オペレーター・スペースマリーン   作:Sanctum

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和解

 

 アーミヤが〈混沌〉へ触れてから、十分が経過していた。

 

 広場では、ロドスと遊撃隊が互いに一定の距離を保ったまま、負傷者の搬送と応急処置を続けている。石畳へ転がっていた武器は持ち主のもとへ戻され、倒れた盾や弩も回収されていたが、戦闘が終わったわけではない。両陣営の前衛は崩れた陣形を組み直し、いつでも再開できるよう武器を手元へ残していた。

 

 その中央で、アーミヤはドクターとケルシーの傍に座っていた。

 

 最初の数分間は呼吸さえ安定せず、頭の中へ流れ込んだ光景と声を振り払うように何度も首を振っていた。ドクターが手を握り、ケルシーが脈拍と意識状態を確認しながら呼吸を整えさせる。ヴァレリウスも少し離れた場所に立ち、低い声で目の前にあるものだけへ意識を向けるよう告げていた。

 

 やがて震えは治まり、途切れていた言葉も繋がるようになった。

 

 アーミヤは、自分の意思に反して精神へ触れてしまったことを、ストーンファングとアイゼンヴァルトへ謝罪した。

 

 ストーンファングは、二度と同じことをするなと念を押しながらも、彼女を責めなかった。自分の内側に何が残っているのか把握できていなかった以上、全てをアーミヤの責任にすることはできないと考えているようだった。

 

 アイゼンヴァルトは暫く黙っていたが、最後には謝罪を受け入れた。精神へ踏み込まれたことへの不快感は残っていたものの、アーミヤが意図的に行ったわけではないことも理解している。彼は再び同じ現象が起きた時は即座に報告し、自分の力だけで制御しようとしないよう告げるに留めた。

 

 アーミヤはロスモンティスとブレイズにも、自分を庇ってくれたことへの礼を述べた。

 

 ロスモンティスは当然のことをしたというように短く頷き、アーミヤの傍から離れなかった。ブレイズも礼など必要ないと返したが、その視線は時折アスタルテスたちへ向けられている。先ほど目にしたヴァレリウスたちの反応を、完全には受け入れられていないのだろう。

 

 それでも、会話だけを見ればアーミヤは普段の状態へ戻っていた。

 

 質問の意味を理解し、自分の言葉で答えている。感情の変化も自然で、声や仕草に不自然な遅れはない。誰かに操られている兆候も、先ほど聞いた言葉へ執着する様子も見られなかった。

 

 ヴァレリウスは兜の奥から、アーミヤの動きを観察していた。アイゼンヴァルトも同じだった。ストーンファングはブレイズの前から斧を退けていたが、アーミヤへ近づこうとはしない。

 

 三人とも、僅かな安堵と拭いきれない疑念を抱いていた。

 

 〈混沌〉との接続は、本当に一瞬だけで途絶えたのか。アーミヤが触れたのは、ストーンファングの記憶へ残された残響に過ぎず、そこから先へは繋がらなかったのか。

 

 そう考えれば、現在の状態にも説明はつく。

 

 しかし、〈混沌〉は明確な異常だけを通じて人を支配するとは限らない。何年もの間、本人にも周囲にも悟られずに潜伏し、適切な時を待って精神を変質させる例を、アスタルテスたちは知っていた。

 

 何事もなかったように振る舞えることが、安全の証明にはならない。

 

 それでも、直接接触から十分が過ぎた時点で、これほど自然な状態を維持していることはヴァレリウスにも不可解だった。

 

「……時間、だ」

 

 パトリオットの声が広場へ響き、ヴァレリウスが振り返る。

 

 老戦士は、槍の石突きを地面へ置いた姿勢のまま動いていなかった。その背後では、遊撃隊の盾兵が再び間隔を詰め、射手たちも弩へ矢を番え始めている。

 

「約束した、十分は、既に過ぎた。灰色の戦士も、来ていない」

 

 パトリオットが槍を持ち上げる。

 

「これ以上、待つ理由は、ない。戦いを、再開する」

 

 ヴァレリウスは兜内部の時刻表示を確認した。

 

 確かに約束の時間は僅かに過ぎている。ヴェイルは東へ二街区の場所にいると言っていた。通常なら、数分もあれば到着できる距離だ。それにもかかわらず、追加の通信さえ届いていない。

 

「ヴェイル、応答せよ」

 

 秘匿回線を開くが、返事はなかった。

 

「ストーンファング、彼の識別信号を確認できるか」

 

「近くにはいる。だが位置が安定せん。何かに遮られているようだ」

 

 ヴァレリウスはパトリオットへ向き直った。

 

「もう一度だけ通信を――」

 

 その時、広場の東側から金属を引き摺る音が聞こえた。

 

 それは低く不規則な音だった。重量物が石畳の継ぎ目へ何度も引っかかり、その度に硬い装甲の表面が削られている。

 

 ロドスと遊撃隊の双方が、音のする方向へ武器を向けた。

 

 倒壊した建物の陰から、銀灰色の巨体が現れる。ヴェイルだった。

 肩部装甲には深い傷が走り、祈祷文の刻まれた表面には黒い煤のようなものが付着している。ネメシス・フォースハルバードを右手に持ち、左手では黒い装甲に覆われた何者かの首を掴んでいた。

 

 ヴェイルが歩く度、その身体が石畳の上を引き摺られていく。

 

 人の形は保っているが仮面と首周りの装甲は砕け、黒い外套も半ば焼け落ちていた。両腕は力なく地面へ垂れ、装甲の継ぎ目から流れ出した血が、ヴェイルの進んだ跡へ細い線を残している。

 

 その人物が既に息絶えていることは、離れた場所からでも分かった。

 

 ヴェイルの少し後ろにはチェンがいた。

 

 目立った負傷はなく、腰の剣も失われていなかった。しかし、その顔には疲労とも戦闘後の興奮とも違うものが浮かんでいた。呼吸は浅く、右手は固く握られている。普段の彼女を知る者ならば、恐怖を押し殺しているとすぐに気づいただろう。

 

 チェンの視線は、ヴェイルが引き摺っている亡骸を避けていた。

 

「チェンさん……? どうして、ここに……」

 

 アーミヤが驚いて立ち上がりかける。

 

「説明は後だ」

 

 チェンは短く答えたが、その声にも僅かな掠れが残っている。

 

 ヴェイルが広場へ入った瞬間、ケルシーの表情が変わった。彼女は亡骸の仮面と黒い装甲を目にすると、明確に息を呑んだ。背後に浮かんでいたMon3trも即座に身体を起こし、四本の鈎爪を大きく開く。

 

「それを、どこで見つけた」

 

 ケルシーの声から、普段の冷静さが一瞬だけ失われていた。

 

 パトリオットも槍を持ち上げたまま、黒い亡骸へ顔を向ける。彼の背後にいた遊撃隊の古参兵たちがざわめいた。若い兵には正体が分からなくとも、北方で戦った者たちはその装備を忘れていなかった。

 

「何故、皇帝の近衛が、この都市に、いる」

 

 パトリオットが低く呟く。その声には驚きだけでなく、過去の戦場を思い出した者の警戒が混じっていた。

 

 ケルシーとパトリオットは皇帝の利刃がどのような存在かを知っている。二人とも、かつて直接刃を交えた経験さえあった。

 

 故にその脅威を認証知ており、さらには利刃が死亡すれば封じられていた存在が解放される危険も理解していた。それにもかかわらず、ヴェイルが引き摺る亡骸からは黒い靄も、現実を歪める気配も発せられていなかった。

 

「東部区画側の街路に二体潜み、私を待ち伏せしていた。交戦の末一体を排除し、もう一体を捕らえた。これは後者だ」

 

 ヴェイルは広場の中央まで進むと、亡骸を手放した。黒い装甲が石畳へ落ち、重い音を立てる。

 

「体内にいたものはどうした」

 

 ケルシーが尋ねる。

 

「消滅させた」

 

 ヴェイルは何事でもないように答えた。

 

 ケルシーが亡骸へ視線を落とす。死亡した皇帝の利刃から内部に封じられていた存在が解放されていない理由は、それで説明できる。

 

 だが説明として理解できることと、目の前で起きた事実を受け入れられることは別だった。かつてケルシーが対峙した利刃はヴィクトリアのど真ん中でそれを解放しようとし、あまつさえMon3trにも互角に渡り合った。その内側にいた存在までヴェイルは完全に消滅させたと述べている。

 

「何故、亡骸をここまで運んだ」

 

 ヴァレリウスが尋ねた。

 

「証拠として必要だと判断した。また、此奴の持つ情報を確認した」

 

「情報を?」

 

「ああ。特殊な方法を用いて、知っていることを全て開示させた」

 

 ケルシーの目が細くなる。

 

「その利刃はここへ来た時には既に死んでいた。どうやって情報を吐かせた」

 

「吐かせたという表現は、些か正確ではないな。対象が言葉を発したわけではない。精神防壁を破り、脳組織と魂に残された記憶を直接確認した」

 

 ヴェイルはケルシーへ顔を向けた。

 

 近くにいたオペレーターたちの間に再びざわめきが起きるが、ケルシーはヴェイルから視線を外さなかった。

 

「具体的には何をした」

 

「その情報は開示できぬ」

 

「理由を聞こう」

 

「我らの尋問術は、訓練を受けていない者が知る必要のないものだ。術式の一部には、対象の精神へ残された異質な存在を刺激する危険もある。内容を説明したところで、貴様らに利用できる知識にはならぬ」

 

 ケルシーはチェンへ視線を向けた。

 

 チェンは何も言わなかったが、ヴェイルが何を行ったのかを目撃していたことは彼女の表情から明らかだった。亡骸へ目を向けようとせず、何かを思い出しかける度に呼吸を整えている。

 

「チェンさん、本当に大丈夫なんですか?」

 

 アーミヤが尋ねる。

 

「……私は大丈夫だ」

 

 チェンはそう答えたものの、普段ほどの強さはなかった。

 

「ここへ来た理由も、見たことも後で話す。今はこいつが持ち帰った情報を聞け」

 

「同意する。時間を費やしてまで確認しただけの価値はあるものだ」

 

 ヴェイルも続き、彼は周囲を見渡した。ロドスの者たちだけでなく、パトリオットと遊撃隊も聞いていることを確認する。

 

「最初に、現在タルラと呼ばれている存在について話す」

 

 チェンの身体が僅かに強張った。

 

 ヴェイルは利刃から、現在のタルラの正体を得た。今のタルラは不死の黒蛇と呼ばれる、ウルサス帝国に巣食う人ならざる怪物であり、それは人の強い負の感情を抱いた人間の精神に寄生し、宿主を介してウルサスの繁栄と栄光のために戦争を引き起こす悪霊のようなものであるという。タルラには以前の宿主であるコシチェイ公爵から黒蛇が移り住んでおり、チェルノボーグで黒蛇が表面化し、これら一連の戦争も全て黒蛇の策略なのだという。

 

 ヴェイルが得た情報は、それだけではなかった。

 

 チェルノボーグ内部には、レユニオンの装備と標章を身につけたウルサス軍人が潜伏している。主力はウルサス第三軍に属し、レユニオン各部隊の連絡を断ち、誤った命令を伝え、撤退経路と補給路を意図的に潰していた。

 

 目的はレユニオンを内部から分断すること。パトリオットやフロストノヴァのようにタルラへ疑念を抱く者を孤立させ、ロドスとの交渉や合流を妨害し、最終的には黒蛇の計画に従わない部隊を双方の戦闘によって消耗させることだった。

 

 そして、皇帝の利刃も複数名がチェルノボーグへ入っている。

 

 彼らの本来の任務は突如として現れたアスタルテスの正体と目的を調査し、ウルサスに利用できるかを判断することにあった。捕獲が困難であり、黒蛇の計画を妨げる危険が高いと判断された場合には、排除する権限も与えられている。

 

「利刃の記憶にあった情報は、単独の証言ではない」

 

 ヴェイルが補足する。

 

「繰り返し与えられた命令、第三軍との通信、黒蛇との接触記録を照合した。細部に欠落はあるが、少なくとも黒蛇、潜伏部隊、複数の利刃が存在することに誤りはない」

 

 広場に沈黙が落ちた。

 

 遊撃隊員たちは互いの顔を見ている。レユニオンとして受け取っていた命令の中に、どれほどウルサス軍の工作が混じっていたのか。失敗だと思っていた撤退や、連絡の途絶、到着しなかった補給のうち、どれほどが意図的に引き起こされたものだったのか。

 

 すぐに答えを出せる者はいなかった。

 

 パトリオットだけは、別の場所を見ていた。

 

「あの、蛇が……なるほど」

 

 傷ついた喉から低い声が漏れる。その言葉には、ヴァレリウスたちが知らない意味が含まれていた。

 

「パトリオット。この情報が正しいなら、我々の戦闘自体が敵の望んだ状況だ。ロドスと遊撃隊を衝突させ互いに消耗させた後、残った者をウルサス軍が処理する」

 

 ヴァレリウスが老戦士へ向き直る。パトリオットは反論しなかった。

 

「汝らの撤退経路と補給を断ったのも、黒蛇と第三軍である可能性が高い。ここで戦いを再開すれば、彼らへ時間を与えるだけだ」

 

「情報を、信じろと?」

 

「直ちに全てを信じろとは言わぬ。だが、利刃の存在は目の前にある。潜伏部隊の有無を確かめるまで、我々が互いを殺す理由はない」

 

 パトリオットは亡骸を見下ろした。

 

 先ほどまでならヴァレリウスの提案を即座に拒絶していただろう。しかし今は、槍を持ち上げながらも踏み込まない。

 

 初めて、戦闘を再開すること自体が正しいのかを考えていた。

 

 その間にヴェイルはアーミヤへ歩み寄った。彼が近づくと、ロスモンティスの戦術装備が僅かに動く。ブレイズもアーミヤの前へ出ようとしたが、ケルシーが片手を上げて制した。

 

「検査を始める前に、方法を説明しろ」

 

「彼女の精神へ侵入はせぬ。魂の表層と肉体の境界を確認し、〈混沌〉との接続、異物の付着、精神構造の変質が存在するかを調べる」

 

「記憶には触れないのだな」

 

「必要ない。彼女が同意するならば、頭部へ手を置く」

 

 ケルシーがアーミヤを見る。

 

「決めるのは君だ」

 

 アーミヤは銀灰色の巨人を見上げた。先ほどの出来事を思い出したのか、長い耳が僅かに震える。それでも、彼女は逃げなかった。

 

「……お願いします」

 

 ヴェイルは小さく頷くと、片膝をついた。それでもアーミヤより遥かに大きい。彼は装甲に覆われた手を開き、力を加えないよう注意しながら掌を少女の頭へ置いた。

 

 ドクターがアーミヤの右手を握り、ケルシーは反対側から瞳孔と呼吸を観察する。ヴァレリウスとアイゼンヴァルトも数歩離れた場所で、いつでも動ける姿勢を維持していた。

 

「目を閉じよ。何か声が聞こえても応じるな、決してそれは我々のものではない。私の意識を追おうとせず、その場に留まれ」

 

「はい」

 

 ヴェイルの装甲へ刻まれた祈祷文が、淡い青色の光を放つ。

 

 彼はアーミヤの魂へ踏み込まず、その輪郭へ沿うように意識を広げた。肉体と精神の繋がり、源石によって生じた変化、黒いアーツの力、そのさらに奥にある巨大な何かを、一つずつ見分けていく。

 

 アーミヤの内側には、ヴェイルの知らない力が存在していた。

 

 幾重にも重なった記憶と感情。サルカズへ繋がる古い痕跡。王冠にも似た権能。そして、その全てを抑えるために施された複数の制限。

 

 危うい均衡だったが、そこに〈混沌〉は存在しない。

 

 ヴェイルは確認範囲を広げた。

 

 血の神に属する印、悪魔が魂へ爪を立てた痕跡、外部から力を流し込む接続路。夢や記憶へ潜伏する異質な意思。

 

 だがそのいずれも見つからなかった。接触の跡さえない。

 

 ヴェイルは一度手を離し、再び同じ検査を行ったが結果は変わらなかった。数秒後、装甲の光が消える。

 

「どうだ」

 

 ヴァレリウスが尋ねた。ヴェイルはすぐには答えなかった。

 青いレンズが、目の前にいる少女を見つめている。

 

「……痕跡がない」

 

「潜伏している可能性は」

 

「否定しきることはできぬ。大いなる四柱ほどの存在であれば、私の感覚から意図的に身を隠す可能性も考慮すべきだ」

 

 ヴェイルは立ち上がった。

 

「だが、通常の汚染も接続の傷も存在しない。彼女の精神は、先ほどの接触が起きる前と同じ状態にある。残響すら残されていない」

 

「そんなことが、あり得るのか」

 

 アイゼンヴァルトが問う。

 

「私の知る限りでは極めて異例だ。彼女の力が接続を閉じたのか、この世界に〈歪み〉が存在しないため定着できなかったのか、あるいは最初からストーンファングの記憶に残った像だけを見たのか。現時点では断定できぬ」

 

 ドクターがアーミヤの肩へ手を置いた。

 

「では、彼女を危険と判断する根拠はないということか」

 

「ああ。少なくとも、現在の彼女へ排除や処刑を行う理由はない。経過観察は必要だが、無闇に拘束する利益も認められぬ」

 

 周囲のロドスオペレーターから、静かな安堵が広がる。ブレイズの肩から力が抜け、ロスモンティスを囲んでいた戦術装備もゆっくりと地面へ下がった。

 

 ヴェイルは続いてストーンファングへ顔を向けた。

 

「だが、貴様は別だ」

 

「分かっている」

 

 ストーンファングは反発しなかった。

 

「接触の起点が私の中にあるなら、調べ終えるまで隔離されるべきだ。先ほどからそう言っている」

 

「現在の作戦が終わり次第、外部との接触を遮断できる区画へ移す。それまでは私の監視下に置き、アーミヤとの距離を保て」

 

「異論はない。必要なら斧も預けよう」

 

 ヴェイルは僅かに頷いた。

 

「アイゼンヴァルトにも継続監視は必要だが、彼から〈混沌〉へ繋がる反応は確認されていない。精神の表層へ触れられただけで、記憶まで開かれていないことが影響している可能性が高い」

 

「監視されることに異論はありません」

 

 アイゼンヴァルトも受け入れた。

 

 その時、ドクターの通信端末が鋭い警告音を発した。表示されたのはロドス本艦からの最優先通信だった。

 

「本艦から?」

 

 ドクターが回線を開く。最初に聞こえたのは、複数の医療オペレーターが誰かを制止する声だった。

 

『まだ起き上がってはいけません!』

 

『通信ならこちらから――』

 

『いい。私が、話す』

 

 掠れた女性の声が、雑音の向こうから届く。

 

 映像が繋がった。簡易投影画面へ映し出されたのは、ロドス本艦の医療区画だった。白い寝台の上に腕を包帯と医療器具で覆われた女性が半身を起こしている。白い髪の間から伸びる耳、病院服の隙間から見える源石結晶、弱々しく上下する胸元。

 

「フロストノヴァさん……!」

 

 アーミヤが声を上げると、遊撃隊の兵たちが一斉に画面へ顔を向けた。

 

 パトリオットは動かなかったが、槍を握る指から僅かに力が抜けている。フロストノヴァは荒い呼吸を繰り返しながら画面の向こうを見渡し、やがて広場に立つ巨大な老戦士を見つけた。

 

 疲労に沈んでいた瞳へ、微かな光が戻る。

 

『……父さん』

 

 その一言を聞いた瞬間、パトリオットの胸中を満たしていた緊張が僅かに揺らいだ。

 

 フロストノヴァは生きている。重傷を負い、鉱石病の進行によって身体を蝕まれ、寝台から起き上がることさえ医療オペレーターに止められている。それでも自分の意志で話し、画面の向こうにいる父を見つめていた。

 

 パトリオットはその安堵を表へ出さなかった。兜の奥から漏れる呼吸が、僅かに深くなっただけだった。

 

「……エレーナ」

 

『父さんも、生きていたんだな』

 

「ああ」

 

 短い返答だった。

 

 その声に、フロストノヴァは小さく息を吐いた。画面の端では医療オペレーターが彼女の身体を寝台へ戻そうとしている。フロストノヴァは片手で制し、通信端末から視線を外さなかった。

 

『そこにいると聞いた。ロドスと戦ってることも』

 

「戦いは、まだ終わっていない」

 

『……なぜ?』

 

「コータスの少女は、魔王の、後継者だ。予言が、生きているなら。私は、彼女の手によって死ぬ。だが、予言に従い、黙って死ぬつもりは、ない」

 

 パトリオットの視線がアーミヤへ向く。

 

 フロストノヴァはアーミヤを見た。魔王という言葉の意味も、その後継者が何を示すのかも、彼女には十分に理解できていない。パトリオットが長い間抱えてきた予言についても、断片的に聞いたことがあるだけだった。

 

『私は、その魔王というものを詳しく知らない』

 

「ならば――」

 

『でも、それが父さんの戦う理由の全てではないことは理解できる』

 

 パトリオットは何も言わず、娘の言葉を待った。

 

『……龍門から撤退する時、私たちはタルラの命令で工業地区を通る経路へ向かった。そこは近衛局の部隊とウェイ・イェンウの私兵に塞がれていた。後退する道も、別の部隊と合流する道もなかった』

 

 フロストノヴァは一度咳き込んだ。医療オペレーターが通信を切ろうと手を伸ばすが、彼女は端末を離さない。

 

『偶然じゃない。私とスノーデビル小隊がタルラを疑い始めたから、あの経路へ送られた。龍門に始末させるために』

 

「……確証は、あるのか」

 

『黒装束の部隊は武器を捨てた兵も動けない負傷者も殺そうとした。私たちがタルラの命令でそこへ来ることも知っていた。あれを偶然だと思えるほど、私は楽観的じゃない』

 

 パトリオットの背後で、遊撃隊員たちが互いに低い声を交わす。

 

『私たちを助けたのは二人の緑の巨人だった。二人は負傷者を守り、ロドスも私たちを受け入れた。勿論武器は預けたし、自由に艦内を歩くことはできない。監視もついてる』

 

 フロストノヴァが続ける。

 

「拘束、されて、いるのだな」

 

『そうだ。だが、何を話すかは自分で決めてる。今もロドスから言わされてる訳じゃない。むしろ医療部の人たちは私が話すのを止めようとしてる』

 

 画面の奥から今すぐ安静にするよう求める医療オペレーターの声が聞こえた。フロストノヴァは疲れた表情のまま、僅かに口元を緩める。

 

『治療も受けた。スノーデビル小隊も、他の負傷者も。ロドスと戦ったことがある者まで見捨てなかった』

 

「それだけで、信じるのか」

 

『それだけじゃない』

 

 フロストノヴァの視線が、ヴァレリウスたちへ移る。

 

『あの戦士たちは私たちを利用できるから助けたわけではなかった。緑の巨人はタルラを憎んでる。だが、私たちまで同じ敵として扱わなかった』

 

 彼女は息を整え、再び父を見た。

 

『ドクターとアーミヤも、タルラを殺すことだけを考えてない。中にいるものを追い出して本人を取り戻そうとしている』

 

「……可能だと、思うのか」

 

『分からない。だが、最初から諦めて殺すよりはいい。私はロドスを信じることにした。アスタルテスも』

 

 パトリオットの槍が、僅かに下がった。

 

「……エレーナ」

 

『だから父さんも、もう一度見てくれ。タルラが今まで何をしたのか。ロドスが私たちに何をしたのか。昔の予言や、これまでの犠牲だけで決めずに。自分の目で見て、それから考えてほしい』

 

 フロストノヴァは命令しなかった。戦いを止めろとも、ロドスへ従えとも言わなかった。ただもう一度考えることを求めた。

 

 その言葉は、パトリオットが最も拒み難い形で突きつけられていた。彼が後戻りできないと考えていた理由は一つではない。

 

 長い戦いの中で失われた者たち、ウルサス軍に殺された感染者、凍原で倒れた同胞、自らの判断によって救えなかった息子。そしてタルラを信じてレユニオンへ加わり、その理想のために命を捧げた無数の感染者。

 

 ここで戦いを止めれば彼らの死を無駄にすると思っていた。タルラの方針が誤っていると認めた後にもさらに大きな問題が残る。

 

 タルラを排除したとして、その後のレユニオンを誰が支えるのか。

 

 彼女はレユニオンの象徴だった。多くの感染者は、タルラという存在に希望を見いだして集まった。その本人をパトリオットが討てば、真実を知らない者たちは彼を裏切り者と見る。部隊は分裂し、互いを疑い、ウルサス軍や他国の治安組織に各個撃破されるだろう。

 

 感染者の未来を守るためにタルラを止めても、その結果としてレユニオンが崩壊すれば、彼らが積み重ねた戦いは行き場を失う。

 

 そのためパトリオットは、別の道を考えていた。

 

 ロドスをここで打ち破り、その装備と侵入経路を利用して中枢へ進む。タルラを討ち、その死をロドスによるものとして処理する。レユニオン内部へ存在する対立を表面化させず、外部の敵によって指導者が殺された形を作れば、残された感染者を一つにまとめられる可能性があった。

 

 欺瞞に満ちた方法であっても、レユニオンの崩壊を防ぐにはそれしかないと考えていた。

 

 だが、その前提が今は変わっている。

 

 フロストノヴァは生きている。パトリオットとフロストノヴァが共にタルラの変化を証言し、遊撃隊とスノーデビル小隊が事実を伝えれば、全ての感染者が信じずとも、少なくない者を説得できる。

 

 黒蛇とウルサス軍の存在を示す証拠もある。

 

 皇帝の利刃の亡骸にヴェイルが引き出した記憶、龍門で襲撃を受けたフロストノヴァたち。そして、地下区画で途絶えているレユニオン部隊の通信。

 

 これまでのように、タルラへ従うか、レユニオンを崩壊させるかという二つの道しか残されていないわけではなかった。

 

 ロドスも以前とは違う。

 

 彼らだけならば、パトリオットはその理想を信じなかったかもしれない。治療と対話を掲げても、力がなければ感染者を守り続けることはできない。各国の軍隊と都市が本気で排除へ動けば、理想を語る者から先に倒れていく。

 

 だが今のロドスには、異世界から来た戦士たちがいる。

 

 彼らは圧倒的な力を持ちながら、ロドスの指揮に合わせて戦っていた。投降した兵を殺さず、負傷者を守り、フロストノヴァとスノーデビル小隊を黒蓑から救い出した。タルラの内側にいる存在を排除し、元の人格を取り戻す可能性まで探っている。

 

 何より、フロストノヴァ自身が彼らを信じると決めた。

 

 その事実がパトリオットの確信へ初めて大きな亀裂を生じさせていた。長い沈黙の末、パトリオットは槍の穂先を地面へ向けた。背後の遊撃隊員が息を呑む。

 

「大尉……?」

 

 老戦士は答えなかった。重い足音を響かせながら、ヴァレリウスとアーミヤへ向かって歩き始める。

 

『父さん?』

 

 フロストノヴァが画面の向こうから呼びかける。

 

『父さん、待て』

 

 パトリオットは止まらなかった。

 

 遊撃隊の盾兵が後を追おうとしたが、彼は片手を上げて制した。槍は下げられており、大盾も攻撃へ使える位置にはない。

 

 ヴァレリウスは敵意がないことを察していた。パワーソードへ手を伸ばさず、アーミヤの隣へ移動する。ストームシールドも地面へ下げたまま、近づいてくる老戦士を正面から見据えた。

 

 アーミヤは逃げなかった。

 

 先ほどのようにパトリオットの精神へ踏み込んではいない。それでも既に見てしまった記憶と感情が、彼の姿へ重なっていた。

 

 救えなかった息子、失った妻、幼いエレーナを引き取り凍原を共に歩いた日々。戦いの度に増えていった死者と、その全てを自分の責任として背負い続ける心。彼が抱えているのは怒りだけではなかった。

 

 後悔、悔恨、罪悪感。

 

 自分が立ち止まった瞬間、これまで自分を信じて死んだ者たちを裏切ることになるという恐れだった。

 

 パトリオットはヴァレリウスたちの前で足を止めた。

 

「私は、長く戦ってきた」

 

 傷ついた喉から、低い声が漏れる。

 

「ウルサスの、敵と、感染者を、獣として、扱う者たちと。私を信じた者は、数え切れぬほど、死んだ」

 

 アーミヤは黙って聞いている。

 

「私が今、闘争を止めれば、これまでの、戦いは、何になる。死んだ者たちは、何のために、死んだ」

 

 槍を握る手へ力が戻る。しかし、その穂先が持ち上がることはなかった。

 

「戦いを、やめることは、彼らを、残して、私だけが、逃げることだ」

 

「……私は、貴公(・・)の戦いを終わらせるつもりはない」

 

 ヴァレリウスが答えると、僅かにパトリオットが兜を上げる。

 

「我々が求めているのはレユニオンの壊滅ではない。感染者の抵抗を止め、再び各国の支配へ従わせるために戦っているわけでもない」

 

「ならば、何故、ロドスと共に、ここへ来た」

 

「不死の黒蛇が我々とロドスの存続を脅かしているからだ。都市を衝突させて国家間の戦争を起こし、感染者をそのための道具として使っている。あれを放置すれば、龍門に留まらずレユニオンも破滅する」

 

 ヴァレリウスは利刃の亡骸へ視線を向けた。

 

「黒蛇を排除しても感染者を取り巻く問題は残る。鉱石病も、各国の迫害も、長年積み重なった憎悪も消えはしない。その後にレユニオンを支え、進むべき方向を示す者が必要になる」

 

「それを、私に、しろと」

 

「貴公以外に誰がいる。フロストノヴァは生きていて、貴公もまだ戦える。二人が事実を伝えればタルラの変化とウルサス軍の工作を証言できる。ここでロドスを倒し、貴公自身も傷を深めれば、残る感染者をまとめる者はいなくなる」

 

 ヴァレリウスの声は揺らがなかった。

 

「……」

 

「死者へ報いるために、同じ場所で戦い続ける必要はない。彼らが望んだ未来を残すことも、戦いを継ぐ方法だ」

 

 パトリオットはすぐには答えなかった。その時、今まで沈黙していたアイゼンヴァルトが前へ出た。

 

「一つ、明確にしておく」

 

 黒いパワーアーマーの巨体がヴァレリウスの隣へ立つ。

 

「我々アスタルテスにとって貴様らが感染者であるか否かは、この戦いの判断を決めるほど重大な問題ではない」

 

 ヴァレリウスが僅かに顔を動かした。その反応を見たアイゼンヴァルトは、構わず続ける。

 

「鉱石病による変化が〈混沌〉の汚染でも、異種族による侵食でもないことは確認されている。病を得たことは反逆ではない。貴様らがテラの国家へ何を求め、どのような抵抗を続けるかについても、少なくとも我々が裁定する問題ではない」

 

「ロドスの、理念に、従うと?」

 

「ロドスの全てに同意したわけではない。我々はこの世界の住民ですらない。この惑星の法も歴史も、感染者が受けてきた扱いも、全てを理解したとは言えない。その状態で貴様らの思想へ判決を下すつもりはない」

 

 アイゼンヴァルトは即座に否定し、赤いレンズがパトリオットを正面から捉える。

 

「貴様が我々へ刃を向ければ応じる。無辜の者を殺すならば敵として討つ。だが、感染者であるという理由だけで貴様らを滅ぼすつもりはない」

 

 ヴァレリウスは、僅かな驚きを隠せないままアイゼンヴァルトへ顔を向けた。ブラックテンプラーである彼が、ここまで踏み込んだ言葉を口にするとは予想していなかった。

 

 アイゼンヴァルトはその視線に気づく。

 

「戦士として認めた相手への敬意です。過大に解釈しないでいただきたい」

 

「……承知した」

 

 ヴァレリウスはそれ以上何も言わなかった。

 

 少し離れた場所で話を聞いていたブレイズは表情を変えないよう努めていた。龍門では皇帝陛下とやらに従わなければ敵に回すことを躊躇しないと、黒蓑へ堂々と言い放っていたはずだ。

 

 その男が今は、感染者の抵抗や思想を裁くつもりはないと語っている。

 

 矛盾しているようにも聞こえるが、アイゼンヴァルトの中では分けて考えられているのだろう。彼にとって〈皇帝〉への信仰は絶対でも、テラの感染者問題はその信仰と直接結びついていない。

 

 何よりパトリオットを対等な戦士として認めたことが、彼なりの譲歩を引き出していた。

 

「ならば、アスタルテス。貴殿らの、目的は何だ。この世界で、何を得ようとしている」

 

 パトリオットが二人を見る。

 

「元の世界への帰還だ。我々にも守るべき者たちがいる。戦団の兄弟、帝国の民、敵の侵攻を受けている無数の世界がある。テラへ領土を求めるつもりも、感染者を兵として利用するつもりもない」

 

 ヴァレリウスは即座に答えた。

 

「……帰還、するまでの、間は」

 

「生存し、転移の原因を調べる。その過程で我々を受け入れ、情報と拠点を提供したロドスへ協力している。黒蛇の計画によってこの世界全体が戦乱へ沈めば、我々の帰還手段を探すことも困難になる」

 

 パトリオットは低く唸った。

 

「この世界を、支配するためでは、ないと」

 

「ああ。我々の帰るべき場所はここではない」

 

 老戦士はヴァレリウスからアイゼンヴァルトへ、次にヴェイルとストーンファングへ視線を移した。

 

 最後にアーミヤを見る。

 

 アーミヤの瞳には恐怖が残っていた。混沌と接触した直後であり、パトリオットの記憶を覗いたことへの罪悪感も消えていない。それでも目を逸らさず、老戦士と向き合っている。

 

「……パトリオットさん。私は、あなたが戦ってきた理由を否定できません。私にはあなたが見てきたものの全てを理解することもできないと思います」

 

 アーミヤが口を開いた。パトリオットは黙って聞いている。

 

「でも、あなたがここで死ぬことを運命だから仕方がないとは思いたくありません。フロストノヴァさんも、遊撃隊の皆さんも生きています。タルラさんも、まだ中にいるかもしれない」

 

 アーミヤは胸元で手を握った。

 

「私たちはタルラさんを止めます。できるなら、不死の黒蛇から取り戻します。その後の感染者の未来についても、あなたたちと話したいです」

 

「魔王の、後継者が、私と、話すと」

 

「私は魔王が何なのかも、まだ全ては知りません。ですが、誰かに決められた運命の通りにあなたを殺すつもりはありません」

 

 パトリオットは少女の瞳を見つめた。

 

 そこに自分を欺こうとする意思はない。自身が背負う力への恐れを抱きながら、それでも他者を救う道を選ぼうとしている。かつてタルラの中にも存在していた、危ういほど真っ直ぐな意志だった。

 

 長い沈黙が続いた。

 

 画面の向こうでは、フロストノヴァが不安そうに父を見ている。やがてパトリオットは、槍の石突きを石畳へ置いた。

 

「エレーナ」

 

『……なんだ』

 

「お前が、信じたものを、私、一度、信じる」

 

 フロストノヴァの目が僅かに見開かれる。パトリオットはヴァレリウスとアーミヤへ向き直った。

 

「ロドスを、娘が信じた、諸君ら、そして、アスタルテスを」

 

 彼は振り返り、遊撃隊全体へ声を響かせた。

 

「全員、武器を、下ろせ」

 

 すぐに従う者はいなかった。

 

 命令が理解できなかったというよりは、つい先ほどまで命を奪い合っていた相手を前に本当に武器を置いてよいのか判断できなかった。

 

「隊長、しかし――」

 

「聞こえ、なかったか」

 

 パトリオットの声が低く響く。

 

「戦闘は、終了する。ロドスと、アスタルテスを、これ以上、攻撃するな」

 

 最前列の盾兵が、ゆっくりと大盾を下ろした。その隣にいた槍兵も穂先を地面へ向ける。命令は前列から後方へ伝わり、射手たちが弩から矢を外していく。

 

 遊撃隊全体が完全に警戒を解いたわけではない。それでも、戦意を示す武器は一つずつ下ろされていった。

 

 ロドス側でも、ドクターが前衛へ合図を送る。重装オペレーターが盾を地面へ置き、射撃隊も弩を下げた。ブレイズはチェーンソーを停止させ、ロスモンティスの戦術装備もアーミヤの周囲から離れていく。

 

 広場を分断していた戦列が、初めて消えた。

 

 パトリオットは外套の内側へ手を入れた。取り出したのは掌ほどの大きさを持つ黒い金属製の装置だった。表面には古いウルサス軍の認証紋が刻まれ、側面には複数の接続端子が並んでいる。

 

 彼はケルシーの前まで歩く。

 

「ケルシー士爵。これは、中枢区画の、軍用認証鍵だ。制御塔へ、通じる、地下保守路の、封鎖を、解除できる。都市の、移動制御へ入るにも、必要になる」

 

 パトリオットは認証鍵を差し出した。ケルシーは暫くそれを見つめた後、手を伸ばした。

 

「これを渡せばあなた達も中枢制御へ自由に入れなくなる、ボジョカスティ」

 

「構わぬ。タルラを、止めるために使え」

 

「あなたはどうする」

 

「遊撃隊を、まとめ、残るレユニオンへ、真実を伝える。信じぬ者も、いるだろう。それでも、ウルサス軍を、排除しなければ、誰も中枢へ、辿り着けぬ」

 

 ケルシーは認証鍵を受け取った。

 

「……預かろう。必ずチェルノボーグを止める」

 

 画面の向こうで、フロストノヴァが小さく息を吐いた。

 

『……ありがとう、父さん』

 

「礼を、言うのは、まだ早い」

 

『それでも……止まってくれて、ありがとう』

 

 フロストノヴァの表情へごく僅かな笑みが浮かぶ。その直後、画面の奥から医療オペレーターの声が響いた。

 

『もう限界です! 通信を切ります!』

 

『待て、まだ――』

 

 映像が大きく揺れた。フロストノヴァが何か言いかけたところで回線が切れ、投影画面が消える。

 

 広場へ静けさが戻った。

 

 パトリオットは画面の消えた場所を数秒間見つめていたが、やがて槍を持ち直した。そして僅かに普段よりも高い声で言った。

 

「全く……じゃじゃ馬な、娘を持つと、苦労する」

 

 その時、ヴァレリウスの兜内部へ新たな通信が入った。識別信号はダキールとトゥシャン。優先度は最高に設定されている。

 

「こちらヴァレリウス。報告せよ」

 

『オナーガード、地下区画で敵性部隊と接触した』

 

 ダキールの声の背後から、銃声と金属の衝突音が聞こえる。

 

『外見上はレユニオンの装備を使用している。だが動きが明らかに異なる。統一された射撃管制を行い、ウルサス軍用の暗号通信を使用。撤退路と昇降機を事前に把握した配置を取っている』

 

「規模は」

 

『確認できた範囲で四十名以上。別区画にも分隊が存在する可能性がある。重火器と軍用アーツ装備を保有している』

 

 別の回線からトゥシャンの声が入る。

 

『一名を拘束した。外套の下からウルサス第三軍の認証票を確認した、恐らくレユニオン兵ではないだろう』

 

 広場にいた全員の視線がヴェイルへ向いた。ヴェイルは利刃の亡骸を見下ろし、静かに答える。

 

「……記憶から得た情報と一致する」

 

 パトリオットの背後で遊撃隊員たちの空気が変わった。疑念は怒りへ移り始めていた。自分たちと同じ装備を身につけ、同じ標章を掲げながら内部から部隊を分断していたウルサス軍。その存在が今や推測ではなくなった。

 

「接触地点を送れ」

 

 ヴァレリウスが命じる。

 

『送信しよう。現在、地下貨物線の第三接続路で交戦中だ。敵は中枢区画方向へ後退している』

 

「追撃は急ぐな。地下構造と敵兵力を確認するまで、退路を維持しろ」

 

『承知した』

 

 通信回線へ位置情報が送られ、ヴァレリウスの戦術表示へ地下区画の地図が現れる。パトリオットがその座標を覗き込んだ。

 

「そこは、旧軍用路だ。制御塔の下へ、繋がっている」

 

「遊撃隊は構造を把握しているか」

 

「一部ならば。案内、できる者を、出す」

 

 ケルシーも携帯端末へ地下地図を転送し、パトリオットから受け取った認証鍵の情報を照合する。

 

「この認証鍵で第三接続路の封鎖扉も開ける。ウルサス軍は地下から中枢制御を確保し、こちらの進行を妨害するつもりだろう」

 

「同時にレユニオンの部隊を地上へ押し上げ、我々と戦わせる。遊撃隊とロドスが戦闘を続けていれば、地下から妨害されても気づくのが遅れる。黒蛇は最初からそれを狙っていた」

 

 ドクターが続けた。パトリオットが遊撃隊へ向き直る。

 

「地下区画に、詳しい者を、集めろ。連絡の途絶した、部隊も、確認する。ウルサス軍を、見つけても、レユニオン兵と誤認するな。外見ではなく、合言葉と、所属で識別せよ」

 

 遊撃隊の指揮官たちが動き始める。

 

 ロドス側でも、ドクターとケルシーが部隊の再編成へ入った。負傷者を後方へ移し、地下へ進む部隊と中枢区画を目指す部隊を分ける。ヴァレリウスはダキールたちから送られてくる情報を確認しながら、アスタルテスの配置を組み直していく。

 

 十数分前まで彼らは互いを倒すために武器を振るっていたが、今は同じ地図を囲み、同じ敵の位置を確認している。

 

 黒蛇はロドスと遊撃隊を衝突させ、その間にウルサス軍を中枢へ進ませようとしていた。だが、フロストノヴァは生き延びた。皇帝の利刃はヴェイルによって討たれ、秘匿されていた情報は暴かれた。そしてパトリオットは死者に縛られて同じ戦いを続ける道ではなく、生き残った者を率いて感染者の未来を護る道を選んだ。

 

 広場に残されていたロドスと遊撃隊の戦列は解かれ、それぞれの指揮官が中枢区画と地下軍用路へ向けて兵を動かし始める。

 

 レユニオンを内部から分断し、感染者の犠牲によって戦争を引き起こす黒蛇の計画。その全貌を知った者たちは今、チェルノボーグを止めるため同じ方向へ進み始めていた。

 

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