時間停止系探索者、ダンジョンの都市伝説となるも我関せず 作:ゴマ醤油
目覚めは人生でも指折りで、今にも二度寝してしまいたいほど酷く重いものだった。
「……ん、あれ、俺は……?」
頭を抱えながら、固い地面の感触から、ここが自宅ではないことだけは確か。
いまいち朧気だが、今どうなっているんだと。
うつ伏せだった体を起こし、周囲を窺えば、目の前に広がる星屑めいた壁の様子から、そういえばダンジョンの中にいたんだと思い出してしまう。
……確か深層を進んでいて、変な罠を踏んで足を負傷……足、そうだ、足っ!
「……なんだ、これ?」
そこまで思い至ってすぐ、見たくないという不安が湧くよりも先に、半ば衝動で自身の右足へと目を向けて──そしてその不思議な状態に、少しばかり理解が追いついてくれない。
まず前提として、右足は確かに負傷している。
履いていた靴ごとぽっかりと穴が開いていて、ひしゃげた骨は剥き出しになっている様はグロテスクとしか形容出来ない状態なのは確か。普通ならまともな思考なんて働かないし、何だったら出血とショックで死んでるんじゃないかってくらいには重傷なはずなのだ。
だというのに、どうしてか足からは痛みのいの字さえ感じない。
何一つ負傷していなくて、今すぐにでもこの足で歩いたって何も感じないってくらいにはへっちゃら。
何より、まるで
……もしかして、ここはあの世で、生きていると勘違いしてるだけで死んでいるのかもしれないな。
現実味のない、理解不能な現象に頭を悩ませるもどうにもならず。
考えるだけ無駄だと早々に思考を放棄しつつ、つい普段の習慣どおりにポケットからスマホを取り出してしまってから、それが無意味だと思い出す。
まったくなにやってるんだ。
こんなものを取り出した所で、止まった
「うそっ、動いた……?」
動いた。動いてしまった。その事実に、呆然としてしまう。
スマホに電源が入り、表示された時計の数字は、ちょうど見計らったかのように一つ先を刻んだ。
それはつまり、スマホが動いているということ。止まっているはずの世界が、当たり前の姿に戻っているということ。
どういうことだ。俺が解除しない限り、世界に時間が戻ったことなんて、今まで一度もなかった。
まさか、まさか俺の時間停止は無制限なんかじゃなく、解除される限界があったのか……?
ここに至って、当たり前の事実に気付き、ゾッと全身に冷たい感覚が駆け巡ってしまう。
……考えた事はあった。この能力を得た直後、或いは時折、疑問に
けれど何度も使う内に勝手を知っていったことで、そこまで深く考える必要はないだろうと思考を止めてしまっていた。
そして以前、
この能力の限度は、どれくらいなのか。限度を迎えれば、どうなってしまうのか。
そしてそもそもこの能力は、本当に時間停止なのか。最初に止めたのが時間なだけで、もっと別の何かなのでは──。
「ギシャラァッ!!!」
何か、気付かなければならない何かに気付きそうになった。
その瞬間だった。けたたましいほどの叫び声と共に、恐るべき速さにて何かが迫り来たのは。
「……あぶなっ」
再び世界が制止したのは、襲来した謎の飛行物体──トビウオのように羽の生えた細長いダンジョン生物が、ストローみたいな更に細長いくちばしを大きく開き、こちら丸呑みにしようとした。その直前だった。
……間一髪って所か。まったく、ちゃんと発動してくれて助かったよ。
なんか最近、本当に死を感じるくらいの瀬戸際に多く直面してしまうな。
それもこれも全部ナナシって変態が悪い。多分違うけど、あいつは俺の死神ってことで、そういうことにしておこう。うん。
ゆっくりと立ち上がり、若干の仕返しがてら、俺の命を狙ってきたお魚さんを横からぶん殴り。
トントンと、試しに軽く足を鳴らしてみるが、痛みも変化もなく。
足を挫いたときの方がまだまともな感覚をしていたと、そんな違和感しかなかったが、それでも歩けるのなら
気を失ってから、どれくらい時間が経ったのかは分からない。
けれど戻ってナナシから確かめる気にはならない。今は何ともなくたって、何をきっかけに足の負傷が再び感覚を取り戻してしまうのか、わからないからだ。
だけど一つだけ、不思議と察した確信がある。
次にこの足から血が流れ始めたときこそ、俺は動けなくなり、このダンジョンの中で誰にも知られることなく死を迎えるだろうということだけは、たいした頭を持っていない俺でも容易に察せられることだ。
それなのに、皮肉にも気絶する前より足取りはずっと軽く、さながらついていた足枷でも取れたみたい。
別に時間制限が出来たから焦っているとか、やけになったからとかそういうのではない。
むしろその真逆。ただどんなことをしたって自力での生還は叶わないだろうと、何となくだが気付き、納得してしまったから。
この時間は、言うなればロスタイム……いや、今はアディショナルタイムだっけか。
どっちでもいい。やり残しを果たせるのであれば、俺にとっては、感謝する時間でしかないんだ。
罠に引っかかっておきながら、むしろ足取りはなおのことハキハキと。幻覚の床に隠された罠なんぞ、逆に踏み抜いてやろうって気持ちで。
ここまでしっかり歩いたのは、きっと中学だか高校だかの卒業式以来かもなと。
こんな状況だというのに、世に言う走馬燈でも見ているのかなってくらいに振り返ってしまう。
思い返せば、俺の人生なんてほんと、たいしたものじゃなかった。
何も特別なものはなくて、高校の頃に時間停止なんて
どこまでも凡人な俺は凡人のまま。何も変わらず大学まで来て、それでまあ……去年はそれなりに色々と、目まぐるしいほど盛りだくさんだった。
楽しくもあった。
辛くもあった。
悲しくもあった。
……それ以上に、多くの人に、迷惑を掛けた。
恥ばっかりの人生だったけれど、それでも、恥だけで終わらないほど楽しかった。
自分にとっての青い春と、人生で一番輝いていたときは去年だった。
もしも誰かに問われることがあれば、少し恥ずかしくなりながら、それでもきっと胸を張って答えられる。そのはずだ。
……ほんと、こんなこと考えちゃうなんて、死ぬ前みたいだな。
まあでも、怖いよりかはずっとましか。アドレナリンでもドッバドバで、恐怖なんてどっか行っちまってるんだろうか。まあ、なんだっていいか。
「……扉だ」
そしてようやく姿を現わしてくれた、四十階層の終着点。如何にもボス部屋って感じの大扉を見上げながら、そのままの感想を零してしまう。
いや本当にそうなのかは知らないが、そうであってくれと願ってしまえるほど荘厳で、迫力に満ちた大扉が、行く先を遮っている。
……これ、どうやって開ければいいんだろう。
そんな怪力なんてないし、仮にスイッチ式の自動だったとしても、止まった時間の中じゃ動いてはくれないだろう。
まさか、まさかここまで来て詰みとかそれはないっしょ。
抜け道とかないのかな。実は人間用の小さな扉が隠れていたり、横に小穴があって入れたり……うおっ、って、幻覚じゃんこの扉。
あれほど雄大で、巨人の力でさえびくともしなさそうだった大扉に触れれば感触はなく。
雲が掴もうとしたときと同じくらいスルリと、体は扉を通り抜けて奥へと進めてしまう。
そして、通り抜けた先にあった光景。
まさに今、まるで神話か漫画の一コマかと目を疑うほどの激戦、その渦中である大部屋の中を。
比嘉みつき。
ありんす丸。
原田・DC・マリア。
南雲クリス。
そして、そして目的であったあの人と重なってしまう
配信が途切れ、消息が絶たれた六人の精鋭達。
そして彼らが相対するは、どこかで見たことあるような赤色の巨躯。
片翼と片目は潰れ、頑丈であろう赤鱗や体には無数の傷をつけながら、なお大口開けて六人の探索者を迎え撃つ姿はまさに怪物。
ドラゴン、と。
かつて第五階層にて解体したのと同じ、そう呼ぶべき怪物の中の怪物だった。
状況から察するに、彼らは時間が進んでしまっている間にこの部屋まで進み、このドラゴンと戦闘を開始。
戦闘は苛烈を極め、比嘉みつき、マリアは既に戦闘不能。
南雲クリスはマリア達のそばで応急処置に専念。紫電夜叉、ありんす丸、ホムラは未だ交戦中。
そして今まさにこの瞬間、ドラゴンによって吐かれた深紅の炎への回避が間に合わなかったのか、鎧と身体がボロボロなホムラがせめてもの抵抗とばかりに剣を構えていた。そんな場面。
つまりは間一髪。間に合ったのかは定かではないが、とりあえず、間に合ったというわけだ。
目の前の光景に圧倒されつつも、健在であるホムラの姿に安堵しつつ。
まずはとホムラを持ち上げて、炎を軌道から仮に直線上に何かを飛ばす攻撃をしても問題ない位置へと移動させる。
……思えば初めてリアルで遭遇したときも、止まった時間の中でドラゴンの前だったっけか。
中々因果なものだ。あの頃は童貞丸出しで胸を拝んだりなんてしちゃったけど、今はこの場から動かすために体触ったってエロさ感じる余裕ないんだから人生ってのは不思議なもんだよ。本当に。
やはり一年、何にも変わっちゃいないなと心の中で自嘲しながら、ホムラを下ろし剣を借りる。
全然危機じゃなかったのならごめんなさい。
でもこれが最後だろうから、どうか今だけは好き勝手させて欲しいと謝りながら、ドラゴンへと歩み寄っていく。
結局、ホムラの正体が火村さんなのかは分からずじまいだが……ま、こんな所まで来てしまったんだし、今更そんなのどうでもいいよな。
さあて、そんなことより、せっかくの大仕事なんだ。どうかやってる最中に力尽きないでくれよ。
赤く煌めくホムラの剣を軽く試し振りをしてから、あの日と同じように、ドラゴンの解体へと取りかかる。
二度目だからか、あの日よりも戸惑うことはなく。
足と尾、つまり下から順に。それはそれは残酷に容赦なく、この足がましに見えるほど消えるグロテスクに切って切って休んで切って、休んで休んで切ってを繰り返していく。
いつまでもいつまでもと。
最初は果てしない山のようであった巨躯も、いつしか頭部へと辿り着き、終わりは間近。
角は硬くて切れないから置いておいて、あとはめんたまと舌なんだが……まあ、今更火傷なんぞ気にしたって仕方ないよな。こういうのは勢い……あづっ!?
ま、まあやっぱりちょっとぐだぐだにはなってしまったが、これでひとまずは完了。
相手はドラゴンだし、最後の抵抗とのたうち回るかもしれないから、他の一級達も距離を取らせて、ホムラに剣を返してっと……ふうっ。
やるべきことをやり終わって、最後に改めて、この大部屋の全体を見回していく。
なんということでしょう。あんなに……あんなに……うん、あんまり変わってないな。
まあ止まった時間の中だから仕方ない。一気に状況が変わるのは、俺がこの時の停止を解除した、その瞬間からだ。
……それじゃ、帰ろうか。帰れるかは知らないけど、それでも、帰ろうとはしなくちゃな。
最後にもう一度だけ、ホムラを見つめ、やっぱり自分の予感の真偽なんて分からなくて。
だから火村さんだと勝手に思いながら「さようなら」と頭を下げて、この大部屋に背を向け、幻覚の扉をくぐって帰路へとつく。
あのドラゴンが倒れた後、一息ついて幻覚の扉を見破れば、きっと聡明な彼らは撤退を選ぶだろう。
つまり、俺の役目は終わったのだ。別に勝手に役目にしちゃってるが、それでも俺は、きっと後悔のないようにやれたのだ。
体はもう倒れてしまいたいくらい重いが、達成感の生だろうか、不思議と足取りは人生でも断トツに軽い。
行きはただただ先が見えない通路だと、進むのさえ嫌になったりもしたけれど、今は何故か違う。
壁と天井の光は俺を祝福しているみたいに思えるし、曖昧な感覚だけでも距離を掴めている今、さして恐ろしさを抱く理由さえない。
人は知っているのと知らないのとでは、心根一つで、こんなにも世界の見え方が違うんだなと。
他人事のように悟りながら、スキップさえ刻んでしまいながら進んでいると、相変わらず固まっているナナシ率いる特別二級であろう人達のいる深層の入り口に到着する。
なんか立ち位置とポーズが変わってるけど、やっぱり時間、動いてたんだろうな。
まあそんなことはどうでもいいか。もう終わったことだし、考えたって仕方ない。
……それにしても、散々良いようにしてくれたこいつが固まってくれてるんだから、なんか仕返しでもしてやりたい。あ、ならおでこに落書きでもしてやろうっと。にっしっし。
鞄から黒のマジックを取り出して、こちょこちょこちょと、絵心皆無の俺がナナシの額へ猫の顔でも書いてやる。
とりあえず持ってきたはいいものの、まさか本当に役に立つ機会があるとは思わなかった。憂い関係なく、備えあれば嬉しいなってのはこういうことだろうよ。
……これで良し。
んじゃま、あとは任せたよ……ぶふっ。互いに生きて戻れたら、絵の感想でも聞かせてよな。
ポンと、軽く肩を叩き。
友達でもないけれど、何だかんだ付き合いのあった変態に別れを告げ、深層を後にする。
しかしあれだな。何だかんだ言って、全然問題ないな。
死ぬと確信しているとか、ロスタイムを受け止められているとか格好付けたこと思ったりもしたが。
もしかしたら、この調子で進んでいけば案外このまま地上に辿り着いて、治療が間に合ってしまうのではないか。
……ああでも、それじゃあ逆に病院でどう言い訳するか考えなくちゃなぁ。
あの惨状だとぶつけましたとか絶対通じないだろうし、事件でっち上げるのも俺の知能じゃボロが出ちゃうだろうし、どうしたもの……あっ。
そんなことを考えてしまった帰路の最中、ちょうど三十階層を抜けようとした頃。
ついに限界を迎えたこの体と心は、電池の切れた機械みたいに、支えを失って力尽きてしまう。
難儀していた知恵の輪が、些細なことからスルリと解けてしまったときのように。
誕生日に買ったケーキの上で、吹きかけられた息によって一瞬で消されてしまった蝋燭の火みたいな感じで、いとも呆気なく。
……ははっ、終わりはいつも、唐突にってか。
けど、死ぬ瞬間って、案外怖くないもんだな。ははっ、なんか、思ってたのと違った、や……。