時間停止系探索者、ダンジョンの都市伝説となるも我関せず 作:ゴマ醤油
久しぶりに訪れた大学のキャンパス。
構内の咲いた満開の桜が、まるで卒業生を見送るみたいだなと。
ベンチに座りながら、春の陽気の中でぼんやり感傷に浸っていると、待ち人含めた卒業式を終えた四年の方々が体育館から出てきたので、ぴょいと立ち上がる。
流石は我らが部長というべきか、それとも運に愛されていたか。
同級生と雑談していた部長はすぐに見つけ、ちょうど一人になってくれたので声を掛けやすかった。
「部長。ご卒業、おめでとうございます」
「ふん、わざわざ律儀なことだ。何も今日来ずとも、明日三人で会う約束だろうに」
「そうですけど、やっぱり当日って大事ですよ。ほら、誕生日だって当日と次の日じゃ重みがまるで違う。
俺と叶先輩の割り勘で買った、そんなに大きくない花束を手渡すと、部長は照れ隠しでもあるのかいつもの一割増しでツンとした態度で顔を逸らしてくる。
元々部長の卒業祝いとして飲みに行くのは明日と決まっていたのだが、それでも当日は当日だと、実に軽い調子で言ってきた叶先輩は、流石は人間関係だけで生きている男としか褒めるしかない。
ああいう面があるから恋愛偏差値も相応に高いのだろう。世の中顔とコミュ力が全てと、それを体現するような男だ。
……それにまあ、俺としても早くに渡しておきたい物もあったからな。ちょうど良かった。
「……いい顔をするようになったじゃないか。で? お前よりもずっと世話してやったあの恩知らずは、どっかその辺にでもいるのか?」
「あー、実はさっきまではいたんですけど、ハニーの卒業祝うからちょっと外すって。あ、でも一応花束代は出してくれましたよ。はい」
「……ああ、最近出来たってやつか。まさかこの期に及んで大学内で捕まえるとは、最早脱帽ものだな」
やれやれと、部長は顔に手を当て、苦笑しながら首を振る。
ちなみにさっき聞いたのだが、今の叶先輩の彼女は、昔振られた女の姉で二月前には口説き落としたらしい。どういう図太い肝と神経持ってるんだろうか。なんていうか、すごいね。
「……卒業か。思えば色々あったものだ。最初こそふて腐れて入ったが、中々どうして、悪くなかった」
校舎を見つめながら、部長は感慨深そうに小さく呟きを落とす。
俺はまだ二年とちょいしかいないが、部長にとっては四年もお世話になった大学だ。きっと俺が知るよしもない思い出がたくさんあるはずで、思う所だってあるのだろう。
……結局、ダン考も結局今年で廃部になる。
部長がいなくなった今、俺も叶先輩も部長なんてやる気はなく、わざわざ二人で続ける意味もない。
そもそもが部長の一つ上、面識はあるけどよく知らない先輩達が駄弁るための場所として創設されたのだ。
その先輩達が卒業した時点で役割を終えていたサークルなのだから、部長という最後の楔を失ってまで無理に残す必要はない。俺はほんの少しだけ悩んだが、叶先輩は部長なんか真っ平御免と即答だった。
「あ、そうだ部長。本題というか、思い出したときからずっと渡そうと思ってたんですけど、これ卒業記念にどうぞ。本物の連絡先かは試してないですけれど、多分いけると思いますよ」
「なんだおい、えらく適当な前置きだな。ふむ、キスマークとは随分と派手な名刺……おいとめる、せっかくの門出に、何の冗談だこれは?」
懐から取り出して、部長へ渡したのはキスマーク付きの名刺。かつて東京ダンジョンで出会ったイギリス人探索者、シンディ・グレイからの贈り物。
ぱっと見まるでキャバクラの名刺みたいで、大学卒業式とは無縁そうな一枚を受け取った部長は、最初こそ怪訝そうに首を傾げたが、名刺の名前に目を通した瞬間、珍しく目を見開いてくれる。
……良かった。実はちょっと不安だったけど、俺の予想は間違ってなかったらしい。最後の最後に、初めて一杯食わせてやれたぞ。
「シンディ・グレイ、ですよね? この前話してくれた、綺麗な金の髪の、初恋のイギリス人。あの日はお酒と自分のことで欠片も思い出せませんでしたけど、そういえば名刺貰ってたなって」
「違う、俺が聞きたいのはそういうことじゃない。これをどこでと、どうやって?」
「東京ダンジョンです。夏頃に彼女の落とし物を一緒に探したんですよ。右半分しかないハートのネックレス、ちょうど部長が見せてくれたやつを反対にしたらピタリと嵌まるって感じの」
冷静さを欠いた部長が、肩を揺らして問い詰めてくるので、軽く事情を説明していく。
本当は飲んでいるときに思い出して渡せれば良かったのだが、生憎あの日はそんなメンタルじゃなかったし仕方ないよね。
「……いや、そうだとしたら、なおのこと受け取れないな。人に貰った名刺を誰かに渡すのはとびきりのマナー違反。あいつもお前を信じてだろうし、その信頼に背いちゃ──」
「部長。坂又部長。マナーとかどうでもいいんです。別にシンディさんに嫌われたって構わないんです。俺は今、お世話になった人に出来る中で一番の恩返しがしたいんです。だから後輩の最後の我が儘だと思って、受け取ってください」
それでも、部長はやっぱり部長で。
人並みの常識を盾として、それは駄目だと受け取りを拒否してこようとしてきたので、空いている方の手を掴んで有無を言わせず握らせる。
……これは押しつけだが、個人的に坂又部長には、格好良くて頼れる先輩のままでいて欲しい。
世界には失恋なんてものはいくらでもありふれているし、俺だってその一人であるけれど。
それでも、お世話になった先輩までそうであって欲しくない。この一枚は、そんな俺の小さな我が儘だ。だから受け取ってもらえないなら、時間止めてでもねじ込んでやる覚悟だ。
「……まさかお前に背中を押されるとは、いやはや、大学というのは最後まで驚かされてばっかりだ。──感謝するよ、ありがとう」
明日、ちゃんと空けとけよと。
軽く肩を叩き、頭を下げてから、部長はじゃあ明日と再び卒業生の集団の中に戻っていく。
その背に軽く手を振り見送って、やがて背中は見えなくなって。
そうしてようやくやりきったと、清々しい気持ちで視線を外してから両腕を空へと伸ばす。
「……卒業かぁ。俺も、あと二年だなぁ」
晴天を仰ぎながら、考えるのは自分の将来。
順調にいけば、俺もあと二年で同じ立場を迎える。モラトリアムの後半戦なんてのは、自分が想像しているよりもずっと、あっという間に過ぎ去ってしまうのだろう。
残念ながら、俺には見送ってくれる後輩なんていないし、どんな進路を選ぶかだってまだ何にも決めちゃいない。
だけど。それでも。
もし叶うならば、今日の部長と同じように、満足いったという顔で最後の校門を潜りたいものだ。
「さて、帰るか。……今日はちょっとだけ、奮発しちゃおっかな」
卒業生が溜まる正門ではなく、人気のない別の入り口の方へ。
叶先輩は……まあ待たなくて良いだろう。なんか色々面倒臭そうだし、あっちはあっちでよろしくやっているだろうからスルーで。
そうだなぁ。せっかくの陽気だし、ハンバーガーでも買って、公園でのんびり食べようかな──。
「……ん?」
既に食べるものだけは決め、どんなメニューがあるかに思いを馳せていたときだった。
ポケットの中に入っていたスマホ。
バッテリーも劣化してきたし、お金の残っているうちにそろそろ変えたいなと思っていたそいつが何かを訴えてきたので、取り出してみる。
『速報。一級探索者混成パーティによる深層攻略が、ダンジョン庁によって承認。詳細につきましては、ダンジョン庁より正式に──』
「……えっ?」
スマホの画面に映った速報の一文は、ひどく簡潔で現実味のない、けれど声を零すに値するもの。
三十年で積み重ね、停滞しつつあった日本ダンジョンの歴史。
活動可能な特級探索者の不在により止まった時計の針は、あまりにも唐突に、呆気なく動こうとしていた。