時間停止系探索者、ダンジョンの都市伝説となるも我関せず   作:ゴマ醤油

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初恋は春風と共に

 例えるのなら燃えるような、そんな初めての恋でした。

 

 大学で出会った一つ下の男の子。まるで王子様のように手を差し伸べてくれた、優しい人。

 雑誌に載るような、映画で主演張れる俳優のような、そんな端正な顔ではなかったけれど。

 それでも笑顔が素敵で、わたしにとっては暗闇を照らす王子様とも呼べるヒーローで、だからいつまでも一緒にいたいと本気で思えた。そんな初めて恋をくれた、時田とめるくん。

 

 わたしの間違いは、そんな彼と共にありたいと願ってしまったことではなく。

 わたしの過ちは、そんな彼を繋ぎ止めるための術を間違えた。きっと、それだけのはずです。

 

 ……本当は、心のどこかで気付いていました。

 わたしがプレゼントを渡すとき、わたしが彼に喜んで欲しくて何かを渡すとき、ほんの一瞬だけ陰りが差していた彼の顔つきに。

 それでも。そうだとしても。

 彼の重荷になっていると、心のどこかで分かっていながら、必死に必死に繋ぎ止めようとしました。やり方をそれしか知らない未熟な少女が、己のことばかり考え、肝心の相手から目を逸らして。

 

 だから彼は自分が全部悪いと言ってくれたけれど、訪れた結末は、彼とわたしのどちらもが間違えたから招いたこと。

 お互いに一方的に押しつけあって、引いちゃいけない所だけ一歩引いて、取り返しの付かない崩壊を生んでしまった。そんなありきたりな破局、それだけのはずなんです。

 

 一緒に映画を見ました。実は映画よりも、彼の手の温もりと退屈そうな欠伸に目がいってました。

 一緒にご飯を食べに行きました。一回、彼がわたしの作った料理の方が好きな味だと、そう言ってもらえたときは本当に嬉しかったです。

 一緒に遊園地だって行きました。脅かす要素のあるアトラクションで、ちょっぴり驚きから肩を跳ねさせていた彼はとても可愛かったです。

 

 目を瞑れば、眩しい思い出がたくさん浮かんでくれます。夢にだって出てくれます。

 重いと。

 彼と袂を分かってしまったあの日はそれはもう荒れ、部屋をぐしゃぐしゃにしてしまったけれど。

 それでも、やっぱり振り返れば幸せばかりの日々でした。

 例え最後がどれほど醜かったとしても、わたしにとってはかけがえのない宝物。例え彼にだって、それだけは否定させてあげません。

 

 今ならわたしを捨ててどこかへ行ってしまったお父さんと、わたしに憎悪をぶつけたお母さんの気持ちが少しだけ理解出来てしまいます。

 

 愛に生きて愛に殉じた結果、わたしとお母さんを捨ててどこかへ消えてしまったお父さん。

 愛に生きながら愛に捨てられ、その身を焼かれたみたいに、全部が変わってしまったお母さん。

 

 昔は酷いと思ったし、今だって許せるほど大人になったわけではないけれど。

 それでも、今なら理解出来てしまいます。

 父はきっと、こんな気持ちで愛を選んだのだと。母はきっと、こんな気持ちで愛に狂ったのだと。そして、わたしはやっぱり、あの二人の血の通った娘なんだなって。

 

 ……たったの一度だけ。もしも過去にも戻れるとしたら、わたしはきっとあの日を選ぶでしょう。

 わたしと彼が結ばれたあの日、半ば強引にベッドまで誘い、押し倒したあの夜。

 もしもわたしが無理矢理迫らず、もっと時間を掛けて彼と一緒に歩めたのなら、違った結末だってあったかもしれない。やり直せるのなら出会いでも別れの日でもなく、きっとそこからでしょう。

 

 それでも、そんな都合のいい奇跡は起きえない。起きては、いけないのです。

 

 もしかしたら、ダンジョンの奥底にはそういう宝具が眠っているのかもしれないけれど。

 もしかしたら、この世界には人類がまだ知らない秘密がたくさんあるのかもしれないけど。

 

 それでも、わたしには縁のない物。

 これからもこれまでも、そんなもしもを歩むことは、もうないのです。それを選んでしまえば、わたしはまた、彼の心を苦しめる重しになってしまう。そのはずです。

 

 だからわたしは──葵夕葉はそっとスマホを手に取り、メッセージを送ります。

 

 彼からメッセージか来た瞬間から考えていた……いや、別れたあの日から考えていた、わたしが彼にかけるべき答え。

 今日、勇気を振り絞って謝りに来てくれた愛しい彼。あれから一月経っても、顔を見ただけで心が弾んでしまった、変わらず好きなあなた。

 今なお好きの大きさは変わらない。むしろまた会えて更に大きくなってしまって、だから一層別れの宣告が嫌で逃げ出してしまった故に言えなかった答え。

 そんなわたしの気持ちと、決意と、心を、今度こそ彼へと送るために。

 

 紺色のセーラー服に身を通し、青髪のウィッグを被って。

 自らが理想を羽織った姿。青柳トワの恰好で、配信者としての禁忌を犯しながら、それでも一縷の迷いなく。

 これから行う行動を、どうかあのとき返すことの出来なかった、どうかわたしの答えが届きますようにと願いながら。

 

 ……本当に、燃えるような初恋でした。きっと、いつまでも大好きですよ。とめるくん。

 

 

 

 

 

 帰ってきた部屋のベッドに飛び込み、枕に顔を埋めながら、酷く重い脱力感が己が身にのし掛る。

 全部終わった。想像以上に不格好で、無意味だったのかもしれないけれど、それでも夕葉先輩と再びあって、話をする事が出来た。

 何一つ上手くいかなかったけれど、それでも、一応の決着だけはつけることが出来た……はずだ。

 

 

 笑顔が可愛くて、料理が上手くて、俺より強く頼もしい、けれど弱かった彼女。

 一番の最推しで、俺の淡い目標を肯定してくれた人。大学で一人しかない、話せるくらい近かった女性の先輩。俺が初めて、本当に意味で恋をしたあの人。

 そんな人がそばから失われて。傷つけてでも、自ら幕を引いて。

 きっとこれから、俺はこの恋の末路と後悔を、それこそ死ぬ直前まで何度でも引き摺るのだろう。何度でも、何度でも。 

 

 ……嗚呼、でもやっぱり辛いなぁ。俺ってば、本当にどうして、こんな人間なんだろなぁ。

 

 後悔に打ちひしがれながら、今日もこのまま寝てしまいたい、寝てしまおうと。

 そう重いながら、瞼を閉じようとした。

 その時だった。ピコンと、そばに置かれたスマホが持ち主の気を削ぐみたいに音を鳴らし、微かに震えたのは。

 

 こんな気持ちのときに、一体何なんだと。

 無視しても構わなかったが、そうしようと思ったときにはもう、手はスマホに手が伸びていて。

 

『とめるくん。どうか見てください。お願いします』

「……え、先輩?」

 

 下らない通知であれば罵ってやろうと目を向けて──送り主の名前に、目は見開いてしまう。

 

 送り主は葵夕葉。送られてきたリンクから飛べるのは、青柳トワの謝罪と報告というタイトルの配信だった。

 アーカイブではない。俺が知る限り、青柳トワの謝罪配信はいつかのストーカー騒動の直後に一度だけ。それもこんなタイトルではなかったと、そう記憶している。

 

 つまりこれは、今から行われようとしているライブ。

 過去からではなく、今の夕葉先輩からの言葉。その意味が分からないほど、まだ俺の脳は腐りきっていなかった。

 

 半ば無意識に指が配信を開こうと動いたが、不意に理性が働き、ピタリと目前で固まってしまう。

 怖かった。この配信を開いて、改めて自らの責任と向き合うことに、恐怖を覚えてしまった。

 あんなにも決心して今日を臨んだというのに。それでもあの夕葉先輩に、どんな恨み言を吐かれるのかと気が気でなかった。

 

 けれど、それでも。

 勇気を持って、止まった人差し指を先へ進ませ、画面をタッチする。

 例えネットの海を巻き込んだ罵詈雑言だったとしても見なければならない。逃げちゃいけないと最後の一押しは、自分でも驚くほどに穏やかなものだった。

 

『……あー、うん。みんな久しぶり。青柳トワです。……本当に、久しぶりだね』

 

 画面に映る彼女の声を耳が捉えて、まず初めに懐かしいと感じてしまう。

 さきほどまで聴いていた夕葉先輩のものであって、そうでない声。少し作った、芯のある声色。

 

・久しぶりです!

・おかえりー! 

・復帰ありがとう! 風でも引いてたのかな?

・本当に良かった。もう配信がないんじゃないかって、気が気じゃなかった

 

 俺と付き合ってから別れるまで、ダンジョン配信は一度もなく、雑談が数度のみ。

 そして俺と別れてからは、完全には追えていないけれど、多分一回もしていないはず。

 

 それでも視聴者数は千を超えている。青柳トワの復帰に、こんなにも温かなコメントが行き交っている。

 多くの人が見限って、いつものことだと早々に次の推しを探すべく離れる。娯楽という界隈の中の一ヶ月という歳月は、それほどまでに長くあっという間。

 だから、これは素直に人望なのだ。青柳トワが……葵夕葉が今まで積み重ねてきた、彼女だけの本物。初めて目にしたその日からずっと推していた、ダンジョン配信者(ライバー)の姿があった。

 

『……ありがとう。みんな、本当にありがとう。配信を始める前、もう誰もいないんじゃないかなって不安だったけど、それでもみんな来てくれた。それだけで、その事実だけでわたしはこんなにも胸が温かくなれる。嗚呼、やっぱりわたしは、青柳トワなんだなって』

「……」

『でも、だからこそ、やっぱりみんなには話しておきたいんだ。この報告が、待ってくれていた視聴者の多くを失望させるとしても。青柳トワというわたしの憧れの姿を崩してしまうとしても。それでも話すべきだと、他ならぬわたしがそう決めたんだ。だから、話させてもらうよ』

 

 ざわざわと、コメント欄に困惑と不安に染まっていく。

 当然だろう。こんな急な配信にも集まってくれる人々にとって、そんな前置きは最悪の事態──つまり、引退を想定せざる得ないのだから。

 

『……最近配信していなかった原因なんだけど、実はリアルの方で色々あってね。みんなには悪いけど、ちょっと好きな人が出来て、だから配信の方を疎かにしちゃってた。本当にごめんなさい』

 

 青柳トワは、真っ直ぐにカメラを見て、皆の前でただありのままを語る。

 恋をすることは決して悪ではないけれど、それでも、配信者という偶像商売にとっては最低最悪の、それこそ石を投げられることさえ正義とされた裏切り行為。

 

 バレていないのならば隠すのが当たり前。仮に露呈したとしても、鎮火するまで触れないのが理想。

 夕葉先輩は、そんな常識を知らないほど愚かではない。

 それでも偽ることなく、この配信で残ってくれたファンさえいなくなるのを理解しながら、それでも誠実に己が非を堂々と暴露していく姿は、あまりにも眩しかった。

 

・好きな、人?

・そうなんだ。お疲れ

・まじか。まじか

・脳が破壊されちゃった

・青柳トワも所詮は「女」ってわけか。はあっ

・そうならせめて言わないで欲しかったな。何がしたいの?

 

 案の定、その報告を受けたコメント欄は荒れ始め、目まぐるしくコメントが流れ続ける。

 自ら火種を投下する行為。自らの経歴に自分で汚点を残す、意味のない行為。

 言わないで欲しかったと。先ほど俺が夕葉先輩に強いたのと同じことをされたコメント欄の切実な願いは、まるで俺への当てつけのように感じてしまう自分がいた。

 

『……うん、そうだよね。みんなからしたら、これは言わなくてもいいことだ。わたしはアイドル売りをしているつもりはなかったけれど、それでも、青柳トワはわたしはみんなにとっての青柳トワだったんだから、壊したら怒るのは当然だ』

 

 それでも。

 ネットの悪意、飾らない真っ正面からの言葉を一心に受けてもなお、青柳トワは揺らがない。

 ほんの一瞬だけ、誰にも分からないくらいちょっぴり寂しそうな顔を垣間見せながらも。

 それでも決して臆すことなく、俺のように俯くこともなく粛々と、詰まることなく言葉を紡いでいく。

 

『……ここからは、ちょっと言い訳がましくなっちゃうかもだけど、それでもこれからの決意表明だと思って聞いて欲しい』

 

 そうして少し間、コメントを受け止めるように固まった青柳トワは、再び言葉を紡ぎ始める。

 

『……わたしはきっと、どこまでいっても、あなたのことを嫌いになれない。だけど、前も言ったかもけれど、わたしは青柳トワでもあるんだ。自分の理想と憧れを叶えるのが楽しくて、それを応援してくれるみんなが大好きなダンジョン配信者(ライバー)でもあるんだ。そうありたいんだ。……だからわたしも、いい加減、次の一歩を踏みだすよ』

 

 青柳トワはただ語る。胸の位置に手を置いて、抱える大事なものを、ゆっくりと吐き出していく。

 

『きっとこの先、これに代わるほどの想いなんてないかもしれないけれど。忘れるなんて出来ないだろうけど、それでもわたしは……青柳トワはこれからも頑張っていくから。みんなが好きと言ってくれる、みんなに自分を誇れる、自分にとっての憧れであれる青柳トワ(自分)でいるから。だから、だから! ……だから、うじうじするのはここで終わり。わたしは捨てずに前に進むから、また一歩ずつでも、やり直していくから!』

 

 不意に、視界がぼやけ始める。潤んで、滲んで、ほとんど前が見えなくなってくる。

 

 今の決意は、青柳トワではなく葵夕葉の言葉。

 このこの宣誓はファンの皆へではなく、きっと見てくれていると信じている、俺へと向けたもの。

 さっきの公園で告げられることのなかった訣別。先ほどもらえなかった答えなのだと、頭ではなく、心で理解出来てしまう。だから俺は今泣いてしまっているのだと、そのはずだ。

 

『……ごめんね、なんか思いのままに叫んじゃったから、自分でも何言ってるか分かんないや。……うん、でもこれでこの話は終わり。この後は枠変えて、久しぶりだからゲームしながらみんなのお話でもしてやり直していこうかな。もちろん質問は無理ない範囲で全部答えるよ。じゃ……ありがとう、バイバイ』

 

 終わらないで、と。

 思わず小さく呟いてしまいそうになるも、青柳トワは待つことなんてなく配信を止め、室内は再び静寂へと戻ってしまう。

 

 たった十数分ばかりの、チャンネルというプラットホームを私物化した、告白への返事。

 涙が勝手に溢れてしまいながら、その配信の終わりを確かに見届けた俺は、溢れる涙を腕で拭う。

 

 多くの思い出が走馬燈のように駆け巡っていく。

 鮮明に浮かんで消え、浮かんでは消え、その繰り返しは一瞬未満の時の中で、延々と繰り返される。

 どれもが大事な記憶。どれもが在りし日の、尊く、眩しく、そして二度と手の届かない過去。

 

「……ありがとう」

 

 彼女に倣い、ごめんなさいでもさようならでもなく、ありがとうと。

 未来ある一つの恋の終わりとなる言葉が、小さな部屋の中で声になって、そして消えていく。

 

 これで俺の最初の恋は終わり。長かった冬は、今日で最後。

 涙と後悔は今日までにして、明日からは前を向いて進んでいこう。

 自分が人生で一番憧れた推しが、たった今見せてくれたように。自分にだって出来ると信じて。

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