カ号作戦とカシュガルへの核攻撃、それは中華民国に、大東亜共栄圏に、そして大日本帝国の政界に大きな衝撃を与えた。
1973年4月26日中華民国政府からは「同じ大東亜共栄圏に加盟する常任理事国の一国として、名目上とはいえ我が中華民国の領土たる新疆省カシュガルに核兵器を投下することは極めて遺憾であり、最も強い言葉で抗議する。」と抗議文が届いた。
ヒンドゥスターン共和国からは「我がヒンドゥスターン共和国の北西部にあるカシミールが今般の核攻撃で汚染されたことは極めて遺憾であり、最も強い言葉で抗議し、今般の事態の理由の説明を求める。今回の大日本帝国の非道は共栄圏の信頼関係に大きな亀裂を与えたばかりか、無通告で投下された核兵器により我が国のみならず、各国が大打撃を被った。」と伝えられた。
この二つの抗議文を受け取った段階で、外務大臣である椎名悦三郎は非常にいらだっていた。
ただでさえ軍人内閣で各国は懸念を示していたうえに、着任してすぐにカシュガルへ飛び、帰って来たと思えば、カシュガルが壊滅したとの情報が伝えられ、かと思えば無通告で核兵器を投下し、各国から抗議文が届いてきた。
こんな状況で誰が平静を保っていられようか。
外相は今すぐにでも辻首相に殴り込みに行きそうなほどだったが、相手は歴戦の軍人である。怒りに任せて乗り込んでも何も解決しないと、外相は辛うじて自制した。
そんなことを考えていても仕方ない。
今後しばらくは各国との対応に追われ、そして共栄圏の内部対立の鎮静化や事態の火消しをしなければならないだろう。
そして、核攻撃からわずか数日のうちに、中国やインドだけではなく、大国、中小国問わず、数多の国が日本の非道を非難した。
このような事態の中、帝国議会は開会を要求した。
去年の12月11日に召集された第181回帝国議会は、4月1日から4週間の休会を経て4月28日に再開された。
議題は田中首相の汚職事件を巡り起こった政治資金の規制および政党交付金に関する法整備のことだった。
だが、一週間前の事件があって、議場はかなりピリピリしていた。
衆議院では罵詈雑言と野次が雨あられのように飛び交い、まるで乱闘と喧嘩の会場となっていた。
----1973年4月30日午前8時 衆議院本会議場----
議員がぞろぞろ入ってくる。
おのおのが自分の議席へと座っていく。
8時28分ごろ、議長と副議長が入って来た。
一礼して議長席に就く。
午前8時30分、ついに開議時刻となった。
議長は咳払いをして次のように言った。
「これより会議を開きます。」
議長の宣言と共に、議事が開始された。
次の瞬間「ぎちょーーー!」と浜田幸一議事進行係が呼びかける。
七秒間尾を引く大声が本会議場に響き渡った、
「浜田幸一君」と議長が発言した。
議事進行係は声を張り上げて言った。
「議事日程追加の緊急動議を提出いたします」
「赤沢正道君ほか二十一名提出、辻内閣不信任決議案は提出者の要求の通り、委員会の審査を省略して、これを上程し、その審議を進められることを望みまーーーす!!!」
「浜田幸一君の動議にご異議はありませんか。」
「異議なし」と発言する者、沈黙する者がいた。だが、異議ありと呼ぶ者はいなかった。
「ご異議なしと認めます。よって日程は追加されました。辻内閣不信任決議案を議題といたします。提出者の趣旨弁明を許します。赤沢正道君」
赤沢議員が議長席前の壇上へと上がっていき、台に原稿の紙を置いた。
すると、赤沢議員は口を開いた。
私は、独立協同党番町政策研究会、自由党二日会ならびに社会協和党統一会の三会派を代表し、只今議題となりました、辻内閣に対する不信任決議案に関して提案の趣旨をご説明いたします。
まず、決議案の案文を朗読いたします。
「当院は辻内閣を信任せず、右決議する。」以上であります。
私は、只今、辻内閣不信任案を信任せずと致しました。
しかし、既に帝国臣民の多くは、辻内閣に厳しい審判を下し、共栄圏加盟国の同志国ならびに世界の諸国は我が国に対し、抗議を申しているのであります。
その瞬間、「おおおお!!!!」と歓声が沸いたのに加え、拍手や「そうだ!」とヤジを飛ばす者が居た。
しかし、赤沢議員は続けた。
これ以上、辻内閣に我が国のかじ取りを任せておけない。その世論が圧倒的多数であるという事実を、そして国際世論において外国で事前通告なしに核兵器を使用する事がいかに国際的に非難され得るかという事実を、総理ならびに、翼賛政治会議員の皆さまは厳粛に受け止めるべきです。
ここでもまた拍手が沸いた。
そして、帝国臣民の辻内閣に対する不信任の審判は、同時に今日の日本の政治全体への不信任をも意味し、国際世論からの帝国政府への非難は、我が大日本帝国政府全体への不信用をも意味します。これ以上帝国臣民の政治的不信を、そして国際世論の非難をこのままにしておけば、本院ならびに帝国議会議員たる私たち、延いては我が帝国全土にわたって、全てが取り返しのつかない悔いを残すことになると言わざるを得ません。
「その通りだ!」「そうだ!」「よく言った!」と発言する者がここで出た。
不信任の第一の理由は、内閣総理大臣が天皇陛下の統帥権を輔弼する立場にありながら、帝国議会にも、中華民国政府にも何ら事前通告を行うことなく、新疆省カシュガルに対する核攻撃を命じたことにあります。
その結果、共栄圏加盟国全体の資産であり長年の開発の結晶であるカシュガル空軍基地は壊滅し、加盟国との信頼は著しく損なわれました。
またしても野次が湧き、同感の声が上がった。
そもそも、内閣総理大臣が統帥権を輔弼する最大の責務は、最初には昭和三年から昭和二十二年までに起きた軍部の専横と統帥権の濫用を防ぐことで憲政秩序を守り、二度と軍隊に暴走を起こさせないことにあります。
そして、帝国軍の本来の役割は、帝国の領土、領海、領空、ならびに臣民の命と財産を守り、共栄圏加盟国を守ることにあります。
それを、統帥の最高輔弼者である内閣総理大臣が趣旨を逸脱し、加盟国の領土を攻撃するということはあってはいけないことであります。
ここで、辻首相が突如立ち上がった。
「貴様!栄光ある帝国軍の大陸での動きを統帥権干犯とはふざけるな!そもそも、貴様ら文官どもが陛下から権利を簒奪したのだろうが!」
会場はざわついた。
しかし、軍刀の持ち込みは許可されていない以上、首相が今ここで議員を斬り殺すなどあり得ない事であった。
辻首相は内閣総理大臣席から立ち上がり、演壇へと歩き出し、赤沢議員へと掴みかかろうとした。
ここで国務大臣席から複数の大臣が立ち上がり首相へと駆け出した。
椎名外相を含む多くの閣僚は深くため息をつき、苦々しい表情で立ち上がった。「関わりたくない」と言わんばかりの重苦しい雰囲気があった。
同時に議席に座っている議員も騒然としだし、辻首相を取り押さえようと演壇へと歩みを進めだした。
そして、首相が演壇で立っている赤沢へ殴り掛かった。
議長はここで声を上げた。
「議長から注意いたします」
続けざまに議長は言う。
「やめてください。着席してください。着席してください。直ちに着席をすべきです。直ちに着席をすべきです。」
「内閣総理大臣辻政信君、院内で暴行をしてはなりません。院内で暴行をしてはなりません。内閣総理大臣席へ着席を命じます。着席を命じます。」
首相は怒りに満ち、赤沢議員を罵倒し、拳を振るっている。
その拳は71歳のものとはとても思えないほどのものであった。
しかし、目の前の光景に呆然としていた閣僚たちも首相を止めようと動き出した。
「総理!おやめください」「総理、落ち着いてください!」しかし、首相は止まらない。
そのうち、議場からも怒号が飛び、本会議場はまさに乱闘に近しい状態にあった。
議長は発言した。
「院内での暴行は禁止されております。おやめください。着席すべきです。院内での暴行は禁止です。着席してください。着席すべきです。」
「趣旨弁明の最中ですから着席してください。」
首相は我を忘れて怒鳴り、掴みかかっている。
だが、議長は首相へ呼びかけた。
「議長から命じます。着席してください。議場を混乱させてはいけません。着席すべきです。暴行は禁止されております。着席を命じます。」
議場は騒然としており、正常とは到底思えない。
それから数秒が過ぎても、首相はなお耳を貸さなかった。
本会議場は怒号に包まれ、議長の警告もかき消されてしまった。
議長は遂に決心した。次の瞬間、議場に声が響き渡った。
「議場の混乱を正常化するために、衛視に執行を命じます。」
間もなく複数の衛視が演壇へ駆け寄り、辻首相を取り押さえた。首相はなお抵抗したが、そのまま議場の外へと連行された。
現職内閣総理大臣が本会議場において衛視の執行を受け退場させられる――それは帝国議会史上前例のない事態であった。
議長は赤沢議員の無事を確認すると、会議の休憩を宣言した。8時41分、開議からわずか11分後のことであった。
赤沢議員は辻首相に殴打され負傷していたものの、幸い流血はなく、意識もはっきりしていた。
----衆議院本会議 休憩----
さきほどまでの怒号が嘘のように、議場は静まり返っていた。
だが、議場にはなおも重苦しい空気が漂っていた。
当たり前だ。本会議場で前代未聞の暴行事件が起きたのだから。
議員たちは各々立ち上がり、トイレに立つ者もあった。
----午前10時18分----
議員たちは次々と本会議場へ戻り、自らの席に着いていった。
10時20分が近づいたころ、議長が再び入ってきて、一礼をして議長席に就いた。
辻議員も本会議場に戻ってきており、座っているようだ。
もっとも、議長の命によりその周りは衛視に囲まれ、閣僚たちも疲れ果てた様子で首相の様子を見張っているが。
辻はそれが屈辱でならなかったが、また排除されないためにも、拳を握り締め、歯を食いしばって耐えていた。
議長は再び口を開く。
「休憩前に引き続き会議を開きます。」
「辻内閣不信任決議案提出の趣旨弁明を続行いたします。赤沢正道君。」
赤沢議員は再び演壇へと登った。そして、趣旨弁明を始めた。
議長のお許しをいただき、趣旨弁明を続けます。
私は、さきほど現職内閣総理大臣から暴行を受けました。
しかし、私個人への暴行そのものを問題としているのではありません。
帝国唯一の立法機関たる帝国議会を構成する衆議院の演壇において、内閣総理大臣自らが議事を力によって妨害し、議員に暴力を振るった。
この事実こそが、辻内閣がもはや立憲政治を担う資格を失っていることを、何より雄弁に物語っております。
私は、休憩前の趣旨弁明で「統帥の最高輔弼者である内閣総理大臣が趣旨を逸脱し、加盟国の領土を攻撃するということはあってはいけないことであります。」と申しました。
不信任の理由はそれだけではございません。
内閣総理大臣は議会の統制を受けるべき行政の長としての自覚を失い、暴力によって議事を妨害しました。
帝国憲法第七十条は、「内閣ハ天皇ノ統治權ヲ輔弼シ及帝國議會ニ對シ聯帶シ責任ヲ負フ」と明記しております。
にもかかわらず、内閣総理大臣自らが議会にも加盟国にも説明を尽くさず核攻撃を命じ、その政治的責任を放棄したことは、この憲法秩序そのものへの挑戦であります。
野次がまたしても飛んでくる。
憲政秩序は、まさに昭和二十三年以来帝国議会が最重要視してきたものであり、「憲法秩序そのものへの挑戦」という言葉は議場においては最も強い意味を持ち、議員として失格であるという認識を持たせるようなものだったからだ。
日米冷戦が終わって二年近くが経過し、三十年以上の間外交的に不信で、相互に仮想敵国であった関係が、やっと改善してきていたのであります。
それを、今回のカシュガルへの核攻撃で日米関係は再び深刻な外交的不信へと逆戻りしたのであります。
それは日独関係も同じであります。日独関係が雪解けの兆しを見せていたにもかかわらず、前政権での外交的努力を反故にし、再び一からやり直さなければならなくなったのは、まさに痛恨の極みというほかありません。
加盟国との信義を踏みにじり、帝国の国是たる共栄圏秩序を自ら損ねた今回の攻撃事案は、国体に対する重大な背信行為であったと同時に、天皇陛下に対する不忠の極みであります。
議場は騒然とした。「国体に対する重大な背信」「天皇陛下に対する不忠」この二つの言葉は、議場を混乱させるには十分であった。
拍手もあれば、「その通りだ!」「よく言った!」といった野次を飛ばす者がいる。
大半の議員はなお沈黙を保っていた。しかし、この日の議場では、胸中に抱えていた憤りを抑え切れず声を上げる者が少なくなかった。
一方ではこれに大声を上げて批判する者がいる。
「軍を侮辱するな!」「皇軍を愚弄するな!」「何という無礼だ!」というヤジも飛んできた。
野次を飛ばしたのは、翼賛会内でも軍部への忠誠を旗印とする右派議員たちだった。彼らにとって軍への批判は、そのまま帝国への侮辱に等しかった。
怒号は次第に罵声へと変わり、議場は二つの言葉を巡って騒然となった。
議席の方に目をやりながらも赤沢議員はそのまま続ける。
このように帝国の国是を無碍にし、アジアの安定と平和を破壊し、共栄を蔑ろにする現政権を決して放置しておくことはできません。世界の人々から日本へ信頼と尊敬の念を抱いてもらうには、今回の事件の責任を取り、そして世界各国への説明をすることが不可欠です。
辻内閣が世界各国の信頼を裏切り、あまつさえ国民の不興をも買った総理大臣があたかも軍事政権のごとき専断的な政治を行い、憲政秩序を脅かしているという状況から、このままでは日本は世界の中で孤立するほかありません。
我が国をこんな状態に陥れた辻内閣には、国家と国民に関わる重大な責任があると断ぜざるを得ません。
私たちの訴えは、決して一党一派のためではありません。帝国の憲政を守り、国民の信頼を取り戻し、加盟国との信義を回復し、国際社会における我が国の信用を回復するためであります。
諸君におかれては、党派の別を超え、帝国の将来のため、本決議案にご賛同くださるよう心からお願い申し上げ、私の趣旨弁明を終わります。
議場は拍手に包まれた。
赤沢議員は一礼して演壇から降り、自分の席へ戻っていった。
すると、議長は「討論の通告があります。順次これを許します。榊是親君」と言った。
私は、翼賛政治会を代表いたしまして、只今議案となりました、辻内閣不信任決議案に対し、断固反対の討論を行うのであります。
まず、今回の一連の事態が帝国国内外に極めて深刻な影響を及ぼしたことは疑いようもなく事実であります。
しかしながら、この帝国の危機のなか、内閣を総辞職させることは更なる混乱を招き、国民を圧迫する愚策というほかありません。
また、未確定の情報ながら、カシュガルには月面で発見された異星起源種と同じものとみられる死骸が散乱していたとの報告もあります。
仮にこの情報が事実であるならば、今回の作戦は単なる軍事行動としてのみ論ずることはできないのであります。
かの異星起源種が新疆省において活動を開始していたならば、新疆省のみならず中華全土、さらにはユーラシア全域にまで被害が拡大していた可能性を、我々は軽々に否定できるでしょうか。
「ふざけるな!」「憲政秩序を壊すな!」「そんな論がまかり通るか!」
与党の反対討論に我慢ならなくなった野党席から、一斉に怒号が飛んだ。国際社会の非難を顧みず政権の存続を正当化する論旨に、議員たちの憤りは隠しようがなかった。
しかし、榊議員はなおも続ける。
帝国ならびに共栄圏の資産であるカシュガル空軍基地が失われたことは甚だ残念であります。
しかし、それを以て内閣不信任を突きつけるのは全く異なる問題なのであります。
未知の脅威に対処するには核攻撃しかなかったという視点を欠いていると言わざるを得ません。
カシュガルから最寄りの陸軍基地は400km離れたアクス基地、航空基地は2500km以上離れたウランバートルまたは蘭州、にしか存在せず、陸上部隊も到着には三日を要するとされました。
そのような中、この決断を下すことは、カシュガル空軍基地の陸上部隊や航空部隊の全てを壊滅させた未知の脅威を排除する上では苦渋の決断であったと言うほかありません。
この言葉に野次がまた飛んでくる。批判する声が大きい。擁護の声は一つもなく、非難の声がそこにはあった。
だが、榊議員は毅然とした態度で討論を続ける。
また、辻内閣総理大臣が一議員に暴行を振るったことは甚だ遺憾であります。しかしながら、我々が本日判断すべきは、一時の激情ではなく、内閣がなお国家を運営する能力を有するか否かであります。
そこをはき違えるようでは、正常な政治運営など存在しないのであります。
私は先ほどの行為を弁護するものではありません。
議場における暴力は厳に慎むべきであることに違いはありません。
しかしながら、仮に必要があるならば議院として相応の処分を検討すべきでありましょう。
しかし、それは議院運営の問題であり、本日の内閣不信任とは切り離して考えるべきであります。
仮に本日この内閣が総辞職したならばどうなるのでありましょうか。
外交交渉は中断され、共栄圏各国との協議は停滞し、国際社会への説明責任も果たせなくなるのであります。
そればかりか、1か月も経過することなく総理大臣が辞職したという前代未聞の事態を受け、国民が政治に対する不信を抱くのではないかと、私共は警戒しているのであります。
今必要なのは政治空白ではなく、責任ある危機管理であります。
今回の辻内閣不信任決議案の議論は、現在判明している事実を以て政府を断罪しているのであります。
しかし、政府が判断を下した時点において、どのような情報が存在し、どのような危険性が報告されていたのかという点を無視して議論することは、公正な評価とは到底申すことはできないのです。
国家の意思決定とは、常に限られた情報の中で最善を選択する営みであります。
帝国は、幾度となく非常事態を経験してまいりました。
戦時においても、大災害においても、通常の手続だけでは国民の生命を守れない局面は現実に存在したのであります。
その点を無視して、どうして内閣の責任にできるのであろうかと、私共は疑問を抱かざるを得ません。
ヤジが飛ぶ。この討論内容もどうやら野党や翼賛会内の穏健派の怒りを買ったようだ。
「疑問をする所などない!」「責任を果たせ!」「何が非常時だ!」といった様々な声が響く。
それでも討論は依然続いている。
確かに加盟国との信頼は傷ついたのは確かでありましょう。
しかし、真に共栄圏を守るとは何でしょうか。
一時的な外交的摩擦を避けることなのか、それとも共栄圏全体を脅かす危険を除去することなのか。
私共は、後者であると考えています。
大局を無視して目先の大きな問題を先送りにして協調を優先し、後に大きな問題になってからの対処では、遅いのであります。
また、本案につき、野党各位は共栄圏への裏切りだとか、憲政秩序への挑戦などという極めて強い言葉を用いております。
しかし、私としては甚だ疑問であると言わざるを得ません。
もし、あのカシュガルで確認された脅威が真に人類の存亡に関わるものであった場合、それでもなお、我々は外交手続を優先し、議会の開催を待ち、各国政府への通知を終えるまで静観すべきであったのでありましょうか。
また、未知の脅威を排除することは、大東亜共栄圏憲章の集団安全保障の観点から考えても極めて妥当であります。
内閣は大東亜共栄圏の盟主として、その責務を果たそうとしたのであります。
野党各位は結果のみをもって政府を断罪しております。しかし、政府の判断とは常に、その時点で得られた情報に基づいて下されるものであります。後になって判明した事実をもって当時の判断を否定することは、公正な評価とは言えないのであります。
「何が責務だ!」「責任を取れ!」とまたしてもヤジが飛び、与党の一部からは「そうだ!」「よく言った!」と賛同の野次が飛んだ。
野党各位は、今回の政府の対応について厳しく非難をなさっています。
しかしながら、当時いかなる措置を講ずべきであったのかという点について、具体的な代案は何ら示されていません。
核攻撃は不当だった。外交交渉を行うべきだった。通常兵力で対処できたという様々なご意見は存在しているのは確かであります。
しかし、それらの措置が現実に可能であり、かつ被害の拡大を防げたと断言できる根拠は、本日の討論を通じても示されていないのであります。
政府の判断を批判することは容易であります。しかし国家の危機に際し、責任を持って代替策を示すことこそ政治の責任ではないでしょうか。
今回の辻内閣不信任決議案の提案は、誠に無責任で、現実を見据えていないと断ぜざるを得ません。
外交上の摩擦が生じたことは一切否定いたしません。
ですが、外交は断絶と友好の二者択一ではありません。
誠意をもって説明し、必要な補償を講じ、信頼を回復していくことこそ政府の責務であります。
その責務を果たすべき内閣を今この場で倒すことが、本当に加盟国の利益となるのでありましょうか。
私共は今回の作戦の全てが完全無欠であったと申し上げるつもりはありません。
検証すべき点は検証し、責任を負うべき点は責任を負うべきであります。
しかしそれは内閣を直ちに総辞職させることとは全く別の問題であります。
国家が未曾有の危機に直面している今こそ、必要なのは冷静な検証であり、感情的な政治判断ではありません。
外交関係や外交交渉を停滞させ、内閣の責任をも放棄させる今回の不信任決議案は、ただちに絶対多数を以て否決されるべきものであり、そのことを強く訴えまして、私の反対討論を終わります。
議場内には拍手と野次の声が響いた。
賛同と反対、いずれも含まれていたが、討論中程の大声の野次ではなかった。
「海部俊樹君」議長がそう言った。
次は自由党の討論である。
演壇に上がった海部議員は口を開きマイクへと向かった。
自由党を代表し、本決議案に賛成の討論を行います。
我々は、今回の作戦に至った政府の判断について、無責任で、不安に突き動かされた全く的外れな手段で、そして共栄圏各国ならびに世界各国からの信頼を失った、国際秩序を著しく損なう、到底容認できない行為であったと考えております。
加盟国との協議なく勝手に他国の土地で軍事行動に踏み切り、さらには核兵器を使用するという暴挙を、一体どこの国が看過できるのでありましょうか。
内閣は全く無責任と言わざるを得ません。
問題はそれだけではございません。判断の内容だけではありません。その判断を誰が、どのような手続きで、誰の責任において行ったのかにあります。
その結果に起きることを十分に考えず、他国との関係を無視して凶行に及び、他国の領土を無慈悲に汚染することに、大義があるということはできません。
内閣は加盟国への説明を怠り、帝国議会への報告もなく、国際社会に重大な影響を及ぼす決定を独断で行いました。
その結果、新疆省は核で汚染され、その周囲にも被害があったと聞き及んでおります。
国家の危機においてこそ、政府には冷静な判断と対処能力の検討、そしてその後始末をどうするかという点までも求められているのであります。
この点において、内閣は全く冷静でなく、対処能力もなく、その後始末もつかないという政府として果たすべき責任能力を失っていると断ぜざるを得ません。
また、現職内閣総理大臣が議場において議員へ暴力を振るったことは、単なる個人的激情ではありません。これは議会政治そのものに対する重大な挑戦であります。
そして、憲政史上初めて、内閣総理大臣が議場の外へ連れ出されるということの意味を、しっかりと飲み込んで批判を正面から受ける努力を持たなければならないのではないでしょうか。
議会政治は、辻総理の暴挙により、風前の灯火となって、消え失せようとしたのではないでしょうか。
我々は四十年前、統帥権をめぐる政治の混乱が、いかに国家を誤った方向へ導いたかを知っております。
健全な立憲体制に復帰するには、辻内閣の総辞職がなければなしえません。
よって、本内閣はもはや国政を担う資格を失ったと判断し、本決議案に賛成するものであります。
自由党の討論は、これまでと比べればはるかに短かった。だが、その内容からは、内閣に対する不信任の意思をひしひしと感じさせるものがあった。
続いて、独立協同党の討論に移った。
議長は久次米健太郎の名を呼び、間もなく討論が始まった。
内閣の責任、核攻撃の是非、そして立憲政治への挑戦を厳しく追及する内容であり、これまでの賛成討論と論旨は共通していた。しかし、その言葉の端々からは、内閣への深い不信が改めて示されていた。
独立協同党の賛成討論が終わると、社会協和党の討論がそれに続いた。
曽祢益が討論を述べた。
こちらもやはり内閣不信任決議案に賛成であった。
最後に、日本新党の討論へと移った。
討論者は武田邦太郎である。
討論は日本新党を最後に終了し、間もなく採決へと入ることになる。
日本新党の討論は毅然としたものであり、内閣総辞職、衆議院議員総選挙を一日も早く求め、そして外交的信頼の回復を掲げ、軍や政治自体の改革も求めるものであった。
討論を終えた武田議員は、演壇で一礼し、議長へ一礼を返したのち、静かに議席へ戻った。
議長が口を開いた。
「これで、討論は終局いたしました。採決いたします。」
「この採決は、記名投票を以て行います。本決議案に賛成の諸君は白票。反対の諸君は青票を持参されることを望みます。」
「議場閉鎖。氏名点呼を命じます。」
議員の名前が一名ずつ呼ばれ始めた。
議員の総数は510名である。
議員が一人一人席を立ち、速記の前をぐるりと回って演壇へと登り、深く一礼をすると投票箱へ向かい、ある者は白票を、ある者は青票を投票係に票を渡し、投票箱へ収められた。
演壇には二人の男が立っている。
彼らに白票、もしくは青票を渡すことを以て投票となる。
その男たちは、票を受け取ると軽く一礼をして投票箱へ票を置いた。
しばらく名前が呼ばれ続ける退屈な状況が続く。
議場には点呼の声と議員たちの足音だけが響いていた。
そのうち、議席を立ち投票へ向かう議員が多くなると、議員と議員の間隔がだんだん狭くなり、演壇へ登るのも遅くなる。
採決が始まってからもう既に十分以上は経っただろう。
いよいよ翼賛政治会の議員が呼ばれるようになってきた。
翼賛政治会所属議員は、一部の者を除き、白票、つまり不信任に賛成票を投じた。
そのたびに議場のあちこちからどよめきが起こり、小さな拍手が湧いた。
椎名外相の名が呼ばれた。
彼は一瞬だけ目を閉じた。
数日前まで、自分はこの内閣の一員として外交の責任を背負っていた。しかし、今や世界各国への説明も、国内への説明も、すべてが後手に回っている。
この内閣を国際社会の前に立たせることは日本の恥だ。辻を支えることはもうできない。
彼はそう思いながら白票を手に取って演壇へと向かい、静かにそれを手渡した。
辻の名も呼ばれた。
だが、その顔は真っ赤で、大変機嫌が悪そうだった。
議事の休憩が終わったときと同じように歯を食いしばり、拳は握りしめられている。
辻の様子は誰から見ても恐ろしいものだった。
彼は叩きつけるようにして青票を突きつけ、投票係は困惑しながらもそれを受け取った。
20分近くが経過し、在場議員全員が投票を終え、演壇から人がほとんどいなくなったころ、議長が口を開いた。
「投票漏れはありませんか。」
議長は少しだけ沈黙し、再び口を開いた。
「投票漏れなしと認めます。」
「投票箱閉鎖」
「開票、議場開鎖」
「投票を計算させます。」
すると、4人の男が投票箱へ向かい、票の計算を始めた。
1分か2分経つと、もう票の計算が終わったのか男たちは一礼をして演壇を去った。
十数秒経ち、議長が静かに口を開いた。
「投票の結果を書記官長から報告させます。」
衆議院書記官長は起立し軽く一礼をすると、投票の結果を報告し始めた。
「投票総数510、可とするもの白票437、否とするもの青票73」
議場は一瞬、水を打ったように静まり返った。
まさに衝撃の結果であった。翼賛政治会所属議員は241人。その七割近くが造反した計算になる。
まさに圧倒的多数で内閣不信任決議案は可決されたのである。
投票の結果を報告するとまた一礼して席へ就いた。
その結果を聞き、議長は口を開く。
「投票の結果、辻内閣不信任決議案は可決されました。」
可決の宣告と同時に、議場は拍手と歓声に包まれた。
議長は再び口を開いた。
「この際暫時休憩いたします。」
すると、議長、副議長、議員全員は起立した。
時刻は午前11時33分、衆議院本会議は休憩となった。
その間に、議員たちは様々な事をした。食事をとるだとか、トイレへ行くだとか、何かの会合へ出席したりするといったことはその一例に過ぎない。
だが、首相は違った。
閣議を開き、不信任案の可決を受けて衆議院の解散を決断した。
憲法上、衆議院の解散は天皇が行うのである。だが、同憲法の定める所により不信任案が可決すると内閣は二週間以内に衆議院を解散することができるが、解散の是非に関わらず総辞職すると定められていた。
総理は、実際は戒厳令を敷き「政治」を取り戻すべきだと考えていた。
だが、こんな状況で戒厳を敷けば、陛下から間違いなく「朝敵」と見なされ、国民からも確実に敵視されるだろう。
そもそも、戒厳の要件さえ満たしていないのに戒厳を発することはできないという根本的な問題があった。
そのため、臨時の閣議を開き衆議院の解散を行うことにした。
詔書の原案はすぐ天皇の元へ送られ、親署の上内閣総理大臣が副署した。
午後1時20分ごろ
議事堂の廊下では、黒いトレーの中に入れられた紫色の袱紗*1 に包まれた何かが運ばれていた。
内閣書記官長は議長室で内閣総務官からそれを受け取った。
10分後
議長が再び議場へ戻って来て口を開いた。
「休憩前に引き続き会議を開きます。」
突如、議長席の裏にある扉が開いた。そこには内閣書記官長の姿が見える。
内閣書記官長は、衆議院書記官長へ紫の袱紗を手渡した。
衆議院書記官長は、紫の袱紗を開き、その中に収められていた封筒の封を切り、中身を確認すると、その中身を議長へ渡した。
すると、議長はその紙を一瞥した。そこには、御名御璽と内閣總理大臣の副署がしたためられていた。
議長は動じることなく、すぐに口を開いた。
「ただいま、詔書降下の旨内閣総理大臣より伝えられましたから、これを奉読いたします。諸君のご起立を望みます。」
朕茲ニ帝國憲法第七條及第七十三條ニ依リ衆議院ノ解散ヲ命ス
読み終えた瞬間、議場は一瞬の静寂に包まれた。
衆議院が解散されたのである。
議員たちは慣例に従い万歳を三唱した。しかし、その声には様々な感情が入り混じっていた。
第百八十一回帝国議会は閉会となり、貴族院も同時に停会となった。
いよいよ、歴史に名を遺す「第三十回衆議院議員総選挙」が開始されることになるのである.....
次回
「第三十回衆議院議員総選挙」
帝国憲法第七条
天皇ハ帝國議會ヲ召集シ其ノ開會閉會停會及衆議院ノ解散ヲ命ス
帝国憲法第七十三条
内閣信任案否決又ハ内閣不信任案可決セルトキハ二週間以内ニ衆議院ヲ解散スルコトヲ得
前項ノ期間内ニ衆議院ヲ解散セサルトキハ内閣ハ總辭職スヘシ
ちなみにこれは帝国憲法が改正された結果のものです。