しまった。
完全に声に出ていた。
目の前の少女――梔子ユメは、不思議そうに首を傾げている。
俺は慌てて口を開いた。
「いや、その……どこかで見たことがあるような気がして」
「ほんと?」
「たぶん」
「そっかー!」
疑ってない。
全く疑ってない。
なんだこの人。
普通ならもっと怪しむだろ。
初対面の相手にいきなり名前を呼ばれたんだぞ?
俺だったら一歩下がる。
場合によっては逃げる。
でもユメは違った。
あっさり納得している。
(警戒心どこ置いてきたんだこの人……)
思わずそんなことを考える。
だが、正直助かった。
転生しました。
未来を知ってます。
ブルアカの世界です。
なんて説明したところで頭がおかしい人認定されるだけだ。
「それより大丈夫?」
ユメが少し心配そうに聞いてくる。
「顔色悪いよ?」
「まぁ……色々ありまして」
実際色々ありすぎる。
死んだし。
転生したし。
推しになったし。
ブルアカ世界だし。
情報量が多すぎる。
脳みそが処理落ちしている。
するとユメは俺の顔をじっと見た後、ぽんっと手を叩いた。
「あ、お腹空いてない?」
「え?」
「なんか凄くお腹空いてそうな顔してる」
エスパーか?
と思った瞬間。
ぐぅぅぅぅぅぅ。
盛大に腹が鳴った。
最悪だった。
タイミングが良すぎる。
ユメが目をぱちくりさせる。
俺は無言で空を見上げた。
死にたい。
いや一回死んでるけど。
「あははっ!」
ユメが楽しそうに笑った。
「やっぱり!」
「……否定できません」
「だよね!」
何がだよ。
でも妙に楽しそうだからツッコむ気も失せる。
するとユメはにこっと笑った。
「じゃあご飯食べに行こう!」
「え?」
「私おすすめのお店あるんだ!」
話が早い。
いや早すぎる。
初対面だぞ俺たち。
何でそんな気軽に飯へ連れて行こうとしてるんだ。
「いやでも……」
「遠慮しなくていいよ!」
「そういう問題じゃなくて」
「困った時はお互い様だから!」
満面の笑みだった。
あまりにも真っ直ぐな笑顔だった。
その瞬間。
俺は少しだけ理解した。
ああ。
この人はこういう人なんだ。
困っている人を見たら放っておけない。
だから知らない人間にも手を差し伸べる。
だから皆から慕われる。
そして――。
(たぶん損するタイプだな)
そんな予感がした。
後にホシノが苦労する理由を、俺はまだ知らない。
◇
「ここだよ!」
数分後。
案内された先で俺は立ち止まった。
一軒のラーメン屋。
古びた暖簾。
木造の店構え。
どこか懐かしい雰囲気。
そして看板には大きく、
柴関ラーメン
と書かれていた。
「ラーメン屋か」
少し安心する。
異世界転生一発目の飯が見慣れた料理なのはありがたい。
「美味しいんだよー!」
ユメはそう言って暖簾をくぐる。
俺も後を追った。
ガララッ。
扉を開けた瞬間。
「おう!ユメちゃんじゃねぇか!」
威勢の良い声が飛んできた。
俺は反射的に声の方を見る。
そして固まった。
「……犬だ」
「だから違うって!」
ユメが即座にツッコんだ。
だがどう見ても犬だった。
柴犬だった。
二足歩行だった。
腕組みしていた。
貫禄まであった。
どう見ても犬だった。
「柴大将だよ!」
「そうなのか……」
ブルアカ世界。
改めて凄いな。
そんなことを思いながら席に座る、腰を下ろすと、柴大将が改めてこちらを見た。
「ん?」
その視線はどこか鋭い。
いや、鋭いというより観察していると言った方が正しいかもしれない。
頭の先から足の先までじっくり見られる。
少し居心地が悪い。
「……何か?」
「いや」
柴大将は腕を組む。
「随分くたびれた顔してんなと思ってな」
「初対面で言います?」
「ハッハッハ!」
豪快な笑い声が店内に響く。
ユメも隣でクスクス笑っている。
ひどい。
だが否定できないのが悔しかった。
社会人時代の疲労がまだ残っている気がする。
身体は若返っても精神は昨日まで社畜だったのだ。
「図星か?」
「まぁ……」
「だろうな」
柴大将は頷いた。
「ユメちゃんが連れてきたってことは事情があるんだろ?」
「色々ありまして」
「そうか」
それ以上は聞いてこなかった。
詮索しない。
踏み込みすぎない。
その距離感が妙にありがたかった。
するとユメが身を乗り出してきた。
「燈矢くんね!」
「おう」
「困ってたんだよ!」
「そうか」
「砂漠の真ん中歩いてた!」
「そりゃ困るな」
柴大将が真顔で頷く。
何だろう。
会話が成立しているようで成立していない気がする。
「それでね!」
ユメが楽しそうに続ける。
「お腹も空いてるんだよ!」
「なるほど」
すると柴大将は振り返り、厨房へ向かった。
「ならまず飯だな」
「え?」
「腹減ってるだろ」
図星だった。
するとタイミング良く。
ぐぅぅぅぅぅ。
腹が鳴った。
しかも盛大に。
「……」
「……」
「……」
数秒の沈黙。
そして。
「あはははは!」
ユメが吹き出した。
「笑うな」
「ご、ごめん!」
絶対反省してない。
肩震えてるし。
柴大将もニヤニヤしている。
やめろ。
そんな目で見るな。
◇
数分後。
目の前には熱々のラーメンが置かれていた。
醤油の香り。
立ち昇る湯気。
大きなチャーシュー。
ネギ。
メンマ。
シンプルだ。
だが美味そうだった。
「ほらよ」
「いただきます」
箸を取る。
麺を持ち上げる。
そして啜った。
瞬間。
思わず動きが止まる。
「……うまい」
自然と声が漏れた。
スープが身体に染み渡る。
疲れた身体に。
疲れた心に。
じんわりと温かさが広がっていく。
思い出す。
社会人時代。
コンビニ弁当。
冷えたおにぎり。
カップ麺。
そんな生活ばかりだった。
だからだろうか。
たった一杯のラーメンなのに。
少し泣きそうになった。
「だろ?」
柴大将がニヤリと笑う。
俺は無言で頷いた。
その後は夢中だった。
麺を啜る。
スープを飲む。
チャーシューを食べる。
また麺を啜る。
気付けば器は空になっていた。
「ごちそうさまでした」
「おう」
柴大将は満足そうだった。
なぜかユメも満足そうだった。
お前が作ったわけじゃないだろ。
◇
「坊主」
「はい?」
食後。
柴大将が少し真面目な顔になる。
「行く当てはあるのか」
その言葉に俺は黙った。
ない。
家もない。
知り合いもない。
金もない。
昨日まで会社員だった。
今日から異世界人である。
どうしろと言うのだ。
「ないです」
正直に答える。
柴大将は数秒考え込んだ。
「そうか」
それだけだった。
余計な同情もない。
説教もない。
その反応がありがたかった。
すると。
「そうだ!」
ユメが突然立ち上がった。
嫌な予感がする。
この人、何か思いついた顔してる。
「燈矢くん!」
「はい」
「アビドスに来ない?」
やっぱりだ。
柴大将が吹き出した。
「ハッハッハ!」
「笑い事じゃないですよ」
「いや、ユメちゃんらしいと思ってな」
らしいんだ。
何となく納得した。
「アビドスって学校ですよね?」
「そう!」
「俺学生じゃないですけど」
「大丈夫!」
「何がですか」
「なんとかなる!」
根拠が一切なかった。
だが本人は本気だった。
それが分かるから困る。
俺は思った。
(この人絶対アクセル担当だ)
そして。
ブレーキ役がいるはずだ。
そうでなければ危険すぎる。
未来のアビドスを知る俺には何となく予想がついていた。
たぶん。
その役目は――。
「ユメ先輩!!」
店の外から鋭い声が響く。
同時に扉が勢いよく開いた。
ガラッ!!
現れたのは一人の少女。
短い桃色の髪。
鋭い目付き。
小柄な体。
そして不機嫌そうな表情。
俺は思わず固まった。
(あっ)
知っている。
見間違えるはずがない。
未来のアビドス対策委員会委員長。
小鳥遊ホシノ。
そして――。
ユメ先輩の最大のブレーキ役だった。
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