ようこそ軍神至上主義の教室へ   作:あおいなり

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白き影は崩れた輪の形を見る

 

第32話

 

翌朝。

 

混合合宿の空気は、少しだけ澄んでいた。

 

冬の冷たさが、昨日よりも強く感じる。

 

窓の外には薄い霧がかかり、遠くの木々が白く沈んでいた。

 

合宿所の廊下には、生徒たちの足音が響く。

 

起床。

 

洗面。

 

点呼。

 

朝食。

 

もう何度も繰り返した流れ。

 

それでも、影たちの大グループの空気は、最初とは明らかに違っていた。

 

柊美咲は、朝から静かだった。

 

必要な挨拶はする。

 

点呼にも応じる。

 

けれど、以前のように笑顔で前に出て、場を自分の手元へ寄せることはなかった。

 

二年生の一部は、その変化に気づいているようだった。

 

不思議そうに見る者。

 

気まずそうに目を逸らす者。

 

何も知らないふりをする者。

 

柊はその視線を受けながらも、ただ淡々と動いていた。

 

壊れた笑顔は、すぐには戻らない。

 

影はそれを見ていた。

 

「見すぎ」

 

隣で真鍋が言った。

 

「はい」

 

「昨日、少し控えめにするって言ってなかった?」

 

「努力はしています」

 

「努力してこれ?」

 

「はい」

 

「終わってる」

 

真鍋は呆れたように言ったが、強く止めることはしなかった。

 

昨日の出来事以降、真鍋の影への視線は少し変わった。

 

近づいた。

 

けれど、少し警戒している。

 

それは正しい距離なのかもしれない。

 

影はそう思った。

 

「上代」

 

「はい」

 

「今日、柊先輩に余計なこと言わないでよ」

 

「余計なこととは」

 

「柊先輩の笑顔が戻るか見たい、とか」

 

影は少しだけ瞬きをした。

 

「真鍋さんは、よく覚えていますね」

 

「覚えたくなくても残るんだよ。ああいう怖い発言は」

 

「申し訳ありません」

 

「だから謝るなって」

 

真鍋は小さく息を吐く。

 

「とにかく、今日は普通に終わって」

 

「承知しました」

 

「信用できないけど」

 

「努力します」

 

「余計信用できない」

 

そのやり取りを、藪が少し後ろで聞いて笑っていた。

 

白波も少しだけ表情を緩める。

 

山村は小さく目を伏せながらも、口元にわずかな笑みを浮かべていた。

 

神室は壁にもたれながら、退屈そうに言う。

 

「上代が普通に終わらせるわけないでしょ」

 

「神室さんまで」

 

真鍋が顔をしかめる。

 

神室は肩をすくめた。

 

「事実じゃん」

 

影は少し考えてから答えた。

 

「今日は、できるだけ穏やかに努めます」

 

「その言い方がもう穏やかじゃない」

 

神室は即座に返した。

 

その小さな会話で、グループの空気が少しだけ軽くなる。

 

柊の件は、消えていない。

 

けれど、全員が沈んだままではない。

 

人は、壊れた後でも動く。

 

場もまた、少しずつ形を変える。

 

影はその変化を静かに見ていた。

 

 

午前の活動は、合宿最後の大グループ課題だった。

 

内容は、これまでの活動を踏まえた総合演習。

 

時間内に複数の課題をこなし、最後に大グループとして簡単な報告を行う。

 

移動。

 

資料確認。

 

役割分担。

 

発表準備。

 

全員の協力が必要になる。

 

教師は説明の最後に言った。

 

「この課題は、合宿中に身につけた集団行動の確認でもある。誰か一人が目立てばよいわけではない。全体として機能しているかを見る」

 

全体として機能しているか。

 

その言葉に、白波が小さく息を吸った。

 

代表としての緊張が戻ったのだろう。

 

けれど、昨日までとは少し違う。

 

白波は一度、山村の方を見た。

 

それから真鍋、網倉、佐藤、森、神室、影へと視線を移す。

 

最後に、上級生側の水瀬を見る。

 

水瀬は小さく頷いた。

 

白波は地図と資料を広げる。

 

「まず、役割を決めます」

 

声は少し震えていた。

 

だが、聞こえた。

 

「移動ルートの確認は私がします。資料の抜けや条件確認は、山村さんにお願いしてもいいですか?」

 

山村が驚いたように顔を上げる。

 

「私、ですか」

 

「うん。昨日も、一番細かいところに気づいてくれていたから」

 

山村は少し戸惑った。

 

声は出ない。

 

しかし、数秒後、小さく頷いた。

 

「……はい」

 

白波の表情が少し緩む。

 

「ありがとう」

 

網倉が明るく言う。

 

「じゃあ私は時間見るよ。千尋が地図見てる間に、残り時間声かける」

 

佐藤が手を上げる。

 

「私は荷物と必要なもの確認する」

 

森も続ける。

 

「私は先生への報告内容をメモする」

 

真鍋は少しだけ迷ってから言った。

 

「じゃあ私は、山村の声を拾う」

 

山村が真鍋を見る。

 

真鍋は少し顔を逸らした。

 

「小さい声でも聞こえるように、近くにいるってだけ」

 

山村は、ほんの少しだけ笑った。

 

「ありがとう」

 

真鍋は耳を赤くする。

 

「別に」

 

神室は面倒そうに言う。

 

「私は?」

 

白波は少し考える。

 

「神室さんは、無駄なところがあったら指摘してほしい」

 

神室が眉を上げる。

 

「何それ」

 

「神室さん、昨日もルートの無駄に気づいてくれたから」

 

「……まあ、それくらいなら」

 

「ありがとう」

 

神室は顔を逸らした。

 

「別に」

 

影はそのやり取りを見ていた。

 

白波は、以前より人を見ている。

 

一之瀬のように自然に包むわけではない。

 

水瀬のように場全体を整えるわけでもない。

 

けれど、自分なりに見ようとしている。

 

誰が何を拾えるか。

 

誰がどこに立てるか。

 

それを、不器用ながら考えている。

 

「上代さん」

 

白波が影を見る。

 

「はい」

 

「上代さんは……全体を見ていてもらってもいいですか?」

 

真鍋が即座に言った。

 

「それ一番危ない役じゃない?」

 

白波は少し困ったように笑う。

 

「でも、上代さんは本当に見ているから」

 

神室がぼそりと言う。

 

「見すぎだけどね」

 

影は軽く頭を下げた。

 

「承知しました」

 

白波は少し真面目な顔で続ける。

 

「ただし、何か気づいたら、壊す前に教えてください」

 

一瞬、空気が止まった。

 

真鍋が白波を見る。

 

山村も少し驚いたように顔を上げる。

 

白波自身も、自分で言ってから少し緊張したようだった。

 

けれど、目を逸らさなかった。

 

影はその言葉を受け取り、静かに頷く。

 

「はい。先に伝えます」

 

真鍋が小さく息を吐いた。

 

「ほんとに頼むよ」

 

「はい」

 

「信用はしてないけど」

 

「努力します」

 

「またそれ」

 

少しだけ笑いが起きた。

 

柊は、その様子を離れた場所で見ていた。

 

何も言わない。

 

口を挟まない。

 

けれど、その目には昨日とは違うものがあった。

 

悔しさ。

 

居心地の悪さ。

 

そして、自分が場の中心から外れていることへの戸惑い。

 

影はそれを見た。

 

壊した跡にできた空白。

 

そこへ、白波たちが少しずつ自分たちの形を入れ始めている。

 

 

課題活動が始まった。

 

最初の地点へ向かう途中、白波は地図を見ながら進行する。

 

網倉が時間を確認し、佐藤が必要物品を確認する。

 

森は小さくメモを取り、山村は資料の注意書きを読み込んでいる。

 

真鍋はその横に立ち、山村の小さな声を拾う。

 

「ここ、順番が違うかもしれません」

 

山村が言う。

 

真鍋がすぐに白波へ伝えた。

 

「白波、山村が順番違うかもって」

 

白波が地図を見る。

 

「あ、本当だ。ありがとう、山村さん。真鍋さんも」

 

「私は伝えただけ」

 

「それも助かるよ」

 

真鍋はまた少し顔を逸らした。

 

神室が前方を見ながら言う。

 

「そこの階段、他のグループ詰まってる。右の通路の方が早い」

 

白波がすぐに判断する。

 

「じゃあ右に変更します。みんな、右の通路へ」

 

声はまだ完璧ではない。

 

でも、届いている。

 

水瀬は少し後ろで、それを見て微笑んでいた。

 

柊は何も言わず、列の中ほどを歩いている。

 

時々、口を開きかける。

 

けれど、言葉にはしない。

 

以前なら、ここで白波へ何かを言っただろう。

 

もう少し早く判断できるといいね。

 

代表なら周りを見ないとね。

 

そういう棘を、笑顔で置いただろう。

 

だが今は、置けない。

 

棘が見えてしまったから。

 

そして、見えた棘は、以前ほど簡単には刺さらない。

 

影は柊を見ていた。

 

真鍋が隣で小声で言う。

 

「上代」

 

「はい」

 

「見てるだけ?」

 

「はい」

 

「本当に?」

 

「はい。今は、白波さんたちで動いています」

 

真鍋は少しだけ安心したように息を吐いた。

 

「ならいい」

 

「真鍋さん」

 

「何」

 

「私は、壊した後の形を見るのも嫌いではありません」

 

真鍋の顔が少し引きつる。

 

「また怖いこと言う」

 

「ですが、今は少し違います」

 

「何が」

 

「壊れた後に、別の方が立つのを見るのも、美しいと思いました」

 

真鍋はしばらく黙った。

 

そして、小さく言う。

 

「それなら、まだマシ」

 

「マシですか」

 

「うん。前よりは」

 

「それは良かったです」

 

「すごく良いわけじゃないから」

 

「はい」

 

そのやり取りを聞いていた藪が、小さく笑った。

 

影は前を見る。

 

白波は、少しずつ代表としての形を作っている。

 

山村は、まだ小さな声のままだ。

 

だが、その小さな声は拾われている。

 

真鍋は、それを拾う位置に立っている。

 

神室は、必要な時だけ刺すように指摘する。

 

網倉と佐藤、森は場を明るく保っている。

 

水瀬は、後ろで崩れないように見ている。

 

柊は、壊れた笑顔の後で、自分の立ち位置を探している。

 

これが、壊した後の輪の形。

 

不完全で、歪で、けれど動いている。

 

 

二つ目の課題地点では、短い発表準備が必要だった。

 

制限時間内に、与えられた条件をもとに、教師へ行動計画を説明する。

 

発表は白波が担当することになった。

 

ただし、今回は一人で背負うわけではない。

 

山村が資料の条件をまとめる。

 

森が文章を整える。

 

網倉が時間を測る。

 

佐藤が発表に必要な物を準備する。

 

真鍋が白波の横に立つ。

 

神室が無駄な表現を削る。

 

影は全体を見ていた。

 

白波は原稿を読み、少し詰まった。

 

「えっと、この場合は……」

 

山村が小さく言う。

 

「条件二を先に説明した方が、分かりやすいかもしれません」

 

真鍋がすぐに言う。

 

「条件二を先」

 

白波が頷く。

 

「うん、そうする」

 

柊が少しだけ口を開いた。

 

しかし、言葉は出なかった。

 

水瀬がそれに気づき、柊を見る。

 

柊は視線を逸らす。

 

影はその様子を見ていた。

 

柊の中にも、言葉はまだある。

 

棘も、完全に消えたわけではない。

 

ただ、出せなくなっている。

 

それは反省かもしれない。

 

恐怖かもしれない。

 

あるいは、壊された仮面をどう扱えばいいのか分からないだけかもしれない。

 

白波の発表練習が終わる。

 

網倉が拍手するように手を合わせた。

 

「いいんじゃない?」

 

佐藤も頷く。

 

「うん、さっきより分かりやすい」

 

森が補足する。

 

「最後に、全員で確認したことを入れるといいかも」

 

白波がメモを取る。

 

「ありがとう」

 

神室が短く言う。

 

「長いところ削ったら、もっといい」

 

「どこ?」

 

「ここ」

 

神室が指差す。

 

白波は苦笑しながら修正した。

 

「ありがとう、神室さん」

 

「別に」

 

山村が小さく言った。

 

「あの……白波さん」

 

「うん?」

 

「最後の報告、私が資料を持って横に立ちましょうか。聞かれた時に、条件をすぐ見せられるので」

 

白波の目が少し開く。

 

「助かる。お願いしてもいい?」

 

山村は小さく頷いた。

 

「はい」

 

それだけだった。

 

大きな主張ではない。

 

けれど、山村が自分から位置を選んだ。

 

影はその瞬間を見た。

 

壊れた後に、誰かが少し立つ。

 

完全ではない。

 

だが、確かに。

 

「上代」

 

真鍋が小声で言う。

 

「今、嬉しそうだった」

 

「はい」

 

「怖いやつ?」

 

「いいえ」

 

影は少し考える。

 

「たぶん、違います」

 

「たぶん?」

 

「人が立つのを見るのも、やはり美しいと思いました」

 

真鍋は小さく息を吐いた。

 

「それは、まあ……いいんじゃない」

 

「はい」

 

「壊れる方ばっかり見るよりは」

 

影は静かに頷いた。

 

「そうですね」

 

その言葉は、自然に出た。

 

 

発表は、大きな問題なく終わった。

 

白波は少し緊張しながらも、内容を伝えた。

 

山村は隣で資料を持ち、必要な時に条件を指し示した。

 

教師から一つ質問があったが、白波は山村へ目を向け、山村が小さく資料を示す。

 

白波がそれを受けて答える。

 

完璧ではない。

 

しかし、連携はあった。

 

教師は短く頷いた。

 

「よい。全員で確認できていることが分かる」

 

その言葉に、白波はほっと息を吐いた。

 

山村も、小さく目を伏せながらも、どこか安心したようだった。

 

真鍋が小声で言った。

 

「よかったじゃん」

 

白波が振り返る。

 

「うん。真鍋さんもありがとう」

 

「私は別に」

 

「山村さんの声、拾ってくれて助かった」

 

真鍋は少しだけ黙った。

 

「……まあ、聞こえたから」

 

山村が真鍋に小さく頭を下げた。

 

「ありがとう」

 

真鍋は顔を逸らした。

 

「だから、別に」

 

神室がぼそりと言う。

 

「素直じゃない」

 

真鍋が睨む。

 

「神室に言われたくない」

 

「私は素直でしょ」

 

「どこが?」

 

「嫌なものを嫌って言うところ」

 

「それは素直じゃなくて性格悪いだけ」

 

神室は少しだけ口元を上げた。

 

「そっちも言うようになったじゃん」

 

真鍋は一瞬黙り、それから顔を逸らす。

 

「うるさい」

 

そのやり取りに、佐藤と網倉が笑った。

 

森も小さく笑う。

 

白波も、緊張が解けたように笑った。

 

山村は声を出して笑いはしなかったが、表情は少し柔らかかった。

 

柊は、その輪を少し離れた場所から見ていた。

 

影は柊の表情を見る。

 

悔しそうでもある。

 

寂しそうでもある。

 

怒っているようにも、何かを諦めたようにも見える。

 

中心から外れた者の顔。

 

それは、勝者の顔でも敗者の顔でもなかった。

 

壊された後、自分がどこに立てばいいか分からない者の顔だった。

 

影の胸の奥に、わずかな熱が生まれる。

 

だが、それは昨日のような熱ではなかった。

 

崩れた顔をもっと見たいという熱ではない。

 

この人は、この後どこに立つのだろう。

 

そんな問いに近かった。

 

「柊さん」

 

水瀬が静かに声をかけた。

 

柊が振り返る。

 

「……はい」

 

「次の移動確認、二年生側の人数を見てもらえる?」

 

柊は少しだけ驚いた顔をした。

 

前に出すわけではない。

 

中心に戻すわけでもない。

 

けれど、役割を与える。

 

水瀬は、壊れた柊をそのまま放置しなかった。

 

柊は少し迷った後、小さく頷く。

 

「分かりました」

 

その声に、以前の棘はなかった。

 

弱い。

 

だが、初めて少しだけ素直に聞こえた。

 

影は水瀬を見た。

 

水瀬は気づいていたのか、影へ小さく視線を向ける。

 

その目は言っていた。

 

壊した後にも、人はいる。

 

影は静かに頭を下げた。

 

 

最後の移動確認が終わる頃、午前の活動は終了となった。

 

大グループ全体としての評価は、悪くなかった。

 

教師からも、大きな注意は受けない。

 

むしろ、役割分担と報告の面では一定の評価を受けた。

 

白波は肩の力を抜き、網倉に軽く背中を叩かれている。

 

佐藤と森は昼食の話をしている。

 

山村は資料を丁寧に片付けている。

 

真鍋は少し離れてそれを見ていたが、山村が持ちきれなさそうにしていると、黙って半分持った。

 

山村が小さく礼を言う。

 

真鍋はいつものように「別に」と答える。

 

神室はその様子を見て、また少しだけ笑った。

 

柊は二年生側の人数確認を終え、水瀬へ報告していた。

 

「二年生側、全員います」

 

「ありがとう」

 

水瀬は短く答えた。

 

ただそれだけ。

 

けれど、柊は少しだけほっとしたように見えた。

 

役割を終えたからか。

 

誰かに普通に返事をされたからか。

 

それは分からない。

 

影はその様子を見ていた。

 

「上代」

 

真鍋が隣へ来る。

 

「はい」

 

「今度は柊先輩のこと見てる」

 

「はい」

 

「また壊れるところ?」

 

影は少しだけ首を横に振った。

 

「いいえ」

 

「本当に?」

 

「はい」

 

影は柊を見る。

 

「壊れた後、どこに立つのかを見ていました」

 

真鍋は柊の方を見た。

 

しばらく黙る。

 

「……それは、まあ、見てもいいやつかもね」

 

「そうですか」

 

「たぶん」

 

真鍋は少しだけ笑った。

 

「上代が言うと全部怖いけど」

 

「困りました」

 

「困ってない顔」

 

「はい」

 

「認めるな」

 

二人は少しだけ笑った。

 

その笑いは、昨日よりも軽かった。

 

完全に元通りではない。

 

むしろ、元通りにはならない。

 

壊れたものがある。

 

見えてしまったものがある。

 

それでも、形を変えて続くものがある。

 

影はそれを、初めて少しだけ理解した気がした。

 

 

昼食の前、大広間で全体説明が行われた。

 

教師たちが前方に立ち、合宿の最終日程と評価について説明する。

 

生徒たちは男女別、大グループごとに整列していた。

 

影たちのグループも列に並ぶ。

 

白波は少し緊張しながらも前を向いている。

 

山村はその斜め後ろ。

 

真鍋はその近くにいる。

 

神室は相変わらず面倒そうだ。

 

柊は少し離れた二年生側に立っている。

 

水瀬は全体を静かに見ていた。

 

説明が始まる直前、影は少し離れた場所に南雲雅の姿を見た。

 

彼は二年生の中心にいた。

 

軽く笑いながら、周囲の生徒に声をかけている。

 

相変わらず、人の流れは彼へ向かっている。

 

しかし、その少し離れた場所には堀北学の姿もあった。

 

静かに立つだけで、空気が締まる。

 

南雲の周囲に流れが生まれるなら、堀北学の周囲には静止が生まれる。

 

動かす者。

 

動かされない者。

 

その二つの空気が、大広間の中に並んでいた。

 

影はそれを見ていた。

 

柊の棘。

 

白波の声。

 

山村の小さな一歩。

 

真鍋の隣に立つ強さ。

 

水瀬の整える力。

 

南雲の流れ。

 

堀北学の静止。

 

この合宿で見えたものは、一つではない。

 

人は、それぞれの方法で場に立つ。

 

刺す者。

 

抜く者。

 

壊す者。

 

整える者。

 

立とうとする者。

 

流れを作る者。

 

流れに呑まれない者。

 

そして、それを見てしまう者。

 

影は、自分の手を見る。

 

柊に掴まれた跡は、薄くなり始めていた。

 

けれど、完全には消えていない。

 

それでいいのかもしれない。

 

痕があるから、忘れない。

 

自分が何をしたのか。

 

何を見たいと思ったのか。

 

そして、何を見て少し変わったのか。

 

「上代」

 

真鍋が隣で小さく言う。

 

「また見すぎ」

 

「はい」

 

「でも、今日は止めない」

 

「なぜですか」

 

真鍋は前を向いたまま答える。

 

「今日は、変な目じゃないから」

 

影は少しだけ驚いた。

 

「そうですか」

 

「たぶん」

 

「たぶん、ですか」

 

「そこは真似しなくていい」

 

影は小さく微笑んだ。

 

教師の声が大広間に響く。

 

合宿は、終わりに近づいている。

 

だが、この戦場で見たものは、まだ影の中に残り続けるだろう。

 

壊れた笑顔。

 

立ち上がりかけた声。

 

盤上の王。

 

静かに立つ先輩。

 

そして、いつかの赤い記憶。

 

まだ名前を呼ぶには早い。

 

けれど、その声は、影の奥で確かに響いていた。

 

――神でも化け物でもねぇ。

 

――お前は、普通の人間だ。

 

白き影は、前を見た。

 

普通の人間として、何を選ぶのか。

 

その問いを抱えたまま、混合合宿の終わりが近づいていた。

 

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