マブラヴ ラグナロク   作:玉葱狂い

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第三話 エカチェリーナ作戦その① 聖ワシリイ作戦編

1976年6月22日午前4時、エカチェリーナ作戦、およびそれに付随する聖ワシリイ作戦が発動された。

 

----1976年6月22日午前4時3分モスクワ----

 

モスクワの市街地は、未だ薄暗かった。ガス灯が薄く光り、今にも消えてしまいそうだ。

市内をいつも走っているバスは、まだ走っていない。

そんなモスクワの大通りの歩道を、数人の男たちが足早に走り抜ける。

彼らは作業服を着ており、作業員に扮していた。

間もなく男たちは路肩に止めてあった車に乗り込んだ。

車には爆弾、ペンチ、起爆装置、毒薬が積まれている。

 

車に乗っている聖ワシリイ作戦モスクワ市内特務作戦課長が口を開く。

「いいか、絶対に失敗するなよ。発電所の建屋は絶対に叩け。弁務官区のビルも忘れるな。この作戦の成否は俺たちの事前の妨害工作にかかっているんだ。成功は保証できん。だが失敗だけはするな。祖国の大地を取り戻すための前哨戦だ。なんとしてでも任務を完遂しろ。」

 

その日の午後一時、モスコーヴィエン国家弁務官区の弁務官区ビルへ爆弾テロがあった。さらに、その二時間後には市内ほぼ全域、それどころか弁務官区内のほぼすべてが停電状態となった。通信網はほとんど遮断され、電子の孤島となっていた。午後六時、モスクワからリペツクへ走る列車がトゥーラで脱線事故を起こした。原因はレールが取り外されていることだと判明したが、そのころには既に弁務官区内のインフラの全ては機能不全になっていたところであった。

 

ここまで成功したのは、ロシアの諜報員が凄かっただけでなく、モスコーヴィエンに問題があったことも要因である。

送電網も通信網も脆弱で、バックアップ電源など存在せず、発電所も旧式、しかも中継器は壊れかけで、随時直す必要があるという欠陥があり、ドイツ軍が全く管理できていなかったことも原因である。

 

後の調査では、実際に破壊されたのは数か所の変電所と通信中継施設、そして発電所数か所に過ぎなかったことが判明している。

しかしモスコーヴィエンの電力網は極度に脆弱であり、冗長化もほとんど存在しなかった。

そのため基幹変電所の損害を契機として系統周波数が急激に低下し、保護装置が連鎖的に作動。結果として広域ブラックアウトへと発展した。

 

----翌23日未明ニジニノヴゴロド----

 

午前五時のいまだ薄暗いころ、静寂に包まれたヴォルガ川東岸を、耳をつんざくほど大きな音が鳴り響いた。

笛の音である。

「ビィィィーー!!!」

砲撃開始の笛だ。

その瞬間、ヴォルガ川東岸部、ニジニノヴゴロドに控えていたロケット砲が火を噴いた。この攻撃に参加したのは、第38ロケット砲兵師団および第79ロケット砲兵旅団である。

ニジニノヴゴロドには、鉄の雨が降り注いでいる。ロケット砲車両の運転席からは、川の対岸に無数の赤い閃光が見えた。おそらくは爆発の炎なのであろう。

空からは耳を塞ぎたくなるほど大きな飛行機の音が聞こえてくる。

ロケット砲の炎は信じられないほど大きく、そして自走砲から発射される砲撃の音は天地を崩らせるほどである。

 

見渡す限り自走砲とロケット砲が並んでいる。それは、数百に渡る自走砲と千数百両のロケット砲である。その後ろには大量のトラックが控えており、エンジンを轟かせ、今にも走り出しそうである。

川には工兵隊の姿が見え、橋を架けている様子が見える。工兵隊は既に川へ飛び込んでいた。木材を組み上げる者、運搬されてきた架橋パーツを接続する者、水上橋を展開する者。誰もが砲撃の轟音の中で作業を続けている。ここは要衝の一つであり、ここから戦車部隊を大量に流入させるのが狙いである。

 

また空を見れば、バタバタバタとヘリのローターが回転する音が聞こえてくる。

ロシア軍のヘリは果敢にもニジニノヴゴロド市内へ躍り出る。そこからロープで兵士が降下する様子が見える。また別のヘリを見れば、空挺用の軽戦車を吊り下げているのも見える。

ヘリボーン部隊の強襲は、市内への攻撃に対して効果的であるようだ。

 

砲撃の音は鳴りやむことを知らず、数十分の砲撃の音さえ永遠に思えるほど長かった。

その後市内を見渡せば、そこにはもう瓦礫の山しか残っていなかった。

 

その後、T-72の群れと歩兵が荒海の潮の如くニジニノヴゴロド市内へ躍り入った。

後の調査で、守備隊は数千人規模だったことが判明した。その大半は砲撃で壊滅し、生き残りも西方へ撤退していた。

 

1976年6月24日午前1時38分、ニジニノヴゴロドは再びロシアの手に戻った。

 

----同日午前七時ごろ----

 

全戦線の要所で攻撃が開始された

ヤロスラヴリ、ルイビンスク、イヴァノヴォ、ウリヤノフスク、トリヤッチ、サマラなど、かつてルーシの地であった場所で次々と戦闘が繰り広げられた。

第37歩兵師団、わずか11時間でルイビンスクを攻略、市内に残されていたドイツ軍の記録によれば、市内にはドイツ兵がわずか三千人しかいなかったことが分かった。

ほぼすべての前線においてこのような極端な兵力欠乏状態で、モスコーヴィエン駐屯軍70万のうち、ロシア国境部には常に二十万人が配置されていたが、長い前線に薄く配置するほかなく、BETAの鎮圧のための駐屯軍のうち30万人が回されており、国境線には10万人のみと半減、元から低かったドイツ国防軍の充足はわずか2割まで低下していた。

 

ドイツ軍の戦力を考えてみよう。

ドイツ本国に常備兵力40万人

東方駐屯軍254万人

内訳は次の通りである。

ポーランド12万人

オストラント国家弁務官区駐屯軍50万人

ウクライーネ国家弁務官区駐屯軍62万人

モスコーヴィエン国家弁務官区駐屯軍70万人

カウカズス国家弁務官区駐屯軍52万人

ゴーテンラント(クリミア)駐屯軍8万人

 

北方駐屯軍21万人

内訳

在デンマークドイツ軍1万人

ノルウェー駐屯軍12万人

イギリス駐留軍8万人

 

西方駐屯軍(事実上廃止状態)6万人

ニーダーランデ駐屯軍6万人

 

バルカン方面軍10万人

在ルーマニアドイツ軍4万人

在ハンガリードイツ軍4万人

在スロバキアドイツ軍2万人

 

全て併せて331万人である。

同年の日本の総兵力が、在外日本軍もすべて合わせて112万人であることを考えれば、その異常なまでの多さは簡単に知ることができる。

ドイツ国防軍のこの異常なまでの兵力の多さは、ひとえに東部総合計画と国家弁務官区が原因であり、同盟国に駐留するドイツ軍の東方と比べての少なさを考えれば、東部総合計画がいかに非効率的で兵士と予算を食うかが分かる。

そして、これら東方駐屯軍のうち、少なくとも80万人が抽出されたとみられている。その元の配置場所は、ポーランド、オストラント、ウクライーネ、モスコーヴィエンである。ドイツ軍はBETAを戦車と航空機の物量で押しつぶすつもりでこれだけの兵力を派遣したのだろうが、結果的にこれらは二ヶ月以内に全てBETAの餌となってしまう。

 

----1976年6月24日未明モスカウ市国家弁務官ビル地下8階弁務官区防衛総司令官執務室----

 

ミュラー陸軍上級大将が口を開く。

「クソが!前線との連絡はまだ取れていないのか!それ以上に、市内の停電と通信断絶はいつになったら回復するのだ!それに、国境方面から意味不明な報告が来ている。こんなこと、総統にどう報告すればいい!!」

 

参謀のケラー大佐が宥める。

「落ち着いてください上級大将閣下、作戦室をはじめとした重要施設には、このビルの地下に設置された緊急用発電機からの電気が届いている。それに、精度は悪いかもしれませんが無線だってあります。それに、ロシア軍が攻めてきたという情報も真偽は確かではありません。今はモスカウやパウルスブルク*1、ザンクトペーターズブルク*2のインフラ復旧を急ぐべきです。停電に鉄道の破壊工作、通信の断絶は深刻であるため、それらの復旧を急ぎましょう。」

 

上級大将が口を開く

「そうだな。私としたことが、冷静な判断を失ってしまっていた。よし、すぐに復旧の準備をさせるぞ」

 

大佐が問う

「まずは何から復旧いたしますか?」

 

上級大将が答える。

「まずは電気だ。これがないと連絡も何もできん。次に通信だ。鉄道は最後で良い。どうせ国境方面からの報告はいつも通りロシアの農民どもが入って来た程度のものだろう。そんなこと、いつものことだ。」

 

「了解いたしました。地下二階の通信室へ向かい、無線で各地に報告いたします。」と大佐は答えた。

 

「ああ、よろしく頼む。」

 

バタン、と扉は閉じ、ミュラー上級大将は一人になった。

「国境部から謎の報告、か。これはいつものことだが、市内が停電するなどこれまで起きなかった。私は何かを見落としているのか?はぁ、そんなことを考えても仕方ない。今はとりあえず復旧を待つだけだな。」

 

----同日昼頃モスコーヴィエン国家弁務官区第十七軍管区ウラジミール市*3----

 

ウラジミール市に駐在する第百一装甲師団の師団長は、思わず叫んだ。

「おい、増援はまだ来ないのか!ロシア軍が攻めてきてるぞ。しかも、あいつら大量のヘリと戦車でこっちに来てる。あと数分でここまで来る。今すぐ対空砲と対戦車砲を用意しろ!8.8cm対空砲(アハトアハト)でも何でもいい。とにかく砲を用意しろ!じゃないとやられるぞ!ここには8000人しか駐在してないんだ!」

 

連隊長が答える。「第九十三歩兵師団と第七十装甲師団が西へ行っちまいましたからね。その二個師団さえあればここには3万はいたはずです。それに、ここの武器庫には砲はありますけど弾が銃弾しかありません。砲弾がないのは八年ぐらい前から続いてますが、まさかそれがこんなことになるとは...」

 

師団長が怒りをあらわにして言う。「だから言ったんだ!モスコーヴィエン国家弁務官区に!二週間は戦える分の砲弾を寄越してくれと。六年もずっと砲弾がない状態なんだぞと!...後悔しても遅いがな。まあ、ここは持ってあと三時間だな。すぐに戦闘の準備をしろ。戦えるだけ戦うんだ。」

 

「了解!」とその場にいた連隊長二人、参謀一人が答え、師団長室から出て行った。

 

1976年6月25日、ウラジミール市のドイツ軍は壊滅し、ロシア軍はモスクワまであと170kmの地点に達した。ウラジミールとモスクワの間で組織的な防衛拠点として機能するのは、東方21kmのバラシハ基地およびその東方29kmのノギンスク基地のみであった。もしノギンスクが突破されれば、モスクワ東方を遮る防衛線は事実上消滅する。それは、すなわちモスクワは間もなく陥落するということを意味した。

 

----1976年6月26日早朝----

北方でロシア軍は、ノヴァヤ・ラドガ市を突破し、サンクトペテルブルクまであと118km地点に迫っていた。

6月23日にオロネツ陸軍基地から侵攻を開始したロシア陸軍第三十七軍は、国境から120kmもの距離を3日の内に進撃していたのである。

ノヴァヤ・ラドガからサンクトペテルブルクまでの間には、ソペリ、ナジヤ、シュリッセリブルクなどの小規模な基地しかない。それら三つを合わせてもわずか6000人しか兵はいない。シュリッセリブルクのすぐ近くにあるキロフスクからネヴァ川を突破されれば、サンクトペテルブルクはもう丸裸の状態である。サンクトペテルブルクには一応5万の兵力が常駐しているが、ベラルーシ方面への派遣により2万人まで減少している状態だ。サンクトペテルブルクがロシアの手に落ちるまで、そう時間はかからないだろう。

 

----1976年6月27日未明----

 

ノギンスク市の監視の兵が、銃撃あるいは砲撃らしき音を聞いた。

この兵士は上官に報告した。間もなくしてこの報はノギンスク駐屯地の基地司令の耳に入り、基地は臨戦体制へ移行した。

しかし、その報告が基地司令部へ届いた頃には、ロシア軍先頭部隊は既に基地から7km地点に達していた。

 

同日早朝、ノギンスク駐屯軍はロシア軍先遣隊と接敵した。ノギンスクには砲弾は比較的あったが、燃料が欠乏していた。もって一週間程度である。

ノギンスク基地はロシア軍のヘリボーン部隊とT-72の車列に基地は蹂躙され、ロシア軍は少なくない戦車とヘリを消耗したが、物量で押し切り、その日の昼の内にノギンスクは陥落した。

 

バラシハの基地からは、火の手の上がっているのが見えた。ノギンスクから「ノギンスク基地に攻撃有り。ロシア軍の攻撃と認む。」との伝達からこれをロシア軍の攻撃と断定した。

バラシハ基地の司令部は、直ちにこのことをモスカウへ伝達した。しかし、モスカウは「そんなものは誤報だ」と信じて疑わず、「工場の爆発か何かだろう」と返されてしまった。

バラシハからノギンスクまでは30km、ロシア軍はここから軍事基地がほぼ存在しないルートを通過する。となれば、あっという間にここにたどり着いてしまうだろう。しかし、ロシア軍はノギンスク周辺で侵攻を停止した。

 

----1976年6月27日午後3時モスカウ市国家弁務官ビル地下8階弁務官区防衛総司令官執務室----

 

「何だと!?ロシア軍の侵攻?そんなものは誤報だ!奴らにそんなことをできる戦力も!技術も!生産力もないはずだ!工場の爆発か何かだろう!ロシア軍が進行して来るなど、絶対にありえない。絶対にな!」

ミュラー上級大将は、報告に来たヴェルナー中佐を怒鳴りつける。

 

ヴェルナー中佐は続ける。

「しかし、ノギンスクの基地からも報告は届いています。ノイズが多く完全な内容は分かりませんが、攻撃を受けたことは確かだそうです。」

 

ミュラーは怒りのままに言う。

「バカな。そんなことがあり得るのか?この十年の間、奴らは蘇ったとでもいうのか?ロシア軍だと?そんなものはずっと昔に叩き潰し、二度と復活できないようにロシアの大地を爆撃で焼き尽くしたはずだ!あり得ない!そんなことは!絶対に!!!!」

 

「落ち着いてください。上級大将閣下。とりあえず、この情報が仮に本当だとして、どういたしますか?」

と中佐は宥めた。

 

「...そうだな。私としたことが。中佐、すぐに第一軍管区の総責任者であるブラント中将を呼んで来い。俺の名前を出したら来るだろう。集合場所は、この階の第7作戦室だ。ケラー大佐とシューマッハー少将も呼べ。できるだけ早くな。」とミュラーは言った。

 

「了解しました」と敬礼をして、中佐は執務室を出て行った。

 

上級大将は一人残された。彼は、戦況がどうなっているかについて考えだした。

「ノギンスクが落ちたとなれば、ザンクトペータースブルグやパウルスブルクも危ないかもしれないな...クソ!こんな時、すぐに連絡が取れていればすぐにでも本国に報告して軍を動かすこともできたというのに!なんということだ」

 

二時間後

 

ミュラー上級大将は、口を開いた。

「つい先ほど、ここから50km離れたノギンスクの基地に攻撃があったとの報告があった。我々はどう動くべきだろうか?ブラント中将?」

 

ブラント中将が答える。

「はっ!速やかにバラシハとモスカウの防衛準備を行うべきです。」

 

上級大将は機嫌が悪そうに言う

「そんなことは分かり切っている。もしバラシハが落ちたらどうするんだ!ここから速やかに移動でき、かつ機能が十分にある場所など存在しない!前線から離れた基地といえば、ここから170km離れたトゥーラか、460km南のヴォロネジ、あるいは南西に340km離れたブリャンスクぐらいだぞ!どうするんだ!」

 

ブラント中将が言う。

「上級大将殿、なぜあなたはモスカウが陥落する前提で話を進めているのですか?あなたは敗北主義者であるのではありませんか?偉大なる初代総統が発動させたバルバロッサ作戦、そしてその後のタイフーン作戦で確保されたモスカウが、あのような奴らの手に落ちるだと?あり得ません。バラシハの部隊を増強し、モスカウの防衛準備を整えるだけで十分です。」

 

上級大将は途端に落ち着いた。

「...そうは言ってもだな、ノギンスクが落ちたらもう後はバラシハとここ(モスカウ)しかないんだ。それに、バラシハとノギンスクの間に目立った基地はない。気付いたころには、もう落ちているのが関の山だ。我々はもう、ダメなのかもしれない。だから、すぐにここ(モスカウ)の防衛準備をするぞ」

 

「...了解しました。すぐに準備を開始しましょう。」とブラント中将

会議開始から既に3時間、会議らしい時間は少なく、罵倒と混乱、そして敗北主義者のレッテルの張り合いばかりであったが、午後8時、ついに会議はまとまった。

防衛準備の完了まで、一日はかかる見込みであった。

 

----1976年6月28日サンクトペテルブルク----

ロシア陸軍は、サンクトペテルブルクまであとわずか8kmの地点まで迫っていた。ロシア陸軍8万に対し、ドイツ陸軍は2万人、それも弾薬、兵器、物資も不足している中である。敗北は必然であった。

しかし、ドイツ軍はここで奮闘し、七時間に及ぶ戦闘の末、イヴァノフスキーを確保した。

そこからロシア軍は道路沿いに進み、戦車が地を這い砲撃し、ヘリが空から瓦礫の山と化しつつあるサンクトペテルブルク市の上空を飛行し、遂に冬宮殿に到達した。ロシア軍の兵士は宮殿にロシア国旗を掲げた。その瞬間を見て涙を流す兵士や、その場でフィルムカメラを持ち込んで写真を撮る部隊もあった。

また、現地で偶然取材をしていたカメラマンの手に留まった。その写真は間もなくフィンランド経由でアメリカに持ち込まれ、7月3日の朝刊には「サンクトペテルブルク陥落」の大見出しが張られた。

 

翌日28日深夜、モスカウでも動きがあった。

特殊任務部隊(スペツナズ)がモスクワの国家弁務官区ビル周辺に降下、ドイツ軍は空から衝かれる形となり、ビルは完全に包囲された。間もなくロシア陸軍第一空挺師団が降下し、モスクワ市内の重要施設を掌握、スペツナズは弁務官区ビルへ突入し、モスコーヴィエンの国家弁務官であるジークフリート・カッシェは捕虜となり、間もなくカザンへ移送された。

 

----1976年6月29日未明----

 

ゴールドシュミット大佐が駆け足で、息を切らして報告に来た。

「貴様、ノックぐらいはしないか」とミュラー上級大将、その声を遮るように、ゴールドシュミット大佐が声を張り上げる「緊急伝令!モスカウの外に多数の機影あり!降下した部隊はロシア軍の部隊と推測されます!」

「何だと?空挺部隊か?」と上級大将

「ええ、恐らくはそうでしょう。上級大将閣下、我々にもう逃げ道はありません。いかがいたしましょう。」とゴールドシュミット大佐は聞いた。

 

「そうか、我々の命運はもう尽きたのか。最終的勝利(エンドジーク)の期間というのは案外短いものだな。」と漏らす。

そして、ミュラー上級大将はこのように言った。

「君、できるだけ多くの者に伝えろ。通信機器や書類、あらゆる情報をすべて処分せよと。直ちにな」

 

「了解いたしました。直ちに処分に入ります。」

 

大佐は退出していった。あとには上級大将が一人残されただけだ。

「そうか、ここはもう包囲されているのか、モスカウの陥落は近いな...」と漏らす。

「すまない、私は先に逝かせてもらおう」と独り言を言い、何かを書き始めた。

次にゴールドシュミット大佐が入出したときに見たのは、すでに息絶えたミュラー上級大将であった。

 

 

その語、6月30日にはロシア陸軍の先遣隊である第十一戦車師団が市内を制圧し、主力の第七師団と第三十一戦車師団が続いた。

モスクワはロシアの手に戻ることとなった。陸上部隊が侵攻を開始してからわずか一週間のことである。

 

南方では、パウルスブルクがすでに落ちた。国境から比較的近いうえ、森林や山がほとんどなく、戦車やヘリの通行を妨げなかったため、ドイツ軍は有効な策を打てることができず敗北し、6月26日までにパウルスブルクの東岸が制圧された。そして6月30日深夜、ヴォルゴグラードをロシア軍に明け渡した。

 

これを以て、モスコーヴィエンの三大都市、ザンクトペータースブルク、モスカウ、パウルスブルクは陥落した。

 

さらに、モスコーヴィエンにあったドイツ軍40万のうち、既に10万から20万近くは戦死あるいは捕虜となっていた。これはつまり総兵力の約3分の1分の喪失を意味し、モスコーヴィエン駐屯軍はほとんど機能不全になった。

そこにロシア軍の電撃的な侵攻のために7月7日には組織的抵抗は完全に失われ、各地のドイツ軍は孤立状態となり、相手が誰かもわからぬまま近づいてくる敵軍に発砲し、時には同士討ちさえもあった。

 

ロシア軍は歩兵であっという間に浸透、自動車による速やかな展開により旧モスコーヴィエン各地はあっという間に制圧、そして現地のロシア系住民のパルチザンの協力をも取り付けた。

 

さらに、悪夢のような風景が広がっている。場所もあった。

強制収容所である。東部総合計画の完遂等のために建設された強制収容所の多くは劣悪であり、ひどい悪臭を放ち、この世のものとは思えない凄惨な光景が広がっていた。

 

間もなくしてモスコーヴィエン国家弁務官区は総崩れとなった。

 

1976年7月19日現在の前線はナルバ、プスコフ、ヴェリーキエ・ルーキ、スモレンスク、ブリャンスク、ヴォロネジ、ボルゴドンスク、アストラハンを結んだ線であり、開戦当初から700kmも前進していた。

 

これを以て、聖ワシリイ作戦は完遂されたのである。

開戦からわずか一週間で前線は数百キロ前進した。

しかし、補給部隊はその速度についていけなかった。前線が進むたびに必要なトラックは増え、改軌すべき鉄道も延び続けた。作戦司令部は勝利に酔い、補給線が限界を迎えつつあることを見落としていた。

 

--6月28日ニジニノヴゴロド-モスクワ臨時補給鉄道、ウラジーミル付近--

 

そこには、二人が乗っていた。一人は運転手で曹長、もう一人は副運転手の軍曹である。

「これで何回目だ?」

「何がだ?」

「補給列車への襲撃だよ。ドイツ軍がどこかに潜伏してるんだろうが、ちょっと頻度多すぎじゃないか?」

「確かにな。昨日改軌が終わったここも、さんざんドイツの残存兵の襲撃を受けたらしいしな。」

「だとしたら不安じゃないか?ひょっとするとどこかに爆弾でも仕掛けられてて、ドッカーン!てなるんじゃないのか?」

「そんなわけないだろ。この辺りはもう制圧が終わってるんだぞ?あり得ない!」

「お、そういってたらもうすぐウラジーミル市が見えてきたぞ。モスクワまであと170kmだ。順調だな。」

「そうだな、と言っても、改軌はまだ次のラキンスクまでしか終わってないから、俺らはもうすぐ空の列車を後ろに回送する番だけどな」

 

そんな時、事件が起きたウラジーミル市付近のユリエヴェツにて突然爆発が発生、列車は吹き飛ばされ、二名が死亡、医療物資や食料が散乱し、辺りは混沌としていた。

この列車には、当然モスクワへ輸送される物資も積まれていた。これらのことは、当然様々な場所で起こっており、ロシア軍の補給の弱点をつき、戦闘以外での死者を増やす大きな原因になった。

 

--1976年6月29日サンクトペテルブルク--

 

「クソッ!追加のペニシリンはまだ届かないのか?」

と第三十七軍の方面軍軍医総監が叫ぶ。

「ええ、届きません。次が届くまであと三日はかかります。」

と答えたのは第18師団の軍医中佐である。

「それでは遅い!」

「そうですね、こんなにも医薬品が足りていないとは、冬宮殿はすでに傷病者で埋まっています。」

「今日だけで何人が病死した?医薬品は足りてない。死者を運び出す人でも足りない。そもそも軍医も全く足りていない!」

しばらく中佐と総監の問答が続き、声が入る

「方面軍軍医総監殿」と言ったのは第18師団第二連隊の連隊長だった。

「我が隊は今から野戦病院の保全に全力を尽くします。師団長には既に許可をもらっています。担架も簡易的なものならすぐ用意できるでしょう」

「そうか...協力ありがとう。多分こんな状況は一週間、いや1か月は続くだろうよ。戦闘はまだ続いてるんだからな。」

 

--6月30日モスクワ--

 

「師団長殿、もうどこも一杯です。この周辺は特に戦闘が激しく、野戦病院に使えそうだった建物も崩落していてあまり使えません。弁務官ビルは半壊していますし、どこの施設も前線から送られてきた兵士で一杯です。それに、送られてきた負傷兵の食料も余裕があるとは言えません。」と師団付きの軍医中佐は報告する。

師団長は口を開く。

「そうだな...望みは薄いが、連絡してみよう。至急、モスクワに物資を送ってくれ、負傷兵多数、食糧不足あり、と。さすがに拒絶されることはないと思うが、今はここにある物資だけで頑張るしかないな。それと、聞いたところによれば機能来るはずだった列車が爆破されたらしいな。混乱しているらしいが、そのせいなのだろうか?」

中佐は口を開いた。

「ありがとうございます。必ず来るとは限りませんが、我々に今できることをやりましょう。」

 

 

このような状況は、何もサンクトペテルブルクやモスクワだけで起きたことではなかった。

ヴォルゴグラード、モスクワ、ニジニノヴゴロド、ヴォロネジ、トゥーラ、ヤロスラヴリ、ウリヤノフスク、サラトフでも起きたことである。

 

そして、その原因は間違いなく補給体制にあった。

ロシア軍は、エカチェリーナ作戦において一つ重大な失敗をしていた。それは補給計画である。

鉄道網は常時逼迫していることが前提で、鉄道網は一週間で140km改軌できること、そしてトラックは泥濘にはまることなく、補給の車列はドイツ軍による一切の妨害を受けないという前提にあった。

その結果がこれであったのだ。

 

同時期、前線に不穏な報告が届き始めた。

それは、航空機やヘリが、謎の光に当てられて撃墜されたという報告である。

しかし、それは一定の共通点があった。ミンスクに近づくとそれは起きる、ということであった。

 

これがロシア軍にとって悪夢の一つであるとは、まだ誰も知らない。

*1
スターリングラードのこと

*2
レニングラードのこと

*3
ロシア語ではウラジーミル州ウラジーミル市




ここまでのロシア軍の損害
損失兵員 36万人
戦死 19万人
非戦闘死 17万人
原因
補給の不足、具体的には、医薬品、軍医、病床など不足、兵糧の輸送が間に合っていないこと、さらに機材自体が足りなかったり燃料不足で前線から後方へ傷病者を輸送することができなかったため
戦車 約6000輌
装甲車 約8000輌
自動車等 約42000輌
ヘリ 1700機(うち光線級900機)
航空機 1800機(ほとんどが光線級によるもの、ドイツ軍による撃墜は200機ほど)
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