ある聖戦の裏側で   作:雨杜結依

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第拾陸話 「兵器たちの葬列」

雨は、まだ降っていた。

戦場の熱を冷ますには足りない、ぬるい雨だった。

 

崩れた高架の下で、俺は依里を抱えていた。白い兵装は、ところどころ黒く焼けている。裂けた装甲の隙間から、青白い配線みたいなナノマシンの束が覗いていた。

呼吸は浅い。けれど、まだ生きている。

 

「……とおる」

 

腕の中で、依里が小さく呟く。

熱があった。戦闘用に最適化された肉体なのに、今は壊れかけた子供みたいに震えていた。

 

遠くで、サイレンが鳴っている。捜索部隊。時間がない。

俺は瓦礫の奥へ身体を滑り込ませた。コンクリートの隙間。光の届かない場所。

 

鉄と血の匂いが、雨に混ざっている。

依里の頭を胸に引き寄せる。彼女は抵抗しなかった。むしろ、安心したみたいに俺の服を掴んだ。

 

「……あったかい」

 

その声だけで、肺の奥が痛かった。

 

第一部のころみたいだった。

あの六畳一間。安い毛布。コンビニ帰りの夜。冷えた指先。塩辛いスープ。イヤホンの雑音。くだらない会話。

 

全部、壊したのは俺だ。

 

依里は俺の胸に額を押しつけたまま、ぼんやり笑った。

 

「透……ねえ……」

「……なんだ」

「帰ったら、プリン……食べよ……」

 

声が、幼かった。脳が崩れている。記憶の層が剥がれて、昔の依里と今の依里がぐちゃぐちゃに混ざっていた。

それでも、今だけは、確かに俺を見ていた。

 

「……ああ」

 

喉が焼ける。

 

「買ってやるよ。前のやつ」

「……濃いやつ……」

 

笑った。泣きそうなくらい、いつもの笑い方だった。

 

その瞬間、空気が変わった。

 

雨音が遠のく。いや、違う。周囲の音が全部、押し潰された。

 

白。

瓦礫の向こうから、蛍光灯みたいな白が近づいてくる。

軍靴の音。一定の速度。迷いがない。

 

依里の身体が、小さく震えた。

 

「……っ」

 

白峰澄花だった。

 

純白の軍服。雨粒すら滑り落ちる装甲。長い銀色の髪。瞳の奥で、静かな青が点滅している。人間じゃない。最初からそうだったみたいに。

彼女は瓦礫の前で立ち止まった。視線がこちらを向く。

 

その瞬間、俺の右目の奥で、バグコードが軋んだ。視界の端にノイズが走る。

澄花のHUDが展開される。青い走査線。識別。解析。

 

そして、俺の頭上に、赤い文字が浮かんだ気がした。

『BUG_000』

 

ただの駆除対象。人間ですらない。

 

澄花は感情のない声で言った。

 

「戦闘素体No.13に重大な認識障害を確認」

「原因個体を発見」

「処理を開始します」

 

依里が、怯えた子供みたいに俺の服を掴む。

 

「や……」

 

澄花は一歩近づく。泥を踏まない。血溜まりを踏んでも、白い軍靴は汚れない。

 

「対象を引き渡してください」

「それが最も損耗の少ない選択です」

 

俺は依里を抱えたまま、後退った。背中が瓦礫に当たる。逃げ場はない。

 

「……ふざけんな」

 

喉から出た声は、掠れていた。

 

「返せよ」

 

澄花は首を傾げる。本当に、意味が分からないみたいに。

 

「その素体は軍の所有物です」

「返却、という表現は不適切です」

 

依里が苦しそうに息をする。鼻から、青黒い血が零れていた。

 

「透……」

「大丈夫だ」

 

嘘だった。もう何度目か分からない。

澄花の青い瞳が、依里へ向く。

 

「ノイズ汚染が深刻です」

「記憶領域の初期化を実施します」

 

依里が、びくりと震えた。

 

「やだ……」

 

初めて、はっきりした拒絶だった。

 

「や、だ……透……」

「消えちゃ……」

 

澄花の指先が、依里の額へ触れる。青い光。

瞬間、依里が絶叫した。

 

「いやぁぁぁっ!!」

 

頭を掻きむしる。ナノマシンの光が、皮膚の下を走る。

 

「透っ、透、名前が、わたし、消え、」

 

俺は澄花へ飛びかかった。

 

その瞬間、視界が白く弾けた。

 

衝撃。

気づいた時には、地面に叩きつけられていた。

肋骨が折れる音がした。呼吸できない。

 

白い軍靴が、俺の胸を踏みつけていた。重い。人間の重さじゃない。

スコップを握る。振り上げる。

 

澄花はそれを見もしなかった。

鈍い音。次の瞬間、スコップが粉々に砕け散る。金属片が雨の中へ飛んだ。

 

「BUG_000の抵抗を確認」

「排除を継続」

 

肋骨が軋む。血が込み上げる。

でも、笑いそうだった。

 

依里の悲鳴が聞こえる。

 

「とおるっ……!」

「やだ、忘れたく、ない……!」

「カルボナーラ、プリン、スープ、透、透、透……!」

 

言葉が崩れていく。泣きながら、壊れたレコードみたいに。

 

澄花の青い光が強くなる。

 

「人格領域の切除を開始」

「ノイズ除去率、87%」

 

依里の瞳から、色が消えていく。

 

ああ、終わる。人間の小宮依里が、今ここで。

 

俺は血を吐きながら、笑った。

右目の奥。まだ、核が残っている。

 

最後のバグ。澄花は気づいていない。システムは、自分の内側から腐るものを想定していない。

俺は壊れた視界の中で、軍の通信塔を見る。遠く、雨の向こう。

 

右目の神経を、無理やり接続する。激痛。脳が焼ける。でも、止めなかった。

依里を奪った神様。だったら、世界ごと壊してやる。

 

ノイズが流れ込む。通信網。HUD。識別システム。青い光の海。そこへ、バグコードを流し込む。静かに、血を流しながら。

 

澄花が、初めて眉を寄せた。

 

「……異常通信を検知」

 

遅い。

 

依里の身体から、力が抜ける。瞳の青が、完全に安定する。涙だけが、頬に残っていた。

彼女はゆっくり立ち上がる。表情が消えている。

 

そして、泥の中に転がる俺を見下ろした。

HUDの青い光。

 

「……戦後処理兵A」

 

静かな声。

 

「生存を確認しました」

 

それだけだった。さっきまで、俺の名前を叫んでいたのに。

 

 

雨が降っている。冷たい。

 

兵士たちの死体が並んでいた。白い袋。砕けた装甲。血溜まり。

葬列だった。人間だったものの、終わりの列。

 

拘束具が腕にはめられる。誰かが何か叫んでいる。

反逆罪。危険因子。処分対象。

 

どうでもよかった。口の中が血の味でいっぱいだった。

 

でも、少しだけ、笑えた。

右目の奥で、青いノイズが、静かに脈打っている。

 

植え付けた。世界の奥に。

依里を奪ったシステムへ、もっと大きな、致命的な傷を。

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