かぐや「かぐやがいない間に、彩葉がかぐやと浮気したー!」 あの子ちゃん「蛇足っす」   作:超かぐや姫!に脳を焼かれた人

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土日は天気悪くて外出できないから、ずっと二次創作書いてました……。
クラファンの活動レポートが公開されて爆上がりしたテンションのままに書き上げてます。
あの子ちゃんサイドの話にお付き合いいただきありがとうございますの意も込めて。



蛇足話03 かぐや「いろはぁ。おなかすいたぁ……ミルクちょうだーい♡」 彩葉「ッ゙ッ゙ッ゙!?!?!?」

 

彩葉が、かぐやの戸籍を作ってくれるらしい。

 

戸籍。

 

かぐやはソファの上で膝を抱えながら、その言葉をもう一度、頭の中でころころ転がした。

 

月には、そんなものはなかった。

 

名前だってなかった。役割はあったけれど、名前はなかった。

誰がいつ生まれて、誰とどう繋がっていて、どこの誰として生きているのか。

そんなことを、紙だかデータだかにきちんと書き残しておくという発想自体が、かぐやにはまだ少し不思議だった。

 

けれど、地球でちゃんと生きていくには必要らしい。

どこかへ行くにも、何かを申し込むにも、彩葉が偉い人に説明するにも、地球の人間は「この子は誰ですか」と聞いてくる。

 

以前は、彩葉の名前や、いろPの肩書きや、ツクヨミの仕組みや、かぐやの勢いでどうにかなっていた。

でも、今のかぐやが彩葉と一緒にちゃんと暮らすには、地球にちゃんと存在しなければならないらしい。

 

かぐやはかぐやなのに。

 

彩葉がくれた名前があるのに。

 

それだけでは足りないようだ。

 

「地球って、めんどくさいねー」

 

「まあまあ。郷に入っては郷に従え郷ひ○みってやつだよ~」

 

隣のソファでくつろいでいたヤチヨが、いつものゆるい声で答えた。

 

もう一人のかぐやは、ローテーブルの向こうで配信用のスケジュールを確認している。髪の揺れ方も、頬を膨らませる癖も、ほとんどかぐやと同じだった。

 

かぐやなのに、かぐやじゃない。

でも、かぐやだ。

 

ややこしいけれど、最近はだいぶ慣れてきた。

 

「にしても、戸籍を作るってさー。彩葉って、そんなことまでできんだ……すげぇ……」

 

かぐやが素直に感心すると、ヤチヨはふふ、と笑った。

 

「彩葉は今、研究所で仕事しながら、偉い人たちに頭下げたり、逆に詰めたり、書類作ったり、法務っぽい人たちと相談したりしてるみたいだよ~」

 

「偉い人たちを詰めてる彩葉、ちょっと見たいかも」

 

「見たら惚れ直しちゃうかもね~」

 

「ヴェ⁉ これ以上惚れたらたいへんじゃん⁉ かぐやちゃんどうなっちゃうのー⁉」

 

「たいへんだね~」

 

ヤチヨは楽しそうに目を細めた。

 

かぐやは、自分の手首にある腕輪をつんつんと突いた。

 

本当は、手伝おうとしたのだ。

 

彩葉が朝、研究所へ出かける前に、かぐやは元気よく手を挙げた。

 

『かぐやも手伝おっかー? この腕輪があればちょちょいのちょいってー!』

 

『絶対にやめて』

 

即答だった。

 

『まだ何するか言ってないよー?』

 

『言わなくてもわかるから。戸籍を作る話で、なんで最初にハッキングって方法に思い至るの?』

 

『だって、戸籍ってデータでしょ?』

 

『違わないけど違う。それ犯罪だからダメ』

 

彩葉はそう言って、かぐやの額をこつんと指で弾いた。

 

『わかった?』

 

痛くはなかった。

 

でも、かぐやは「はーい」と返事をした。

彩葉に怒られるのは嫌だったし、彩葉がかぐやのために頑張ってくれているのを台無しにするのは、もっと嫌だった。

 

だから今日は、タワマンの部屋でお留守番である。

 

彩葉は研究所。

 

かぐやと、もう一人のかぐやと、ヤチヨは部屋。

 

犬DOGEは床でごろごろしている。

 

平和だった。

 

平和すぎて、少し暇だった。

 

「かぐやも配信したーい……」

 

かぐやはソファの背もたれに顎を乗せて、じとっともう一人のかぐやを見た。

 

もう一人のかぐやは、スマコンの調整をしながら苦笑する。

 

「彩葉が戸籍作ってくれるまでは我慢だよー。今はアカウントもアバターも、かぐやが使ってるしー」

 

「むー。かぐやなのに、かぐやのアカウント使えないの、変なのー」

 

「かぐやもかぐやだからねー」

 

「かぐやもかぐやだもんねー」

 

二人のかぐやは、顔を見合わせてうなずいた。

 

ヤチヨが、そこでにやりとした。

 

「外向きには双子で通すらしいけど、どっちが姉でどっちが妹になるのかにゃ~?」

 

空気が止まった。

 

かぐやは瞬きをした。

 

もう一人のかぐやも瞬きをした。

 

姉。

 

妹。

 

それは、なんだかとても重要な響きだった。

 

「んー、かぐやは地球年齢で言えば、0歳四ヶ月?五ヶ月?くらいだしー……」

 

かぐやが指を折って数える。

月に帰る前と、月から帰ってきて、彩葉と再会して、それから過ごした時間。

それらを合わせて、地球の数え方にすると、たぶんそれくらい。

 

もう一人のかぐやが胸を張った。

 

「かぐやはボディの稼働時間込みで一年くらいー?」

 

「ふむん。ということは、戸籍上はそっちのかぐやが妹ちゃんだね~」

 

かぐやと目を合わせながら、ヤチヨがそう判決を下した。

 

その瞬間、もう一人のかぐやが両手を上げた。

 

「やったー! 妹できたー!」

 

「ぐぬぬぬ……つ、月で過ごした時間も足せば、わたしの方が絶対お姉ちゃんなのにー……」

 

かぐやはクッションを抱きしめて悔しがった。

 

月では、たくさん時間が流れた。彩葉に会えない時間も、あの子と話した時間も、役割を片づけた時間もあった。

 

なのに。

 

「月人に年齢の概念なんてないからね~」

 

ヤチヨは容赦がなかった。

 

「ぐうぅぅぅ……釈然としないー!」

 

かぐやがボスンとソファに背中から飛び込んだところで、もう一人のかぐやが「あっ」と声を上げた。

 

「かぐや配信の時間だったー!」

 

テーブルの上に浮かんでいたスケジュール表示が、ぴこんと光る。

 

もう一人のかぐやは慌てて立ち上がり、スマコンを装着した。

配信用の表情を作る。といっても、ほとんどいつもの顔だった。

かぐやと同じ、楽しいことの前で隠しきれない顔。

 

「じゃあ、行ってくるねー!」

 

「いーなー」

 

「戸籍できたら、かぐやも一緒に配信しよーね!」

 

「ほんと!?」

 

「ほんとほんとー!」

 

もう一人のかぐやは、にぱっと笑った。

 

かぐやは、もう一人のかぐやが配信部屋へと駆け込んで行くのを見送った。

 

リビングには、月から帰ってきたかぐやと、ヤチヨと、床で丸まる犬DOGEだけが残された。

 

戸籍ができるまでの我慢。

彩葉に迷惑はかけない。

これ絶対。

 

とはいえ、現状が面白くないことに変わりはない。

 

「むー」

 

かぐやはソファの上で丸まった。

 

「妹ちゃん、拗ねてるのかにゃ~?」

 

「妹ちゃんじゃないしー」

 

「さっき判決が出ちゃったからね~」

 

「再審を要求するー!」

 

「却下しまーす☆」

 

ヤチヨはにこにこしていた。

とても楽しそうだった。

 

かぐやはクッションに顔を埋めて、足をばたばたさせた。

床で丸まっていた犬DOGEが、片目だけ開けて、わん、と小さく鳴く。

 

「犬DOGEもそう思うよねー。かぐやの方がお姉ちゃんだよねー」

 

「わん」

 

「ほらー!」

 

「今のは『どっちでもいい』のわんだった気がするな~」

 

「ヤチヨの翻訳、信用できないー」

 

かぐやはむくりと起き上がった。

 

暇だった。

 

彩葉はいない。

もう一人のかぐやは配信中。

ヤチヨはいるけれど、ヤチヨとおしゃべりするだけでは、このむずむずした気持ちは収まらない。

 

何かしたい。

何か、楽しいこと。

 

かぐやの視線が、自分の手首へ落ちた。

 

あの子のくれた腕輪。

かぐやとあの子のつながりの証明。

地球で活動するための身体を作ってくれた、すごく便利で、すごく怪しくて、彩葉に「犯罪に使わない」と約束させられたもの。

 

「……」

 

かぐやは、そっと腕輪をつっついた。

 

視界の端に、薄い光の文字が浮かぶ。

 

今までも何度か見たことはある。

けれど、彩葉に怒られないように、あまり深くは触らないようにしていた。

 

していたのだが。

 

暇だった。

とても暇だった。

 

「ちょっと見るだけだしー」

 

「かぐや~?」

 

ヤチヨの声が、少しだけ楽しそうになる。

 

「今、すごく悪い子の顔してるよ~?」

 

「してないよー。かぐやちゃん、いい子だよー」

 

「いい子は自分でいい子って言わないんじゃないかな~」

 

腕輪の表示を指でなぞる。

すると、見慣れない項目がいくつも浮かび上がった。

 

環境適応。

肉体維持。

身体情報。

外観設定。

年齢相当値。

保存データ。

 

「……ん?」

 

かぐやは首を傾げた。

 

「おー! ヤチヨ、見て見て。なんか身体の設定いじれるっぽい」

 

「おやおや~?」

 

ヤチヨがソファの背もたれ越しに覗き込んでくる。

 

「彩葉に怒られない範囲でね~?」

 

「わかってるってー。犯罪ダメ。かぐや覚えた」

 

「えらいえらい」

 

「もっと褒めろー」

 

「かぐやはえらいね~。いい子だね~」

 

「ふふーん」

 

かぐやは得意げに鼻を鳴らした。

 

まず、今の姿を保存する。

 

これは大事だ。

戻れなくなったら、彩葉に怒られる。

今の姿には彩葉との時間が刻まれている。なくしたら嫌だ。

 

保存完了、という文字が浮かんだ。

 

「よし」

 

次に、身体年齢の項目を開く。

 

数値と、簡単な説明と、よくわからない注意書きがずらずら並んでいる。

注意書きは長かったので、かぐやはだいたい読み飛ばした。

 

「えーっと……このへん?」

 

かぐやが数値を動かした瞬間、身体がふわりと軽くなった。

 

目線が下がる。

手足が小さくなる。

ソファの座面が、急に広くなったように感じた。

 

髪が肩のあたりでふわりと揺れる。

頬に触れる感覚も、指先の大きさも、全部少しずつ違う。

 

「おー」

 

かぐやは両手を見下ろした。

 

小さい。

着ていた服がぶかぶかだ。

 

彩葉と出会ってから、三日目くらいの姿。

十歳前後くらいの年齢だろうか。

 

狭いアパート。

ちゃぶ台。

ミルク。

オムライス。

彩葉の困った顔。

 

そんなものが、ぽんぽんと頭の中に浮かんだ。

 

「……髪色は、もうちょいブラウンっぽいグレーって感じだったっけ」

 

かぐやは外観設定を少しだけ動かした。

 

金色だった髪が、するりと色を変える。

明るすぎない、灰色に茶色を混ぜたような色。

彩葉と最初にいたころの、幼いかぐやの色。

 

「どうー?」

 

かぐやはソファの上で立ち上がり、くるりと回った。

 

ヤチヨが、目を細める。

 

「うわ~……これはまた」

 

「懐かしい?」

 

「懐かしいね~。すごく、懐かしい……」

 

ヤチヨがゆっくり手を伸ばす。

 

「触ってもいいかな~?」

 

「いいよー」

 

ヤチヨの指先が、かぐやの髪をそっと撫でた。

 

いつものふざけた手つきではなかった。

とても慎重で、壊れ物に触るみたいだった。

 

「……本当に便利な腕輪だね~。ヤッチョもほしいな~」

 

「彩葉が解析してる予備のやつが戻ってきたら、ヤチヨにあげるよー!」

 

かぐやは即答した。

 

ヤチヨの手が、ほんの少し止まった。

 

「……いいのかにゃ~? かぐやがお友達からもらったものなんでしょ~?」

 

「だってヤチヨも『かぐや』だしー!」

 

かぐやは、何を当たり前のことを、と首を傾げた。

 

ヤチヨは何も言わなかった。

 

ただ、かぐやの髪を撫でる指が、少しだけゆっくりになった。

 

「………………そっか~」

 

「うん!」

 

かぐやはうなずいた。

 

それから、ふと別の項目に気づいた。

 

「ねえねえ、ヤチヨ。髪色とか目の色も、もっと自由に変えられるっぽい」

 

「おや~?」

 

「せっかくだし、やってみよー」

 

「ほどほどにね~?」

 

かぐやは、外観設定をさらに弄った。

 

髪色を、ほんの薄く青がかった白にする。

目の色を、少し明るめの緑にする。

肌の色はそのまま。

顔立ちもそのまま。

身体は十歳くらいのまま。

 

鏡代わりに浮かべた表示の中で、小さなかぐやが瞬きをした。

 

かぐやは、じっとそれを見つめた。

うん、イメージ通りだ。

かぐやのイタズラごころがうずく。

 

その姿は、まるで、誰かと誰かの間に生まれたみたいだった。

 

具体的には。

 

「どうー? ヤチヨー?」

 

かぐやは振り返って、にぱっと笑った。

 

「彩葉とヤチヨの子供みたいじゃねー?」

 

ヤチヨの笑顔が、ぴたりと止まった。

 

いつものヤチヨなら、ここで「おやおや~」とか「もう、かぐやったら大胆だね~」とか、ゆるい声で何か返してくれるはずだった。

なのに、返事がない。

 

ただ、かぐやを見ている。

いや、かぐやを見ているようで、かぐやではない何かを見ているようだった。

 

「ヤチヨ?」

 

かぐやは首を傾げた。

 

ヤチヨの喉の奥から、聞いたことのない音がした。

 

「ッ゙!?!?!?」

 

「ヤチヨー? どったのー?」

 

「ッ゙ッ゙ッ゙!?!?!?」

 

ヤチヨが、壊れた。

 

「犬DOGEー! ヤチヨが変ー!」

 

「わん!」

 

床で寝ていた犬DOGEが起き上がり、短く鳴いた。

 

しかし、ヤチヨは戻ってこない。

 

かぐやを見たまま、ヤチヨは両手で口元を押さえた。

 

「……そっか」

 

ようやく出てきた声は、やけに小さかった。

 

「ヤッチョは……彩葉と結婚してたんだね……」

 

「けっこんー?」

 

かぐやは目を瞬かせた。

 

「ヤッチョは彩葉と【かぐやっほー】して、【ヤオヨロー】して、【めでたし】して、【ハッピーエンド】したんだ……」

 

「ヤチヨー?」

 

「そして【めでたしめでたし】の結晶を……」

 

「………???」

 

「彩葉とヤッチョの子……」

 

「子供みたいじゃねー? って言っただけだよー?」

 

ヤチヨは、ふらりと立ち上がった。

 

かぐやは思わず身構えた。

 

怒られるのだろうか。

怒られるようなことをしたつもりはないけれど、彩葉もときどき、かぐやが何をしたのかわからないまま怒ることがある。

だから、ヤチヨも怒るのかもしれないとかぐやは思った。

 

けれど、ヤチヨは怒らなかった。

 

ゆっくり近づいてきて、かぐやの前に膝をついた。

 

それから、両手を広げる。

 

「かぐや」

 

「うん?」

 

「ヤッチョ、いま、すっごくかぐやを抱きしめたい気持ちなんだけど、いいかな~?」

 

「ヴェ⁉ い、いいけどー……」

 

次の瞬間、かぐやはヤチヨに抱きしめられていた。

 

ぎゅう。

 

かなり強めだった。

 

「わぷっ」

 

「かわいいね~……」

 

「褒められてるはずなのに、なんか複雑……」

 

ぎゅう。

 

抱きしめる力が強くなった。

かぐやはさすがに苦しくなって、ヤチヨの背中をぽんぽん叩いた。

 

「ヤチヨー、ちょっと苦しいー」

 

「あ、ごめんね~」

 

ヤチヨは少しだけ腕を緩めた。

でも、離してはくれなかった。

 

それどころか、かぐやを膝の上に抱え上げると、ソファに座り直した。

小さくなった身体は軽いらしい。

かぐやはあっさり持ち上げられて、ヤチヨの膝の上に収まってしまった。

 

「ヤチヨー」

 

「なあに~?」

 

「かぐや、子供じゃないよー?」

 

「うんうん。そうだね~」

 

そう言いながら、ヤチヨはかぐやの髪を撫でた。

 

とても丁寧に。

とても優しく。

 

完全に子供をあやす手つきだった。

 

「むー」

 

「かわいいね~」

 

「むー!」

 

「むーってしてるのもかわいいね~」

 

「ヤチヨ、話聞いてるー?」

 

「聞いてるよ~。うちの子はかわいいにゃ~」

 

ヤチヨはふふふと笑った。

 

いつもの笑い方に戻っているようで、戻っていない。

目元がとろとろしていた。

 

「ねえねえ、かぐや~」

 

「なにー?」

 

「その姿、彩葉にも見せる?」

 

「あっ! いいねー! それ面白そー!」

 

「ふふ、即答だね~」

 

「だって、彩葉ぜったいびっくりするじゃん!」

 

「びっくりするだろうね~」

 

ヤチヨの声が、少しだけ遠くなった。

 

「たぶん、すごくびっくりするだろうね~」

 

ヤチヨは、かぐやの頬を両手で包んだ。

小さな顔を、じっと見る。

 

「ただ、彩葉に見せるなら、髪色は戻した方がいいかもにゃ~」

 

「なんでー?」

 

「そのままだと、彩葉の情緒も壊れちゃうかもだからね~」

 

「情緒が壊れる? 彩葉"も"?」

 

よくわからない。

けれど、ヤチヨがそう言うなら、そうなのだろう。

 

かぐやは腕輪を操作して、髪色を戻した。

 

薄青がかった白髪が、するりと色を変えていく。

明るすぎない、ブラウン寄りのグレー。

目の色もいつもの赤色に戻す。

 

そこには、在りし日のかぐやがいた。

 

小さくて、髪の色も今と違って、服はぶかぶかで。

寝起きにミルクをねだった頃の、かぐや。

 

「おー……」

 

かぐやは、自分の頬を両手でむにむにした。

 

「やっぱ、なつかしー。へんなかんじー」

 

「本当にね~」

 

ヤチヨは、また少しだけ黙った。

でも、嫌な沈黙ではなかった。

 

だから、かぐやはそのままヤチヨの膝の上で揺れていた。

 

そのとき。

玄関の方から、電子錠の開く音がした。

 

かぐやの耳が、ぴんと反応した。

 

「彩葉だ!」

 

ヤチヨの腕からするりと抜け出す。

 

「あっ、かぐや――」

 

ヤチヨが何か言いかけたが、もう遅かった。

 

かぐやはヤチヨの膝上から飛び降りると、ぶかぶかの服の裾を引きずりながら、玄関へ向かって駆け出した。

 

「ただいま……」

 

玄関から聞こえた彩葉の声は、いつもより少しだけ疲れていた。

 

研究所でたくさん仕事をしてきたのだろう。

偉い人たちに頭を下げたり、逆に詰めたり、書類を作ったり、法務の人たちと相談したり。

 

彩葉は、かぐやのために頑張ってくれている。

 

だから、かぐやは思った。

彩葉を元気にしてあげよう。

 

びっくりさせて、笑わせて、ぎゅっとしてもらおう。

 

「いろはぁ!」

 

かぐやは玄関に飛び込んだ。

 

ちょうど靴を脱ごうとしていた彩葉が、顔を上げる。

 

目が合った。

彩葉の動きが止まった。

 

「……え」

 

小さな声が落ちた。

彩葉の唇が、かすかに震えた。

 

かぐやが言うべき台詞は決まっていた。

 

「いろはぁ。おなかすいたぁ……」

 

かぐやは両手を広げて、少しだけ首を傾げた。

 

「ミルクちょうだーい♡」

 

彩葉の顔が、見たことのない速度で赤くなった。

 

「ッ゙ッ゙ッ゙!?!?!?」

 

本日二人目の犠牲者だった。

 

リビングの方からヤチヨが駆けてくる。

 

「おかえり〜、彩葉〜! お仕事疲れたでしょ〜? かぐやの配信ももうすぐ終わると思うから~、今日もヤッチョとダブルかぐやで癒してしんぜよ――」

 

そこで、ヤチヨの声が止まった。

 

「彩葉~? どうして玄関先で上着をはだけさせてるのかにゃ~?」

 

「え、あ、いや、これは……かぐやが……ミルクって……言うから」

 

「うん、一旦落ち着こうか~?」

 

ヤチヨがにこにこと笑った。

目は笑っていなかった。

 

そのとき、配信部屋の扉が開いた。

 

「おつかぐやー! 今日も楽しかったー! って、なにしてんのー?」

 

もう一人のかぐやが、配信終わりの明るい顔で出てきた。

 

そして、小さなかぐやを見つける。

もう一人のかぐやは、数秒だけ考えてから、ぱあっと笑った。

 

「わー! 小さい! どうなってんのー! でも、さすがはかぐや! かわいー!」

 

「でしょー!」

 

ヤチヨが彩葉を正気に戻すまで、かぐやはもう一人のかぐやと戯れることにした。

 

なお、ヤチヨの取り調べに対し、酒寄彩葉容疑者は「今なら出るかもしれないと思った」などと供述しており。

 

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