タイトルまんま。

メモロビのネタバレあります。
天童ケイはいます。よろしくお願いします





1 / 1
第1話

 

 

 

 夕日が差し込み、オレンジ色に光る教室に一人、天童ケイは気が付いたら立っていた。

 

「……ここは、シャーレの執務室?」

 

何故――という疑問に、ケイは答えを持ち合わせてはいなかった。

本当にふと、気が付いたらこの場所にいたのだ。

 

 場所自体には見覚えがある。

以前、先生の手伝いでシャーレの執務室には入った事があるし、その手伝い業務の終わり際も丁度――こんな感じに西日が室内を照らしていた。

 

それは、ケイにとっても強く印象に残っている風景だった。

 

――しかしである。ケイが記憶を辿ってみても、先程まではミレミアムの校内にいたはずで、当番の日にはまだまだ早いはずであり、自分がこの場所にいる理由に――皆目見当もつかない。

 

まさか唐突に瞬間移動の能力に目覚めて、このシャーレの執務室までワープしてきたわけでもあるまいし。

 

 およそ――身に起こっている事を客観視してみれば異質な事ばかりである。

なにか、嫌な予感がした。

 

「誰か……、先生! 居ないんですか? 先生!」

 

 不安に駆られて声を上げ、辺りを見回しながら歩く。

返ってくるのは静寂ばかりであり、返事は無い。

 

そのまま歩いて、

 

「……っ!」

 

 圧倒的な違和感が去来した。

 

このまま出て行ってしまおうと戸に手をかけたのに――扉が開かない。

 

冷静になる事を意識し、現状の認識に努めた。

銃器の類いは――当然の様に無く、ポケットをまさぐるがスマートフォンすらも無い。

室内に備えてあるパソコンや電話を調べたが、そもそも通電していないのか、機能を失っている。

 

戸や窓を、持てる限りの力を持って殴りつけた。

しかし。いっそ不自然なまでの非破壊性を発揮し――軋みすらせず、拳の方が先に壊れてしまうと簡単に結論付けさせてくる。

 

大声で助けを求めるが、やはり反応はなく。

耳を澄ませても聞こえるのは、自身の不安で早くなる鼓動と、先程の設備への暴行で荒くなった息だけである。

 

 夕日色に染まった執務室は、あまりにも静かすぎた。

 

時計の針の音すらしない。

空調も止まり、電子機器は沈黙し、世界そのものが「停止」しているかのような感覚。

 

ケイは再び窓際へ向かった。

窓の外には、キヴォトスの街並みが広がっている。

 

 しかし――違和感。

 

「……人が、いない?」

 

 道路には車両が一台も走っておらず、遠くに見えるビル群にも灯りがない。

鳥一羽飛んでいなければ――店先にある、のぼり一つ揺れていない。

 

 まるで背景画像。

 

 世界から生命だけが綺麗に抜け落ちてしまったような光景だった。

 

「私はいったい、何に巻き込まれたっていうんですか……!」

 

――――特異現象。

ケイの胸に、そんなワードが浮かんだ。

 

 

⬛︎

 

 

 落ち着け、と自分に言い聞かせる。

 

感情的になっても状況は改善しない。今すべきことは現状の整理だ。

深呼吸をひとつ置いて、改めて室内を見渡した。

 

 場所は、シャーレの執務室。脱出手段は現状ゼロ。外部との通信手段もゼロ。時計が止まっているので、正確な時刻も不明――ともすると、止まっているのは時計ではなく時間の方かもしれないが――しかし太陽の位置関係的に夕方である事は間違いないだろう。

 

実は、あの太陽が日の出であり、早朝だったのだ。――という線はない。

 

陽の光が表している方角は、西だ。

あの時。先生の手伝い業務をした日と、同じ位置に太陽がいるのを覚えているからである。

 

 未知の情報を、既知にしていかなければならない。

なぜここにいるのか。なぜ外に人がいないのか。なぜこの空間は壊れないのか。

 

ひとつひとつ潰していけば、必ず突破口が見つかる。

 

 ゲーデルの不完全性定理だ。

どれだけ厳密に構築されたシステムにも、そのシステムの内側からは証明できない命題が必ず存在する。

完全な閉鎖など、論理的にあり得ない。

 

 

ならばこの空間にも、必ず綻びがある。

 

 

そう信じて、ケイは机の引き出しを順番に開け始めた。

 

書類。ペン。見慣れた雑多な小物たち。

 

――先生らしい、雑然とした引き出しですね。

そう思った瞬間、ケイは自分の思考に気づいて眉をひそめた。

 

今は感傷に浸っている場合ではない。

 

引き出しの中身を確認し終えると、次に本棚へ向かった。背表紙を端から端まで目で追う。

特に変わったものは無い。

ただ――既視感だけがあった。この本棚の並び順を、ケイはなぜか知っていた。

 

いや、知っているのは当然だ。以前この部屋に来たことがあるのだから。

 

「――集中しろ」

 

声に出して、自分を戒める。

引き出しで見つけたペンを手に取った。

壁に線を引いてみる。

 

引けた。

――しかし、インクが乾く前に消える。

 

壁に書いた線が、まるで最初からなかったかのように、綺麗に空間に溶けていく。

 

机に試した。消えた。床に試した。消えた。

 

眼前で起こる非現実的な光景を前に、とりあえず言い切れそうなのは、この空間は痕跡を残すことを許さないらしい。ということだった。

 

諦めて、ペンを床に置いた。

 

コツン、と小さな音がした。

 

静寂の中では、やけに大きく聞こえる。

 

 

⬛︎

 

 

 

 時間の感覚が、やはりおかしい。

 

どのくらいここにいるのだろう。西日の角度は変わらない。影の位置も変わらない。

この空間は当初の予感通り、時間という概念が無いのかもしれない。

 

 それに加えて――私自身の空腹感や疲労感もなかった。

なにか、それはおかしい、とケイは思った。思ったが――まあいいか、という気持ちが同時に湧いた。

 

 まあ、いいか?

 

その思考に気づいて、ケイは首を振った。

 

よくない。良いわけがない。

 

アリスが待っている。ゲーム開発部のみんなが待っている。こんな偽物の空間じゃなく、本物の先生の当番だってある。帰らないといけない理由は、いくらでもある。

 

「私は、どんな手を使ってでも――生き残ってやるつもりですから」

 

 決意表明。それを声に出すことで、思考を繋ぎとめようとしたつもりだったが――デジャブを感じた。

いつか、同じ台詞をどこかで言った気がする。

いつでしたっけ? 今この瞬間な様にも、遠い過去な様にも思える。

 

そうだ。先生は今頃、どうしているだろう。心配しているかもしれない。あの人は本当に心配性だから。

大人のくせに照れも隠しもせずに、本心を表して。

だからちゃんと、伝えて、安心させなくちゃ――

 

「しんぱい、しないでください……」

 

美しい記憶が、滲んでくる。

 

この空間は夕日の色をしていた。その夕日の色が、ケイの知っている全ての夕日の記憶と共鳴するように、じわじわと室内に満ちていた。

 

「わたしがきえることは」

 

先生と並んで夕日を見た記憶。

 

アリスと並んで帰った夕暮れの記憶。

 

ゲーム開発部の窓から見えた、オレンジ色に染まる校舎の記憶。

 

それらが全部、今ここにある夕日と同じ色をしていた。

 

おかしい。

 

おかしいのに。

 

「むしろ、そのぎゃくですね」

 

――悪くない、と思ってしまった。

 

 

⬛︎

 

 

 考えが、まとまらない。

 

 

 さっきまで、何を考えていたっけ。

 

 脱出の方法。そう、脱出。でも扉は開かなかった。窓も開かなかった。壁にペンで書いた文字も、消えた。それからどうしたんだっけ、思い出せない。

じゃあ、もう。

 

――あなたが頭を撫でてくれた。

 

安堵感が全身を包み込み、思わず笑みが零れる。

我ながら、だらしがない笑顔だと思う。

恥ずかしいですけど……見られてますよね。正面にいますし。

違う、今はそれじゃない。ええと、まずは。

ここからの――

 

ここからの、なんでしたっけ。

 

いいか、という気持ちが湧いた。

 

ここにいても、いいか。夕日はずっと綺麗だし、美しい思い出はずっとここにある。あなたもきっと、たまには来てくれる。

 

悪くない。

 

ぼんやりとした思考のまま、オレンジ色に光る窓ガラスを私は眺めていた。

そしてあなたの視線に気がついて、振り向くんです。

これはいつかの記憶か――それとも現在そのものなのか。もうきっと誰にも分かりません。

 

「心配しないで下さい」

 

「私が消えることはありません」

 

「むしろその逆です」

 

「どんな手を使ってでも生き残ってやるつもりですから」

 

 そうやって――何度目か分からない返答を、美しい記憶を現在にして、あなたに微笑むのでした。

 

 

⬛︎

 

 

ケイは、自分の手を見た。

 

何故、見たのかは分からない。ただ、視線が落ちた。それだけだった。

 

手のひらに、文字があった。

 

ピンクの蛍光色をした、細い文字。

 

『不完全性定理。綻びは必ずある』

 

その下に、もう一行。

 

『それは私自身』

 

ケイは、しばらくその文字を見つめた。

 

自分の筆跡だった。

 

いつ書いたのか、覚えていなかった。でも確かに、自分の字だった。

字を眺めてうちに、段々と記憶が蘇ってくる。

そうだ。壁には残せなかったのに。机にも床にも残せなかったのに。

 

「……そうだ。最初から、違和感はあったんですね」

 

思えば、既視感がありすぎた。

シャーレの執務室を模したココは、確かに一度来たケイにとって知らない場所じゃない。でも、あまりにも記憶の通り過ぎた。

 

「ここはあの日……そのものなんですね」

 

 この空間は、あの日と同じ環境を保とうとしてきた。しかし――ケイ自身に刻まれた痕跡は、現在を思考して生きる私は、消せなかった。

ゲーデルの不完全性定理。完全な閉鎖など、論理的にあり得ない。

 

 私が、綻びだ。

その瞬間、胸の底から何かが込み上げてきた。論理でも分析でもない、ぐちゃぐちゃの何かが。

綺麗な記憶だけを切り取った空間に、ぐちゃぐちゃの激情は存在できない。

 

 純粋な、この空間そのものに向けた、怒り。

 

だからって私を取り込んで、私を思い出そのものにしようとしたんですか――!

 

ふざけるな。

――叩き込んでやる。

 

「返せ――!」

 

声が、震えていた。

 

「私の、アリスを。みんなを。

 先生を――これからを、返せ……!」

 

 

⬛︎

 

 

 叫んだ瞬間、空間が――震えた。

物理的な振動ではない。もっと根本的な何かが、ぐらついた。夕日の色が、一瞬だけ乱れた。綺麗に切り取られていたはずのオレンジ色に、ノイズが走った。

ケイは構わず続けた。

 

「私は……! アリスと喧嘩したい。ゲーム開発部のみんなのだらしなさを叱りたい。先生に、理不尽に八つ当たりしたい。謝って、また笑いたい……!」

 

綺麗じゃない記憶を、叩きつけた。

うまくいかなかった日のことを。情けなかった日のことを。誰かを傷つけてしまった日のことを。泣いた日のことを。悔しかった日のことを。

この空間にはない記憶を。切り取られなかった記憶を。

ノイズが広がっていく。

夕日の色が剥がれ始める。壁の輪郭が、滲む。完璧に保存されていたはずの空間が、ケイの激情を処理できずに――軋んでいた。

そして。

空間の中心に、一本の亀裂が走った。

 

 

⬛︎

 

 

亀裂の向こうは、暗かった。

夕日の色も、執務室の輪郭も、何もない。ただ暗い。

でもその暗闇の中に、見慣れた輪郭があった。

 

“――ケイ?”

 

声が、した。

ケイはその声を聞いた瞬間、膝から崩れ落ちそうになった。

先生だった。

本物かどうか、分からなかった。この空間が最後の抵抗として作り出した幻かもしれなかった。

構成要素が同じでも、それが本物である保証はどこにもない。

でも。

 

「先生……!」

 

走っていた。気づいたら、亀裂に向かって走っていた。

論理じゃなかった。分析でもなかった。

ただ、会いたかった。

先生の手が、亀裂の向こうから伸びてきた。ケイはその手を掴んだ。冷たくも、温かくもなかった。ただ、確かにそこにあった。

引っ張られる感覚とともに――夕日の色が、遠ざかっていった。

 

 

⬛︎

 

 

――目が覚めると、特異現象捜査部の部室にいた。

 

 真っ先に知覚した、モニターの光と空調の音で、帰ってきたのだという実感を得た。――と、同時に。

身体中に繋がれた何本ものコードと、こちらをホッとした様に見つめる幾人もの視線に、ケイは思わず身を竦める。

 

……かなりの迷惑をかけてしまったようですね。

 

「ええと……」

 

“ケイ、大丈夫?”

 

 先生の声がした。

ケイは答えようとして、自分の手のひらを見た。

文字は、まだそこにあった。

薄くなっていたけれど。でも、まだあった。

『不完全性定理』

『それは私自身』

 

 どうやら、ただの夢では無いらしい。

 

「……心配しないで下さい」

 

ケイは顔を上げて、答えた。

 

「大丈夫です。先生。私が消えることはありません」

 

 

⬛︎

 

 

 事の顛末として――ケイが後から知らされたのは、ケイ自身が想像するよりも事態が大きくなっていたらしいことだった。

 

寝台で横になるケイに対し、ゲーム開発部の面々と先生がとりあえず話してくれたそれは――涙と動揺と安堵で、呂律も論理もまともに機能しておらず、ケイの理解力を持ってしても全体の大まかな把握とはなったが。

 

――ミレニアムの校内でケイが倒れている所を発見され、どうやらこれは只事ではないぞと直ぐに先生が飛んで来て、ミレニアム中の部による精密検査が行われ――最終的に特異現象捜査部へと引き継がれた。

 

 ケイの意識は――実際にどこか別の位相へと運ばれ、極めて近い世界の同位体と重なってしまっていたらしい。

しかし、なにより――ケイが一番驚いたのは、あの空間の崩れた後に見た先生が本物だったという話だ。

ミレニアムの最新設備を使い、先生自身がケイの意識の中に入ったのだという。

 

つまり、暗闇の中で腕を引いてケイを助けた先生は、幻でもなんでもなく――――。

 

 その瞬間を茶化されるかと顔の赤くなるケイだったが、先生は無事で済んで良かったとギャグ漫画もかくやといった滝のような涙を流して喜ぶだけだった。

 

 無事で済んだとはいえ――事態が事態。

しばらくは検査と入院の生活がはじまるだろう。

 

 

 

⬛︎

 

 

 

 数日後――ミレニアムの病室で横になるケイの他には、先生だけがいた。

他の面々が見舞いに来ていない訳がなく、むしろこの二人きりの状況というのは、ここ最近ではかなり珍しい事だった。

 

 そして――奇しくもまた、夕暮れ時だった。

 

だからだろうか。ケイは病室の窓から除く西日へ眩しそうに目を細め、ポツポツと語った。

 

「――あの西日に呑まれそうになって、それはそれで悪くはないかな。とも思ったんです。

綺麗な思い出にずっと居られて、たまに先生に頭を撫でてもらって。

 

それが例え、美しい思い出を切り取っただけの幻想でも……なんて。冗談ですよ。先生」

 

「私は生きています。きっととんでも無く苦しい事があります。とても辛い未来が待ち受けています。

でも、生きて、アリスや、ゲーム開発部の皆と、思い出を作っていきます。

そっちの方がきっと、美しくなくても、楽しい。」

 

“……いや、ケイ。その判断はとても美しいよ”

 

 

 ――あの日から、時折思考する。

 

あの空間はきっと、私の美しい思い出を切り取ったものだけれど、思い出というのはその時々を切り取った物事の連続体だ。

 

過去の追憶と現在の記憶の衝突で、少しナイーブになっているだけかもしれないが、思うのだ。

 

 

先生。私は、ちゃんとここに――存在してますよね?

 

 

 

 

 

 

 

 


  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。

評価する
※参考:評価数の上限
評価する前に 評価する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。