ようこそ伝説の超生徒がいる教室へ   作:シュユ

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第5話

 Dクラスが0ポイントになってから、教室の空気は以前よりも少しだけ重くなった。とはいえ、全員が急に真面目になったわけではない。池や山内は相変わらず文句を言いながらも無料の山菜定食に助けられているし、須藤は授業中に退屈そうな顔をしている。悟空はポイントがほとんど残っていないはずなのに、どこからか食べ物を取り出していた。0ポイントという現実は確かにDクラスを揺らしたが、生活習慣まで一瞬で変えるほどの力はなかったらしい。

 

 堀北はいつも通り席に座り、教科書を開いていた。表情だけ見れば普段と変わらない。だが、以前よりも少しだけ沈んでいるように見える。兄に言われた言葉が残っているのか、Dクラスという評価そのものが重いのか、それともAクラスに上がるという目標を改めて意識しているのか。本人に聞いても、おそらく素直には答えないだろう。

 

 その堀北を、ブロリーがときどき見ていた。

 

「堀北ァ……元気になったかぁ?」

 

「また私のこと?」

 

 堀北が振り向く。

 

「あの時は元気がなかったわけではないわ。あなたは少し気にしすぎよ」

 

「Aクラスに上がれるといいなぁ……」

 

 堀北はそう言ったが、完全に突き放す感じではなかった。気まずそうという表現の方が近いかもしれない。ブロリーが自分のために何かをしようとしていることを、彼女も薄々理解しているのだろう。ただし、それを素直に受け取れるほど、堀北は器用ではない。

 

「ブロリーの中で、Aクラスという言葉の意味が少し変わったらしいな」

 

 オレが小さく言うと、堀北は目を細めた。

 

「どういう意味?」

 

「DクラスをAクラスに上げれば、お前が少し元気になる。たぶん、それくらいの理解だ」

 

「……単純ね」

 

「否定はできない」

 

「けれど、単純だからこそ厄介でもあるわ。目的だけ持って、手段を理解していない」

 

「それはそうだな」

 

 ブロリーがDクラスをAクラスへ上げるために必要なことを理解しているとは思えない。クラスポイント、試験、協調性、情報戦。そういうものを飛ばして、目の前の邪魔なものを片付ければいいと考える可能性もある。そうなれば、武器ではなく爆弾だ。

 

 その時、教室の扉が開いた。

 

 茶柱が入ってくる。いつものように冷めた表情で、出席簿を教卓に置いた。教室のざわつきは少しずつ小さくなる。0ポイントの件があってから、茶柱が何かを告げる時には、自然と空気が重くなるようになっていた。

 

「今日は中間テストについて説明する」

 

 その一言で、教室のあちこちから小さな声が漏れた。

 

「中間テスト?」

 

「もうそんな時期かよ」

 

「いや、まだ大丈夫だろ」

 

「全然大丈夫じゃない人もいると思うよ……」

 

 櫛田が困ったように笑う。

 

 茶柱は、その反応を待つこともなく続けた。

 

「この学校では、主要科目で赤点を取った者は退学になる」

 

 教室が止まった。

 

 0ポイントを告げられた時とは、また違う静けさだった。ポイントがないことは生活の問題だ。だが、退学はそれよりも直接的に、この学校にいられなくなるという意味を持つ。

 

「退学って……マジっすか?」

 

 池が声を上げた。

 

「マジだ」

 

「いやいや、赤点くらいで退学って厳しすぎません?」

 

「校則で決まっている。今さら文句を言っても変わらない」

 

「赤点って何点からですか?」

 

 平田が落ち着いた声で聞いた。

 

「赤点ラインは学校側が定める。単純に何点以下とは限らない。教科、平均点、その他の要素で判断される」

 

「つまり、今から何点取れば安全かは分からないってことですか?」

 

「そう考えていい」

 

 教室の空気がさらに重くなった。

 

「おい、これやばくね?」

 

「やばいって」

 

「俺、数学とか普通に無理なんだけど」

 

「英語も無理だろ」

 

「全部じゃねぇか!」

 

 池と山内が騒ぎ出す。須藤は机に肘をつき、不満そうに茶柱を見ていた。

 

「先生、赤点で退学って、いくらなんでも厳しすぎるだろ。まだ入学したばっかだぞ」

 

「入学したばかりだから許されると思っているのか?」

 

「そういうわけじゃねぇけどよ」

 

「この学校は自由を与える。だが、自由に過ごした結果も評価する。授業を聞かず勉強もせず、赤点を取ったなら、それは本人の責任だ」

 

 茶柱の声は淡々としていた。脅しているようには聞こえない。事実だけを告げている。だからこそ、余計に重い。

 

「Dクラスには、今から焦った方がいい生徒が何人もいる」

 

 その言葉に、池、山内、須藤のあたりが分かりやすく反応した。何人かの視線は悟空にも向かう。授業中に早弁をしていた生徒が、まともに授業を聞いているとは思えないからだ。

 

「……まるでバカのバーゲンセールだな」

 

 ベジータは腕を組んだまま、妙に不満そうな顔をしている。

 

 トランクスは真面目な顔で立ち上がりかける。

 

「このままでは、本当に退学者が出てしまいます!」

 

「そうだね。みんなで対策を考えよう」

 

 平田が頷く。

 

「では、まずは僕が具体的な対策を――」

 

「じゃあ、まず先生の話を最後まで聞こうか」

 

「ハァッ☆」

 

 トランクスは座った。内容は拾われたのに、本人の存在感は相変わらず薄かった。

 

「退学者が出れば、当然クラスにとっても損失になる。個人の問題で済むと思うな」

 

 茶柱は教室を見渡した。

 

「学校はお前たちを手取り足取り助けるつもりはない。必要だと思うなら、自分たちで動け」

 

 それだけ言うと、茶柱は出席簿を閉じた。

 

「説明は以上だ」

 

「先生、勉強の範囲とかは?」

 

 平田が聞いた。

 

「通常通り授業で扱った範囲だ」

 

「補習などはありますか?」

 

「今のところ予定はない」

 

「過去問は――」

 

「自分で考えろ」

 

 茶柱はそう言い残して教室を出ていった。扉が閉まったあとも、教室にはしばらく重い空気が残った。

 

「……退学って、普通にやばくね?」

 

 池が呟いた。

 

「だからやばいって言ってんだろ」

 

 山内が返す。

 

「いや、お前もやばい側だろ」

 

「お前もな」

 

「俺はギリギリなんとかなる」

 

「その自信どこから来るんだよ」

 

 須藤は舌打ちした。

 

「くだらねぇ。赤点なんか取らなきゃいいだけだろ」

 

「須藤くん、それが一番難しい人もいると思うよ……」

 

 櫛田が控えめに言う。

 

「俺はバスケがあるんだよ。勉強ばっかやってられっか」

 

「でも退学になったら、バスケもできないよ」

 

 櫛田の言葉に、須藤は少しだけ黙った。そこは響いたらしい。

 

 平田が立ち上がる。

 

「みんな、少し話を聞いてほしい。このままだと本当に退学者が出るかもしれない。だから、クラスで勉強会を開かないかな」

 

「勉強会?」

 

 池が露骨に嫌そうな顔をする。

 

「中間テストまでに、分からないところを教え合うんだ。得意な人が苦手な人を手伝えば、赤点は避けられるかもしれない」

 

「私も手伝うよ」

 

 櫛田がすぐに続いた。

 

「みんなで頑張れば、きっと何とかなると思う。退学なんて絶対嫌だし」

 

「櫛田ちゃんが教えてくれるなら行く」

 

 山内が即答する。

 

「山内くん、理由が少し違う気がするけど……」

 

「いや、やる気はある。かなりある」

 

「説得力ないぞ」

 

 池が突っ込む。

 

 平田と櫛田の提案は、少なくとも悪いものではなかった。退学者を出さないためには、勉強が苦手な生徒を放置するわけにはいかない。問題は、その対象になる生徒たちに危機感があるかどうかだ。

 

 堀北は冷たい表情でそのやり取りを見ていた。

 

「堀北さんも、手伝ってくれないかな?」

 

 平田が声をかける。

 

「私が?」

 

「堀北さんは成績も良さそうだし、教えるのも上手そうだから」

 

「買いかぶりね」

 

「でも、力を貸してくれたら助かるんだけど…」

 

 堀北は少しだけ視線を落とした。以前の堀北なら、即座に切り捨てていたかもしれない。やる気のない人間に時間を使うのは無駄だと、そう言っただろう。今も、そう考えている部分はあるはずだ。

 

「退学になりたくないなら、自分で努力すべきよ。赤点を取るのは本人の責任でしょう」

 

「それはそうだけど、クラスとして退学者を出すのは避けたいんだ」

 

 平田は粘る。

 

「Aクラスを目指すなら、足を引っ張る生徒を抱える余裕はないわ」

 

「じゃあ、見捨てるってこと?」

 

 櫛田が少し不安そうに聞いた。

 

「そうは言っていないわ」

 

 堀北の返答は少しだけ遅れた。

 

 オレはその遅れを見逃さなかった。完全に突き放すなら、すぐに答えられたはずだ。だが、彼女は一瞬だけ迷った。兄に言われた言葉が残っているのかもしれない。誰かを拒絶するだけで自分を保とうとするな。あの言葉は、堀北の中でまだ消えていない。

 

「ただ、やる気のない人間に時間を使うつもりはない。それだけよ」

 

「やる気がある人には教えてくれるってこと?」

 

 櫛田が少しだけ表情を明るくする。

 

「最低限の努力をするなら、分からないところを答えるくらいはするわ」

 

「ありがとう、堀北さん」

 

「感謝されるほどのことじゃないわ」

 

 堀北はそっぽを向いた。だが、完全に拒否はしなかった。

 

「おいおい、俺たちが足引っ張ってるみたいな言い方やめろよ」

 

 池が不満そうに言う。

 

「実際、赤点候補なのは事実でしょう」

 

 堀北は容赦がない。

 

「まだ赤点取ったわけじゃねぇし!」

 

「取ってからでは遅いわ」

 

「なんだよ、その言い方」

 

 須藤が低い声を出す。

 

「あなたたちが退学になりたくないなら、最低限の努力くらいしなさいと言っているだけよ」

 

「上から目線で言われると腹立つんだよ」

 

「事実を言われて腹を立てる前に、教科書を開いたらどうかしら」

 

「……んだと?」

 

「須藤くん、落ち着いて」

 

 平田がすぐに間に入る。櫛田も池と山内の方へ回り、場をなだめた。

 

「みんな、言い方はともかく、今は本当に危ないんだと思う。まずは一回だけでも勉強会に参加してみよう?」

 

「一回だけなら……まあ」

 

 池が渋々と言う。

 

「櫛田ちゃんが来るなら」

 

 山内も続く。

 

「お前ら理由が軽いな」

 

 須藤は不満そうだったが、完全に拒否はしなかった。

 

 放課後、教室の一角に勉強会の席が作られた。平田と櫛田が中心になり、堀北も少し離れた位置に座る。須藤、池、山内は渋々残った。悟空は最初から参加する気があるのかないのか分からない顔で席に座っている。ベジータは腕を組んだまま、教えること自体が屈辱だと言いたげだった。トランクスは一番真面目にノートと筆記用具を準備していたが、誰もそれには触れなかった。

 

「まずは数学からやろうか」

 

 平田が問題集を開く。

 

「数学かよ……」

 

 池が露骨に嫌な顔をする。

 

「英語よりマシだろ」

 

 山内が言う。

 

「どっちも無理だろ、お前」

 

「うるせぇな」

 

 須藤は問題集を開きながら、すでに不機嫌そうだった。

 

「分からないところがあれば、基礎から確認していこう」

 

 平田は丁寧に言った。

 

「まず、この一次方程式だけど――」

 

「わかんねぇぞ!」

 

 悟空が問題集の代わりに弁当を広げた。誰もが一瞬固まる。

 

「なんで今弁当を出すんだよ!」

 

 池が叫ぶ。

 

「ここは勉強会よ」

 

 堀北が冷たく言う。

 

「なぁんだ弁当会じゃねえんか」

 

「違うわ」

 

「じゃ、けえるか」

 

「その理屈で通ると思っているなら、あなたはかなり危険ね」

 

 悟空は悪びれる様子がない。さらに、問題集の横に食堂のメニュー表らしきものを置いている。

 

「そ…それは何?」

 

 櫛田が恐る恐る聞く。

 

「今月の食堂攻略表だぞ。こいつを見てると、オラ腹減っちまって……」

 

「問題集より真剣に見ているわね」

 

 堀北が呆れる。

 

 その隣で、ベジータが腕を組んだまま顔を背けていた。

 

「フン……このオレがバカどもと並んで勉強などできるか」

 

「ベジータくんも、一緒にやろう?」

 

 櫛田が声をかける。

 

「このオレに勉強会など必要ない!」

 

「プライドでテストの点数は変わらないと思うよ」

 

 櫛田は笑顔を保っているが、少し困っているようだった。

 

「まず基礎固めからやるのが大事かな」

 

 平田が言う。

 

「僕もそう思います。赤点を避けるには、苦手分野の把握が必要です!」

 

「じゃあ、須藤くん。この問題を一緒に解いてみようか」

 

「はい! ですから僕が今そう言おうと――」

 

 トランクスはまた微妙に流された。内容は正しいのに、存在だけが薄い。

 

 そして、悟空は席を立った。

 

「どこへ行くの?」

 

 堀北がすぐに聞く。

 

「悪いけど急ぎの用事が出来ちまったんで……」

 

「急ぎの用事って何だよ」

 

 池が言う。

 

「向こうに強い気を感じる」

 

「そっち食堂だろ」

 

 山内が突っ込む。

 

「ゴチャゴチャ言うな!オレを困らせたいか!!」

 

「帰ろうとしているだけじゃない」

 

 堀北の声が鋭くなる。

 

 悟空は教室の扉へ向かおうとした。だが、扉の前にはいつの間にかブロリーが立っていた。大きな体で入口を塞いでいる。教室の空気が一瞬で変わる。

 

「どこへ行くんだぁ?」

 

「ちょ…ちょっと食堂の様子を見てくるだけだぞ……」

 

「いや、今の悟空、完全に逃げようとしてたよな」

 

 池が小声で言う。

 

「してたな」

 

 山内が頷く。

 

 悟空は方向転換し、窓の方へ向かった。まさか窓から出るつもりなのか。ここは一階ではない。普通なら考えない動きだが、悟空ならやりかねない。

 

「ちょっと待ちなさい。窓から出ようとしないで」

 

 堀北が言う。

 

「いまだ!」

 

 悟空がそう言って飛び降りようとした次の瞬間、ブロリーが片手で悟空の頭を掴んでいた。動きは速かったが、机にも窓にも触れていない。学校設備は無事だ。悟空だけが、まるで荷物のように持ち上げられている。

 

「なんなんだぁ?今のは……」

 

「ブロリーくん、机と窓は壊さないで」

 

 堀北が真っ先に注意した。

 

 そこなのか、とオレは思った。だが確かにそこは重要だ。悟空がどうなっても知らないが、学校設備を壊せばクラスポイントが減る可能性がある。

 

「人はいいのか?」

 

 オレが小さく言うと、堀北は眉を寄せた。

 

「よくはないわ。ただ、今は設備の方が分かりやすく減点対象になるでしょう」

 

「冷静だな」

 

「冷静でいないと、このクラスはすぐ終わるわ」

 

 ブロリーは悟空を席に戻した。正確には、座らせた。椅子は大きな音を立てたが、壊れてはいない。ぎりぎりだった。

 

「お前の出番だぞ、ベジータ!」

 

 悟空が何か言いながらベジータの方を指した。

 

「ダニィ!?」

 

「身代わりにしようとしてないか?」

 

 池が言った。

 

 次の瞬間、ベジータがブロリーのタックルを食らった。何が起きたのか分からないが、ベジータは椅子ごとではなく、本人だけが少し後ろへ吹っ飛んだ。幸い壁にも机にもぶつからず、床に転がっただけで済んだ。普通なら大問題だが、本人はすぐに起き上がった。

 

「なぜオレまで…」

 

「元気そうだな」

 

「元気と言っていいのか分からないけどね……」

 

 櫛田が困ったように笑う。

 

 トランクスが立ち上がる。

 

「大丈夫ですか!?」

 

「大丈夫そうだな、たぶん」

 

 山内が言う。

 

「大丈夫そうではありません!」

 

「じゃあ、勉強会を再開しよう」

 

 平田が言いきった。

 

 その時、教室の扉が少しだけ開いた。そこからパラガス校長が顔をのぞかせている。どうやら廊下から様子を見ていたらしい。

 

「パラガスでございます。教室内の安全確認に参りました」

 

「こ…校長先生、何をしているんですか?」

 

 櫛田が戸惑いながら聞く。

 

「ただいま一生懸命ブロリーの学習状況を調査しています。もうしばらくお時間を……!」

 

「今のところ、学校設備は壊れていません」

 

 堀北が冷静に言う。

 

「それを聞いて安心したというわけだぁ! では私はこれで避難――いや、巡回を……」

 

「責任逃れのように聞こえるな」

 

 オレが小さく言うと、パラガス校長は扉の向こうで何か言いたげにしたが、廊下の奥から職員らしき声が聞こえた途端、静かに姿を消した。

 

「……本当に校長なのかしら」

 

 堀北が呟く。

 

「校長らしい」

 

「この学校の評価基準がますます分からなくなるわ」

 

 それは同感だった。

 

 悟空は席に座らされた。ベジータもなぜかその隣に座ることになった。トランクスは最初から真面目に座っていた。ブロリーは悟空の後ろに立ち、監視するように見下ろしている。勉強会というより、逃亡防止の取り調べに近い。

 

「……力で座らせることだけはできるのね」

 

 堀北が言った。

 

「それを認めていいのかは分からないがな」

 

「でも、問題を解くのは本人よ」

 

「そこが一番の問題だな」

 

 ブロリーは悟空を席に戻せる。だが、問題文を読ませることはできても、理解させることまではできない。殴っても学力は上がらない。実に単純な現実だった。

 

「じゃあ、改めて始めよう」

 

 平田は気を取り直して問題集を開いた。

 

「まずこの問題。2x+3=11。xの値を求めるんだけど――」

 

「2xって何だよ」

 

 須藤が早速つまずいた。

 

「xは未知数だよ」

 

「未知数?」

 

「分からない数を文字で置いているんだ」

 

「分からないなら出すなよ」

 

「そういう問題なんだ……」

 

 平田がすでに少し苦労している。

 

「須藤くん、まずは移項からやってみよう」

 

 櫛田が優しく言う。

 

「移項ってなんだよ」

 

「そこからなのね」

 

 堀北が小さく呟いた。

 

「堀北さん」

 

 櫛田が困ったように見る。

 

「分かっているわ。今のは独り言よ」

 

 堀北は須藤のノートを見て、ため息をついた。

 

「まず、両辺から3を引きなさい」

 

「両辺?」

 

「右と左。式の両側よ」

 

「最初からそう言えよ」

 

「今言ったでしょう」

 

 須藤は不満そうだったが、言われた通りに書き始めた。堀北の口調は相変わらず鋭い。ただ、席を立つことはなかった。

 

 池と山内は別の問題を見ていたが、すぐに雑談へ流れかける。

 

「なあ、これ終わったら食堂行かね?」

 

「ポイントないだろ」

 

「無料山菜定食ならいける」

 

「山菜ばっかで飽きたんだよな」

 

「二人とも、問題に集中しなさい」

 

 堀北の声が飛ぶ。

 

「はい……」

 

「なんで先生みたいになってんだよ」

 

「先生より怖いからだろ」

 

 池と山内は小声で言い合いながら、問題集に視線を戻した。

 

 悟空は問題文を読んでいるように見えた。だが、しばらくすると首を傾げる。

 

「リンゴが三つ……パンが二つ……」

 

「問題文を最後まで読みなさい」

 

 堀北が言う。

 

「最後まで読む前に食っちまえば早いんじゃねえか?」

 

「食べ物は関係ないわ」

 

 問題文にリンゴやパンの数が出てくると、悟空だけが妙に反応する。

 

「でもよ、数を数えるなら、まず味を確かめねえとな」

 

「食べる話ではない。数を求める話だ」

 

 オレが言うと、悟空はこちらを見た。

 

「つまり、いくつ食えるかってことか?」

 

「通訳みたいなことをさせるな」

 

 ブロリーが後ろで低く反応する。

 

「やっと勉強する気になったかぁ?

 

「お前も勉強するのか?」

 

「はい…」

 

 ブロリーは鉛筆を手に取った。次の瞬間、鉛筆が少し嫌な音を立てた。

 

「ブロリーくん、気を静めなさい」

 

 堀北がすぐに注意する。

 

「はい……」

 

「返事はいいから、鉛筆を折らないで」

 

 ブロリーは慎重に鉛筆を持ち直した。だが、文字を書くというより、紙を削りそうな圧だった。

 

 ベジータは簡単な計算問題を前に、なぜか勝負を始めていた。

 

「この程度の問題、オレに解けぬはずがない!」

 

「誰と戦っているんだ?」

 

 池が言う。

 

「黙っていろ!これはオレと未知数xとの戦いだ!」

 

「問題と戦っているつもりかしら?」

 

 堀北が冷静に言った。

 

「ある意味、正しいかもしれないな」

 

「正しくないわ。解きなさい」

 

 トランクスは横から正しい解き方を説明しようとしていた。

 

「まず両辺から3を引いて、2x=8にするんです!」

 

「なるほど、まず両辺から3を引くんだね」

 

 櫛田が頷く。

 

「ハイ!そして両辺を2で割れば、x=4になります!」

 

「じゃあ須藤くん、もう一問やってみようか」

 

 平田が続ける。

 

 トランクスの説明は採用されているのに、説明者としては認識されていない。相変わらず器用な流され方だった。

 

 勉強会は、想像以上に前途多難だった。須藤は基礎の基礎でつまずき、池と山内は気を抜くとすぐ雑談に流れる。悟空は問題文を読まない。ベジータは勝手に勝負を始める。ブロリーは監視役としては機能しているが、勉強そのものにはほとんど参加できていない。トランクスは真面目なのに、なぜか薄い。平田と櫛田は必死に空気を保ち、堀北は頭を抱えながらも、質問されれば答えていた。

 

「堀北さん、ここってどうするの?」

 

 櫛田が聞く。

 

「そこは公式を使えばいいわ。ただし、公式を覚えていないなら、まずそこからね」

 

「ありがとう」

 

「感謝する前に、覚えさせて」

 

 堀北の言い方は厳しい。だが、教えてはいる。切り捨てるつもりなら、そもそもここに座っていないだろう。

 

「須藤くん、もう一回だけやってみましょう」

 

「まだやんのかよ」

 

「あなたが退学になりたくないなら、やるしかないでしょう」

 

「分かってるよ……」

 

 須藤は不満そうにしながらも、鉛筆を持った。

 

 ブロリーは悟空を監視し続けている。悟空が席を立とうとするたびに、気配だけで止めていた。効果はある。だが、悟空のノートはほとんど進んでいない。

 

「力で逃亡を防ぐことはできる」

 

 オレは小さく言った。

 

「でも、理解は本人にしかできない」

 

 堀北が続ける。

 

「Aクラス以前の問題だな」

 

「ええ。今のDクラスは、まず退学者を出さないことから始める必要があるわ」

 

 堀北の声は冷静だった。だが、以前のように完全に切り捨てる響きではない。彼女なりに、Dクラスを見るようになっているのかもしれない。まだ不器用で、言葉は鋭いままだが、少なくとも目を逸らしてはいない。

 

 オレは問題集を見る。茶柱は中間テストの範囲について、授業で扱った範囲とだけ言った。赤点ラインも明確ではない。学校は対策を教えない。だが、完全に情報を遮断しているわけでもないように思える。過去に同じ試験を受けた上級生はいるはずだ。出題傾向や過去問のようなものが存在する可能性もある。普通に勉強するだけでは、赤点候補を全員救うには危険かもしれない。

 

 ただ、それを今ここで口にするつもりはなかった。今のDクラスに必要なのは、まず目の前の問題集を開かせることだ。過去問や出題傾向の話は、その次でいい。

 

「おい悟空、問題集を見ろよ」

 

 池が言う。

 

「よし。これだな」

 

「弁当じゃねぇよ!」

 

 山内が突っ込む。

 

 ブロリーが低く反応する。

 

「カカロットォ……」

 

「やべッ」

 

 悟空は慌てて問題集を開いた。開いただけだった。

 

「……殴っても学力は上がらないわね」

 

 堀北がぽつりと言った。

 

「今、かなり大事なことを言ったな」

 

「冗談ではなく本気よ」

 

「分かっている」

 

 Aクラスに上がる。

 

 その言葉だけなら簡単だ。だが今のDクラスには、その前に赤点を取らないという、ひどく低い壁から越える必要があった。

 

 そして、その低い壁の前で、悟空は問題集ではなく弁当を見ていた。

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