時間停止系探索者、ダンジョンの都市伝説となるも我関せず 作:ゴマ醤油
「……あんまり、驚かないんだね」
あの夏の夜に出会ったまま、何一つ変わってなどいない赤髪の美女。
火村さんであったはずのホムラは、まるでその姿に引き摺られているみたいに苦笑いをしながら、ぽつりと言葉を漏らした。
声も口調も、雰囲気さえも別物。
何もかも違う。不思議なことに、
それでも、不思議なことに、そこまでも驚きはない。
だって薄々、そうじゃないかと思ってた。だから俺は重ねてしまって、深層にまで出向いたのだから、むしろどこか腑に落ちた感覚さえあった。
「理想の誰かになる
ホムラはホムラのまま、バスローブを拾うこともなく、立ったままでゆっくりと語り始める。
「当時ただの二級探索者だった
「それは致命傷で、走馬燈さえ浮かんでしまったほどの傷。
握った手を見つめながら、まるでその瞬間を思い出すみたいに話すホムラ。
曰く、
歓喜、激怒、悲嘆、恐怖、或いは切望。
どんなものでもいい。強い感情と意志こそが、どこかから力を引き寄せて形に変える。そんな願いの形こそが
俺の時間停止はそうでなかったし、そもそもこれが
ホムラの
ダンジョンではなく、そっちをあのトトってやつに聞いてみるのもありだったかな。ま、どちらを聞いた所で、まだ現代の人類の手には余る答えなんだろうな。
「で、そのとき助けたパーティが、たまたまシロナがスポンサーをやっていた探索者パーティでね? その縁から私はシロナに特殊な形で就職して、理想の誰かはホムラという名を得て、ダンジョン
「変身系の
一級以外の選択肢とは、恐らく
にしても、なるほど。話を聞いて、合点がいった。
確かに
……いや、もしかしたら、無意識にでもそうではないと否定していたのかもしれない。
心のどこかで火村さんとホムラを結びつけたくなくて、だからあの夏の夜に会った際、真っ先に否定したのかもしれない。いずれにしても、今となってはもうどうでもいい話か。
「どう? これが私の……ホムラという偶像の全て。身近にいたお姉さんが実は有名人でしたー! ……出来ればそれはもうびっくりして欲しかったな」
「……他に、他に知ってる人はいるんですか?」
「知っている人はいるけど、自分から話したのはとめる君が初めてだよ。だから君は、ホムラの初めてを奪ったってことになるかな。私としては、是非とも誇って欲しい所だね?」
全てを話し終えて、にこりと笑みを浮かべるホムラ。
配信やあの夜に見たときと何ら変わりなく、それでもほんの僅かだけど虚勢染みた笑顔。
そんな表情を浮かべてくるホムラには、配信で多くの人々へ魅せる強さも、火村さんから感じていた頼もしさはどこにもない。弱々しく灯る小さな火のようだと、そんな風に思えてしまった。
「けど、ホムラはあくまで外面だけ。魔法の解けたシンデレラが灰かぶりに戻るように、
次の瞬間、ホムラは一瞬にも満たないうちに、最初からそうであったかのように火村さんへと戻る。
そして露わになる。ホムラの肉体にはなかったはずの、目と首元と、今まで知らなかったお腹強烈に刻まれていた傷跡が。
「──だから傷は残る。腹も、首も、そして目も。ホムラについた傷はホムラにではなく、私の体についた傷として永遠に残り続ける。それが私に与えられた、
火村さんは傷のついた自分を嘲るみたいに、自身の傷を指でなぞる。
彼女の体にある傷跡の一つ一つが、熊を狩り続けて二十年みたいな猟師みたいに痛々しい。
まさに戦士のそれ。探索者という生き方が如何に過酷なのか体現しているような、そんな風貌だった。
「元彼にこの傷が痛々しいから萎えるって、面と向かって言われたこともあった。ホムラを抱きたかったのか、それとも
「……きっと元彼は、どうしようもなく見る目がないんでしょうね。こんなにも、こんなにも綺麗な体をしてるのに」
口汚く否定こそしたが、俺はその元彼とやらを強く責めることだけは、きっと出来ない。
だってそれは、その醜い思いは、きっと俺も同じで親近感さえ湧いてしまうものだから。
少し前の俺が葵夕葉に抱いてしまった心労や劣等感と似たようなものを、きっと彼も火村茜という高嶺の彼女に抱いてしまっていたのだろうから、俺だけは責めていいわけがない。
……ほんと、恋愛ってのは難しいよな。好きだけでは成り立たないんだから、ままならないものだ。
「……どうして、どうして俺に、そんな大事な話をしたんですか?」
「どうして、どうしてと来たか。そんなの簡単だ。私がそうしたかったから、それだけだよ」
十数秒の沈黙。無限に近いと感じるほど、途方もなく感じてしまった間の後につい出た疑問。
どうでもよくて、けれど当たり前に気になること。
そんな問いを聞いて、少し微笑みながらバスローブを着直した火村さんは、俺の問いに悩むことなく簡潔に答えて、何故か頭を下げてくる。
「ありがとう。お前のおかげで、私は今日も生きていられる。それも一度じゃなく、二度だ。だからお前には全部話してでも礼を言わなきゃいけない。今日呼んだのは、それだけの理由だ」
そうして火村さんは頭を下げてくる。
静かで、綺麗で、真っ直ぐで。
目の前の不意すぎるお礼があまりに俺の心に突き刺してきて、酷く波立たせてきて。
──だから、虫酸が走る。誰でもない、そんなお礼を言われてしまった、自分自身に。
「……めて、やめてよ。そんな、そんなお礼を言われる筋合いなんて、俺にはないんだ!」
「……とめる?」
「違う、違うんだ! 俺はそんなすごい人間じゃない! 褒められるべき、あんたみたいな立派な人に感謝されるべき真っ当さなんか欠片もない! ちょっと特別な力があるだけから、時間を止めるなんてすごい力があるから助けようと思えただけで、それだけしかない、最低な人間なんだよ!」
火村さんが困惑していると分かっているのに、それでも心が収まってくれず。
立ち上がり、今まで必死に秘密にしていたのを台無しにしていると理解しながらも、あらん限りに怒鳴りぶちまけてしまう。
火村さんは俺を深層まで助けに来た聖人みたいに考えているのかもしれないが、それは断じて違う。
俺はただ、怖かっただけだ。
見捨てるを選んだ自分が後悔するその日が怖かった。もしも何もしなかった後日、深層で死んでしまったホムラが火村さんだと知る機会があったら耐えきれない。その日が怖くて、だから自分勝手にダンジョンに潜った。それだけでしかないのだ。
こんな力があるから、初めて俺は助けようと思えた。
言い換えれば、こんな力がなかったのなら、例え大事な人が目の前で無惨に引き裂かれようとも、俺は一歩たりとて動けなかっただろう。
画面の中で誰かが傷ついて、命の危機に遭っているから助けに行こうとしたわけではない。
ただ画面に映ったホムラが火村さんだと思えてしまったから、助けに行こうと思った。言い換えれば、ホムラに火村さんを重ねなければ、時間停止がなければ見捨てていただろう。
結局は、全部時間停止があったから。
こんな力があったからそうしようと選べただけで、こんな力がなかったら選択肢さえ浮かばなかった。仮に浮かんだとしても、俺には無理だと諦めて、有名な誰かの悲劇に悲しみながらも、所詮は他人だと三分もすれば割り切って日常に戻っていた。そのはずなのだ。それが自分の分相応だと、下手くそな誤魔化しを並べるだけで、その程度な人間なのだ。
本当に勇気のある人であれば、或いは善人であったのなら、きっと行為を人や力では選ばない。
それなのに、ホムラが火村さんだと思ったからようやく決意できただけ。その決断にすら足踏みした卑怯者がいいやつだなんて、絶対にあり得ない。誰かが認めようと、他でもない自分自身が、頷くことを許さない。
別にこんな醜い思いは、葵夕葉がそばにいたから育ったものではない。
これはもっと昔、この能力を得たあの日からずっとあった燻り。ずっと目を背け続けてきた、自らの
自覚しているとも。所詮はただの癇癪でしかないと。
承知しているとも。所詮は抱く必要のない、人からすればだからどうしたって喚きなのだと。
時間停止がなくともいつか爆発していたかもしれない周囲への劣等感が、時間停止を言い訳にして肥大化しているだけだと、そんなことは、理解しているのだ。
……ほんと、ださいな。
穴に籠もって、土を被せてもらって、そのまま死んでしまいたいくらいには、自分が嫌になる。
こんな場所で、ただお礼を言ってくれているだけの火村さんには関係ないのに、一方的に喚き散らして。ほんと、最悪だ。
「……そうだな。お前が言うのなら、きっとそうなのかもな」
「っ」
数秒して、頭を上げた火村さんは、静かにそう言ってくる。
一番どうしようもないのは、散々自分でクソだと言っておいた癖に、火村さんに同意されたらすぐに傷ついてしまう自分だった。
「……なあとめる。お前の
少し落ち着いた頃には手遅れで、もうこの場から消え去ってしまいたいと。
自業自得のくせに、散々ぶちまけたくせに、それでもこの場から逃げるために時間を止めてしまいかけた。火村さんが俺にそう問いかけたのは、そんなときだった。
「才能なんて誰しも違う。持ってるもんなんてのは誰しも違って当たり前。みんなそう分かっていても、妬んで羨んで足を引っ張る。自分が持っていないからってだけで、相手にも同じくらい弱い心があるのを忘れて、その特別な物があるから生じる悩みがあるだなんて気にも留めずにな」
それは百万人以上の登録者を誇るダンジョン
配信者として多くの人の負の側面と言葉を直接的にぶつけられてきたであろう彼女だからこそ、そういう醜い部分を否定することは出来ないはずだ。
「それでも、どれだけ喚いたって結局人は、配られた手札で生きていくしかない。持たざる者も持つ者も平等に、自分の手札の中で悩み苦しみながらも選んでいくしかないんだ。こんな魔法に頼っていた私が言うのもなんだけど、それが人生ってやつなんだよ。とめる」
ポンと、優しく肩を叩きながら、火村さんは幼子を諭すような声色でそう語ってくる。
その手はあまりに優しくて。どうしようもないほど、温かくて。
だから激情で緩んだ涙腺を堰を壊す、そんな最後の一押しになってしまっていた。
「そもそも私の
「ひ、火村さん……」
「時間を止められるなんてすごいじゃないか。立派なお前の、お前だけの力じゃないか。どこかの誰がどんな否定をぶつけようと、お前は確かにその力で私を二回も救ってくれたんだ。だからもっと自分を誇ってやれよ、受け入れてやってくれよ。なあとめる?」
今は、今だけは、例え相手が母親でもない美女の胸の中であっても関係ない。
その性欲なんて思考の中にさえなく。
母親に泣きつく幼子のように、最後にそうしたのかはいつかなんて覚えてないけど、とにかく彼女の胸の中で泣き続けてしまった。
「ほらどうした、そんなに泣くなって。……まったく、これじゃあ昔の
子供のようだと呆れながら、それでもポンポンと、火村さんは背中を優しく撫でてくれる。
母親にだって見せられない、見せたくない醜態。
そこまでしたって、決して心の中に燻っている、汚泥のような劣等感が抜けきることはないけれど。
それでも誰かに話して、聞いてもらって、受け入れてもらえて。
この瞬間、俺はこの時間停止能力を得てから初めて、本当の意味で吐き出せたような気がした。救われたような、そんな気がした。
「……恥ずかしい。本当に、恥ずかしい所を見せてしまった。死にたい」
「ハハハッ、まあそう恥ずかしがることはないよ。私の方が酸いも甘いもお姉さんなんだからな。むしろ普段大人ぶってるお前のガキらしい一面が見られて、私は結構嬉しいぜ」
泣いて、泣いて、泣き喚いて。
しばらく経って、吐き出せる涙も思いもなくなった後、火村さんを直視出来ずに両手で顔を塞いでしまう。
……いや冷静に振り返っていると、俺ってばとんでもないことしてるなおい。
火村さんが笑って流してくれているから良いけど、二十超えて一応は大人扱いされている人間としては、あんまりにもあんまりなザマだ。
大体母親でもない人の胸を借りて泣くとか変態かよ。ナナシのことあんまり強く言えたもんじゃねえわ。
歩んできた二十年弱の間で、断トツの恥でしかない黒歴史。
恐らく生涯でこれ以上はないだろうってくらいの醜態を誤魔化すようにグラスに入っていた酒を呷り、ちょうど喉を伝っていくのと同じ頃、室内へチャイムの音が響く。
「ほら、ちょうど飯来たし切り替えようぜ。こんな高いホテルのルームサービスは私だって初めてなんだから、味の分からなくなりそうな辛気臭い話はここで終わりだ」
「……泊まったら頼むのがマナーじゃないんですか?」
「泊まったら、だろ? 命の恩人への恩返しだから気合い入れただけで、私だってこんな高いホテル初めてだっつーの。このワインなんて、頼むときとか心臓バクバクだったわ」
火村さんがあっけらかんとそう言って、互いに抑えきれないと笑い合ってしまう。
時間停止なんて分不相応な能力に目覚めて数年。
怒ったり、悲しんだことはあったけど。
それでも、心の底から笑えたのは、きっと初めてだと。それくらい、お腹の底から、全力で笑えてしまった。
「今更ですけど、男と二人なのにそんなえっちな格好してるのどうかと思いますよ」
「……お前って本当にガキンチョだな。ばーか」