時間停止系探索者、ダンジョンの都市伝説となるも我関せず 作:ゴマ醤油
ナナシの言葉どおり、退院は目覚めたその日という実にスムーズなものだった。
聞くのは忘れていたが、どうやらあの深層攻略から二日経っていたらしく、つまりは二日寝ていた俺をそんな簡単に帰していいのか疑問だったが、とにかく本当に異常はなかったらしい。解せぬ。
ま、そんなこんなで帰宅し、まず初めにスマホを覗けば、結構な数の通知が詰まっていた。
電話に通話アプリにソーシャルゲーム。ちなみに一番多いのは二位からダブルスコアで断トツな
とりあえず、チャンピオンである夕葉先輩に報告だけしておこうと思った。そのときだった。
目に入り、ドクリと胸を弾ませたのは、
火村さん。嫌な予感が過ぎり、深層にまで趣く羽目になった諸悪の根源。そんな彼女はこっちの心労なんて知らず、憎らしいほどいつも通りの調子で「帰ったぜ、元気か?」とこちらへ送ってきやがった。
嬉しくもあり、むかつきもした。
色んな気持ちがごちゃ混ぜになってしまい、ちょっと涙が零れそうになりながらも連絡を入れると、火村さんは「ここに来い」とものの数分で返してきたので、やれやれとその場所──都内でも有数の高級ホテルへと足を運むことになったのだが。
「で、でっけえ……」
着いたのは金持ちばっかりがいそうな街。
そして指定されたその場所は、つい漏らしてしまったとおりちょっとあまりにでっかいビル。
真下から見上げたら、
……ふ、普通の格好できちゃったんだけど、こんな庶民が、ここ入っても怒られないかなぁ。
二回ほど場所の確認をして、やっぱり間違いでなかったので、どうにか納得して。
着いたと火村さんに伝えれば、「フロントで名前と部屋番言って鍵もらってこい」と実にシンプルな指示が送られてくる。
迎えに来てはくれないのだなと若干落胆しつつ、無駄に緊張しながらフロントへ声を掛けると、実に洗練された笑顔と態度の、まさに一流って感じの応対でカードキーを渡され、更にはエレベーターまで案内してもらえちゃった。すごいね。
そんなこんなで雰囲気ある内装のエレベーターは上り上って、なんと四十階にまで。
奇しくも先の深層と同じ数字の階層。
てっきり十階くらいで止まるのかなとか想像していた俺の想像を遙かに行く高さで、ちょっぴりどころかもうとんでもなく足が竦んでしまいながらも、やっぱり雰囲気ある廊下をビビりながら歩き、なんとか部屋の前まで到着した。
……で、着いたけど、どうすればいいんだろう。とりあえず、電話してみるか。
『おう、どうした?』
「着いたんですけど、開けてもらえません?」
『あー、今手が離せないから勝手に入って寛いでてくれ。ルームサービスも好きに頼んでいいから』
「え、あ、ちょ……切れちゃった」
電話には出てくれたものの、火村さんの声はちょっぴり籠もっており、簡潔に指示を出してきたかと思えばこちらが答えるよりも前に切られてしまう。
……ほんとにもう。呼んだのそっちだってのに、勝手なんだから。馬鹿師匠が。
心の中で悪態をつきながら、これ以上立っていたら本当に不審者扱いされそうで怖かったので。
仕方なしとご命令どおりにカードキーをドキドキしながら、扉横についている如何にもって感じの黒い部分へと押し当ててみる。
ガチャリと、良い感じに響いてくれる音。
どうやら合っていたと安堵しながら、ゆっくり扉を開けて、そろりそろりと中へと入っていく。
「うっわ、すげえ……」
そうして少し進めば、目の前に広がるのは圧巻の景色。
下に見える先ほどまで歩いていた街のはずなのに、あまりにも小粒でちっぽけで。
高いところが怖いって気持ちはあるが、ここまで高いといっそ現実味がなくて、さながら地上の支配者にでもなったと思えてしまう。
タワマンや高級ホテルや宇宙など、どうして人は高い所に惹かれる
長年の疑問がこの瞬間、ほんの少しだけ解けた気がする。
人は天に憧れる生き物。実に醜悪だが、上から下を見たいと本能から抱いている、競争と優越を切り離せない
……今は夕方だが、こんな場所の夜景なんてのは、きっと星空にも負けないんだろうな。
「お、見入ってるんのか? まあ、中々見られないもんな」
座るのも忘れ、口をあんぐりと開けてしまいながら呆然としてしまっていた。そのときだった。
ガチャンと、室内に響く音。そして前に会ったときと同じ、気負いのないあの人の声。
すぐに我に返りながら振り向けば、そこにいたのは案の定、色気に満ちた美女──火村さんの姿があった。
灰色のバスローブを身に纏っていて、赤みがかった茶髪は少し湿り気を帯び、普段は隠している首元の結構大きい傷跡が剥き出しになっている彼女。
まるでテレビや映画で見るモデルのベッドシーン前みたいで、確かにすごく扇情的ではあったが、それでも一番に目がいってしまうのは大きいおっぱいやフェチを感じる部位ではない。
右目。火村さんの右の目。
つい数日前までは何もなかったはずの目は開いて折らず、大きな傷がついてしまっていた。
「え、ひ、
「なんだお前、美女の風呂後見てそこかよ。……これはまあただのヘマ、格好付ければ名誉の負傷って所だな。ま、とりあえず座れよ」
声を震わせ、指を向けてしまいながら尋ねてしまうが、火村さんは何てことなく微笑むばかり。
自分の手で傷に軽く触れながら、多分そうじゃないだろうけど、それでもこちらを気遣うような声色で着席を促しながら、自分は冷蔵庫を開けて水を取り出し口を付けた。
「……ぷはぁ! あー、やっぱり冷えた水ってのは美味いなぁ! こういう高いホテルだと、部屋に備えついてる水のグレードまでリッチなんだからすげえわ……って、どうした? そんな飼われたてのハムスターみたいに縮こまって?」
「い、いや、ちょっと現実に追いついてなくて……え、えっと、ホテルに客を招くのって、意外とマナー違反なんじゃ……?」
「最初から二人分取ってたんだよ。ほら、ベッドだってシングルじゃなくてツインだろ?」
何を話していいのか、なんかよく分からなくて。
だからどうでもいいことを口走ってしまったのを、火村さんはなんだそりゃと楽しげに答えてくれる。
な、なるほど。確かにベッドがでかいなと思っていたが、これツインだったのか。
高いホテルってのはそういうもんだと思ってたけど、ちゃんと二人用のベッドだったんだな。
「あー、なんかとりあえず何か頼もうぜ。話すにもまずは乾杯したいし。ほれメニュー」
「あ、はい。じゃあ……たっか。……えうそっ、高すぎでしょ」
ぽいと、本当に雑に渡されたメニュー表。
火村さんがそう言うのならお言葉に甘えちゃおうと、何があるのかなとパラパラと見ていき……その外国人向けの観光地でさえ真っ青になりそうな、まさに桁違いの数字の羅列に恐れ
だ、だってソフトドリンクだけでも四桁を優に超え、一番安いのを探しても三桁の品はなく。
その上まともな料理やお酒を頼んでしまえば、このルームサービス一つで下手なホテルや旅館に宿泊できてしまうほどの値段ばっかり。
こ、これが高級ホテル。庶民が泊まるには、あまりに不相応な金持ち娯楽っ……!!
……む、無理。こんなの頼めない。
何か一つでも頼んだら、頼んだって事実だけで罪悪感が爆発して何も喉通らなくなりそうで怖い。
別に夏のバイトで泊まらせてもらった旅館もバカ高かったし、たまに連れて行ってもらえる食事も安くはなかったから今更だとは思うけど、それにしたって今回のは別次元と言わざるを得ない。いくら奢られる側とて、所詮小市民の器じゃ気持ち良く奢られるには限度があるんだわ。
「実はここのステーキ、ちょいと評判だったから食べてみたかったんだよな。なあなあ、とめるは何食う……って、どうした? そんな険しい顔して、迷ってるのか?」
「あ、あのー、外出てコンビニでなんか買ってきてもいいっすか?」
「はい? ……あー、別にそこまで気にすんなよ。こういう場所で宿泊する場合、頼まないで持ち込む方が失礼にあたるんだからな」
それは果たして気遣いなのか、それとも本当にそういうマナーがあるのか。
こんなホテル、恐らく人生でも今日限りな俺にはとんと悟る機会なんてあるまいが。
そもそもこういう場所に泊まるような客層ならば、値段なんぞを気にする程度の域にはいないのだろうと、それだけは理解出来た。
……そ、そんな言ってくれるなぁ? じゃあちょっと、良い感じの頼んじゃおうかな……って。
えーっと、俺もステーキとかいいか……はえー、イタリアンにフレンチはもちろん、寿司や丼ものもお重みたいな和食、その他も結構盛りだくさんじゃん。値段のインフレしたフードコートかよ。
うはぁ、どれもたまらなく美味しそう。二十のお子ちゃまには正直お酒とかどうでもいいし、アルコールなんぞよか美味しいもの優先したいとか思っちゃったり……。
「それに、こういう贅沢も最後だからな。変にけちってしこりを残すとかしたくないし、むしろ頼みすぎるくらいがちょうどいいんだ」
「……最後?」
「ま、あとで分かるよ。とりあえず今は好きなもん頼んじゃおうぜ。あ、この際今日一番のお客様になるってのも悪くないかもな!」
火村さんがふと、窓の外を見つめ、ぼんやり黄昏れながらに零した一言。
それが妙に気になってしまうも、濁されてしまってはどうしようもないと、再びメニュー漁りに精を出していく。
悩みに悩んだ末、結局俺は絶対酒に合わないであろう海鮮丼を。
そして火村さんは自分のお金らしく、ステーキだの寿司だの一切の遠慮がなく。
お酒は名前を見た所でワインということしか分からないので、一切を火村さんに任せ、ひとまず注文は乗り越えた。
数分後、先に持ってきてもらった、多分相当に値の張りそうなワインボトルが届けられて。
トクトクと音を立て、黄金の液体を注がれたグラスを軽く打ち付け合う。
「乾杯」
「……乾杯です」
チン、とグラスの接触音が室内へ響く最中、なんかこう、非常に大人びた乾杯だなと。
どこか他人事のように考えてしまってから、少し口を付けた。
何の銘柄かは分からないが、多分これも相当にお高いものだろうし、きっととんでもなく美味しいはず……んっ!?
「なんか、あんまり美味しくない……って、いえ、美味しいですよ! ほんとに、マジで、高いし!」
「ぶはっ、はははっ! 正直者だなおい! まあ値段と知名度の割には結構人を選ぶ酒だからな。私も久しぶりに飲んだけど、ハーフにしておいて良かったわ!」
辛みが強く、未知故にあまりに独特と感じてしまう不可思議な味。
まあ言ってしまえば舌に合わない、そんな味につい本音を漏らしてしまったのをすぐに誤魔化そうとするも、肝心の火村さんにはゲラゲラと、腹の底からって感じに大爆笑されてしまう。
笑いながらもすぐさまもう一つのボトルを開け渡してきたことから、きっと舌に合わないのは予想通りだったのだろう。
手のひらの上で踊らされているなと、どこか敗北感と気恥ずかしさを覚えてしまいながら。
次に渡されたのは、薄らと緑味のある透明で気泡の昇る液体。
シャンパン系なのだろうかと、若干警戒しながら受け取り、覚悟を決めてグイと呷ってみる。
……ごくりっ。
あら、ほのかにマスカット。さっきとは全然違ってものすごく飲みやすい。というか美味しいわ。
チーズとナッツの盛り合わせ、それに野菜のスティックバー的なのを肴に。
当たり障りのない世間話を交しながら、食事前、それもまだ夕方だというのにお酒は進んでいく。
まさに一時の夢の中。自分の人生の中で、贅沢という言葉がこれほど似合う時間は今後もない。きっと深夜のカップラーメンの背徳感でさえ、これに及ぶことはないと思える時間だった。
「そうだこれ。料理来る前に先に返しておくわ、ほれっ」
「はい? ……はい?」
そんな中で、程良くお酒が回り、高級感という情報にも緊張しなくなってきた。
そのときだった。火村さんが何かを思い出したように立ち上がり、端に置かれた自分の鞄からそれ──燃える時計塔のキーホルダーを取り出し、こちらへ放り投げてきたのは。
あれ、俺のは部屋に置いてきた気が……気のせいだっけ?
「えっと……拾ったって?」
「言葉どおり、拾ったんだよ。深層で」
深層。
その一言が火村さんの口から出て、ふわふわとした思考が咀嚼しきり、一気に酔いは冷めてしまう。
……え、うそっ、落としてた? どういうこと? ちょっと待って、もしかして、やっちゃった……?
「ああごめん、やっぱり嘘。本当はそれ、私のなんだわ」
あまりの情報に固まってしまっていると、火村さんは「やっぱりな」と軽く呟いた後、冗談だとひょいと俺の手からキーホルダーを摘まみ上げてしまう。
火村さんが大事そうにキーホルダーをしまい、再び着席した頃にようやく思考が追いついてくれる。
「……図りましたね?」
「お前が素直過ぎるのが悪い。美徳ではあるが、誤魔化していかなきゃな?」
ニハハと、からかうように笑った火村さんは、上品な仕草でワイングラスへ口を付けた。
「にしても、まさかダンジョンの死神がお前だったとはな。いやー、秘密の蓋を開ければ案外ちゃちだってのは、いつの時代も定番だよな」
「……いつから、どうして、そうだと?」
「何となくかな、どっちも。この前そうかもしれないなって思って、丁度良かったから一回試してみようって思ったら、まあ見事に釣れたってだけ。簡単だろ?」
あっけらかんと、本当に、何てことないことだと。
ワイングラスを軽く揺らし、黄金色の液体の波打つ様を見つめながら、火村さんはそう言ってくる。
「……違ったのなら、飯食って酒飲んで、それで終わりにするつもりだったんだ。けれどもしそうなら、私も言わなきゃなって」
それだけ言った火村さんは、グラスに入っていた黄金色の液体を一気に飲み干す。
そしてまるで覚悟を決めたみたいに立ち上がって、俺の前に立ちながら──バスローブを脱ぎ落とす。
ハラリと、支えを失い地面に落ちたバスローブ。
下着なんてない、首元も胸もお腹も大事な所も露わになった火村さんの裸体。
ただしそれは、彼女の──火村さんのものではない。
「……ホムラ」
何故ならそこにいたのは、先ほどまでいたはずの赤みがかった茶髪をした、傷を持った女性ではなく。
真っ赤な髪をしたその人は、目の傷も首元の跡もない、傷一つない完璧と言える肉体を持つ美女。
ホムラ。いつかの夏夜の海岸で、たった一度のみ会話をした赤髪の彼女。
火村さんだったはずの女性は今やこの国では誰もが知るであろう、