1976年7月20日、ロシア軍は9月30日に発動する予定だったバグラチオン作戦の延期を決定した。
その理由は、餓死者と病死者があまりにも多すぎること、前線が急激に移動したための補給と指揮系統の混乱、そして占領地域があまりに激増したためにその地域を管理する必要が出たためである。
餓死者病死者の続出は、兵站がそもそも常時逼迫状態で補給を行うことを前提とした体制にあったこと、傷病者がここまで多く出るとは予想していなかったことである。
指揮体制が混乱した理由は、軍閥時代の名残で現場の裁量権が異常なほどに大きかったこと、そして管理体制が未成熟で、郡の場所を把握する能力が足りなかったことにある。
その一方、コーカサス地域を解放するためのオクチャブリスカヤ作戦は、予定通り8月20日に決行される予定であった。
その理由は、ヴォルガ川やカスピ海を利用した補給作戦が使えること、そして同都市で鹵獲したドイツ軍の車両を利用して補給が可能なこと、そして南部戦域には比較的多くの工兵が配置されており、河川を用いた水運が早期に再開する見込みが存在する事という補給的な側面があったこと。
そして、コーカサス北部には平原が広がっており、早期に進撃することのできる見込みが存在するという地形的な側面
さらに、この地域を確保することでドイツの石油地帯を遮断することができるという戦略的・資源的な側面が存在する。
そんなオクチャブリスカヤ作戦だったが、補給所の建設が予定よりも大幅に遅延したために間に合わないという点から、作戦は8月1日に延期が決定され、最終的に11月7日に実施されることとなった。
ドイツはいまだバクーの油田に頼り切っていたが、バクーの重要性は段々下がっている。ドイツは1970年から石油を輸入に依存しており、イランや中東、さらに遠くを見ればテキサスから石油を運んでくる必要があった。
石油の輸入が必要な割にはドイツの貿易収支は万年赤字で、かつ政府財政も赤字という双子の赤字が存在した。
ドイツは貿易赤字をできるだけ抑え込むため石油の輸入を抑制し、省エネルギー化を進めている側面があった。しかし、それでも石油不足と外貨不足は深刻で、大ゲルマン帝国は、経済は1950年代からほぼ変わっておらず、技術革新も限定的、日米ほど経済が伸びてはいなかった。そのため、ドイツ経済は超大国の中で最弱であり、そのドイツの資源地帯の一つであるコーカサスを攻略するというのは、非常に重要な意味を持っていた。
一方、ロシア経済も発展してきているとはいえ、限界があった。
農業、軽工業、重化学工業に至るまでほとんどが軍需優先で設計されており、民需製品は後回しの状態にあった。
ロシアの国としての至上命題は失地回復であった。そのため、経済発展を急速に推し進め、外国企業も誘致し、そして工業化の進展と日米による多少の軍事技術の援助により、急速な軍備拡張が可能であった。
このため、ロシア経済の限界点は、日米企業がロシアに残留するか、そして、経済発展と軍備拡張のための国家財政が危険水準に達しないかという点にかかっており、短期に終わらせ、人的被害を少なく抑えるかという点も重要な側面である。
1976年現在のロシア連邦共和国は、合理性によってではなく、失地回復という一点の執念によって動いているのだ。
これらの国際的・経済的事情により、オクチャブリスカヤ作戦は予定通り決行されることとなった。
----1976年8月30日ロシア連邦共和国ヴォルゴグラード----
「医薬品はこっちだ!」
「食料品はこっちに集めろ!」
「食料はコンテナに置いたままにしておけ。トラックに積むのは後で良い。」
「弾薬はこっちだ!」
「9mmはこっちだ!砲弾は向こうに持っていけ!」
「RPGの弾を持ってこい!」
「燃料を運んで来い!あと何千、いや何万リットル必要だと思っているんだ!!」
貨物集積所からはこのような声が聞こえた。
「臨時の港の建設を早く終わらせるぞ!」
「了解!」
「とにかく早く終わらせるぞ!」
「いやぁ助かりましたね。」
「何がだ?資材ですよ。ヴォルガ川を使えるおかげで、これまでより補給は楽そうです。」
「そうか?前にいたところはどこだったんだ?」
「ミハイロフカです。ドイツ軍残存兵による破壊工作が酷かったですよ。
「そんなにか?」
「ええ、鉄道は復旧したのに壊れるし、そもそも鉄道は枕木が割られていたり犬釘は抜けていたりで酷い有様でした。だから復旧しても終わりじゃないんです。警備隊を置いて見張らないと、また壊される。補給より治安維持の方が大変なんじゃないかと思う時もありましたよ。」
「そうか。じゃあ今回は楽か?」
「いえ、そんなことはありません。水運を維持するのも大変ですし、ヴォルガ川でここまで運んできてもあとはトラックと鉄道ですよ。」
「そうだな。だが、北の伸び切った補給線に比べればまだ短い方なんじゃないか?北は数百キロも伸びてたと聞くぞ?だが、ここからロストフまではだいたい400km、アストラハンなら380kmだ。北部戦線ほどじゃない。それに川がある分、丘や荒れた道路に悩まされることも少ないだろう。鉄道は線路一本吹き飛ばされれば終わりだが、川はそうはいかん。水深さえ確保できれば荷は流せる。」
「そうですね...」
「ほら、無駄口をたたいてないでさっさと港を作っちまうぞ。」
「は、はい!」
方々から大声が聞こえてくる。ここはヴォルゴグラード、わずか一か月前までパウルスブルクと呼ばれていた都市である。
オクチャブリスカヤ作戦における要衝で、補給結節点であるこの地は、ドン川とヴォルガ川に挟まれた好立地だ。
カザフスタンのカスピ海沿岸都市からアストラハンを経由し陸揚げし戦線へ供給し、北方のサマラやカザンから船で物資を供給しここに輸送することができる。
この地の鉄道はまだ改軌が終わっていなかったとしても、船は使うことができるのだ。
また、アストラハン自体も補給基地として使うことができる。アティラウやトルクメンバシ、アクタウなどカスピ海の沿岸からの輸送が可能なためだ。
また、カスピ海を使えるということは、ここから直接バクーへ上陸ができることも意味した。
オクチャブリスカヤ作戦開始はあと一か月後、最前線補給基地は、アストラハン、ヴォルゴドンスク、ヴォルゴグラードである。
前線はもう少し先にあるが、必ずしも川や山に沿っているわけではなく、むしろ歪であった。
兵力や物資は十分とは言えず、ドイツ軍が万全の準備を整え攻勢を開始すればすぐに崩壊していただろう。
そもそも、それほどの残存兵力や兵器が残っているかは怪しいのだが....
補給基地の整備が進みつつある中、作戦の準備も着々と進みつつあった。
エカチェリーナ作戦が立案されたときにオクチャブリスカヤ作戦も同時に立案されていたのだが、現状の戦線とこれまでの損失を鑑み補給計画や前線への進軍速度、さらには攻略ペースから駐屯する軍の数まで全て考え直す必要が出ていた。
そのため、司令部としても準備が必要であったのだ。
現状の戦線は、エイスク、ヴォルゴドンスク、エリスク、ラガニとドン川に沿いつつもヴォルガ川より少し前進している状態だった。
川まで下げて守りやすくするということも考えられたが、渡河の手間や補給の破壊が考えられたためなしとなった。
1976年10月25日
遂に準備は整った。ヴォルゴグラードの補給基地の準備が完了したのだ。臨時のクレーンや物資集積場、船舶の停泊所や防空システム、さらに復旧された鉄道や臨時で整備された道路、兵站の準備は万全で、医療物資も十分に蓄えられている。
7月20日に作戦が延期されてからはや三ヶ月、ドイツの補給は行われてはいるが依然不足、辛うじて前線は維持できているものの旧式兵器が目立っている。
それは戦車もヘリも戦闘機もそうだった。
だが、ロシア軍は最新の戦車を配備し、ヘリを配備し、緊急で整備した飛行場にはジェット戦闘機が並んでいる。
とはいえ、南にあるのはバクー、ドイツ最大の燃料庫だ。
ドイツ軍もこの三ヶ月の間万全の準備をしてきたはずである。
ロシア軍は三ヶ月もの間攻勢を停止し補給と整備に徹していたのだ。ドイツも準備を整えていても不思議ではない。
実際、ドイツ軍の再配置や編成も進んでいた。
ドイツ国防軍コーカサス方面軍は占領軍なども書き集めて25万、万全とは言えないがそれでも十分だ。戦車や自走砲も固定砲台ぐらいには使えるだろう。
とはいえ、ロシア軍相手にどれほど持つかは分からないのが実情だった。
ロシア軍は四か月間既に全力、それも大量の兵器備蓄があり、国境から400kmもの距離があったモスクワを侵攻開始から立った一週間で制圧せしめたのだ。
今回の攻略も電撃的であっても不思議ではなかった。
それゆえ、ドイツ軍はこれほどまでに警戒している。
だが、そんなドイツの観察とは裏腹に、ロシア軍は今回の作戦「オクチャブリスカヤ作戦」では補給の行き届く範囲での攻勢しか予定していなかった。
1976年11月7日、オクチャブリスカヤ作戦がついに発動された。
作戦の最初を出迎えたのは、ロシア軍の攻撃機部隊による大規模な航空攻撃とロケット砲と自走砲による大火力であった。
砲撃の音は天に轟く稲妻の如くなり響き、砲煙はまさに天を衝かんほどに上がっている。
この大規模砲撃作戦は、アメリカ流のものだ。
徹底的な砲撃と航空攻撃で叩き潰してから一気に前進する。まさにアメリカがやりそうな方法である。
その後を戦車が轟音を上げながら前進し、AFVが車輪を回転させて走り抜けていき歩兵が制圧していく。
ロシア軍は諸兵科連合による作戦を身に着けていたのだ。
それだけではない。ソ連流の縦深作戦、アメリカの圧倒的な火力支援戦術を織り交ぜた現代的な作戦の最大の成果である。
空はヘリコプターとジェット戦闘機が飛び交っている。
これを見るだけでも、ロシア軍の優勢は明らかだった。
ドイツ軍は奮戦したが、結局は旧式、戦車も砲も事前砲撃でかなり破壊され、前線の兵士は火器と牽引式の火砲などで戦わざるを得ない状態にあった。
戦車はある程度生きてはいたが、バルバロッサのときのような圧倒的な電撃作戦はもはやできない。
コーカサス方面軍は初期から早くも総崩れになりつつあった。
しかし、ロシア軍はこれまた失敗をしていた。
砲撃をし過ぎたのだ。
ヴォルゴグラード補給基地に備蓄されていた本来一か月は持つはずの弾薬と砲弾を一週間でほとんど撃ち尽くしてしまった。
その結果ドイツ軍は大混乱となり、全戦火力を大幅に減らしコーカサス方面軍の戦力を破壊することには成功したのだが、補給を待たざるを得なくなった。
だが、幸いなことにニジニ・ノヴゴロドやカザン、ウリヤノフスクを経由して比較的簡単に輸送することは可能であった。
北方、つまりはモスクワ方面での戦闘は補給に大規模な列車を必要とし、常に線路や列車の破壊工作に注意を払う必要があったが、北方は既にロシア軍の手中、それも河川はドイツ軍の攻撃も簡単には届くはずもない。
陸路での輸送に比べればはるかに簡単なことは明白だった。
11月15日、ロシア軍は大規模な攻勢を開始した。
戦車の砲弾は依然多少ながら残っている。
燃料はまだまだたくさんあるし、歩兵重要の弾薬に至ってはあと二週間分は残っている。
歩兵と戦車による攻勢なら行けるだけの余裕はあった。
攻勢は実際に行われた。
ドイツ軍は、ロシア軍が砲撃を止めたという違和感を持ってはいたが、徐々に後退を始めた。
今戦闘が多くあるのは北コーカサスの平原部、ロシアにとっては大攻勢の絶好の機会で、ドイツ軍にとって防衛するには不向きな場所である。
撤退先はコーカサス山脈山麓、トゥアプセからスラクに至るまでの場所だ。背後にはコーカサス山脈という天然の要害がある。
石油地帯を守るという意味でも、コーカサスからは絶対に撤退できないのだ。
ロシア軍は、撤退するドイツ軍をひたすらに追撃する作戦に出た。
これが罠とも知らずに、ロシア軍はドイツ軍を追った。
だが、ここで転機が訪れる。作戦司令部が前進の一時停止を命じた。
現状の補給圏外に達したとのことだ。
ノヴォロシスクやクラスノダールなどの補給を整備すれば比較的簡単ではあるだろう。
しかし、ここより南に大河はない。すなわち補給は鉄道が主役となる。
また、ノヴォロシスクへ船を送るには、アゾフ海からケルチ海峡を通って黒海へ出る必要がある。黒海は
そこで、ロシア軍はクリミア半島を制圧し、ドイツ海軍黒海艦隊に対して航空攻撃を加えることで艦隊の無力化を目指すことになる。
クリミア半島は元々バグラチオン作戦とオクチャブリスカヤ作戦で同時に制圧するはずであったが、この際そうとも言っていられなくなった。コーカサス方面へ補給を行うには、ケルチ海峡を通ることは間違いなく必要だし、ドイツ海軍を無力化する必要もあったのである。
かくして、1976年12月21日、クリミア攻略作戦、通称ルーシ作戦の立案が始まった。
クリミアの攻略は、元々バグラチオン・オクチャブリスカヤ両作戦で攻略することが予定されていたため、その作戦からクリミア攻略を切り分けるだけでよかった。
だが、どの程度の戦力を割り振るのか、補給の程度はどうか、航空戦力はどうするのかで揉めたが、結局1977年2月1日にルーシ作戦を決行することと決まった。
1976年12月1日、ロシア軍は、ゲレンジーク、マイコープ、ピチャゴルスク、グロズヌイ、そしてスラクを結ぶ線で侵攻を停止した。
既にコーカサス山脈に接した部隊もあれば、山脈が目前に迫る部隊もある。
一か月にも満たない短い期間ではあったが、ドイツ軍はこの地に防衛陣地を築きつつあった。コーカサスという険しい山脈の中籠城する作戦に出たのだ。
そこからはもう地獄であった。
ドイツ軍は組織的な防衛戦の構築をあきらめ、小中隊規模で山岳に潜伏し、補給路や野営地を襲撃する持久戦に出た。
ロシア軍の野営地は被害を受け、戦車や歩兵戦闘車が破壊され、山岳で足止めを喰らったロシア軍は消耗した。
航空戦力を投入するも、十分な効果は発揮できず、支援砲撃の効果も限定的だった。
コーカサス山脈での戦闘は明らかに圧倒的なロシア軍の不利であった。
だが、ここには日本軍が数十年かけて編み出した作戦が発揮された。
山岳掃討作戦および対反乱作戦である。
日本軍は1947年に日中戦争を終わらせて以来10万の兵のみを中国に残してきた。その軍はたびたび抵抗勢力と衝突を繰り返し、また、日中戦争中も農村部や山岳部で中国軍と激突を繰り返し、ビルマでも対反乱作戦が続いてきた。
その経験はロシア軍にも当然伝授された。
ロシア軍は日本式のやり方でドイツ軍の拠点を一つずつすることにした。
現地住民を懐柔して情報提供を求めたり、野営地の周辺に容赦なく罠を仕掛けることに主眼を置いた。
さらには、補給路を警備し、大量のヘリと歩兵を用いて捜索し、山岳でも哨戒を実施することでドイツ軍の潜伏場所を炙り出そうともした。
時には、日本軍としてはゲリラが激化するからという理由で1955年以来対反乱作戦では禁忌としてきた戦術を用いることもあった。
それは、ドイツ軍が潜んでいそうな洞穴にガソリンを放り込み火をつけ、壕内に火炎放射をすることであった。
そこには、史実の硫黄島の戦いや沖縄戦のような長期の戦闘があった。
この地域の戦闘で、ロシア軍は数万人の死者を出した。山岳籠城戦の成果は想像以上のものであり、ロシア軍の侵攻を大きく足止めすることに成功するという成果を得た。
だが、これはドイツ軍にとって、必ずしも成功と言えるものではなかった。
ドイツ軍の目的は、油田地帯の防衛である。つまり、バクーが落ちてしまえば失敗である。
そして、スクラやマハチカラを突破し、シアザンまで進んでしまえばバクーはもう目と鼻の先である。
それどころか、ロシア軍は進撃が停滞したころからトルキスタンから攻撃部隊を発進させバクー周辺に大規模な攻撃を加えていた。撃墜されることも多かったものの、油田地帯にある程度の損害を与えていた。
だが、ドイツ軍の目的は、あくまでも油田地帯の防衛にある。
この防衛作戦の結果は、必ずしも成功とは言えないが、失敗ともいえない事であった。
コーカサス方面軍司令部は、トビリシにある。
コーカサス山脈のちょうど反対側に存在するのだ。決して簡単に落とせる場所ではなかった。
また、ロシア軍はこのころになると山脈そのものを攻略することを諦め、山脈が途切れている東西両側にヘリ部隊と歩兵を投入して制圧する作戦に転換した。
1977年1月19日、ドイツ軍、ロシア軍両方にとって重要な地域であったソチが陥落した。
ルーシ作戦が始まるまであと約二週間に迫った時のことであった。
ソチまでの補給は、鉄道以外ではどうしても難しい。
ケルチ海峡は通れず、黒海沿岸に使えそうな造船所は無かったためである。
そのため、ルーシ作戦は1月30日に前倒しにするという方針が決まったのである。
1977年1月30日
ルーシ作戦が開始された。ルーシ作戦の目標は、クリミア半島の制圧、そしてドイツ黒海艦隊の無力化であった。
このために用意された第41ロケット砲兵師団、第17師団、第18師団、第21師団、第37師団、第91師団、第131師団からなるクリミア方面軍、さらにはこの付近に集結していた数百機にも及ぶ航空部隊による作戦行動が未明に開始された。
攻撃目標はセヴァストポリ、ドイツの呼び方ではテオデリヒスハーフェンというが、その軍港に集結しているドイツ黒海艦隊である。
黒海艦隊は、空母1隻、戦艦2隻、巡洋艦17隻、駆逐艦31隻、フリゲート艦17隻、コルベット艦11隻、潜水艦19隻からなる大艦隊だ。破壊するのは容易な事ではない。
そもそも、なぜ黒海にここまで大規模な海軍が存在するのか、それを説明するには第二次世界大戦まで時計の針を戻さなければならない。
時は1943年5月、コーカサスがほぼ完全に支配されたときのことだ。
この時点を以て、黒海に接する国はブルガリア王国、ルーマニア王国、大ドイツ国、トルコ共和国の四か国のみとなった。
この際、ドイツは地中海に艦隊を派遣する際に黒海を都合よく海軍基地として使うことができる場所だと考えた。
都合よくセヴァストポリがあるのだから、それを改造してテオデリヒスハーフェンを建設し、ドイツ海軍黒海艦隊を創設したかった。
だが、そのためにはモントルー条約が邪魔であった。
そもそも、この世界のトルコは独ソ戦で若干参戦してはいる。1942年12月の参戦で、アルメニアをちょっとかすめ取っただけではあったが、それでもドイツがソ連を襲っている合間を狙ってアルメニアを奪取したことには違いない。
ヒトラーはアルメニアをトルコ領と認める代わりに新しく条約を結んでドイツ艦艇の通行を認めさせることにした。1943年8月27日のことだ。
トルコとしても、これは都合が良かった。枢軸国が劣勢になれば、圧力をかけられて無理やり署名させられたことにすればいいし、枢軸が勝利すればそのまま漁夫の利を得られる。
こうして、1943年10月4日「イスタンブール条約」が締結されたのである。
イスタンブール条約では、ドイツ軍艦に対し平時・戦時を問わずボスポラス・ダーダネルス両海峡の通航権を認めることが定められた。
ドイツにとっても、トルコに武力進駐して海峡を強制的に確保するよりは簡単かつ有利であったことも決め手となった。
もしトルコを敵に回せば黒海艦隊計画自体が御破算になりかねなかったというのも理由だった。
ともかく、トルコは枢軸寄りに傾きつつはあったが、完全にドイツ側に就くという訳でもなく、第二次世界大戦の当事国ではなかった。
だが、1947年になると状況が一変した。
ドイツのアンゴラ侵攻、そして翌年のモザンビーク侵攻である。
これを理由にトルコは黒海のドイツ海軍を警戒するようになった。
さらに、1949年にはスイスを巡る危機の中で結ばれたポン=サン=マルタン条約の後にムッソリーニが暗殺された。
これによりトルコのドイツへの不信感は一層強くなり、1950年2月1日にイタリアと共にゲルマニア合意を脱退し、イタリアの主導する地中海協約へと加盟した。
このときにはまだ封鎖は行われなかった。それはなぜか。
それは、ドイツを短期間でこれ以上刺激すればアルプスを越えて本当にヘーアがやってきかねなかったからだ。それゆえ、海峡の封鎖は慎重に行わざるを得なかった。
だが、転機が訪れる。1958年のドイツ大恐慌である。
これをきっかけにトルコはドイツ軍艦の通行の一切を拒絶するようになり、黒海艦隊は閉じ込められることになった。
ドイツ政府はトルコのこの行為をイスタンブール条約違反だとして激しく非難し、海峡の開放を求める最後通牒を送付したが、トルコ政府は「海峡の管理は主権国家としての正当な権限に基づく措置である」としてこれを拒絶した。
ドイツは国防軍をトルコに差し向けるかに思われたが、国内は大恐慌による混乱の最中にあり、さらに広大な国家弁務官区の維持にも兵力を割かれていた。そのため、海峡を武力で開放させるだけの余力はなく、抗議を重ねる以上の対応を取ることはできなかった。
そうして、ドイツ海軍黒海艦隊は黒海に閉じ込められたわけだが、何も黒海艦隊の役割は終わったわけではなかった。
バトゥミやソチなどのコーカサス南部の都市からオデッサやヘルソン、ケルチ、テオドリヒスハーフェンまで石油を運ぶための護衛も必要であるし、トルコの海軍を警戒するためにも黒海艦隊は必須であったのだ。
航空母艦は1952年竣工の空母「エーリッヒ・フォン・マンシュタイン」
1941年に始まったクリミアの戦いでドイツ軍を指揮したマンシュタインの名を冠した航空母艦であり、黒海艦隊の旗艦でもある。
ドイツ海軍として実に四隻目の空母である。
一隻目はグラーフ・ツェッペリン、二隻目はオイローパ、三隻目はアドルフ・ヒトラーで、この三隻はヴィルヘルムスハーフェン、ダンツィヒ、ポーツマスをそれぞれ母港としている。そして今回の四隻目がエーリッヒ・フォン・マンシュタインである。
そんなドイツ海軍黒海艦隊だが、最新の船でも1963年完成の巡洋艦三隻である。
他は既存の艦を繰り返し改修し修繕してを繰り返して運用していた。
ドイツに黒海艦隊の為に空母を新造する余裕も理由も存在しなかったのである。
----1977年1月31日早朝ロストフ----
この日、ロストフに整備されたロシア軍の仮設飛行場から百機近いジェット機が出撃していった。
搭載されているのはミサイルだ。戦闘機には当然機関砲も搭載されており、ドイツ海軍黒海艦隊に大打撃を与えるつもりであった。
また、この時新型の大型ジェット機も出撃した。
その大型機はドイツ海軍を撃滅するために用意された機体である。通称
ミサイル、魚雷、機関砲など大量に詰まれているうえ、図体の大きな四発ジェット機である。
だが、図体が大きい分鈍足であり、それ故に最新の防空システムならばただの的になりやすい。
アメリカ合衆国海軍や大日本帝国海軍を相手にすればまず最初に落とされていたであろう機体だ。
正式にはSA-1といい、ロシア連邦共和国空軍の特別機体だ。
ソビエト連邦は消し飛んでしまったため、スホーイ設計局やミコヤン・グレヴィッチ設計局、ツポレフ設計局も、組織は残っているが軍での命名規則はそのまま残されはしなかった。
また、ロシアには1967年まで空軍が無く、何よりノウハウもなくなってしまったため日本に援助を求めた。
日本軍事顧問団は、早速空軍の整備に掛かった。
まず、命名規則は単純にすべきとのことになり、設計局と数字ではなく機種と数字を使うという方式に決まった。
帝国海軍も昔から使っていた手法であるA6M 三菱零式艦上戦闘機やB5N 中島九十七式艦上攻撃機のようなやり方、あるいは空軍設立後の方法であるF-1M(戦闘機)、A-1N(攻撃機)、B-2A(爆撃機)、C-1K(輸送機)の方法を使うのが良いとされた。
その結果、ロシア空軍の命名規則は、英語ではラテン文字を、ロシア語ではキリル文字を用いて表記すると決まった。
戦闘機はF(Ф)、攻撃機はA(А)、爆撃機はB(Б)、輸送機はC(С)という具合だ。
メタい話だが、キリル文字を一々変換するのもめんどくさいので作中ではラテン文字を用いることにする。
つまり、SA-1とはSpecial Attackerの一つ目ということである。
もっとも、特別攻撃機が今後開発されるかどうかは雲行きが怪しいのだが
----1977年1月31日昼頃クリミア半島沖合----
黒海艦隊の巡洋艦「ファルケ」の甲板上で、二人の水兵が立ち話をしていた。
「ロシア軍の奴らは一向に来なさそうですね」
「そうだな。本当に俺らが沖合に出た意味あるのか?」
「いや、バクー油田からの石油タンカーの護衛があるじゃないか」
「と言っても護衛だろ?これまで組織的な攻撃の一つでもあったか?」
「なかったな、一度も」
「だろ?じゃあなおさら何で俺たちこんなところにいるんだ?」
「そうだな。でも、ロシア軍が攻めてきたという話もあるらしい。信じがたい話だが、本当なら今すぐにでも来るんじゃないか?」
「そんなわけないだろ。ロシアなんて国は32年も前に消え去っただろ?」
「そうれもそうだな。そんな話あるわけないよな。」
そこに偶然通りかかった中尉がつぶやく
「来ないほうがいいんだよ、来たら仕事が増える」
そこで会話は解散した。
そのわずか数分後のことだ
レーダーに機影が映った。それも百機近い編隊であった。それは紛れもなくロシア空軍の部隊である。
その編隊を確認したレーダー手はすぐにこれを報告した。
警戒レベルが引き上げられ、艦橋内であの編隊の脅威についての話が飛び交った。
空母「エーリッヒ・フォン・マンシュタイン」も早期警戒機を発艦させた。
レーダーで改めて確認すると、編隊に含まれる機体はロシア軍の機体であった。
そして、ロシア空軍機は、黒海艦隊めがけてミサイルを発射し、不意打ちを狙った。
黒海艦隊はこの編隊を脅威と捉え、対空戦闘の準備が開始された。
旧式艦の多い黒海艦隊とはいえ、度重なる改修でレーダーやミサイルは搭載していた。
機関銃手が構え、後は対空戦闘開始を待つばかりとなった。
ミサイルは空母「エーリッヒ・フォン・マンシュタイン」やその周辺の艦船に接近しつつあった。
すぐに対空戦闘が開始された。編隊へ向けて対空ミサイルが発射され、機関銃手が機関銃を発射し、CIWSがミサイルを破壊しようと試みた。
編隊の幾つかをミサイルで攻撃し、何機かロシア軍の航空機や発射されたミサイルを撃墜する事には成功した。
だが、無残にもミサイルは空母の中腹に命中した。他にも、巡洋艦の煙突や戦艦の甲板、駆逐艦の側面などにも命中し、ドイツ軍は完全に不意を衝かれた形となった。
SA-1は徐々に高度を下げ始めた。まるで何かを発射するのを待つかのように。
その正体が発覚するのはすぐの事である。
間もなくして、SA-1はドイツ艦隊の横付近に張り付くように飛行し始めた。突然進路を北に変えると、魚雷を投下した。
完全に想定外の事だった。
ドイツ軍は対ミサイル戦闘は想定していたものの、魚雷のことは考えていなかった。
魚雷は駆逐艦や巡洋艦、潜水艦から発射されるものだとドイツ軍は考えていた。だが、魚雷を発射したのは航空機、そう航空機なのだ。
こんなことはドイツ軍の考えには無かった。
もっとも、大日本帝国海軍にしてもアメリカ合衆国海軍にしても第二次世界大戦で航空機に魚雷を搭載して戦っていたし、ドイツ軍も航空魚雷を運用していたのだが戦後にミサイルが開発されると魚雷を等閑視するようになり、ミサイルに偏重するようになったことも原因の一つだった。
艦隊は回避行動をとったものの、結果として駆逐艦三隻と巡洋艦一隻に命中した。駆逐艦一隻は沈没し、巡洋艦は大規模な浸水が発生した。
一方、その頃ドン川の上空には大型機の姿があった。
ヴォルゴグラードを出撃した大型機には、ある秘密兵器が積まれている。
もしものときのために準備されていた機体である。
もし航空戦で航空隊が全滅した場合はこれを使う予定であったのだ。
この航空隊は、間もなくロストフへ着陸し待機状態に入る。
クリミア沖航空戦では、ロシア空軍による大規模な攻撃とドイツ軍による対空戦闘が行われていた。
決死の攻撃が行われる中で、ロシア軍もドイツ軍も徐々に消耗しつつあった。
ロシア空軍の攻撃隊は少しずつ落とされ、ドイツ海軍もミサイルを減らし、弾薬を減らしている。
ここに後からロストフを出撃した130機の編隊が押し寄せ、再びミサイルで攻撃を行った。
ドイツ軍はこの攻撃に対処しきれずミサイルが命中、浸水や対空戦闘の鈍化がみられるようになっていく。
また、ミサイルが空母「エーリッヒ・フォン・マンシュタイン」の甲板を直撃し、装甲化されていたとはいえエレベーターへ直撃した。
甲板への直撃は何度も起きていたが、今回は違った。エレベーターが吹き飛び、穴が開いたのだ。
ドイツ空母は蒸気カタパルトではなく油圧式カタパルトであったうえ、アングルドデッキでもなかった。
更にもう一発、今度は艦橋へと命中し、ブリッジが破壊された。
黒海艦隊の戦闘部隊は旗艦を失ったも同然だった。
さらに、ロシア軍の攻撃隊が発射したミサイルの一つがドイツ軍の巡洋艦の機関部に命中し爆発、駆逐艦も熾烈な攻撃にさらされ沈没した。
ドイツ軍の艦船は老朽艦が多いうえにダメージコントロール能力も低く、一度攻撃を受ければ修繕はなかなか進まなかった。
老朽艦が対艦ミサイルを喰らって次々沈没していき、次第に数を減らしていった。
残っているのは、空母1隻、戦艦2隻、巡洋艦9隻、駆逐艦18隻、フリゲート艦12隻、コルベット艦7隻、潜水艦19である。
だが、空母は最早戦闘不能、戦艦も一隻は傾斜が大きくなり、間もなく沈没しそうだった。
そこに最後の一撃が加えられた。
SA-1の魚雷が戦艦「テオドリヒスハーフェン」の左舷に命中、右舷に大きく傾斜していた船体はバランスを失い転覆、そのまま大爆発を起こして沈没した。
それは、まるで史実の坊ノ岬沖海戦で沈んだ大和のようであった。
こうして、黒海艦隊は数少ない戦艦を失った。
あとはテオドリヒスハーフェンで整備している戦艦1隻、巡洋艦7隻、駆逐艦15隻、フリゲート艦4隻、コルベット艦3隻、そして今もなお黒海のどこかに潜伏しているであろう潜水艦16隻である。
潜水艦のうち3隻は、浮上してきたところに爆雷を叩きこまれ沈没した。これはほとんど誰にも見られず、SA-1が投下して偶然当たったようなものだった。
こうして、ドイツ黒海艦隊は二日に渡ったクリミア沖航空戦で致命的な打撃を被ることになった。
ロシア軍の損害も少なくなく、SA-1は全40機中13機、その他の航空機は271機中93機が失われた。
----2月1日夕方テオドリヒスハーフェン----
クリミア半島では日が暮れかかっていた。
空はオレンジ色に染まり、間もなく今日の整備が終わる所であった。
だが、レーダーに機影が映った。
それが何かは分からなかったが、間違いなくクリミア半島に近づいていることは分かった。
船は動かせない。ドックにあるものもあれば、停泊中で船員がほとんどいない艦船もあったからだ。
そんな中、対空戦闘の準備をする間もなく現れた編隊はテオドリヒスハーフェン軍港に近づいてきた。
するとミサイルを発射し、十分な迎撃態勢を整える間もなく軍艦に対して攻撃が開始された。
テオドリヒスハーフェン攻撃が始まったのだ。
地対空ミサイルの発射や航空機の出撃準備が行われ、ドイツ空軍機は実際にいくつか出撃することに成功した。
だが、そこに現れたロシア軍の大型爆撃機B-4はテオドリヒスハーフェンやクリミアの空軍基地に爆撃を敢行した。
航空燃料のタンク、整備場、ドックなどは軍港施設は見境なく破壊され、見るも無残な姿になった。
ドイツ軍は決して無力なわけではなく、ロシア軍の爆撃隊を迎撃しようと試みたが、爆撃隊にも当然戦闘機の護衛はついており、そう簡単にはいかなかった。
地上の対空砲やミサイルも攻撃を行い、爆撃機を撃墜することに成功した場合もあったが、数機程度では到底覆せるはずもなかった。
さらに、第41ロケット砲兵師団が長距離ロケットにより支援砲撃を続けてもいたのだ。
そして、このタイミングを見計らったかのようにロストフから第17師団がアゾフ海へ向けて航行を開始した。
ロシアには黒海で運用できる艦隊は持っていなかったが、ドイツ海軍を叩いたことで後顧の憂いを断ったと考え、上陸に踏み切ったのだ。
また、ケルチ橋はドイツ軍によって既に爆破されていたためロシア軍が直接クリミアへ渡る手立てはなかったが、それでも実行された。
また、ロシア軍はアゾフ海でドイツ軍が通商破壊をしてこないよう爆雷を投下し殲滅を試みたが、潜水艦はこの海域にいなかったためこれは実質意味のない行為だった。
ロシア軍は4か月でオクチャブリスカヤ作戦のほとんどを完了させ、南コーカサスの戦力を実質無力化した。
さらに、ドイツ黒海艦隊をわずか5日のうちに叩きのめし、脅威を排除することに成功した。
ルーシ作戦は成功したと言ってよかった。
クリミア半島の制圧はルーシ作戦の一つの目標ではあったが、最も重要なのはドイツ海軍の破壊であって、クリミア半島の制圧は数か月後の事でもよかったのだ。
ドイツ黒海艦隊は文字通り壊滅した。
ドイツは黒海経由で石油を安全に輸送する能力を失った。
輸送船団を護衛できる水上戦力は、もはや存在しなかったのである。
バクー油田はなおドイツの支配下にあった。しかし、その石油を本国へ送り届ける海の盾は、5日間にも及んだルーシ作戦の航空攻撃によって失われた。
2月3日は、ドイツにとってまさに悪夢の日となった。
ドイツ黒海艦隊
戦闘前
空母1隻、戦艦2隻、巡洋艦17隻、駆逐艦31隻、フリゲート艦17隻、コルベット艦11隻、潜水艦19隻
第一次攻撃終了時点(1月31日)
空母1隻、戦艦2隻、巡洋艦9隻(-8)、駆逐艦18隻(-13)、フリゲート艦12隻(-5)、コルベット艦隻7(-4)、潜水艦19隻
第二次攻撃終了時点(1月31日から2月1日にかけて)
空母全損(-1)戦艦1隻(-1)、巡洋艦7隻、駆逐艦15隻(-3)、フリゲート艦4隻(-8)、コルベット艦3隻(-8)、潜水艦16隻(-3)
港湾爆撃終了時点(2月1日から2月3日にかけて)
戦艦全損(-1)、巡洋艦2隻(-5)、駆逐艦3隻(-12)、フリゲート艦1隻(-3)、コルベット艦全損(-3)、潜水艦14隻(-2)