坂柳有栖が杖を置く日   作:EXTERMINATION

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第一話 限界

白い天井を見上げた時、坂柳有栖が最初に思ったのは、

またこの景色ですか、という諦めに近い感想だった。

 

保健室の天井は、どこの医療施設とも似ていた。

清潔で、静かで、無機質で、そして不快なほどに優しかった。

 

「意識はあるか」

 

横から聞こえた声に、坂柳はゆっくりと目を動かした。

 

綾小路清隆がいた。

 

相変わらず表情は薄く、心配しているのか、観察しているのか、

それともただそこにいるだけなのか判別しづらい顔をしていた。

 

「……あなたが付き添ってくださったんですか?」

「倒れたからな」

「それは見れば分かります」

 

坂柳はそう返そうとして、胸の奥に残る重苦しさに言葉を止めた。

 

呼吸は戻っている。

 

心拍も落ち着いている。

 

けれど、さきほど身体が崩れ落ちた瞬間の感覚だけは、まだ指先に残っていた。

 

自分の意思とは関係なく、足から力が抜ける。

 

世界が遠ざかる。

 

支えがなければ、そのまま地面に落ちていた。

 

その事実が、何よりも腹立たしかった。

 

「保健室の先生は?」

「今、外で電話をしている」

「大袈裟ですね。いつものことです」

「いつものことなら、なおさら問題だろ」

 

綾小路の言葉は淡々としていた。

責めるでもなく、慰めるでもなく、ただ事実だけを置くような言い方だった。

 

坂柳は小さく笑った。

 

「あなたに正論を言われると、少し腹が立ちます」

「そうか」

「ええ。あなたはいつも、自分は関係ありませんという顔をして、

他人の痛いところだけ正確に突いてきますから」

 

綾小路は否定しなかった。

 

その沈黙が、かえって肯定のように感じられた。

 

カーテンの向こうで足音がした。

 

保健室の扉が開き、養護教諭と担任の真嶋が入ってくる。

 

真嶋は普段と変わらぬ厳しい表情をしていたが、その目の奥には明らかな緊張があった。

 

「坂柳。意識ははっきりしているか」

「ええ。ご迷惑をおかけしました」

「迷惑の話ではない。今すぐ外部の提携病院で精密検査を受けてもらう」

 

坂柳は一瞬だけ目を細めた。

 

「必要ありません」

「必要かどうかを判断するのは君ではない」

 

真嶋の声は硬かった。

 

生徒に対する教師の声ではなく、何か重大な責任を背負っている大人の声だった。

 

坂柳はその変化を見逃さなかった。

 

「……学校側は、私の身体についてどこまで把握しているんですか?」

「必要な範囲だ」

「その言い方は、必要以上に知っている人間の言い方です」

 

真嶋は沈黙した。

その沈黙だけで十分だった。

 

高度育成高等学校という場所は、生徒の能力だけでなく、

体調、家庭環境、過去、精神状態までも管理対象に含めている。

 

坂柳はそれを知っていた。

 

知っていたつもりだった。

 

だが自分の心臓までも、学校の管理表の一項目として

扱われているのだと実感すると、さすがの彼女でも胸の奥が冷える。

 

「父にも連絡を?」

「すでに取っている」

 

その言葉に、坂柳の表情がわずかに変わった。

 

坂柳理事長。

 

父。

 

この学校の中で、自分の身体について最もよく知っている人物。

そして同時に、自分を最も壊れ物として扱ってきた人間。

 

坂柳はシーツの上で指先を軽く握った。

 

「そうですか」

 

それ以上は言わなかった。

言えば、余計な感情が滲む気がしたからだ。

 

病院へ向かう車の中は、ひどく静かだった。

窓の外にはいつもの学園風景が流れていた。

 

校舎。

並木道。

グラウンド。

生徒たち。

 

自分が普段見下ろし、観察し、

時に盤上の駒のように動かしてきた世界が、今だけは遠い場所のように見えた。

 

隣には綾小路が座っていた。

なぜ彼まで同行しているのか、坂柳は訊かなかった。

訊けば、彼は「たまたまだ」か「教師に言われた」とでも答えるだろう。

それが嘘ではないとしても、真実の全てではないことくらい分かっていた。

 

「綾小路くん」

「なんだ」

「あなたは、病院という場所が好きですか?」

「好き嫌いで考えたことはない」

「でしょうね」

 

坂柳は窓の外へ視線を戻した。

 

「私は嫌いです」

「意外ではないな」

「ここへ来るたびに、自分が自由ではないことを思い知らされますから」

 

車が校門を抜ける。

学園の外へ出るだけで、景色の色が少し変わったように見えた。

 

坂柳は続けた。

 

「病院では、誰も私を坂柳有栖として見ません。

見るのは心拍、血圧、検査数値、心臓の形、危険度、運動制限、

寿命の可能性。私という人間の価値は、いつも数字に分解されてしまう」

「この学校も似たようなものだろ」

「ええ。だから少し気に入っているのかもしれません」

 

坂柳は皮肉げに笑った。

 

「ここでは身体が弱くても、頭脳があれば勝てます。

少なくとも、病院よりは公平ですから」

 

綾小路は何も言わなかった。

 

だがその沈黙は、いつもより少しだけ重かった。

 

病院に着くと、坂柳はすぐに検査室へ運ばれた。

 

心電図。

血液検査。

画像検査。

医師の質問。

看護師の視線。

慣れた手順だった。

慣れているはずだった。

 

それでも今回は、空気が違った。

医師たちの表情が、いつもより慎重だった。

ただ悪い結果を告げる時の顔ではない。

何かを測り、迷い、言葉を選んでいる顔だった。

 

検査が終わり、個室へ案内された時、そこには父がいた。

坂柳理事長は椅子に座っていた。

普段の落ち着いた態度は変わらない。

 

しかし坂柳には分かった。

 

父は緊張している。

 

「有栖」

「お父様」

 

二人の間に、短い沈黙が落ちた。

親子でありながら、そこには親密さよりも儀礼のような距離があった。

 

坂柳はベッドに座り、父の前でいつもの微笑を浮かべた。

 

「わざわざ来てくださるなんて、珍しいですね」

「君のことだ。当然だよ」

「その当然が、私には少し重いのですけれど」

 

父は苦笑しなかった。

その代わり、静かに言った。

 

「今日は大事な話がある」

 

坂柳は、その一言で理解した。

 

ただの検査結果ではない。

 

ただの注意でもない。

 

自分の人生を変えるかもしれない話が、今から始まる。

 

扉が開き、担当医が入ってきた。

白衣の男性医師は、資料を手にしていた。

 

その後ろには、真嶋と、なぜか綾小路も控えている。

 

坂柳は綾小路を一瞥した。

 

「あなた、随分と重要人物扱いですのですね」

「オレもそう思っている」

「否定しないのですか?」

「ここで否定しても意味がない」

 

本当に厄介な人ですね、と坂柳は内心で呟いた。

 

医師が向かいに座る。

資料が机の上に置かれた。

その紙の束の音が、やけに大きく聞こえた。

 

「坂柳さん。まず、今日の発作についてですが、

現時点で命に直結する状態ではありません」

 

その言葉に、周囲の空気がわずかに緩む。

 

だが坂柳は安堵しなかった。

医師の話には続きがある。

それを彼女は知っていた。

 

「ただし、これまでの経過と比較すると、心臓への負担が増えている兆候があります。

今までと同じ生活を続けても安全だ、と断言することはできません」

 

「つまり、悪化していると?」

「一部はそうです」

 

医師は言葉を選んだ。

 

「ですが、もう一つお伝えしなければならないことがあります」

 

坂柳は目を細めた。

 

「悪い知らせですか?」

「いいえ」

 

医師は静かに首を振った。

 

「むしろ、可能性の話です」

 

可能性。

 

その言葉は、坂柳にとって最も嫌いな言葉の一つだった。

可能性とは、希望の形をした不確定要素だ。

人を前へ進ませるふりをして、時には最も残酷に突き落とす。

 

「近年、あなたの症例に対して新しい治療法が選択肢に入るようになりました。

以前なら困難だった負担の軽減、機能改善、そして段階的な運動制限の緩和が、

一定の条件下で見込める可能性があります」

 

部屋の空気が止まった。

坂柳はしばらく何も言わなかった。

言葉の意味は理解できていた。

 

理解できているからこそ、すぐには受け取れなかった。

 

「……それは」

 

声がわずかに掠れた。

坂柳はすぐに微笑を作り直す。

 

「それは、私が普通の生活に近づけるという意味ですか?」

 

医師は軽々しく頷かなかった。

 

その慎重さは誠実だった。

 

「完全に健康な人と同じ、という意味ではありません。

しかし治療が成功し、術後管理とリハビリが順調に進めば、

日常生活の制限は今より大きく減らせる可能性があります」

「走ることは?」

 

その質問は、ほとんど無意識に出ていた。

言った瞬間、坂柳自身が驚いた。

 

父も、真嶋も、綾小路も、わずかに反応した。

医師はまっすぐに答えた。

 

「将来的に、短い距離の軽い走行程度なら許可できる可能性があります」

 

坂柳は息を止めた。

たったそれだけの言葉だった。

 

短い距離。

軽い走行。

可能性。

 

健康な人間なら笑ってしまうほど小さな話。

だが坂柳有栖にとって、それは人生の外側にあった景色だった。

 

グラウンドを走る生徒たち。

 

階段を駆け上がる足音。

 

体育祭の歓声。

 

誰かと同じ速度で歩く放課後。

 

その全てが、一瞬だけ脳裏に浮かんだ。

 

浮かんでしまった。

 

だから坂柳は、すぐにそれを消した。

 

「期待させるような言い方は、あまり感心しませんね」

 

声は落ち着いていた。

 

いつもの坂柳有栖の声だった。

 

だが指先は冷えていた。

 

医師は静かに続けた。

 

「もちろん、リスクはあります。

治療そのものにも、術後の経過にも、不確定な部分はあります。

成功しても、すぐに歩ける距離が伸びるわけではありません。

むしろ初期は今より厳しい管理が必要になるでしょう」

「失敗した場合は?」

 

坂柳は即座に尋ねた。

 

医師が一瞬だけ間を置く。

 

「現在より生活制限が強くなる可能性があります」

「最悪の場合は?」

「命に関わる危険もゼロではありません」

 

父の手がわずかに動いた。

 

真嶋の表情が硬くなる。

 

綾小路だけが、何も変わらない顔で坂柳を見ていた。

 

坂柳は笑った。

 

「分かりやすくなりましたね」

 

希望には、必ず代償がある。

 

普通になれるかもしれない。

 

その代わり、今あるものすら失うかもしれない。

 

歩けるかもしれない。

 

その代わり、二度と立てなくなるかもしれない。

 

生きやすくなるかもしれない。

 

その代わり、生きる時間そのものを削るかもしれない。

 

あまりに公平だった。

 

残酷なほど公平だった。

 

「お父様は、すでにご存じだったのですか?」

 

坂柳は父を見た。

 

父は逃げなかった。

 

「以前から、候補としては聞いていた」

「なぜ黙っていたのです?」

「確実ではなかった」

「確実でなければ、娘には知らせる価値もないと?」

「違う」

 

父の声に、初めて感情が滲んだ。

 

それは怒りではなかった。

 

恐怖だった。

 

「私は、有栖に期待を持たせたくなかったんだ」

 

坂柳は言葉を失った。

 

その理由は、あまりにも自分と同じだったからだ。

 

期待したくない。

期待させたくない。

 

希望を持てば、失った時に壊れる。

 

坂柳有栖という少女は、ずっとその理屈で自分を守ってきた。

 

そして父もまた、同じ理屈で娘を守ろうとしていた。

 

その事実が、少しだけ苦しかった。

 

「……優しさとは、時に傲慢ですね」

「そうかもしれない」

 

父は否定しなかった。

 

「だが、それでも私は有栖を失いたくなかった」

 

部屋の空気が重くなる。

 

坂柳は視線を落とした。

 

机の上の資料には、難しい医学用語と数値が並んでいる。

 

そこには坂柳有栖という少女の未来が、冷静な文字で分解されていた。

 

成功率。

危険性。

術後経過。

リハビリ期間。

制限緩和の見込み。

 

どれも現実だった。

 

だが、その現実の向こうに、ほんの少しだけありえない未来が見えた。

 

杖を持たずに歩く自分。

 

息を切らしながらも、誰かの隣を歩く自分。

 

階段の途中で立ち止まらずに済む自分。

 

グラウンドを、ほんの数メートルだけでも走る自分。

 

その映像が胸の奥に生まれた瞬間、坂柳は恐怖した。

 

病気よりも。

手術よりも。

失敗よりも。

 

希望を持ってしまった自分が、何よりも怖かった。

 

「少し、考えさせてください」

 

坂柳はそう言った。

 

医師は頷いた。

 

「もちろんです。すぐに決める必要はありません」

 

父も頷く。

真嶋も何も言わない。

けれど綾小路だけは、坂柳を見たままだった。

 

その視線が不愉快だった。

 

見透かされているようで。

 

逃げ道を塞がれているようで。

 

それでいて、無理に背中を押すわけでもないところが、さらに厄介だった。

 

 

病院を出る頃には、空は夕方に傾き始めていた。

夏の夕日は柔らかく、病院の白い壁を薄い橙色に染めている。

 

坂柳は入り口の外で杖をついた。

 

カツン、と小さな音がした。

 

いつも通りの音。

自分を支える音。

自分を縛る音。

 

その音を聞いた瞬間、診察室で聞いた言葉が蘇る。

 

短い距離なら。

軽い走行なら。

将来的には。

 

可能性があります。

 

坂柳は唇を結んだ。

 

「坂柳」

 

背後から綾小路が声をかけた。

 

「何ですか?」

「やらないのか」

 

あまりにも直接的な問いだった。

 

坂柳は振り返らずに答えた。

 

「あなたは簡単に言いますね」

「簡単だとは言っていない」

「ではなぜ聞くのです?」

「お前が本当はもう答えを出しているように見えた」

 

坂柳は笑おうとした。

 

けれど、笑えなかった。

 

夕方の風が吹く。

 

病院の前を、親子連れが歩いていく。

 

小さな子供が母親の手を引いて駆け出し、母親が慌てて追いかける。

 

何でもない光景だった。

 

何の価値もない、ありふれた日常。

 

けれど坂柳は、その小さな背中から目を離せなかった。

 

「……怖いんです」

 

その言葉は、驚くほど自然に口から落ちた。

 

言ったあとで、坂柳自身が少し驚いた。

 

こんな言葉を、誰かに向かって吐いたことがあっただろうか。

 

少なくとも、高度育成高等学校に入ってからは一度もない。

 

綾小路は黙っていた。

 

だから坂柳は続けた。

 

「失敗が怖いのではありません。痛みが怖いのでもありません。

死が怖くないと言えば嘘になりますけれど、それだけでもありません」

 

杖を握る手に力が入る。

 

「私は、期待するのが怖いんです」

 

夕日が二人の影を長く伸ばしていた。

 

「歩けるかもしれない。走れるかもしれない。普通になれるかもしれない。

そんなことを一度でも本気で願ってしまったら、叶わなかった時、

今までの私まで壊れてしまう気がします」

 

坂柳は振り返った。

 

その顔には、いつもの余裕がほとんど残っていなかった。

 

そこにいたのは、Aクラスを支配する天才ではなく、

生まれてからずっと身体に制限を課されてきた一人の少女だった。

 

「私は、弱い自分を知性で覆い隠してきました。

歩けないなら勝てばいい。走れないなら支配すればいい。

身体で劣るなら、頭で全てを奪えばいい。そうやって生きてきたんです」

 

綾小路は静かに聞いていた。

 

「でも、もし治る可能性があるのなら」

 

坂柳の声がわずかに震えた。

 

「私は、今まで何を支えにしてきたのでしょうね」

 

それは、初めて口にした本音だった。

 

病気を憎んでいた。

 

杖を嫌っていた。

 

制限を呪っていた。

 

けれど同時に、それらは坂柳有栖という人格を形作ったものでもあった。

 

弱い身体があったからこそ、彼女は強い頭脳にしがみついた。

 

歩けないからこそ、盤上で勝つことに執着した。

 

普通ではないからこそ、特別であろうとした。

 

では、もし自分が普通に近づいた時。

 

坂柳有栖は、何者になるのか。

 

「お前は、坂柳有栖のままだろ」

 

綾小路はそう言った。

 

あまりにも短い言葉だった。

 

慰めにしては拙く、励ましにしては淡白で、理屈にしては乱暴だった。

 

けれど坂柳は、なぜかその言葉を笑えなかった。

 

「……随分と雑な結論ですね」

「そうかもしれない」

 

「けれど、不思議です……」

 

坂柳は小さく息を吐いた。

 

「あなたが言うと、少しだけ本当のように聞こえます」

 

綾小路は答えなかった。

 

夕暮れの中で、二人はしばらく黙って立っていた。

やがて坂柳は、病院の入り口横にある手すりへ視線を向けた。

 

そこには階段があった。

 

わずか数段。

 

健康な人間なら意識すらしない高さ。

 

だが坂柳にとっては、常に避けるべき場所だった。

 

彼女はゆっくりと足を向けた。

 

「坂柳」

「分かっています。無茶はしません」

 

坂柳は手すりに手を添えた。

 

杖をつく。

 

一段目に足をかける。

 

胸が不安で詰まる。

 

身体そのものより、心が先に怯えているのが分かった。

 

それでも彼女は、一段だけ上った。

 

たった一段。

 

それだけで、息が少し乱れた。

 

けれど倒れなかった。

 

坂柳は階段の上で立ち止まり、夕日に染まる空を見た。

 

美しい空だった。

 

腹立たしいほどに。

 

「……綾小路くん」

「なんだ」

「私は、まだ決めたわけではありません」

「そうか」

「けれど」

 

坂柳は杖を握り直した。

 

「もう一度だけ、診断を受けてみます。今度は、逃げるためではなく、進むために」

 

それは決意と呼ぶには小さすぎた。

 

覚悟と呼ぶにはまだ震えていた。

 

けれど確かに、その一段は坂柳有栖が

自分の未来へ向けて踏み出した、最初の一歩だった。

 

階段を下りる時、綾小路は手を差し出さなかった。

 

坂柳も求めなかった。

 

ただ彼は、彼女が倒れた時に支えられる距離にだけ立っていた。

 

その距離が、今の坂柳には不思議と心地よかった。

 

病院の前に、迎えの車が停まる。

 

坂柳はゆっくりと歩き出す。

 

杖の音が鳴る。

 

カツン。

 

カツン。

 

カツン。

 

その音はまだ、彼女を支えていた。

 

けれどその日初めて、坂柳有栖は思った。

 

いつかこの音が、自分の隣から消える日が来るのだろうか、と。

 

そして、その日を想像した瞬間。

 

胸の奥に生まれた恐怖と同じくらい小さな熱を、彼女は確かに感じていた。




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