論も、外国との外交問題も、全部ぐちゃぐちゃに荒れ狂うに決まってる。……元和二年の江戸でそれをやるのは、絶対に早すぎる!)

 

 だが、竹千代は完全に拒絶して彼らの顔を潰すことはしなかった。

 

「……だが。まずはそなたらも、この土俵の熱気を見物し、相撲の規則と礼を深く知れ。……いずれ、この国の礼法と稽古の仕組みが完全に整い、いかなる国の者でも受け入れられる時が来れば。その時は、異国の者がこの土俵で学ぶ道も、考えようではないか」

 

 未来の可能性だけは残す。

 

 その見事な対応に、外国商人たちも深く納得し、引き下がった。

 

(ただ拒むんじゃなくて、未来への希望だけは残しておく。……兄上、相撲が絡むと、為政者としての判断が異常に冴え渡るな……)

 

 *

 

 だが、全てが完璧に回るわけではない。

 

 初めての巨大な興行の試みである。

 

 当然、現場では毎日のように新たな問題が噴出し、俺の胃を削っていた。

 

「国松様! 土俵の外で、木札を使って勝敗の賭博をしようとしていた町人を捕らえました!」

 

「初犯は罰金と相撲場からの永久追放! 胴元は重罰だ! 武家が関わっていたら容赦なく家名を公表すると通達しろ!」

 

「国松様! 高額な砂かぶり席の席札を大量に買い占め、さらに高い値で別の商人に転売して儲けている悪徳商人がおります!」

 

(……興行チケットの高額転売問題、元和二年に爆誕しちゃったよ!)

 

「席札には必ず購入者の名前を記させろ! 入場時の名と違えば無効だ! 身分ある武家の代理購入は、必ず事前の届出制にしろ!」

 

「国松様! 屋台村で火の粉が飛び散り、小火騒ぎになりかけました!」

 

「相撲場を火事で全焼させたら洒落にならないぞ! 火消しを常駐させろ! 水桶の数を三倍に増やせ! 火を使える屋台の場所を厳しく指定して、夜間の火の使用は全面禁止だ!!」

 

 八百比丘尼さんの団子屋だけは、なぜか完璧に火の管理がされている。

 

「私は長生きだから、木造都市の火事の怖さは骨の髄まで知ってるもん」

 

 って笑っていたけど……そこだけは信用できるな! 

 

「国松様! 土俵際で足を捻り、膝を負傷した力士が出ました!」

 

「すぐに待機させている医師と薬師のところへ運べ! 治療の費用は、木戸銭の上がりから出す。怪我の具合は必ず帳面に記録しろ!」

 

 竹千代は、怪我をして運ばれる力士の姿を見て、ただ楽しいだけの娯楽ではない現実の重さを学んでいた。

 

「……相撲とは。見る分には楽しいが、やる者にとっては命懸けなのだな」

 

「はい、兄上。人の身体と体を全力でぶつけ合う以上、絶対に怪我人は出ます。……だからこそ、事前の登録と、医師の配置と、安全を守るための記録の帳面が絶対に必要になるのです」

 

「……相撲とは、重いものだな」

 

 竹千代は、真剣な顔で深く頷いた。

 

 *

 

 興行の終盤。

 

 家康は、特等席からその熱狂の全てを見下ろしながら、満足げに笑っていた。

 

「……悪くない」

 

 竹千代が、大名たちと自然に言葉を交わし、次期将軍としての威厳と情を育んでいる。

 

 豊臣の名が、反乱の戦場ではなく、土俵の上で名誉を得て、泰平の世に溶け込んでいる。

 

 民草が、安い木戸銭で笑い、白米を食べ、団子を囓って歓声を上げている。

 

 外国商人が、日本の独自の文化と力に驚き、畏敬の念を抱いている。

 

 ……そして、裏では国松が、死んだような顔をして、その全ての熱狂を必死に帳面へ押し込んでいる。

 

「戦の世ならば。力ある者は刀を取り、血を流して名を上げようとした。……だが今は、彼らは土俵の上の砂まみれの勝負で、名を上げようとしておる」

 

 家康は、楽しそうに目を細めた。

 

「大名どもも、己が抱える力士の勝ち負けで、顔を真っ赤にしておる。民は笑い、木戸銭は橋の普請や救荒米へと回る。……これが、泰平の世というものかもしれぬな」

 

 俺は、その家康の言葉を聞いて、少しだけ救われた気がした。

 

(そうだ。……仕事と帳面は爆発的に増えた。問題も増えた。トラブルも山ほどある。胃に穴が空きそうだ)

 

(でも。……人が、笑っている。血を流す戦ではなく、相撲という競技を見て、楽しそうに叫んでいる。……それはたぶん、俺たちが、この過酷な行政実務の果てに見たかった景色の一つなんだ)

 

 *

 

 夜。

 

 誰もいなくなった相撲場の裏手で、俺は蝋燭の灯りを頼りに、新しく増えた莫大な帳面の束と向き合っていた。

 

『冬奉納相撲・入場人別控』

 

『試行番付・勝敗詳細記録帳』

 

『土俵脇特別見物席・席札売上および転売防止控』

 

『番付写し・販売許可帳』

 

『相撲場屋台村・火気衛生管理控』

 

『八百比丘尼団子・臨時営業届および売上奉納記録』

 

『豊臣抱え力士組・身元登録および怪我治療記録帳』

 

『外国人見物人別控』

 

『異国力士参加要望・保留理由控』

 

『相撲賭博摘発および処分控』

 

「……また、増えたな」

 

 俺が呆然と呟くと、背後に立っていた本多正純が、無表情のまま言った。

 

「大層盛り上がりましたので。当然にございます」

 

「……世の中が盛り上がれば盛り上がるほど、俺の管理する帳面が無限に増えていく。……もう、これ、この世の真理ですね」

 

 冬の江戸は、これまでにない熱を帯びていた。

 

 米蔵にぎっしりと積まれた白米。

 

 夜空の星を細かく記す天文の帳面。

 

 外国商人たちが本国へ向けて書いた切実な手紙。

 

 そして、土俵際で飛び散る砂と、それに熱狂する民草の大歓声。

 

 刀で血を流し、戦で名を上げる時代は、確実に遠ざかりつつある。

 

 代わりに、人々は土俵の上の勝敗に声を枯らし、番付表の太い文字に一喜一憂し、美味しい団子を片手に、厳しい冬の寒さを忘れていた。

 

 泰平の世というものは、静かな凪のように訪れるものだと、俺はどこかで思っていた。

 

 だが、どうやら違うらしい。

 

 泰平の世は、時に。

 

 ……土俵の上で激しくぶつかる力士たちの肉体の轟音と、それを囲む民草の割れるような大歓声と共に、熱く、力強くやってくるものなのだ。

 

 




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