女装スパイは今日もバレそう~男とバレても転生者とバレても死ぬ俺の学園生活~ 作:やっくん。
――アメリア視点――
医務室には誰もいなかった。
校医は昼の休憩に出ているらしい。私はスイを抱えたまま足で椅子をどかし、窓際のベッドに寝かせた。
枕の位置を直し、乱れた前髪を指で払ってやる。
額にうっすらと赤い線が浮いていた。私の模擬刀の跡だ。
「……すまなかったな」
当然だが返事はない。
水差しの水で布を湿らせ額に当てる。スイの睫毛がかすかに震え、唇が動いた。
「……くるっぴ……は……」
手を止める。
「……ダサい……って……」
うわごとらしい。
くるっぴ――
聞き覚えのない言葉だ。異国の料理か、地名か、それとも誰かの愛称か。
口の中で転がしてみる。
……ずいぶんと丸い響きでかわいいな
スイが小さく身をよじった。襟元がきついのか息が浅い。
私は制服のボタンに指をかける。
一つ目。二つ目。三つ目で指が止まった。
胸元にきつく巻かれたサラシ。その下から木の板のように平らで硬いものがのぞいている。
詰め物だ。それもずいぶんと分厚い。
私は無言で詰め物を見つめ、それから自分の胸元を見下ろした。
騎士団の制服の上からでもわかる、この重み。訓練のたびに揺れ、鎧の留め具は特注、夏は蒸れて仕方がない。
両手で下からすくい上げてから離す。
ぶるるん。
「……こんなもの、ないほうが剣を振りやすいのだがな」
つぶやいてから、そっとボタンを留め直した。
人には隠しておきたいものがある。見なかったことにしてやるのが騎士の情けだ。
毛布をかけてやろうと手を伸ばしたとき、スカートの腰のあたりが目に入った。
スカートの布の中央部が不自然に持ち上がっている。
太くて長くて硬そうな何かが、ポケットに入っているようだ。
筆記具か。それとも短剣か……
寝返りを打ったら腹に刺さりかねない。抜いておいてやろう。
私は彼女のスカートに手を伸ばす——
ぎし。
廊下の床板が鳴った。
ほんのかすかな音。だが、誰かが扉の前で足を止めた音だ。
「出てこい」
手を引っ込め、扉に向き直る。
沈黙が三秒。
扉がそろそろと開いた。
「やっほ〜」
金髪が半分だけ顔をのぞかせた。
「アメちんセンセー、気配読むの早すぎじゃね?」
魔法科のライラだ。試験の見学席にいたのは見えていた。
「……ライラ。盗み聞きとは感心しないな」
「ちがうちがう、ノックしようとしたとこだって〜」
ライラは悪びれもせず医務室に入ってくると、ベッドの足元に腰を下ろした。
「あと、アメちんではない。アメリア先生だ」
「アメリアせ〜んせ」
「よし」
「……ちん」
「おい」
ライラはケラケラ笑いながら、眠るスイの頬をつんとつついた。
「この子、あーしの親戚なんだよね〜。ぶっ倒れたの見て、すっ飛んできたんだけど〜」
「そうか……それはすまなかった」
「不慮の事故だし、いいって〜」
「そう言ってもらえると助かる」
「でさ、どう〜? うちのスイっちは」
私はスイの寝顔に目を落とした。
長い睫毛。通った鼻筋。眠っていると、まるで作り物の人形のようだ。
「正直に言うと――欲しい」
「え、レズ? 先生もお仲間だったかぁw」
「ば、ばかもの! 惚れた腫れたの話ではないっ!」
「あせってるあせってるw」
「茶化すな! 鍛えたいという意味だ」
咳払いをひとつ。
「この子の剣は筋がいい。……あの間合いの取り方は教えて身につくものではない。入学後は剣術科に入れて私が直接見る。朝の素振りから始めて、半年で型を——」
「え〜、それアメちんが勝手に決めちゃっていいの〜?」
「む……」
言葉が喉で止まる。
団長の顔が頭に浮かんだ。にこにこ笑いながら、人の人生を天気の話のように決めていく、あの顔が。
私は眉間を指で押さえた。
「……他の教員にも話を通す必要があるか……」
「うんうん」
立ち上がり扉へ向かう。
「目を覚ますまで付いていてやれ。頭を打っているので、急に起き上がらせるな」
「りょ〜」
「返事は『はい』だ」
「はぁ〜い」
「伸ばすな」
「は」
「今度は『い』が抜けている。まぁいい……あとは頼んだぞ」
廊下に出ると足が自然と速くなった。
階段を一段飛ばしで登る。
ライラには言わなかったが、剣の腕以上に彼女の精神が気に入っている。
物怖じしない胆力。最後の一撃への駆け引き。何より礼に始まるあの姿勢が良い。騎士道に通ずるものがある。
あぁ……彼女は磨けば光る――必ず。
まずは何をさせよう。そうだ。まずは基礎からだ。
毎朝、腕立て千回、腹筋千回。学園の外周を二百周。それから素振りを一万本。
いや、あの子なら一万五千はいけるか。
足さばきは砂袋を背負って、川沿いの砂地を走らせるものいい。
踊り場でふと足が止まる。
窓ガラスに映った自分の顔は――驚くほど口の端が吊り上がっていた。
階段の下で、下級生がひっと小さな悲鳴を上げて逃げていった。