ある聖戦の裏側で   作:雨杜結依

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第拾肆話 「被適合者の調律」

夜更けのアパートは、ひどく静かだった。

 

冷蔵庫の駆動音だけが、六畳間の隅で小さく唸っている。

俺は、床に散らばった工具の真ん中に座っていた。

 

解体用の端末。違法改造された軍用ケーブル。血の跡が残る手袋。

そして、机の中央に置かれた、青い結晶。

 

蛍光灯の白を吸い込むみたいに、結晶の奥で青い光がゆっくり脈打っていた。依里の目と同じ色だった。

俺はしばらく、それを見ていた。

 

窓の外では、雨が降っている。あの日と同じだった。プリンを踏み潰した夜と。

 

俺は小さく息を吐くと、端末を起動した。画面に大量のコードが流れる。

『人格同期領域』

『識別優先度』

『HUD認証階層』

 

その中に、『戦後処理兵A』という文字列を見つける。

俺の喉の奥が、ゆっくり焼けた。それが今の自分だ。依里の瞳に映る、俺の名前。

水瀬透ではない。ただの処理番号。ノイズ。

 

俺は無言で、結晶を接続ケーブルへ押し込んだ。

 

瞬間、耳の奥で、女の声が弾けた。

 

『──帰ったら、カルボナーラ作るね』

 

知らない少女の記憶。頭蓋の内側へ、直接流れ込んでくる。

俺は歯を食いしばった。鼻血が一滴、唇へ落ちる。塩の味はしなかった。

 

端末が悲鳴みたいな警告音を鳴らす。

『非適合者』

『接続拒否』

『神経侵食率上昇』

 

「……うるせぇな」

 

俺は自分の右腕へ、接続端子を突き刺した。

肉の裂ける音。遅れて熱が来る。焼けた鉄を神経へ流し込まれるみたいな激痛だった。

 

視界が白く瞬く。けれど俺は、ケーブルを抜かなかった。

依里は、もっと痛かったはずだ。味覚を失って。色を失って。音を失って。自分を失って。それでも笑っていた。

だったら、これくらいで止まれるわけがなかった。

 

青い光が、俺の右目の奥で弾けた。

鏡の中の自分の瞳が、一瞬だけ歪に発光する。

 

依里の青は、澄んでいた。静かな海みたいに。

けれど俺の青は違う。ノイズだった。壊れた蛍光灯みたいに、不規則に点滅している。

 

結晶のコードが、脳へ無理やり流れ込んでくる。

『認証書き換え』

『識別階層汚染』

『HUDバグコード生成』

 

俺は震える指で、回収用スコップの柄を掴んだ。内部を無理やり剥がし、配線を押し込む。金属の中へ、青い結晶の欠片を埋め込む。

戦場の泥を掘り返すための道具。死体を拾うための道具。それが今、依里を世界から強奪し返すための刃へ変わっていく。

 

俺は小さく笑った。笑い方を、少し忘れかけていた。

 

 

高熱で目が覚めた時には、外が明るくなりかけていた。

身体が重い。指先の感覚が、薄い。

 

俺はふらつきながら冷蔵庫を開けた。奥に、プリンが一つ残っていた。コンビニの安いやつ。依里がよく買っていたやつだ。

スプーンを差し込む。柔らかい感触。口へ運ぶ。

 

冷たい。ただ、それだけだった。

 

甘さが分からない。カラメルの苦味も、卵の匂いも、何もない。舌の上に、冷えた物質が乗っているだけだった。

俺はゆっくり飲み込む。喉だけが動く。

 

あの日、依里も、こんな感じだったのだろうか。

 

「……そっか」

 

声が掠れた。笑おうとして、失敗する。

机の上では、改造されたスコップの先端が青く明滅していた。

 

 

軍施設のドックは、相変わらず白かった。白すぎて、温度が分からなくなる。

格納庫の中央で、依里が静かに立っていた。

 

純白の軍服。背筋を伸ばした姿勢。髪は綺麗に整えられている。指先まで、完璧だった。

もう、コンビニでプリンを抱えて笑っていた少女には見えない。

 

俺はモニター越しに、その姿を見つめていた。依里の前へ、白峰澄花が歩み寄る。

白い軍服。青い瞳。感情の抜け落ちた、美しい顔。

 

「小宮依里」

 

白峰の声は静かだった。

 

「あなたから、未処理のノイズを観測しています」

 

依里が瞬きをする。

 

「……ノイズ?」

 

「個人的記憶領域の残滓です。戦闘精度を低下させます」

 

依里は少し黙った。それから、小さく笑う。

 

「大丈夫です。ちゃんと、消しますから」

 

俺の喉が、ゆっくり軋んだ。白峰は依里の瞳を覗き込む。

 

「次の戦闘後、再調律を実施します」

 

「了解しました」

 

綺麗な敬語だった。完璧だった。

 

その瞬間、俺の右目が、ズキ、と熱を持つ。視界の端で、青いノイズが弾けた。

『対象認識』

『小宮依里』

『識別階層へ侵入開始』

 

俺はモニターを握り締める。指先の感覚は、もう半分くらい消えていた。

でも、それでよかった。

依里が神様の部品になるなら、自分は、その神様を壊すための、傷になればいい。

 

警報サイレンが鳴る。格納庫の扉が開く。

依里が振り返る。

 

一瞬だけ。

彼女のHUDの青と、俺の右目の歪な青が、遠く空中で噛み合った。

 

バチ、と。小さなノイズが走った。

依里が微かに眉を寄せる。

 

「……?」

 

その違和感は、一秒も続かなかった。

白い光。推進音。依里の身体が空へ消える。

 

俺は暗いモニターの前で、ゆっくり立ち上がった。ポケットの中の青い結晶が、熱を持っている。

もう戻れない。

 

俺は、自分の右目を押さえた。指先の感覚は曖昧なのに、その奥の熱だけは、妙にはっきり分かった。

 

「これでようやく」

 

掠れた声が、白い部屋へ落ちる。

 

「お前と同じ地獄に行ける」

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